その8 黄山屯渓の老街散策〜世界遺産「安徽省古民居群」〜黄山山麓へ 

世界遺産 中国仙境・山水画街道を行く



(旅の8日目 明清時代の街並みが残る黄山市屯渓の老街散策)

                             
 旅の8日目、安微省南部に位置する黄山市屯渓区の四つ星ホテルで朝をむかえた。
行政人口150万人あまりのここ黄山市にはユネスコ世界遺産が二つもある。 一つは西暦2000年に世界文化遺産に登録された「安徽省南部古村群」で、もう一つは1990年に世界複合遺産に登録された山岳「黄山」だ。               
 私達が泊まったホテルはこの二つの世界遺産観光の拠点となる黄山市の屯渓区にあり、黄山山麓までは65kmほど離れた距離だ。 黄山市の鉄道駅や空港はこの屯渓区にあり行政や商業の中心地となっている。


 今日のスケジュールは屯渓の老街を見学後、世界遺産の「安微省南部古村・古民居郡」の中から「宏村」を見学し、さらに4箇所の古村を訪ねながら、黄山山麓のホテルまでの移動となっている。
 早朝からホテルロビーは大勢の中国人観光客で溢れ、次々と団体貸し切りバスが出発していく。おそらくほとんどの観光客が寄り道することなく一直線に黄山登山に向かっていくのであろう。
 杭州ではあれほど見かけた外国人観光客はさすがに、ここ屯渓のホテルでは見かけることなく大半が中国人だ。
 ホテルのまん前には街中をつらぬく大きな川の新安江流れており、まだ7時を過ぎたばかりの早朝なのにあちこちで、女性達が川岸の岩石の上に衣類を置き、こん棒で叩きながら洗濯をしている。                          明清時代の街並が残る屯渓老街
 
 朝食を終えると8時半に私達を乗せたバスは本日最初の観光である古い街並みが残る「屯渓老街」にむかって走り出した。

 中国入りして1週間、雨に降られることなく天気に恵まれてきたが、今日の天候はバスの出発に合わせたかのように霧雨のような雨が降り出した。
10分も走らないうちに「屯渓宋城老街」に着き、私達は傘を取り出しバスから降り立った。
 ここ「老街」は古代の商業街で、宋や明代(西暦1200年〜1800年代)の古い街並みがそっくり残されているのだ。 約1.3kmの老街の通りには歴史を感じさせる文物商店が  「ウダツ」が上がる建物が軒を連ねる老街
軒を連ねて並んでいる。
 私達は早朝の霧雨にけむる老街にガイドを先頭に入り込んだ。
 南宋風造りの白い壁と黒瓦を特徴とする江南建築が軒を連ね、どの家も屋根にはりっぱな「ウダツ」(飾りのついた防火壁のようなもの)が上がっている。
 ここ安微省南部は中国でも有名な「墨と硯」の産地だけあって、狭い石畳の路の両脇には、年代を感じさせる硯や筆などの書道用具店や漢方薬店が多く建ち並んでいる。


 時刻は午前9時前なのにすでにどの店も開店しており、店主らしき人が忙しそうに店内や店頭の石畳を清掃している。             老街の食堂、朝食の真っ最中
 街を貫くように伸びる石畳の路を歩いていると数百年前の中国にタイムスリップしたかのようだ。
 まだ朝が早いからなのか観光客は私達日本人グループ以外は誰も石畳を歩いている人がいない。 老街の中心にある中国茶店前を再集合の場所として1時間ほどの自由行動となり、私達はそれぞれが思い思いの方向へ散っていった。
 
 石畳の路が一直線に伸び両脇には明・清時代の商店がずらりと建ち並ぶ商店街をブラブラ歩きで進んでいくのだが、目に入る建物全てが何とも特徴的で競い合うように屋根に「ウダツ」が上がっている。           街中の建物が競い合うようにウダツが上がる
 私達は「いつまで経ってもウダツが上がらない!」などという言葉を使うが、ここ屯渓の老街の商店はどの店もウダツが上がった成功者のようだ。


 しかし、歩いていて気づいたのだが街全体が静かな雰囲気なのである。 
 今まで中国のどの観光地に行っても、土産物店街を私達が歩いていると必ず熱心な売り込みの声が掛かってきたのだが、ここ老街ではどの店からも全然声を掛けてこない、静かなのである。
 店先を覘く私達を笑顔で黙って見ているのである。 店内に入り商品に手を触れた段階ではじめて「要、不要(ヤオ、ブーヤオ)」      あまり観光ずれしていない静かな老街
(日本語訳、いかがですか?)と声を掛けてくるのである。 したがって、売り込み攻勢にうるさく付きまとわれることも無く、ゆったりした気分で散策ができる不思議な老街だ。


 カメラ片手に所かまわず建物の写真を撮りながら歩いていると、博物館のような建物の玄関脇で書道関係の本を陳列しているコーナーがある。 ガラスショーケースを二つ並べその内側に若い小姐が二人店番をしているのが目に入った。
 ところがショーケースの上に本を広げ、前を通りかかる私達を見向きもせず熱心に読んでいるではないか。(右画像) 
 店員が真面目に働きもせず客の相手もせず自分の世界に没頭しているのである。 
 10年ぐらい前まで中国各地でよく見かけた社会主義の悪しき残滓がここ老街にはまだ残っていたのかと私は思った!。 
 この不埒な場面をカメラに収めてやろうと近づいていったが二人とも顔を上げようといない!


 若い!幼い顔立ちで二十歳前のように見える。 ブツブツ何か言いながら夢中になって読んでいる!。 いったい何をそんなに夢中なって読んでいるのだ!とさらに近づき覗き込むと何と!英語の本ではないか。

 英語の教科書らしき本を二人で声を出しな      老街の交差点にある博物館
がら読んでいるのである。 唖然とした!何と勉強をしているのではないか!。店員をしながら英語の学習をしているのだ。
 いったい何が彼女達をこうさせるのだ!単に向上心があるとか、エライでは済まされない、ひたむきな現代中国の若者達の姿に驚嘆するばかりだ。 比較してもどうにもならないのだが、どうしても日本の若者を思い浮かべてしまう。


 さらに歩みを進めていると、旅仲間で「老いらくの恋真っ最中」のN氏が文具店からニコニコしながら出てきたのに出会った。
 手に何か紙に包んだ物を持っている。
彼はいつもニコニコしている物静かな60     屯渓は中国でも有名な「墨と硯」の産地
歳台後半の男性なのだが、奥さんではない同年代の女性と旅に参加しておりホテルの部屋も同室なのである。
その彼がよほど嬉しかったのか、満面の笑みをたたえて私に声を掛けてきた。 手に持った紙包みを見せながら「佐藤さん!信じられない!」「この硯、見てください!いくらで買ったと思います!」「何と20元(300円)で買ったのですよ!信じられないでしょう!」と言うではないか。


 書道家では知る人ぞ知る「屯渓の硯」(おそらく偽物に間違いなし)を20元で買った経緯を嬉しそうに私に話し出した。 
 N氏が言うことには、冷やかし半分で店に      書道用具店が軒を連ねる老街
入り硯を手に取り見ていたところ、店の主人が来たので値段を聞いたところ、中国語で答えるので意味が通じず幾らなのか分からなかった。 
 手帳を取り出し主人に差出し書かせたところ150元(2250円)と書いた。
 初めから冷やかしで買う気がなかったので首を振り立ち去ろうとしたら、店主が呼び止め手帳に100元と書き直した。
 それでも買う気がないので手を振って振って立ち去ろうとしたら、店の主人がN氏にペンを渡し幾らなら買うか希望値段を手帳に書いてみろとジェスチャーするので、元々買う気などないのでで絶対無理な値段の20元書いてやった。


 その手帳に書かれた20元の値段を見たとたん店主がエライ剣幕で怒りだした。
 彼を中国語で怒鳴りつけるので恐ろしくなり店を出ようとしたら何と!店主が呼び止め硯をN氏の手に握らせOKと叫んだとのこと。 こんな経緯を私にニコニコ顔で話してくれるではないか。 
 何と店主の150元の言い値が最後には7分の一の20元にまでなってしまったのだ!凄い話だ!これではN氏がニコニコ顔になるのがわかる。
 しかし毎度のことはいえ中国の定価はいったいどうなっているんだ!。
 私は最近は中国旅行で土産物をほとんど買わないが、時たま友人や知人に頼まれて買い物する場合、値段の3分の一を目標に値切り交渉をしているが、N氏の話を聞くとまだまだ未熟で修行が足りないと感じた。


       南宋風の建築様式を色濃く残す、明清時代の黄山市屯渓の街並み

(世界文化遺産・古い民家の博物館といわれる「宏村」散策)


 小雨が降ったり止んだりするぐずついた天候のなか、私達は「屯渓宋城老街」の散策を終えると、次の観光である「古い民家の博物館」といわれる世界文化遺産の「安微省南部の古村落、宏村」にむかった。                    安微省南部の白壁黒瓦の特徴的な村落
 白壁黒瓦の特徴的な村落が点在する山道を走ること1時間少々で目的の「宏村」に着いた。 村の入り口近くには駐車場が整備され、すでに10台ほどのバスが先着して駐車している。
 中国には33箇所の世界遺産があるがここ「宏村」は2000年に登録された比較的新しい25番目の世界文化遺産なのだ。 

 明清時代からの住居が当時のまま残り、南宋時代(800年前)に形成された祠堂、牌楼、古民居などの建築棟がほぼ完全に保存されているのである。


 この宏村は山と水に囲まれた「水牛の形」をした珍しい古村落で、各家の門前には山    世界遺産宏村へは南湖を渡って村に入る
の泉を引いて「牛の腸」をイメージしたクリークが流れ、生活用水として利用されている。

 時おり薄日が射したらと思ったらまた小雨が降り出すおかしな天候のなか、私達はバスを降り立ち村の入り口にむかった。
 村に入るには南湖と呼ばれる湖にかけられた橋を渡っていくのだが、村を真正面に見据えることのできる位置に来ると、あたり一面の湖岸に腰を下ろしジッと村を見据えスケッチに没頭している学生の集団がいる。
 すごい数だ!半端な人数ではない! 現地ガイドが言うことには、彼等は建築や美術関係の大学や専門学校の学生で、修学旅行でやって来て1週間ぐらい近隣の安宿(一泊30元前後(450円))に滞在して、学術教材と  世界遺産の宏村どの家にもウダツが上がる
してあちこちの村落をスケッチして歩いているとのことだ。


 湖に架かる石畳と石橋を渡り「宏村」の村内に入った。 無線イヤホーン通じて入ってくるガイドの説明を聞きながら歩みを進める。 明清時代の350戸あまりの住居に現在も約1300人ほどの子孫が全員住み、住人の80%が「汪」という名字だということである。
 ここ安微省南部一帯は塩の専売権を得て財を成した一族が、あちこちに富を誇示するために建てた集落が点在しているのだ。 この「宏村」は汪一族が先祖代々住む集落なのである。


 村内にある家はいずれも水路で結ばれており、各家の前を清泉がサラサラと流れていく。 狭い路地に重なり合った白壁黒瓦屋根の建物、まるで絵画のような村落風景だ。
 私達は路地から路地をぬって、まるで迷宮のような村内を見て歩くのだが、どの家もりっぱな「ウダツ」が上がり、玄関上部には立派な彫刻模様の飾りが付けられている。
 村を代表する住居の内部を何軒か見学したが、どの家も天井(てんせい)と呼ばれる吹き抜けの中庭があり、先祖を祭る部屋、主人の部屋、来客の部屋、麻雀部屋、アヘンを吸引する部屋など、当時の住居を現在もそのまま住人が使用して住んでいるのには驚か   どの住居にも吹き抜けの中庭がある
される。


 しかし不思議なことに、世界遺産に登録され日が浅いせいか、それともマイナーな観光地のせいなのか外国人観光客といえば私達だけであとは全て中国人だ。
 狭い路地裏のような通路の数箇所に土産物店が店を開いていたが、売り込みをかけるわけでもなく店番がひっそり椅子に腰を下ろして、通り過ぎる観光客を眺めているだけだ。 500〜600年もの時を経て現在もそのまま使用され、タイムスリップしたかのような宏村の古民家群の見学を終えると、午前の観光を終え昼食タイムとなった。         

世界文化遺産「安微省南部の古村・古民居群」の「宏村」
画像をクリックすると拡大画像になります。

(チャン・イーモウ監督の映画「菊豆」の故郷「南平村」)


 昼食は中国八大名菜で、筍、ゼンマイ、キ    千年以上の歴史をもつ古村落「南平村」
ノコなど山菜を多く使った安微料理だ。
 ホテルのレストランで舌鼓をうっていると何と!日本人の40名あまりの団体がガヤガヤ入ってきた。 東京のJTBが募集した4泊5日の黄山巡りツアー客で、私達を見かけた何人かが親しく声をかけてきた。やはり外国で日本人に出会うとなぜか近親感が湧いてくる。
 昼食後は「南屏村」の観光だ。この村は世界遺産ではないが、世界の映画祭で数々のグランプリに輝いた中国を代表する映画監督「チャン・イーモウ監督」が《菊豆》の映画撮影を行った場所で有名な村なのだ。
日本ではあまり知られていないが、「千年の古民家たたずむ「菊豆」の故郷「南屏村」」 と      白壁の黒瓦が軒を連ねる南平村
して中国では知らない人がいないと言われるほど超有名な村なのである。


 南屏村は、もとの名を「葉村」といい、千年以上の歴史をもつ古村落だ。 元代(1271〜1368年)末期に「葉」という姓の家族が移転して以来、この村落を急速に発展させた。現在は300戸1000人あまりが暮らし、住民の大半が「葉」の名字を名乗る歴史の古い村なのである。
 村内で特徴な建築といえば祠堂群だ。 一族ごとに先祖を祭った祠で、ここ南屏村には500年前に建てられた「葉家」の支祠「奎光堂」が村の中心部にある。
                           500年前に建てられた「葉家」の先祖を祭る支祠

 りっぱな彫刻の門楼をくぐって内部に入ると、広い楼内のあちこちで学生達が床に腰をおろし建物内部のスケッチに精を出している。(右下画像)
 ここもさきほど訪れた「宏村」同様、美術建築関係の学生達の修学旅行コースのようだ。
 中国では知られた「南屏村」でも日本ではほとんど知られていない村なのである、私達日本人観光客がゾロゾロ楼内に入って行くと、スケッチ中の学生達がびっくりして一斉に作業をやめ、私達の一挙一動を観察し出した。なんでこんな所まで日本人が来るのだと思っているのだろう。
 
 村内を歩くと世界遺産に登録された「宏村」同様、高い壁といりくんだ迷路のような路地が縦横に交差している。ガイドなしで村内を歩いたら間違いなく迷子になるはずだ。
 狭い路地を抜けて、住居の門楼から住居内の中庭に入ると、目の前がパッと明るくなる。 
 そぼ降る小雨で悪天候のなか、村の中心にある狭い広場に来ると、今日は雨模様で農作業は休みなのか? 雨よけのシートを張った下で村の若者がビリヤードで遊んでいる。 TVを除けば村では唯一の娯楽の一つなのだろう。
      ビリヤードに高じる村の若者              千年の歴史を誇る南平村


























(古民居がある古村の「関麗村」「廬村」「塔川村」)


 次は南屏村から10分足らずの所にある      八世帯住居のある関麗村
関麗村」にむかった。 この村は8人兄弟の住居が壁一枚で連なって建っている珍しい8世帯住居の建物があることで知られた村だ。 建物内部は扉一枚で隣家と往来できたり、類焼を防ぐ防火用レンガ壁など、様々な工夫がなされていた。
 私達は明日の黄山登山をひかえた1日、黄山近郊に点在する明清時代(約600〜200年前)の古村・古民家を徹底して巡り歩いているのである。


 バス移動を繰り返しながら次は、美しい木彫り彫刻が室内のいたるところ施された長者住居があることで知られた「廬村」に着いた。
 この村で面白いことが起きた! 村の入り       明時代の住居内部(茶の間)
口にバスを停め、村の集会所らしき建物に入村の許可をもらうため現地ガイドが建物内部に入って行った。 すると建物内部で集会中だった村民が集会を中止して何十人もゾロゾロ玄関から出てきて私達を取り巻いたのである。
 さらには村内の電柱に取り付けられている有線スピーカーが大音量で放送を始めた! 何と、「日本人観光客がわが村を訪ねて来た!」「これから村内を見学して歩くので歓迎するように!」こんな内容の放送が村内に鳴り響くや、村中の建物から村民が飛び出してきた!。
 
 さすがに有名な南屏村までは来ていた中国  彫刻の顔の部分だけが全て削り取られていた
人観光客も、この「廬村」にまでは来ないようである。 まして日本人観光客の来村なんて初めてにちかいのであろう! 私達が村内を歩き出すとゾロゾロ後ろを着いてくる村民までいるではないか!。
 何軒かの美しい木彫り彫刻があるという住居内部を見学したが、又しても悲しいことに中国各地で見られる文化大革命の破壊の爪痕が、この廬村にも大きく残っていた! 人物の彫刻像は顔の部分が全て削り取られていたのである。革命とはいえ貴重な文化遺産の美術品を何故ここまでやる必要が?・・・。


 次は今日最後の観光となる、「水墨画の中   狭いあぜ道を通って塔川村へ入って行く
にある村
」として画家や写真家に高く評価されている「塔川村」だ。
 山の斜面に貼りついた様な小さな村で、バスの駐車スペースがないため村から少し離れた自動車道にバスを停め、私達は路上の下部斜面にひろがる村に向かって狭い路を歩き始めた。
 山の斜面を利用して建てられた家々が、段々上に伸びる塔の様に見えるというのが塔川村の由来で、雨が降ったり止んだりする天候の中、傘を差しながら登ったり下ったりしながら村の中に入って行く。
 朝一番の屯渓の「老街」の観光から始まり、ここ「塔川村」で6箇所目の観光である。 


       安微省南部に点在する南宋風(800年前)の古民居が残る古村

 南平村の路地 関麗村の路地 廬村の路地

八世帯住宅の廬村 水墨画の中にある村・塔川村 水墨画の中にある村・塔川村

 時刻も16時を過ぎ天候もすぐれないため私達は見学も早々にバスに戻ることにした。
 今日一日の観光を終え私達を乗せたバスは一路「黄山山麓」の温泉区にあるホテルに向かって、1時間あまりの距離を走り出した。
 ホテルに着いたら明日からの黄山登山に備え、黄山山頂ホテルに2連泊するための準備作業をしなければならぬ。 黄山の山頂ホテルまでは旅行ケースを持っていけないので、2泊3日分の衣類等をリュックに移し替え身軽にになって登山するのだ。

 
旅その9 「奇岩.珍石・古来から水墨画に描かれた名山、
                         世界遺産の「黄山」」に登るへ つづく


 

  ( 旅 8日目の出費)
        
        ミネラルウォーター 3元 × 1本   = 3元 (45円)
        ミネラルウォーター 2元 × 1本  = 2元 (30円)
        夕食ビール     10元 × 1本  = 10元 (150円)
    _________________________________
                        合計     15元 (225円)
   

                  (8日間の累計出費508.9 元 (7634円))