ブドウ溝と仏教遺跡の宝庫、玄奘三蔵も滞在したかっての高昌国トルファンへ

シルクロード旅行記・ 旅の9日目

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  旅9日目 カシュガルからトルファン(吐魯番)へ


 中国旅行はダイエットができる

 西域シルクロードの要衝カシュガルで2連泊目の朝を迎えた。 昨夜は私の部屋での二次会終了後、同室のJ氏から睡眠導入剤をおすそ分けいただき、ぐっすり眠りに入ったのだった。
 今日はカシュガルを離れ航空機で新彊ウイグル自治区の省都ウルムチまで飛び、その後バスで数々の仏教遺跡や葡萄の一大産地として知られた「トルファン」に移動する日だ。
西域シルクロードマップ

 出立準備を整えていると朝食時間となったが、今いちレストランまで行って中国料理を食べる気にならない。
 日本から持参した「レトルトお粥」がまだスーツケースの中に何個か残っているので、同室のJ氏に私は朝食会場へ行かず部屋で済ませるむね言うと、J氏は日本から持参してきた「レトルト味噌汁」をケースから取り出し、もう使う必要が無いから!とプレゼントしてくれた。ありがたい。
 
 J氏が一人で朝食会場へ部屋を出て行くや早速、部屋備え付けの電気ポットで「お粥と味噌汁」を作ると食べることにした。
 旨い!実に旨い!空腹の胃袋にしみわたる味だ! 中国入りしてから今日で9日目、風邪による咽の痛みと苦手な中国料理で食欲が湧かず満足な食事をしてきていないため、体重もかなり減り、現役時代の頃のように自慢の”美しい体型”に近づいてきた。???。
 私にとって中国旅行はある一面ダイエット旅行みたいなものになってしまった。
 毎度のことだが中国に来るたびに日本から持参した缶詰やレトルト食品で、ほそぼそ飢えをしのぎながら2週間ほど旅を続けていると、帰国する頃には自然に減量できている。 しかし帰国後はその減量効果も長く続かず、暴飲暴食で再びメタボリック症候群に逆戻りを繰り返しているのだ。
 
 日本食を旅行ケースにごっそり詰め込み中国に出かける私に対し、何度となく友人知人から異口同音に問いかけられた! 「なんでそこまでして中国に行くのだ?」「そんなに中国が好きか!」、 その質問に対し私はもう何度となく同じ返事の「好きでない!むしろ嫌いな部分が多いぐらいだ!」「中国4000年の歴史ロマンに「はまって」しまったのだ!」を繰り返してきたことか! 

 あわただしい出立の朝

 今日移動するトルファンの街

 侘びしい朝食を済ませ、出発に備えトイレで用をたしていると、部屋のドアがバタンと鳴りJ氏が朝食を終え部屋に戻ってきた! すると「佐藤さん!トイレに入ってるの?」とドアをノックする。 
 私が「入ってます!」と返事すると、J氏「早く済ませて出てくれ!」と言うではないか。
 私が「今、用足しの真っ最中なのでもう少し待って!」と言うと、何と!「早くして!出そうだ!」と言う。 私「もう少しで終わるから我慢して!」 するとJ氏「我慢できない!今にも出そうだ!」と喚くではないか! 冗談でない!ひどいことを言う!こちらも真っ最中でそう簡単に途中で止めれるほど簡単なものではない! 

 J氏の声が大きくなり悲鳴にも似た切迫した声になってきた! ここまで脅かされれば仕方ない! まだ出ようとするものを無理に抑えこみ、後始末も早々にトイレのドアを開けた! 開けるやいなやJ氏ありがとうの一言も言わず駆け込んでいく!
 いつも朝食後はトイレに駆け込むのが彼の日課なのだが、今日ばかりは少々早めに腹が鳴り出したようで、私にとってせっかく朝の快適なひと時が台無しになってしまった!
 
 チェックアウトを前に、昨夜から腹具合がおかしいという廊下向かいのT氏の部屋をたずねてみた。 やはりトイレの真っ最中で、聞くとひどい下痢症状だという。おまけに同室のI氏まで下痢が始まったと言うでないか。 どうも食あたりのようで、持参した正露丸では効き目が無いと言う。
 私は数多い中国旅行経験から腹薬だけはたくさん持参してきているので、その中から急性の下痢止め「ストッパ」と「赤玉腹くすり」を二人にあげることにした。 旅も後半に入ると疲れからか腹具合がおかしくなる人が増えつつある今後が心配だ。
 出立時間が近づき午前9時にロビーに下りると、昨夜ハリケーンのように吹き荒れた大嵐も止みスッキリした青空が広がり快適な天候だ。 外に出てみるとまだ結構強い風が吹いておりキリッとした寒さが身を包んだ。
 

 カシュガル空港

 私達を乗せたバスはホテルを出て、10時50分発ウルムチ行きの航空機に搭乗するべくカシュガル空港に向かった。 大きな空港ではないが比較的新しい空港で清掃が行き届き床も窓も清潔でピカピカだ。搭乗手続きを終え搭乗待合室に入ると土産物店がズラリと並んでいる。 カシュガル空港の窓から天山山脈が見える

 待合室の窓からは滑走路全体が見渡せ、彼方には草木の一本もない赤茶けたギザギザ山肌の天山山脈が広がっている。
 ここまでくると天山山脈も山並みが低くなりパミール高原へと取り込まれていくようだ。
 不思議なことに待合室にいる搭乗客は、私達日本人と同じ顔立ちの漢族ばかりでウイグル人らしき客はほとんど見かけない。人口の90%以上を占めるウイグル人が住むカシュガル空港なのに乗客のほとんどが漢族ではないか。 大半が貧しい農民のウイグル人にとっては、いまだに航空機に乗るということは無縁なのだろうか。

 カシュガルからウルムチへの航空機内

カシュガル空港の搭乗待合室で

 搭乗アナウンスが始まった!私達は早めに機内に入り手荷物を収納棚に格納すると席に着いた。  
 私達の後からは両手に持ちきれぬほどの旅行バックと果物のダンボール箱を持った中国人乗客がぞくぞくと乗り込んでくる。 
 カシュガルは美味しい果物の産地として知られた町である。多くの中国人乗客が土産物として買い込み搭乗してきたのだ。 
 その持っている量たるや半端でない!貨物室預けの量をオーバーした荷物は、手荷物として機内持ち込みしょうとするのである。一人が3個も4個も持っているではないか!しかもやたら重そうだ。

 機内は超満員状態である。早めに乗り込んだ中国人が他の乗客席の収納棚のまで手荷物を格納してしまったので、後から手荷物いっぱい持って乗り込んできた乗客は、なんと荷物の置き場所がなくウロウロしているではないか! 客室乗務員も通路に溢れた手荷物の収納スペースを探そうと必死に機内を行ったり来たりしている。
 これじゃ旅客機というより貨物機ではないか! 客室乗務員のウロチョロしている姿を見ていると可笑しさがこみ上げてしょうがない! 反面、客席までこんなに荷物を積み込み、積載重量オーバーで墜落するのではないかと不安にもなってくる。
 機内の窓からからは万年雪を被った天山山脈が

 飛行機は滑走路を走りだした!少し不安な思いで窓から離陸模様を眺めていると、走りだした機体がなかなか飛び上がろうとしない。
やっぱり重量オーバーではないかと胸がドキドキ高鳴りだした! あわや滑走路も途切れるという寸前でヨタヨタと何とか機体が浮き上がった。思わず安堵の吐息が漏れる。
 ウルムチまで1時間40分ほどのフライトである。落ち着きを取り戻し窓から風景を楽しむ余裕も出てきた。眼下には赤茶けた山肌と頂上に万年雪をかぶった天山山脈が広り、荒涼としたタクラマカン砂漠も目に入ってくる。

ウルムチの昼食レストラン

 やがて乗客と荷物で超満員の航空機は、定刻通りの12時半、新彊ウイグル自治区の最大都市ウルムチ空港に着いた。
 空港を出てバス駐車場まで歩いて行こうとすると、季節はずれの寒さが身を包んだ!
冷たい風が吹きメチャ寒い!この季節(9月下旬)としては異常な寒さだ。 半袖姿の仲間達は皆あわててスーツケースから長袖セーターを取り出し着替えを始めた。 何と!おまけに雨まで降り出したではないか! 何という天候だ! 本来ならこの時期は一番いい季節である。ウルムチ出身の中国人ガイド可女史までが「こんな天候めったに無い!」とビックリしているではないか。
 
 ここからはバスで南東に200Kmほど走り、天山南路の要衝「トルファン」に向かうのだが、その前にウルムチ市内で昼食を済ませていくことになっている。
 レストランに入ると大きめの個室に案内され、私達以外にも先着の中国人グーループが一組おり相部屋での昼食となった。中国人グループは祝宴を開催しているようで、テーブルの上にはビールと焼酎(白酒)が何本も置かれ賑やかにやっている。
グロテスクな羊の姿焼き

 私達はその賑やかにやっている隣のテーブル席で昼食を始めた。 
 やがて小姐(ウエートレス)がワゴン車を押して部屋に入ってきて、中国人グループ席の前に進んでいく。すると突然!賑やかな宴席からひと際大きな歓声が沸いた! 何だろう見てみると、ワゴン車の上には得体の知れない茶色い動物のような物体が、首に赤いスカーフを巻きワゴン車の上にお座りしている!
 何だと興味深々近づいてみると何と!グロテスクな子羊の姿焼きではないか!
 
 同室の賑やかな中国人グループの宴会をしり目に昼食も終わりかけようとしたとき、席を外していた添乗員のN女史が私の席へやってきて「佐藤さん!弊社(世界紀行社)社員のSがこのレストランに来ております!」「ご挨拶したいと申しておりますが、よろしいですか!」と言う!
レストランでばったり遭遇した!
 世界紀行社の「S氏」とは、今回私達の「西域シルクロードの旅」の窓口となり旅の企画を一緒に練っていただいた人である。
 出発を前にして札幌で開いた結団式の宴会にも出席してくれたので、旅仲間も全員顔見知りの人だ。 その「S氏」がこのレストランに来ているという、一体どういうことだ!
 
 廊下に出てみるとそのSさんが満面の笑みで立っているではないか! 奇遇である!私が「どうしたの?なぜここにいるの?」と聞くと、別なお客さんグループの添乗員としてウルムチまで来たと言う。
 Sさん達はこのレストランで昼食を済ませると、私達が旅してきた天山南路とは反対側の天山北路のシルクロードに入って行くと言う。
 同じ会社のN女史もウルムチ方面まで来ることは知っていたが、まさかここレストランでばったり出会うとは思ってもみなかったとビックリしている。
 部屋に入ってもらい旅仲間の前に立ってもらうと皆から「あれ〜どうして?」と歓声が上がる。

   ウルムチからトルファンへ

 昼食を終えバスは一路トルファンへ向け走り出した。ウルムチ市内を抜け高速道路に入ると、車窓の外は見渡す限り荒涼とした砂礫の荒野が広がった。 
荒野に林立する風力発電の風車
 それにしても車内が寒い!皆から「寒い!寒い!暖房入れて!」との声に、とうとう暖房を入れ走ることになってしまった。 昨日まで冷房を入れ走っていたのに今日は暖房である、あまりの天候の激変に呆れてしまうばかりだ。
 やがて殺風景な荒野は風力発電の風車が林立する景観に変わった。すごい数だ!半端な数でない!車窓の外に延々と途切れることなく続いている。 いま中国は国の総力を挙げてエネルギー開発に力を入れているのだ。それに比べると日本の風力発電なんてまだまだ立ち遅れている。
 峻険な天山山脈の山間をぬってバスは走る

 しばらく走ると、高速道はやがて峻険な天山山脈の山間に入り、車窓からは草木が一本も無い赤茶けた山肌がむき出しの景観が続くようになった。
 トルファンまで80kmと書かれた道路標識を過ぎたあたりから、何と!バスが山間を抜ける強風にあおられふらふら横揺れするようになってきた! 
 凄い風がときおりごうごうと音をたて吹き抜けていく。 
 急遽バスは横倒しにならぬようスピードを落としノロノロ運転に切り替え走る。行き交うトラックもノロノロ運転だ。
 
 やっとのことで彼方にトルファンの街並みが見えてきたところで、道路脇のドライブインのような所でバスは停まった。 ガイドの言うことにはトルファンの町に入るための関所だと言う。
 ここで通行料を払わなければトルファンの町に入れないのだと言う。 私が以前トルファンに来たときにはこんな関所なんかなかったのに、いつの間にこんなものが設置されている。 仏教遺跡や葡萄溝目当ての観光客が増えだしてから通行料をとるようになったらしい! ”せこい”ことをする。
 トルファンの見渡す限り続くブドウ畑

 バスがトルファンの郊外に近づくと、車窓からは見渡す限りどこを見てもブドウ畑が続くようになった。さすが世界的に知られたブドウの一大産地だ。
 今日から2連泊することになる「トルファンの街」は世界でも有数の低地であるトルファン盆地の中央部に位置し、25万人ほどの人口をもつトルファン地区の中心オアシス都市である。

 古くはシルクロードの天山南路と北路を連絡する要衝地点として栄え、現在でも新彊を走る鉄道幹線の分岐点となるなど、地理的に重要な町となっている。
 気候は高温で乾燥していて風が強く、7〜8月にかけては最高気温が48度にも達するほどの酷暑が続き「火州」とも呼ばれるほどなのだ。
 5〜7世紀には漢族の移民によって「高昌国」が建国され仏教文化で繁栄を極め、その後ウイグル族が「西ウイグル国」を建国すると、「ベゼクリク千仏洞」を代表とする高度な文化が出現し、トルファンは最盛期を迎えたのである。
 現在の産業は農業が中心だが、特産品としての葡萄はつとに有名で、ここトルファンで加工された干ブドウは世界中に出荷され、菓子やパン等さまざまな食品に利用されているのだ。
 

 城址遺跡、交河故城

 兵どもの夢が跡、交河故城
トルファン近郊には数多くの遺跡があるが、バスは今日最初で最後の観光になる「交河故城」に向かった。
 左右に広がるブドウ畑の中の路をしばらく走り、川を渡り中州の高台に登って行くとそこが「交河故城」だった。
 トルファン近郊の遺跡としては市街地から最も近く10Kmほどのところにあり、二つの川が交わる30mの崖の上に築かれた城址遺跡で、今から二千数百年前の前漢時代にあった「車師前国」の国都だったいわれているところだ。 
 トルファン観光では明日訪れ観光する予定の「高昌故城」と双璧をなす城址遺跡だ。
 
 故城の名前の由来は二つの川が交差する中州にあることから「交河故城」と呼ばれるようになった。 観光売店が建ち並ぶ駐車場を抜けチケット売り場のゲートをくぐると、目の前に赤茶けた日干し煉瓦で築かれた城壁が立ちふさがった。
 城内へは坂道を登って入っていくのだが、入り口の「交河故城」と彫られたモニュメントが何とも印象的だ。北に向かって一直線伸びる石畳の中央道

 現存する城址は今から1400年ほど前の唐時代に築かれたもので、城壁はかなり朽ちかけてしまい、南北に1Km、東西300mほどの長方形の遺跡になっている。
 
 夕暮れ近くで観光客もまばらな城内に足を踏み入れた! 幅3mあまりの整備された石畳が北に向かって一直線に続いている。
 この道を中心に城内は三つの部分に分けられている。
 西北部には寺院遺跡が集中し、仏教遺跡が数多く残り、また東北部は居住区で、建築物もかなり保存状態がよい状態で残っている。そして東南部が行政地区になっているのだが、残念なことにかなり破壊され地下底院がわずかに残っているだけである。

寺院遺跡地区に向かって進む

 私達は夕暮れ迫る故城の中央道を寺院遺跡がある北に向かって進んでいくことにした。
 一直線に伸びる道の両脇にはどこまでも朽ちかけた城壁が続いている。 360度視界に入るものは全て1400年も経った広大な遺跡だ。
 大げさな表現だが、私の余暇と小遣の全てを浪費して、ここまで中国にのめり込ませた「歴史ロマン」の世界が目の前に広がっているのである。
 三十数回も中国を旅しながらも、いまだに飽きることなく私を引き付ける悠久の歴史が、私を「中国病の重症患者」にしてしまったのだ。
       寺院地区の展望台から望む広大な交河故城遺跡

 ロマンに浸りカメラのシャッターを押しつつ歩んでいくと、やがて寺院地区に突き当たった。仏塔や寺院の祭壇、僧房などの仏教遺跡があちこちに残っている。 寺院地区高台の展望台から北を望むと、目の前にははるか彼方のトルファンの町にかけて広大な廃墟が広がっている。寺院地区の仏塔跡

 はるか昔シルクロードの覇権をめぐり幾多もの攻防が繰り返された”兵どもの夢があと”を彷彿とさせる景観だ!まさにロマンではないか!
 私は風体に似合わずロマンチストである。 歴史好きの私にとって、高台に佇み、眼下に広がる遺跡の歴史ロマンに思いをはせると、いま自分がその歴史の舞台に立っていることに言い知れぬ感動がこみ上がってくる。 
 この旅を終え帰国したら、足腰の元気なうちに、もう一度仲間を募ってシルクロードに来たいという思いがつのる! しばらくなりを潜めたままの中国病がまたしても再発しだしたのか?! 

来た道を振り返るとこんな風景が

 しばしロマンに耽り寺院地区を見終えると帰りは、来たときの中央道から東側脇道に入り、住居地区、行政地区を経由しながら戻っていくことになる。 
 両脇の城壁が絶壁のようにそそり立つ、物凄い景観の脇道に足を踏み入れた。
 前方の視界が塞がりまるで迷路のようだ!ところどころ上塗りされた城壁の一部が剥げ落ち、日干し煉瓦がむき出しになっている。

迷路のような道を通って住居地区へ

 迷路のような道を抜けると視界が開け、彼方に日干しレンガを千鳥格子のように積み上げた小屋が、団地のように並んでいるのが目に飛び込んできた。
 トルファン名産「干しブドウ」を作る乾燥小屋だ!収穫されたブドウをこの小屋の中で乾燥させるのだ。
 展望の開けた道を出口に向かって進んでいると夕暮れが迫ってきた。 時刻は19時を過ぎ、すでに観光客の姿は途絶え、故城の中を歩いているのは私達ぐらいである。
 夕闇迫る交河故城


 はるか彼方、天山山脈方面からの西日を浴び、浮かび上がる崩れかけた故城のシルエットが幻想的でなんとも美しい。
 これでトルファン入りした初日の観光は終えた。 時刻は間もなく19時半になろうとしている。 駐車場にただ1台残っていた私達のバスに乗り込むと、今日から2連泊する「トルファン賓館」に向かって走り出した。
 
観光客が途絶え私達だけになった
故城から見える干しブドウの乾燥小屋

 夕食は日本ソバだ!

 トルファンは街中いたるところにブドウ棚があることで有名な観光都市である。私達が泊まるホテル前の通りも見事なブドウ棚が2Kmあまりも続いている。
 バスはブドウ棚をくぐり抜けトルファン賓館に着いた!観光都市だけあって巨大なホテルだ。
 ロビーを入るとトルファンを訪れる日本人観光客の大半が、このホテル泊まるといわれるだけあって、ロビーにたむろしている服務員はペラペラの日本語を話す。
 チェックインの合い間をぬって売店でミネラルウォーターを買おうと店内に入ったら、3人ほどいた若い女性店員が一斉に流暢な日本語で「いらっしゃませ〜」の挨拶をしながら近寄ってくる。 あれこれ売り込みをかけてくるが、相手にせずミネラルウォーターを2本買い、部屋にチェックインすると、待っていたいたようにボーイが旅行ケースを運んできた。
 
 夕食はホテル敷地内にある別棟のレストランでとることになっている。入っていくとどの席も日本人、韓国人、欧米人で満席である。  
レストランでの夕食が始まった

 席に着くと突然、添乗員のN女史が「今日の夕食は心ばかりですが、私が日本から持参した「日本そば」をお出します!」「これからレストランの厨房を借りて茹で上げ冷やしてもってまいりますので少々お待ちください」と言うではないか!
 皆から大きな歓声と拍手が沸き起こる。 何と!N女史が日本からわざわざ重い「日本そば」と「めんつゆ」をトランクケースに詰め今日まで9日間も持ち歩いてきてくれたのである。
 世界紀行社での海外旅行は、すべて旅の途中でこのような日本食をサービスで振舞ってくれるのである。 いかにしたらお客様に楽しい旅をしていただき喜んでいただけるかを第一にした、高品質な旅を演出してくれる数少ない旅行社なのだ。
 
 レストランでの夕食セットメニューもテーブルの上に並んだが、皆これから出てくる予定の「ざるそば」ならぬ「皿そば」を期待してあまり手をつけようとしない。
 食事をしながら賑やかに会話が進むなかT氏とSさんが元気がない。 ほとんど食事を口にしようとしないではないか。ダウン寸前のようにみえる!まずいことになってきた!
 夕食後は元気が残っている仲間を誘い、トルファンの繁華街に出かけ夜店を体験してもらおうと考えていたが、あまり声を大きくして誘えなくなった。
 はるばる日本から持ち込みした日本そば


 N女史が席に戻ってきてソバを食べるための準備を始めた!
めんつゆ・きざみ海苔、練りわさび、を各自に配ってくれる。 
何ともすごいサービスだ。
 するとレストランの小姐(ウェートレス)が大皿に盛った「日本そば」を持って厨房から出てきた。 私達のテーブルにで〜んと置いていく。またしても私達の席から大歓声があがる。 
 すると私達の席近くにいる外国人客が一斉に何事だと私達を見つめるではないか!

 久しぶりの日本食の代表である「そば」に私達は飛びつくように食べだした! ズルズルとソバをすする音がレストランに響く! するとまたしても他の外国人観光客が何事だと席を立ち上がり、私達がソバをすする様子を見つめるではないか! 中には席を立ち私達の席にまで見に来る者までいる始末だ! 
 海外では音を立てて食事をするのはマナー違反と分かっているが、生まれてからこのような食べ方で育った日本人には止められない。悲しい日本人の習性だ!まして「ソバ」となると、すするしか食べようがないではないか!

 夜店の屋台体験

 レストラン中の客の好奇の視線を浴びつつ「ソバ」を食べ終えると、私は部屋に戻ろうとする仲間に声をかけてみた!「これから希望者には夜店に案内しますので、行ってみたい人はホテル玄関に集まってください」。
 玄関には私を含め男性ばかり5名の仲間が集まった! 日本を発つ前からほとんどの旅仲間が、あれほど異国の地での夜店に行くことを楽しみにしていたのに集まった人数が予想外に少ない。やはり皆体調を気遣い我慢しているようだ。
 過去に2回トルファンに来たことがある私は多少の地理感を頼りに仲間と共に夜の街にくり出した。
トルファンの露店(夜店の屋台)

 薄暗い大街をを20分ほど歩き繁華街にさしかかると、公園らしき広場に露店の屋台が密集しているのを発見した。 
 薄暗い照明と満天の星空の下、串焼き、煮物、鉄板焼き等の露店があちこちで店開きしている。
 私達5人は空きテーブルを探すべく、大勢の地元客が食事をしている中に割り込み、空席を見つけると椅子に座った。
 夕食はすでに終えており、特に食べたいわけでも飲みたいわけでもない。ただ、はるばるシルクロードのオアシス都市に来たからには、満天の星空の下、地元の人々に混じって屋台気分を味わいたいだけなのである。
 星空の下で屋台体験

 そのようなことで赤ワインとシシカバブ(羊肉の串焼き)だけを買ってみることにした。 
 テーブル席を取り囲むように並んでいる露店の中から、清潔で感じのよさそうな店主のいる屋台で、1串2元(30円)のシシカバブを人数分買い、別な飲料屋台で1本40元(600円)の赤ワインを買うと、二次会が始まった。
 旅程も後半に入り旅も終わりに近づきつつある。 今夜は参加人数が少々寂しいが明日もトルファン泊まりだ! はるばる念願のシルクロードの地までやって来たからには、日本では味わうことのできぬ満天の星空の下、夜店の屋台で異国情緒を旅仲間全員に満喫しててもらいたいとの思いがつのる。 明日の晩、もう一度旅仲間全員に誘いをかけてみよう。

第10編「大変だ!次々と旅仲間の下痢が始まった!砂嵐に煙る火焔山」へつづく

中国国内で使った小遣いを記してみます。
(中国通貨1元を日本円換算15円で計算しました)

         (本日の出費)
ミネラルウォーター  3本   7元 (105円)

レストランでのビール(’割り勘)12元 (180円)

屋台で飲んだワイン(割り勘)  8元 (120円)

  小   計        27元 (405円)


今日まで9日間の累計出費  320元 (4800円)