中央アジアとの国境の町、シルクロードの十字路カシュガルはイスラム一色だ!

シルクロード旅行記・旅の8日目

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 旅8日目 シルクロードの十字路カシュガル滞在


国境の町カシュガルでの目覚め

 旅8日目の朝は、中国西域シルクロードの最西端カシュガルの新隆賓館貴賓楼で目覚めた。 昨日ホータンを出立し西域南道を西へ西へと500kmほど走りカシュガルに着いたのは、ちょうど20時になろうとする頃だった。 ホテルでの夕食は無事カシュガルまでやって来たということで、大いに盛り上がった宴会となった。
カシュガルでの宿泊ホテル
 
 その後、部屋に引き上げたが少々もの足りない! 私は同室のJ氏に相談を持ちかけた!
「このままシャワーを浴びてすぐ寝るのも寂しい!男性連中に声を掛けて私達の部屋で二次会をやりたいがどうか!」と言うや、J氏「言うに及ばず!すぐやるべし!」と打てば響くように反応してきた。 J氏の迷いのない反応が実に気持ちいい!彼とはなぜかウマが合うというか、意気が合うのである。
 さっそく部屋で二次会のセッティングを整えると男性連中の部屋を訪ね、私の部屋で二次会をやるが来ないか!と集合をかけた。各自が日本から持参した「日本酒、焼酎、珍味」などを持ち寄り、結局24時半まで二次会が賑やかに続いたのだった。

シルクロードの十字路カシュガルの街

 そんな一夜が明け、今日の予定は終日カシュガル市内観光だ。そして夕食後は皆揃って夜の街にくり出し、夜店の屋台でシシカバブを肴にビールを飲むのだ!そんな楽しみな一日なのだ。 
 ホテルの窓から外を見ると、9時を過ぎた頃やっと明るくなりだし市内の展望が見えるようになってきた。
 シルクロード最西端の町だけあって、日本との時差は4時間ぐらいあるようだ。空模様も久々にキリッとした青空が広がっている。
 今夜もこのホテルに連泊するということで、ホテル出発は遅めの10時である。ゆったり気分で朝食を済ませるとロビーに降りた。

 異国情緒たっぷりのカシュガル

 カシュガルなんと異国情緒をたっぷり持った響きだろう! 今私達が滞在しているカシュガルの町は、タクラマカン砂漠の西端、パミール高原の北麓、新彊ウイグル自治区の西南部に位置している。 
 タクラマカン砂漠を南北に迂回するように分岐したシルクロードは、北縁に沿って続く天山南路と、南縁に沿って続く西域南路の両道がこのカシュガルで合流し、パミール高原を越えてインドへ、あるいは、西北に路をとると中央アジアのタシケント.サマルカンドへと続いていくのだ。
カシュガルの街イスラム風住居

 地勢は平坦で、モモ、ブドウ、イチジク、アンズ、西瓜などの果実を豊富に産出する肥沃な土地なのである。
 東トルキスタン西部の中心都市として、シルクロード貿易とともにづっと栄えてきた。中央アジア諸国と中国を結ぶ要衝として、さまざまな民族、文化が行き交い異国情緒溢れるこのカシュガルは、ここが中国であることを忘れさせてしまうほどだ。
 紀元前から歴史に登場する古い町で疏勒(そろく)と呼ばれた国があったところでもある。かってこの地を訪れた「玄奘三蔵」は疏勒を仏教が盛んな国であると記述している。
 
 現在のカシュガルは、市内人口約37万人のイスラム教徒ウイグル人の街で、90%がウイグル族、漢族8%、その他民族2%が暮らしている。ここまでくると中国的要素はほとんど感じられず、シルクロードの道のりも中央アジアに差し掛かったことを肌で感じられる。  
 ウイグル族が多い土地だけに東トルキスタン分離独立運動が盛んで、テロ事件なども起きているらしい。(中国政府による厳しい報道管制によりほとんどマスコミにはニュースとして流させない)

 カシュガル市内観光へ


 アパク・ホージャ墓(香妃墓)

 ゆっくりタイムの午前10時私達を乗せたバスは、最初の見学先である「アパク・ホージャ墓(香妃墓)」に向けホテルを出立した。 バスにはカシュガル国際旅行社の日本部に所属するウイグル人の男性現地ガイドが乗り込んできて、流暢な日本語による街の案内が始まった。
アパク・ホージャ陵墓のモスク内部
 彼の聞いていると、このカシュガルを訪れる外国人観光客で一番多い国は日本だという、何と!外国人観光客の40〜45%を日本人が占めるというではないか。
 その日本人観光客の大半がシルクロードロマンを求めてくるツアー客で、他の外国人観光客とは一線を画しているという。 
 中国人も他の外国人もシルクロードに対し、日本人ほどの憧れやこだわりを持っていないという。 なかにはシルクロードとは何だ?と質問する欧米人もいるとのことだ。

アパク・ホージャ陵墓のモスク内部
そんなガイドの説明を聞いているうちに、郊外にある「アパク・ホージャ墓(香妃墓)」に着いた。 ここはカシュガルを統治した歴代の権力者が眠る中央アジア式イスラム陵墓なのだ。
 16世紀末に新彊イスラム教の指導者アパク・ホージャとその家族(5代72人)が眠っているのである。 また清王朝乾隆帝のウイグル人妃子であった香妃がここに葬られたと誤伝されたため「香妃墓」とも呼ばれている。陵墓敷地内にはカシュガルで2番目に大きいモスクもあるのだ。
 バスは民家が立並ぶ狭い路地裏のような通りを進み、バスがやっと停められるような小さな駐車場に停車した。
 アパク・ホージャ霊廟

 駐車場の真ん前にいかにもイスラムらしい雰囲気のゲートがあり、入場料を払うと陵墓敷地内に足を踏み入れた。
 ガイドを先頭に、順路に従って敷地内を進み、コーランを教えていた学校、二つのモスクなどを見学して歩く。 観光名所にしては以外と観光客が少なく、モスクや付随した建物内などは閑散としている。
 静寂さ漂う回廊に整然と立並ぶ支柱、赤い絨毯などはいかにもイスラムらしい雰囲気をかもし出している。

霊廟前のシャッターポイント、ラクダがいた

 モスクを一巡し順路を進んでいくとポプラと椰子の樹に囲まれた大きな広場に出た。するとそこには四方に尖塔が建ち中央部分の屋根は円形ドームのいかにもイスラムらしい建築物が建っている。
 ここがかって、この地の宗教権力者アパク・ホージャ一族の棺を安置する霊廟で、外観を飾る緑のモザイクタイルが快晴の空の下に映え、何とも美しい景観をかもし出している。
 
 霊廟前の広場はバラ園になっており赤やピンクの花が霊廟に色を添えている。 霊廟全体霊廟内部には棺が並んでいる
をカメラに収めることができるシャッターポイントに来ると、そこに美しく飾られたラクダが膝を折り、傍に派手な民族衣装を着た彫りの深い顔立ちのウイグル人女性が3人立っている。 
 彼女達は霊廟を背景に写真を撮らせるモデルで、聞いてみると10元で一緒に写真を撮らせるという。
 
 異国情緒たっぷりのイスラム建築物を背景に互いに写真を撮り合い、霊廟内部に入っていくと、床から一段と高くなった舞台上の床に美しい布で覆われた大小さまざまな棺が安置されてる。小さい棺は赤ん坊のようだ。
 霊廟内部は写真撮影禁止なのだが、なかには監視員の目を盗みさっと写真を撮り知らんふりをしている不心得者がいる。 私も恐るおそる監視員の目を盗みポケットのミニカメラを取り出した。霊廟を取り巻くように庶民の墓があった
 日本なら絶対にこんなことはしないのだが、何でもありの中国ではついつい大胆な行動になってしまう。
  
 内部見学を終え外に出ると、霊廟の建物を取り囲むように2mほどの高さの塀があり、その一箇所に塀越しに霊廟敷地外部が見えるように作られた木造の階段踏み台がある。何が見えるのだと思い、踏み台の上に上がってみると何と!そこは一般庶民の墓地で、霊廟を取り巻くように、とんでもない数の墓があるではないか。

 カシュガルのバザール

 次ぎはカシュガル観光で私がもっとも一番楽しみにしていたバザール見学だ。 旅のガイドブックを読んでも、この地を旅したことのある知人からも「カシュガルに行ったなら必ずバザールを見なさい!」と言われていた。カシュガルのバザールは規模の大きさと様々な民族が集まることで有名なのである。
 本来なら、露天がぎっしり立ち並ぶ日曜バザールが有名なのだが、今日は土曜なのであきらめ、幾つものドームが集まったような建物とその周囲で営業されているバザールに向うことにした。
カシュガルのバザールの中
 再びバスはカシュガル市内に戻り、店が軒を連ね人々が賑やかに行き交う路上に停まった。 バスを降りると通りの向こう側にバザールらしきドームが見える。
 道路を横断しバザール入り口のアーケードをくぐり、巨大な建物内部に足を踏み入れた。
  いくつもの通路が縦横に走りその両脇に間口3間ほどの小さな店がずらっと並んでいる。このバザール内で私達は1時間ほどの自由行動をとることになっているいるのだが、まずガイドに大雑把に内部を案内してもらい、それから自由行動をとることとした。

 ガイドに従って幾つかの通路をゾロゾロと歩いていくと、軒先にたむろしている店主達の一部が私達を日本人と看てとって片言日本語で「コンニチワ!安いよ!」などと声を掛けてくる。
通路毎に売られている商品が異なる
 さすがカシュガルは外国人観光客の40%以上を日本人が占めるというだけあって、商売熱心な一部の商人連中は挨拶程度の片言日本語を話すようだ。
 それにしても巨大なバザールの中は閑散としている。
 もう少しウイグル人同士が賑やかに買い物交渉している賑やかなバザールを期待していたのだが拍子抜けだ。
 やはりここも「ラマダン」の真っ最中ということで、外出をひかえるイスラム教徒のために半分開店休業状態のようだ。まぁ少し寂しい気もするがその分、ゆっくり見て廻ることができるというものだ。
 
 圧倒的なボリューム感で陳列された商店が立ち並ぶ通路を進んでいくと、無秩序に商品が陳列販売されているのではないことが分かる。絨毯、布団、アクセサリー、靴、食品、日用雑貨等々の店が通路単位に区分され集まっている。
 ガイドと共にメイン通路をぐるっと見て廻り、再び中央入り口のアーケードまで戻って来た。 アーケード脇に観光客のための休息所とトイレが設置された売店がある、ここを再集合の場所として1時間ほどの自由行動となった。
 自由行動が苦手な人やバザール内で買いたい目的の品が決まっている人は、現地ガイドとN女史に頼むと一緒に案内してくれることになっている。

 私は必然的に相部屋のJ氏と連れ立ってバザール内に戻って行こうとすると、女性旅仲間のNさんが声を掛けてきた。「佐藤さん!ここで”唐辛子”を買って帰りたいのだけれど買い物交渉してくれる!」別に私もJ氏も目的があるわけではない、ただブラブラ散策するだけのつもりだったので、二つ返事でOKすると3人連れ立ち、Nさんが買いたいという「唐辛子」を探しにバザール内をうろつきだした。

 バザールで買い物交渉

 バザールの奥え進みドームを突き抜けた外部に、乾物と香辛料ばかりを売っている店が集まっている一角を発見した。 さまざまな香辛料を大きな容器にむき出しでてんこ盛りした店、仕入れされた原料袋の口だけを開いた状態で売られている店など、全てが量り売りの商品ばかりだ。ひやかし半分立ち止まりながら品定めをして歩くのだが、大半の店が値段表示がされていないので都度値段を聞かねばならぬ!手間がかかる。
バザールの食料品店

 たまに値段表示がされている商品もあるが、まるっきりあてにならぬ! タフな商人連中が言う値段は、買い手の表情と懐具合をみて吹っかけてくるから油断も隙もあったもんでない!
 量り売りの単位は1斤(500g)が基本なので、じっと相手の目を見つめて「1斤幾らだ!」と聞いてあるくのである。
 このタイミングがむづかしいのだ! あまり買い気を表情に表し値段を聞くと大変なことになる! もうしつこく売り込みが始まり離してくれなくなるので、あくまでもさりげなく、しかも吹っかけられないよう聞かねばならぬのである。コツがいるのだ!
 
 唐辛子といってもさまざまな種類が売られている、Nさんは鷹の爪のような飛び切り辛いものを何種類か買いたいという。その要望にそった唐辛子を見つけるべく立ち並ぶ乾物店の店頭をチェックしていくと、人のよさそうな老夫婦らしき人物が突っ立ている香辛料の屋台がある。 近づき並べられた何種類かの唐辛子を手に取り触ってみると品質もよさそうだ! ひげ面の老店主に唐辛子を指差し「この唐辛子1斤幾らだ!」と北京語で聞いてみた。
 するとキョトンとしたきり私の顔を見たきり返事をしない!もう一度聞いても私の顔をジッと見つめたきり黙っている! 
 
 おかしい?私の容姿がそんなに珍しいのか? たしかに年の割には派手目の服装だが、店主がビックリして言葉も出ぬほど「いい男」でもないはずだ!
 それとも亭主の耳が悪く私の声が聞こえないのか?あるいはこの短い北京語が分からないのか?私が戸惑っていると、近くで私達を見つめていた店主の妻らしきオバチャンが声を掛けてきた!聞き取りづらい中国語で「こちらが8元、そちらが10元だよ!」と言うではないか。
 
 耳を疑った!安い!メチャ安いではないか!1斤(500g)が日本円換算で120円と150円だと言うのである。私は聞き間違えたのではないかと思い、再度聞いてみたが同じ値段を言う。
 亭主のひげ面親爺が私と妻のやりとりを黙って見ている。どうもこの亭主中国語が苦手で、妻のオバチャンのほうは値段交渉程度の簡単な中国語は話せるらしい。
 そばでやりとりを見ているNさんとJ氏に「こちらが500g120円、そちらが150円です!どうする?」と聞くと、二人ともこの店で唐辛子を買うと言う。
 
そこで私がオバチャンに言った!「私達わざわざ日本から来た!少し安くならないか?」
 すると首を振りながら亭主と何やらウイグル語で会話しだした。 どうするか相談を始めたようで何を言っているかチンプンカンプンで全く分からない。
 すると老女が10元の唐辛子を指差し「8元にしてやる!これ以上は絶対に安くしない!」と怒った顔つきで言った。
 人のよさそうな老夫婦の店である、観光客相手の土産物店のような吹っかけた値段ではない!。地元ウイグル人相手の店で元値が安いのである。 私もこれ以上値切るのは可哀そうな気がしたので、二人にその旨伝えるとOKだと言う。
(観光客相手の土産物店だと半分以下に値切るのが鉄則)
 
 するとNさん、何と二種類の粉末唐辛子を各1kgづつ買うというではないか!合計2kgもだ! こんな量の唐辛子買ってどうするすもりだ? ご飯代わりに食べるつもりか???
 さらに春雨も1Kg買うと言い出した。
そういえばNさんケリヤの下街を散策していたときも露店で塩を3Kgを買っていた。今日の買い物と合わせると都合6Kgにもなる。  J氏も唐辛子以外にも別な香辛料を物色しだした!こんな二人を見ていると私も買わなければならない気持ちになってきた。 
 札幌で留守番している女房からは、いつも中国の旅の出立に際しては、くどいほど「中国での土産物は一切買ってこないで!」「貴方が買って来た物はほとんど廃棄しているのだから、無駄なお金使わないで!」と言われてることを思い出したが、Nさんの買う量を見ていると買わねば損するような気分になってしまった。

タフなバザール商人

 目的の買い物を終え再びドーム内に戻り、乾物店ばかりが集まった通路をブラブラしていると、店先に乾燥させた赤色の「花びら」らしき物を透明大型瓶の中に入れ売られている。
 何だろうと近づいていくと、目ざとく私達の前に店主らしき親爺が出てきて突然、日本語で「サフラン」と言うではないか! ひと目で私達を日本人と見抜いているのである。
 「サフラン」と聞いて、私はSSN会員仲間のO氏のことが脳裏に浮かんだ。
 公私にわたり親しくお付き合いしている飲み仲間なのだが、すごい特技の持ち主でプロ並みの料理を作るのである。 何度か彼の手料理をご馳走になったが、その腕前たるや半端でない、さまざまな料理を手際よく次々と作っていくのである。
 そのO氏にお土産がわりにこの「サフラン」を買っていこうと思い立った。これなら小さく軽くて荷物の邪魔にならない。
 香辛料のサフラン

 親爺が日本語でサフランと発音したので、日本語で「安くするなら買いたい!幾らだ!」話しかけるとキョトンとしている! 何てことはない!サフランという日本語だけしか知らないようだ。
 中国語で同じことを言うと、小さなビニール袋を持ってきて大瓶の中からサフランを摘み移すと、「これで50元にしてやる、安いよ!」言うではないか。 隣にいるJ氏もNさんも興味を示している。
 私が「高い!駄目だ!」すると店主「40元でどうだ!」私「まだ高い!買えない!」店主「もともと安い値段だ、勘弁してくれ!」私「駄目だ!」と首を振る。 
 すると店主やっと「30元」と言う! ここらが限度がろうと買うことにした。小さなビニール袋に入ったサフランを持って店を出た。
 
 すると何軒かの乾物店前を通り過ぎたところで、店頭にたむろしていた男が声を掛けてきた。またしても手に小さなビニール袋に詰め込んだサフランを手にしているではないか。
 さきほどの店で買ったサフランの値段が安かったのかどうか確かめたくなり、ひやかし半分に「それで幾らだ!」と男に聞くと80元だと言うではないか。
 私はさきほどの店で買ったサフランを見せながら、自慢げに男に言った! 「このサフランを30元で買ってきたばかりだ!」「お前さんのは高すぎる!いらないよ!」 すると男、品質が違うと言う! アンタの持っているのは地元産で、俺のは「イラン産」だ!と言うや、袋からサフランを一摘み取り出し、手のひらですり潰して見せるではないか! 手のひらが鮮やかな黄色に染まっている。 

 男が言う「イラン産のサフランは世界一だ!この色を見てみろ!ここら地元で栽培されたサフランと品質が全然違う!」と自慢げに言うではないか。
 私は男が言う高級イラン産に又しても食指が動いてしまった! 
 すでに先ほど買ったばかりなのに、ついつい男にむかって言った「それにしても80元は高すぎる!」 ところがであるウイグル商人のこの男、私が興味を示し、買う気があるなと表情を読むや、俄然!「高くない!これは最高級のイラン産だ!」とまくり立てるではないか。
 
 私が「それならいらない!そんな高い物買えない!」と背中を向け歩き出すと、しばらく立ちつくしていた男、私達の後を追いかけてきて横に並ぶや「70元にしてやる!これで買え!」と言うではないか。
 私が立ち止まりもっと安くならないか!と言うと、これ以上は駄目だと言う。それなら買わないと再び歩き出すと、あきらめたのか後を追ってこなくなった。
  ところが何と!通路を曲がって別な通路に出ると、そこにまたしても先ほどの男が待ち受けているではないか! 近づいて来るや「60元にしてやる!安いだろ!買え!」と言う。 私が立ち止まり「もっと安くしろ!」男「安くできない!これはいい物だ!」私「それなら買わない!」と言いつつ背中を向け歩き出す。

ウイグル人居住区の路地からはイスラムの香りが

 もうこれで諦めて追ってこないだろうと他の店先を冷やかしながら集合場所に向かってあるいていると、いつまでもしつこく追いかけて来るではないか! 男「50元でどうだ!「イラン産だぞ!買え!」何とも凄い根性だ!
 バザールの商人はタフだ! 値引き交渉で買う気を悟られると絶対にそれ以上値引こうとしない。  買わないと言って背中を向けると値段を下げる。
 この男も私の表情を窺いながら10元刻みに値段を下げてくるのである。結局この根性に負けて二つ目のサフランを買うことになってしまった!
 自由行動時間も終わり集合場所に行くと、皆ドライフルーツやアーモンドなどの食品を買い物をしたようで、ほとんどの旅仲間がビニール袋を手に下げている。

  ホテルで休息後再び街へ


カシュガルの職人街と凄い美人

 バザールを出たとっころで昼食時間となった。昼食場所はかってのロシア領事館だったところで、その当時のままの建物がレストランになっている。
 ここでウイグル料理のフルコースを食するのである。シシカバブやポロ(羊肉が入ったピラフ)などが次々と出てくる。私は苦手で食することができず、皆が食べるのを見ているだけだが、以外と皆の受けがよく出てきた料理のほとんどが空になった。
携帯電話店前の路上に群がる人達

 昼食後はすぐ観光に出かけず、一旦ホテルに戻り休息することになった。
スペイン語でいう「シェスタ」(午睡、昼寝)みたいなもので、暑い地方では生活習慣として社会的に認められている昼寝を含む長時間の昼休憩だ。
 シャワーを浴びベットで横になっていると午後の出発時間の16時となった。 シニア年代の私達にとって、このように休息をとりながらの観光はありがたい!
 
 午後の観光はウイグル族居住区にあるカシュガル名物「職人街」を散策し、新彊ウイグル自治区最大の「エイティガール寺院」を見学し、その後繁華街でデパートも探検することになっている。カシュガルの職人街

 私達はまず職人街へ向かった。バスが市内中心部を走り抜けていくと、車窓から交差点のビル前路上に黒山のような人だかりが目に飛び込んできた!
 何だろうと目を凝らすとビルの看板が「移動通信広場、携帯電話市場」と書かれている。 何でこんなに多くの人がたむろしているのだ?? 携帯電話を買うためにこれほどの人が集まっているのか? 互いに携帯電話を見せ合っているではないか。
 
職人街の楽器店私達を見て楽器を鳴らしだした

 バスは北部のウイグル族居住区に近い商店街の路上に停まった。 のちほど見学する予定のエイティガール寺院の裏手にあたり、ここにカシュガル名物の職人街があるのである。
 ウイグル族の住居が密集する曲がりくねった細い道からはイスラムの香りが漂ってくるような所だ。 道の両側には工房を兼ねたレンガ造りの店が建ち並び、靴・帽子・木工細工・楽器・金属製品など、少数民族の人達の生活に必要なもののほとんどが職人の手によって作られていく様子を見ることができるのだ。

 私達はこの職人街を散策しながら路地を通り抜け「エイティガール寺院」まで歩いていくのである。 ウイグル人の職人がわき目もふらず作業している前を、私達はバラバラになって歩みだした。 
 旅仲間はシルクロードで暮らす住民の生活に触れることができるということで、それぞれ夢中になってシャッターを押している。 
 
 通りの半分ほどに来たところで、目が釘付けになり足が止まってしまった!。
刃物を扱う露店前で、抜群の容姿の凄い美人が買い物をしている姿が目に飛び込んできたのである! 職人街で見かけた超美人、胸が高鳴った!

 大げさな表現で言うと、身体にビビッと電流が走り、胸が高鳴った!この歳になるまで見たこともないような超美人なのである。
 シックな黒の上下に紫のスカーフ、抜群のファッションだ!。
 横顔を見ると高い鼻に大きな目、抜けるような色白の肌、年の頃はおそらく十代であろう。 
 私は手に持っていたカメラを悟られぬよう構えシャッターを押した。
 買い物を終え立ち去っていく彼女の後ろ姿を、私は立ち止まったまま我を忘れ、目で追っていた。
 この歳になってもいまだ煩悩の火が燃え盛っている自分に呆れてしまうばかりだ!恥ずかしいやら情けないやら・・・・・ 

 新彊最大のエイティガール寺院

 職人街を通り抜けたところで、前方にモスクの尖塔が見えてくるや大きな広場に突き当った。ここが新彊最大規模を誇るイスラム教「エイティガール寺院」だ。
新彊最大規模のイスラム教エイティガール寺院
 9世紀に創建された後、何度かの修復拡張工事を経て現在は、南北140m、東西120mもある巨大な寺院で、左右の尖塔に黄色いタイルの壁が映える印象的な寺院だ。
 モスクの周りに広がるバザールには人々が集まり、町の中心になっており、広場に面した寺院入り口前の階段には大勢のウイグル族の老人が、ひなたぼっこでもするように、することもなくたむろしている。
 寺院前の広場にたむろするウイグル老人

老人の前を通りゲートから寺院の中へ入っていくと、木々が生い茂った庭園が広がり奥の礼拝堂にむかって遊歩道が伸びている。
 遊歩道を進んで行くとポプラ林の中に壁のないプレハブ作りのような礼拝所がある。
 そこではまさにこれから礼拝をしようとする人達が正座している姿が目に入ってきた。何とも厳粛な雰囲気だ。
 イスラム教徒は1日に5回、聖地メッカに向かって礼拝するのが義務だと聞いていたが、この人達は今日何回目の礼拝なのだろうか? 
 メッカに向かってこれから礼拝する教徒

 庭園の一番奥まったところにあるモスクの礼拝堂まで来た。
屋根を支える緑の柱が何十本も建ち並ぶ巨大な礼拝堂が目の前に広がっている。
 イスラム教の礼拝堂は、仏教やキリスト教などと違い、祭壇や神仏像が一切無く仏教寺院を見慣れた私にとって実に殺風景な感じがする。
 赤の絨毯に緑の柱、赤と緑の反対色を組み合わせたカラーコントロールはおしゃれで見事なものだ。礼拝堂内に入ると、祈りを捧げる教徒も見えず閑散としている。
 静寂さ漂うモスクの礼拝堂

 静寂さ漂う礼拝堂内の写真を撮ろうとカメラを構えたら何と!ただ一人柱に寄りかかりコーランを読んでいる若者がいるではないか! 私達が中に入っていっても気づかず一心不乱にコーランを読みふけっているのである。
 驚いた!不思議さと感動的な若者の姿に一種の畏敬に近い気持ちも湧いてきたが、俗人で信仰心が乏しい私にとって、理解しようとしても理解できない異様な宗教な世界が広がっている。
 
 何が悲しくてこの若者、信仰の道に入ったのだ。 本来なら青春の真っ盛りで、人生で一番楽しい年代の時期であるはずである。青春時代を犠牲にしてまで、この若者をここまで引き付ける宗教の世界とは一体何なのだ! 
閑散とした礼拝堂でただ一人コーランを読む若者
 我を忘れて没頭する若者の近寄りがたい姿を、しばし遠くから見つめていたら、当初湧き上った畏敬の念が消え失せ、願いにもにた複雑な感情が湧き上ってきた。
 この若者が宗教にのめり込むあまり、自分の信じる道以外は全ての存在を否定排除するような過激な思想を持つ人間にだけはなってほしくないと・・・・・
 

 繁華街のデパートでショッピング

 話はちょっと横道に入る。新聞等で毎日のように激安ツアー料金で募集しているH急交通社(○○ピックス)の激安「中国ツアー」に一度参加してみて驚いたことがあった。
 バックリベート稼ぎに現地価格の2〜3倍にも吊り上げられた高い値段の土産物店に毎日これでもかというぐらい連れ込まれた。 買いたい物の無い客は出発時間が来るまで、イライラ腹ただしい思いの無駄な時間を、店内でつぶさねばならぬのである。 
 極端な言い方をすれば旅の観光時間より土産物店回りの時間のほうが長いくらいで、買い物ツアーに参加した気分になってしまった。
 この旅行社のファンの方には申し訳ないが、私は今後いくら安いツアーであっても、もう二度とこのH急旅行社のツアー参加は遠慮しようと思ったことがある。
漢族が多く住む商店街のデパート

 今回私達は世界紀行社のツアーで旅をしているのだが、この旅行社はあくまでも観光第一で営利目的に土産物店には一切立ち寄らないことを企業理念としてる。
 従って今日まで8日間旅を続けてきたが、ただの一箇所も観光客相手の土産物店に寄っていないのである。店と言えばバザールを散策してきたぐらいなのだ。

 そんなことで、時間にゆとりがある今日は、何がしかの土産物が必要な旅仲間のためにデーパートに入ってみることになった。あくまでも地元客のためのデパートである。
 カシュガルにおいて圧倒的に多い人口はウイグル族だが、その大半は農民で郊外に居住している。それに対し商売の実権はほとんどが漢族が占めているのである。
 バスはその商売上手な漢族が多く暮らす居住区にある商店街の一角に停まった。
 地味で質素なウイグル人の居住区と比べると、ここは派手な原色の看板が掲げられた商店が建ち並び行き交う人も多い。歩いている人はほとんどがイスラム教ラマダンとは関係の無い漢族ばかりだ。
 
 商店街のど真ん中にあるデパートに私達は足を踏み入れた。薄暗い店内は一昔前の日本の百貨店ような造りで、雑然と様々な商品が並んでいる。
 私達は1階フロアーのエレベーター前を集合場所として1時間ほどの自由行動となった。 商売上手な漢族の果物売りの屋台、見事な陳列だ
 このデパートでT氏、J氏に付き合ってワインを何本か選ぶことにした。
 二人は日本を出立する前から、ブドウの一大産地である西域には当然美味しいワインがあるはずだ、旅先各地で色々試飲してお気に入りのワインを発見し日本へ持ち帰るのだといい続けているのだ。
 
 さっそくワインコーナーを見つけると品定めのうえ、1本50〜60元(800円〜900円)程度の赤ワインを3本購入することにした。
 今夜はホテルでの夕食後、夜の街に外出し屋台でシシカバブを肴に皆で試飲してみるのだ。ついでに試飲するためにはコップが必要だということで紙コップを買うと今夜の宴会の準備は用意できた。
 まだ集合時間には時間がある、デパートの周囲にある商店街をブラブラしていると、路上で果物を売っているコーナーがある。その並べられた種類の豊富さとカラーバリエーションは圧巻で実に美味しそうに見える。さすが商売上手な漢族の店だ!バザールでのウイグル人果物店との違いを見せつけられた。

 デパート前の広場に戻ってくると、真っ赤に金箔が貼られた化粧箱が積み上げられた露店が並んでいる。 何だろうと覘いてみると、「月餅(げっぺい)」売り場ではないか。
贈答用に使われる月餅売り場
 月餅とは中華饅頭の一種で、月に見立てた丸く平たい形をしており、中国では中秋節の時、家族や親しい友人が集まり、月を愛でてこの菓子を食べる風習があるのだ。
 そういえば間もなく中秋の十五夜の時期だ。 またこの中秋節にはこの自分が食べるだけでなく親しい人やお世話になっている人に贈くることが盛んに行われるのである。
 ところが、この月餅の贈答習慣をワイロがわりに利用する者が増えだし一部では社会問題化してるのだ。化粧箱の中に現金や高価な品をしのばせ役人、教師、連中に贈るのである。中国らしい話しではないか!
 

大嵐で夜店の屋台体験がパーになった!

 デパートでのちょっとしたショッピングタイムで、今日の全ての観光を終えホテルに戻ることになった。
 ところが急に空模様がおかしくなりだした!ときおり砂塵を巻き上げ突風が吹くのである。 今夜はホテルで軽く夕食を済ませると、希望者で夜の屋台に出かける予定なのだ。
 露天の屋台である!ちょっと心配だが夕食を終え出発するころには、風も収まるだろうと期待することにした。 
 ホテルのレストランでの夕食が始まったが、これから屋台に出かけるつもりの皆はあまり料理を口に運ぼうとしない。シルクロードの異国情緒溢れる土地の星空の下、露天の屋台でシシカバブ片手に一杯飲むのを、全員楽しみにしているのだ。
 そくさくと夕食を済ませると、いったん部屋に戻り21時半に再びロビーに集合し、揃ってタクシーで出かけることになった。

 出発時間になってロビーに下りると何と!とんでもない大嵐になっているではないか!ごうごうと音を立て風が吹き荒れ、強風に巻き上げられた砂塵がホテルロビーの窓にぶつかりバチバチと音を立てる! なんということだ!ロビーに集まった皆は唖然としている。現地ウイグル人ガイドもこんなハリケーンのような強風はめったにないと言うではないか!
シルクロード名物シシカバブ(羊肉)

 これでは屋台は営業できず、店じまいしているはずだということになり、出かけるのをやめるしかない。 皆は口々に残念だ!を連発する。その気になってロビーに集合した皆をこのまま部屋に戻すには忍びない! またしても私の部屋で残念会をやることにして、いったん部屋に引き取ることにした。
 
 皆が私の部屋に集まりだした! 先ほどデパートで買ったワインもある、バザールで買った菓子や果物もある。添乗員のN女史もやってきて、やけくそまみれの宴会が始まった。
 ところが、宴がたけなわになっても一人団長のT氏だけが姿を現さないでないか! 
相部屋のI氏に尋ねると、”腹具合の調子が悪いので先に行っててくれと言われた”!と言うではないか! 旅の前半は便秘で苦しみ、旅の後半になると、今度は何と!下痢が始まったと言う。 
 そんなT氏の腹具合を説明しているI氏本人も実は下痢ぎみだと言うではないか!
 それにしても試飲用に購入したワインが期待はずれでまったく美味くない! 部屋で苦しんでいるT氏を気遣いつつ宴会はつづく。 今夜も何時になったら寝れるのやら・・・

第9編「葡萄溝と仏教遺跡の宝庫、かっての高昌国トルファンへ」へ つづく

中国国内で使った小遣いを記してみます。
(中国通貨1元を日本円換算15円で計算しました)

(本日の出費)
ミネラルウォーター    2本  3元   (45円)

唐辛子        500g  8元 (120円)

サフラン(地元産)   20g 30元 (450円)

サフラン(イラン産)  10g 50元 (750円)

昼レストランでのビール  1本 10元 (150円)

デパートで購入ワイン(割り勘) 20元 (300円)

紙コップ              4元  (60円)

夕食レストランでのビール 1本 10元 (150円)

小  計        135元   (2025円)

今日まで8日間の累計出費 293元  (4395円)