どこまでも続く葡萄棚、国境の町カシュガルに向かってバスはひた走る。

シルクロード旅行記・旅の7日目

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旅7日目 西域南道を走り中国最西端、民族十字路カシュガルへ


ホータンでの目覚め

 旅もいよいよ後半に入り7日目の朝となった。タクラマカン砂漠と崑崙山脈に挟まれたところにあるオアシス都市「ホータン」の「ムズタク大酒店」で、7時のモーニングコール音により目覚め起床した。
 受話器からは、いつものように添乗員N女史の「お早うございます。今日もよろしくお願いします」の声が流れてくる。 昨夜の夕食を途中退席した私を気遣い「身体の具合いかがですか?」とまで聞いてくる。 毎日全部屋にこうして彼女自身がモーニングコールで電話してくれるのだ。
西域南道とカシュガルの位置
 
 昨日は紀元前から玉(ぎょく)の産地として有名なホータン近郊と市内を観光し、さらに日没前の砂漠で駱駝の騎乗体験をしたのだ。夕食時にはレストランで地元ウイグル族の人達とダンスパーティで、賑やかにふれ合うこともできた。
 当初、旅の企画段階で旅仲間皆が「駱駝に乗ってみたい!地元の人達と触れ合いたい!」と希望していたことが実現できた感動の1日だった。

 話が少々横道に入る。旅の小遣いの話になるが、今日まで1週間「ウイグル族の歌舞公演や砂漠での駱駝騎乗」などを楽しんできた。 一般的な旅行社なら別途オプショナル料金を請求されるところなのだが、世界紀行社は一切オプショナル料金の支払を求めてこない。さらには荷物を運んでくれるホテルのボーイなどえのチップまでも払ってくれるので、私の場合日本を出てから今日までで使った小遣いといえば、ミネラルウォーターとアルコール代金のみで、わずか2130円(日本円換算)だけだ。
 他の旅仲間も似たようなもので、出費の少なさに、あらためてこの旅行社のありがたさを実感する。
このバスでカシュガルまで520kを走る
 もとへ!話は戻る。今日の予定は終日バスでの長距離移動で、タクラマカン砂漠南端の西域南道をひたすら西に向かって520kmあまり走り、今回の「西域シルクロードの旅」で走破する最西端にある「カシュガル」の町まで行くのである。
 カシュガルまで行くと、中国側シルクロードの終点として、中国らしさは消え失せ、中央アジアのイスラム情緒を色濃く反映した別の国みたいなものだ。 途中何ヶ所のオアシス都市を経由していくが、大半は砂漠地帯をひたすら走り抜ける道となっている。
 8時に旅行ケースを廊下に出し、レストランで朝食を済ませ長距離移動に備えロビーで柔軟体操をしていると出発時間の9時となった。

ホータンから葡萄長廊へ

 新車の匂いがするゆったり車内
 少々派手な真黄色のバスが玄関口に待機している。まだ新車の臭いがするような清潔な車内だ。 今日も砂漠地帯を長距離を移動するのだが、このバスだとよもや故障して立ち往生することもあるまい!安心して乗ってられる。
 例によって、N女史の毎日変わる座席ローテーションの発表を待ってバスに乗り込んだ。2座席を1人で占有するゆったり車内に落ち着くとバスは走り出した。
 ホータンの市街を抜けポプラ並木が連なる1本道を走ること30分、農村集落にさしかかったところでバスは停まった。

バグジ村の入り口にある記念碑
 ここは地図にも載らない小さな村で「バグジ村」というのだが、ただ一つこの村を有名にしているものがある、それが「ぶどう長廊」なのである。
 西域シルクロードではどこを走っていても農家にぶどう棚をみかけるが、このバクジ村の「ぶどう棚」は長さにおいて西域エリア一番として有名なところなのだ。
 私達はこの村に立ち寄り「ぶどう長廊」を散策しながら西域に暮らす農民の生活を垣間見て、それからカシュガルに向かうことになっているのだ。
 葡萄棚のトンネルがどこまでも続く

 村の入り口に降り立つと、そこには「天下奇観・千里葡萄長廊」と、赤い文字で書かれた記念碑が建っている。少々大げさな表現ではないかと思いつつ、南に伸びる道を見ると何と!村を貫く1本道に葡萄棚が道の両脇から覆いかぶさりまるでトンネルのようになっているではないか。
 私達は葡萄棚のトンネル道に足を踏み入れた。づっと続く道の奥へ視線を凝らしてみたが、目に入るかぎり葡萄棚のアーケードが、一直線に切れ目なくどこまでも続いている。
 入り口の記念碑に「天下奇観・千里葡萄長廊」に書かれていたが、千里の長さはなくてもかなりのものだ。 すでに収穫を終えたばかりのようで、棚から葡萄はぶら下がっていないが、それでも緑のアーケードは圧巻の景観だ。 

バグジ村のどこを見ても葡萄棚だらけ
 
 道の両脇には農家がつづいており、私達がカメラのシャッターを押しながら葡萄棚の下を歩んでいくと、私達を外国人と気付いた民家からは、突然門扉が開き住民が顔を覗かせもの珍しそうに我々を眺めているではないか。
 そんな住民にカメラを向けると、はにかみながらも自然にポーズを作ろうとする。
 日本人の場合、カメラの前に立つときは意識してポーズを作らず自然体にふるまうが、中国も西域まで来るとまるっきり別だ!カメラを構えると条件反射のように必ずポーズを作ろうとするのである。 まだカメラそのものが大衆化普及されていないからなのだろうか?

門扉から住居内部に入れてもらった
 とある民家の門扉が開いていたので、近づき内部の写真をこっそり撮ろうとすると、気付かれてしまい住んでる家族が出てきた。しかたないのでカメラを指差し撮ってもよいかとジェスチャーをすると、中に入って写真を撮ってもよいというではないか。
 何人かが住居の中に入っていくと!葡萄棚の下で、あちこちバラバラになって写真を撮っていた仲間達が、ワッと集まってきた。 住民の許可を得たとはいえ、住居内部でウイグル人家族に対し、少々無遠慮ともいえる写真の撮りあいが始まった。

どの住居も葡萄棚の下には小上がりがある
 どこの民家を覗いても、決して立派ではない日干し煉瓦でつくられた貧しい住居なのだが、必ず家の周囲を塀で囲み、その中には葡萄棚を備えた中庭がり、その下には絨毯を敷いた小上がりのくつろぎスペースがある。 
 夏の暑い時には葡萄棚の下の小上がりで涼みながら昼寝でもするのだろう。
 それにしても今回の旅仲間は写真好きが多い!しかも景観よりもそこに暮らす住民に興味があるようで、住民がいると必ずといってよいほどカメラを向けている。
ロバ車がやって来た!シルクロード情緒だ

 再びアーケードに出て1本道を奥へ向かって進みだすと、今度はおあつらえ向きの被写体ロバ車がトコトコやって来るではないか!
 またしても皆が一斉にカメラを向けシャッターを押しだす。その前をロバ車に乗った農民がびっくりした表情で通り過ぎて行く。
 葡萄棚にロバ車、まさにシルクロードらしい情緒そのものだ。
 こんな調子でしばしの散策を終えると、再びバスは一路カシュガルに向け走り出した。


 西域南道をバスはひた走る

砂漠の青空トイレ

 バグジ村を過ぎてしばらくは、トウキビ、綿花畑などが車窓から見えていたが、やがてそれも途切れると荒涼とした砂漠が拡がりだした。
砂漠を貫く西域南道のハイウェイ
 地平線が見える砂漠に一直線にハイウェイがどこまでも伸び、バスは快適にひた走る。2日前にタクラマカン砂漠を縦断したときには、流砂でハイウェイが埋まるのを防止するため、道の両脇にはグリーンベルトが続いていたが、ここ西域南道は人海戦術で流砂を防いでいるようだ。
 
 一定間隔で竹ぼうきを持った人夫が道路にかぶさった砂を掃除しているではないか。車窓からそんな彼等を見ていると、疑問が湧いてきた!一軒の民家も見かけない荒涼とした砂漠の道に彼等はどのようにやって来たのだ? 自転車も自動車も一切みかけない!
 見ていると1km間隔ぐらいに1人づついるみたいで、炎天下の砂漠道路にかぶさった砂を箒でひたすら掃き清めているのだ。 

トイレのため砂漠の奥へ奥へと彷徨う女性達
  1時間半〜2時間走るとトイレ休憩ということで路肩にバスを停め、例によって青空トイレを繰り返しながらひたすら走る。
 この西域南道における女性の青空トイレは大変だ! タクラマカン砂漠縦断のときとは違い、身を隠すようなブッシュや大きな砂丘がほとんどないのである。 各自身を隠せる場所を探して荒野を彷徨わなければならないのだ。 
それに比べると男は実に楽だ!そのまま路肩で一斉放尿ができる。水分はあっという間に砂漠に吸収されていく、そんな場面を記念にと思いカメラを構えたが、皆、実に気持ちよさそうだ!

 ホテルを出立してから約5時間、時刻も14時近くになろうとしているところで、バスは叶城(イェチョン)という町に入った。
 この町はちょうどカシュガルとホータンの中間に位置し、ここからは崑崙山脈を迂回して西チベットに向かう新蔵公路(新チベット国道)が分岐している交通の要所になっているところだ。

レストランが閉まってる

 今日の昼食はあらかじめレストランを予約していなかった。バスの走り具合をみて、どこか途中の適当な町のレストランで取ろうということになっており、時間的にここ叶城の町で食事を取ることになった。
チベットに行く道がある叶城の町
 バスは中心街にあるレストラン(食堂)に横付けされたが、扉に錠がかかり営業をしていない。
 仕方ないので別なレストランに行くと何と!このレストランも閉店しているではないか!。
 どうもイスラム教の宗教行事である「ラマダン(日の出から日没まで飲食禁止)」の真っ最中で、ウイグル人地元客しかいないローカルな町では営業しても客が入らないので日昼は閉店しているらしい。

 中国側添乗員の可女子が慌てだした!携帯電話で他の何軒かのレストランに連絡を入れるのだがどこも営業をしていないというではないか!。莎車(ヤルカンド)の街
 仕方ないので、叶城町での昼食はあきらめ、80kmほど先にある次の町「莎車(ヤルカンド)」まで移動することにした。
 この町は叶城よりも大きな町なので営業しているレストランがあるはずだ。 バスは昼食場所を求めて再び走りだした。
 
 市街地を抜けようとしたところで車窓から面白い場面が目に飛び込んできた! 路肩をトコトコ進むロバ車を見てみると、何と!御者(農民)が片手に手綱を持ち、もう一方の片手で携帯電話をしているではないか!なんとも奇妙でちぐはぐな情景に思わず吹き出してしまった。ロバ車と携帯電話の組み合わせがなんとも可笑しい!
 ここ西域では農民の輸送手段は、いまだ何千年も変わらずロバ車なのに、携帯電話は普及しだしているのだ。
 車内から誰かがつぶやく声が聞こえた!「もう5年もすれば、このロバ車も自動車に変わるのだろうなぁ」「シルクロード情緒が味わえるのもあとわずかだなぁ!」

 ヤルカンド(莎車)

 1時間ほどで次の町「莎車(ヤルカンド)」にバスは入った。ホータンとカシュガルを結ぶ西域北道では一番大きな街で市内人口25万ほどの市だ。
かってのオアシス都市国家「莎車国」ヤルカンド
 日本を「黄金の国ジパング」と紹介したマルコポーロが書いた東方見聞録にも登場する町で、マルコポーロはこの町を経由して中国に入っていったのである。
 このヤルカンドは崑崙山脈の北麓、パミール高原南面に位置し、かってのオアシス都市国家があったところで、2000年あまりの歴史を有し、かっては莎車国(前漢)、ヤルカンド・ハン国などとして、天山山脈南部のタリム盆地一帯を支配したウイグル国家だったところなのだ。
 時刻は間もなく15時になろうとしているところで、バスは繁華街にあるホテル玄関前に横付けされた。

ヤルカンドで昼食したレストラン
 さすがにホテルのレストランはイスラム教徒以外の旅客のために営業をしているようだ。
 ホテル玄関を入ろうとしたら隣に小さな酒屋があったので覘いてみると白酒(日本でいう焼酎)小瓶が並んでいる。
 今晩のカシュガルでの晩酌にと思い1本買ってみることにした。アルコール度数が49度あるしろもので、貼られた値札を見ると何と!値段は3元(45円)でメチャ安い。
 昼食が始まった!例によってサービスビールがテーブルに出されたが、これが温燗状態で飲めたしろものではない。今回の旅では以外とどこのレストランでも比較的冷たいビールにありつく場面が多かっただけに、ここでも当然冷たいものが出てくるだろうと思っていた、がっかりした仲間の飲兵衛連中から失望の声が漏れる。
 仕方がないので、先ほど今晩の晩酌用に買った白酒を取り出し、小姐を呼びミニグラスを貰うと皆で回し飲みすることにした。
 初めて白酒を飲む仲間から度数はキツイがほのかな甘味が口内に広がり美味いというではないか。3元(45円)で買った酒を美味いと褒めていただけるとは予想外だ。買った値段をバラすと皆吃驚している。
ヤルカンドの道端で子供達が集まってきた

 昼食を終えたところで、このヤルカンドの中心街を散策していこうということになった。ホテル前の大街を一団で歩き出すと、以外にこざっぱりした街で広々とした大通りは、三輪車とオートバイ、スクーターばかりが走っている。
 今日まで滞在したり通過してきた街ではオートバイやスクーターなど、ついぞ見かけなかったのに、なぜかこのヤルカンドの街はやたらオートバイが目につく。
 ラマダンの影響で繁華街なのだが人通りがそれほど多くない。 さりげなく街行く人々にカメラを向けると嫌な顔せず立ちどまり被写体になってくれる。特に子供達は純真だ!1人にカメラを向けると、近くにいた子供が俺もおれもとワッと集まって来るではないか!

 砂漠のハイウェイで桃売り

 時刻は16時半になろうとしている、腹ごなしの運動を兼ねた街散策を終えると再びバスは走りだした。このヤルカンドから今日の最終目的地カシュガルまではあと3時間少々距離だ。ハイウェイでの桃売り農民


 見渡す限り続く砂漠の一本道をバスは快適にぶっ飛ばす! 
 そろそろ適当な場所で次のトイレ休息をしなければならぬと走っていると、バスの前方に路肩にしゃがみこみ、何やら物売りをしているらしき農民が二人見えてきた。 その背後には砂漠に引き込んだ用水路の水門みたいのが見え、立ちションには格好の陰になるような場所もある。急遽そこでトイレ休息をするべくウイグル人農民の真ん前にバスを停めた。

竹かごの中には小さくて甘い桃がびっしり

 真っ黒に日焼けした農民の前に降り立つと、トウキビの葉っぱで覆いをした竹籠が何個か並んでおり、葉っぱの隙間から果物のような物が見えた。二人の農民、私達を外国人と見てとり、どう声を掛けてよいか分からずポカーンとしている。
 私が無言でしゃがみこみ葉っぱの覆いをずらすと何と!「スモモ」をひとまわり大きくしたような「桃」がぎっしり竹籠の中に詰まっているではないか。

 どのような味がするのか確かめたくて、農民に中国語で「美味かったら買うので、1個試食してもいいか!」と聞くと、返事を返さず、ただ笑顔で私の顔をじっと見ているではないか。
 ちょっと戸惑ったが、こっちも笑顔で黙って1個手に取ると噛り付いてみた。 日本で食べなれた水密とは全く違う味が口内に広がった。 歯ごたえが硬いのである、しかしそれなりに甘みがありまぁまぁの味だ! 興味津々見ていた仲間達に「まぁまぁだ!」と食感を言うと、何人かが買うべく竹籠の中から美味そうなものを選び出した。
 桃売り農民の前でワァワァやりだした仲間を尻目に、私は尿意が我慢できなくなってきたので、農民の少し後方にある用水路(パミール高原から流れてくる雪解け水の取水路)の水門の陰に行った。

 まっこと下品な行為で恐縮だが、水門の上に立つと用水路の流れに向かって立小便を始めた。 すると放尿を始めだしたところで何と!何と!とんでもないものが目に入った!
立ちションを始めたら目の前に農民が!

 目の真ん前の用水路を挟んだ3mほどのところに、路肩で桃売りしていた農民とは別な農民が横たわり昼寝をしているではないか! まずい!と思ったが、一度で出だしたらもう止まらない! 
 悲しい事に若い頃と違い、老化現象で自由に小便を出したり止めたりすることが、そう簡単にできない身になっているのだ。
 焦った!昼寝している農民が気付く前に、早く小便を終らせようとするのだが、勢いのないチョロチョロ小便なので時間がかかる。
 ところが何と!こんな場面をしっかり背後からカメラに収めていた仲間がいたのである。バスに戻ったところで、私にモニター画面を見せてくれるではないか!(上画像)

 間もなく国境の町カシュガルだ!

 バスはシルクロードの西域南道をひた走る、やがて砂漠地帯から抜け出し車窓の外には緑が多くなってきた。刃物の町インギサールの刃物店
 カシュガルの近くまで来るとパミール高原から流れてくる雪解け水の恵みで、綿花や小麦、トウモロコシの栽培を主とし、ハミウリ、ざくろ、葡萄、杏も産する豊かな農業地帯になっているのだ。
 インギサールという刃物で有名な街にさしかかった。
 西域一帯で使用される刃物はこの町で生産されるほど街中に刃物店があふれてる。
 ここまで来るとカシュガルまではあと70kmあまりの距離だ。この街で最後の小休止をしていくということで道路脇の刃物店の前でバスは停まった。 
インギサールの路上でウイグルの女の子

 刃物店に入ったり、街頭をぶらついたりしながら30分ほど小休止すると、本日最後の走行に入った。
 走っていると、いたるところで大規模な灌漑用水路建設工事につきあたり、バスはその都度立ちどまることを繰り返しながらカシュガルに近づいていく。上海や広州などの沿海部に比べ経済発展が遅れてるということで、中央政府主導による西部大開発の号令のもと、大規模なインフラ整備事業が進められているのだ。

 今朝9時ホータンのホテルをバスで出立し走ること11時間、目的地カシュガルの町に入った! 時刻はまもなく20時になろうとしている。
 やがて今日と明日連泊するホテルの玄関前にバスは停まった。町の中心部から少し離れたところにある新隆賓館というホテルで、真ん前には街を貫く大きな川が流れている。
 とうとうここまでやって来た!ウルムチを起点として列車で西へ向かい、クチャからバスでタクラマカン砂漠を縦断し西域南道をひたすら西へ走り中国の国境の町までやって来たのだ。
 ここから先は中央アジアの国々でさまざまな民族が行き交い「民族の十字路」とも言われている異国情緒豊かな町なのである。

とうとうカシュガルまでやって来た!宴会で乾杯だ

カシュガルまで来たことを記念して乾杯
 チェックインを済ませ20時半からホテルのレストランで夕食が始まった。ちょっと窮屈だが14名全員一つのテーブルで会食することにした。テーブルの上には冷えたビールと途中の町で買ったワインが置かれた。
 ウルムチを出て、西へ西へとここまで、2000km以上を走破してきたのである。 途中ハプニングもあったが、皆無事にシルクロード最西端の町に来れたことを記念し、全員で声高々に乾杯をすると賑やかに夕食が始まった。
 料理がどんどん運ばれてくる。テーブルの上に置ききれなくなり料理皿の上に積み重ねる状態となった。すごい品数だ!数えてみると何と!16品もあるではないか!

すごい品数の料理、でもあまり箸はすすまない

 中国の最深部カシュガルまで来た充実感に旅仲間皆が意気揚々としてテンションが高い! 会話が盛り上がり酒もすすむ。 この盛り上がりようだとレストランでの夕食で宴会を終るわけにはいかない!多少疲れもあるが私の部屋で二次会をやろうと決めた。
 しかし賑やかな宴会にしては、ちょっとおかしい!運ばれてきた料理に皆ほとんど手をつけようとしないのである。
 大半の料理が手付かずのままテーブル上に残っているではないか!
 旅も後半に入り、仲間の大半が疲れと毎日の中華料理に胃腸の調子もイマイチで箸がすすまないようだ。 旅はまだまだ続く!ちょっと心配だ!。

第8編「中央アジアとの国境の町、民族の十字路カシュガルはイスラムだ」へつづく

中国国内で使った小遣いを記してみます。
(中国通貨1元を日本円換算15円で計算しました)

(本日の出費)
ミネラルウォーター    2本   3元 (45円)

中国焼酎白酒       1本   3元 (45円)

夕食レストランでのビール 1本  10元(150円)

 小  計           16元 (240円)

今日まで7日間の累計出費  158元 (2370円)