旅5日目、タクラマカン砂漠をバスで縦断の日
クチャから砂漠縦断公路のゲートまで
旅の5日目、連泊しているクチャ(庫車)のホテルで目覚めた。早朝覚醒症の私はよほどの事がない限り5時頃には目が覚めることになっている。
起床したが、やたらのどが痛く最悪だ!完全に風邪を引いてしまったようだ。唾を飲み込むたびに嫌な痛みがはしる。加えて連日の砂嵐と乾燥した気候で更にのどを痛めてしまった。
相部屋のJ氏が心配してくれ、持参した抗生物質の薬を分けてくれた。 この人強健な身体の持ち主だと思っているのだが、それにしてはやたら薬を持っている。 今日まで毎日、彼から肝機能強化錠、睡眠導入剤などを、おすそ分けしてもらっていたのだが、きょうはとうとう抗生物質まで頂いてしまった。 本当にありがたい!感謝だ!。
昨夜はこのホテルの宴会場で、西域に多く住む少数民族ウイグル族による歌舞団に出張公演してもらい、特別席でたっぷり踊りを鑑賞し、シルクロード旅情を満喫したのであった。
タクラマカン砂漠縦断道路
今日は、今回の西域シルクロードの旅を通して最大の目玉である「タクラマカン砂漠」を北から南へ縦断する日となっている。少々不安もあるが楽しみだ。 ちなみにシルクロードは大きく天山山脈を挟んで南側が「天山南路」、北側が「天山北路」と呼ばれる2本の幹線がある。
今回、私達の「西域シルクロードの旅」は、天山南路を辿って民族の十字路ともいわれる中央アジアとの国境の町「カシュガル」まで行くのである。
タクラマカン砂漠縦断地図
さらに、その天山南路はタクラマカン砂漠を南北に迂回するように分岐して、北側に「西域北道」、南側に「西域南道」と呼ばれる2本の道がある。(マップ参照)
私達はこの2日間、この天山南路の北側の道「西域北道」に位置する「クチャ」近郊をあちこち駆けずり回っていたのだ。
今日は2日間滞在したクチャの町を出立し、バスでタクラマカン砂漠を南北に縦断する「砂漠公路」を走り、砂漠の南側、天山南路「西域南道」に出て「ケリヤ」の町まで約800kmを走破するのである。
トラブルつづきのバスで砂漠縦断
そんなことで今日は終日、ひたすらバスに乗っているだけなので、半ズボンにTシャツ姿のラフな服装に着替えることにした。 あわただしくレストランで朝食を済ませるとすぐ出発時間の7時45分となった。
ロビーに降りたがどうもバスのことが気になる。もしかして昨日まで故障続きのオンボロバスが交替し、新型バスが来ているかも知れぬと思い、淡い期待の気持ちで駐車場を見たが、期待を裏切るように昨日と同じバスが待機しているではないか。
バスに乗るとき中国側添乗員の可女子に一応念押しで「砂漠縦断、本当にこのバスで大丈夫かな?心配だ!」と言ってみた。すると案の定、可女史「没問題(メイウエンティ)!問題ありません!昨日きちんと修理ができて動いていますから!??」とニコニコ顔で言うではないか。
彼女、別に無頓着でも楽天家でもないのである!中国ではこのぐらいの事で心配していたら暮らしてしていけないのである。日本とは想像のつかないほど、何でもありのハチャメチャの国なのだから。
砂漠公路ゲート
タリム油田基地
バスは私の不安な気持ちを意ともせず、エンジン音高く走りだした。 まず第一ポイントの天山南路を東へ150kmほど走ったところにある「輪台」まで走り、そこで小休止することになっている。
この「輪台」にタクラマカンを縦断する唯一の道「砂漠公路」のゲートがあるのである。 あたり一面荒涼とした砂礫の中の薄暗い道をしばらく走っていると日が昇り出した。 やはり今日も砂嵐(黄砂)の影響なのか太陽が白く薄ぼんやりと輝いている。
2時間ほど走ると砂漠公路の入り口が近づいてきた。
タクラマカン砂漠縦断公路ゲート
車窓からは油田の油をくみ上げる石油採掘基地があちこちに見える。 タクラマカン砂漠の周辺と腹部に広がるタリム油田だ!
中国政府一体となって西部大開発の掛け声のもとタクラマカン砂漠一帯で大規模な石油・天然ガス資源の開発が行われているのである。 一説には、タリム盆地全体の石油の埋蔵量は1200億バレルにのぼるとされ、これは世界最大の産油国サウジアラビアの確認埋蔵量の半分にあたるそうだ。
タクラマカン砂漠
砂漠公路記念モニュメント前で
砂漠の石油基地を眺めながら走っていると、やがてバスはタクラマカン砂漠を南北に縦断する唯一の道「砂漠公路(ハイウェイ)」入り口の駐車場に停車した。
ここでトイレを済ませ、モニュメントの前で全員で記念写真を撮り、柔軟体操などで身体の凝りをほぐすと準備万端、いつでも出発OKとなった。
私達の期待と不安を胸にバスはゲートをくぐり、砂漠を南に向かって一直線に伸びる路を走り出した。
ここから砂漠公路南側出口の西域南道に位置するニヤ(民豊)の町を経由し、今日の宿泊地ケリヤの町まで約680kmあまりをひたすら走っていくのである。
死の世界タクラマカン砂漠
ちなみに、タクラマカン砂漠とは、ウイグル語の語源で「死の場所」「死の世界」といった意味なのである。20世紀初頭、スウェーデンの探検家スウェン・ヘディンが「中央アジア探検記」でタクラマカン砂漠で九死に一生を得た経験を記し、「死の砂漠」として世界に知られるようになったところだ。
サハラ砂漠に次ぐ世界2位の面積を持つ砂漠であり、北に天山山脈、南に崑崙山脈と6000〜7000m級の大山脈に挟まれているため非常に乾燥しており、降水量は年に数ミリ程度しかない。
厳しい自然条件のもと長らく開発とは無縁だったが、1990年代になって石油の埋蔵が確認されると、石油輸送のため1995年「砂漠公路」が開通されたのである。
バスはタクラマカン砂漠をひた走る
砂漠の乾燥に強い胡楊の樹
砂漠の路を走り出してしばらくは意外と道路わきに樹木やブッシュ緑がつづく。 特に目を引くのが砂に埋まりながら立っている幹の太い「胡楊」の樹だ。 この樹は非常に乾燥に強く、千年あまりの寿命があり、木材としても千年持つといわれるほどで、その生命力の強さでタクラマカン砂漠のオアシスを豊かにしてきた樹木なのである。
NHKスペシャルのシルクロード紀行で「楼蘭遺跡」が放映された時、砂に埋まった数多くの枯れた木柱が画面に映し出されたが、それがこの胡楊の樹なのだ。
砂漠のブッシュの陰で
1時間半〜2時間毎に小休止兼トイレタイム繰り返しながらバスは進む。悲しいことに私達全員シニア年代である、老化現象でトイレの間隔が短くなり、もよおしたいと思ったら我慢できないのである。へたに我慢すると漏れてしまうから始末が悪い。
勿論砂漠に公衆トイレなんてあるわけがない!
女性といえどもすべて青空トイレで、適当な場所を探して砂漠をうろつかねばならないのだ。
砂嵐もいつの間にか納まり、日差しがきつくなり気温がどんどん上がりだした。
おやつタイムで西瓜や瓜を食べる
2回目の青空トイレタイムの時、添乗員のN女子が、いつの間にかバスに積み込んであった「スイカ、瓜、ナン」などを道路わきに降ろし、皆で食べるおやつタイムとなった。
炎天下の砂漠で食べるスイカや瓜が想像以上に甘くジューシーでメチャ美味しい! 何しろ雨が降らず寒暖の差が激しい砂漠地帯で栽培されただけに糖度が高いのだ。水分補給も兼ね、夢中で皆が美味しいといいながら全て食べつくしてしまった。
ちょっとしたサービスだが、さすが私がお気に入りの世界紀行の添乗員のN女史だ!心遣いが嬉しい。
砂漠のグリーンベルト
砂漠公路の流砂対策グリーンベルト
だんだん砂漠の奥深くに入って来た!車窓からの景観はすでに樹木は一切なくなり、道路の両脇には幅5mほどのグリーンベルト(草地)が途切れることなく続くようになった。
その向こうには大小さまざまな砂丘が見える。
道路脇に続くグリーンベルトを見て、はじめは乾燥に強い草を持ってきて植え込んだのだろうと思って見ていた。 ところが、車窓からじっと砂漠の景観を眺めていたJ氏が、突然うしろの席から「佐藤さん!分かった!」と話しかけてきた。路脇に一定間隔で建つ維持管理小屋
彼は道路が上り坂の小高い地点にさしかかると、必ず道路脇にブルー壁の小屋があると言うのである。
しかもその小屋は4〜5kmおきの一定間隔で建っていると言うではないか。 さらにJ氏「きっと、あの小屋は砂漠から水を汲み上げるためのものだと思う!」「道路脇に続くグリーンベルトは、きっとあの小屋から落差を利用して水分補給を受けているから枯れないのではないか!」と言うのである。
なるほど言われて注意して車窓の外を見ていると、道路が小高いところにさしかかると必ず小屋があるではないか。 それにしても砂漠で水を汲み上げれる水脈なんてあるのだろうか?と思っていたら・・・・。
グリーベルト維持の道路脇を走る散水パイプ
3回目のトイレタイムは美しい砂丘が見える場所に停車した。バスを降りた途端、熱気が身を包んだ、やっぱり砂漠は暑い。砂丘の陰で小用を足そうとして道路脇のグリーンベルトに足を踏み入れて驚いた。何と!直径1cmほどの黒いビニールパイプが何条も延々と走っているではないか!しかも4〜50cm間隔で水分が砂漠に滲み出している。
バスの車窓からはパイプが細くて気が付かなかったが、J氏が言っていたように砂漠に散水し、グリーンベルトを維持しているのである。 緑の景観維持するというよりも砂漠公路を流砂から守るためのものなのだ。
しかし、それにしても凄い!砂漠の地下深い水脈から水を汲み上げ散水するためのポンプ小屋を、一定間隔で道路脇に設置しているのである。 砂漠公路だけでも550kmもあるので、4〜5km間隔に1軒づつ小屋を設置しているとなると、おそらく小屋の数は全部で100軒以上あるに違いない。
この時はまだまだテンションが高かった
この砂漠公路を維持するために莫大な維持管理費を使っているのだ!中国も凄いことをする。
ガイドに聞いてみると、この小屋には冬季間を除いて夫婦が住み込み、次のポンプ小屋までのグリーンベルトを定期巡回しながら維持管理してるとのことである。
そう言われれば、小屋の前に自転車が置かれているので人が住んでいるのは間違いないようだ。
しかし不思議なことに自動車は一切見かけない、買い物などはどうしているのか? まさか自転車で何百kmも買い物にいくのだろうか?
風紋を撮ろうしている不恰好な私
砂丘の陰で青空トイレを済ませると、しばしカメラのシャッタータイムとなった。 人生の折り返し点をかなり過ぎてしまった私達にとって、もう二度と来ることはできないであろう死の砂漠と言われたタクラマカン砂漠にいま足を踏み入れているのである。
360度見渡す限り砂丘が広がり感動的な景観のなか、各自が思い思いの砂丘めがけ散っていき、夢中でシャッターを押している。風紋がなんとも美しく芸術的だ。
女房に足が短いと指摘された写真!先頭が私
半ズボン姿の私が夢中で砂丘の風紋を写すべくカメラを構えていたところを旅仲間が写してくれていた。 帰国後その画像をメールに添付して送ってくれた。
すると女房がその写真を見て言った!「貴方って本当に脚が短いわね!!」 そう言われ、あらためて写真を見みると、確かに短い!それも半端でない、かなりだ!。
私は女房に指摘されたこの写真を見てすっかりショックを受けた! きょうまで自分なりにダンディなシニア男を決め込んでいたつもりであった。 それがこの脚の短さは何だ!もう今後一切、人前で半ズボンは穿かないことにしようと決めた。
タクラマカン砂漠
しかし、もう1人半ズボン姿で写っているJ氏を見て少し安堵した! 彼も私と同様に意外と脚が短く見える!冗談半分に本人にその事を言ったら「余計なお世話だ!」と気分を害していた。
いつもながら、私はひと言多くて人を傷つける!困ったものだ・・・
砂漠の食堂で昼食
クチャの街を出立し、小休止(トイレタイム)を何度か繰り返しながら走ること7時間、すでに時刻は午後3時になろうとしている。 タクラマカン砂漠のど真ん中「塔中」というドライブインで昼食となった。500km以上もある砂漠公路で唯一食堂がある場所で、ガソリンスタンドが1軒とみすぼらしい食堂が4〜5軒かたまっているところだ。
砂漠の食堂で飲んだビールは実に旨かった
バスはそのなかの1軒の小さな食堂前に停車した。玄関を入ると大部屋があり7〜8席のテーブル席はどの席も超満員である。
私達は大部屋の脇にある小さな個室に案内された。私達が座ると身動きできないほどになった。
炎天下の砂漠で小休止を繰り返しながら写真を撮りまくったせいか皆のどが渇いている。
席に着くや私達の前にサービスビールが5本出てきてテーブルの上に置かれた。
砂漠のど真ん中の小さな食堂である、どうせ冷えていないだろうとなめてかかっていた。ところが瓶に触れてみると何と!これがギンギンに冷えているではないか。
まるで私達が到着するのを待っていたかのようだ。 皆の注文を聞くまでもなく追加のビールを8本注文すると、我先にビールをコップに注ぎこんだ。 順調に進んでいるタクラマカン砂漠縦断を記念し、全員が乾杯の音頭で一斉に飲み干すと、「ヒャ〜旨い!」と悲鳴にも似た歓声が上がる。
現役時代に夏場のゴルフでたっぷり汗を流し、シャワーを浴びた後に飲む最高のビールの味だ!実に旨い!”咽喉が鳴る”とはこのとだ!
普段は冷静なT氏なんぞは、「砂漠でこんな旨いビールが飲めるとは!」と感動に声を震わせているではないか!
よほど感動したのか、帰国後の今でも、ことあるごとにあの時のビールは旨かったといい続けているT氏なのだ。
ビールを立て続けに注ぎ合いながら飲んでいると、皿にうどんが盛られた一品料理が出てきた。 今日まで食事といえばバイキング料理ばかりだったが、さすがに砂漠の食堂ではそうもならず全員同じである。茹でうどんの上に具を乗せた、この地方名物の「ラグ麺」と呼ばれる料理だ。
皆が美味しいと言った「ラグ麺」
ところが、この質素な「ラグ麺」驚くほどメチャ美味いのである。全員から「美味い!美味い!」の声が出る。
女性ながらNさんなどはあっという間に食べつくし、もの足りなさそうな顔をしている。私が自分の分を差し上げたら大喜びしながら二皿目もペロリと平らげてしまった。(注、私は喉が痛く食べられないので食事はせずビールばかり飲んでいた) この西域シルクロードエリアは米よりも小麦粉を使った料理のバリエーションが豊富なのだ。
まさか!砂漠のど真ん中でバスが故障で立ち往生。
ビールは冷えていたし、食事も美味かった!満足の昼食を終えると、残り後半の砂漠縦断に向け再びバスは走りだした。 宿泊する「ケリアの町」まではあと380kmほどだ。
走り出して1時間ほど、ビールの心地よい酔いにうつらうつら身を任せていたら、突然バスが停まった!。
まさか!ラジエターから湯が流れ出る!
運ちゃんエンジンを切るや、慌ててバスを降り車体後部のエンジンの方へ行くではないか。 開いたままのドアからオイルが焼けたような臭いが車内に漂ってきた。
私達もバスを降り何事が起きたとばかり車体後部に行くと何と!後部エンジンから煙と蒸気が吹き上げているではないか!
冗談でない!とうとう昨日に続き、今度は「死の砂漠」と呼ばれるタクラマカン砂漠のど真ん中でエンジンがいかれてしまった! まさに心配していたことが、その通りになってしまった。
炎天下で修理作業がつづく
エンジンルームを見るとラジエターから湯が吹きこぼれ路上に流れ出しているではないか!(画像参照)とうとうやってしまった! ファンベルトが切れエンジンに冷却水が流れなくなり、オーバーヒートしてしまったのだ。
運ちゃん、エンジンが冷えるのを待って予備のファンベルトを取り出し、ガチャガチャ修理を始めたが、3本並んでいる一番奥のファンベルトのためになかなか交換ができない。
炎天下の砂漠でジリジリ陽が照りつけるなかで、修理する者、野次馬でただ傍観する者、刻々と時間ばかりが過ぎていく。
時たま砂漠公路を走るトラックが立ち往生している私達を見つけ停まってくれるが、野次馬で停まるだけで修理の役には何も立ってくれぬ。
タクラマカン砂漠の砂丘
ところが私を除いて旅仲間皆の表情が意外と明るいのである。
S氏やJ氏などは、これでじっくり砂丘の写真が撮れるとなどと言い平然としている
並みの立ち往生でない!エンジンが焼けラジエターから湯が吹き上げているのだ。 すぐ直る気配がないので、傍観しているのにも飽き、時間つぶしに皆はそれぞれ砂丘の写真を撮るべく砂漠の奥へ散って行く。
待つこと1時間半、なんとかベルトが装着できた。中国の運ちゃんはたくましい!生半可な根性でない!1人で何とか直してしまった。
蒸発し空になったラジエターに、私達に毎日1本づつサービスに配ってくれるミネラルウォーターがバスに1箱積んであるのでそれで補給すると、バスは再び走り出した。
どんどん日が暮れる
このような箇所もある砂漠縦断道路
恐るおそる走ること半時間、何と!今度はガタガタ妙な音がするや車体が震えだしたではないか!またしても緊急停車となった。
今度は私達にももう修理は無理であると分かった! バスから降りると、やはりラジエターから蒸気が吹き上げている。 それでも運ちゃん何とか直そうと挑戦するが、もう無理だ! 先ほどの1回目の故障では平然としていた旅仲間も、さすがに今度は途方にくれた表情をしてる。
2回目の立ち往生、夕暮れが迫る
しばらく運ちゃんの修理の様子を見ていた中国人添乗員の可女子が、さすがにもうこれ以上は走行が無理だと悟ったらしく、代替のバスを呼ぼうと携帯電話を掛け出した。ところが電波状況が悪くなかなかつながらない。 道路のはるか彼方に小高くなっているところがあるので、可女史そこでもう一度電話をするべく歩いて行く。
刻々と時間は過ぎ、時計を見るとすでに20時を過ぎている。
砂漠に陽が沈む、佇む仲間達
陽が暮れだし、夕闇がせまりつつある。 もう完全な立ち往生でどうしょうもない事態となった。
時間つぶしに陽が落ちる砂漠を写真に収めるべく、又しても皆砂漠の奥へ歩いていく。
そんなことを繰り返ししながら待っていると、やっと可女子の携帯電話がつながり100Km程先の「ニヤの町」から臨時の代替バスが私達を迎えにきてくれることになった。
じりじりしながら立ち往生したバスの脇に佇むとことしばらく、はるか彼方の砂漠ハイウェイからライトを点灯させたバスがやって来た。 皆から歓声が上がる!これで「死の砂漠」から脱出できる、ほっと一息だ!
何とか代替バスでニヤの町に着いたが、時刻はすでに22時を過ぎてしまっている。予定変更でこの町の食堂で夕食をする事になった。 私達が今夜泊まるケリヤの町までは、まだここから130kmも先だ。 「ニヤ」の食堂で夕食、疲れて意気が上がらない
小さな食堂に入ると、突然の予約だったのだろう、間に合わせの料理があわただしく並べられた。 とりあえず何とか死なずに「死の砂漠」を縦断できたので乾杯しようとしたら、中国側添乗員の可女子が「バスが故障つづきで大変迷惑をかけたので、お詫びに今夜はビールとワイン代は旅行会社が払いますので、いくらでも飲んでください」と言う。
ところが私達の誰からも喜びの声が上がらない!皆、黙りこくっているではいるではないか!そりゃそうだ!さすがに皆、昨日からの故障続きに呆れ果て、疲れがどっと襲ってきてグッタリしている。 乾杯でビールに口を付けたが、生温いビールで益々意気が上がらない夕食となった。
ここで食事をしながら、ニヤから私達を急遽迎えに来てくれた臨時バスが交替して、宿泊するケリヤの町からやって来るバスを待つことになっている。
とうとう日付が変わってしまった!
疲れ果て会話もあまり盛り上がらないまま早々に食事は終ってしまった。可女子の言うことには遅くても23時ぐらいには、この食堂にケリヤから迎えのバスが着くことになっている。
ところが23時を過ぎても迎えのバスがなかなかやってこない。 可女子痺れを切らして携帯電話でバス会社に確認の連絡を入れるが何と!バスの運ちゃん行方不明で連絡が取れないので、待ってくれと言うではないか。冗談でない!先ほどまではこちらに向かって走っていると言っていたではないか!。
タクラマカン砂漠の砂丘は美しかった
ひたすら食堂で迎えのバスが来るのを待つが、時刻はすでに11時半を過ぎた!このままでは日付が変わる。 いくら何でもありの中国でも、もう我慢できぬ!冗談でない!
イラつく私達の危険な雰囲気を察したのか、予定を変更し「ケリヤ」からの迎えのバスを待たず出発することになった。
さきほど砂漠まで臨時に迎えに来てくれた「ニヤ」のバスに再登場してもらい、私達は再び乗り込んだ。 こんなことなら最初からこのバスで走れば、1時間以上も無駄な時間をつぶさずに済んだのだが、もうどうにもならぬ。
もし走っている途中でケリヤから来るバスに出会ったら、そこで乗り換えるということで、バスは真夜中の西域南道を猛烈にぶっ飛ばし出した。
ケリヤから来る迎えのバスを見逃さぬよう私達全員が身を乗り出しバスの前方を注視する。前方の暗闇にライトの灯りが見えるびに「あれが迎えのバスでないか?」との声が上がる。 こんなことを繰り返しながら走ることしばらく、何とかケリヤからの迎えのバスと出会うことができた。 乗り換えるべくバスを降り何気なく夜空を見上げたら、日本では見ることの出来なくなった満天の星空がすごく印象的だった。
真夜中の路上であわただしく荷物の積み替えを済ませると、漆黒の闇を猛烈な勢いで走り出した。 何とかケリヤのホテルの着いた!時計を見ると何と!とっくに日付が変わり25時半(1時半)になっているではないか。
午前7時45分にクチャのホテルを出立し、17時間以上もバスに乗っていた計算だ。これから部屋に入りシャワーを浴びたりしたら何時に眠りに着くことができるやら。 疲れ果て声を出すのも億劫だ。
「ロバ車とポプラ並木の西域南道・ラクダで月の砂漠へ行くぞ!」へ つづく
中国国内で使った小遣いを記してみます。
(中国通貨1元を日本円換算15円で計算しました)
(本日の出費)
昼食レストランでのビール 割り勘 20元(300円)
今日まで5日間の累計出費 134元 (2010円)