シルクロードロマンあふれるクチャの街と仏教遺跡・玄奘三蔵の足跡塩水渓谷

シルクロード旅行記・旅の4日目

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シルクロードの旅4日目

 
今日も砂嵐だ

 旅4日目の朝は昨日に引き続き、シルクロード天山南路の要衝、かっての亀慈国であるクチャ(庫車)のホテル(庫車飯店)でむかえた。 添乗員のN女史に7時にモーニングコールで起こされるまで何も気づかずぐっすり眠ることができた。
クチャ近郊の農村地帯
 昨夜も私の部屋で夕食後の二次会をやり、風邪薬を飲んで就寝に着いたのが24時頃だった。 
 相変わらず咽喉が痛い!幾ら風邪薬を飲んでも快方どころか益々悪化しているようだ、朝食時にN女史にうがい薬の「イソジンン」を持っていないか聞いてみねばならぬ。
 今日の予定は終日クチャ周辺の観光である。郊外の仏教遺跡「キジル千仏洞」「クズルガハ千仏洞」を見学して市内に戻りバザールを散策することになっている。

 午前8時まだ薄暗い中、別棟のレストランでバイキング形式での朝食を終えると、私達は砂嵐に備えマスクを用意し9時の出発に合わせロビーに集合した。 昨日修理のため遅刻してきた年代を感じさせるバスは、今日もみすぼらしい容姿を恥じるかごとく玄関前に待機している。
 N女史より座席のローテーション位置が発表されると私達はバスに乗り込んだ。 Bグループの私は今日は後方席だ。座席に不公平が起きぬよう毎日座席が替わるのである。
 
 昨日クチャ駅で私達の到着を出迎えてくれた地元クチャの日本語ガイド(30代男性)もバスに乗り込むと、バスはクチャの南西75kmほどにある新彊ウイグル自治区最大の石窟「キジル千仏洞」に向かって走り出した。 
 9時を過ぎやっと明るくなりだしたが、街は昨日同様、今日も「砂嵐」でどんより霧がたちこめたように霞んでいる。
いたるところにロバ車がいる
 街の中心部を抜けると車窓からの景観は、整然と植えられたポプラ並木の道をロバ車が行き交う典型的なシルクロードの農村風景が広がった。
 住居といえば日干しレンガの壁に、天井がほとんど無いつくりで、ちょっと見た目には廃墟のようにさえ見える。 1年を通してほとんど雨が降らないので屋根といえば日陰の役目をすればよい程度のものなのだろう。 
 T夫妻をはじめS氏やNさんは、よほど「ロバ車=シルクロード」のイメージが出来上がっているらしく、ロバ車が通るたびに車内から夢中になってカメラのシャッターを押している。

  異様な景観が続く道と塩水渓谷

キジル千仏洞に行く途中の景観
クチャは小さな田舎町だ、バスはあっという間に農村集落を走り抜けると、荒涼とした砂漠の1本道に出た。どこまでも一直線に伸びる舗装された快適な道だったが、30分ほども走ると舗装が途切れ、工事中のデコボコ道へと変わった。
 しばし、ゆらり揺られて走っていると、車窓から見える砂漠は異様な景観へと変わった。見たことはないが月面のようなむき出しの地層が表れ、空には砂嵐の影響で白い太陽が輝き何とも不思議な景観を呈している。

むき出しの地表に白い太陽がぼんやりと輝く
 初めて見る異様な景観を写真に収めるべくバスを臨時停車してもらうことにした。 私達の旅は一般ツアーと違い全員が気心知れた仲間同士である。個人旅行のように多少の観光コース変更や自由行動は、添乗員のN女史にお願いすると快く引き受けてくれるのがありがたい。
  
 道路脇に臨時停車すると全員マスクを装着しバスから降りた。 あたり一面は赤茶けた地ちょっとペトラ遺跡に似ている
表が隆起し、小高い崖の上には、白い太陽がぼんやり輝いている。 初めて見る不思議な太陽をカメラに収めるべく皆が一斉に斜面を登っていく。 
 私達が夢中になってシャッターを切る脇を、時折りおんぼろトラックがものすごい砂埃を巻き上げて走り去って行く。 中近東ヨルダンにある世界遺産「ペトラ遺跡」を思わせるような景観の崖までもあるではないか。
 それにしてもこの時期めったに吹かない砂嵐が連日吹き荒れ、白い太陽が出現するとは想定外だ。 雨男の私が砂漠では雨のかわりに砂を降らせているのに違いない。

東京国立博物館の玄奘三蔵画

 臨時停車のシャッタータイムを終え、バスは再び悪路をバウンドしながら走り出した。 やがて道は断崖絶壁が続く渓谷えと入って行き、車窓からは川に侵食された地層が剥き出しになり奇岩、怪石が続く物凄い景観へと変わった。 地層が大きく波打ち地球の圧力によって歪められた褶曲地層だ。しかも、かなりの急角度でほとんどが45度以上あるような急峻な崖になっている。この渓谷は4千メートルを超える天山山脈をつくりあげた地球のとてつもない圧力によってつくられた地層なのだ。

 ここは天山山脈の支脈にあたり「塩水渓谷」と呼ばれているところで、はるか昔、玄奘(三蔵法師)が仏典を求めてこの渓谷を通って天竺(インド)に向かって行った由緒ある場所なのである。
 この渓谷を流れる川は天山山脈の雪解け水が流れ込む時期を除くと、ほとんど水は無く、川床には結晶した塩が白く残っており、異様な景観をなしている。 バスは渓谷の景観がよく見えるビューポイントを探すと路上に再び臨時停車した。
 
 渓谷を見渡せる崖の上に立つと、このような厳しい自然の道なき道を歩き、天竺(インド)から仏典を持ち帰り、仏教の興隆に大きな足跡を記した玄奘の偉大さにあらためて頭が下がる思いがした。玄奘三蔵が天竺へ行くとき通った塩水渓谷

 このような偉大な先人の筆舌に尽くしがたい艱難辛苦の旅を経て、仏教がシルクロードを経由して広まっていったのである。
 いま私達はゆかりの場所に立っているのである!まさにロマンではないか!

 
 ラクダとバカ女

快適な砂漠のハイウェイ
 バスは玄奘三蔵ゆかりの塩水渓谷を抜けると、間もなくデコボコ悪路は砂漠の快適なハイウェイに変わった。 道路脇にちょっとした小山がある場所でバスを止め、1回目の青空トイレを済ませ走っていると何と!道路の両脇にラクダの群れが現れだした。 柵も何もない荒涼とした砂漠で放牧されているようだ。 逃げてしまうこともせず、のどかに群れをなして道路周辺のラクダ草を食んでいるではないか。

ハイウェイの前方にラクダが見えだした

 又しても緊急停車を頼むと、ラクダをカメラに収めるために全員が下車した。 すると、私達が停めたバスの前にはタクシーが1台停まっており、観光客らしき若い女性二人が、私たちに先駆けてラクダの傍で写真を撮っているではないか。
 私達もラクダの群れに近づいてカメラを構えようとしたら何と!この二人組みの若い女、ワァ〜と声を上げてラクダを追い掛け回し始めたではないか。
 ”バカ女”だ!! ラクダは驚いて逃げて行くではないか!。何ちゅうことをするのだ!どうしょもないバカ女に私達全員から非難の声が上がる!

放牧されているラクダ、日本のバカ女がいた
 中国にもバカ女がいるもんだと見ていると、この二人組みラクダを追い掛け回すことに飽きると、私達のバスの前に停めてあったタクシーに戻って行く。 私の傍を通ったとき彼女等の会話を聞いて吃驚した。何と!何と!日本語で会話しながら戻っていくではないか! 中国人だと思っていたバカ女二人組は日本人だったのだ!。 唖然として声も出ない!。
 
 それにしてもこの二人組み豪勢なものだ。 タクシーを貸切りガイドを引き連れ旅をしているのだ。 しかもシルクロードエリアの中では、あまり日本人観光客が来ない西域クチャの郊外まで来ているのである。
 彼女達もこれから私たちが訪れようとしている「キジル千仏洞」に行こうとしているのだろうか?。 シルクロードに思いを寄せる同じ日本からの旅人として、軽率な行動を慎み、教養溢れるオシャレな日本人女性として旅を続けてほしいものだ。 こんな奥地まで女二人でやってくるほどの凄い女性達なのだから!

 仏教遺跡キジル千仏洞

 70キロ少々の道のりを、臨時停車を繰り返しながら2時間半かけて「キジル千仏洞」に着いた。
 新疆ウイグル自治区最大の貴重な仏教文化遺跡で、紀元1世紀〜7世紀にかけて開鑿された石窟は、渓谷の北岸断崖2kmにわたって続いている。 1973年に発見された新1号窟を含めその数は何と237窟にも及ぶのである。
 その内70窟余りが比較的保存状態がよく貴重な壁画が残っているが、悲しいことに塑像はほとんどが破壊されたか、探検隊等などに持ち去られてしまっている。
 渓谷の下から断崖を見上げると感嘆の声が出るほど圧巻である。垂直に近い断崖に石窟寺院があるのである。斜面のいたるところに洞窟が見える、信仰の力がなせる業はすごい!よく掘ったものだ!。
仏教遺跡キジル千仏洞

 千仏洞を見学するにあたっては、カメラやバックは持ち込み禁止ということで、洞窟下の荷物預かり所に2元を払い保管庫に格納してもらうことになった。
 「キジル」「クズルガハ」の両千仏洞を管理している亀慈石窟研究所で受付を済ませると、2名のうら若い女性日本語ガイドが出てきた。 こんな西域奥地の日本人観光客なんてめったに訪れない遺跡にまで日本語ガイドがいるのである、凄いではないか。 
 この彼女達クチャ市内の外国語学校で日本語を学んだということで流暢な日本語を話すのである。
 若く可愛い彼女達にT氏は興味を持ったようで、ひとしきり彼女達の写真を撮りまくっている。遺跡よりも彼女達にすっかり関心を持ってしまっているではないか!。 彼女達にあれこれ話しかけている。 会話を聞いていると日本に帰ったらホームページに貴女達の写真を掲載するので、そのページからダウンロードして自分の写真を印刷しなさいと言いながら、URLを書いたメモ用紙を渡しているではないか。 ちょっと惚れっぽいが、いい人なのである! T氏なりに日中友好をしているのだ。

 破壊のつめ痕

キジル千仏洞

 石窟内が狭くて私達13名が一度に入り切らないということで、2組に分かれ、可愛い日本語ガイドの案内に従って石窟に行くべく崖の石段を登り始めた。
 眼下には砂嵐に煙る赤茶けた渓谷とわずかながら緑も見える。
 千仏洞のそれぞれの洞窟は、僧侶が日常生活を過す僧房窟と、仏像を安置し仏画を描いて信仰の対象とする仏洞とがある。
 私たちはその中から保存状態のよい代表的な6窟を見て廻ることになっている。
 第8窟の前室の天井には千仏画、後室には妓楽飛天図・第17窟の菩薩天井窟には正面に釈迦像、壁面には釈迦の生涯を描いた画・32窟では釈迦の善行と因縁説話などの壁画を、若い女性ガイドの懇切丁寧な日本語での説明を聞きながら、石段を昇り降りしながら見て廻った。
 これらの石窟に描かれていた「五弦琵琶」や「ひちりき」と全く同じものが奈良の正倉院にあるのである、古代の日本がシルクロードで西域とつながっていたことの証明ではないか。日本の文化はシルクロードと密接に結びついているのだ。
 キジル千仏洞の東側斜面

 しかし、これらの石窟を見学していてる私達の気持ちを暗澹とさせることがあった。 どの石窟も描かれている壁画の釈迦や菩薩をはじめとした人物の顔の部分が、全て無残にも削り落とされているのである。 意識的に顔の部分だけが、人間の手によって破壊された痕跡が、どの石窟にも残っているのだ。 仏像にいたってはことごとく破壊され、仏体らしきものはどこにもなく、一つの仏像も拝むことができないのである。あまりの破壊に唖然とする。

 ここまで破壊された要因は、この西域エリアが偶像崇拝を禁止するイスラム教の進出により、イスラム教徒となった住民により破壊されたこと。更にはさまざまな国による探検隊の略奪。これらに加えダメ押ししたのが、毛沢東による破滅的な文化大革命での紅衛兵による徹底した文化遺産の破壊だった。
 世界に誇るべき貴重な仏教文化遺産が、愚行により無残な姿をさらしているのである! 私達はこの後も旅を続けシルクロード各地に点在する仏教文化遺産を拝観する予定なのだが、いずれもこのキジル千仏洞と同じ状態になっているであろうことは想像がついた。

 中国らしいハプニングその1


まさか!宿泊予約したホテルに泊まれない

 暗澹する思いで千仏洞の見学を終えると、時刻はすでに13時を過ぎている。千仏洞の敷地内にあるレストランでの昼食タイムとなった。
 レストランの方へ向かって歩いて行くと目の前に素晴らしいポプラ並木の景観が広がってきた。北大のポプラ並木が恥ずかしくて顔を伏せてしまいたくなるほどの美しい並木がずっと続いている。皆が素晴らしいと言いながら一斉にシャッターを切る。
どこまでも続く美しいポプラ並木

 昼食を終え次ぎの観光「クズルガハ千仏洞」への出発を前にして、レストラン前の駐車場にある公衆トイレに入って驚いた!何と!真ん中をくり抜いた椅子が便器の穴をまたぐように置いてある。手製の洋式トイレなのである。
 今まで何十回も中国に来たが、ニーハオトイレで洋式を見たのは初めてである、しかも手製だ。 面白半分試しに座ってみたが腰の位置が高く、椅子の脚がズレて穴に落ちそうになったのであわてて立ち上がった!使うにはかなり度胸が必要だ!しかも下痢気味の場合使用するとあたりに飛び散るシロモノではないか。

公衆トイレで見かけた洋式ニーハオトイレ
 トイレを済ませ外に出ると、添乗員のN女史が「佐藤さん、ちょっと相談があるのですがよろしいでしょうか」と言いながら近づいてきた。 「何ですか!」と私が言うと、N女史「明日のケリヤの町で宿泊するホテルの件なのですが、困ったことが発生しました!」「予約してあった私達の部屋がキャンセルされ泊まれなくなりました!」と言うではないか!
 私「どうして?」N女史「急遽地方政府関係の会議が、私たちが宿泊するホテルで開催されることになり、全室明け渡しを命じられたようなのです」と言う。 私は中国側旅行会社の手配ミスではないかと疑ったが、N女史は真剣な表情をしている。
 私「まさか!そんな事、急に前日になって会議が入ったなどと言ってくるのおかしいじゃない!ありえないでしょう!」N女史「本当なのです」「今、代替のホテルを必死になって探しております」「ご迷惑をかけますが皆さんにはどのようにお伝えしましょう?」と言うのである。

 私達は万が一の緊急連絡に備え、中国での宿泊ホテルと電話番号を自宅や家族に残してきている。 ホテルが変更になるならその旨、家族に連絡をしなければならない人もいる。
 私はN女史に「代替ホテルが見つかったら、私から皆さんに事情を説明して了解をいただきますので心配しないで!」と返答した。
 それにしても中国らしいハプニングではないか! かって私も一人旅をしているとき、予約していた田舎町ホテルにやっとの思いでたどり着きチェックインしようとすると、何と!予約を受けていないと頑強に否定され、停めてもらえずホテルを追い出されことがある。
 しかたなく別なホテルを探して街をさ迷い歩いたが、どこも満室でとうとう駅前広場で野宿した経験があった。話を聞いた瞬間その時のことが脳裏に浮かんだ。
 こんなことに驚いていたら中国なぞ旅ができぬ! 常識は通じぬし、官僚は好き勝手し放題、何でもありの国なのだ!。

クズルガハ千仏洞

青空トイレ、シニア男の背中には人生の悲哀が漂う
 私達を乗せたバスは次ぎの観光先の「クズルガハ千仏洞」に行くべく、クチャ方面に向かって、もと来た道を戻り走り始めた。
 バスにはキジル千仏洞で案内してくれた可愛い日本語ガイドが同乗しており、次の千仏洞も彼女達がガイドしてくれるのだ。
 2時間近く走り「クズルガハ千仏洞」に近づいてくると、手前の砂漠でバスは臨時停車した。 
 千仏洞にはトイレがないのでここで青空トイレを済ませるのである。 男性はバスの進行方向の左手、女性は右手と分かれ適当な場所をさがして狙いを定めると用をたし始めた。 久しぶりの水分を乾燥した大地は瞬く間に吸い込い込んでいく。
 気持ちよさそうに立ち並び放尿をしている仲間を見てると、こころもちうつむきかげんの背中からは、人生の折り返し点を過ぎたシニア男の悲哀が漂っているいるではないか。 
クズルガハ千仏洞
 「クズルガハ千仏洞」に着いた。ここはクチャ市内に一番近い渓谷の岸壁や谷の上にある石窟群で、2世紀〜7世紀にかけて46窟が開鑿され、そのうちの11窟に壁画が残っているのである。クズルガハ千仏洞

 しかしここもキジル千仏洞と同様、石窟内部はかなり破壊されていまい、岸壁の最前列にある6窟のみが見学に耐えうる状態になっている。 
 ここもカメラ撮影禁止ということで、遺跡の外にあるゲート付近でしか千仏洞の景観をカメラに収めることしかできない。 
 ゲートに近づくと日干しレンガのみすぼらしい番人小屋があり、ウイグル族の老人が塀の上に座りじぃ〜っと私達を見つめている。年中電気も水道ない小屋に住み込んで番人生活をしているのだ。キジル千仏洞ウイグル族の番人


 再びキジル千仏洞で私達のガイドをしてくれた女性ガイド二人の案内で遺跡の中に入っていく。
 ここクズルガハ千仏洞は、ほとんどが僧房(僧侶の住居)窟跡で、”かまど”など当時の生活の痕跡は残っていたが、仏像壁画の顔の部分は全て削り剥ぎ取られ無残なものだった。
 一生懸命説明してくれる可愛い女性ガイドもすまなそうにしている。
 荒涼とした渓谷の遺跡には、観光客といえば私達以外誰一人もいない! 日本ではシルクロードと言えば一種の憧れの地だが、中国人にとってはマイナーな観光地で人気がないのであろうか。 それを裏付けるように、ガイドによると一番多くここに来る観光客は日本人とのことであった。
 千仏洞内部の見学を終えて帰るとき、再び番人小屋の前を通りかかると、何と!さきほどの番人が来た時と同じ姿勢で塀の上に座っているではないか。1時間も同じ姿勢で固まって動かないのだ。

 中国らしいハプニングその2

まさか!バスが故障した!

 見学を終えバスに戻ると時刻はすでに16時半になろうとしている。これから30ほど走りクチャの街でバザール散策である。
 バスが動き出した、ところがいくらも走らぬうちに停止してしまった。 すると運ちゃん、道具箱からスパナを取り出すや運転席の下に顔を突っ込み何かガチャガチャやり始めたではないか。 「どうした!」と聞くとクラッチの調子がおかしいと言う。直るのを待っていたがエンジンを切って修理しているため冷房が効かず車内温度が上がりだした! 暑くてたまらぬ!私が「直るまで車外で待っている」と言うや、バスから降りると、皆もゾロゾロ降りてしまった。
ここでバスが故障して砂漠で時間つぶし


 荒涼とした砂漠で、わけの分からない草やトカゲを発見したりして時間つぶしすること半時間、やっと修理OKとの合図で乗り込むと再びクチャ市内にむけ走り出した。 
 このバス昨日はドアの故障で遅刻到着し、今日はクラッチの故障である。 明日はこの頼りないバスで、タクラマカン砂漠を縦断すること800Kmを走るのである。 大丈夫だろうかという不安が胸をよぎる。 そんな思いで乗っていると、バスはクチャ近郊の農村集落にさしかかったところで何と!又してもストップするではないか! 運ちゃん再び運転席の下に顔を突っ込みクラッチをいじり出した!。 
のどかな農村で又バスがストップした


 中国人添乗員の可さんが申し訳なさそうな表情で言った!「すみません!直るまでバスから降りて待っててください!」 冗談でない!私達はあきらめの気持ちでバスを降りた。
 ところが、この修理タイムが怪我の功名みたいなもので最高の観光タイムとなったのである。 
 バスが停まっている場所は、日干し煉瓦の農家が建ち並び、ポプラ並木の道をロバ車が行き交う、まさにシルクロード情緒溢れる農村なのである。とことこロバ車が通る


 ポプラ並木の彼方からロバ車がトコトコやって来ると、皆一斉にカメラを構えシャッターを切る。 S氏やT氏夫妻などは通り過ぎたロバ車をカメラを抱え追いかけ走ってまでいく始末だ。 
 次から次ぎえとやって来るロバ車をこんな調子でカメラを向けるものだから、ロバ車の農民、吃驚唖然とした表情をしているではないか。
 
 私はとある農家の中の様子を見てやろうと思い、門扉に近づき隙間から覘こうとしたら、突然中から扉が開きウイグル族の顔立をした家の主人らしき中年男性が顔を出した。
 私はあわてて「旅をしている日本人です、写真を撮らせていただけませんか?」と北京語で言った。 すると意味が理解できたのか無言のまま中庭に招き入れてくれるではないか。 
 ここは新彊ウイグル族自治区である!住民の90%以上がウイグル族で日常会話はウイグル語なのだ。
 旅仲間がゾクゾクと中庭に入ってきて写真を撮るのだが、主人は一言も発せずジーッと不思議なものを見るような目つきで私達を見つめている。 
 農家の中庭にはブドウ棚と絨毯

 住居の中庭にはぶどう棚があり、その下には絨毯が敷かれ、くつろぎの場所になっている。 
 酷暑地帯の雨の降らないシルクロード特有の住居仕様だ。
 主人が手招きするのでついていくと、道路を渡った所にある羊を飼っている畜舎内まで見せてくれるではないか。
 あまりに好意的なウイグル族の主人の対応にN女史が感謝の気持ちの心付け(中国元)を渡そうとしたが、手を振って絶対に受け取ろうしない。 現金収入なんてほとんど無い、自給自足に近い生活をしているはずだが、謝礼の受け取りを拒否するのである、民族としてのプライドは高いのだ。 渡そうとしたこちらが恥ずかしくなるような一コマだった。
 正にTVで見たと同じシルクロードエリアに暮らす住民や農村風景を楽しむことしばらく、やっと修理したのでバスに戻れとの呼びかけにバスに乗り込むと、再びクチャの市街地に向け走りだした。

 クチャのバザール

庶民の買い物の場バザール
 バスはクチャ市内に入りバザールが開かれている場所に着いた。想定外のバスの故障のため大幅に遅れ、時刻はすでに18時をかなり過ぎているが、まだ日没まで2時間もある。 
 市内を流れるクチャ河に架かる橋の両脇にバザールがあるのだが、ウルムチで散策した観光客向けのバザールと違い、ここは地元の住民が日常生活のために利用する本物のバザールだ。
バザールを自由散策する

 全員が連れ立って橋の手前のバザールに入ってくと、野菜を積んだロバ車、地べたに果物を並べて売る人、シシカバブを焼いている屋台、主食のナン(小麦粉で焼いた座布団のようなパン)を売る屋台などが、狭い広場にごちゃ混ぜで並んでいる。 
 私達は全員カメラを持って散策をしてる。そんな私達が売り手と買い手が賑やかにやり取りしている場面にさしかかると、誰もが一瞬会話が止まり吃驚した表情をするではないか。 そりゃそうだろう!こんな田舎のバザールに来る外国人なんてめったいるもんじゃない。バザールでの羊肉吊るし切り


 バザールの雰囲気を皆で確認すると自由散策タイムとなった。 集合時間を決め、バスが待機する場所を橋の向こう側にあるバザールとした。それぞれが思い思いに焦点を定め自由に散っていく。
 N女史より話しかけられた。
明日ケリヤで宿泊する予定だったホテルの代替ホテルが見つかり、部屋が確保できた旨の報告だ。
 私は今夜の夕食の席上で旅仲間にホテル変更の事情説明して了解を得ますと返答をすると、橋向こうのバザールを散策すべく歩き出した。バザール主食のナン売り屋台が多い


 
 クチャ川橋を渡るとモスクがあり、それを取り巻くようにバザールがある。ちょうど夕食の買出し時間なのだろうか!どこもかしこも黒山のような人だかりだ。
 スイカを路上に積み上げた店、羊肉の吊るし切りの店、野菜や果物の屋台、なかでも「ナン」を売る屋台の多いこと!圧倒される。 さまざまな形や大きさの「ナン」が屋台の上に積み上げられている。 

シルクロードに来なければ見ることのできない熱気溢れる庶民のバザールだ。
 あっと言う間に自由散策タイムが終わりバスに戻る時間となった!旅仲間全員がもっと散策時間がほしいという顔つきをしている。 バスの故障による時間の大幅ロスがくやしい、本来ならもっと散策時間がとれたのに。

 夕食と民族舞踏

 ホテルに戻るとすぐ夕食の開始となった。今日は夕食後、私達の宿泊しているホテルで民族舞踏団が出張公演をしてくれるのだ。 そんな楽しみを胸に夕食が始まった。
 今日の夕食も豪華だ!昨日と同様品数がすごい!15〜16品がテーブルに運ばれてくる。しかも昨日と料理の内容が変えてあるではないか。 皆が味付けも昨日に比べ美味しいと言う。日本食のような「茹で素うどん」が旨かった

 出された料理の中でも特に好評なのが「皿に盛られた茹でうどん」だった。日本の「さぬきうどん」のように腰が強く粘りがあるのである。
 毎日が油っこい中華料理ばかりだけだっただけに、あっと言う間に食べ尽くしてしまい全員がもの足りない顔をしている。誰かがお替りをほしいと言うと、添乗員のN女史が打てば響くようにレストラン側と交渉して追加お替りを出してくれた。さすが世界紀行の添乗員だ!行動が早い。
 私も日本から持参した”キッコーマン醤油”を「茹で上がったばかりの素うどん」にかけて食べたが、これがメチャ旨い。久しぶりの日本食のようなサッパリした味に胃袋が喜んでいる。

 この夕食席上で私は皆に明日の宿泊予定ホテルが、中国側官僚の横暴でキャンセルされ、急遽宿泊ホテルを変更せざる得なくなった事情を説明し了解をお願いした。
 ところが話を聞いて皆、吃驚するかと思いきや、さすが旅なれたSSNの仲間ではないか!一言の不満も言わず了解してくれた。皆大人だ!こんなことに吃驚などしていたら中国旅行など出来ぬのだ。N女史も安堵と感謝の表情をしている。
 しかし、今日の夕食は皆会話が盛り上がらず酒もほとんど進まない!旅も4日目の夜に入り皆疲労がピークに達しつつあるようだ。
 ウイグル民族歌舞団の踊り

 早々に夕食終をえると、ホテル敷地内にある別棟のステージ付宴会場に向かった。 これからクチャの民族舞踏団による歌舞を観賞するのである。 会場に入るとすでに幾つかの中国人グループが先着しており賑やかに飲食している。
 彼らの好奇の視線を浴びつつ私達はステージ真正面の最前列に用意されたテーブル席に案内された。私達だけの為に特別に用意された席だ。 その特等席に私達が座るのを待っていたかのように、中国人グループも私達のそばの空いている席へ移動してきた。 ところがこの連中が凄い、一様に日本製高級一眼レフカメラを持っているのである。 私達旅仲間が持っているいるものより更に上級機種のもので、見た目にも高価なものまである。
 連中の会話を聞いていると広東語のようなので、中国で最も経済発展著しい広東省の広州エリアからやってきた超裕福な連中らしい。 
漢族の顔立ちとは全然違うウイグル族

 席に落ち着くや大音響の民族音楽が会場内に流れだした。歌舞の開始だ!30名ほどの男女混成舞踏団がステージいっぱいに広がった。 顔立ちが漢族とは一見して違うウイグル族による、動きの早い切れのよい踊りが次々と上演されていく。
 私達も中国人もカメラのシャッターを押しっぱなしで、あっという間に1時間ほどの民族ショーが終った。 すると、踊り子達が今度はわざわざステージを降り私達の席に来て愛想を振りまき、記念写真にまで応じてくれるではないか。 今夜も大満足の一夜が過ぎようとしている。

 部屋に戻りシャワーを浴びると、今夜は部屋での二次会はせず就寝に着くことにした。
風邪の症状に加え砂嵐と乾燥した気候でますます咽喉が痛くなっている。
 何よりも明日はバスで長距離移動だ!800Kmも走りタクラマカン砂漠を縦断するのである、体力を温存せねばならぬ。 風邪薬を飲みベットに入るや瞬く間に眠りに入ってしまった。 

第5編 冗談じゃない!タクラマカン砂漠のど真ん中でバスが故障した!つづく

中国国内で使った小遣いを記してみます。
(中国通貨1元を日本円換算15円で計算しました)

(本日の出費)
昼食レストランでのビール 1本  15元(225円)

夕食レストランでのビール 1本  15元(225円)

ミネラルウォーター    1本   2元 (30円)

 小  計            32元(480円)

今日まで4日間の累計出費  114元 (1710円)