天山山脈麓の大都会ウルムチ・中国のスイス天池・これが楼蘭美女のミイラか!

シルクロード旅行記・ 旅の2日目

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  旅2日目 ウルムチのホテルにて

昨日、ウルムチのホテルにチェックインした頃はすでに日付が変わり、旅の2日目(本日)となる午前1時となっていた。 虚弱体質の私はメチャ疲れていたが、まだ就寝に着く訳にはいかない。 旅行ケース中身の仕分け作業をせねばならないのである。 
 なぜなら、今日の予定は、天山山脈中腹にある「天池」とウルムチ市内観光を済ませると、22時50分発の南彊鉄道寝台車(シルクロード列車)に乗車して、砂漠のオアシス都市「クチャ」まで移動することになっている。。 
 しかし寝台車は4人定員のコンパートメント(個室)なので大型旅行ケースを4個も入れることができない。 必要な身の回り品だけを持って個室に入り、旅行ケースはチッキとして赤帽に預け降車地のクチャで受け取ることになるのである。 その為、身の回り品を小分けして小型バックに詰め替える作業を就寝前にしておくのだ。

朝8時過ぎホテルの部屋から眺めたウルムチ

日本からペットボトルに入れ替えて持参した焼酎を、相部屋のJ氏と飲みながら作業を始めた!
 二人とも飲兵衛なのである。 J氏とはよく一緒に酒を飲む親しい友人なのだが、SSN会員の中でも、名うての酒豪で、私なんか足元にも及ばない。 何しろ、肝臓の機能強化に効き目が高いといわれる「ニュージーランド産、深海鮫エキス」を飲みながら、グイグイ酒を飲むのである、とてもかなうわけがない!。 身体の弱い私は今回の旅行期間中、その「深海鮫エキスのカプセル」をJ氏から毎日お裾分けしてもらいながら、彼の晩酌に付き合うつもりでいるのだ。 それやこれやでベットに横になった頃はすでに午前2時となってしまった。

 目覚め

 疲れているからすぐ眠れるかと思ったが、なかなか眠りに入ることができぬまま、ウトウト寝返りを繰り返している内に午前6時になってしまった。そろそろ起床せねばならぬ!   
 隣のベットに寝ているJ氏も同じく寝つかれないようで、私が起床するのを待っていたように起き出した。わずか4時間ほどベットに横になっていただけだった。 
 バタバタしていると7時のモーニングコールが鳴った!電話口から「お早うございます、今日もよろしくお願いします」と添乗員のN女子の優しい声が聞こえてくる。 毎日必ず彼女が自から、全員にモーニングコールをしてくれるのである、これが世界紀行添乗員ポリシーの一つになっているのだ。(世界紀行を少々持ち上げてているが、決して親戚でもないし、宣伝料をもらっている訳でもない!)

 部屋の窓のカーテンを開けてみた、7時なのに外は真っ暗でないか。 ホテル出発は9時である 8時の朝食時間が来た頃になって、やっと明るくなってきた! やっぱり西域なのだ。  
 日本と中国の標準時差は1時間だが、これは北京時間を標準としたもので、広大な中国の西域の新彊ウイグル自治区まで来ると、もっと大きな時差が必要になるようだ。 ここ現地の人々は1時間時差の北京時間とは別に、3時間時差の新彊時間を日常生活時間にしているとのこと。

 ホテルを出発

 出発時間より30ほど早くロビーに降りると、すでに全員が出発を待ちかねて玄関前で写真を撮りあったりしている。 


雨も止み、雲一つない快晴である。 天気予報によると日昼の気温は22度とのことで、さわやかな一日になりそうだ。


出発を前にして玄関前にたむろしている
 玄関前に待機していた33人乗りの新型バスに乗り込む前に、添乗員のN女子より私たち13名のグループ分けが発表された。 
 ABC3つのグループに分けられ、これから毎日乗るバスの座席順が替わるのである。  
 座席で不公平が起きぬようにするため、前方席、中間席、後方席に区別されABCグループ毎に、毎日座席が入れ替えられることになっているのだ。 
 
 出発の時間がきてバスに乗り込んだ。私はB班で今日の座席は中間席である、それぞれ一人ずつ2座席を占有して席に着いた。一人で2座席占有は長距離移動にとってありがたい。 バスが動き出すと、昨夜空港で出迎えてくれたウルムチの中国側元請国際旅行社の添乗員が、流暢な日本語で自己紹介を兼ねて挨拶を始めた。 何さんという名前の若い女性で、旅も終りの10日後に再びウルムチに戻って来るまで、ずっと私たちと行動を共にするのである。彼女の説明によると、ここ新彊ウイグル自治区の区都「ウルムチ」はモンゴル語で”美しい牧場”という意味とのこと。

朝のウルムチ市街

 きょう最初の観光は、ウルムチから100kmほど離れたところの天山山脈の中腹にある景勝地「天池」である。  バスはやっと明るくなりだした西域の大都会ウルムチを抜けて高速道路に入った。 こんな最西端の奥地まで、高速道路網が急速な勢いで整備されだしている。 日本なら5年がかりでやるようなインフラ整備事業も人海戦術で1年もしないうちに完成させてしまうのだ。

  天山山脈

 やがてバスの車窓から彼方に天山の山並みが見え出した。 天山山脈はタクラマカン砂漠の北及び西のカザフスタン、キルギスタンなど中央アジアの国々との国境地帯にある山脈で、南はパミール高原に連なる大きな山脈である。 
 シルクロードはこの天山山脈を挟んで南側が「天山南路」、北側が「天山北路」に分かれているのである。 さらに天山南路はタクラマカン砂漠を南北に迂回するように分岐し、北が西域北道、南が西域南道と呼ばれているのだ。(マップ参照)

      西域シルクロードマップ・青点線ルートを汽車とバスで移動した。


天山山脈からの雪解け水が流れる渓流
 今回の「西域シルクロードの旅」は、この天山南路の西域北道と西域南道の両方を汽車やバスで移動していくのである。
 バスは高速道を1時間ほど走ると、天山山脈に向かって伸びる一般道にハンドルを切った。
 天山山脈の雪解け水が流れる渓流沿いの道を進んで行くと、道路わきの林の中にゲオ(テント式住居)が、あちこちに見えるようになってきた。 この山麓一帯は少数民族カザフ族が遊牧生活を営んでいるエリアなのだ。 
 
 

天山山脈の天池へ登っていく
ガイドの説明によると、今はこの景勝地「天池」周辺に住む大半のカザフ族は遊牧生活をやめてしまい、住居を観光用ゲオとして、土産物店や民宿を経営してるとのことである。車窓から見えてるゲオは大半が観光用なのだ。
 道路はくねくねと曲がった登り坂に変わった。バスは対向車線を下りてくる車が来るたびに、停まること繰り返しつつ登って行く。やがて車窓からは天山の美しい峰々が見えるようになってきた。


 中華民族の悲しい性(さが)と官僚天国

 バスは景勝地「天池」の麓にある第一駐車場に入り込んだ!ここから一般車両は先に行くことができない。すでに駐車場は観光バスや乗用車で満杯状態になっている。 ここからは入山料を払い、公園専用のマイクロバスを乗り継ぎ、ビューポイントの湖近くまで登って行かねばならない。 

天池の麓にある満杯状態の第一駐車場
 専用マイクロバスに乗車するためのゲート前は、すでに中国人観光客で黒山のようである。列を作らず団子状態なり先を争ってバスの乗ろうとしてワイワイやっている。 中国に来たらどこででもお目にかかる毎度の光景で、中華民族特有のマナーの悪さだ。 
 
 中国政府もオリンピックを契機にこのマナーの悪さを直そうと、「入場ゲートやバス停では列を作ってきちんと並べ!」「路上では唾、痰を吐くな!」などマスコミを総動員して一大キャンペーンを展開しているが、中国4000年の歴史で培われた世界に名だたるマナーの悪い民族の悲しい性(さが)である。 そう簡単に直せるわけが無い!。
 私達のグループは、黒山の中国人観光客の後ろにキチンと2列に並んだ。私達は日本人なのである!世界で最も礼儀正しく行儀のよい民族なのだ!中国人の真似なぞできぬ!。
 あまりにも整然と並んだので、周囲からすっかり浮いて見えてしまった!ワイワイやっていた中国人が一瞬黙りこくったではないか!
 
 しばらくして、私たちの乗車する順番がきたが、グループが分断され2台の専用車に分かれての乗車となった。 補助席まで出した超満員状態で再び山道を登りだすと、時おりクラクションを鳴らし猛烈な勢いで私達のバスを追い越していく黒塗りの乗用車がある。 ここより先は一般車両は進入禁止のはずである。
 これが悪名高い政府官僚や共産党幹部を乗せた公用車で、中国の観光地どこにに行っても見かける光景なのである。
 公用車を私的観光に使い、入場料を払わず、進入禁止でも特権階級を振りかざしてフリーパスで、まさに傍若無人に振舞う、たちの悪いお役人様なのである。
 
 パトカーが先導していないので、精々地方政府の木っ端役人か共産党地方支部の主任クラスの車に違いない。(高級幹部はパトカーが先導する) この種の役人連中は金は持っていないが、権力だけは持っているので、自分は勿論、家族や知人友人のために、役人権力を私的にフル活用するのである。 
 地方における許認可案件はこの種の連中が実権を握っており、何かやろうとすると必ずワイロを出さないと一切前に進まないワイロ天国なのだ。

 一党独裁の弊害による典型的な役人天国の官僚社会になっているのだ。(注、これはあくまで中国における話し) 中国の役人にこんなことを書いる私のHPの内容を知られたら、中国旅行中に公安警察につかまり二度と日本に戻れぬかもしれない。何でもありの国なので恐ろしいのだ!気をつけねばならぬ。

天池の第二駐車場に着いた、背中が私

 ところが、これが何と!この後旅をつづけて5日目に、この種の地方政府役人のために、私達が泊まるホテルの部屋を全部没収されてしまい、急遽空き部屋のあるホテルを求めて探し回ることになるとは、この時夢にも思ってみなかったのある。(このハプニングは旅の5日目の編で触れる)
 話は戻る! バスは天池の湖近くの第二駐車場に到着した。 
目的の「天池」は、まだもう少し先だ。ここからは湖まで徒歩で登って行く人と、小型電動カーに乗り換えて登って行く人とに分かれる。 

電動カーに乗車、天池まで

 
 私たちはシニアである、無理をせず再び電動カーに乗り込み、登って行くことにして8人乗りの電動カーに乗り込んだ。紫外線が強いので皆サングラスを掛けだした。 トコトコと電動カーが山道を進む、やがて目の前が開け、大きな湖と万年雪をかぶった天山の峰々が目に飛び込んできた。
 砂漠地帯の西域で天山の中腹2000mのところに出現した大きな湖に皆から歓声が上がる。

 中国のスイスと呼ばれる「天池」

 ここ「天池」は天山山脈ボゴダ峰の中腹、海抜1980メートルの地点にある。 四方を緑豊かな針葉樹林に囲まれ、湖の奥にひと際高く万年雪を頂く5445mの「ボゴダ峰」が見える。 山を中心とした青と緑のコントラストは美しいの一言につきる。

天池から望む5445mのボゴダ峰
 中国人はここを「中国のスイス」呼んで自慢してる。私の目から見れば、そこまではチョットという気もしないでもない!スイス人にしてみれば有難迷惑なことだろう。

 湖畔近くまで降り、前方に広がる湖とボゴダ峰を見ながら遊歩道を、遊覧船乗り場まで進んでいく。 それにしても観光客が異常に多い! 湖畔の広場や遊歩道はどこもかしこも人だらけだ。美しい景観をカメラで撮ろうとするのだが、人が邪魔してなかなかシャッターが切れぬではないか! 6〜7年前にも一度ここに来たことがあるのだが、その時は静寂さが漂う秘境の趣きだった。 それが急激な経済発展と共に旅行ブームが起こり、今中国の観光地はどこに行っても人だらけになってしまった。

ボゴダ峰の中腹1980mにある天池

 今回のシルクロードの旅のコンセプトの一つは「手付かずの自然が残ってる」であった。これが最初の観光地から崩れ去ってしまった! 旅の企画にいくらか責任がある私としては立場がない!取り返さねばならぬ。
 ゾロゾロと人垣に押されるようにして遊覧船乗り場に着くと、中国人客と入り混じって乗船した。 
 遊覧船が湖を進み、マイクを持った女性ガイドの説明が始まった。熱心にあれこれガイドしてくれるのだが、私以外は皆聞いてもチンプンカンプンである。 日本人の私達だけがガイドの説明を100%無視した行動で、狭い船内をシャッターを押すのに夢中になって動き回っている。
  
少数民族カザフ族の踊り

1時間弱ほどの遊覧を終え専用電動カーが待機している広場まで戻っていくと、広場の奥のほうに黒山の人だかりが見え独特の音楽が流れ聞こえてくる。 
 出発時間まで少々時間があるので、何だろうと近づき覗き込むと、美しい民族衣装を着たカザフ族の女性が踊りを舞っている。 

  冷えたビール 

時刻はすでに午後1時になろうとしている。 天池の観光を終えると、次ぎはウルムチ市内観光である。 バスは麓まで下り、来る時に車窓から見えたカザフ族の観光用ゲルが立ち並ぶ一角にあるレストラン前に停まった。 ここで昼食をとるのである。 
 二つのテーブルに分かれて席に着くや、旅行会社のサービスで各テーブルに4本のビールが置かれた。 どうせ”温い”ビールだろうと思い手で触れてみると何と!キッチリ冷えているではないか!こんな奥地で冷えたビールにありつけるとは!ビックリしたのと同時に嬉しさのあまり感動が広がった!ラベルは「天山ビール」だ。 
 今回の旅の男性グループは、結構酒がいける人が多い!乾杯とともに、またたく間にサービスビールを飲み干してしまった。 私を含めJ氏やM氏は、もの足りなさそうな顔をしている。

天地の麓のレストランで昼食

 私が小姐(女性従業員)を呼び追加ビールの値段を聞くと1本15元(225円)だという。
 正規料金よりかなり高いボッタクリ料金だ。 中国側旅行社とレストランが結託して別料金にしているのだ。レストランのメニュー表を見ればすぐ分かる。 
 昨年は杭州のレストランで、ピンはねが我慢できなくなり、ぷっつんして喧嘩となってしまったのだが、今回は皆に不快な思いをさせるわけにいかないので黙っていることにした。
 
 私が皆にむかって「追加ビールは1本15元です、追加注文しますか?」と聞いてみると何と!皆から手がわっと手が上がるではないか!昼から宴会みたいになってしまった。
 中国のビールは日本に比べアルコール度数が低いので、ミネラルウォーター感覚で飲めるのだ。 それにしても皆テンションが高い。これから旅の期間中、毎日こんな調子で昼から飲むことになりそうだ。

 ウルムチ市内観光
 

 新彊ウイグル自治区博物館

 私達を乗せたバスはウルムチ市内に戻ると、まず新彊ウイグル自治区博物館へ入った。ここにはタクラマカン砂漠の楼蘭遺跡で発掘された「楼蘭の美少女ミイラ」が眠っているのである。 発見された当時、世界的大ニュースとして日本でも大きく報道されたことがある。
 真新しく巨大な建物で、入館料は一人30元(450円)と中国の物価を考えるとかなり高いが、館内はかなり多くの入館者で混み合っている。
 
 日本語がメチャ上手な若い男性館員に案内され、石器時代から中国各地で発掘された歴史的展示物を見て歩き始めた。館内は一切撮影禁止である。
 それぞれの展示室の隅には監視員が目を光らせおり、とてもカメラを取り出して撮影なぞ出来ない。 ところがである、照明を落とした薄暗い館内のあちこちで、時おりカメラのフラッシュ閃光がぱっと光るのである。その度に監視員はあわててフラッシュの閃光が光った場所に駆けつけ、シャッターを押した犯人を探すのだが、館内は混み合っており犯人を発見できず、ウロチョロすることを繰り返しているではないか。 私はこの犯人さがしの追跡劇が面白く、熱心に展示物を説明する館員をよそに、監視員の動きばかり見ていた。

 私以外の旅仲間は、真面目に館員の説明を聞き、ウンウンうなずいている。 S氏などはメモ帳を広げ熱心に書き込みまでしているではないか。 彼は最近、私と同様の病気「中国病」に感染してしまったのである。 
 札幌では秘かに中国語の学習も始めるほど重症化しつつあるのだ。 それだけに今回の旅にかける思いは半端でないのである。
 いよいよ楽しみにしていた2階のミイラ展示コーナーにまで上がってきた。何と!いたる所ミイラだらけである。
 
 館員が次々と展示されているミイラの由来を説明しながら、私達をコーナーの奥へと案内する。 とうとう「楼蘭美女のミイラ」が展示されている前に来た! ガラスケースの中に眠るミイラを見て、全員から「これがあの楼蘭美女かぁ〜」と歓声が上がる。
 肌色は黒くなっているが、まだ肌には艶があり弾力が残っているように見えるではないか。 しばし感動の対面をすませると、博物館を出て、次の観光場所「紅山公園」に向かった。

 ウルムチのシンボル紅山公園

 世界でもっとも海から遠い(内陸に位置する)都市として知られるウルムチ。西域エリアの政治、経済、文化の中心地となっており、人口160万人を数え、漢族、ウイグル族、カザフ族、モンゴル族など42の民族が暮らす大都会だ。
 この地域は、古くは遊牧民族の支配下にあったが、2000年前の前漢時代に西域都護府が開設され、初めて中国王朝の支配下に入った。その後、遊牧民族との間で幾多の領土争奪戦が繰り返され、都度、独立国家が建国された歴史を持つエリアなのである。

紅山公園から望むウルムチ
 
 今は経済発展著しい大都会に変貌したウルムチ市民の憩いの場になっているのが、標高934mの紅山にある「紅山公園」。 
 ただの公園だが、ウルムチ一高い場所にあるので、展望台からウルムチの全景を望むことが出来るのである。
 褐色の岩肌がむき出しで山頂から突き出したような岩山の展望台に着いた。目の前の展望が開け高層ビルが林立するウルムチ市の全景が目に飛び込んできた!圧巻である。 
 中国で最も辺境の地にあり、経済発展から取り残されていた西域の町が、いつの間にか近代的な大都市に変貌しているのである。
 この新彊エリアのタクラマカン砂漠があるタリム盆地から石油が発見され、石油生産のためのインフラ投資とオイルマネーが、この町をここまで急激に変貌させたのであろうか? 

 バザール

 
バザールの建物
紅山公園の次ぎはバザールの散策である。 時刻はすでに午後6時を過ぎたのに太陽はまだ高い位置にある。 ウルムチのバザールは、これから西へ旅を進めていく地方のバザールに比べると、観光客を相手にした店が多いのだが、シルクロードのバザールの雰囲気をじゅうぶんに味わうことができる。
 バザール近くの駐車場にバスは停った。 道路の先に幾つもの大型建物が軒を連ね、巨大なショッピングセンターのように見えるのがバザールらしい。イスラム教のモスクのような巨大な尖塔が立った建物もある。

小さな売店が軒を連ねる

 バザールに向かって歩いていると、昨日千歳空港で出会った張(私の中国語先生だった人)さんに、又してもばったり出会うではないか。 奇遇が2回も続き彼とは不思議な因縁で繋がっているようだ。彼らは明日列車でカシュガルまで行くとのことで、お互い旅の無事を祈って中国語で「祝イ尓一路平安!」(旅がご無事でありますように!)と言って別れた。


バザールのドライフルーツ売り場

 デパートのような建物に入っていくと、さまざまな小さな個人経営の売り場がギッシリ並んでいる。特に目立つのは金属加工品、ドライフルーツ、お茶などの売り場だ。皆でさっと一巡すると、待ち合わせ場所を決めて1時間ほど自由散策となった。 
 私が一人で歩き出すと、T氏、J氏、Sさん(さん付けで呼ぶのは女性)と、何となく行く方向が一緒になってしまったので、一緒に自由散策することにした。
 

シシカバブ(羊肉の串焼き)を焼いている
 ブラブラ歩いていると小さな広場がありもうもうと煙が立ち上っている。 近づいて見るとシルクロード名物のシシカバブ(羊肉の串焼き)を、長いコンロでいっぺんに何十本も焼いているではないか。
 旅に出かける前からT氏とJ氏は、シルクロードに行ったら是非ともワインを日本へ買って帰るのだ!と言い続けてきたのを思い出した。
 西域は葡萄の一大産地なので「美味しいワイン」があるはずだと彼ら二人は信じてやまないのである。そのようなことから、自由散策時間を彼等と共に大型ショッピングセンターの地下にある、巨大な面積のスーパーに入り、ワイン売り場で品定めをしようということになった。

日没に映えるバザールの建物
 
 ワイン売り場の前に着いた!ずらっと並んだワインを前に、T、J両氏は不満そうに「試飲をしないと品定めが出来ぬ!」と言い出した! 暗に私に対し「店員と交渉して試飲させろと!」と言ってるようにも聞こえる、私は知らぬふりして無視した。ここはデパートと違う!スーパーなのだ。
 早々にスーパーを出て、軒を連ねる小さな売り場をブラブラ見ていると、やがて集合時間となった。 時刻は午後8時になろうとしている。日没が始まった空にバザールの建物のシルエットが映える。思わずカメラを取り出した。

 夕食レストランの可愛い小姐

 バザール散策で、きょう一日の観光は全て終えた。これからは夕食を済まし22時50分発のシルクロード列車に乗る予定となっている。 
 バザール近くにあるホテルのレストランに入ると、私達は2つの大きな円形テーブルに分かれて席に着いた。若い小姐が次々と料理を運んでくる。全員で乾杯の発声ともに夕食が始まった。 
 例によってテーブルの上に置かれたサービスビールがまたたく間になくなった。私が追加注文希望の方は手を上げてと言うと、昼食会場同様、男性全員からワッと手が上がる。
 これからは一々追加ビールが必要か聞く必要がないようだ。 宴会のような夕食になった(これから毎日このパターンが続く)。 やはり同じ仲間同士のツアーは気さくで気兼ねがないので盛り上がる!これが知らない者同士の一般ツアーではこうならない。
  
ウルムチのレストランで夕食

 おかしなことに気づいた!広い店内が閑散としているのだ。
 客は私達日本人グループだけなのである。 小姐も閑そうに入り口付近にたむろしている。 妙だなぁと思いつつも、これから乗車する寝台列車のことを話題にしながらワイワイやっていると、T氏がここの小姐(女性ウエートレス)全員ずいぶん若くて可愛いね!と言った。 
 私達のテーブルには二人の小姐が担当で、かいがいしく世話をやいてくれるのだが、この小姐が若いだけでなく清純そうでメチャ可愛いいのだ。
 

レストランの可愛い小姐と

 皆で何歳だろう?などと言い合っているので、私が年齢を聞いてみると恥ずかしそうに19歳と答える。
 私の片言通訳で、彼女達をだしにして夕食が盛り上がりだした。 
 私がバックの中から日本より持参したキャラメルを一箱プレゼントすると、満面の笑顔で謝謝!を連発するや、たむろしている仲間の小姐のところに持って行き、皆に見せながらワイワイやっている。
 大したこともないプレゼントが、あまりに嬉しそうなので、旅仲間のNさん(女性)が現地の子供達と触れ合った時にプレゼントしようと、わざわざ日本から買って持参してきたキャラクターグッズがあるのを思い出し、それを何人かの小姐にプレゼントして上げると大騒ぎ。 私が記念に一人の小姐と写真をとろうとしたら、T氏があわてて割り込んでくるではないか。
 これで日本から遠く離れたウルムチに何人かの日本人ファンが間違いなくできた。 日中友好に貢献できたことだろう。
 
 こんな調子で賑やかな夕食も終わりに近づいた頃になりだして、閑散としていた店内に客がどんどんと入り込んで来るようになった。
 午後10時近くになり、夕食を終えた私達が席を立つ頃には、入店した時はがら空きだった店内が、いつの間にか満席に近い状態になっているではないか。 
 そうなのだ!ここ西域では北京時間と比べ3時間もの時差があったのだ。 私達が入店した時刻の午後8時半頃は、まだ宵の口でここ西域では夕方の5時半ぐらいの感覚なのだ。
 現在の時計時刻から3時間をマイナスすると、この西域生活時間に近くなることが判った。 これから訪れて行く西域の町々は、午後11時を過ぎてから夜の町が賑やかになるのだ。

  中国の駅舎と列車

 賑やかに夕食を終え、レストランを出るとシルクロード(南彊鉄道)寝台車に乗車するべく、私達を乗せたバスはウルムチ駅に向かった。
 22時50分発の列車で前漢時代のオアシス都市亀慈国だった「クチャ」に向かうのである。 
バスを降り夜の闇を駅まで歩く
車内では旅行会社よりミネラルウォーターが各自に1本配られだした。 これから毎日1本サービスしてくれるとのこと!ありがたい。 
 10分ほどで駅近くの路上にバスは停まると、私達は昨夜、詰め替え作業をした一泊分の身の回り品だけを持って駅舎に歩き出した。 寒い!夜になって急激に気温が下がりだした、おまけに小雨模様だ。

 「中国の駅」

 中国の駅は日本とかなり違いがあり、空港に近いようなシステムになっている。まず入り口で駅構内に入るために、手荷物のX線検査を受けなければならない。 次に乗る列車ごとに指定された待合室に入り、改札を待つのである。
 待合室にはいくつかの種類があり、一般の硬席乗客の(2等車)待合室、軟席(一等車)乗客の待合室、軍人の待合室などがあるのである。払う運賃によって歴然と待合室に差がついているのである。

 「中国の寝台車の種類」

 ”硬臥”    
私達が乗った軟臥寝台車(4人個室)

硬いベットで日本のB寝台に相当する。 3段ベットになっており、仕切りやカーテンはない。 料金設定は上段が一番安く、下段が一番高い。 乗車すると乗車券を引き換え票と交換しに車掌がくる、下車駅が近づくと再び車掌さんが引き換え票を乗車券に交換しに来る。これのおかげで寝過ごすことはない。 利用客が多く常に混み合っており、主に一般庶民が利用する。
 ”軟臥”
軟らかいベットで日本のA寝台に相当する。 2段ベットが2つの定員4人のコンパートメントになっており、料金は硬臥の約2倍する。 料金は上段が安く、下段が高い。乗車券を引き換え票と交換するのは硬臥と同じ。 利用客が少なく車内は静かで、主に富裕層と外国人が利用する。

  シルクロード寝台車に乗車する

 私達は駅の玄関口で身の回り品が入ったバックのX線検査を受けると2階の軟臥(日本のA寝台)専用待合室に入った。がら〜んとした室内には革張りのソファーが置かれた豪華な待合室だ。改札口は待合室毎に設置されており、ここから直接改札を受けて乗車するのである。 
軟臥乗車客専用の豪華な待合い部屋

 しばし一休みすると、改札が始まった!長いホームを歩いていくと、列車はすでに到着している。 
 各車両の乗降口には乗務員が最敬礼の姿勢で立っている。ここでもう一度切符を見せてチャックを受けないと乗車できないのである。 何ガイドが私たちの分を一括渡してチェックを受けると、私達は寝台車に乗車した。 
 
 私達の男女別構成は男性8名、女性7名(添乗員含む)である。
 男女別に分かれて4人定員の個室に入るのだが、女性グループの一部屋が3名となってしまい、もう1名は中国人乗客との相部屋となった。
 それぞれが部屋に収まり、ひと段落したところで各部屋を覘いて見ることにした。女性
3人グループの部屋を覘くと何と!相部屋となった中国人女性(30代の年齢)が、緊張と不安が入り混じった表情で固くなっているではないか! 一人でのんびり寛いでいたところに、突然ドカドカと外国人が3人も部屋に入り込んできたのだ、吃驚と同時に緊張もするはずだ。
 
コンパートメントで宴会が始まった

T氏とJ氏のいる部屋を覘くと、くつろいだ姿になり、すでに一杯やり始めているではないか! 
 テーブルの上には珍味や酒の瓶が置かれており宴会準備OKだ。 「佐藤さん!始めましょう」と声がかかり、列車が発車する前から、男性全員が必然的に集まり宴会となった。 私を除いて全員中国の列車乗車は始めてで、皆少々興奮ぎみだ。
 列車がガタンと動き出した! これから目的地の「クチャ」まで15時間の汽車の旅である。到着は明日13時50分の予定だ。 夕食後の二次会が賑やかに車内でつづく!皆シニア年代とは思えないほど、やたらテンションが高い。
 

「天山南路をシルクロード列車はひた走る! まさか!砂嵐が始まった!」へつづく

中国国内で使った小遣いを記してみます。
(中国通貨1元を日本円換算15円で計算しました)

(本日の出費)
昼食レストランでのビール 1本  15元(225円)

夕食レストランでのビール 割り勘 10元(150円)

ミネラルウォーター    2本   7元(105円)

  小   計        32元  (480円)   

今日まで2日間の累計出費   52元  (780円)