その5 バスはひた走る毛沢東の故郷.湖南省長沙市へむけて
世界遺産 中国仙境・山水画街道を行く
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(旅の5日目 バスはひた走る!毛沢東の故郷長沙市へむけて)
旅の主要目的の一つであったユネスコ世界遺産「武陵源」の4日間にわたる「仙境と山水画の世界」を求めて歩き回った旅も終り、中国入り5日目の朝を張家界市.索渓鎮のホテルでむかえた。 今日のスケジュールは400kmほどをバスで走り、湖南省の省都「長沙市」への移動である。長沙市といえば「毛沢東」の故郷としても名高いところだ。
ここ張家界市から一部完成した高速道も走り、休息を入れつつ移動時間に6時間弱必要ということで、7時半にホテルを出発することになっている。
早めの7時にホテルロビーに降りていくと、ロビーは広東語が飛び交い、Gパンスタイルの大学生らしき男女の団体が談笑している。 中国語にはさまざまな方言があるが、なかでも広東語は標準語である北京語の対極にある言語で、標準語地域の中国人からみれば外国語といっていいほど意味不能である。
比較的小ざっぱりしたファッションから想像すると、広東省の広州から香港にかけての地域から来た学生達のようだ。 中国に来るたびに実感するのだが、農村部をのぞき国民の生活水準が着実に豊かになっている。旅行ブームでどこに行っても観光客だらけだ。
奇峰がつづく渓谷をバスは走る
バスは定刻にホテルを出発、武陵源.索渓峪の谷あいの道路を走り出した。 車窓の外は奇峰.石柱.奇岩が朝靄に溶け込み、まさに一服の掛け軸を見ているようだ。この4日間私たちの目を楽しませてくれた仙境.山水画
に描かれたような景観ともお別れである。
しばし車窓の外に広がる景観を楽しんでいると、やがてバスは渓谷をぬけ水田が広がる平野部に入った。
のどかな農村地帯がつづき、まさに秋の収穫(米)刈入れの真っ最中である。中国は長江(揚子江)をはさんで 大きく南部と北部に分かれるが、いまバスで走っている湖南省は南部を代表する米作地帯である。(北部は バスの車窓からの湖南省の二期作水田地帯
小麦地帯) 温暖な気候なので二期作がおこなわれており、農家も北部地帯に比べ豊かなのか白壁二階建ての建物が多い。
1時間半ほど走ったところで、1回目のトイレ休憩のためガソリンスタンドにバスは横付けされた。 悲しいかな私達は全員がシニアである、私も含めてトイレが近い人が多い!2時間以内に1回はトイレ休憩を
しなければならない。
中国もやっと最近は観光地や公園ではショックを受けなくても利用できるトイレが徐々に整備されだしたが、バス移動中となればトイレ利用できるところはホテルかガソリンスタンドぐらいしかない。 私達をみて太鼓を鳴らしだしたテーマパーク
私達日本人にとって、中国名物「ニーハオ,トイレ」では出るものも出なくなってしまう! バスの運ちゃんは、比較的清潔なトイレが設置されている数少ないガソリンスタンドを探して、私達のためにウロチョロ走ることになる。
トイレを済ませ次の移動に備え私達が準備運動していると、ガソリンスタンドの道路向かいにある不思議な建物から太鼓を鳴らす音が聞こえてきた。
時代を感じさせるいかにも中国風な建物で、玄関に太鼓が置かれ派手な民族衣装を着た小姐が、私たちに向けバチさばきもみごとに太鼓を鳴らしだしたのである。
どうも中国の伝統文化を紹介するテーマパークのようだ!私達を観光客と見越し太鼓を鳴らして気を引き、こちらにやって来い!といってるようだ。
私たちが一斉にカメラを構えると益々力を入れて叩きだすではないか。
今日は強行軍のバス移動で時間がない! 一生懸命太鼓を鳴らし続ける小姐の熱意に応えてやりたいのだが、非情にもトイレを済ませた私達を乗せ、バスは動き出した。
バスは中国で2番目に大きい湖「洞庭湖」 近代的な街に生まれ変わった長沙市
の南側を迂回するように東に進む。
道路わきには可憐な花を咲かせた芙蓉の並木が続く。
トイレ休息を繰り返しながら「常徳市」を過ぎ、中国でも美人が多いということで有名な「益陽市」を通過すると、やがて今日の目的地である湖南省の省都「長沙市」へ入った。
現在の人口は約580万人。 歴史は古く7000年前にはすでに人が居住していたとされ、正式には2200年前秦の始皇帝が中国を統一した時代に「長沙郡」が置かれたことが長沙の歴史の始まりとされる。
世界最古の最高学府「岳麓書院」があることがこの街の自慢で、毛沢東の故郷としても名高い町だ。 また、資源が豊富なことでも知られ「魚米の郷」「花火と爆竹郷」などの愛称もある。
バスは市内繁華街にある昼食レストランにむけ市内中心部に入った。車窓の外には高層ビル郡やショッピングセンターなどが次々と現れる。6年ほど前にもこの街に一度来たことがあるが、当時の古い街並みが消え去りすっかり近代的な街に生まれ変わっている。
左手ピンクの建物が日系ショッピングセンター
繁華街の交差点にさしかかると、白バイが交通違反の車を止めている場面にぶつかった。その向こうには大きなショッピングセンターが見える。
なにげなく店名をみると何と!「平和堂」の文字が目に飛び込んできた!日系企業のショッピングセンターではないか!。 この「平和堂」は滋賀県を中心に関西エリアに100店以上を展開する総合スーパーなのだ。
びっくりするとともに感動がこみ上げて来た! 北京や上海ならいざしらず、こんな奥地の日本でもあまり知られていない中堅都市にまで日本企業が進出しているのである。
頑張ってほしいと念じるとともに、明日 長沙市内湖南料理の有名レストラン
の長沙市内自由行動ではこのショッピングセンターに必ず来ようと決めた。
やがて、バスは繁華街の五一路にある湖南料理で有名な「火宮殿」というレストランの駐車場に停まった。
時刻はちょうど計ったかのような午後1時である、乗車時間5時間半のバス移動だった。
中国風の入り口を入ると明るく清潔な広いフロアーだ。 全席超満員で、なかでも欧米人観光客があちこちで食事の真っ最中である。
中国入りしてこの4日間、これまで欧米人観光客は全然といってよいほど見かけなかったのに、なぜこのレストランでは 欧米人客で混み合う湖南料理レストラン
こんなに大勢いるのだ? 長沙は欧米人を惹きつけるような魅力ある観光地とは思えないのだが? なんとも不思議だ。逆に張家界ではあれほど見かけた韓国人観光客が、この長沙では消え去ってしまっている。
小姐が混み合う席を抜け、私達をフロアーで一番奥の席に案内した。
私は座席に着くや、小姐を呼び寄せ開口一番に聞いた!「冷えたビールあるかい?」 毎度おなじみこの一言がレストランに入ると、私の日課のようになっている。 小姐が「有(ヨゥ)!」と答えるので試しに持ってこさせると、みごとにキッチリ冷えている。
さすが欧米人客が多い国際派レストラ 火宮殿レストランでの湖南料理
ンだ。 値段を聞くと何と!1本6元(90円)と答えるではないか!
今までで一番安い値段だ! 中国入りしてからはこのレストランが一番明るく清潔感漂う高級店にもかかわらずビールの値段がメチャ安い! 昨日まで各レストランで注文していた1本15元~20元の値段はいったい何だ! 私の胸に疑念が広がったが、
皆が安い安いと言いながら一斉に注文するのにつられ、私も「1本!至急持って来て!」と叫ぶ。
料理が運ばれて来た!清潔な食器に盛られた料理が次々とテーブルの上に並べられる。どの料理も甘辛がしっかりと味付けされ、なかなかの味で、さすが湖南料理の有名店だけはある。しかし、山椒や唐辛子がたっぷり使われており、舌がピリピリするぐらいメチャ辛い。 常識はずれの辛さだ!この湖南省は昔から「唐辛子の歌」が歌い継がれているほど辛いものが好まれており、中国一辛いといわれている地域なのだ。食べていると発汗作用で額から汗が吹き出てくる。 流れる汗を拭いつつ、なんとかビールの清涼感で辛さを薄めながらの昼食を終えた。
バスに乗ろうとしたら桃売りが現れた
駐車場に待機しているバスに戻るべく表に出ると、桃を積んだワゴン車が私達に近づき熱心に売り込みを始めた。 旅仲間の一人が興味を示し「佐藤さん値段を聞いてくれませんか!」と言うので、聞いてみると一斤(500g)5元(75円)だった。 中国で量り売りされる商品の重量単位は全て1斤(500g)が基本で、それ
より小さい単位は1両(50g)となっている。
値段を聞くと買う気があると思ったのか、桃売りの小姐、小刀を取り出し試食用に切り分け私達に食べてみろと差し出した。 皆が次々手を出し口に入れるや何と!全員の顔に驚きが広がった!美味しくないのである。 甘くないし、食感が林檎のようにかたく、噛み砕くとカリカリ音がするぐらいなのである。
日本の水密のような味を期待していた私達は「これじゃねぇ~」と一言!バスに乗り込んだ。 桃売りのオバちゃんのがっくりした表情が可哀そうだったが、バスは本日最初の見学「岳麓書院」にむけ発車した。
世界最古の最高学府「岳麓書院看板」
長沙市内を西に走り、街を東西に分断し洞庭湖に注ぐ全長820Kmの大河「湘江」を渡ると大学や専門学校が集中する文教地区に入った。 学生達が闊歩する街をぬけ、やがて岳麓山の麓にひろがる深い森林の中にある湖南大学構内の駐車場にバスは停まった。
湖南大学は中国教育部直属の国家重点大学で学職員数12000人を誇る有名大学なのである。この構内奥まった所にこれから観光する「岳麓書院」があるのだ。
岳麓書院は中国四大書院のひとつとされ、宋代の976年に創建された私塾で「世界最古の最高学府」である。 千年学府などとも呼ばれ、宋代 世界最古の最高学府「岳麓書院」
から多くの有名学者により授業が行われてきた場所で、歴代文人憧れの学問所だった。 1000年以上にわたる学問の歴史が現在の湖南大学に引き継がれているのだ。
相変わらずの大勢の中国人観光客に混じって、耳に補聴器(無線受信イヤホーン)を装着した私達日本人のグループが構内を歩くと、すれ違う観光客が必ずと言っていいほど振り返る。 このマイナーな歴史的構築物見学にやってくる物好きな日本人観光客なんて、おそらく私達ぐらいだ。
構内にはいたるところ金木犀の樹やザクロが生い茂り甘い香りを放っている。 「岳麓書院」内の竹林
竹林の中にある清朝時代に再建された講堂、御書楼、大成殿などの主要建築物を見て歩く。 当時は最高官僚の登用試験である「科挙」の合格をめざして、中国全土から多くの学生達が集まり勉学に励んだであろう建物内部は荘厳な雰囲気をかもし出していた。
これで今日の観光を終えると、16時には長沙市内中心部のホテルに戻り早めのチェックインとなった。
ホテルの周囲には市場や超市(スーパーマーケット)があり、買出しには便利な立地だ! 添乗員のY女史がチェックイン手続きに少々時間が掛かるということ
なので、その間を利用して全員がホテル斜め向かいにある超市(スーパー)へミネラルウォーターを買いに出かけた。 1台しかないレジの前に2本づつペットボトルを持った私達日本人の集団が並んだ!レジの小姐がビックリしながら緊張した面持ちで清算するのが面白い。
夕食は19時からホテル外のレストランでとることになっており、それまで時間がたっぷりある。
シャワーを浴びベットに横になり、北朝鮮関係のニュースが報道されていないかTVのスイッチを入れた。
実は昨夜、日本に電話を入れ女房と話しをすると何と!3日前に北朝鮮が核実験を行い、新聞.TVのニュースは朝から晩まで日本中が大騒ぎしているとのことだった。
私が中国入りした翌日にこんな大事件が発生していたのだ。 こんな大事件まったく知らなかった。わずかな時間だが毎日ホテルの部屋で朝晩TVニュースを見ているにもかかわらず、北朝鮮の核実験関係のニュースが流れていなかったのである。
世界を揺るがす大事件にもかかわらず、中国国内のニュースは沈黙をしているのである。
どこかのTV局でニュースとして取り上げていないかと思い、午後5時.午後6時の定時ニュース時間に各局にチャネルを合わせるのだが、どこも報道していない。 夜中の誰も見ていない時間帯にこっそり流しているのだろうか?・・・・
共産党の地方支部の大会が開催されたとか、共産党の幹部が農村を訪問して激励したとか、解放軍の軍事演習が始まったとか、ニュースともいえないようなどうでもいい事ばかり流している。
市民の生活水準は自由経済の恩恵で着実に豊かになっているが、情報に関してはいまだに報道管制が徹底され共産党政府に都合の悪いことは報道させないのだ。 必死になって友好国北朝鮮をかばう姿は哀れでもある。
真実を知らず一方通行の報道にしか接することのできない中国人に対し、あらゆる情報が手に入る自由な日本に有難さを実感する。
また脱線してしまった!話は戻る。夕食に出発する時間がきた! 私は昨日、ホテルの部屋で作った自慢料理「味付けゆで卵」と「ペットボトルに移し替えたウイスキー」に「水割り用のミネラルウォーター」をショルダーバックに入れロビーに降りた。
バス移動してレストランの席に着くや、Y女史が今日は旅仲間M氏の誕生日だと披露して、M氏の前にデコレーションケーキを置いた。 皆でハッピーバースデーを歌い会食が始まった。
ビールはM氏が感謝の気持ちでおごってくれるとのことだ。
私はさっそく用意してきた「味付きゆで卵」をバックから取り出した。皆の前で卵の殻をむき始めると、驚きの声が上がった! すでに中国入りして5日目、私が肉嫌いでレストランで出された
料理にあまり手をつけていないことは全員が知っている。
今日まで日本から持参した魚缶やソーセージを食べながら、旅仲間と食事を一緒にしてきたが、さすがに今晩は自分で作った中国産「味付けゆで卵」を食べだすと、旅仲間全員あきれた顔をしている。何人かがご馳走してくれと言う! またたく間に持ってきた5個がなくなってしまった。 昨夕から1日たって紹興酒がきっちり浸み込み実に旨い! 酒の肴には最高だ。日本に帰るまでにもう一度作ってやろうと思う。
ウイスキーの水割りを飲みながら、話題は北朝鮮の核実験から、カルチャーショック連続のインド旅行の体験談話などに盛り上がり夕食を終えた。
ホテルに戻るとまだ20時半である。ホテル内1.2階にあるショッピング街をウロチョロしていると、何と日本料理「千葉松」と書かれた看板が目にとまった。 日本料理店で
就寝前の仕上げのつもりで軽く日本酒を一杯やってみたくなった。恐るおそる暖簾をくぐると「イラシャイマセ」の日本語とともに和服を着た二人の小姐が近づいてきた。
店内を見回すと、小上がりにテーブル席、さらにはカウンターもある本格的な和風作りの店だ。しかし閑散としている!客が一人も見えないのである。 私が戸惑っていると、小姐の一人が笑顔で「お一人ですか?」と微妙なイントネーションの日本語で聞いてきた。
私が「一人だ!」と答えると、こちらえどうぞと小上がりに案内しようとする。 私が「一人なのでカウンター席に座りたい」と日本語で言うと、意味が通ぜずキョトンとしているではないか。
どうも必要最小限の日本語しか話せないようだ! 今度は中国語で言ってやるとビックリした表情でカウンターに案内された。
席に座るとカウンター内にはハッピを着た30歳台の中国人調理人が立っている。小姐がお茶とともに日本語メニュー表を持ってやって来た!メニューを開くとずらりと日本料理が並んでいる。 夕食は終えていたが、先ほどのレストランで食べた物といえば「味付けゆで卵」と「春雨と野菜炒め」ぐらいである、大食漢の私にとってまだまだ腹に入る。
「だし巻き卵」「天ぷら」「鮭の塩焼き」そして最後に「手巻き寿司」を注文し、飲み物はまずアサヒビールを注文した。
寿司カウンターもある本格的な和食店
中国人の板前がカウンター内で料理を作り始めた、料理が出来上がると和服姿の小姐が板前から受け取り、私のカウンターの上に置くのだが、置き終わっても立ち去ろうとせず、そのまま私の両脇に佇みジッと私が食べるのを見ているのである。ジッと見られながらの食事である、少々緊張するし落ち着かない。
食べながら小姐にあれこれ質問してみた。この店は経営者を含め全従業員が中国人であること、客は中国人が多いのだが、けっこう欧米人も入ってくること、長沙には日本人留学生もかなりいるらしく時折来店するとのことだった。
ビールを飲み終わり日本酒を注文するべくメニューを見ると何と!越後「久保田」の銘柄があるではないか!
さっそく熱燗を1本注文してみた。やっぱり旨い日本料理にはやはり日本酒が最高だ!
二人の小姐がつきっきりで、醤油を注いでくれたり、お酒のお酌をしてくれたり、かいがいしく世話を焼いてくれる。私はショルダーバックの中に日本から持ってきたチョコレートが手付かずで入っているのを思い出した。 バックから取り出し、小姐に「日本のチョコレートだ!貴女達にあげる」と言いつつ渡してやった。 帰りはきちんと見送ってくれた
すると二人は表情を輝かせパッケージに書かれている日本語をしげしげと見ながら日本語で「ありがとうどざいます」と言うや、緊張から打ち解けたのか、私に矢継ぎ早に質問を浴びせだした。
私以外に誰もいない店内で片言日本語と片言中国語が飛び交う日中友好の場面となった。
いつの間にか22時の閉店時間となり、清算をすると196元(2940円)である。小姐二人に見送られほろ酔い機嫌で店を出た。
部屋に戻りもう一度、北朝鮮核実験ニュースが流れていないかTVをチェックしてみたが無駄だった!一切報道していない!どうなっているか気になる。
旅その6 「湖南省長沙から中国六大古都の一つ浙江省杭州」へ つづく
( 旅 5日目の出費)
ミネラルウォーター 1.5元 × 2本 = 3元 (45円)
ミネラルウォーター 2元 × 1本 = 2元 (30円)
昼食ビール 6元 × 1本 = 6元 (90円)
日本料理店飲食代 196元 =196元 (2940円)
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合計 207元 (3105円)
(5日間の累計出費 424.3元 (6365円))
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