その11 「黄山」から世界に知られた陶磁器の都「景徳鎮」へ
世界遺産 中国仙境・山水画街道を行く
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(旅の11日目 世界遺産の黄山山麓ホテル〜雲谷ロープウェイ下山)
中国入りして11日目、世界遺産の「黄山」入りしてから 黄山入り3日目の朝を迎えたホテル
3日目の朝を北海風景区にある西海賓館で宿泊客がたてる騒音とともに目覚めた。
宿泊客が午前4時近くから廊下を大声で歩き出し、部屋のドアの開閉音までが大きく響いてくる。 こんな時間からホテル中あちこちでドタンバタンしているのは、「ご来光」を仰ぎに行く人達が一斉に起床して煩雑に部屋の出入りでたてている騒音なのである。
私達も昨日、早朝の5時をちょっと過ぎた時間に出発して「ご来光」を仰ぎに「獅子峰」まで往復してきたが、残念ながら霧に包まれ日の出を見ることができなかった。
昨夜、このホテルでバッタリ劇的な遭遇をした札幌からの友人「中川」さんが、今日「ご来光」を仰ぎに出かけることになっている。
見送りしようと思い立ちロビーにむかい外のテラスに出てみると何と!雨が降っているではないか! おまけに霧までが深く立ちこめ最悪の天気である。 黒山の人だかりでごった返しているロビーで「中川」さんを探したが見当たらない! この天気だ、おそらく出かけるのを諦め、部屋の中にいるのであろう。
そんななか、それでも諦め切れずロビーでたむろしている宿泊客が、合羽を羽織り傘を差しながら次々と出立していく! こんな悪天候で出かけても100%「ご来光」は仰げないと思うのだが、すごい根性だ!
今日の私達のスケジュールは、陶磁器の都として世界的に知られた「景徳鎮」への移動だ。 7時過ぎにはホテルを出立しなければならぬということで、あわただしく朝食を済ませロビーに集合した。 チェックアウトを済ませ、ロビーの片隅で山麓まで降りる「雲谷ロープウェイ駅」まで、私達のリュックを運んでもらうことになっているポーターに手間賃50元(750円)を払い荷物を預けていると、何と!再び「中川」さんがわざわざ見送りに現れたではないか!気遣いが嬉しい。 お互い、この後も無事に旅の道中ができるよう言葉を交わしホテル玄関を出た。
相変わらず天候は雨がしょぼしょぼ降っている、傘を開き遊歩道をロープウェイ駅にむかって歩き出した。 見送りしてくれた「中川」さん達グループは、今日これから雨と霧の悪天候の中を、黄山頂上の景勝巡りである。 気の毒に思いつつ下山したが、帰国後札幌で再会した時に聞いた話によると、私達を見送ってくれた後、しばらくして彼女達がホテルを出発する時には雨が上がり、霧も晴れ、素晴らしい天気のなかで絶景の黄山を満喫したとのことだった。 彼女からメールに添付して送られてきた黄山の画像は、私が3日間かけて撮ったどの画像よりも素晴らしいものだった。
私達の荷物を担いだポーターとガイド
ガイドと私達のリュックを運んでくれるポーターを先頭に歩いているうちに雨が上がってきた。
山頂随所にあるホテルに宿泊した登山客たちが、下山のため私達と同じ方向へ向かって歩いている。ちなみにホテルからロープウェイ駅までは900段あまりの石段を上り下りしながら下っていくのだ。
30分ほどで雲谷ロープウェイ駅に着いたが何と!すでに駅待合室は何百人もの下山客で溢れかえっているではないか!待合室に入り切らずに屋外にまであふれ出ている。
混雑を予想して早めの早朝7時過ぎに出立したのだが予想を超えた下山客数で、ゴンドラに乗るまでかなり待つことになりそうだ。 北海風景区を繋ぐ雲谷ロープウェイ
この雲谷ロープウェイは50人定員のゴンドラで山麓駅まで2800mあまりである。 私達はゴンドラゲートまで誘導する腰ぐらいの高さの鉄柵で囲まれた狭い通路に一列になって並んだ。
1台のゴンドラが山麓に着くまで次のゴンドラが昇ってこないのでエライ時間がかかる。 やっとゴンドラが到着し50人がゴンドラに乗り込みスタートすると、次のゴンドラの到着まで約10分ほど待機していなければならないのだ。
遅々として列が進まないなか、帰りを急ぐ中国人グループが誘導柵を乗り越え、平気な顔して前方へ割り込みしてくる。 日本なら非難の大合唱で袋叩きにあうのだが、中国では何でもありの国だルールやマナーなど存在しない! 腹が立つがここで喧嘩しても味方は我々だけで、あとは全て敵みたいなものだ! こんな割り込みを受けて、私達日本人グループはバラバラに分断されてしまった。
雲谷ロープウェイで下山した山麓の模様
とにかく列が動かない! 私は旅仲間から分断され、前後左右中国人に挟まれてしまった。 ここで面白いことが起こった!。
女性3人グループの中国人が、私が手に持っていたスライド式の杖に目を付け、声を掛けてきたのである。 話の展開はこうである。 私が日本から持ってきたステッキは4段式スライドで30cmぐらいまで短くなる優れものだった。
このちょっとオシャレな短いステッキを見て、三人組が「あのステッキあんなに短くなって便利だわね! 幾らぐらいで買えるのかしら?」と話し合っているのである。 ちなみに彼女達も木の杖を持っており、黄山のあちこちの売店で5元(75円)で売っているしろものだ。 (黄山登山で杖を持っている人は大半がこの5元で買った杖)
そのうち、その中の一人が私に声を掛けてきた!「その杖!幾らの値段で買ったの?高いの?」と聞いてきたのである。もちろん私を外国人などとは思っていないである。
私が慣れた調子で「350元(5250円)ぐらい」と一言、もちろん中国語で答えてやると、自分達が思っていた値段より高かったのであろう!「うわ〜高い!」と三人が同時に声を上げた。
さらに問いかけてきた!「どこで買ったの?」と聞いてくるので、私が「日本で買った!」と答えると、「日本に行ったことがあるのか?」と聞いてきた! ここで私が「俺は日本人だ!」と答えると、彼女達一瞬ポカ〜ンとした表情をしたと思ったら3人顔を見合わせ揃って一斉に笑い出した!。 自分達のエライ勘違いが恥ずかしかったのだ!。
ここから退屈しのぎの会話が始まった! 赤字の場所が景徳鎮
「なぜ中国語が話せるのか?」「どうやって中国語の学習をしたの?」「中国にはよく来るのか?」など質問攻めである
私が「中国5000年の歴史に興味があり中国旅行は30回を超えた! あまり中国ばかりに来るので女房から離婚されそうだ!」と答えてやると、一同ワ〜と声を上げるや、拍手までするではないか!。
「中国がそんなに好きか?」とまで聞いてきたので、私が「好きでない!歴史や文化に興味があるのだ!」と答えてやると、ヘンな顔をしているではないか! そのうち彼女達の周りにいる中国人まで雑談に加わりだした! イライラする長い待ち時間に退屈を持て余しているのである。
丁度よい退屈しのぎの話し相手ということで、ふだん日本に対し疑問に思っていることの質問攻めが始まった。
私の中国語はやっと日常生活会話が話せる程のレベルである! 彼らの矢継ぎ早の質問に適当に答えていると、話がチンプンカンプンな会話になってくるのだが、それでも次から次へと言葉をかけてくる。 私の怪しげな中国語による時間つぶしの談笑で、ひと時の日中友好をしていると、やっとゴンドラに乗るところまで列が進んだ、時刻は9時半を過ぎてしまっている。何と!待つこと1時間40分立ちっぱなしである、足が棒のようだ。
(黄山山麓〜江西省「景徳鎮」〜市内観光) 黄山から景徳鎮へのバス移動の車中から
山麓まで降りると霧が晴れ薄日まで差しだした。 迎えに来たバスに乗りいったん黄山登山前に宿泊した山麓のホテルに預けてきた旅行ケースを取りに戻り、ケースをバスに積み込むと一路、隣の江西省「景徳鎮」に向かって走り出した! およそ4時間あまりのバスの旅だ。
黄山がある安微省南部は山が多い!バスの車窓から見える景色は左右見渡すかぎり山また山で、山麓斜面には鬱蒼とした竹林が途切れぬことなく続いている。 これだけ竹林があるからには筍も沢山とれることだろう! 日本で売られている中国産筍はもしかしたら黄山地区から採取されたものかも知 天候が回復し快適なバスの旅になってきた
れぬと脳裏をよぎる。
茶畑も多い!ときおり竹林が途切れたところにくると段々畑の茶畑が次から次ぎへと現れる。
あれほど小雨と霧に悩まさにれた天候がすっかり晴れ上がり快適にバスは走る。 屯渓の街を過ぎて間もなく安微省から江西省に入ると、山並みが低くなり平地が多くなってきた。 トイレタイム休息で途中下車すると外気温が急激に暑くなりだしている。
バスの車窓からは山並み途切れのどかな農村風景がひろがりだした。 どの農家も白壁に黒瓦屋根のこざっぱりとした何か郷愁を感じさせる造りだ。 米や麦の単作地帯と違い、見入りの多いお茶や蔬菜などの作付けが多いのだろうか? どの家もなんとなく裕福そうに感じる。
景徳鎮へは陶器のトーテムポールが迎えてくれる
腹がすいてきた!昼食時間はとっくに過ぎ時刻はすでに14時近くになっている。 やっと「景徳鎮」の街が見えてきて入り口の交差点にさしかかると、陶磁器の里と言われるだけあって「陶器でできた巨大なトーテムポール」が出迎えてくれた。
ここ陶磁器の都として世界的に名高い「景徳鎮」は、黄山、九華山、廬山、播陽湖 などの景勝地区の中心にあり、行政人口は150万人ほどで市内には60万人が住み、半分以上の市民が焼き物にかかわる街である。
景徳鎮近郊の 高嶺(中国語発音、カオリン)で産出する粘土はカオリンと呼ばれ、景徳鎮で作られる磁器の材料としてつとに有名で、これが焼き物の都として景徳鎮を発展さ 何となく垢抜けしない景徳鎮の街
せた基となった。
装飾精美で独特の風格を持つ景徳鎮陶磁器は、海外でも人気が高く、日本の焼き物にも大きな影響を与え、中国の焼き物といえば「景徳鎮」というほど、日本人になじみの深いものとなっている。
TV番組の「何でも鑑定団」などによく出品され、よく偽物と鑑定され視聴者の笑いを誘っている古陶磁器はこの街「景徳鎮」製のものだ。
甘いカオリンの香りが、ほのかに漂う街中に入っていくと、市内のあちらこちらに陶器を焼く工場がみられ、高い煙突が立ち並んでいる様子は、さすが陶器の都といった感じで、 立ち並ぶ信号機は全て陶器でできている
何と交通信号機までが陶器で出来ているいるではないか。 今まさに国際陶器博覧会が開催されている真っ最中で街中あちこちPR看板だらけだ!日本からも大勢バイヤーがきていることだろう。
市内を走行中、ある商店前でバスが一時停止すると「景徳鎮」の現地ガイドがバスに乗り込んできた!30歳そこそこにみえる美しい女性で、今日と明日、景徳鎮近郊を案内してくれるのだ。
街中心部近くまで来ると、さまざまな陶磁器商店が軒を連ねている。しかし何となく街全体が「あか抜け」していない! なんというか「ドロくさい」というか、かっての雑然とした古い中国の面影が色濃く残っているのである。 陶磁器では世界的に有名な町も、中国ではまだまだ田舎町のようだ。
街中を走る乗用車を見るとエンジ色の同じ車種ばかり走っている、よく見ると何と!走っている車すべてが日本の「スズキ」だ!。
陶器工場の煙突が市内あちこちに立つ
この街にはスズキ自動車の工場があるのである。こんな田舎町にまで日本企業が進出していたのだ。 ちなみにガイドが言うことには、スズキの自動車工場従業員の月給は日本円で約2万円とのことである。 街中を走り回っているタクシーも見事に全てスズキ製なのだが、その間をぬうようにオートバイタクシーが結構走ってる、華中〜華北地方ではほとんど見かけないのだが、どういう理由なのか華南が近くなってくると急にバイクタクシーが増えてくる。
食堂が立ち並ぶ繁華街の一角の大げさな名前のレストラン前でバスは停車した。
店名がすごい「大世界飯庁」と大きな看板が掲げられている、ここで昼食をとるのであ 景徳鎮のアパート
る。 何ということは無い!レストランと言うには程遠いただの食堂だ。
テーブルの上に置かれた食器は汚れが残っており、小姐が見ている前で私達はウエットティッシュを取り出し皿の汚れを拭きだした。 薄暗い店内で遅めの昼食を短時間でとり終えると市内観光への出発だ。
外に出るとムッと熱気が襲ってきた!ガイドの言うことには本日の気温予想は29度とのことである。 盆地の景徳鎮は中国でも有数の暑い町で、暑さを避けるため企業や工場は午前11時から午後2時まで昼休時間となり、何と3時間もの休みをとるそうだ。
きつい日差しがふりそそぐなか、レストラン 景徳鎮最大の観光ポイント景徳鎮古窯磁廠
から歩いて近いところにある「景徳鎮陶磁館」に向かった。
ここは9世紀から現代にいたるまでの「景徳鎮陶磁器」が、時代ごとに展示されていて、陶磁器の変遷がひとめでわかるようになっている。 薄暗い館内は閑散としており、どの展示ルームに入っていっても見学者は私達日本人以外ひとりの入館者を見かけなかった。
次は1000年ほど前から栄えていた民間の窯場跡「湖田古窯遺址」の見学である。 当時の古窯の跡地から出土された陶磁器の失敗作がうず高く積まれた場所や、ひょうたん型の古窯などをそくさくと見学し終えると、 棒でもってロクロを回し実演している
本日最後のハイライトである「景徳鎮古窯磁廠」(上画像)にむかった。
私達を乗せたバスは郊外の古陶磁博覧区という公園の駐車場に入っていった。先着の大型バスが何台か並んでいる。
ここは皇帝(王室)に納めるための陶磁器を焼いていた窯元を再現したところで、明、清時代の作業場、古窯室などが当時の姿そのままに完璧に保存されているのだ。
「景徳鎮」最大の観光ポイントみたいなところで、今でも古い窯で陶器を焼いている。
広い敷地内には当時の陶器作りを再現した各種建物が立ち並んでおり、ガイドの案内とともに一つひとつ見学して歩く。 窯に入れる前の出来上がった作品
宮殿用陶磁器の製作工程は72人による完全分業制で作られており、私達が訪れれると分業による製作工程の一部を再現して見せてくれ、巨大な窯の中にも入ることができた。
あわただしく、わずか半日ほどの市内観光を終え、市内中心部の公園内にあるホテルに向かった。 するとホテル玄関前では大勢の人がたむろし、爆竹がけたたましく鳴っているではないか!結婚披露宴があるようだ。
バスを降り玄関ロビーにむかうと、かなり「くたびれた感じがする中年一歩手前の新郎新婦」が、風貌に似合わぬ派手な衣装を着てたたずみ会釈を振り撒いている。
時刻は間もなく19時になろうとしている!
この時間帯の結婚式は、中国結婚式事情によると再婚同士が式を挙げる時間帯である。 佇む二人を見ておそらく再婚かもしれぬと脳裏をよぎった。
チェックインを済ませ一服する間もなく、夕食会場のレストランに向かうべく再びバスに乗り込んだ。 市中心部に人民広場近くにある繁華街に来ると、田舎町には不釣合いなひときわ明るく輝くネオンが点滅しているレストラン前にバスは停まった。
玄関前には深いスリットが入ったチャイナ服を着た二人の小姐がたたずみ「歓迎光臨(ホワンイン、クワンリン)」と言いながら笑顔
で私達を出迎えてくれる。
2階に上がり地元中国人達が食事している大ホールのど真ん中の席に私達は案内された。 私達がゾロゾロ席に着くと地元客が談笑をやめジーっと見つめている。
ガイドが言うことには「香港資本」のレストランということで、店内は明るく食器も清潔である。さすが香港、洗練されている。
ビールもキッチリ冷えており「生ビール」まであるではないか! おまけに抗州でのレストランでビール代金のピンハネが私に暴露され厳しい抗議をうけて以降、レストランで飲むビールの値段が急激に下がり、このレストランでも何と! ギュと冷えて旨かったぁ〜
1本6元(90円)だ。(右画像)
嬉しくなり一度に2種類のビールを注文してしまった!
日中蒸し暑かった景徳鎮で飲むビールは実に旨い!
のどが鳴る!。 食事も洗練された味付けでさっぱり味の広東料理で久しぶりに食がすすむ。
夕食が終りかけたが、バスがレストランを出発するまで、まだ30分ほど時間がある。 日本から寝酒用に持参してきた500mlペットボトル2本に詰め替えたウィスキーが切れかかっているのを思い出した! 私は酒を飲まぬとなかなか寝つかれぬようになってしまった! もしかしてアル中かも知れぬ。
レストラン一帯は繁華街で酒販売店もあるようである。
買ってこようと思い"バスの出発時間までには戻る"と言いつつ席を立とうとするとすると、同室のM氏も俺も買いたいので一緒に行くと言い出した。
二人連れ立ち小走りに繁華街をうろつき、酒屋を見つけ飛び込んだ! 中国人はほとんどウィスキーを飲まないので酒棚にはあまりウィスキーが並んでいない。 棚の隅にほこりを被ったスコッチの「シーバスリーガル」とバーボンの「ジャックダニエル」が1本ずつ並んでいるのが目にとまった。 さっぱりした味付けの広東料理
値段を見ると、それほど高くはない220元と198元のシールが貼ってある! 躊躇することなく棚から取り出し店主らしき男性に差し出した。
売れることなくおそらく何年も眠っていた飾り物のウィスキーが2本もまとめて売れたのである、店主が驚きの表情からニコニコ顔に変わった! 私達が外国人と分かるや "謝、謝 "(シィェ、シィェ)を連発しながら、酒が入っていた化粧箱を探し始めたのだが、なかなか見つからない!バスの出発時間が迫ってきた!間に合わない! 私は不要(ブーヤオ)と言って金を払うや、裸の瓶を手にぶら下げバスにむかって走り出した。
ホテルに戻ると結婚式の披露宴がたけなわである、宴会場から音量を上げた音楽がもれ廊下にまで鳴り響いてくる。 今夜は遅くまで騒音に悩まされるかもしれぬと思いつつ、買ってきたばかりのウィスキーのキャップを開けた。
旅その12 「バスはひた走る、世界遺産・福建省の武夷山へむけて!
久々に日本食、今夜はソーメンパーティだ!」へ つづく
( 旅 11日目の出費)
ミネラルウォーター 1元 × 2本 = 2元 (30円)
昼食ビール 6元 × 1本 = 6元 (90円)
夕食ビール 6元 × 2本 =12元 (180円)
寝酒用ウィスキー 198元 1本 =198元 (2970円)
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合計 218元 (3270円)
(11日間の小遣い累計出費827.9 元 (12.420円))
かなり使ってしまった!もう少し節約せねば!
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