その12 バスはひた走る山また山の福建省「世界遺産の武夷山」へ
世界遺産 中国仙境・山水画街道を行く
|
旅の12日目 景徳鎮から楽平市・岩前村〜世界遺産・武夷山へ バス移動
旅12日目の朝は景徳鎮市中心部の公園内にあるホテルで目覚めた。 公園は森林と池がある運動公園で、景徳鎮市民の憩いの場になっている。 私達が泊まっているホテルはその公園の池の淵に建っているのである。
昨夜は夕食後、ホテルの部屋で同室のM氏と就寝前に、景徳鎮の繁華街の酒屋で買って来た「ジャックダニエルのバーボンウィスキー」で一杯やり始めたのだが、そのウィスキーがとんでもないシロモノだった。
飲んだ瞬間ギョッとして二人顔を見合せた! 何と!甘ったるくミントの香り味が口の中に広がってきて、まるでカクテルのようではないか! 私が現役時代に飲み慣れたあのバーボンの味とはまるっきり違う味なのだ。
日本から持参したウィスキーが切れてしまったので、酒屋の棚の隅にホコリを被り飾り物のように陳列されていたバーボンウィスキーを代表する銘柄の「ジャックダニエル」を、M氏とそれぞれ1本買ってきたのだが、これが真っ赤な偽物だった。 中国では、世界中の有名ブランドが堂々と模造され販売されているのが悪名高い有名な話だ。まさかウィスキーまでが偽物で堂々と売られているとは思いもよらなっかた。 どう見ても瓶の形、ラベルなど100%同じなのである、またいい経験をさせてもらった。
朝食まで少々時間があるので運動をかねて公園を一周してこようと部屋を出た。
歩いていると、いたるところで大勢の市民がグループ毎に日課になっている運動をしている。 大声で奇声を発している者、太極拳、剣舞、ダンス、ジョギングをしている者などさまざまで、中でもカラフルな服を着て一糸乱れぬリズムで太極拳をしているグループが印象的だ。
足早に公園を一巡するとホテルに戻り朝食を済ませ、出発準備を整えると早めにロビーに降りることにした。
今日のスケジュールは、内陸部の江西省の景徳鎮から東シナ海を挟んで対岸に台湾がある福建省の「世界遺産の武夷山」までのバス移動である。ひたすらバスに乗ること8時間あまりの距離だ。
ホテル出発は8時である。 ロビーの応接セットコーナーでロビーを行き交う人達を眺めていると、中国人には見えない中高年の男性があちこちにたむろしている。
どうも観光客には見えないなぁと思っていたら、そのうち二人が私が座っている応接コーナーにやって来て、空いているソファーに座るや、所在なげにしている私に日本語で声をかけてきた。 どうも彼らには一発で私が日本人と分かったようだ!。
「失礼ですが日本人ですよね!」「どちらから来たのですか?」に始まり会話がスタートした。
会話で分かったことは、彼らは日本からやって来た「鈴木自動車」のエンジニアだった。 景徳鎮にある鈴木の合弁工場の拡張工事のため2年間の長期滞在でやって来て、このホテルを下宿先にして毎日工場へ出勤しているとのことだった。
日本の経済発展の原動力として、異国の地でこのように日本の企業戦士が活躍してるのである。 家族と離れ日本人を見ると懐かしくなり声をかけてくる彼らに対し尊敬の念が湧いてくる。
バスは定刻どおり私達を乗せホテルを出発した。 景徳鎮近郊の農村風景
景徳鎮市のメインストリート珠山中路は清代の官用窯元の跡地の上にあり、沢山の陶磁器の破片が出土したところでもある。 様々な陶磁器のモニュメントで飾りつけられた市街地をぬけバスは、農村部へと入っていった。
車窓から見える景色は、秋の収穫が真っ盛りの穀倉地帯に変化した。 農民といえば、のどかに鎌を持ち手作業での刈入れで、脱穀機は足踏み動力だ。 日本に比べれば全く機械化されていない、なつかしのどかな農村風景がつづく道をしばらく走ると、やがてバスは舗装道路の幹線道からそれて狭いデコボコ道に入っていく。
このバスで岩前村に入ると村人が集まってくる
世界遺産がある武夷山市に移動するのが今日のメイン旅程なのだが、途中で一箇所だけ寄り道観光することになっており、バスは「楽平市古鎮」を構成している村の一つに向いだした。
私達が向かっている「楽平市古鎮」の村々には、明、清時代の地方劇の舞台が200箇所も残り、「地方劇の故郷」と言われているところで、その一つ「岩前村」で当時の地方劇舞台を見学していくのである。
この村に到るまでの道路がすごい! 対向車がきてもすれ違うことが出来ぬ狭い道にくわえ穴ぼこだらけの悪路なのだ。 自動車が走ることを前提に作られた道でない!やっと馬車が通ることができる程度の道なのである。
そんなに私達がめずらしいのか?
バスが飛び跳ね、車内の天井に頭をぶつけるたびに悲鳴が上がる! 時速5キロほどのノロノロ運転でゆらり揺られて、胃の中がおかしくなりかけた頃、やっと村の入り口に差しかかった。
さすが村の中の道は部分舗装されている、地方劇舞台のある場所を聞くため、道路わきの一軒の農家の前にバスは停まった。
家の中から家族全員が飛び出してきた! 私達のバスを珍しい物でも見るように取り巻く。おそらくこんな悪路を走ってバスがこの村に入って来ることはめったにないのだ! しかもバスに乗っているのは日本人なのである。
何軒かの農家で確認を繰り返しながら村の中の道 中国から抗議がくるかも?
をトロトロバスは進み、狭い路地裏に入って行く路の手前でバスは停まった。
村長がやって来た! 私達を目的の地方劇舞台がある劇場へと案内するべく、狭い路地の先頭に立ち進んで行く。 迷路のような路を進み、何軒かの農家の軒先をくぐり抜けていくと、路地の行き止りに目的の劇場があった。 レンガ造りの倉庫のような建物だ、かなり老朽化が進み崩壊寸前に近い。 村長が向かいの農家に劇場の鍵を借りに行ったが、何と鍵が見当たらないと言う。
長い年月使用されることもなく朽ちるに任せていた建物である、物好きな日本人が訪ねてきたので、あわてて鍵を探しだしたようだ。
狭い路を抜けて地方劇舞台へ
鍵を探しているあいだ、劇場の入り口にたむろすることしばらく、どんどん村人が集まってきて私達を取り巻き、好奇の視線を遠慮なくぶつけてくる。 やがて鍵を持った農家の母さんが駆け込んできた。
私達が薄暗いガラ〜ンとした倉庫のような劇場の中に入って行くと、私達を取り囲んだ村人もゾロゾロ一緒に着いてくるではないか! 村長が説明を始めると、現地ガイドが日本語に訳して私達に伝える、これを私達を取り巻いた村人も一緒に聞いている。
村人にすれば役目を終え使用することもなく朽ちかけて、自分たち自身が忘れ去っていた劇場を見るため、悪路を走りわざわざ日本人が村を訪ねてきたのが信じられないのだ。
おそらく今年の村の重大ニュースのトップテンを飾ることになる事件に違いない。
この村の地方劇舞台は明時代のもので、大きな修復もされず朽ちかけてはいたが、当時の状態がそのまま現在もで残り、舞台上の柱、梁に施された彫刻や壁の 地方舞台の天井
役者絵などが素晴らしく、村人たちが劇を楽しんだ頃の賑わいがうかがい知れた。
中国の田舎を代表するような、ひなびた村での見学を終え大勢の村人に見送られ、私達を乗せたバスは再び悪路をノロノロ戻り幹線道に出ると「武夷山」にむけ猛スピードで走りだした。
バスの中では昨日、今日と2日間、私達のガイドを勤めている景徳鎮旅行社の30歳そこそこの女性ガイドが、すでに今日の観光を終えたので、帰社しても構わないのだが、福建省の省境まで見送ってくれるということで同乗している。
この女性ガイドが実に心優しいのである! 村の汚れた下水で洗濯
大学で日本語を学び一時上海で働きその後、故郷の景徳鎮に帰り、結婚し地元旅行社に勤めたのだが、景徳鎮では唯一ただ一人の日本語ガイドなのだ。
その彼女が省境までの長い移動時間を、私達を退屈させぬようあまり上手でない日本語をあやつり、あれこれ中国のことを話してくれる。 話題が尽きると日本の歌まで何曲も唄ってくれるのである。
かいがいしく必死になって私達に気を使ってくれる彼女に、全員が感動をおぼえ感謝の気持ちが湧いてくる。
途中「鷹譚市」という中堅都市のホテルのレストランで昼食を取ったのだが、例によって水 スタンドでトイレ休息中の長距離バス
分補給のためビールを注文すると何と!大瓶1本が4元(60円)ではないか。 毎度ビール代金ばかりにこだわり、お読みいただいている方に恐縮なのだが、観光地でもない田舎都市ではレストランでも、日本の十分の一の値段で飲めるのだ。
ホテル前のミニ売店でミネラルウォーターを買うとこれまた何と1本1元(15円)だ。
ガソリンスタンドでトイレ休息を繰り返しながらバスは南に向かって走る、やがて省境の「鉛山市」近くにさしかかると車窓から見える風景画がガラリと変化した。 樹木が1本も生えていない赤茶けた山が続々と目に入ってくるのである。 鉛山市という名前からして鉛の鉱山でもあるのだろうか? 赤茶けた岩山風景画つづく
時刻は午後2時半になろうとしている、景徳鎮を出発しひたすら走ることすでに6時間になろうとしている。 この省境の鉛山市で30分の大休息をとることになり、市中心部のガソリンスタンドにバスは停車した。 私達はトイレを借り、柔軟体操で身体をほぐし、出発までの僅かな時間、周辺を少しブラブラしてみる。
経済発展とともにほとんど姿を消し見かけることが少なくなった「自転車三輪タクシー」が、この町ではかなり走っており、街頭のあちこちで、すでに見慣れて驚くこともなくなった麻雀をしている。
自動車が増え高層ビルが林立するようにな 広西省の省境「鉛山市」のメインストリート
った広州、上海、北京などの拠点都市とはあまりにも違う街の様子に中国の光と影の部分が歴然と見て取れる。
景徳鎮から2日間私達に同行しガイドをしてくれ、何かと世話を焼いてくれた女性現地ガイドとこの町でお別れとなった。 これからまた長距離バスに乗り半日かけて景徳鎮まで戻るという。
路上に佇み手を振ってくれる彼女の見送りを受け、 再び私達を乗せバスは出発した。 山また山が連なる福建省に入った途端、自動車道がすごい悪路に変わりバスが飛び跳ねるようになった。 舗装道路なのだが補修メンテがされていないため穴ポコだらけなのだ。
鉛山市の街角で |
山また山の福建省 |
武夷山近郊の茶畑 |
|
|
|
車窓からの景観も一変した!熱帯地方らしく平地部分はサトウキビ畑となり、放し飼いされた水牛がいたるとでのんびり草を食んでいる。 山はほとんどが竹林に変わり、道路わきには竹細工加工店が数多く見られるようになり、長い鉄道橋が次々と現れる。
山間のデコボコ道をひたすら武夷山市にむかってバスは走る。 やがて世界遺産「武夷山」観光の拠点となる人口20万人ほどの武夷山市が近くなると延々と茶畑が続くようになった。 なんたって福建省といえばウーロン茶という答えが返ってくるほどの茶の産地だ。
17時を過ぎた頃、やっとバスは今日から Y旅行社の気配りによる日本のソーメン
2日間宿泊する「武夷山茶苑大酒店」という大仰な名前ホテルに着いた。
午前8時に景徳鎮を出発し、一箇所寄り道をして休息をしながら走ること9時間のバス移動だった。
今回の旅も終盤に近づき、今日はこのホテルで楽しみにしていた「日本のソーメン」が食べられるのだ。
私達がいま旅を続けているツアーを企画したY旅行社は、旅の後半日本食が恋しくなった頃見計らったように必ずソーメンをご馳走してくれるのである。「重いソーメンとめんつゆ」を、私達が腹いっぱい食べるくらいの量を日本から持参して、今日まで12日間ずっ
と添乗員のY女史が持ち続けてきたのである。Y旅行社の心遣いに感謝しなければならない。
夕食がホテルのレストランで始まった! Y女史がレストランの厨房で茹で上げ、ミネラルウオーターを凍らせた氷で冷やしたソーメンを次々と運んでくる。ソーメンパーティの始まりである。
ビールで乾杯となったが、これがメチャ高い!1本15元(225円)もする。やはり世界遺産を抱える観光地となると物価は跳ね上がるようだ。
私達15名が一斉にズルズルとソーメンをすすりだした! レストラン中にズルズル音が響き渡る。
何せ15名全員がたてるズルズル音なのだ!
国際的に非難を浴びている日本人特有の麺をすする音なのだが、長い習慣で自然に音がでてしまう、止めようがない!
他の席で食事中の中国人や外国人がビックリして席を立ち上がり一斉に私達を見るではないか! なかには私達の席近くまで来て覗き込むやつまでいる。 かなり恥ずかしいが何たって久しぶりの日本食だ!食欲に負け我先にと浅ましいほど夢中ですする。 だれも中華料理には手を付けようとしない。
明日はいよいよこの旅最後の世界遺産観光となる「武夷山」観光だ。
旅その13 「世界遺産の武夷山、
1年分の汗を流して1000段の天遊峰へ登る」へ つづく
( 旅 12日目の出費)
ミネラルウォーター 1元 × 2本 = 2元 (30円)
ミネラルウォーター 1.5元 × 2本 = 3元 (45円)
昼食ビール 4元 × 1本 = 4元 (60円)
夕食ビール 15元 × 1本 =15元 (225円)
________________________________________________
合計 24元 (384円)
(11日間の小遣い累計出費.851.9元 (12.804円))
|
|