三国志街道を行く



中国人ガイドのピンはね術

旅の3日目綿陽での目覚め、今日のホテル出発は8時である。少し早めにロビーに降りると、添乗員のH女子がお早うございますと私に近づいて来た。 ちょうど彼女に話たい事があったので、チャンスと思い話しを切り出した!。 実は昨日の昼、嫌な事を発見してしまったのだ!成都のレストランでの昼食後、出発時間まで少し時間があるので0氏・M氏がイトーヨーカ堂に買い物に行ってるあいだ、私は昼食したレストランの付近をぶらついていた、このあたりはちょっとしたレストラン街になっている。

 昼食したレストランの隣も別なレストランなので、なんとなくビールの相場を確かめたくなったので、隣のレストランの入り口にいた小姐にさりげなく聞いたところ1本5元だと言う、さらに質問して、今、私達が食事した店のビールの値段が分かるかと聞くと、何と!当店と同じ5元と答えるではないか!このレストラン街はどこの店もビールは同じ値段の5元だと言うではないか。 おかしい?私達は今この店で、昼食の追加ビール代金を各自1本10元払ってきたばかりだったのだ!。

 このことをH女子に話した。5元(70円)ぐらいの差額、大した事ではないかと思うかも知れない、しかしそれは日本の物価で考えるからで、中国と日本では物価が約10倍近く違う。
 毎回飲む全員のビール代金を旅行期間中ピンはねされては馬鹿ににならない額になる。彼女が深刻な顔で言った!「すみません現地ガイドがレストランと結託してバックマージンをもらっているのだと思います」、「私もうかつでした」!「中国人ガイドに注意します!この旅のお客様の中に中国語が出来る方がいらして、あなたがしてること、今後も含めてすぐバレてしまうと言います」「善処するので内密にお願いできますか?」 私はうなずいた。

さまざまな三国志の史跡

 そんなH添乗員とのやりとりのあとバスはホテルを出発した。今日は四川省の農村地帯を広元市まで400キロほど走る強行軍だ。
 日本では中国の経済発展のTVニュースがよく流れるが、それは沿岸部の北京・上海・広州などの一部の省の話であって、我々が今回旅する四川省をはじめ中国の大半の省は人口の80〜85%が貧しい農民で、発展から取り残され、かっての日本の終戦直近い生活をしているのが現状だ。

 今日最初の史跡見学は蜀の文官だった「蒋宛の墓」を見に行くことになっている。
 あちこちで道を聞きながら走り、小高い丘の上の公園の中にひっそり石碑と墳墓があった。なんたって現地ガイドが道を知らないのだからお話にならない!              次は劉備が流浪の軍隊を率いて蜀の国に進駐した際に、蜀の太守「劉章」が出迎えたとされる「富楽山」にバスで途中まで登り、その後バスを降り歩きながら頂上まで登り参観したが、劉備と孔明が仲良く並んだ石像や碑林・五重の塔など結構見所があった。

 富楽山を下りるとバスは田舎道をひたすら走る。車窓の外は、今日も炎天下で軽く30度は超えてる気温の中で、農民が稲とトウモロコシの刈り入れの真っ最中である。
 人海戦術による手作業で機械類は一切見えない。家は古い日干しレンガで土間2〜3室の平屋づくり、表現が悪いが家畜小屋に近いような家ばかりがつづく。
 間もなく昼近くになってきた、あちこちで住民が屋外におかれた粗末な椅子に座って、どんぶり飯(ぶっかけご飯で、おかずは無い)を片手に持ち食べている。
 住居の壁に寄りかかり、立って食べてる人も多く、目の前の道を走っていく我々のバスを、食事の手を休めてジーと眺めている。貧しい農村地帯をひたすら走り、13時過ぎやっと昼食場所の剣門関という小さな街のホテル兼用レストランに到着した。

魏と蜀最後の攻防激戦地、剣門砦

 きょうの昼食は、この剣門関の名物、豆腐料理のフルコースとなっている。それぞれがテーブル席に着いた、炎天下でもあり喉が渇いているので水分補給に先ずビールを注文するがやっぱり温い!値段を聞いてみると1本5元(68円)と言う。 一挙に値段が下がった!
 けさ出発前のホテルでH女子に、ガイドのビール代金ピンハネをバラしたのが効いたのか、やっと普通相場の値段になりビール好きな連中はワァー安い!と声を上げた。

 小姐が次から次へと豆腐料理を運んでくる、これが超美味いのである、運ばれてくる料理全てに、旅仲間全員が美味い!美味い!と言いながら口に運ぶ。なんと13種類もの豆腐料理に全員が満足した昼食だった。バスの出発までレストラン周辺をぶらつくと、小さな食料品店があったので晩酌用に中国酒を8元(108円)で買った。

 昼食後の観光は、この街の郊外にある、宰相「諸葛孔明」亡き後、蜀の軍事部門を一身に背負って、攻め寄せる魏軍と戦い戦死した将軍「姜維」の墓に行く。こんな所にと思うような、山中の猫のひたいほどの広さの「とうもろこし畑」の中に小さな墓石が立っている。 訪れる人も無く、かわいそうなぐらいひっそりとしている。「姜維」の墓参りを終えると、いよいよ今日の観光ハイライトで深い山々の渓谷の谷底にある、古蜀剣道の関所と砦を兼ねた「剣門閣」に参観に向かう。

 ここは蜀の最後の砦で、攻め寄せる魏軍と守る蜀軍が3か月間攻防を繰り広げた舞台だ!この砦の陥落とともに蜀の国は滅亡したのだ。城壁の上に立つとしばし三国志のロマンを感じたひと時だった。
 バスは走り、途中、「張飛」が植えたとされる「柏樹並木柏樹並木」に立ち寄り、今日の宿泊地である人口約40万ほどの広元市の三つ星ホテルに到着した。
 しかし、この広元の街では最高とされるホテルが、今の中国の世情を反映した怪しく危険な田舎ホテルで、あちこちにマッサージ嬢が出没しかなり危ない!     


その5へつづく