三国志街道を行く




南陽市の朝の情景

昨夜は日本のY旅行社提供の心尽くしで、添乗員のH女子が、わざわざ日本から持参してきた「揖保の糸ソーメン」による、「冷やしソーメン」をご馳走になった。
 ひさびさの日本食にありつき、満足感いっぱいで眠りに着いたのだった。
 ここは、かって黄河文明の中流域で孔明の故郷「南陽市」の三ツ星ホテルである。早く目覚めたので今日も朝食前の早朝散歩へ出かけることにした。
 ホテルから少し歩くと大きな川(漢水)が見えてきた。堤防に上がると河川敷が大きな運動公園になっており、太極拳をやっているグループがいる。河川敷に降り私も日本式ラジオ体操で身体をほぐすと、彼方に見える大橋に向けて歩き出した。
 橋の袂まで来ると、大きな広場があり、そこでは黒山のような人達で異様な賑わいとなっている。
 朝市の真っ最中で近郊の農民達が持ち寄った野菜、果物を中心に漢方薬草・香辛料・生きた豚・鶏・アヒル・川魚・豆腐・饅頭などが地べたに並べられている。
 生きたニワトリを前にして、売り手と買い手が必死の形相で大声を上げ値段交渉中のところに近づいてみた。
 
 やりとりを見てみると!まず売り手が買い手の表情や懐具合の雰囲気を見て、いい加減な価格を言うようだ!そこから買い手の本格的な値切り交渉が始まり、けんかを始めたような具合だ。その交渉の長いこと!両者の駆け引きが延々と続く。見ている私が厭きて立ち去ろうとした時やっと交渉が成立した。
 結局、売り手の言い値の半額ぐらいの3羽で合計16元(224円)の値段で決着がついた。買い手はバタバタ暴れる3羽のニワトリの足を細縄で縛ると、暴れて抜け落ちる羽を撒き散らしながら、片手にぶら下げ去って行った。

諸葛孔明を祀った南陽の武侯祠

 
ホテルに戻り朝食を済ませると、本日最初の観光である街外れの「諸葛孔明」を祀った「武侯祠」にむかってバスは出発した。ところがバスが南陽市内をウロチョロ迷走し始めた!
 運転手も、昨日の洛陽市から同行してきた日本語を話す現地ガイドも、場所が分からないのである! あちこちで住民に道を聞くことをくり返しながらやっとの事でたどり着いた。

 四川省と河南省のこのエリアは諸葛孔明関係の史跡が多くあちこちに武侯祠があるのだが、なかでもこの南陽市のは規模が大きい。
 「千古人龍」の扁額が刻まれた山門を入り、石門ー正門ー碑廊(宋時代の愛国の将軍岳飛や孔明の出師表の碑石)へと進むのだが、おかしなことにいつまで経っても同行の現地ガイドが説明を始めようとしない!

 ガイドの説明がないまま、とうとういちばん奥の拝殿まで着てしまった!殿内には知恵の化身、孔明の大きな塑像がで〜んと鎮座している。その前で今度こそと現地ガイドの説明が始まるだろうと思い待つのだが、いくら待っていてもただ突っ立ち私達と一緒になり孔明像を見ているだけである。

 とうとう私がしびれを切らして説明をしてくれと督促をすると、何と!おどおどした表情で言った「この場所に初めて来たので何も分からないので説明できない!」と言うではないか!この武候祠のガイドをする為に、はるばる洛陽から同行してきたのである。 これではガイドにならないではないか!何のために同行してきたのだ!  しかたがないので説明を聴くのをあきらめ、知恵の化身である孔明像を前に、これ以上ボケが進まぬよう祈って祠を後にした。

「劉備」が再起を図った新野の街


 南陽をあとにして、次は三国志の劉備・関羽・張飛達が曹操軍に追われて、流浪のあげく荊州の太守劉表の客将となり再起を期して7年間兵馬を養った「新野の街」に着いた。 この地で劉備は諸葛亮孔明という逸材を三顧の礼でもって迎え、大きく羽ばたくきっかけとなったところである。
 新野の街では劉備が孔明らと政治・軍事について協議した「漢議事台」が、新野市庁舎前にあるということで、その「漢議事台」の門を開ける鍵を借りるため市庁舎を訪問した。 ついでに庁舎内のトイレを借りるべく中に入ると思わず唸ってしまった!メチャクチャに汚いのである。

 これが市庁舎のトイレかと思うばかりでもう何年も掃除をしてないようである。
床にまで汚物が流れている。 なぜ掃除をしないのだ!まるっきり衛生観念というものが無いおかしな国だ!
 おまけに見学する「漢議事台」の鍵を誰が管理しているか分からないと来た!今まで見学するために鍵を借りに来た人はいなかったらしい。
 しばらく待たされ、やっとのことで鍵の管理人が判明し、何とか門内に入場できた。 
 
 現地ガイドの説明を待っていると、何と!これまた午前に観光した武侯祠と同様に、「この場所も初めて来たので何も分からず説明できない」と言うではないか! 洛陽からはるばるこの2箇所の観光案内ために同行してきた現地ガイドが、道案内も説明も出来ず、彼の今日のガイドの仕事は終った。
 彼が私に言った!「なぜこんな誰も来ないような所を観光に選んだのだ?もっと他に有名な観光地が近くにいっぱいあるのに!」「そこなら観光案内説明ができたのに」と・・・・

三国争奪の地「襄樊」の街

 新野の街から1時間ほど走り午後2時頃、今日から2泊する人口280万人ほどの「襄樊市」に到着した。
 ホテルは襄樊駅前広場の真向かいに位置し、中国鉄道局が経営する鉄路大酒店である。チェックインを済ませ夕食まで時間があるので、M氏と二人でホテルから10キロほど離れた旧市街の明・清時代の面影が残る襄陽城方面に散策に出かけることにした。
 駅前広場のタクシー乗り場で、三輪自転車タクシーのおばちゃんに行き先を告げ、いくらの料金で行けるか聞くと、遠いからあちらの自動車タクシーで行けと言う! しかたないので自動車タクシー運ちゃんに行き先を告げると襄陽城までだと料金20元(270円)かかるけどそれでいいか?と聞いてきた!
 
 少し高いような気もしたがOKを出し、タクシーに乗り込むと料金メーターが付いているのにそれを倒さないで走るではないか!おかしいなと思いつつ旧市街に着くと、言われたと通りに20元を払うことにした。

 城内を散策しながら缶ビール、ワイン、ミネラルウウォーターなどを購入すると、 ホテルに戻るべく再び街角でタクシーに乗った。
 今度のタクシーは先ほどのタクシーとは違い料金メーターを倒して走りだした。するとホテルに着くとメーター料金が8元(107円)になっているではないか。同じ場所の往復で先ほどが20元で今度は8元? 中国に来て何度も経験しているのだが、またしてもカモにされた! まだまだ勉強が足りぬ。                   

その18へつづく