三国志街道を行く




襄樊市の超かわいい現地ガイド

襄樊駅前の三つ星ホテル鉄路大酒店で旅行13日目の朝があけた。大酒店だからと言って酒の販売店やキャバレーではない!中国ではホテルを指すのに「大飯店」「大酒店」「賓館」などがよく使用されている。
襄陽城の北に面した門


  人口280万の「襄樊市」は2800年の歴史を持つ古い街だ!経済発展から取り残され、街には高いビルもなくごくありふれた田舎都会である。
 近年中国進出が出遅れた日本の日産自動車がこちらの湖北省北部方面に進出を決め、現在巨大な工場を建設中であると聞いた。これを契機にこの方面も大きく変わっていくことだろう!

 今日は終日この襄樊市の周辺観光である!出発時間が来たのでバスの待機場所に行くと、バスのそばに20歳ぐらいで清楚な感じの超かわいい女性が佇んでいいる。 私達がバスに乗り席に着くと、何と!一緒のバスに乗り込んできた!あまりに清純でかわいらしいので皆が注目していると、添乗員のH女子より彼女の紹介がなされた。
襄陽の街を取り囲む城壁
 H女史曰く「昨日の現地ガイドが、見学地について何も説明できず皆さんに迷惑を掛けた!」「このようなことがないようにするため、今日は武漢から来ているこの方面のエリアガイドに加え、急遽この襄樊の街周辺に詳しい地元旅行社の女性ガイド「斉さん」にも応援を頼んだ!」「そんなことで今日は2名のガイド体制で迷惑を掛けないようにします。」

歴史の面影が残る襄陽の旧市街

 そんなガイド紹介のあとバスが動き出すと、何と!その超かわいい彼女が、私の座席に来て隣の空き座席に座るではないか!今日の私の座席はローテーションで運良く前方席だったのだ!何という幸運!今日は1日中彼女と隣同士の二人掛け、他の男性の旅仲間から羨望とやきもちが入り混じった言葉を浴びせられる!
襄陽城内の清時代の古い街並

 街の中央を流れる大河「漢水」をわたると、間もなく「馬躍檀渓」と呼ばれる史跡に着いた。
 ここは曹操軍に追われた劉備が、愛馬の的櫨と共に渓谷の断崖を飛び越え命が救われたと言う話が残る地だ。バスを降り見学したが、民家の近くの生活用水が流れ込む何の変哲もない幅3mほどのどぶ川である。1800年も経つと渓谷がどぶ川になるらしい。 近所の住民が何でこんなどぶ川を外国人の団体が見ているのかと、不思議そうな顔をして私達を見ている。ここが有名な史跡であることが知らないようだ。

襄陽城内の街並み

 次は戦国時代争奪が繰り返された戦略拠点である、襄陽の旧市街を取り囲むように城壁が残ってる襄陽城にむかった。 ここでは自由散策で2時間のフリータイムとなっている。
襄陽城内の量り売り酒屋
この襄陽城の城壁内には、清時代の建築の古街がそっくり残っており、私達それぞれがノスタルジックな街並みの中に散らばって行った。
 
たっぷり時間をかけ再現された清時代のロマンを感じさせる商店街をぶらつき、満喫した思いで自由行動を終え、指定された集合場所に戻ったのだが、いつまで待っても迎えのバスが来ない! 長時間待たされたところで、バスが故障し修理中との連絡が入り、しかたなく私達はタクシーに分乗して昼食会場のレストランにむかった。
 昼食の席上バスの故障で迷惑を掛けたという事で、中国人添乗員よりビールを無料にすると言われる、添乗員も大変だ!しょっちゅうビールを無料にしている。
 マァ、ビール代金なんてたいした金額ではないが!ちなみにこのレストランは大瓶1本3元(40円)である、いくら飲んでもたかがしれている。

孔明が10年暮らした古隆中

孔明が10年雌伏の時を過した古隆中
昼食が終わる頃にはバスの修理も終え、午後の観光である諸葛孔明が10年間の雌伏の時を過ごした郊外の山の中にある草庵の「古隆中」にむかった。
この地で孔明は劉備に三顧の礼でもって迎えられ世に出ることになったところだ!
 小高い丘の林の中に草庵があり、孔明が使用していた六角井戸を見て、廟の中に入っていく。
三顧の礼の拝殿

 本殿に入ると孔明の像と妻の像が並んでおり、奥の三義殿には劉備・関羽・張飛の像がある。
 諸葛草庵(孔明が暮らした住居)を美しくかわいいガイドの斉さんが、実に詳細に熱心に説明をしてくれる。私は説明そっちのけで彼女の表情をジーと見ている時間のほうが長かった。

 ここで今日の観光は終了しホテルに帰るバスの中で、しばしの時間、隣に座ったかわいいガイドの斉さんと片言中国語で歓談をした。
 彼女が言うには、年齢21歳であること、初めて日本人観光客相手のガイドをしたこと、もすごく緊張したが自分の生まれ故郷に団体で日本人が来てくれて感激している、ことなどを語った。
 これから、これを契機に日本語を学び必ずや日本語のガイドになりたいと、目を輝かせ彼女の気持ちを私に語るのであった。
夕食でもご一緒にどうですか!と誘いたい誘惑にかられたが、札幌に帰ってからOM両氏の口が恐ろしいので、グッとこらえて彼女と分かれた。

それぞれの襄陽の夜

 ホテルでの早めの夕食を終えると、旅仲間のO・M両氏がそれぞれ夜の街の散策へ消えて行った。
 旅も13日目になると、O・M両氏も旅慣れてきて行動が大胆積極的になってきた!中国語が出来ないにも関わらず、どんな店や路地裏でも平気で入っていく!そしてホテルに帰ってきてから、私に街の散策で経験した武勇談を聞かせてくれるのである。 この日もO氏は住宅街の路地裏で、小さなマッサージ店を発見し、入り込んで日本語と身振り手振りでコミニケーションをとり、たっぷり1時間マッサージをして、40元(540円)を払い、ホテルに帰って来るまでの武勇談を聞かせてくれた。
 私達に日本語しか話さないのになぜか俺の意思が通じた!不思議だ!とケロッとして言うのである。

 何しろO氏は日本語が分からない中国人に、「値段いくら?」「高い、まけろ」「これほしい」「ビール持って来い」などの言葉を、日本語で話しかけ、身振り手振りで伝えることの出来る特技の持ち主なのだ!
 中国ではまだそれほど普及していない、日本から持ってきたデジカメのメモリーを買ってくると言い、街に一人で出かけ、きちんと買って帰ってくるのだからすごい!
 私も襄樊の街の夜の散策に出かけた、昼には気がつかなかったのだが、美容美髪店の数が異常に多い。
 店頭看板に洗頭・理髪・秦式踏背・日式按摩・などのメニューが掲げられ、店内からは薄暗いピンクの照明がもれ、店頭には2〜3人の若い女性が立っている!かなり妖しい雰囲気だ!
 近郊で工事中の日産自動車の工場が完成したら、日本から大勢の技術指導者がこの街にやってくるに違いない!彼らが日式按摩の看板につられて、日中友好とばかり特別サービスの最大利用者になるかも知れぬと想像をたくましくした!・・・・・


その19へつづく