三国志街道を行く




「五丈原」の村に着いた

五丈原に向かう農村地帯の田舎道には、収穫を終えたばかりの雑穀類が、道路一面に敷き詰められている。私達のバスは、その道路に敷き詰められた雑穀類の上を、タイヤで踏みつけ脱穀のお手伝いをしながらひた走る! 
 昼過ぎ、やがてバスは人口1〜2万ぐらいの五丈原という名前の村に入ると、昼食のため交差点角のひなびた食堂の前で停まった。
 交差点付近には露店の青空食堂がたくさん店開きしている。粗末な椅子に腰掛け、どんぶり片手に昼飯を食べている人達が、突然横付けされたバスに何事だ!というような顔で食堂に入る私達を見ている。薄汚れた食堂だが村人で満員である。
 外国人が来るのが初めてなのだろう、地元客ほったらかしで食堂挙げての歓待が始まった!料理が次から次えと運ばれてくる!味は今一なのだが品数がすごい!これでもか、これでもか、と出てくるではないか!数えたら何と15品も出てきた。

ここが三国志古戦場「五丈原」

 
昼食を終えバスで15分ほど走ると、とうきび畑が広がる平野の中に標高200メートルほどの小高い丘が見えてきた。
 ここが三国志に登場する五丈原の古戦場なのだ!
 今から1800年ほど昔、諸葛亮孔明率いる蜀軍と司馬慰仲達率いる魏の曹操軍が、国の存亡を賭け戦ったところで、蜀の宰相諸葛孔明はこの五丈原の陣中で病没し蜀の国は、これを契機に衰亡えと向っていったのだ!

 バスは丘を登ると、頂上にある諸葛亮孔明を祀った「諸葛亮廟」の広場に着いた。 この五丈原の丘から眺める漢中平野のパノラマは素晴らしく、この丘で孔明は陣を張り前方の平野に展開する蜀軍を指揮したのだ!今私達は歴史ロマンの舞台に立っているのである。三国志ファンには”とうとうここまで来た”という感慨で、しばし我を忘れたひと時だった。

 この時なぜかラーメン屋のことが頭によぎった! 札幌の薄野の街はずれに、美味しくて行列が出来るラーメン屋の「五丈原」という名の店があることを! この店の店主も三国志ファンで、今私がいるこの五丈原の丘に佇んだのであろうか?もしそうだとしたらこれをご縁にその店に行けばチャーシューを2〜3枚多くサービスしてもらえるかもしれぬ。

 この五丈原の諸葛廟は、この地で没した孔明を祀っており、黒煉瓦の大門を入ると左に武将の「魏延」右に「馬岱」の塑像がにらみをきかしている。さらに鐘楼ー鼓楼と中え進み廟の一番奥まった所に、孔明の衣類や冠を葬った衣冠塚がひっそりとたたずんでいた。
 一通り見学を終えると、バスの出発まで30分ほどフリータイムとなったので広場に戻ると、地面に粗末な土産物を並べて売ってる男がいた。

 私が近づくと日本語で「コンニチワ」と声をかけてきた!
私が「その日本語どうやって覚えたの?」と中国語で質問すると、逆に私に「お前さん、日本人なのになぜ中国語を話すのだ?」と問いかけてくる。私が日本で中国語を学習したと答えると、男は日本語は「コンニチワ」だけしか知らないので!もっと他の日本語を教えてほしいと言い出した!

 男は「謝謝」(ありがとう)「再見」(さようなら)「朋友」(ともだち)などの単語を日本語でどう発音するのかと聞いてくる!私が発音してあげると、とそのあとに続いて何度も発音し、さらには手帳を出してローマ字で発音をメモする熱心さで商売そっちのけである、この向上心あふれるみやげ物売りに私は30分の自由時間を日本語学習に費やしてあげることになった。それにしても、この露店のおやじすごい根性をしている。                             

 バスは五丈原を出発すると、やがて高速道路に乗り入れ、西安(長安)にむけての長い移動となった。 ひた走っていると、やがて車窓の外に広がる雑穀畑に、紀元前の王侯貴族の墓である大小さまざまな小山がポツンポツンと見えてくるようになった。 この古墳が見えてくると西安市は間もなくである。
 やがてバスが西安市内中心に乗り入れたとたん渋滞に巻き込まれてしまった!前方の交差点で老人のデモ隊が年金の増額を求めて、交通を遮断し気勢を上げている。それを警官隊が遠巻きで規制もせず眺めている、中国も変わりつつあるようだ!
 2時間も遅滞に巻き込まれ、夕食の時間がきたのでレストランに直行すると、すでにどの席もお客で満杯である。
 客の大半が日本人観光客のようで、あちこちの席から日本語が聞こえてくる。

日本語学校女子学生のアルバイト

 私達は予約された席に案内された。 不思議なことに店内全ての日本人客のテーブル席には、ひと目で従業員の小姐でないとわかる、素人ぽい清純な感じの若い女性が一人づつ張りついている。
 私達が席に着くと突然!この女性達が日本語を使って私達に「いかがですかビールをお注ぎします」とか、「料理の味はいかがですか?」とか話しかけてきた!
 ぎこちないが、完璧な日本語で私達に何かと世話をやいてくれる。 聞いてみると全員が西安の日本語学院の学生達だと言うではないか!
 
 しかし、なぜ彼女達がここにいるのだ?はじめ私達は彼女達が日本人と会話して自分の日本語の語学力アップを図る為に、日本人が大勢来るレストランにお願いしてここに来たのかと思った。 なにしろ懸命に日本語を使い世話をやいてくれるのだ!
 しかしそれは違っていた、彼女たちに聞いてみると、実はレストランから日本語の出来る学生アルバイトを頼まれたとのことだった。
 このレストランはそこまでして私達日本人客に気を使って歓待してくれるのかと、全員が感激し宴もたけなわになった頃、何と!何と!彼女達全員が、「紹興酒」とそれをお燗する「銀製急須」の売り子に変身してしまったではないか! 
 今までの学生らしい清純さは消え失せ商魂たくましく、そのしつこいこと「安いですよ!日本へのお土産にどうですか?今日だけの特別価格です3500円です」と言いながら一人一人の席に来てしつこく売り込みをかけるのである。

 売り上げ歩合給でのアルバイトなので、売らなければ日当が入らない!学生達は必死に売り込むのだが、私達三国志の旅グループは、かわいそうだが誰一人買おうとする者がいない!このようなレストランで買うみやげ物が、いかに高いものであるか皆経験から分かっているのだ。
 誰も見向きもしないので、とうとう値段を下げ始めた、3500円を最後は2000円まで値下げしたあげく中国茶を3袋サービスするとまで言い出した!
 レストランが日本語学校の学生まで引っ張り出して、物売りを仕掛けるとは、商魂のたくましさと、えげつなさを感じた西安での夕食だった。     

その14へつづく