昨夜のロシア料理店は反日レストランだった!
悪意に準備された席ではないか?
ロシア人宿泊客でいっぱいのハルピン駅前のホテルで例によって早朝の5時には目覚めた。それにしても、昨夜の夕食は失望と怒りに満ちたもので、今思い出しても腹が立ってくるほど、ひどいものだった。
旅行会社より配布されたガイドブックには、夕食はロシアと国境を接した黒龍江省ハルピン(哈爾濱)ならではの「名物ロシア料理」をご賞味下さいと書かれていた。 私も含めて旅仲間全員本格的なロシア料理なんて食したことがない!皆が「どんな料理が出るのだろう」と楽しみにしながら繁華街のロシア料理専門レストランに向かったのだった。
黒竜江省ハルピン駅
午後6時ごろ、繁華街交差点の角にあるロシア料理店前に私達を乗せたバスは着いた。
ハルピンの現地ガイドに案内されるまま、レストラン入口のドアを開けると、店内は外観にくらべ予想外に広く7〜8人が座れる円形テーブル席が15席ぐらい店内奥に向かって並んでおり、ホール中央の左側廊下には個室もあるようである。
少しでも座席スペースを有効に活用するためか、入り口ドアを開けてすぐ真ん前にもテーブル席が配置されている。
私達は当然のように店内奥へ向かって進もうとしたら、あわてて小姐(ウエートレス)が「皆さんの席はそちらでありません」と言う!「こちらの席です」と示された席は何と!入口ドアーを入って真ん前で、入店客のジャマになるような場所の席ではないか!今までの経験では、どこのレストランに入店しても私達外国人は全て店内奥の席か個室に案内されてきた、そんなことから当然、私達は奥まった席だろうと思い、店内奥え進みだしたのである。ところが入り口ドアーを開けた目の前の客の出入りが激しい場所の席に座れというのである。
長春駅の異常に長いホーム
私達は中国人添乗員も含めて皆が一瞬エッと思った!どう考えても私達のためにわざと悪い場所を選び臨時用につくられた席にしか思えない!とても落ち着いて食事などできるような雰囲気の席ではない!。ドアの真ん前なので客が出たり入ったりする場所なのだ。私達の不満めいた表情を察し!中国入国からずっと私達と旅を共にしてきている劉添乗員が、ハルピンの現地ガイドに抗議めいた口調で言った!「店側の責任者と交渉して席を替えてもらってください!この席は外国人には失礼です!」。
現地添乗員があわてて店内奥へ消えて行き、しばらく待っていると戻ってきて言うには、「責任者と交渉したが、全ての席が予約で埋まっており、席の変更は出来ない!この席で我慢してほしい」と言うではないか。 私達は予約もせずに突然来店したわけでない!かなり以前から予約していたはずである。 テーブル席毎に予約受付をしているわけでないので、予約来客者をどの席に案内するかは店側の配慮で自由になるはずである。
にもかかわらず遠来の外国人客に最低の場所の席に座れという、何か釈然としない気持ちで席に着いた。
何とも落ちつかないテーブル席
私たち旅仲間7人でひとつの大型円形テーブル席に座り、隣りの小型テーブル席に添乗員と現地ガイドとバス運転手の4人が座った。
やがて小姐(ウエートレス)が飲み物の注文をとりに来たので私は当然のごとく地ビールのハルピンビールを注文した。その後はマナー違反であるが持ち込みしたウイスキーを飲むつもりだ。
レストランには日本酒なんて無いし、中国酒はアルコール度数が強すぎて私達日本人の口に合わない。そんなことで私は中国に来るたびに、日本でミネラルウォーターのペットボトル(500m?)に詰め替えたウイスキーと焼酎を各1本持参してきているのである。
今晩もビール1本だけ飲み、その後はウイスキーの水割りでロシア料理を堪能するのだ! なにも、レストランのメニュー表価格に大幅に上乗せされた異常に高いビールを、おかわりするほど飲み、旅行会社を喜ばせてやる必要はない!
中国側旅行会社に渡すバックリベートがビールに上乗せされているのである。このような悪辣な仕組みに協力する気にならない!店員の目の前で堂々と日本から持参したウイスキーを飲むのだ!
ハルピン発「長春」行き軟席(グリーン車)車内
注文した飲み物と料理が運ばれてくるのを待つあいだも、入り口から来客がどんどん入って来る!入って来た途端、目の前の席にひと目で中国人とは雰囲気の違う私達が座って日本語で談笑をしているのに気づき、びっくりした表情で、好奇の視線を向けてくる。なんとも!どうも落ち着かない!
やがて、各自が注文した飲み物と前菜が運ばれてきた。乾杯とともに食事が始まった。前菜は中盆一皿に盛られた「生のピーナッツを塩茹でしたもの」と「きゅうりの酢漬」「ジャガイモの細切り炒め」でロシア料理とは違い、ごく一般的な中国東北家庭料理である。
いくら待っても料理が出てこない
旅仲間全員ロシア料理のフルコースなんて初めてである! 次は何が出てくるのであろうと期待していると、最初の一品「前菜」が来てから30分近く経過しても次の料理がでてこないではないか!
おかしい!旅仲間の一人が別席の現地ガイドに文句を言った! するとガイドが席を立ち店の奥え消えて行き戻ってきて言う!「今、出来上がりましたのですぐ持ってまいります」!
長春(新京)駅発着ホーム
しかしそれから10分ほど経過したが来ない!20分ほど経過した!まだ来ない!私達全員が待ちくたびれ、しびれを切らした!怒りが湧いてくる!
イライラも爆発寸前、まだかの思いで奥の厨房のほうを眺めていると、来た!!小姐二人が大皿を持ってこちらの方え歩いて来る。皆から「来た!来た!やっと来た!」と声が出る。
ところが何と!小姐が私達の席の近くまできたところで、料理皿を私達の席に置かないで、隣り席の中国人グループの席に持って行くではないか!
それを見た私達皆から怒りと非難の声が上がる。すると中国人ガイドがあわてて店内奥へ駆け込んで行く!しばらく待つと今度は何と!中国人ガイドが自分で料理皿を私達の席まで持ってくるではないか!! 小姐(ウエートレス)が出来上がった料理を、私達を通り越して他の席に持って行かないように、自分で持ってきたのだ!
やっと2品目が来た!前菜から1時間ほど待ってやっと2品目の登場である。
料理は牛の切り落とし肉を炒めたものであった。これがロシア料理なのか誰もわからない。私は肉料理が苦手なので、箸をつけず皆が食べているのを見ているだけで、味を聞いてみると味は「まぁまぁ」とのことであった。
次は3品目である!もう誰も料理に期待しなくなっている!次はいくら待ったら料理が出て来るのかに、私達の話題は集中した。
この店は反日レストランだった!
ハルピンから長春へ、車窓の外に広がる満州平野
またしても30分近く待ったがまだ出てこない。店内の各席を見ていると、私達の後から入店した中国人席にはどんどん小姐が料理を運んで行く。
私達以外の中国人席テーブルには、どのテーブルもすでに4〜5品の料理が並んでいるいるではないか!冗談でない!どうも私達日本人席のみ差別されているようだ!
私達日本人の席にだけ何故か!料理を運んで来ないのである。
さすがに、ただごとでないと感じたのか、今度は中国人現地ガイドと日本と中国の添乗員の3人が揃って料理の督促に店内奥へ消えて行った。私達の席からは店内奥の廊下を曲がった先で添乗員が店の誰とどんな話をしているのか全然わからない。
こんな調子で料理が1品来るたびに、たっぷり待たされ、そのつど厨房に督促しに行くことの繰り返しの夕食となってしまった。結局5品の料理が出てくるのに2時間半費やし、ロシア料理名物の「ボルシチ」や「ピロシキ」を食べることなく、私達は怒りを胸に秘めてレストランを出た。
ホテルに帰るバスの中で日本人添乗員と中国側添乗員に対し、私達皆で抗議をすることになった。どう考えても私達に意識的にいやがらせをした「反日レストラン」ではないか!。なぜあのようなレストランを選んだのだと・・・昨夜はこんな後味の悪いで眠りについたのであった。
ハルピンから旧満州国首都長春(新京)へ
中国の駅はどこも満員だ
満員のハルピン駅硬席(2等)待合室
早朝の6時半にホテルのロビーに全員が集合したところで、朝食の弁当をもらい私達はハルピン駅へ歩き出した。 今日の予定はハルピン駅7時30分発の列車で吉林省の省都「長春(かっての満州国の首都、新京)」まで3時間ほどの汽車の旅である。
早朝にもかかわらず人ごみでごった返す駅構内をぬけて、ハルピン駅の軟席(1等)専用の待合室に私達は入室した。
それにしても人が多い!硬席(2等)専用待合を覗くとは、まだ7時前なのに黒山の人で立錐の余地がないぐらいである。
硬席(2等)車両に乗り込もうとする人たち
改札が始まった!ホームに降り立つと列車はすでに入線しており、自由席の硬席車両にめがけて乗客がわれ先に走りこんでいくなか、私達は軟座指定席なのでゆったりとホームを歩きながら軟席車両に乗り込んだ。
私達の指定座席にいくと、おかしいことに中国人乗客がすでに座っている!添乗員が切符を見せるとあわてて立ち上がり席をあけてくれる。
車内は満席で指定席車両にもかかわらず乗客がどんどん入り込んでくる、通路に人があふれ騒然とした中、列車はハルピン駅のホームを離れた。
巨大な長春(新京)駅
車窓からは山一つ見えない広大な中国大陸東北の大地が広がり、とうもろこし畑と水田がどこまでも続く。満員の車内に日本人グループ旅行客がいるのが珍しいのか、わざわざ私達の座席の近くまで来て、私達の様子をじっくり観察して帰っていく人までいる。
午前10時20分列車は長春駅ホームに滑り込んだ。
吉林省の省都である長春は、1932年日本の侵略により傀儡国家である満州国が建国され、その国都で「新京」と呼ばれたところである。
現在は広域市区人口700万人(市街地人口290万人)、「森の都」「北国春城」と称され、夏は比較的涼しく、町は多くの緑に覆われて(市面積の40%が森林)いる。
長春市内繁華街の雑踏
日本の仙台市との姉妹提携都市でもあり、東京や奈良の町並みに似ているといわれる長春の市街では、満州国時代の遺構が数多く残り、今でも政府機関庁舎として使用されると同時に長春の観光名所ともなっている。
長春の現地ガイドの出迎えをうけ、案内されるまま、中国のどの駅にも共通する異常に長いホームを歩き改札口をぬけ、バス駐車場で駅方向を振り返ると、あたりを睥睨するような巨大なピラミッド型の長春駅が目に飛び込んできた。大きいものが好きな中国人好みの建物で圧巻である。
ラストエンペラー溥儀の宮殿
偽満皇宮博物館の皇帝溥儀が暮らした緝熙楼
長春における最初の観光は「偽満皇宮博物館」である。ここは中国の「ラストエンペラー溥儀」(清朝最後の皇帝)が日本の傀儡として満州国の皇帝となったとき、新宮殿の完成まで仮の宮殿として造られ、皇帝としての在位期間の大半を過ごしたところだ。
現在は博物館として当時のすべての建物を一般公開しており、歴史教育の場として多くの中国人が見学に訪れている。
新宮殿完成までの仮宮殿だった同徳殿
敷地内に入ると、まず正面の建物が皇帝溥儀と皇妃が住み生活を営んだ緝熙楼で、玄関前に大きな石碑があり「 勿忘九・一八、江沢民」と文字が彫られている。
文字を訳すと「勿忘」部分の意味は「忘れてはならない」で、「九・一八」部分の意味は1931年9月18日に起きた柳条湖事件(満州事変の発端となった事件)のことで、中国側では九・一八事変として日本軍の侵略が始まった国辱の日とされている。
満皇宮の勤民楼、公務をした所
要約すると「日本による侵略が始まった満州事変を忘れてはならない!江沢民」というようになる。
現在の国家主席・胡錦濤 の前任者であった「江沢民」は嫌日感情が強く、国家を挙げて日本による侵略の歴史教育を国民に徹底し、中国国民の反日感情を増幅させるような施設を中国国内あちこちに造った人物で、そんなことから、この博物館前にも彼の訓話が彫られた石碑があったのだ。
満州皇帝の玉座
偽満皇宮「緝熙楼」の中は、寝室、書斎、浴室、仏室などがあり、室内には当時そのままの家具と復元された人形が配置され、当時の生活の様子がリアルに再現されている。
緝熙楼を抜け勤民楼、懐遠楼、同徳殿などと呼ばれる建物内を、ガイドの詳細な説明で2時間近くかけて見学を終え、正面入り口に戻ると、小さな小学生らしき30人前後の集団が入館するべく待機していた。
中国における愛国教育
皇帝溥儀の寝室
引率の先生らしき中年女性二人が子供達に「きちんと並びなさい」と注意をしている。
そばに近寄るとあまりにも幼い顔立ちと体型である。興味本位に並んでいる一人の子供に聞いてみた!「小学何年生なの?」するとキャキャ笑って答えてくれない! 今度は引率の先生らしき女性に聞いてみた、すると何と!幼稚園児だというではないか!私は唖然とした。
このような日本による侵略の遺構の歴史博物館を幼稚園児に見学させて、いったいどのような説明をするのであろうか? 園児が説明を聴いて理解できるなんて思われない。 中国では国内各地に造った「日本の侵略戦争を克明に展示している歴史博物館」を、小学生以上の生徒には義務教育として見学させていると聞いたが、まさか!幼稚園児にまで義務として見学させているのであろうか?
日本統治時代の建物があちこちに残る長春市内
日本の面影が色濃く残る
旧満鉄経営の長春ヤマトホテル
中国における現代史の歴史教育は嫌日教育と表裏一体のようなもので、教育もここまで徹底すると恐ろしささえ感じるではないか!。
偽満皇宮博物館の見学を終えたところで昼食の時間となった。 昼食場所は旧満鉄が経営していた「長春ヤマトホテル」のレストランで、長春では食事のおいしいレストランとして有名らしい。
きれいに修復された旧ヤマトホテルは、今は春誼賓館と名を変えて三ツ星ホテルとして使用されており、館内には日本名の「京都」「鹿児島」などの部屋名が今でも残って使われていた。ちなみにフロントに掲げられていた宿泊料金を見ると、単人房(シングル)320元(4800円)が値引き表示され180元(2700円)になっていた。
ヤマトホテル内の日本の地名がついた部屋
昼食を終え、再び満州国時代の遺構めぐりバスツアーとなった。 旧満州映画を前身とする長春電影宮(映画撮影所)を見学し終えると、旧満州国の国務院(国会議事堂)にむかう。
車窓からは、さまざま満州国時代の「旧関東軍司令部」「最高検察庁」「満州国交通部」「満州国軍事部」などの建築物が次々と現れる!これらが今も現役として立派に使用されていることに驚きと感動さえ覚える。
旧満映ここで山口淑子などのスターが生まれた
バスが郊外の南湖公園近くを走行中、とある高校前の交差点に停まったとき、異様な光景が目に飛び込んできた!
初夏の炎天下、校門前から学校の敷地を取り巻くように、黒山のような老若男女が座り込んでいるのである。
現地ガイドに「あれは何か?」と聞いてみると、今のこの時期(6月下旬)中国では入学試験シーズンで、子供の受験に受験校までついて来た両親や祖父母が、試験が終わって学校から出てくる子供を炎天下のなか一日中、学校を取り囲んで待っているのだと言うではないか!。
日本の旧関東軍総司令部(現共産党地区本部)
ガイドの話を聞き、私達から一斉にエッー”と感嘆の声が上がる!。(中国の新学期は夏休みが終わる9月から始まり、入学試験は3日間行われる。) 何と!試験期間中3日間、親達は仕事を休んでひたすら子供の受験に付き添うのである。
中国において子供の教育にかける両親祖父母の情熱や子供達の勉学にいそしむ姿は、日本人の目からみれば常軌を脱しているようにさえみえる。今まで中国旅行先の各地で驚愕の現代中国教育事情を垣間見てきた。
炎天下、高校の校門前に座り込む受験生の親達
ここ吉林省の省都・長春は中国でも有数の学園都市(市内に33の大学がある)といわれるだけあって、熾烈な受験競争が行われているのだろう!しかし、それにしても炎天の下、3日間もひたすら子供を校門で待ち続けるとは!・・
いったい、それに比べ日本では戦後の教育熱も冷め、学習時間も減少の一途をたどり、いつの間にか、国際学力試験ではトップクラスだったものが、中国、韓国、シンガポールなどに大きく水をあけられてしまったようだ。
たまたまインターネット検索で調べてみたら、日本の最高学府の「東大」は「国際・大学、学力ランキング」では、ランク外の101位で、見るにに堪えない状態になっており、日本の将来を思うと暗い気持ちになるのは私だけだろうか!?・
日本の中国人留学生事情
またしても旅行記から脱線してしまうが、私にとって一番ショックで重く心に残っていることがある。
かって私が中国語を学習しているころ、先生が北大の中国人留学生だったこともあり、その縁で多くの中国人留学生と知り合うことになった。
必死になって日本で勉学にいそしみ知識を身につけようとする真摯な向学心。高い物価の日本で厳しい生活をしながら、学業の合間をぬって何件もの夜間アルバイト。 そんなひたむきな中国人留学生を見るにつけ、中国語教室の仲間で中国人留学生を支援する組織を作ろうということになった。
(最近は留学生数の増大に伴い、日本での厳しい生活に直面し、途中で挫折し犯罪に走る中国人留学生も増えているのも、悲しいかな事実である)
学校を取り巻くように座り込む高校受験生の親
そんな彼らに日本を理解してもらう支援活動の一環として、彼ら(彼女)留学生を我が家に招待し、女房の手料理をご馳走したり、温泉やドライブ旅行を煩雑に行った。我が家で酒を飲みながら、彼ら(彼女ら)日本での留学生活の悩みや留学後の夢について、親しく語り合ったものである。
いくら酒の酔いが回っても、礼儀正しく年長者にたいする尊崇の態度は、日本の若者に見られないりっぱなものであった。
満州国・国務院(最高行政府)
しかし、回を重ねて語り合い親しくなると、彼ら(彼女)の日本に対する複雑な本音感情を聴く場面が多くなった。
数多くの留学生と語り合ったが、異口同音に共通していたのは何と!「日本へ留学にきて失敗した!間違えた!」というものであった。将来、自分の子供が留学することになったら「絶対日本にだけは来させない」!アメリカに行かせるというのである。 さらには追い討ちをかけるように、留学に来て「逆に日本が嫌いになった!」と、ほとんどの留学生が言うのである。
旧満州国司法部(現吉林大学)
ショックだった!彼らに”なぜだ”と問う私に、やはり異口同音に答えたのが、「一緒に学ぶ日本人大学生達の授業態度や堕落した生活」「遊びの場になってしまった大学構内の姿」「アルバイト先での偏見や、中国人とういことでの見下した態度」「平和ボケしてハングリー精神がなくなり、軽薄な日本の社会風潮」等々、堰を切ったように話すのであった。私は耳を傾けながら反論することができなかった。
旧満州国軍事部
先進経済大国の日本で学ぼうと夢を持って来日し、苦難の留学を終えた劉留学生の大半(8割方)が、「日本に来て何も学ぶべきことがなかった!」と言いつつ、日本嫌いになって帰国して行くのである!
あまりにも、さびしく悲しい話ではないか!留学を終え日本のよき理解者として帰国し、日中友好の架け橋になるならまだしも、大の日本嫌いになって帰国して行くのである!!
話が脱線してしまった!旅行記に話を戻す。バスは旧満州国・国務院(最高行政府)の玄関前に横付けされた。 日本の国会議事堂を真似て作られた建物で、現在は医科大学として使用されている。
日本の国花は菊それとも桜?
旧満州国国務院(国会)
玄関前に日中戦争を経験したという80歳くらいの老人が待機しており、流暢な日本語で建物内部の説明を始めた。かって日本関係の仕事をしていたらしい。
ところがこの老人の説明途中で私と論争が起こってしまった!。
建物内の展示品の一つに菊の紋章が付いており、この老中国人が「日本の国花であるこの菊の紋」と何度か説明したので、私が「日本の国花は桜である」と言ったところ、彼は頑として、貴方は間違えている「日本の国花は菊だ!」と言ってきかないのである。旅仲間全員がこの論争に加わり「桜だ!」いや「菊だ!」となってしまった。
私の意見は、「菊の紋は天皇家の紋で国花とは違うはずだ!」と言ったところ、彼は「天皇家イコール日本ではないか!だから国花だ!」と言うのである。 結論が出ぬまま、日本に帰ったら調べることにして見学を終えた。
出口にむかうと売店がある、今度は説明員から売り子に変じた老中国人が、私達を漢方薬の展示コーナーに案内し何と!漢方薬のバイアグラ(精力剤)の説明をしながら売り込みを始めだした!
それも、言うことが面白い!流暢な日本語で「私も試してみたが効果てき面だ!」と言うのである。それを聞いて私達は大笑いしていまった!80歳をとうに過ぎているのに、いったい「誰を相手に効果を試した!」というのだ!・・・・・
長春のホテル周辺
旧満州国交通部
長春市内の旧満州国時代の遺構巡りを全て終え、例によって土産物店に案内され無駄な時間をつぶしたあと、今晩の宿泊である郊外の大きな河川敷公園に隣接したホテルにチェックインした。
日中友好を記念して最近建設されたホテルのようで、日本人宿泊客も結構多く、巨大な館内には日本料理店なども含めて幾つものレストランがあり、宴会場として地元中国人もかなり利用しているようだ。
学園都市長春の繁華街
夕食まで少々時間がある!ミネラルウオーターを買うべく、ホテルを出て裏手のアパート団地の方向へ歩いていくと、彼方から賑やかな太鼓とチャルメラの音が流れてきた。
音に惹かれるように歩みを進めると、前方にスーパーマーケットが見え、横の空き地でカラフルな衣装を着けた男女の一団が、中国特有のヤンガー(田植え踊り)を踊っているではないか! 早朝の公園ではよくダンスをしている一団を見かけるが、アパート団地の一角にあるスーパーの空き地での踊りの場面は初めての経験である。
中国名物ヤンガー踊りでお祭り騒ぎ
しばらく見ながらデジカメで写真を撮ろうとすると、踊りを取り囲んでいる人たちの視線が私に集まる。やっぱり場違いな人間のようである。
スーパーで1本1・5元(23円)のミネラルウォーターを2本買いホテルに戻ると、ちょうど夕食会場に出発する時間となっていた。
中国東北・田舎料理と銘打った夕食を終えホテルに戻ったが、まだ寝るには少し早い!ホテル1階の長い廊下の突き当たりに日本料理店があるので、寝酒に日本酒を一杯ひっかけようと暖簾をくぐった。
店内は10席ほどのテーブル席があるのだが、客が一人もいない!。その誰もいないテーブル席に座っていた和服を着た3人の小姐が、私を見てあわてて席から立ち上がり、一斉に独特のイントネーションの日本語で「イラシャイマセ」の声を出した。
私はあわてて廊下に飛び出しロビーのほうへ逃げ出した!いかに何でも、客の一人もいない店内で私一人が酒を飲む気にはなれない。
しかしせっかく設置した日本料理店なのに誰も客がいないのには、日本人として残念でさびしい限りである。大連では結構客がいたのに・・・・
妖しい美女が部屋にやってくる
あきらめ部屋に戻りシャワーを浴び、日本から持参した焼酎を飲みながらTVを見ていると、部屋のチャイムが鳴りドアをノックする音が聞こえる!。
こんな夜遅い時間に誰かが尋ねて来るなんて、おかしい?不審に思いTVの音量を小さくし、不在のふりをして息を潜めていると、チャイムが鳴り続ける。
しかたなしにドアの小さな覗きレンズから廊下を見ると何と!若いチャーミングな女性が私の部屋ドアの前に立っているではないか!!
一瞬危険な体験が頭をよぎった!かって中国一人旅の冒険旅行では、さまざまな危険な思いをしてきている!。
上海のホテルではノックの音にうっかり部屋のドアを開けてしまい、美人局まがいの二人組み男女に部屋に入り込まれ、金をゆすり取られたことを経験してるのだ。
夜間、部屋を訪ねてくる人には「絶対にドアを開けぬぞ」との決意で、ドアを開けず室内から廊下にたたずむ彼女に私は言った!「用件は何ですか?」すると彼女が「伝言がありますのでドアを開けていただけますか?」と言うではないか!。
私、「ドアは開けない!伝言があるならそこで言いなさい!」と言うと、無言でたたずみ伝言を言おうとしない。しばらくし、もう一度チャイムの釦を押し、それでも私が応答しないでいると、あきらめたのか去っていった。
長春市民憩いの場南湖公園
夜更けに男の一人部屋に見も知らぬ若い女性が訪ねて来る!。どう考えても、まともじゃない!ベットに戻りTVを消し眠りに入ると、またしてもチャイムが鳴りドアをノックする音が聞こえてきた! 無視しているといつまでもしつこくチャイムを鳴らし続ける。大連では電話だけの勧誘攻勢だったが、ここ長春では部屋まで訪ねてくる。かなり積極的だ!
少々頭にきながらドアの覗きレンズから廊下を見ると、先ほどとは別な美人が手に手紙の封筒のようなものを持って廊下にたたずんでいる。
またしても、私がドアを開けず室内から「用件は何ですか?」と聞くと何と!今度は「伝言メモを預かっているので持って来ました!」と言うではないか!。私が覗きレンズから廊下を見ているのを察し、手の封筒をヒラヒラさせている。
私が「その伝言メモをドアの下から入れなさい!」と言うと、さきほどの女性と同じように、戸惑った表情でたたずみ、再びドアをノックする。
私が無視していると、あきらめたのか手に持った封筒をドアの下に入れることなく持ち去って行った!。
敵もさるもの、何とかしてドアを開けさせ部屋に入ろうとする彼女達の行動!四ツ星ホテルのツイン部屋に一人で宿泊している初老の日本人男性の私をカモとばかり目をつけたのであろうか? 翌朝旅仲間の男性に聞いてみたら女性が訪ねてきたのは何と!私の部屋だけだった。なぜ私だけが?・・そんなに好きそうに見えるのだろうか? 私だけ一人部屋なのを知っているのだ!
私がかってその道で高い授業料を払い遊んだ人間であることが、ロビーをウロチョロしていた私を見て分かったのだろうか?だとしたらすごい直感力だ!
中国では日本人イコール金持ちのイメージが強く、まして日本人男性旅行客といえば、「色情狂で金持ち」が定着してしまっている。
ホテルから、「うちのホテルの何号室にスキそうな金満日本人が一人で宿泊しているよ!」と、その道の女性斡旋業界に連絡がいく仕組みになっているようなのである。 こんなイメージの定着に多大な貢献をしたのが、国民の税金を使い海外現地事情視察と銘打った、県議・市町村議員の大名旅行にほかならない。
一時期の中国はどこにっても議員の視察(100%観光)旅行でいっぱいだった!。カラオケバーを貸切りドンちゃん騒ぎして部屋に連れ込むのである。挙句は買春ツアーまがいのものまであった。
再びベットに戻り眠りに入ると、またしてもチャイムが鳴る!もう起きてドアまでいく気がしない!完全無視を決め込んでいると諦めたのか静かになった。と思ったら何と!今度は電話が鳴りだした、この執念、もうあきれて受話器をとる気にもなれぬ!