旧満州・中国東北三省を行く


長春から瀋陽にむけ出立の朝ひと時!

早朝のホテル周辺?

 旧満州国の首都であった長春(新京)での遺構巡りを終え、夕食後することも無くおとなしく長春郊外の四つ星ホテルで眠りについた。夜中の12時過ぎまで長春美人の誘惑攻勢にさらされたが、なんとか早朝5時には少々寝不足気味なものの健康的な朝をむかえることができた。
ホテル近くの河川敷公園での一コマ

 今日の予定は長春駅8時30分発の列車で遼寧省の省都「瀋陽(奉天)」への移動である。7時10分にホテル出発ということで朝食タイムを含めてまだ2時間ほど時間がある。それまで1時間ほどホテル周辺をウオーキングするべく玄関を出て、15分ほど歩いた先にある河川敷公園に向かった。

 橋を渡ると河川敷の広場では例によって、さまざまなグループが太極拳、ダンス、剣舞などに熱中している。それらのグループを眺めながら、そばを通り抜け堤防上の道を進むと、彼方に黒山のような人だかりが見え、人々のざわめきが聞こえてくる、近づくと朝市の真最中である。

散策途中で朝市にぶつかった
 野菜と果物を中心に衣類等が路上に並べられ、売り手と買い手が大声で必死に価格交渉をしている。中国語独特のイントネーションで日本人からみれば喧嘩をしているように聞こえる。 何しろ定価というものが存在しない国である!値段は相手との駆け引きで決まるのである。弱気を見せたら高いものをつかませられるので必死に交渉している。中国人のバイタリティに圧倒される一コマだ!

 雑踏の中に足を踏み入れると面白い場面を見つけた!市場の片隅で床屋商売をしている真っ最中なのである。
朝市会場での散髪 路上に刈られた髪が散乱
 私がカメラを写そうとするのを気にもかけず手際よく刈っていく!いくらの散髪代を払うのだろうと見ていたら何と!4元(60円)しか払わないではないか!安い!これでは繁盛するはずだ!日本と違い理容免許が必要ないのだろうか?  
 かって中国の各地で、台の上に何本かの「やっとこ」を並べ虫歯を引っこ抜く歯医者をよく公園や朝市で見かけたものである。最近は見かけなくなってしまったが、規制されるようになったのだろうか?。 中国らしい庶民生活の一端をかいま見てホテルに戻り朝食を済ませると、ちょうどバスの出発時間が近づいてきた。


ホテルをチャックアウト時のトラブル

何と!私の部屋の灰皿が無い?

 早めにチェックアウトを済ませ、ホテル玄関前に待機しているバスに旅仲間全員が乗り込み出発を待っていた。すると少し遅れて劉添乗員がバスに乗り込んでくるや私の席にきて「佐藤さん、ちょっとバスを降りて私と一緒にもう一度ホテルのフロントまで来ていただけますか!」と言うではないか! 何事だろうとバスを降り彼女とフロントまで行くと、フロント内にいる小姐(服務員)を前にして劉添乗員が私に何と!「佐藤さんがチェックアウトしたのでホテル側で佐藤さんの部屋を点検したら、灰皿が一個無くなっていると言っています!」「佐藤さん、灰皿知りませんか?!」と言うではないか!!・・・・・
 私は一瞬、言っている意味が分からずキョトンとしていると、再び「佐藤さんの部屋の窓側にある応接テーブルの上の灰皿が無くなっているとホテルが言っています!」と言うではないか!。
 聞いているうち、たかが灰皿一個、出発間際のバスから呼びつけて何だ!との思いで、私は顔が熱くなってくるのを感じた!しかも何たることだ!盗んだのではないかと完全に疑っている!。         

 冗談でない!と思いつつも疑いを解かねばと私が逆に質問した、「まだ朝の7時なのにもう僕の部屋を清掃メンテナンスを始めたのですか?本当に僕の部屋を点検したの?他の部屋と間違えていませんか?」 ここは疑いをかけられている微妙な場面なので、私は片言中国語を使うのをやめ劉添乗員の通訳に頼ることにした。
 劉添乗員の通訳をはさんで、「初めから部屋に灰皿は無かったのではないか?」「もう一度チェックしてみろ」「私はタバコを吸わないので灰皿を盗む必要がない!」となど、ホテル側とやりとりをするのだが、ホテル側は「間違えていない!1個無くなっている」と頑強に言いつづけるのである。 
 おかしい!しつこすぎる?たかが灰皿1個である!普通ならお客が否認すれば分かりましたで済むはずである。
その内、フロント主任らしきもう一人の女性服務員まで私達のやりとりに近づいてきた。

何と!完全に盗人扱いしている!

 とうとう、私は頭にきて言った!「冗談でない!そこまで疑うならバスまで来て私の旅行ケースの中を調べてください!」すると、小姐が「そこまでしなくても結構です」と言うものの、黙ってしまうや、失礼しましたどうぞ出発してくださいとは言わないのである。劉添乗員もどうしてよいか分からず戸惑いの表情をしている。
 あまりの盗人扱いに私はとうとうプッツンした!「俺は何十回も中国旅行を経験している日本人だ!少なくても中国人よりは豊かなはずだ!」「わざわざ日本から来てたかが灰皿1個!盗むと思うか!」「中国人宿泊客と一緒にするな!」「冗談を言うのもいいかげんにしろ!」と言った。
 私の激烈な言葉を聞いた劉添乗員が戸惑ってしまい、ホテル側に私の言葉を通訳しようとしない!私がホテル側に通訳せよと督促しても、「佐藤さん!そこまで言わなくても!」と言うではないか!。

 こうなればしかたない!片言中国語だがこの程度の中国語なら通訳なしでも何とか話せる!
私はもう一度、同じ怒りの言葉を少しどもりながら中国語で言った!突然、私の口から中国語で激烈な怒りの言葉が飛び出したので、二人の小姐ともびっくりして私の顔を見つめポカーンとしている。
 すると、少し間をおいてフロント主任らしき小姐が憮然とした表情で「もうよろしいです!」と言い放った!すると何事もなかったかのようにフロントにチェックアウトで並んでいた他の宿泊客の応対を始めるではないか。
何だ!俺を泥棒扱いして、「もういいです!」一言だけのこの態度は!
 日本なら「大変失礼いたしました、お忙しいところお引き留めして申し訳ありませんでした」と言って謝るところだが、「もうよろしいです!」の一言だけである。
本来なら納得するまでホテル側とやりあいしたかったが、瀋陽行き列車の出発時間が迫ってきている。とことんやり合いたいところだが時間がない!何とも腹ただしい思いで再びバスに乗り込んだ!       

 中国に来るたびに腹ただしい思いの連続で、「もう二度と中国には来ないぞ!」との固い決意で帰国するのだが、半年もしないうちになぜかまた行きたくなってしまう。 何故!どうしてと自問自答してみるのだが、分かってきたことがある。 旅の道中で次々と起きる「トラブルやハプニング」、生活習慣の違いからくる「カルチャーショック」、これらを腹ただしく思いつつも反面、楽しんでいるのである。
 日本では考えられないさまざまな出来事に腹を立てつつも、それが時間の経過とともに面白おかしく楽しい体験として心情が変化していくのである。やっぱり私はどう考えても病気だ、それもかなりの重病の中国病なのだ!。


鉄道で長春駅から瀋陽へ

巨大な長春駅

巨大な長春駅

 巨大なピラミッド型をした長春駅に着いた。朝早い時間にもかかわらず雑踏でごった返す駅構内を、ガラガラと音を立てながら旅行ケースを引っぱりながら進み、軟席(1等)専用待合室に入った。
 中国の鉄道駅の待合室は乗車する列車の座席等級によって分けられている。座席の硬軟によって等級が区分されているのである。硬席(2等)は硬席専用待合室、軟席(1等)は軟席専用待合室に入り、改札も待合室単位に行われそこからホームに向かうようになっている。

軟席(グリーン)座席専用待合室

 私達が入室した軟席(1等)待合室は、ゆったりした室内にソフト椅子が置かれ、飲食物の接待所まで併設されている。ぎゅうぎゅう詰めで込み合う室内に硬いプラスチック椅子が置かれた硬席(2等)待合室とは、ここまでやるかと思うくらい露骨に差をつけている。
 更に特徴的なのは、どこの駅にも軟席(1等)待合室を更に上回る豪華な「軍人専用待合室」が設置されていることである。 

軍人とその家族を優遇する専用待合室

 室内をこっそり覗いてみるとホテルのロビーのような応接セットが置かれ、尊大な態度の軍人やその家族が座っていた。
 やはり軍人優先の軍事国家なのだ。 改札が始まった!長いホームを歩き軟席車両に乗り込むと、中国にしてはめずらしく定刻時間の8時半に長春駅を離れ瀋陽にむかって走り出した。
 車窓の外は北海道を思わせるような単調な平原と穀物畑の景観が広がり、車内はひっきりなしに弁当やスナック菓子の売り子が行ったり来たりする。
やがてちょうど4時間余りの乗車で12時半に瀋陽(奉天)北駅に列車は到着した。食事をしない乗客に占領された食堂車

 
 瀋陽北駅前に出迎え待機していたバスに乗り込んだがちょうど昼食時間となっている。
 バスは瀋陽郊外の農業技術研究所構内に入り込み、職員食堂らしき建物の前で停まった!。どうもここが昼食会場のようで、構内の奥まった所にあり看板類も一切掲げられていない不思議な政府関係機関の建物だ。 
 ドアを開けると室内は正しくレストランで、私達が着くのを待っていたかのように、一斉に若い小姐達から日本語の「いらっしゃいませ」で迎えられた。
 なんとも不思議なレストランである!大型円形テーブルが10席ぐらい配置されている店内には、まだ午後1時を過ぎたばかりなのに客が一人もいない。

瀋陽に着いた

瀋陽北駅に到着 近代的なホーム
 誰もいないガラ〜ンとした店内の中央席に私達7名が座ると、小姐が入れ替わり立ち代り席に来てかいがいしく接待してくれるのだが、彼女達の容姿が清純で幼い顔立ちである。どう見ても全員が高校生のようにしか見えない。
 食事が始まったが、どうしても彼女達の若さが話題になってしまい、旅仲間の一人が私に「佐藤さん!彼女達の年齢を聞いてみてくれませんか」と言った。
 5名いる小姐全員が私達のテーブルを取り囲むように立っており、コップのビールを一口飲むたびに席に来てビールを注いでくれたり、料理を小皿に取り分けたりしてくれる。        
 私のグラスにビールを注いでくれた小姐に年齢を聞いてみると、思ったより歳がいっていて20歳だという。全員がアルバイト召集をかけられたとのことで、間もなく別な日本人の団体客も来ることになっていると答えた。
列車内でくつろぐ私

 政府関係機関構内の奥まった場所で看板もないレストランは、外国人(日本人中心)観光客専用のレストランのようで、食事の予約が入ると小姐のアルバイト召集がかけられるようだ。 食事を終え出立しようとしたとき、入れ替わりにさきほどの小姐が言っていた20名弱の日本人団体客がドヤドヤと入ってきた。

 この不思議なレストランを出ると何と!そのまま同じ構内の別な一角にある土産物店に案内された。ここも看板類が一切掲げられず人目を避けるような建物である。 今回の旅のH急交通社は格安ツアー料金を売り物にするだけあって、あの手この手のこれでもかというぐらいショッピングにつれ込む。私にとってはウンザリするようなつまらない無駄な時間の浪費が始まった!。
 地元中国人から隔離され人目を避けるように設置されたレストランと土産物店で無駄な時間を過ごすと、やがてバスは日中戦争勃発の地に建てられた九・一八事変歴史博物館の駐車場に入った。


反日教育の場となってしまった九・一八事変博物館

不思議な造形の九・一八博物館

 1931年9月18日、日本軍(関東軍)は自ら満鉄の柳条湖区間の線路を爆破し、日本軍はこれを中国側の仕業として口実をつくり、中国東北部(満州)の侵略を開始した。
 日本でいう満州事変の始まりで日本軍による自作自演であった。 
 中国人にとっては屈辱的な柳条湖事件で、この事件を後世代に伝えるため事件勃発60周年に柳条湖事件の現場に歴史博物館として建てられたのだ。
 その後中国共産党総書記「江沢民」の直接の指揮による愛国主義キャーンペーンが開始されるにともない、増改築され1999年に再び「九・一八事変博物館」としてオープンしたものである。

九・一八事変歴史博物館の塀には江沢民の揮毫が
 江沢民による国家をあげての愛国キャンペーンのシンボルとして、中国の各地にこのような日本の侵略戦争を中心テーマとした歴史博物館が数多く建設された。
 これにより中国にとって屈辱的な日本の侵略と残虐行為の歴史が国民に周知徹底されるようになったのだ。 
 この博物館にも長春の偽満皇宮同様「江沢民」が揮毫した大きな壁面があった。 
駐車場から広場をぬけ本館の方へ歩いていくと、弾痕と髑髏の残る事変の期日が記されたモニュメントがある。

銃痕と髑髏を模した異様な九・一八博物館
の入り口、ここから地下に入っていく。
 何と!この風変わりなモニュメント石碑が博物館への入り口だった。一歩館内ロビーに入ると大勢の中学生らしき団体が入場待ちをしている。 なんとも厭なマズイ雰囲気である!侵略した側とされた側が一緒に見学して歩くのである。
 巨大な地下の館内には迷路のように配置された幾つもの展示ルームがあり、私達は大勢の中国人見学者に混じって日本語ガイドの説明を聴きながら歩みを進めた。

日本による残虐な侵略の歴史

 展示室には日本の侵略からはじまり、中国人民にたいする日本軍による虐殺・虐待とそれによる中国人民の艱難辛苦を訴えた資料(主に写真)から、日本刀で首を切られたり、犬に食べられる中国人など、日本統治下の残虐な様子が人形を用いて生々しく再現されている。なんともすさまじい!展示がなされている。
 見学時間時間は90分間ということで時間はたっぷりある。一つ一つの展示コーナーを見て歩くのだが、日本軍の中国に対する残虐な場面の写真のオンパレードで、真実かどうか疑いたくなるが、紛れもなくこれは真実なのだと自分に言い聞かせつつ見て歩く。それにしてもこのような写真どのようにして収集したのであろうか?・・ それにしても日本軍はひどいことをしたものだ!
世界遺産瀋陽故宮のアーケード

 中国人団体と一緒の見て回るのだが、日本人として強烈な罪悪感にかられ、何とも切ない気分になってくる。一緒に見て回っている中国人達も私達が日本人だということがガイドの大きな声で話す日本語の説明で分かっており、私達の表情をチラチラ窺い見てる。
 日本軍の残虐行為の場面にくると、ガイドがこれでもかというぐらいに懇切に時間をかけて説明をする。私達はだんだん言葉を失い全員が寡黙になっている!私は身体も虚弱で弱いのだが、それにも増して人一倍気が弱い!気が滅入ってしまい見学を途中で打ち切り、旅仲間の見学が終わるまで出口で待っていることにした。
瀋陽故宮の門前街の歴史的建物
 この種の博物館を中国各地に建て小学生のときから義務教育として見学させたら、民族感情が高まり日本に対する反感が益々強くなるのは当然の気がしてくる。何しろあまりにも残虐で非人間的な日本軍の侵略行為を、過激ともいえるほどの手法で見学する人に訴えているのである。
 かって6年前には南京で「南京大虐殺記念館」を見学したことがあるが、そこはこの九・一八博物館よりもっと陰惨・残虐な日本軍の行為の一端が展示されていた。
 一緒に入館した日本人ツアー客が気分が悪くなり、見学を途中で打ち切った人が続出したのを思い出した。
瀋陽故宮門前町の繁華街


 いま日本国内では靖国神社のA級戦犯問題で騒がれている。戦争犯罪者を擁護し彼らも戦争の犠牲者であり、刑死といえども死んでしまった以上は神になったのだから祀られるのは当然だという「無知蒙昧な論理をふりかざす国会議員が結構いるらしい! そんな連中に声を大きくして言いたい!一度中国に来て各地にある歴史博物館を見てみろと!見れば歴史(侵略戦争)の事実に声を失うはずだ!決して自衛の戦争ではなかったことが分かる筈だ!。

 このような残虐な侵略戦争の責任を問われ刑死した人が、いつの間にか靖国神社で神様になり祀られている。私にはとうてい理解できる範疇を超えている。
 侵略した国の人民ばかりか日本国民にまで多大な犠牲を出し、国家を滅亡の淵にまで追いやったA級戦犯達なのである。(ここはちょっと過激すぎる表現かな?) 言っておくが私は決して左派思想の持ち主ではない!どちらかというとむしろ右よりだ! 激烈な競争の資本主義社会で民間企業のサラリーマンとして40年近く働き、満期定年を迎えることができた自由な日本社会に感謝しつつ、いま第二の青春を謳歌している団塊の世代なのだ。

世界遺産「瀋陽故宮」

瀋陽故宮博物院
 また脱線してしまった!話は戻る、出口で待つこと30分、やっと旅仲間が館内の見学を終え暗い表情で出てきた。バスに乗り込むと皆がポツリポツリと異口同音に話し出した!「博物館を見学した中国の人達は絶対日本嫌いになるのが理解できる」と。
 次の観光は清王朝建国の祖であるヌルハチと2代目皇帝ホンタイジが住んだ王宮で、世界文化遺産の「瀋陽故宮博物院」である。
 皇帝が式典を行う場所の大政殿

場所は市内中心部の繁華街に位置しており付近は門前町の名残で王朝時代を思わせるような古い建物の商店街になっている。
 いつも中国に来るたびに思うのだが、街のいたるところに何百年前の歴史的構築物が残っており、それが街並みに何の違和感もなくとけ込んでいるのである。そのような街並みを歩いていると、不思議なほど安らぎとノスタルジックを感じさせ、ますます私を中国の旅のとりこにさせる。
瀋陽故宮の城壁

 1万8000坪ほどの故宮は20あまりの庭園と大小90あまりの建築物で構成され、1636年に創建されたさまざまな宮殿が当時のままの姿で残っている。

ガイドの案内で主要な建築物の「皇帝が式典を行う場所の大政殿」・「貴族や大臣が執務行った十王亭」・「皇帝が軍務や政務を処理した崇政殿」・「皇帝が会議や宴会を行った鳳凰楼」などを見学したのだが、その前に見学した九・一八博物館の印象が強烈だったためか、印象の薄いものであった。
瀋陽故宮・崇政殿の玉座

 これで今日の瀋陽観光スケジュールが終わった!ホテルにチェックインして夕食まで休息タイムだと思いつつバスに乗り込んだら何と!添乗員が申し訳なさそうに、ホテルに行く途中でもう一軒民芸品店に立ち寄ると言い出した。皆の口から思わずため息がでる!。
うんざりする私達の思いを乗せバスは瀋陽の繁華街を民芸品店にむけ走る! 今回の東北地方の旅で、これで何軒目の土産物店まわりだろう!・
                   

その8へつづく