旅順から大連市内へ
大連市街の街並み
旅順の戦跡「水師営」の売店で、日本語を学ぶ向上心旺盛な小姐の頼みで日本語パンフレット下書きの添削の手伝いをしたため、少々バスに遅刻してしまった。
遅刻の事情を知っている旅仲間から拍手で迎えられバスに乗り込むと大連に向け出発した。 これから午後の予定は大連市内に戻り市内観光したあと夕食を済ませると、大連駅21時42分発寝台列車で黒竜江省の省都「ハルピン」に向かうのである。
市内中心部と郊外を結ぶ新型トラム
よく整備された快適な自動車を走り1時間ほどで、大連のさまざまな大学や専門学校が集中している文教地区の一角に入った。路上にはこのエリアと市中心部をつなぐ新型交通システムのトラムが走っている。
やがて午後最初の観光である「大連自然博物館」の玄関前にバスは横付けされた。
ハルピンへの汽車の出発時間までたっぷりあるせいか、中国人現地ガイドが見学時間は1時間だと言う。
がら〜んとした巨大な城のような薄暗い館内には私達日本人以外は誰もいない、ロビーで受付を済まし待っていると、若い男性館員が出てきて流暢な日本語で説明を始めた。
展示品の売り込みをかける大連自然博物館
館員の説明を聞きながら電気代を節約した薄暗い展示ルームを回るのだが、展示ルームには復元された巨大 な恐竜や鯨、化石や鉱物などがびっしり並べられている。
しかし、小中学生の授業なら別だが観光コースとしては見ても見なくても、どうでもよいものだった。
館員の説明を聞きながら疑問が湧いてきた!よくよく考えてみるとおかしい?時たま訪れる日本人見学者のためにわざわざ日本語ペラペラの説明員を雇っているのだろうか? 展示物を見て歩くだけなら特別説明がなくてもわかるし、館内を案内するだけなら、日本語を話す現地添乗員で十分である。
おそらく今日一日の入館者は私達7名の日本人と中国人数名であろう。どれほどの日本人がこの博物館に来るのか知らないが、わざわざ日本人客専門の館員を用意している、それほど日本人客のために好意的な国とも思えないないのだが、やがてその疑問が解けた。
まさか!博物館展示品の売り込みが始まった!
大連港の遠望
一通り見終わったところで、一般客に参観開放していない鍵のかかった別室に案内された。この室だけは今まで案内された展示ルームと違い、照明が明るく展示品が輝いて見える。
6尺四方ぐらいの紫檀でできた陳列棚がいくつも並べられており、その中には自然博物館とは不釣合いな「宝飾製品」が陳列されていた。
展示品を前に館員の説明が始まった、「この赤いメノウ石はこの大連近郊でしか採れなく非常に貴重なもので、数ある中国の博物館の中でもこの大連博物館にしかない物です」
「この陶磁器は明時代の景徳鎮でつくられた国宝級のものです」「これだけ大きな翡翠でつくられた置物は中国でも珍しく、博物館自慢の展示品です」等々、流暢な日本語で長々と語り始め、説明も終わりかけた頃何と!何と!「この展示品を今回だけ特別に皆さんにお売りしてもよい!」と言い出したではないか!
高層ビルが林立する大連の街と大連港
さらに館員が流暢な日本語で言う!「陳列ケースの品全て合せて本来なら日本円で120万円しますが、今回は特別なので80万円にします。」「さらに紫檀でできたこの陳列ケースもサービスでお付けけます」「このようなチャンスはめったにないです、いかがですか?」と平然と言うではないか!
「ウッソー!まさか本当かよ!」私達全員顔を見合わせ唖然とした!博物館自慢の国宝級の置物やこの博物館だけの収蔵品という自慢の展示物を売るというのである。私達の中の誰かが言った!「確か中国の法律では100年以上前の骨董品は国外持ち出し禁止だったはずだがいいのですか?・・」館員一瞬言葉がつまり、「この博物館は国営です、その博物館が特別に売ると言うのですから大丈夫です」「日本までの運賃も博物館が負担します、こんな機会は二度とないですよ!」と熱心に売り込みをかけるのである。
大連市街地の街並み
この博物館にしかない貴重な展示物を、このように売っていったらやがて館内は展示品がなくなりがら空きになってしまうではないか?
国宝級といいながら展示ケース内の10点ほどの宝物全部で80万円なんて安すぎる!
TVの「なんでも鑑定団」に鑑定依頼をするまでもなく、すべてもニセモノに決まっている。おそらくすべてガラス玉か模造品であろう。
この博物館に日本語ぺらぺらの館員がいる理由が分かった!この館員は世界一買い物好きで見境いなく買いまくる日本人に模造展示品を売るのが役目なのだ!。
本当か嘘か分からないが、展示ケースの一つにこれ見よがしに「栃木県佐野市○○様売却済み!」と書かれた紙が貼られたものまであるではないか!
買い物好きで少し、お脳の弱い金満日本人観光客がたまに引っかかるのであろうか? われわれ皆が馬鹿くさくなり、館員がまだ話つづける途中であほらしくなり展示室を出て玄関に向かった。
大連の観光名所
大連の名所、海浜公園の「星海公園」
博物館に名を借りた日本人客相手の宝飾店を出ると、次は大連最大の海浜公園の「星海公園」左上画像に向かった。 公園の前身は日本統治時代の1909年に創建された「星ヶ浦公園」で多くの緑と海に囲まれた大連最大の公園である。
夏には多くの海水浴客でにぎわうところなのだが、海水浴シーズン前のこの日でも多くの市民が波打ち際でたわむれている。夜のハルピン行き寝台列車まで時間がたっぷりあるせいか、この公園でも自由散策を含め1時間も休息してやっと出発となった。
大連市南側の海岸美
大連市は黄海に突き出た半島のような地形に街が開けている。 バスは半島の海岸線をぐるっと回り込むようなかたちで市中心部に向け走り出した。途中、半島の突端の方にある名所の「老虎灘海洋公園」に立ち寄り観光すると、バスは標高の高い自動車道を走りながら市内中心部に向かっていく。車窓からは、中国とは思えない近代的な街並みが一望できる。
急速に近代化が進む大連市
とにかく中国人は大きなものが好きだ! さまざまな施設やビルなどの建築物が巨大なのである。圧倒されるような巨大なビル群、急激に開発が進む大連の街並みをぬって走るレトロな路面電車、中でも近代的な街並みの一角にノスタルジックな建築物がときおり目に飛び込んでくる。
レトロな雰囲気を漂わせながらも、これが近代的な街並みに不思議にマッチしているのだ。
日本統治時代のレトロな建築物
旧満鉄本社前を走る日本統治時代のレトロな電車
市内に点在するそれら多くのレトロな建物は、かって日本統治時代に建てた欧米風建築物で、よく整備され今でも政府機関などとして立派に使用されているのである。
とくに市中心部の中山広場周辺には、日本によって1900年代初頭に建てられた建築物が多く残っている。周りの高層ビルにうまくとけ合いノスタルジックな雰囲気をかもし立ち、大連市最大の観光名所になっているのだ。これらの建物が今も全て大事に政府機関に使われていることに、いまだに残る日本の植民地時代の面影に心が痛みつつも、日本人としての誇りを感じた一瞬であった。
旧満鉄大連港埠頭事務所
やがて私達は旅行会社のリベート稼ぎの民芸品店に案内された。民芸品店といえば聞こえがいいが、大連を訪れた日本人観光客をカモにする日本人客専用の土産物店なのだ。
とにかく新聞紙面で格安ツアーを売り物にしたこのH急交通社は買い物ツアーに来たのではないかと思うほど、毎日土産物店につれ込むのである。
安い旅費なのでまぁそれを覚悟して参加したのだが・・・・それにしても観光時間が犠牲になりうんざりする。
旧大連警察署
玄関前の駐車場にはすでに大型バスが1台駐車している、先着の団体客が来ているようである。バスのフロントには「○○産業新入社員研修」と書かれたツアー名が貼られいる。
日本でも知られた名前の大阪に本社がある住宅設備会社なのだが、豪勢なものである。
新入職員研修と銘打って中国まで観光旅行に来ているのである。
かって多くの日本人が宿泊した旧大和ホテル
玄関に入ると店の店員より、一連番号が印字され割引特典と書かれた名刺大のカードを渡された。中国人現地ガイドが「買い物をして代金を払うときにこのカードを店員に渡してください、特典が受けられます」いと言う。
何のことはない!特典が受けられると言っているが、魂胆は見え見えである。 日本人客を案内してきた旅行社ごとにカード番号を控えてあり、買物終了後、それぞれ旅行社ごとに売り上げの集計を取り、バックマージンを払う為の集計カードなのだ。
旧横浜正金銀行(現在の東京三菱銀行)
そんな仕組みが分かっていても土産を買いあさるのが日本人なのである。「旅に出たら土産を買わねばならぬという脅迫観念からなのか、これでもかとばかりに買いまくる、大和民族特有の悲しい遺伝子を持っているのである。
どの国に行っても日本人客目当ての土産物店に案内され、その国の観光業界に多大な貢献をしているのが、悲しく可哀想な日本人観光客なのだ!
中国の土産は評判が悪い!
店内に入ると、先着の○○産業の新入社員らしき黒ズボンに白Yシャツ姿の一団(全員が同じファッション)が、手に土産物をいっぱいに詰めた買い物袋をぶら提げ闊歩している。40名ほどの一団の中には女性社員らしき人も散見される。
店員の数も異常に多い!私達客一人にそれぞれ一人の店員が張り付き、店内のどこに移動しても付きっ切りで売り込みをかけてくる。おそらく歩合制なのであろう必死で可哀想なくらいである。
旧朝鮮銀行
私はいつも中国への出立にあたって、女房からくれぐれも「中国での土産物は絶対にいらないから買ってこないで!」と言われて家を出てきている!
中国の土産物は極めて評判が悪いのである。初めての中国旅行で「山水画の掛け軸」を勇んで3本も買い物し、意気揚々と肩にぶら提げ帰国し、自慢げに披露したら何と!全て印刷物の偽物で2千〜3千円の価値しかないと言われガックリしたこと。
2回目の旅ではは書道の国ということで「毛筆セット」を5セット買って会社の同僚に土産にプレゼントしたところ、同僚5人全員から「筆の首がもげた」と言われ大恥をかいたこと。
試飲した中国茶が香りがよく味も旨かったので買って帰って飲んだら、試飲した時のお茶とは全然違いなんの香りもせず、試飲の時の茶と実際に買う茶では、まったく中身が違ったことなど。さらには菓子類も極めて美味しくないのである。
数え上げたら切がないほどだまされ、プレゼントした友人知人にすっかり評判を落としまったのである。
それほど苦い思いをしたのにもかかわらず、その後も中国に行くたび懲りもせず、何かかにか買ってくるため、10回目を過ぎたあたりから家を出るとき必ず女房から「絶対に買ってこないでよ!あなたが買ってきた物ほとんど捨てているのだから!」と言われるようになってしまった。
そんなことから、買うものも無いので店内を一巡すると店の外に出て、出発時間まで玄関口のベンチに腰を下ろして通りを眺めていると、やがて私を除いた6名の旅の同行者全員が紙袋を提げて店から出てきた。
バスの中に戻ると、皆が値切り交渉の成果を披露し合う場面となり、最大の値切り幅はTシャツを半値で買ったと自慢してるH氏だった。私の経験から言うとまだ値切れるはずと思ったが、嬉しそうに話しているので黙っていることにした。
日本統治時代の面影が色濃く残る
労働公園の展望台から眺めた大連のビル群
バスは大連市内を一望できる市中心部に位置する労働公園の展望台に着いた。市内最大の総合公園で園内は日本から贈られた桜や芝生など多くの自然に満たされた市民憩いの場となっている。
展望台から眺める大連の街は北方の香港といわれるだけあって、別な国に来ているような近代的なビル群が林立している。
展望台の地べたの上に玩具のような民芸品を並べて売っている露店があったので、皆で覗いて見ると何と!先ほどの土産店でS氏が、孫への土産として買ったものと、まるっきり同じの「日本漫画のキャラクター人形」を真似た小さな素焼きの置物があるではないか!
旧日本人街が再開発され日本風高級住宅団地に変貌
S氏があわてて「佐藤さん値段を聞いてくれませんか」と言うので、私が露天の中年男に聞いてみると1個5元(75円)だと言う。
S氏にそれを伝えると彼は叫んだ!「俺さっきの店で日本円で2個で千円(1個500円)にまけてやると言われ、買ったばかりだ! ここの値段の7倍だ!」
すると別な旅仲間の一人も言った!「オイオイ冗談でないぞ!俺達さっきの土産物店で買ったもの全て、こんな調子で大幅に上乗せされているに違いないぞ!」
私はまだ旅仲間にアドバイスしていなかった、「土産物がほしいのなら旅行社が案内する店で買い物せず、街中に出てデパートやスーパーで買ったほうが圧倒的に安いですよ!」と。
分譲中の日本風高級住宅、どの家の玄関にも日本人形が
大連最後の観光は、日本統治時代に満鉄社員を中心に多くの日本人が居住していた、日本人街の散策である。
市内中心部の一角にかって満鉄社宅などが建ち並んでいたのだが、今は大半が取り壊された跡に、再び日本をイメージした家屋が建ち並ぶ高級住宅団地として大々的に再開発されている。
日本統治時代の旧満鉄の社宅が残ってる
大きな街路をはさんで両脇には、中国ではめずらしい一戸建てで、おしゃれな完成したばかりの新しい日本風家屋が整然と並んでいる。不思議なことに全ての家の玄関前には大きな日本人形が置かれていた。
ガイドの言うことには、日本風住宅と銘打ち大々的に宣伝して売り出しているのだが、ほとんど売れず苦戦しているとのことだった。
団地の中を散策したが、ところどころにまだ再開発されず往時の日本人が住んだ住宅や満鉄の社宅がところどころに残っていた。
すでに80年余り経過し老朽化した家屋を大事に使い、今も中国人が住み玄関を出入りしている姿を見たとき、私の心に嬉しさとありがたさの不思議な感情がこみ上げてきた。
大連から旧満鉄でハルピンへ
日本統治時代の日本人住宅街、満鉄社宅
夕食となった。海に突き出た遼東半島の突端にある大連は新鮮な海の幸の宝庫である。日本人好みのさっぱりした味付けの料理に舌鼓をうちながらゆったりとした時間を過ごし、満足の思いで大連駅に向かった。
大連駅に着いたが21時時40分のハルピン行きの夜行寝台列車の出発時間までまだ2時間ほど時間がある。
大連名物海鮮料理
添乗員にお願いして1時間ほど駅周辺での自由時間をもらうことにした。
ハルピンまで10時間ほどの寝台列車の旅である、寝酒、ミネラルウオーター、夜食などを買わねばならぬ!待合室を出ようとすると、旅仲間のS氏とH氏が一緒に連れていってほしいと言い出した。
大連駅の目の前に勝利広場がありその南側一帯は大連最大の歓楽街となっている、3人連れ立ってそちらに向かうとさまざまな専門店やデパート、飲食店が建ち並んでいる一角に、露天の夜店が連なっている広場があった。
大連駅前の勝利広場、夜は歓楽街となる
覗いて見ると日用雑貨を主体に怪しげな偽ブランドらしきバック類と香水の露天がある、シャネル、クリスチャンディオール、ニナリッチなどおなじみの香水が所狭しと並べられている。
興味をひいたので立ちどまり、ひと瓶10元(150円)〜80元!(1200円)までの値段が付いている中から一番高い80元の化粧箱付きのシャネルの香水瓶を手に取り見ていると、20歳くらいの小姐(店員)が匂いを嗅いでみろと言う!嗅いでみると結構いい香りがする。すると60元してやるから買わないかと言い出した。
大連駅発ハルピン行き夜行列車
私が一声!高い!と言うと50元にすると言う。黙っていると今度は「いくらなら買うと」聞いてきたので、どうせダメだろう思いつつ「35元(525円)」なら買ってもよい言うと、しばらく考えたあげく何と!OKと言うではないか! 80元の偽シャネルの香水を35元まで値切り買うことにした、息子の嫁への土産にするつもりである、勿論!偽ブランドなんて言わないつもりだ!。
にっこり笑ってハイおみやげですと渡すのだ!。
デパ地下の食品売り場で中国酒とミネラルウオーター、ポテトチップを買い終わると、ちょうどいい時間となったので大連駅の待合室に戻り一服すると改札が始まった。ホームに降りると大連始発9時42分発ハルピン行きの夜行列車がすでに待機している。
私達が乗るのは1等の4人用個室寝台である。
(参考・中国の汽車は、寝台車で1等の軟臥( ソフトベッド寝台)、2等の硬臥(ハードベッド寝台)、座席車で1等の軟座(ソフト座席)、2等の硬座(ハード座席)の種類がある)
明朝7時ハルピン着の約10時間あまりの寝台車の旅である、旅行ケースのキャスターの音をガラガラ響かせながら汽車に乗り込んだ