瀋陽(旧奉天)の朝、ホテル周辺
中国に来て2日目の朝を瀋陽市北側の北陵公園近くのホテルでむかえた。今日のスケジュールは、午前に世界遺産の昭陵を見学し、午後からは遼東半島の突端にある400キロ離れた「大連市」までの汽車の旅である。
ホテル近く中国らしい名前の公園
午前中は1箇所だけの観光ということでホテル9時出発のゆったりタイムである。私は中国病という慢性化した病気以外にもう一つやっかいな持病の「早朝覚醒症」を持っている。
7時過ぎから始まる朝食まで時間がたっぷりあるので、早朝ウォーキングに出かけることにした。
5時ごろホテルを出て少し歩くと彼方から音楽が聞こえてくる、音楽に惹かれるように歩みを進めると公園が見えてきた。中国らしい名前の公園で「将軍公園」と書かれた石碑が立っている。
広大な公園で中に入っていくとラジカセを大きく鳴らしながら10〜20名前後の幾つかのグループが競い合うようにリーダーらしきオバちゃんに合わせて踊っている。 ちょっと前まで、中国のどこに行っても早朝の公園では太極拳をしている人達が主流だったのだが、最近は圧倒的にダンスを踊る人が多くなった!
朝だけでなく夜まで駅前広場や市中心部の広場で大勢が踊っているのを見かけるようになった。よほど踊りが好きな民族のようだ。
幾つもの小グループが公園のあちこちで運動をしている中をぬって歩いていくと、数年前まで中国ではあまり見ることができなかった光景が目に入ってきた。
散策路や芝生で犬を連れて歩いている人達が結構いるのである。中には放し飼いにされて自由に公園の中を駆けずり回っている犬もいる。
市場の狗肉(犬肉)販売専門店
中国で犬といえば愛玩動物というよりも食材としての動物だった。犬が放し飼いで散歩なぞしていたら、いつの間にか行方不明になって、どこかの家の夕餉の食卓に上ってしまうのである。
今は養殖された犬肉が高級食肉(牛肉より高い)として売られており滋養強壮に効くということで、病人や妊産婦がよく食べているらしい。なかでも南部エリアとこの東北エリア(朝鮮族が多い)は犬肉を好んで食べることで有名で「犬肉料理専門レストラン」まであるのである。
街のいたるところで花で飾られている
それにしてもまだごく一部の家庭なのだろうが、愛玩動物として犬が買えるほど都市部では生活が豊になりつつあるようだ。
一昨年旅した四川省奥地の農村地帯とは雲泥の差で、都市部と農村部の貧富の格差が極端にすすんでいることがうかがい知れる。豊かさの実感は瀋陽の街中が花で飾られている(世界園芸博覧会が開催中)ことからもうかがい知れた。
世界遺産昭陵のある北陵公園
清朝2代皇帝陵墓のある世界遺産北陵公園
ホテルに戻りバイキング朝食を終えると、今日の一番目観光地である「中国最後の王朝である清朝の礎を築いた2代目皇帝・大宗ホンタイジが眠る世界遺産の昭陵がある「北陵公園」へバスは向かった。
瀋陽市北部に位置する面積332万uの広大な公園でゲートをくぐると、はるか彼方の昭陵入り口まで一直線に参道が延びている。長い参道を電気自動車で昭陵のゲート前まで送ってもらい、大紅門をくぐると360年前に造営された世界遺産の昭陵の神道が目の前に広がった。
昭陵の中心「方城」に向かってのびる神道
広大な城のような陵墓を1時間ほどで拝観を終え、バスはお決まりの「土産物店」にむかった。
すると商店街を走るバスの車窓からおかしな光景が時たま見えだした。
住宅建材を扱う商店が建ち並んだ一角に来ると、地べたに腰を下ろした黒山のような人達がいるのである。
全員がダンボールの切れ端に字を書いたプラカードを首から提げている。 バスが渋滞で止まった時にプラカードの字を読んでみると「配工」「力工」「瓦工」「電工」などと書いてある。
世界文化遺産「清の昭陵」方城の城内
自分が得意とする作業を書いたダンボール紙を首からぶら提げて、作業員として雇ってくれるのを炎天下の路上に一日中座って待っているのである。
読んで字のごとく「配工」は配管の作業・「力工」は力仕事・「瓦工」はタイル工事なのだ。雇い主らしき人と日当交渉しているらしき場面も見られる。
高い城壁に囲まれた「昭陵」
いま、中国の都市部ではマンションブームである。 豊かになりつつある人達が望むのはどこの国でも同じで、マイハウスなのである。
しかし中国の場合日本と違い、販売されるマンションや一戸建て住宅は全て壁だけで内装は一切されていないのである。床や天井張りは勿論、トイレ・流し、電気工事等、内装すべてを買主が建材店で材料を買って自分で工事するか、路上に座っている作業員のような人に日当を払ってやってもらうのである。 日当は50元〜70元(750円〜1000円)が相場のようだ。
やがて看板も何も無く、外から見ても何の建物か分からない、土産物店に着いた。入り口に監視員がいて地元中国人が入り込まないようにチェックしている前を通り過ぎ店内に入ると、大きな店内の各所にいる女店員から一斉に日本語で「イラシャイマセ」の声があがる。店内に客は私達7名以外誰もいない。
ガイドはこの店で50分のショッピングタイムをとるとバスの中で言ってたが、冗談でない!誰が旅の初日から買い物して道中持って歩くものか!と思っていたら、案の定、誰も店内を見て歩こうともせず休息所に直行で一服である。
中国人ガイドと店の店員が必死になって、安いですよ見るだけでいいですからと言い寄ってくる。結局だれも買わず50分のショッピングタイムを30分に繰り上げ店を出ると昼食のレストランに向かった。
瀋陽駅から遼東半島の大連へ
中国でも有数の巨大な駅ビル「瀋陽北駅」
東北田舎料理と銘打った昼食を終え、遼東半島の港町大連へ出立するべく瀋陽北駅に着いた。
中国でも有数の巨大な駅ビルの一角にはマクドナルドと並んで日本の「吉野家」の看板が目に飛び込んできた。
反日運動の嵐が吹き荒れた時にも、けなげにも耐え倒産することもなくがんばっているのである。拍手喝さいしたくなるではないか。
瀋陽北駅の1階には牛丼の吉野家がある
エスカレーターで2階の改札口に上がり、軟席(日本でいうグリーン車)専用の待合室に入った。(ちなみに普通席は「硬席」という)
やがて出発時間がきてホームにいくと、日本では考えられないくらい何十両もの車両を連結した列車(先頭から最後尾が見えないくらい長い)がすでにホームに入っている。
私達が乗る軟席車両は二階建てで座席は壁で仕切られた4人席だった。普通席の硬席とは歴然とした差があり快適な汽車の旅となりそうだ。
列車は一路大連へ
瀋陽発大連行き特快列車
大連にむかって列車は走りだしたが、車窓の外は山が見えず地平線まで平坦な「とうもろこし畑」が延々と続いている。
列車内はラジオのコマーシャル放送を大音量で流すため非常にうるさく、旅仲間との会話を大声でしなければならないほどだ。
遼東半島に入り大連が近づいてくると、景色は少し起伏にとんだ地形にかわり、果樹園(りんご・ぶどう畑)がしばらく続くようになると、やがて汽車は大連駅に定刻より20分遅れの17時にすべりこんだ。
大連行き特快列車の4座席ごとに仕切られた軟席車
大連駅のホームに降り立つと、現地添乗員が出迎えに来ており、案内されるままにバス待機場所の駅前広場広場にむかって長いホームを歩きだした。
駅舎から外に出ると別名「北方の香港」といわれる人口450万人の港湾都市「大連」の雑踏と林立した高層ビルが目に飛び込んできた。
北方の香港といわれる大連
かって満州への玄関口だった大連駅
いったん大連駅近くの日本人がよく宿泊する四星ホテルに向かったが、玄関前のホテル構内の広場には、日本のアサヒビールのビヤガーデンが設営されており、ホテル内には日本料理店やクラブバーまである、日本人客を意識したホテルだ。
2000社を超える日本企業が進出し、常駐4000人を超えるといわれるほど日本人駐在員の多い大連には、街中に日本料理店が数多くある。
大連駅前の雑踏と林立する高層ビル
部屋に旅行ケースを置き、ホテル裏のコンビニでミネラルウオーターを買ってロビーに戻ると、夕食に出発する時間になっていた。
周囲を海で囲まれた大連は、新鮮な魚介類がとれることが有名で、夕食は名物の海鮮料理レストランでとることになっている。食事は満足のいくもので、清潔な店内と磨き上げられた食器類でとる海の幸は、日本人向きのさっぱりした味付けで、今回の旅を通して一番美味しく感じられた。この大連の街なら日本人もそれほど違和感なく過ごせるかもしれない。
夜の大連一人歩き
中山広場に面しライトアップされた「旧大和ホテル」
夕食後は大連の夜の街を観光するべく中山広場にバスは向かった。大連の街はこの広場を中心に放射線状に延びており、広場の周りには日本統治時代に建てられた特徴ある建築物が、現在も中国政府の庁舎として使用されている。
かって満州にむかう日本人客で賑わった、「旧大和ホテル」や「旧横浜正金銀行」などがライトアップされ建ち並ぶ広場では、夕涼みを兼ねた大勢のオバちゃん達がラジカセの音楽に合わせ踊っていた。
中山広場付近の日本統治時代の建物の観光を終え、ホテルに戻るバスから私だけホテルに戻らずに途中下車させてもらうことにした。大連の一番賑やかな夜の繁華街を少し冒険心をもって散策するのだ。
大連駅近くの勝利広場で下車させてもらい南側に向かって少し歩くと地下街への大きな入り口があった。階段を下りて行くと、そこは札幌の地下街が寂しくなるほどの人ごみで、若い女性を対象にした服飾店を中心にさまざまな専門店が立ち並ぶヤングタウンだった。
ライトアップされた旧横浜正金銀行(東京銀行の前身)
巨大な地下街を歩いているのは若者ばかりで私のようなシニアは一人も見かけない。
それにしても中国で美人といえば大連というほど美人の多いことで有名な街だが、地下街は色白、足長、細面ですらっとした大連美人が肌もあらわな服を着て闊歩している。
日本人とは人種の違いを感じさせるすばらしいプロポーションだ!ウロチョロ歩いていると、地下街を歩いている人達の私を見る視線が気になりだした。どうも場違いな雰囲気の私に好奇の視線を浴びせるのである!顔がほてり急に恥ずかしくなってきた!早くこの地下街から地上に出なくてはと地上への出口へ急いだ。
地上に出ると、そこは不夜城の飲食店街で中国語看板に混じって、日本語看板をかかげた、ラーメン屋、居酒屋、日本料理店もあるではないか!大手を振って大きな声で日本語を話しながら歩いている4人組の酔っ払いまで闊歩している。 日本の和服を着た小姐(女店員)が玄関前に立っている店がある、思い切って入ってみることにした。彼女のほうに向かうと片言日本語の「イラシャイマセ」の声をかけてきた。 やっぱり日本人ということがバレバレのようである。