7.さまざまな基地被害

墜落事故におびえて

 横田基地があることにより、周辺住民は多大な被害を受けてきました。飛行機の爆音による被害は代表的なものですが、周辺住民でなければ想像もできないようなさまざまな被害が起きています。(在日米軍「横田基地」年表3照)
 旧五日市街道に面した基地南東側にある立川市中里地域は、朝鮮戦争真っ最中の1951年にB29が墜落して爆弾が炸裂し、民家111戸が1瞬のうちに灰になるなど大被害をもたらしてました。52年にも埼玉県金子村に墜落し17人死亡、民家13戸が全焼。1960年代になると飛行機がほとんどジヱット化され、爆音被害はますます深刻となっていきました。64年7月には、F105Dサンダーチーフ大型戦蘭爆撃機、KC135空中給油機が住民の強い反対を押し切って配備され、翌65年2月に米軍がベトナム戦争で北爆を開始し、爆音被害は最悪となりました。また、F105Dは墜落事故も多く、東京近辺だけでも、青梅市、相模原市などに墜落しています。

町がなくなった

 毎年横田平和まつりを行っている昭島市堀向地域内にある「堀向児童遊園」の周りは、1968年まで800戸の住宅や50の商店、5つの病院がある昭島一の繁華街と呼ばれた街があったところです。今では、公園、広葉樹におおわれた林となって当時を再現する面影は銀杏並木と2軒のお店だけです。
 ベトナム戦争が激しさを増し、その爆音の大きさから「雷の親玉」とよばれるF105D戦闘機が板付基地、現在の福岡空港から64年に移駐してきました。12月には、この堀向地区で、F105Dの超低空飛行によって発生した衝撃波で14戸の窓ガラスが割れ、銭湯に入浴中の婦人が血だるまになるなど、多数の人が負傷しました。この当時は基地内に排水施設もなかったため、雨が降ると基地から水が流れだし、この地域では64年に28世帯が床上浸水に見舞われました。
 こうした中で、昭島市議会は、66年10月、「大型輸送機及びF105Dの即時撤去を要求し、騒音激増に抗議する」決議を全会1致で採択、F105DがF4フアントムに交代した後の68年6月には、「米空軍の横田基地より即時撤退を要求する決議」を採択するなど、住民の怒りと要求は高まっていきました。しかし、政府はこれらの要求を拒みつづけ、ついに2つの自治会は、集団移転をせざるをえませんでした。第1次の集団移転は68年10月に行われ、70年代のはじめまで徐々に進められました。移転の補償費103万円で、多くの人は、昭島市の「東の丘団地」に移転しました。また、地方の身寄りを頼って涙をのんで立ち退いていきました。この集団移転によって、堀向地区は、「街ぐるみ」破壊されゴーストタウン化したのです。林の中には防衛施設庁の「国有地につき立入禁止」の看板が点々と立てられ、フェンスに囲まれているのです。
 周辺に残った人たちは、この集団移転によって街の中心部を失い、買物をするにも遠くまで出かけなければならず、夜中に子供が熱を出してもつれていく医者もなく、「無医村」「陸の孤島」のような状況に置かれています。

ジェット燃料輸送と衝突事故

 国道16号線から五日市街道に入りボーリング場の手前に踏み切りがあります。この踏み切りをよくみると基地内施設に付き立入禁止の看板が目につきます。これが飛行機の燃料タンクが通る引込線です。
 横田基地で使う飛行機の燃料は、神奈川県鶴見区浜安善からJR南武線、立川駅で青梅線、拝島駅構内から引込線で運ばれています。
 現在は、週2〜3回程度で14〜16車両編成です。ベトナム戦争時は、1日120車両という多さで、1965年立川駅構内での車両衝突事故から引火し、付近の14の商店が焼失するという大事故も起きています。基地内南側サウスゲートを越し松林の切れ目に台形の形をした丘がみえる。これが地下燃料貯蔵庫です。
 燃料貯蔵庫は、鋼鉄製で作られています。 88年には「非常時期間中ここに配置される航空機に適切十分な燃料貯蔵が必要」という米軍の要求で1万6千キロリットルの貯蔵庫を日本政府による「思いやり予算」10億円で新設されました。
 さらに90年代に増強されて貯油量25万バーレルの大規模地下貯蔵庫となっています。横田基地に飛来する航空機のおよそ3年間分と推定されています。これに加え、「老朽化したタンクの代替」を理由に、795キロリットル (5千バーレル)燃料貯蔵施設を「思いやり予算」2億4千万円を浪費し16号線沿いに、建設しています。 ジェ、ツト燃料は、貯蔵庫から地下内にはりめぐらされた燃料パイプによって給油されます。
 93年には、基地東側の地下内の燃料パイプが亀裂しドラム缶340本分の燃料が地下内に漏れる事故が発生しました。事故当時基地内では、「即応体制演習」の真っ最中で、周辺自治体に通告されたのは事故後2週間たってからでした。
 現在でも、基地内で汚染された土壌を除去する作業が行われていますが、いまだ事 故の原因や影響など明らかにされません。 この基地の真下には周辺住民が利用している地下水の水脈もあり、汚染されれば「燃える井戸」どころか飲み水さえも奪われます。
 1967年には、昭島市の民家の井戸や水道が、基地内の地下から流出したジェット燃料に汚染されていることが明らかになり、「燃える井戸」として大きな怒りを呼びました。当時の住民の中には、油の臭いのする水道の蛇口に「火気厳禁」の札をぶら下げた人もいるということです。
 東京都内でこの5年間米軍犯罪は、凶悪犯罪を含め、28件、31人が警察に検挙されています。1995年10月には、府中市内で横田基地所属の米兵が交通事故を起し、相手の日本人学生を死亡させています。この米兵も任意保険に加入してなくて遺族への補償もありません。
 基地の周りでは、けんか、駐車違反、タクシー料金の踏み倒し、など起きています。 1983年には基地内から流れ弾が飛んできて窓ガラスを貫通しショーウィンドーをめちゃめちゃに壊す事件や、1988年には米兵の子供による自転車窃盗事件も起きています。また事件にはなりませんが、「ベランダでバーベキューセットでゴミを焼く」、「戦闘版で市役所に出入りする」など基地郊外にすむ米兵(およそ2千人)とのトラブルも苦情として自治体に寄せられています。

電波障害

 飛行によりテレビの画面が揺れて見えないことがあります。これを電波障害と呼んでいます。電波障害がひどいと受信アンテナも特別のものをたてなければならない場合もあります。また、NHK受信料は、飛行場の外辺から1キロメートル、長辺延長5キロの範囲内で電波障害が起きている地域には半額の減免措置がとられています。
 しかし、訓練飛行は縦横無尽におこなわれ、電波障害地域は拡大しており、周辺自治体、東京都は、電波障害指定区域の拡大や衛星放送受信料までをぶくむ全額の国負担を求めています。
 また、高層米軍住宅や、放送施設、高架水槽などのある地域でも電波障害が起きています。これは共同アンテナを設立するなど対策がとられています。

つづく爆音被害

 現在の横田基地の爆音被害はどんなものでしょうか。
 C130輸送機をはじめC9患者輸送機など日常的にタッチアンドゴーという訓練を行っています。
 タッチアンドゴーとは、あらゆる飛行横が離着陸の訓練としておこなうもので、その飛行機の任務によって少しずつ違ったやり方があります。
 横田のC130の場合には、最前線の短い滑走路に、地上からの砲火を避けるために一定の高度をとりながら近づき、滑走路のすぐ近くまできてから、迅速に急降下、着陸するための訓練です。そして、着陸して滑走路上でいったん停止した後、再び動き出し、今度は発進の訓練として急加速、急上昇を行います。この後五分間で基地の周囲を回り、これを繰り返します。周回コースの下では、5分に1回、80ホン前後(電車のガード下なみ)の爆音にさらされることになります。また、2機、3機がこれを交替でやることもあり、この場合には、2分30秒、1分40秒に1回となります。
 現在の横田基地の1日当りの飛行回数は、基地南側の騒音計の測定によると年間平均で約50回前後です。しかし、この数値には、基地の北側に向って発進したり北側から着陸してくる場合は含まれていません。また、米軍は週休二日制のため、土曜・日曜にはタッチアンドゴー訓練をやらないこと、ウィークデーでもやらない日もあることを考えると、むしろ日によって飛行回数に大きなバラツキがあり、多い日の爆音被害の深刻さを見えにくいものにしています。

深刻な夜間騒音

 民間空港の場合には、夜10時から朝7時までは発着しない、というように、夜間・早朝の飛行が制限されています。93年11月の日米合同委員会合意で「夜10時から午前6時までの地上活動を含む一切の飛行活動を禁止する。但し緊急やむを得ない場合は除く」という取り決めがされましたが、米軍は緊急やむを得ない場合を除くということを逆手にとって深夜、早朝の離着陸を合法化しています。
 夜間発着するのはC141BやC5Aなどの大型の輸送機やC9患者輸送機など爆音直下の騒音レベルが90、120ホンに達する航空機が多いのです。深夜は周りの騒音も消え、飛行機の爆音だけが異常に大きく感じられます。人間の耳は120ホン以上の騒音にさらされると聴力に障害を起こすとされていますから、まさに限界を越えた生活をしているのです。
 回数自体は日中よりは大幅に減りますが、夜中に数回の爆音で目がさめてしまったら、その晩は、ほとんど眠れない、あるいは疲れが十分にとれないのです。さらに戦争や軍事演習の際には夜間の発着が増え、眠れぬ夜が続くことになります。
 また、深夜・早朝にもエンジンの調整が頻繁に行なわれています。これは車でいう暖気運転でエンジンを数十分もいっぱいにふかし、断続的に2〜3時間続けて行なわれます。早朝5時前から行われ、約10キロも離れた秋川や国立・小平まで聞こえる轟音で、周辺では家の中にいても、耳がおかしくなるようなすさまじさです。このはかにも、早朝発進する輸送機やチャーター便のエンジンのコンプレッサーの音が朝4時頃から始まり、騒音計には40〜60ホンしか記録されなくとも、周辺が静かなために気になって起こされてしまうといった被害もあります。
 この爆音による健康への影響は、特に病人やお年寄り、子どもなど、弱いものに強い被害を与えます。また、目に見えるような健康被害がなくても、日常会話が妨害される、電話ができない、テレビやラジオの視聴が中断されるなど、日常生活への影響は深刻です。

防音工事

 飛行直下には、約百万人を越える人々が住んでいます。
 政府は、人の健康の保護に資する上で維持することが望ましい航空機の爆音にかかわる基準として基準値を70W(WECPNL)と定めています。そしてこの基準を越えるところを「線引」とよばれる騒音地域として指定を行い、その区域のみを対象に防音工事を行っています。この防音工事には、指定された期日に区域内に居住していることが条件となり、新しく越してきた住宅は対象とならないなどさまざまな制約があります。また、トイレ、浴室、玄関は防音工事の対象から外されています。防音工事では、外音を防ぐために空調機と冷暖房機が取り付けられますが、この電気料はすべて個人負担です。また、防音サッシなどの修理費も個人負担で防衛庁が指定した 業者しか修理工事は依頼できません。
 飛行直下には20を越える学校や大学、保育園があります。これらでは、飛行機が飛ぶと先生の声が聞こえなくなり、授業や保育がストップすることすらあります。落ち看いて試験勉強もできません。葬儀をしていてもお坊さんの読経が聞こえないこともありました。
 基地北側の瑞穂町では、飛行機の騒音がひどくて火災を報せる防災無線すら聞こえないため、「戸別受信機」が取り付けられています。

4か月に1回のNLP

 横田基地では、米海軍空母「インディペンデンス」艦載機によるNLP(夜間離発着訓練)が4カ月に1回の割合で行われています。1994年には、ついに戦闘機によるNLPも行われました。防衛施設庁は、「硫黄島でのNLPによって横田などでのNLPは減少する」と豪語してきましたが結果は、減少するどころか逆に訓練日数がふえるなど強化の一途をたどつています。 訓練は、自治体に無通告のまま行われることもあります。また、戦闘機が飛来する時は「曲技飛行」まがいの旋回を繰り返しています。
 戦闘機による訓練には「恐くて体が震える」など792件の苦情が周辺自治体に寄せられました。また、1995年のNLPには「うるさい。なんとかしてもらいたい。みんなで手を取り合ってでもなんとかしたい」「アメリカの大統領を連れて来い。冗談じやない」「なにをやっているんですか。いつまで続くのか」「9時すぎたのにいつまでやるのか」「あまりにひどいじやないですか。役所はなにをやっているのか」「妊娠中、この音は異常だ。このまま放置して置くのか」という抗議の声が福生市に寄せられています。


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