5.疑惑「核持ち込み」の実態

 横田基地に年間を通して発着する回数が特に多いのがC5ギャラクシー、C141スター・リフター、C130ハーキュリーズの3種類の輸送機です。いつ横田基地に行ってもこの3種類はたいてい見ることができます。この3機は、米空軍の核兵器空輸の任務をおびています。米空軍の核兵器輸送マニュアルには、米空軍で核兵器を空輸するのはこの3種類であること、それぞれが、どの核兵器を何発積めるかということが詳細に記されているのです。

疑惑その1

危険度ナンバー1の弾薬庫

 横田基地の東側ヒマラヤ杉の切れ目から台形の土塁が見えます。これが弾薬庫です。幅約6メートル、深さ3メートルの水のない空堀となり、そのすぐ内側に、150メートル四方に高さ7メートルの土手、さらにその内側に2.4メートルのフェンスが張りめぐらされ、中央に半地下式の弾薬庫が設置されています。弾薬庫は長屋のように、29の小区画に分かれています。そして、その一つ一つに、火災が起こったとき、消防隊がどう対応するかを示すための標識がついています。
この標識は、危険度が高い順に「1」から「4」まであり、遠くからでも識別しやすいようにオレンジ色に塗られ、形も「1」は八角形、「2」は「x」の形、「3」は逆三角形、「4」はひし形となっています。1981年、朝日新蘭がへリコプターで弾薬庫を上空から撮影したとき、29室のうち、過半数の17室に、いちばん高い危険度を示す「1」の標識がついていたのです。米軍の規定によれば危険度「1」の表示は、「必ず大爆発、大被害になるので、消火作業を試みてはいけない、第一義約に避難せよ」というものです。この表示は、野積みにされた核魚雷「アスロック」用コンテナの周りにも立てられていました。

疑惑その2

核事故処理部隊の存在

 基地南側にある病院施設は、病気や訓練、戦争で負傷した兵員の治療を行うだけでなく核事故にも備えた施設といわれています。この病院のなかに1990年6月6日、参議院予算委員会で日本共産党の上田耕一郎議員により「核事故処理部隊」がいることが暴露されました。上田議員が用いた米国防総省・エネルギー省合同作成文書「核事故対処能力リスト」によれば横田基地には、アルファ線検知器9基、ベータ線検知器41基、ガンマ線検知器が36基あります。アルファ線検知器は、原爆を組み立てるときのミスや、輸送中に安全装置がはずれたりしたときに、プルトニウムからでるアルファ線を検知するものです。ベータ・ガンマ線検知器は、核爆発のときの死の灰など放射能測定器です。同年、東京民報社の「横田基地に核事故を検知するシステムはあるのか」の問いにたいし、在日米軍司令部は、「そのとおり。緊急時に核兵器が移転される可能性のある軍事施設には、それぞれ起こりそうもないことだが核災害・事故に対処する計画や規定がある。これらの諸計画は、横田基地で1950年代以降発効している」と回答しています。これは横田基地に緊急時には核兵器を持ち込むことを米軍が認め、核事故対処能力をもっていることを示唆したものです。1987年には、横田基地に、爆発物処理部隊「EOD」が存在し、その「EOD」が、核兵器事故の処理も任務とするということも明らかにされているのです。

疑惑その3

核兵器輸送

 核兵器の輸送は、特別の輸送機で運んでいるわけではありません。衣類など生活必需品の荷物と一緒に核兵器も運ぶのです。東京平和委員会の横田基地監視行動でも、核兵器輸送の持込みの状況が、何回も明らかにされています。1978年2月、米韓合同演習チーム・スピリット租の際には、核非核両用地対地ミサイル「ランス」がC141輸送機に積まれ、横田基地を経由して韓国に運ばれました。1980年4月10日には、核兵器輸送中の核兵器爆発事故をも想定した「ブロークン・アロー」演習を目撃・撮影しました。1983年4月10日、20日、84年2月7日、4月12、13、21日などには、相次いで横田基地東側の弾薬横みおろし場で、核非核両用ロケット魚雷「アスロック」のコンテナが何回にもわたって確認され、大型輸送機への積込みも目撃しました。


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