4.「日米共同宣言」と横田基地

 1996年4月に行なわれた日米首脳会談で日米安保条約の地球規棋への拡大など事実上の大改悪を柱とした「日米安保共同宣言」が確認されました。しかもこの「日米安保共同宣言」は、国民との合意や国会審議もせずに強行されたのです。「共同宣言」のもとで在日米軍基地は、世界に向かう最前線基地としていっそう強化がすすんでいます。アメリカは、とくに朝鮮半島有事の際には、日本の主要民間空港を米軍が使用することや、戦術核兵器の配備をすることなどを公言しています。このように有事の際の日本の核出撃基地化への強化がすすめられています。

世界の地域紛争への出撃拠点

 1995年国防省は、日米安保に蘭わる報告で、「在日米軍基地は、アジアと太乎洋における防衛の第一線であり、これらは、ペルシャ湾までおよぶ地域外の突発事変への対処にそなえている。」と述べています。  1993年以降、年間3、4回の割合で横田基地では、全部隊が参加した「即応体制演習」(ビバリーモーニング)が行われています。また、1995年9月と96年5月には、NBC(核・細菌・化学)戦を想定した訓練も行われています。91年湾岸危機の時は、横田、三沢、嘉手納、座間などの基地でNBC訓練が行われました。  この演習に参加した部隊は、第374空輸画の医療群で「核事故処理部隊」との疑惑があるグループです。88年6月17日、24日掲載された米空軍三沢基地広報紙「ノーザンライト」に掲載された核・化学戦防護訓練の記事「生き残りの手引き」によれば、横田基地で行われた訓練で着用された防毒マスク、へルメットは、核戦争をも想定した危険度がもっとも高いレベルとみられています。訓練に参加した部隊は、横田基地滑走路南側で90年10月16日、17日化学戦を想定したNBC訓練を行っています。これらは、在日米軍司令部が「不測の事態に備えるために断続杓に行っている医療訓練」というように米軍横田基地が突発事変に対応して日常的な訓練が頻繁に行われているのを示すものです。リチャード・マイヤーズ元在日米軍司令官は、1996年3月に都内で蘭かれた講演の中で「今日の演習で厳しく努力することがどのような突発事変にたいしてもわれわれが即応できるよう保証するのである。そして、この即応の部隊こそが恐喝と戦争とに対する最良の抑止」と述べています。このように横田基地はアメリカの地域紛争介入の出撃拠点として強化されているのです。

「ミサイル」迎撃訓練

 横田基地がアメリカの世界戦略を指揮する軍事基地としての危険性を示したのが1995年3月17日、横田基地で在日米軍主催の弾道ミサイル迎撃するための「防空演習」でした。この演習には、在日米四軍(陸・海・空・海兵隊)の各基地から戦闘・攻撃機など30機、米本土から世界で1機しかないという空中監視実験機まで飛来し、横田基地が司令基地となり、海上に配置された横須賀の空母「インディペンデンス」などといっしょにミサイル迎撃の訓練を行いました。「共同宣言」では日米での弾頭ミサイルに関する研究が確認されましたがこの演習は先取りそのものです。


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