3.司令部としての機能
横田基地の南西部、国道16号線と五日市街道の交差点に面して、サプライ・ゲート(第5ゲート)があります。
このゲートから入って左側奥に、3つの旗がひるがえっているのが見えます。これが第5空軍司令部と在日米軍司令部の置かれている建物なのです。
地上2階地下3階の建物で1973年から関東計画によって日本政府予算でつくられたものです。この建物の地下部分は、核攻撃を受けることを想定した核シェルターになっています。米軍のシェルターの基準のなかで最大の重要度をもつ「EWO(緊急戦争作戦)シェルター」と呼ばれるものです。その任務は核攻撃で横田が壊滅的な打撃を受けても、米軍が核戦争をすすめるために必要な最低限の要員を生き延びさせるためのものなのです。
司令部には、全世界軍事指揮統制システム(WWMCCS)の作戦室があると言われています。これは、大統領を中心とする国家安全指揮機関(NCA)に情報を伝え、全世界の米軍部隊を指揮する根幹です。基地司令部は、近代化、設備強化にともない91年から3期にわたって建物の増改築工事を「思いやり予算」ですすめ、1996年10月完成予定です。横田基地は、さまざまな指揮通信機能が集中する戦争の司令部なのです。
在日米軍司令部
日本に駐留する米軍の行動、作戦から米兵のモラルに関することから日米防衛関係に影響をもつ事柄の調整に至るまでの責任を負っているのが在日米軍司令部です。この司令部が横田に置かれています。
在日米軍は4万7千人で洋上部隊と家族を含めると10万人を大きく越えます。基地は、140ヶ所、総面積10億2929万平方メートルとなり大阪市や名古屋市よりはるかに広く東京23区の半分ほどになります。
在日米軍は空軍、陸軍、海軍、海兵隊の4軍の編成になっていて地球的規模で活躍する米軍のアジア・太平洋のキーストーンの役割をもっています。
陸軍は、神奈川県座間市に、太平洋地域全体の後方支援を行う「第9戦域陸軍地域司令部」、在日米陸軍司令部が置かれています。
海軍は、世界最強の艦隊である第7艦隊の本拠を横須賀に置き、空母キティーホークほか多数の戦闘艦の母港ともなっています。1995年中東を作戦エリアとした「第5艦隊」所属の潜水艦司令部も新設されたと言われています。横須賀には核巡航ミサイル・トマホークを搭載した原子力潜水艦もたびたび入港しています。
長崎県の佐世保にある、米海軍佐世保基地には強襲揚陸艦「ベロウッド」など4艘の強襲揚陸艦が配備されています。95年には掃海艦「ガーディアン」「パトリオット」が常駐化するなど強化がすすんでいます。
海兵隊は、沖縄に第3海兵遠征軍、岩国に第1海兵航空団を置き、アメリカ本土以外では唯一の海兵水陸両用軍を構成しています。もともと米海兵隊には3つの水陸両用軍しかなく、そのうち一つは米本土東海岸に、もう一つは西海岸に配備されていて、最後の一つが、日本に配備されているのです。
海兵隊の任務は海軍の艦隊に乗って他国に上陸し、戦うこと、そしてそれを独自の航空部隊が援護することです。すなわち、最初から他国への侵略を目的とした部隊で、防衛的性格は一かけらもありません。そんな部隊の配備を日本は受け入れているのです。海兵隊による実弾射撃演習は、沖縄、東富士などで強行されています。演習地の本土移転は、演習規模を拡大し、海兵隊の固定化をはかるものです。
第5空軍司令部
第5空軍は、ソ連崩壊前は、フィリピン以北・ハワイ以西の北西太平洋全域の空を作戦空域としてきました。ところが、ソ連が崩壊してからは、アラスカからパナマ、カンボジア、インドネシア、中東まで地球のほぼ半分を作戦エリアとしています。この司令部が横田です。第5空軍司令部は、アメリカの抑止力政策に貢献し、万が一その抑止力が崩れた時には、空中作戦を行うため戦闘機の提供と軍事空輸支援を行います。
このため、青森県三沢基地に配備されているF16戦闘機部隊、沖縄の嘉手納基地のF15戦闘機部隊などを含め、戦闘機約130機、電子偵察などを任務とする偵察機10機などハワイに司令部を置く太平洋空軍のなかでも戦闘機や戦術輸送機をもつ実戦部隊で構成されています。これは、北朝鮮の「核疑惑」に対する軍事制裁を詳細に検討し、横田基地を朝鮮半島有事の空輸拠点とすることを公言しているアメリカの姿勢の表れです。
1994年、横田基地では朝鮮半島に向かう銃を背負い完全武装した兵員が大型輸送機に乗り込む姿が目撃され、基地周辺は事実上の戒厳令がしかれ昼夜問わず機動隊が基地の警備をするなど物々しい事態に包まれました。
自衛隊を意のままに
在日米軍司令部のもう一つの顔が自衛隊との関わりです。安保条約第5条にもとづく自衛隊との共同作戦をすすめています。自衛隊の統合幕僚会議事務局と在日米軍司令部の間では、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」にもとづき日米共同作戦研究やシナリオづくりがすすめられてきました。これらは政府や防衛庁が極秘としてきた「日米共同作戦計画」の具体化を協議する自衛隊と在日米軍の常設機関の共同防衛研究をすすめるための「日米統合委員会」や日米両兵力の一体化をめざす「共同相互運用性調整委員会」などで検討されたといわれています。
これらと平行して、84年陸・海・空の自衛隊を一本化し指揮するための中央指揮所(六本木防衛庁内)がつくられ、同時に横田基地司令部内に米軍の中央指揮所も設置されました。自衛隊の中央指揮所には米軍が、米軍の中央指揮所には自衛隊が連絡将校を置いています。このように、アメリカの戦争行動に自衛隊が無条件で参加する態勢づくりがすすめられているのです。
日米共同作戦体制と新防衛庁建設
1994年横田基地で行われた指揮所演習で、自衛隊は米軍が湾岸戦争時に実際使った「戦闘シミュレーション」を使って訓練をしています。
96年1月15日から2月2日にかけて横田基地で行われた「日米共同統合指揮所演習」は、的に占領された日本海の隠岐島に陸上自衛隊の空挺部隊や海上自衛隊が米軍の支援のもとに「敵前上陸」し、奪回するというシナリオでした。共同指揮所演習は今回で10回目ですが年々規模内容ともにエスカレートしています。また、96年の指揮所演習では、在日米軍司令部が自衛隊と「共同使用」されました。これは、日米共同作戦で不可欠な「共同作戦調整所」の機能を演習したものと考えられます。これらは、アメリカの戦争行動に自衛隊が参加するという「共同宣言」の先取りの動きです。
1988年当初から指摘してきたとおり新防衛庁建設と首都圏自衛隊基地の再編強化計画は、日米共同作戦を担い、実戦できる体制づくりです。すでに新防衛庁がつくられる市ヶ谷基地には、全国の自衛隊を指揮するための様々な司令部中枢施設がつくられています。これらは、住民の移転反対を押し切って急速にすすめられています。
1996年防衛庁接地法の改正で、「新防衛庁」には、これまで陸上・海上・航空の各幕僚ごとの情報組織を統合幕僚に一本化する「情報本部」の設置が計画されています。これにより総定員1582人という最大の情報収集・分析機関となります。
ぶきみな諜報部隊の存在
横田基地には、電子偵察機RC135が飛来し、また諜報収集を行う任務をもつ第5航空諜報隊が配備されています。これに加え、1995年10月神奈川県米海軍上瀬谷基地から統合諜報軍団太平洋分遣隊が移駐してきました。これは、ハワイに本部をおき、艦隊海洋監視情報センター(FOSIC)を管理する部隊だといわれています。「FOSIC」は」、インド洋、西太平洋における軍艦の位置と動きに関する情報を海洋監視衛星、偵察機などであつめ総合的に分析するセンターです。
核戦争を指揮する
横田基地には、核戦争を指揮するためのさまざまなシステムがあるといわれています。これらは勝者なき核戦争に「勝つため」アメリカが維持強化しているものです。それは、核戦争時全部隊に指令を送るための通信システムといわれています。
●ミスティック・スター
核戦争時、大統領は、ボーイング747ジャンボジェット機を改造したE4Bにのりこみ空中から核戦争を指揮します。大統領が米軍の核戦力を掌握してE4Bから指令を全部隊に伝えるための通信が「ミスティック・スター」です。
●コマンドエスコート
核戦争時、米太平洋軍司令官の指揮・命令とくに、EC135空中指揮機から指令を全軍に伝えるための通信ネットワークです。
●ジャイアント・トーク・ステーション
戦略爆撃機は、核戦争の突発に備えて一定の数が核爆弾を積んだまま、いつでも飛び出せるように待機しています。
「核戦争開始」の警報が出て敵地に向って飛んで行くとき、最終投下指令を送るのがジャイアント・トーク・ステーションです。爆撃機はジャイアント・トーク・ステーションからの最終指令が送られなければ、核爆弾を積んだまま引き返すことになっていますから、まさに全面核戦争の引き金ともなる「最終」の指令です。
これらの暗号名で呼ばれている通信システムによって、核戦争を指揮するといわれています。アメリカ本土から衛星通信や海底ケーブルで横田まで中継された指令を、所沢通信所(埼玉県所沢市)のアンテナから送信し、爆撃機からの応答を大和田通信所(東京都清瀬市、埼玉県新座市)で受信するといわれています。この通信システムは、司令部内にあるといわれている地球規模の指揮統制システム(GCCS)に組み込まれ、通信交換センターの建物は、周囲をフェンスで囲み、入り口は電子ロックされ窓がありません。
米軍の世界的な通信網は、確実性を期するために@軍用の通信衛星A短波(HF)によるネットワークBKDDやNTTなど民間機関の海底ケーブルなどを利用しています。これらの能力を向上させる近代化とともに電磁パルスに対する防護策がとられています。軍用通信衛星の中心ネットワークは、国防衛星通信システム(DSCS)です。日本では地上ターミナルが神奈川県座間市にあり、横田基地の国防通信庁太平洋分遣隊が管理・運用しているといわれ、海底ケーブルは電磁パルスの影響を受けずしかもたくさんの情報を送れる光ファイバーに更新されています。
トマホーク発射
湾岸戦争やアメリカのイラク攻撃で使われている「トマホーク」ミサイルの使用に対しても、横田基地は重要な役割を果たしています。トマホークは、「TERCOM(地図地形照合装置)」によって、実際に飛んでいる場所の地形と、あらかじめ記憶させた予定された飛行コースの地形を照合し、コースからのずれを、自動的に検出・修正することによって最大2500キロ離れた場所に誤差数十メートルで命中させることができるといわれています。そのためには、飛行コースとなる敵地の地形の詳細なデータが決定的に重要となってきます。このデータを記録した磁気ディスクをトマホーク搭載艦に運ぶのが軍急使サービスです。この軍急使サービスが、横田基地、横須賀基地に配備されているのです。
国連旗のなぞ
基地司令部の建物に掲げられている旗は一つは星条旗、もう−つは日の丸、もう一つは国連旗です。朝鮮戦争が終わって3分の1世紀が過ぎましたが、未だに朝鮮半島の人々の悲願である南北朝鮮の統一はできていません。それどころが朝鮮戦争は、いまだに「休戦」のままで、「終戦」してはいないのです。それは、韓国に長く続いてきた軍事独裁政権をアメリカがずっと支えてきたからであり、また、アメリカと韓国との間で大規模な合同演習を続けるなどの挑発を続けてきたがらてす。ところが、米軍は朝鮮戦争に軍事介入したときの「錦の御旗」である「国連軍」をいまだに名乗っているのです。
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なぜ横田に司令部があるのか
1974年、元米国防長官・ハロルド・ブラウンは、 @地理的な理由としてハワイから行うことは極度に困難。遠すぎる」次にA政治的意味として「日米両国の政治関係、安全保障関係である」また、「策5空軍司令官は在日米軍司令官である。だから日本政府の所在地にいることが絶対不可欠である」そして、B自衛隊にたいする影響力行使「司令部が自衛隊になんらかの影響をもち、自衛隊にたいしなんらかの地歩を占める必要がある以上平時に司令部を朝鮮においてはならない」と述べ、司令部はいずれも横田基地でないと駄目だと言明しています。
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アメリカの核戦略
アメリカは、「ソ連の脅威」という口実が通用しなくなったもとでも地域紛争やテロなど新たな「脅威」をあげて世界各地に武力で介入し、支配を強める戦略をとっています。また、核兵器を開発しようとする国、その疑いのある国にたいして核の拡散を阻止するという名目で先制的に核を含む武力を行使する「核拡散対抗構想」というきわめて挑発的な戦略をとっています。
現在アメリカは、攻撃型原子力潜水艦にいつでも核巡行ミサイルをつんで作戦を展開できるようにしてあり、今後建造される予定の原潜には200発もの巡行ミサイルが積載できるようになつています。
トマホークを搭載した攻撃型原子力潜水艦が年々増え続け、横須賀への寄港回数も、際限なく増大しているのです。そして、トマホーク搭載鑑を指揮しているのは、ハワイのトマホーク任務計画センターであり、横須賀の原潜司令部、あるいは第七艦隊旗鑑・ブルーリッジです。
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ベトナム戦争の反動的教訓と米・南朝鮮合同軍事演習
クリントン大統領は、ベトナム侵略戦争を「正義の戦争」と言いはじめました。
アメリカがベトナム戦争後で得た教訓とはいったいなんだったのてしょうか。
ベトナム戦争の敗困は、核兵器をすみやかに使わなかったので戦争が長期化し、アメリカ人の青年の血を多く流しすぎたというものでした。ここから生まれた教訓は、核兵器を使い戦争を短期間で終わらせることと、アメリカの青年でなくアジアの青年を最大限に動員するという反動的な教訓てす。
1976年から93年(92年は中止)まで朝鮮半島を舞台に行われた米・南朝鮮合同軍事演習「チームスピリット」の中にもこの教訓は生かされています。
この演習は、当時「西側」の軍事演習として最大の規模(約20万人)て行われ、横田基地は、作戦司令部となり頻繁に戦闘機、攻撃機なども飛来しました。輸送機には、対寒服を着て力−ビン銃で武装した兵士が続々と乗り込む姿など「まるで戦闘状態」でした。
1978年記者公開された演習に際して米軍将校は、「今度38度線で戦火が起こったときには、核兵器の使用をためらわない」「9日間でひとつの韓国を実現する」と言明しました。この中身」こそ、「ベトナム戦争」からアメリカが得た教訓そのものなのです。
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