2.輸送基地としての機能

横田基地が輸送基地として使用されたのはベトナム戦争後期といわれています。1945年当時から輸送基地として使われてきた米軍立川基地は、基地拡張に反対してたたかわれた砂川闘争によって滑走路の延長ができず、輸送機のジェット化に対応できなかっためその機能を横田に移しました。1969年3月から米空輸軍団の使用が開始され、C5大型輸送機、C141輸送機がアメリカ本土から日常的に飛来するようになり輸送・中継・補給機能が強化されてきました。1975年9月には、ベトナムのダナン基地からC130戦術輸送機18機と第345戦術空輸中隊が移駐してきました。

アジアから中東への輸送の一大拠点

 横田基地には太平洋空輸統制センターがおかれ、アジア・太平洋、そして遠くは中東までの物資の空輸中継の最大の教典となっています。それは、横田がそのために地理的に最も適した位置にあるからです。米国のアジア方面への主なルートは、民間旅客機とほぼ同じになっています。
 まず、アメリカ本土の西海岸を出発し、アラスカの南側を通って横田にやってきます。
 貨物の重さが少ない場合にはアラスカの南側沖を通り、満載した場合には、アラスカのアンカレッジ近郊にあるエルメンドルフという基地に立ち寄って燃料を補給します。このルートが、丸い地球の上で最短距離になるのです。
 横田では、積み荷のチェックをし、行き先別の荷物の振り分けを行い、燃料の補給、乗員の休憩、機体の点検のあと、再び飛び立っていくのです。貨物のうち、戦車などの特に大きいもの、重いものはC5ギャラクシーで、そのほかのものはC141スターリフターで運ぶようになっています。

輸送機能の強化

 横田基地は、アメリカが軍事介入をくわだてるとき、米本土から部隊や兵器を現地に送る最大の中継・輸送拠点として強化が進められています。1988年から89年にかけてフィリピンクラーク基地から4機のC130輸送機と3機のC9患者輸送機が、6部隊(640人)をともなって移駐してきました。
 1992年、横田基地内の部隊の再編成が行われました。第475航空団と第374戦術空輸団が解散し、新たに第374空輸航空団が編成され、司令部の建物も「思いやり予算」で増設されました。
 横田基地は、20機のC130輸送機を持つアジア・太平洋唯一の輸送中継基地として強化がはかられました。これによって「横田」は輸送部隊、三沢、嘉手納は戦闘・攻撃部隊というようにそれぞれの基地の役割を明確にして一本化することができるようになり、即応体制が強化されました。
 1996年3月からC17輸送機が飛来しています。この輸送機は、兵員、貨物はもとより、パラシュート降下部隊などの空中投下や戦車など重火器を搭載しながら滑走路が整備されていない草地などでの離着陸が可能で「地域紛争用」に開発されたもので、将来C5大型輸送機の後継機種ともいわれています。

民間貨物旅客機も軍用に

 米軍は、貨物のほとんどは自前の輸送機で運んでいますが、一部の貨物と兵員輸送のほとんどは、アメリカの民間航空会社の飛行機を徴用して行っています。これは、輸送機の数が不足しているからといわれています。
 湾岸戦争では、これらの民間旅客機で弾薬までも運びました。こうした民間旅客機も同じようなルートをとり、横田を中継していきます。

最前線への運び屋

 横田基地に常駐するC130Eハーキュリーズの任務は、長距離輸送ではなく、戦術輸送といわれる中短距離の輸送です。もともとこの部隊はベトナム戦争のとき、最前線へのあらゆる物資の補給を任務としていました。この飛行機は、最前線の短い救護氏ら絵の滑走路でも発着することができ、滑走路がない場合ですら空中投下によってあらゆるところに物資を補給することができるのです。こうした最前線向けの輸送機が横田に配備されていることは、米軍にとって、横田が地域紛争・戦争への善戦拠点であることを示すものです。
 1991年湾岸戦争時には10機のC130輸送機が出撃し、多国籍軍のなかでも真っ先にクウェートに進行しています。
 95年から横田基地に三角の赤い標識をたて、それにパラシュートをつけた物資を投下する訓練がC130輸送機によって繰り返し行われています。
 94年4月には国有地内に7キロの砂袋を誤って落とす誤投下事故を引き起こしています。

戦車輸送
 ベトナム戦争末期の1972年5月2日早朝、東京平和委員会の横田基地172時間連続監視行動班はM48型戦車がC5ギャラクシーに積み込まれるところを目撃、撮影しました。ベトナムで破損した戦車を神奈川県の相模原補給廠で修理し、横田で積み込んで、またベトナムに送り込んだのです。
 当時の佐藤内閣は「ベトナム戦争と日本の米軍基地は関係ない」と強弁していましたが、このC5ギャラクシーが翌日ベトナムのダナン基地に着陸したことも現地のジャーナリストによって明らかにされ、横田がベトナムヘの侵略拠点であることが明白となったのでした。

米軍部隊の再編成
 1992年から94年にかけてアメリカは、国家財政の膨大な赤字のもとで世界最強の軍事力を維持するために、戦後最大規模といわれる「米軍の再編計画」を実行しました。
 この計画は、アメリカ本土ならびに∃−ロッパに展開する米軍は縮小され、アジア、太平洋に展開する米軍は、人数は現状のまま維持し機能をいっそう強化するという中身でした。これによりアメリカ本土の基地139カ所が閉鎖、43カ所が集約されます。また、ヨーロッパなど海外にある軍事基地も650カ所以上閉鎖計画があります。


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