飛行機を敵の襲撃から守る掩体壕(えんたいごう)戦時中は上に擬装網が掛けられており、
場内には25基の鉄筋コンクリート有蓋俺体壕が作られていた。この俺体壕は 鎌数伊勢神宮の境内の西隣にある双発機を入れた大型のものである。
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旧基地の西北,匝瑳市春海の田圃のなか秋田川の傍らに残る
掩体壕、終戦後掩体壕は各地主に払い下げられ、農家の納屋などに
使われいたが、それぞれ解体され、現在残るのは3基だけである。
太平洋戦争末期には場外の農地や部落の中にも造られ、誘導路が
つけられていた。
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香取海軍航空隊と香取航空基地の図面です。当初の図面には秋田川北部の農地には何も無かったのですが、
ここに掩体壕が造られ、川には橋が掛けられて誘導路が造られました。誘導路の両側にある掩体壕には それぞれ番号が付けられている。118基まで確認出来る。 又、新川東部にも病院、兵舎が建設されている。しかし連合軍への引き継ぎ書には 増設部分の掩体壕や兵舎、病院は含まれていない。 (旭市文書館長 松井安俊先生御提供) |
旧香取航空基地1500m滑走路上空から干潟八万石東北部を望む
、斜めに走る河川が新川です。
(資料 あさひの風土と文化)
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この写真は、あさひ鎌数工業団地、平成初期のものです。横に1本
走るのが旧香取航空基地1400m滑走路、その左下がA地区、右下
がB地区です。滑走路は日清紡千葉工場の自動車のブレーキテスト
コースとなっております。
(資料 あさひの風土と文化)
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