つぶやき


 2020年5月、ほんのちょっとだけリニューアル。ここ数年、更新もほとんどなく、ホームページの廃屋状態になっているので「つぶやき」コーナーを整理してみた。 古い年度へのリンクをなくし、年度をつなげてみた。 新しいものが上に出てくるようにした。今は年ごと、以前は年度、そんないい加減さは気にせず並べてみた。
 問題は、体裁より継続だということは分かっている。頑張ろう。
2024

旅立ち

ポケモンジェット

 先日、次男の就職が決まり旅立った。 ポケモンジェットに乗って。 これから約2ヶ月の研修を経て名古屋に配属される。
 我が子の就職は、昨年の長男に続いて二人目。 あとは、娘一人を残すのみ。 巣立ちというのは、うれしくもあり寂しくもある。 胸中複雑。この日は好天、北風。 ポケモンジェットは北に向かって飛び立ち、きびすを返すように南へ向かった。
 次男は、きびすを返すことなく仕事に向かってほしい。 そして、ポケモンのように進化してほしい。(2024.4.4)

2024年のスタート(我が家)

 今日は成人の日。成人の日というと1月15日と思ってしまうのは、もう昔の人間ということか。 我が家の年末年始を振り返ってみる。
 まずは、年末の正月に向けた準備。我が家では、28日に餅をつく。 餅つきと言っても、ぺったんぺったんの餅つきではない。 機械で、蒸すことからつくことまで、1台の機械でやってくれている。 1回に1升。今年は4升ついた。また、おせち料理も妻の手作りだ。頭が下がる。 うま煮、黒豆、昆布巻き、栗きんとん。最近の人気は栗きんとん。 写真は、うま煮の下準備というか、材料の面々である。
 正月飾りは、30日にしている。 29日は、9が「苦」に通じるから、31日は、一夜飾りはよくないなど、昔から言われていることを少し気にしている。
 我が家の正月は駅伝とともに始まる。 実業団のニューイヤー駅伝、そして、箱根駅伝。青学の走りに魅了され1年が始まった。 この2日は、年始のあいさつで札幌へ。 当然、箱根の応援も2区と3区は車の中。 駒沢を逆転する一番いい場面は車の中だった。 高速途中の輪厚のSAで驚いたのが、ハイオク200円の看板だった。
 4日は、新札幌の新しい商業施設bivi、ちょっとおしゃれな空間でパンケーキを食べた。 以上年末から正月にかけての我が家の様子。(2024.1.8)
正月飾り 初詣 パンケーキ 200円

2024年のスタート(世の中)

北海道新聞1月3日

 2024年の始まりにあたり痛ましい災害と事故が起きた。 かつて新聞の一面に、こんなに大きな災害と事故が同時に載ったことがあっただろうか。 犠牲になられた方々には、心よりお悔やみ申し上げます。
 イギリスBBCは「日本は非常に恐ろしい2024年の始まりとなった」と伝えたという。 年の初めのニュースとしては、これほど悲惨なものはこれまでになかった。 本当に恐ろしい年の始まりだ。 コロナが空けて、郷里で家族団らんの一時を過ごしていた人もいるだろう。 帰省するため、帰省からの帰りに、この航空機を利用した人もいるだろう。
 2024年は、こんなことばかり起こる年にはなってほしくない。また、そう願いたい。 どうか、よい1年になりますように!(2024.1.2)

2022

オミクロンの憂鬱

 新型コロナウィルスのオミクロン株の広がりに例外はないようで、身近なところで感染者が出ている。 重症化しないということだが、だから安心という訳ではない。
 ギリシャ文字の「α(アルファ)β(ベータ)γ(ガンマ)δ(デルタ)」と始まり、今は「ο(オミクロン)」まで変異が続いている。 「σ(シグマ)」や「ω(オメガ)」あたりまで変異が進むと、どのような症状が出るのか想像も付かない。
 想像も付かないことを考えるのは憂鬱なことだ。 自分が、感染しないかどうか心配するのは、もちろん憂鬱。 もしかしたら濃厚接触かもと家族に思われるのも憂鬱。 明日、自分の教室で感染が広がっていたらと考えるのも憂鬱。
 そんなときに、以前同僚だった人の結婚式の写真が送られてきた。 満面の笑みで、キャンドルサービスに回る姿が幸せそのものだ。 憂鬱な今、こんな幸せそうな写真を見ると、少しの時間だが憂鬱な現実を忘れることができる。(2022.1.23)

干し柿

干し柿

 外は大雪。雪の量(15pくらい)はそれ程でもないが、とにかく重たい。 やはり除雪車はなかなか来ない。 ずっしり重たい雪をよけていく。 角地に建つ我が家は、除雪する範囲も広い。 ご近所と「今日の雪は重たくて、いやになりますね。」などと会話し、重たくなった雪用スコップを持ち上げる。
 除雪の仕方には性格が表れる。 歩くところしかしない家。まるでほうきで掃いたように、きれいに除雪している家。 除雪された雪を家の横に積み上げる家。道路に出す家。自宅の敷地内に放り込む家。
 我が家は、割ときれいに除雪する方だと思っている。 除雪した雪はフェンスの内側に放り込み、それなりの山を作っていく。 子どもが小さかった頃は、雪だるまやすべり台、かまくらやトンネルも作った。
 除雪をあらかた済ませ家に入ろうとしたとき、カーポートにつるしてあった柿に目が留まった。 
 去年の年末から挑戦してみたことがいくつかある。トマトの水耕栽培と干し柿作り。 トマトの水耕栽培は早々に失敗し、片付けられてしまっていた。 干し柿作りは、12月いただいた柿が二つ、もう誰にも食されない様子だったので、皮をむいてみた。 種類は分からないが、庄内柿のようにとろとろになる柿ではなかったようで、しっかりしていた。 へたの部分は、縛りやすい枝が残っていた。 私の頭の中で、「干し柿を作ろう。縛って干せばいいのだろう。」と、することがきまった。 もう一つの柿もむき、麻紐でつるしてみたのが12月10日頃。
 年末に一つ食べてみた。ちゃんと干し柿になっていた。 あんぽ柿のようなねっとり感。 自然な甘さが私を笑顔にした。 さて今日、残りの一つを。除雪で疲れた体を癒やすには、あの甘さがいいと思った。 珈琲と干し柿。来年も柿をいただいたら作ろう。(2022.1.12)

また新年

しめ飾り「明けましておめでとうございます」

 明けましておめでとうございます。
 2022年正月。 今年は、雪のある正月となった。 今年の干支は寅。 正月飾りにかわいい寅がいる。 そして、何を隠そう私は年男だ。 あと1年3ヶ月で定年退職。 そんなところまで来てしまった。 我が家にはもう一人年男が。 長男だ。 現在、海の男になるべく修行中だ。
 我が家では、世代交代が進行中だ。 これは、もちろん職場でも進行中だ。 最近は、学校にもICTなるものが次々と入ってくる。 新しい技術にあこがれるが、抵抗感も強い。 「できればやりたくない」と思うのは、習得にはかなりのエネルギーが必要だからだ。 若者には、このエネルギーがあふれている。 羨ましく思う。
 コロナウイルスも世代交代が進んでいるらしい。 オミクロン株という新型に変異している。 そのおかげで感染者が急増している。 心配な状況だ。
 さて、2022年。 コロナウイルスのように、簡単に新型に置き換わる訳にはいかない。 もう少しこの流れにあらがってみようと思う。 ただし、省エネで!(2022.1.5) 







2020

コロナ禍

コロナウイルス

 新型コロナウイルスによって引き起こされた混乱は、私たちの日常を再認識させてくれている。 全くの素人考えだが、今年の初めから始まった新型コロナウイルスの流行は、ようやく下火になっ来たように思う。  今回のコロナウイルスの流行にによって、今まで何気なく過ごしてきた普段の生活が幸福な暮らしだったのかを思い出させてくれた。

 ・友だちと笑顔で挨拶を合わせること。
 ・スタンドで歓声を上げられること。
 ・ネオンの下を肩を組んで歩けること。
 ・暖簾をくぐりビールを酌み交わすこと。
 ・家族で夕食のおかずを買いに行くこと。
 ・公園で鬼ごっこすること。
 ・給食を話をしながら食べること。
 ・みんなと歌を歌うこと。
 ・大好きな友だちとじゃれ合うこと。

どれもこれも当たり前のことだった。

 ・エレベーターのボタンを爪楊枝で押すようになり
 ・体育館の壁をアルコールで消毒し
 ・教室の机を隣と離し
 ・入り口という入り口にアルコール液が置かれ
 ・テレビ画面の中のアナウンサーの机が妙に長くなり
 ・スーパーのレジ前には、間隔の開いた足跡が描かれ
 ・iPhoneの顔認証が反応しなくなり
 ・街角の銅像までがマスクを付けている。

ソーシャルディスタンス。ソーシャルディスタンスィング。

 分散登校。同じ学級なのに顔を合わさない友だちがいる。
 衆議院。参議院。分散登院しているの?


つめたい雨が 今日は心にしみる
テレビでは 我が国の将来の問題を
誰かが真剣な顔をして しゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない

行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ 雨にぬれ

つめたい雨が 僕の目の中に降る
君のこと以外は何も見えなくなる
それはいい事だろう?

 井上陽水「傘がない」の歌詞を思い出した。 人は目の前にあることに夢中になる。 遠くのことは想像すらできないこともある。 東日本大震災。台風災害。世界各地で起きるテロ。難民問題。 いつも大変だと思っていても自分のことではないと考える人がほとんどだ。 それは罪ではないし、愚かでもない。
 新型コロナウイルスの流行。 ある意味、世の中平等に不幸にしてくれた。 こんな事最近ではなかった。 平等な不幸な世の中に不安を感じる人も大勢いる。 「自粛警察」「他県ナンバー狩り」 政治を行うものの説明不足、お願い不足、見て見ぬふり。 刺々しい雰囲気を静めることができるのが政治家の言葉のはず。
 平常でないときに求められるのが政治の力だったり、トップに立つ人の資質だろう。
 今までこの「つぶやき」で政治的なことを書いたことは一度もなかった。 でも、今は言おう。 個人の思惑で国を動かすのはやて下さい。 国民の叫び声を聞くことができないのなら、国民が流す涙を見ていないのなら、国民が苦しさ悲しさを感じられないのなら、国民の消えそうな希望の火を想像できないのなら、今すぐ総理をお辞め下さい。 それが国民の願いです。(20200512)     


2018

年末年始に思うこと

正月飾り

 再会と再会

 もう年末。最近は1年が過ぎるのが早すぎる。 たぶん年をとったから。いや、忙しすぎるから。
 あと数日で新年を迎える。 このページもずいぶん開店休業が続いている。 新年を迎える前に少し反省をしてみようと思う。
 12月、10年ほど前に卒業した教え子と再会した。 年は22,3才。人生の中で一番でたおやかで情熱に満ちた時期だろう。 見ているだけでまぶしい。話をしていると夢の中にいるように思える。 それぐらい自分とは違うエネルギーを感じた。
 皆忙しく、それぞれの職場の悩みもあるようだ。 立派な社会人になった。ただただ感心するばかりだ。 社会人に成り立ての彼らが忙しく苦労も多いのだから、自分の年になると何倍も忙しくなるのは仕方ない。 もう少し頑張ろうとかと思えてくるから不思議だ。
 教え子の一人がラインで卒業アルバムや卒業の時に渡した手紙を送ってきた。 また、別の子は、まだ、このページを見ることがあると言ってくれた。 だから、3年ぶりに再開してみた。 最近はブラックな職場だと噂されることも多いが、こんな楽しい再会もあるから34年もやってこられた。
 もうすぐ来る2019年が、希望の年となるようにと思う。 この更新が、平成最後の更新とならないように少しだけ頑張ってみる。(2018年末)

東京

 久しぶりの東京。8年ぶり?それくらい行っていなかった。 今回は、最後の家族旅行かもと思えるような。 子どもが大きくなるとだんだんそうなるのだろう。
 今回は、スカイツリーにも行ってみた。陰がスカイツリーの大きさを表している。 浅草寺では、人生初の「凶」のおみくじを見た。 妻が引いたのだが、浅草寺では約3割が「凶」だという。 ちなみに私は「大吉」。今年もよい1年でありますように!(2019.1.27)






2015


一年の計は元旦にあり

正月飾り

 あけましておめでとうございます。

 正月が来ると思い出すこと、それはホームページの更新。 「今年こそは……」と何度思ったことか。
 昨年の更新数4。 「今年こそは」「岩見沢味軒のラーメン」「かけ値なし」「卒業おめでとう」がそのときのタイトルだ。 情けないというか、これが限界か、証拠にもなく今年もまた「今年こそは!」と強く思ってみる。(2015.1.10)





2014

今年こそは

正月飾り

 あけましておめでとうございます。

 1年がたつのが早いと感じるのは私だけだろうか。 正月が来て、すぐ新年度が始まり、運動会、夏休み、自然教室、学習発表会というように流れていく。 するともう年末だ。
 野菜栽培が中心の庭のに目を移すと、まずクロッカスやスイセンが畑のまわりで咲き始め、エンドウの種まきからスタートする。 ジャガイモや枝豆、春菊、夏大根、イチゴ、インゲン、ズッキーニなどたくさんの作物を収穫する。 気がつくと秋、秋大根の収穫で1年が終わる。 畑を片づけ終わる頃にはそろそろ初雪。 これもあっという間。 やっぱり1年は早い。
 そんなこんなで2014年。 今年は、どれだけ早く時が流れていくことだろう。 ホームページの更新も年の初めだけ「がんばろう!」と思っているような気がする。 「今年こそは……」という気持ちの表れを、年度ごとの区切りから年の区切りに変えることであらわそうと思う。

 それで、今日から「2014つぶやき」のスタートだ。 どうぞ今年も宜しくお願いします。(2014.1.5)

岩見沢 味軒のラーメン

味軒

 先日、岩見沢のラーメン店「味軒」に行ってきた。 年末の北海道新聞に、味軒が復活したとの記事が出ていた。
 30年前、大学生だった頃、よく行ったラーメン店だ。 当時は、味噌ラーメンは「どさんこ」、塩ラーメンは「味軒」というのが私のお気に入りだった。 (友だちは味噌を注文していたが……)
 この塩ラーメンは、ショウガがよくきいた澄み切ったスープが特徴だ。 白菜、きくらげ、メンマというシンプルな具とこのスープがよく合っていた記憶がある。
 この日は、7,8人が並んでいたが、一人だったこともありすぐに座れた。 もちろん注文は塩ラーメン。 席に着く前に案内の店員に注文した。 混んでいたせいか10分ほど待った。 出てきたラーメンを見てどんぶりが水色だったことも思い出した。 当時の雰囲気が出ている。 ただ、どんぶりには左のロゴがついていた。 これは昔なかったはずだ。
 スープをれんげですする。 思い出の味だ。 味というのは記憶に残るということを再確認した。 あの味だ。 懐かしい。 食べてよかった。 もちろんスープは飲み干してしまった。
 具にはタマネギもはいっていた。 白ごまも。 店を出る時、2,30人の列ができていた。 懐かしさに訪れた人たちだろうか。(2014.1.7)

かけ値なし

 5年生の算数で「割合」を勉強している。 定価○○円の商品を3割引で買うといくら?とか20%引きでいくらになりますか?という問題が出てくる。 そういえば、最近でこそオープン価格といって定価がはっきりしない物も増えてきたが、私たちの頭の中には定価の概念が根強く残っている。
 なぜ急に定価なんていう言葉が気になったかというと、我が家の本棚に大学生の時から買い続けている教育雑誌「たのしい授業」が並んでいるのだが、 何気なく最初の1冊を手に取り開いてみたら、その中に、落合大海氏の「現金かけ値なし」という話が載っていた。
 天和元年(1683年)、江戸駿河町の呉服店「越後屋」がかけ値(実際より高い値)をつけないで商いを行ったのが「定価」または「正札」の始まりらしい。 そして同時に、つけ(掛け売り)もなくしたことで「現金かけ値なし」というようになったのだろう。
 海外では、1823年にできたアメリカのスチュワート商会が先駆けらしい。 その100年以上前に日本では始まっていたところがすごい。 海外では、いまだにかけ値だらけで法外な料金を取られることが多い。 かけ値なし、定価になれてしまった日本人はいいかもなのだろう。(2014.2.2)

卒業おめでとう

 6年前に担任していた子どもたちが高校を卒業した。 全員の進路を把握していたわけではないが、このときの子どもたちは卒業してからも連絡をくれる子どもたちが多かった。 人懐っこいのは担任していた時からだが、そのせいか今でも気になる子どもたちだ。
 高校を卒業する年になるとは驚きだが、その内、結婚した、子どもができたと、もっと驚かせてくれることだろう。 そんな驚きなら大歓迎だ。
 卒業おめでとう。そして、楽しい驚きをありがとう。(2014.3.3)





2013

また新年度

 明日から新学期。
 つい3週間ほど前に卒業生を送り出し、長かった2年間を十分に振り返るまもなく新しい子どもたちを迎える。
 再び5年生。 最近は5・6、5・6と繰り返している。 ちょっと楽をしているのか、保守的になったのか、あまりいいサイクルではないと反省もしている。 もちろん、同時にいいわけも考えている。 ここで、そのいいわけを書くのは止めておこう。
 いずれにしても明日新しい子どもたちと対面する。 やっぱりドキドキする。 どんな雰囲気を作ろうか?どんなことを話そうか?
 教室は、久しぶりに2階。 掃除もした。 ガラスも拭いた。 棚の目隠しも新しくした。準備は万端?たぶん!

 教室の黒板には次の言葉を書いた。

 今日は何月何日だ?
 今日は何の日だ?
 そう、5年生の始業式
 始業式って学年のスタート
 スタートをするってことは
 何かに向かって歩き始めること
 それはゴール
 それは目標

 みんなの目標って何だ?
 これからの1年で
 何ができるようになりたい?
 何を始めたい?
 どんな力を伸ばしたい?
 どんな5年生になりたい?

 それを誰に見ててほしい?
 それを誰に知ってほしい?
 それを誰と一緒にする?
 それは誰のための目標だ?

 先生も力を貸そう
 先生にも力を貸してくれ
 そして、一緒に歩いて行こう


 子どもたちは、なんと答えてくれるだろう。(2013.4.7)


 

家庭訪問

 家庭訪問も後半戦。 連休前に終了という目論見は残念ながらだめだったが、残り1件。 いつになく順調な家庭訪問だ。
 家庭訪問は、若い頃ほど緊張しなくなったが、やはり苦手だ。
 話に詰まるときが本当に困る。 おしゃべりなお母さんがいい。 話を切る苦労はあるが、沈黙よりましだ。
 今日は、卒業生がわざわざ部活を早退して妹の家庭訪問に待っていてくれた。 とてもうれしくて疲れが飛んだ。(2013.4.26)


紫のかすみ草

紫のかすみ草

 二男が妻の誕生日に花束をプレゼントした。 予算は500円。 花屋は、子どもに優しい。 ちょっとサービスしてくれたのが写真の花だ。
 きれいな花束だ。 色のコントラストがとてもいい。
 紫のかすみ草ができたんだ。 品種改良はすごいななんて思っていた。 でも、翌日、花瓶の水が紫色になっていた。
「なるほど。色を付けて白いかすみ草を紫色にしたんだ。」
と気づいた。
 これは、理科の授業で使える。 息子のプレゼントで、そんなことを考えた。(2013.5.1)


ハート型の雲

 娘がハート型の雲を見つけた。 写真を撮ろうかどうしようかしているうちに、みるみる形が変わってしまった。 一時はミッキーの耳が現れ、キリンの首のようになり、雲自体が消えてしまった。 わずか1・2分の出来事。 すぐに写真を撮ればよかった。       
 夏の記憶の一つになるだろうか。(2013.7.15)





2012


新年度の顔

 新年の始まり以上に、学校にとって4月というのは特別な月だ。
 教師の顔ぶれも変わり、子どもも新しい顔が加わる。 学級通信などのタイトル(顔)も変わったりする。 私など、20年以上学級通信の名前を「児遊席」にしているが、毎年、デザインだけ変えている。 新鮮みにはちょっと欠けるが、飽きられないためのちょっとした工夫のつもりだ。
 5年から6年への持ち上がり。 顔を変えないと飽きられてしまうだろうか。 美容整形は無理。髪の毛も増えない。しわも伸びない。新しいめがねでもかけるか。
 いやいや外見の変化より、中味の変化だと考えている。 まだまだ甘っちょろい子どもたちに、最高学年という意識をもたせるためにビシビシやっていこう。(2011.4.1)

新学期の黒板には

  幸せを感じて

学年が一つ大きくなることの幸せ

みなの前に立ち号令をかける
泣く一年(こ)の前にしゃがみ手をとる
ほうきの使い方を教え
けんかの仲裁をし
優しくほほえみかける
そんなあたり前のことができる
       六年(ひと)になってほしい
そんなあたり前のことができる
       幸せを感じてほしい

昨日と同じ今日が来る幸せ
今日と同じ明日が来る幸せ
いつもの友達と
    遊べる幸せ
    学べる幸せ
    笑える幸せ
    泣ける幸せ

そんな幸せを感じられる一年にしたい


 悪いくせで、なんか考え出すと長くなる。くどくなる。
 子どもたちには、もっと短い方がいいのだろうが、一度にいろいろなことを伝えたくて欲張ってしまう。(2012.4.7)

愛車

 前の前の学校の2年目は6年生の担任。 遠足は自転車で、いわゆるサイクリング。 田舎だったからできた遠足。
 その時買った自転車が、学校の物置に入っている。 もうかれこれ16年目の愛車だ。 MTBと言われるタイプの自転車だ。 車体はシルバー。 全体的にさびつつあるが、16年もたっているとは思えない。
 一番活躍したのは3・4年前、長男が4・5年生の頃だ。 公園を求めて、いろいろな道を走った。 ずいぶん遠くの公園まで行き遊んだ。
 今は、家庭訪問で活躍している。 昨日、1年ぶりにタイヤに空気を入れた。 1年ぶりのペダルは軽く、気持ちよくのれた。 でも、今日は、強風にあおられペダルもずいぶん重かった。
 今度写真を撮って紹介しよう。(2012.4.26)

時代の流れか俺も

 ついにiPhone4sを買いました。 二つ折りの携帯とおさらばです。
 でも、なかなか慣れません。 電話をかけるのも最初は大変でした。 形がかまぼこの板みたいだから、どこを耳に当てていいのか分からずにいろんなところに当てていた。 息子と話ながら、
「もう少し大きくしゃべって!」
「何か続けてしゃべっていて!」
と頼んでベストポジションを見つけ出しました。
 でも、メールが1番抵抗があります。 キーのタッチもそうだが、アドレス帳やグループ分けが面倒です。 ついつい返信が遅くなってしまいます。
 新しいものを楽しむ余裕がなくなってきているのでしょうか。 きっと「面倒」と思うのは老化の始まりなのでしょう。 教え子に
「スマホにしたんだよね。」
と話すと、必ず「いいな」と帰ってきまする。 さすが彼らは若い。
 そのうち簡単スマホなんてのが出るかもしれません。
 今のうちに若いふりをしときましょう。(2012.7.19)

明けましておめでとうございます

うさぎの足跡

 明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。
 なかなか更新できなかった2012年。 2013年は違うぞと、正月の今だけ意気込んでいます。

 元旦、妻の実家で向かえました。 正月らしく雑煮、おせち料理などを食べ、のんびりとと思っていると、わが家の子どもたちは
「お父さん、公園でソリすべりをしよう!」
と言うではありませんか。
「ええっ、公園?元日なのに……」
とつぶやいたものの、気がつくといつもの公園に出かけていました。 いつもの公園というのは虹ヶ丘公園。 もみじ台の実家から徒歩5分位です。
 案の定、我が家族の他は誰もいない貸し切り状態。 途中、親子3人組が同じようにソリすべりをしに来ましたが、すぐ帰ってしまいました。
 遊んでいる時、驚きの発見をしました。 それは、写真の足跡です。 どう見てもウサギのものです。 札幌と北広島の間にある公園で見つけるなんて驚きです。 確かに、公園の一部には自然林ぽい林があり、何となく広い林につながっています。
 でも、周りは住宅に囲まれ、近くには札幌日大高校やスーパーがあるのにです。
 こんなところに自然が残っていました。 驚きと同時にうれしくなりました。
 わが家の二男と娘にウサギの足跡だという話をすると、すぐに二人は足跡をたどってウサギさがしをはじめました。 私が雪面を歩くとズボズボ埋まるのに、子どもたちは雪の上を普通に歩けるから不思議です。 正月早々、自分の体重を気にすることになりました。 虎杖浜

 ちょっとすてきな発見があった元日、今年はいい年になりそうな気がしました。 みなさんにとってもいい1年になりますように。

 左の写真は去年の暮れに白老の虎杖浜で撮った風景です。 とても穏やかな風景だったので載せてみました。 大きくなった幼鳥がアクセントになっています。(2013.1.4)





2011

 2011年度、このつぶやきもスタートしようと思っていたら、何かと色々あって。 それでも、そろそろと考えていたら71になる母親が癌になり、術後、脳梗塞を起こして左半身が動かなくなるなんていうアクシデントまであって。 それで、今日のスタートになりました。
 気持ちの中には、頭の中では、いろいろな「つぶやき」があって、言葉や文字にすると「楽しくなったり」「楽になったり」「すっきりしたり」することは分かっていました。
 でも、「余裕」がなくて、「余裕」を作ることができなくて、ぐずぐずしていたら、どんどんずるずるといきそうで、そんなのもいやで、ようやく思い切ってみました。

おんぶバッタ

2学期

 つぶやきのスタートが2学期のスタートに重なるなんて、ホームページ7年目にしてもっとも遅いスタートになってしまった。 スタートが遅れた理由は、上に書いたとおりだが「余裕」を生むためにもつぶやいていこうと考えている。
 今日は、こんなところで軽めの文章でスタートだ!(2011.8.16)

読書の秋

 読書の秋。 といっても最近は滅多に本を読まなくなった。 活字がきらいかというと、たぶん好きな方だろう。 国内最大の発行部数を誇るJAFの機関誌「ジャフメイト」なんかでもすみずみまで読んでしまう。
 まとまった時間がとれないのが、読書をおっくうにさせている原因だと思っている。 雑誌や新聞など、軽く読めるものはいいが、一度読み始めたら丸1日かかるような本だとか、全何冊という大作はよほどの決心をしないと読み始めることができない。 先日、ネットで高野和明「ジェノサイド」という本を買った。 テレビで紹介しているのをたまたま見て買った物だ。 約600ページの単行本だ。 そして、文庫本より小さい字ときた。
 実は、私は本を読むのが遅い。 この本の厚さなら、たっぷり3・4日はかかるだろう。
 読み始めたら邪魔をされたくない。 子どもたちの「お父さん」という声や、我が妻の「ねえ、……」という長話の心配のない時を狙っている。
 秋が終わらぬうちに夜長を楽しみたいと思っている。(2011.10.10)

大雪

 苫小牧に住んでいると雪国北海道という感じがしない。 私が育った岩見沢は、12月としては36年ぶりの大雪だそうだ。 この冬は、入院している母を見舞うために週に1度のペースで岩見沢に行っているが、36年前の大雪を経験したことのある私でさえ驚くような大雪だ。
 苫小牧は、せいぜい30cmの積雪がいいところだ。 子どもたちに雪遊びをさせようと思っても、庭の雪を集めるところから始まる。 気をつけないと土が混じってしまうくらいの少雪だ。 子どもは雪遊びが好きだから、かまくらや雪のトンネルを作ってあげたくなる。 わが家の庭の雪だと、どうしても小さな山しかできず、かまくらというには恥ずかしいぐらいのサイズになってしまう。
 子どもの時は、軒先と積もった雪がつながるぐらいの量で、スコップさえあればどこにでもトンネルが作れた。
 ある時、夜中に吹雪いていたので、朝、雪よけをしようと玄関の戸を開けると、すべて雪の壁になっていたことがあった。 冬至の玄関戸が引き戸だったから開いたものの、もし外側に明くドアだったら玄関が開かなかったかもしれない。 一晩でひとの背丈ほども積もったわけでなく、吹きだまりの仕業だったのだが、雪を漕いでの除雪になった。
 あの当時は、まだ子どもだったから苦労も遊び感覚で過ごせたのかもしれない。 今なら、言葉が出ないくらい疲れ果てることだろう。 雪の少ない苫小牧に住んでいてよかった。(2011.12.26)

新年あけましておめでとうございます。

 昨年は、東日本大震災という未曾有のできごとがあり、常に胸が締め付けられた1年だった。
 札幌市の上田市長は、今年の漢字一字を「昂」と書いた。 「昂」という字は、意気軒昂の「昂」だ。 気持ちを高めるという意味だ。
 昔お世話になった人に、昂と書いて「たかむ」と読ませる名前の人がいた。 名前の通り、常にエネルギッシュで、気持ちの前向きなひとだった。
 さあ、2012年。 いろいろなことに意気軒昂でありたい。 そして、明るい1年。 希望のもてる1年としていきたい。(2012.1.4)

薬品庫

 今日、今年の初出勤。 正月から続けて2日年休を取ったので今日が初出勤になった。
 昨日からの雪で、朝から家のまわりの除雪。 学校に着いてからも除雪。 家よりもやや多い感じだった。 苫小牧は、西部より東部の方が積雪が多い傾向がある。 除雪といっても、今日はそれほどの量でなく、正月に増えた体重を落とすまで行かなかった。
 今日は、昨年末に入った薬品庫の梱包をほどいた。 東小の理科室はとんでもない理科室で、私が転勤してきた時は、朽ち果てようとしている物置のようだった。 薬品庫も、とんでもなく古い代物で、全体がさび付いている。 カギの開け閉めにも苦労する代物で、今回ようやく購入にいたった。
 小学校の薬品は、それほどの劇物・毒物はない。 せいぜい塩酸、水酸化ナトリウム、過酸化水素水ぐらいなもので、机の引き出しにしまってカギをかければすみそうな物だ。 それでも念を入れて薬品庫で保管する。薬品に混じって食塩やコーヒーシュガー、片栗粉まで厳重保管される。(笑)
 今日は、とりあえず設置したという程度なので、来週、きちんと整理しよう。(2012.1.6) 

ようやく

 ようやく高野和明「ジェノサイド」を読み終えた。 3学期が始まる直前に読み始めたのだから約2週間かかった。 予定では読書の秋に読み終えていたはずだったが、なかなかスタートしなかった。 仕事からの逃避が読み始めるきっかけとなった。
 そんな読書のスタートだったが書評に書いていたとおり、それ以上のおもしろさだった。 元来、書評というのはあまり信じていない方だが、今回は作家というのはすごい、著者高野和明という人はどんな人だろうと何度も考えてしまった。
 読んでいて絵が見えてきたし、音も聞こえてきた。 何よりも考えさせられた。 人間という生物は、どんな生き物なのか。 どうあらねばならないのか。 未来はどうなるのだろうか。
 小説というのは、どんなに展開がおもしろくても終わり方によってつまらなくなってしまうものだが、「ジェノサイド」はよかった。 できることならハリウッドで映画化してくれないだろうか。絶対おもしろい映画になる。(2012.1.29)





2010 つぶやき

 2010年度がスタートして約1ヶ月。 毎年同じような春を迎えている。 まったく同じではないが、変化がないといえば変化がない。。
 それでも春は「ヨシッ!」と気合いが入る。 その気合いの合間に、「つぶやき」を続けていこうと思う。

今年も

サナギ

 娘の保育園の先生からカブトムシの蛹(サナギ)をもらった。 子どもたちは大喜び。 ついでに私も。 いくつになってもカブトムシやクワガタは好きなのが、多くの男どもの性(さが)かもしれない。 性というと大げさになる。 単なるあこがれか?  
 コクワガタよりミヤマ、ミヤマよりノコギリの水牛。 そして、クワガタよりカブトムシというのが私の中の順位だ。 日本丸
 わが家では、毎年いろいろな虫たちがリビングなどいろいろな場所を占拠する。 飼育ケースも大中小いろいろなサイズがそろっている。 今シーズンの第1号がこのカブトムシの蛹かというと、実は違う。 昨年の夏、昭和新山で当時2年生の息子に捕まえられたアカアシクワガタが、見事に越冬して春を迎えている。
 保育園の先生からは、第2弾、第3弾が届きそうなので、今から楽しみだ。次はオスかな?(2010.4.23)

日本丸

 今日、買い物のついでに航海練習船「日本丸」を見てきた。 帆船を見る機会なんかなかなかないので、帆を張っていなくても「ほーっ」という感じだった。 それにしても人が多くて、船内見学の列はカタツムリの行列のようになかなか進んでいなかった。
 次の機会には、セイルドリルを見てみたい。(2010.4.25)
 

抽選

 今日小平町から「タコ箱オーナー」の案内メールが届いた。 2年続けて抽選にはずれているので、今年こそはと今から意気込んでいる。
 抽選といえば、今日もう一つ送られてきたものがある。 「一太郎25周年記念切手シート」が当たった。 一太郎の購入者の中から、確か1000名に当たるということだった。 購入者が何人いたかは分からないが予想外の当選だ。
 今年は、生協の共同購入(トドック)でも、知らないうちにキノコのバスタオルが当たっていた。 絵柄がキノコということで、娘のおもちゃになっているが、とにかく当選である。 
 でも、はずれてしまったものもある。 同じ生協の共同購入で、人気のため品薄になってしまった「辛そうで辛くない少し辛いラー油」が、抽選に当たった人だけ購入できるというので、申し込んでみたが家に届かない。 要するにはずれたということだ。
 まだまだあるある。宝くじ、馬券、株価の予想……大物が当たるのはいつの日か?(2010.4.26)

春の訪れ

 今年は、カレンダーではとっくに春なのになかなか暖かくならない。 それても今日は、久しぶりに暖かい日差しがさしてきた。 その日差しに誘われたのか、庭先にウグイスが飛んできた。
 妻に教えてもらい、あわててカメラで写したが、胸元がきれいな白で美しいウグイスだった。 まだ若鳥だったのか、今まで持っていたイメージよりもずっときれいな鳥だった。 写真を撮って、「これが一眼レフだったら」とつくづく思ってしまった。
 今日は、暖かだったので一度に春が来たようで、家の壁についていたサナギからチョウが羽化した。 羽化したてで、黒い模様もまだうすいが、わずかに開いた羽の中に見える黒い模様はブーメラン型をしている。 ということで、こいつは移入種のオオモンシロチョウだ。 昨年、わが家の大根の葉を食べて育った毛虫が美しいチョウに変わった。
 早く暖かな日が続くようになってほしいが、今週は寒い日が多いのだという予報だ。(2010.5.9)

打球

 今日は、久しぶりに教職体を見た。 胆振に来て初めてだ。 新卒でつとめた日高と、その後、ずうっと働いている胆振では、職場の雰囲気も違うし、教職体への取り組みも違う。 昔の日高では、教職体はみんなでやるもの。 胆振は、一部の上手な人と好きな人がやるもの。 それほどの違いがあると思う。
 東小学校では、男子バスケットの決勝が行われた。 優勝した札幌のチームは、
「本当にみんな先生?」
と思うような大きな人、動きの人ばかりだった。 ダンクこそなかったが、随所に急造とは思えないプレイが見られて楽しかった。
 野球は、胆振が残念ながら準優勝。 タイブレークでの決着と言うことで、本当に優勝させてあげたかったという気持ちが強くなる。
 教職体だから、もちろん軟式。 ボールはよく弾むが、公式ほどの飛距離は出ない。 打球音もゴムの音。
 のはずが、キーンッという金属音がして驚いた。


 胆振の4番打者は、甲子園経験者、プロテイン愛飲家。 打球音が一人違うことも納得できる。 “教職体の清原”みたいだと応援席で盛り上がった。
 みんなの応援の先にいたのは、T先生だったが、私がいる時には快音は聞かれなかった。 応援がたりなかったのだろう。 1年後は、両手を突き上げて喜んでいるだろう。 期待しよう。
 ズボンの裾がイチローみたいでカッコイイ!(2010.7.26) 

聞き間違い

 少し前に深川に行った時、「そばみつ」(蕎麦の蜂蜜)を一瓶買ってきた。 蕎麦は、白いかわいい花を咲かせる。 蕎麦畑が花の季節を迎えると、まるでかすみ草の花畑のような清楚な雰囲気になる。
 一昨日の昼食はホットケーキ。 私は、メイプルシロップで食べるのが一番好きだが、蜂蜜も大好きだ。 蜂蜜は、どの花の蜜かで味が変わってくる。 レンゲは、軽い味わいで割とクセがない。 万人向きの味だと思う。 北海道でなじみのアカシアも、軽い口当たりで私は好きだ。
 蕎麦の蜂蜜がどんな味がするのか楽しみだった。 色はとても濃い色をしていたので、どっしりした味かと想像していた。
 私より先に妻が食べていた。 妻は、
「不思議な臭い…」
と言ったらしい。 それをわたしは、 「羊の臭い?」 と聞き間違えた。 実際ににおいをかぐと、確かに羊の臭い?がする。 どんなにおいかを説明すると、干し草と畜舎の臭いを混ぜたような、動物的な臭いだ。
 私が言った
「羊の臭い。」
が、今度は家族の興味をそそった。 みんなが、そばみつを鼻に近づけて臭いをかいだ。 そして、
「本当だ。羊の臭いがする。」
と言うことになってしまった。 確かにクセのある香りと味で、苦手な人が多そうな蜜だが、「羊の臭い」というのはあんまりだと言われそうだ。 そばみつに対して謝らないといけない。
 あの強烈な個性は、きっと肉料理に合う。 それも、マトンやラムに合いそうだ。(2010.7.27)

年の瀬

 1年の終わりも目前となり、久しぶりの更新だ。
 年賀状も何とかできあがり、今日は餅つき。
 餅つきと言っても臼と杵ではなく、もちつき機だが……。 今日は、学校で机の上も整理してきた。 私と同じように掃除をしに来ていた同僚もいた。
 正月を迎えるというのは特別らしい。 やはり正月というのは日本人にとって特別な営みなのだろう。 精神論は好きではないが、身のまわりが気持ちよくなるのはいい。(2010.12.28)

この1年

 気がつけば忙しかった1年が明日1日で終わる。
 今年は本当に忙しかった。 とにかく息子のバスケットの後援会が忙しかった。 土日はほとんど練習、練習試合、大会で埋まっていた。 今思い出してもため息が出る。
 まあ、大変なだけでなく、試合で活躍している息子を見れば楽しく、試合に勝てば疲れが吹っ飛んだ。 でも、忙しかった。
 ようやく後援会長を降りることができ、ホッと一息つくことができた。 来春、長男が小学校を卒業すると、しばらくの間はちょっとのんびりできるかもしれない。 ホームページの更新も来年は回数が増えるだろう。(2010.12.30)

明けまして おめでとうございます


 明けましておめでとうございます。 2011年が始まりました。 もう今日は6日目です。 と言うことは、松の内も今日で終わり。 正月気分もほどほどにしないといけません。
 何はともあれ、今年もよろしくお願いいたします。

 しめ飾りはいつまで飾る?
 わが家では、妻は「11日の鏡開きまで」というし、私は、「15日のドンド焼きまでじゃないか」と思ったりもする。 もしかしたら「七草まで?」なんて思ったりも……
 こんな時は、インターネットで検索。 すると「松の内の最終日6日の夕方に片付ける」なんて出ていた。 ただし、しめ飾りを片付けるのは、地域によって様々だなんて書いていたりもする。
 んん、この地域(苫小牧)はいつまでなんだという新たな疑問が出てくる……

 年末に、夏に水やりを忘れて一度枯れたアザレアが、たった二輪だが花を咲かせました。 葉が全部落ちた鉢を見て、もしかしてと思って畑におろしてそのままにしておくと、枯れ枝の所々から新しい葉が出てきました。 生命力というのは、すばらしいものです。 今年1年、このアザレアにあやかってたくましく過ごしたいものです。(2011.1.6)

「伊達直人」運動

 テレビのニュースやワイドショーでは、児童相談所や養護施設に届けられたランドセルの話題でもちきりだ。 「伊達直人」を名乗る善意の人が、世の中にたくさんいることはほほえましい。
 ニュースなどの報道をすぐまねるというのは、今まで子どもたちの自殺などでも見られてきた。 こんな時は「負の連鎖」などと言われ、続かないことを願ってきた。しまいには、
「ニュースで流すからまねするんだ。」
などと思ってしまう。
 今回の「伊達直人」は、もっと続いてもいいと思えるものだ。 できるならば、一時のブームで終わらず「伊達直人運動」と言われるようなものに育ってほしい。(2011.1.10)

息子のバスケット

 長男のバスケットが終わった。二男はこれから。
 長男は4年生から、むちむちし始めた体を引き締めるために始めた。 初めの頃は、本当に弱いチームで、人数がたりなくて大会にも出られないようなチームだった。 せっかく練習しているのだから、大会に出ようという時は、知っている子を何人かかりてくるようなチームだった。
 初めの頃は、「体力がつけばそれでいい。」といっていたのが、「たまには勝ちたい。」と変わっていった。 でも、実際に勝つまでは息子が入って丸2年以上かかった。 少なく見積もっても20連敗以上。
 初勝利は、長男6年生の春季大会。 白老に32対23で完勝。初勝利を挙げると、今度は賞状がほしい、トロフィーがほしいなんていう欲が出てくる。
 そして、キング杯でBブロック3位! 次々と夢が叶って、長男の小学校バスケットは終わった。 疲れよりも楽しかった3年間だった。 勝つことを意識していなかった初めの頃が懐かしい。 子どもの成長とともに、親の意識も変わってきた。 意識が変わるというのは、親の成長なのだろう。 どの親も、いろいろな知恵を出し、多少の苦労をしてきたが、思い出を共有し合えたたことが財産と思う。
 子どもに感謝とは、このことかもしれない。 二男は、4月からは4年生。 活躍のスタートラインに立つ。(2011.2.5)   

……言葉が出ない。

 あまりにも恐ろしい光景で言葉が出ない。
 黒い波が堤防を越え、車や家々を飲み込んでいく。 自衛隊機がとらえた津波の映像は、まるで映画のように海面が盛り上がり、白波の筋、いや壁が陸地を目指していた。 きしむ家の音、ぶつかり合うものの音が悲鳴のようにテレビから聞こえてくる。
 映像の向こう側でいくつもの命が消えていることか。 胸がつぶれそうなぐらい心が痛む。
 原発の被害も心配だ。 チェルノブイリの事故の時は、半径1000〜1500kmが甚大な被害を受けたという。 今、命がけで事故の対応をしている人達に「がんばって」と心からお願いしたい。
 自分に何ができるか。 ほとんど何もできない自分に気づく。 申し訳ない。(2011.3.13)

卒業式

 今日、卒業式だった。 自分のクラスからは22名が巣立っていった。 去年は42名の1クラスだったので、学年全員の担任のような気分だ。
 てっきり泣くと思っていた。 自分のことだ。 今回の地震で、普通に生活できることの幸せをクラスで語った時、思わず涙ぐんでしまったので、今日の卒業式で涙が止まらなくなったらどうしようと思っていた。
 何で今回の卒業式は泣かなかったのだろう。 3年前は号泣した。 今思い出しても恥ずかしくなるぐらいだ。 今回の子どもたちも、もちろんかわいかった。 多少手はかかったが、それだけにかわいかった。
 卒業式を普通にできたことがうれしかった。 だから泣いちゃいけないような気がしたのかもしれない。 こんな幸せなのだから涙を見せちゃいけないなんて考えたりはしていないが、なんかうまく説明できないものが涙を止めた。


 卒業だな
 6年たったな
 先生は2年だったけど
 みんなのいろいろな顔を見せてもらった

 今日は 6年間で一番いい顔を見せてくれ
 一番いい顔で卒業しよう
 先生はその顔を覚えておくから

 おめでとう
 そして ありがとう
 とっても楽しかった


 今回はこんな言葉を黒板に書いておいた。
 どれくらいの子どもたちが読んでくれたかな。(2011.3.18)

キアゲハ

キアゲハの幼虫 キアゲハの幼虫 キアゲハの幼虫

 春の足音が聞かれるようになり、足早の春がもうそこまできている。
 3月23日、仕事をしてると携帯が鳴り、
「おとうさん!チョウがかえった!」
という息子の叫び声が響いた。そういえば秋にサナギになったものが、そのまま出窓の上にあった。
「キアゲハだ。そのまま飛ばせておけ。大丈夫だ。」
というと息子はすぐに電話を切った。
 このキアゲハ、実は去年の秋、ニンジン畑でつかまえた幼虫がサナギになったものだ。 キアゲハの幼虫は、10月の初め頃から最終齢の幼虫として存在感を高め、大きな体をニンジンの葉の上にのせていた。 5匹ぐらいいたはずだ。 10月9日、そろそろサナギになりそうだと感じたわたしは、その内の1匹をつかまえ、家の中で飼いだした。
 空き瓶にニンジンの葉をさし、大きなケースを横倒しにして瓶ごと入れておいた。 1週間ぐらいすると幼虫の動きが止まり、10月20日、写真のような見事なサナギになった。 ニンジンの葉もしばらくするとみんな枯れてしまい、枯れたニンジンの葉ごと小枝にテープでくくりつけておいた。
 それから約5ヶ月、3月23日、成虫となってサナギから出てきた。 残念なことに、触角1本がかけている。 それでもきれいなキアゲハの誕生だ。 残念なことはもう一つある。 それは、このキアゲハがサナギから出て羽を伸ばす貴重な瞬間を誰も見ていなかったことだ。 わたしばかりか、電話をくれた息子も見ていない。
 生まれて4日目の26日、キアゲハは息絶えた。 エサの砂糖水を皿に入れ、ぬらした新聞紙を飼育ケースの下に敷き、長生きしろよと願いながら見守っていたが、本物の花の蜜を吸うことなく息絶えてしまった。 もう1ヶ月遅れて誕生していたら、窓から家の外に飛び立てたのに、残念だ……。(2011.3.26)





2009

 2009年度のスタート。 昨年度は、いささか疲れた。 いろいろな意味で、ペースをつかめないと言うことが、どれだけ疲れるか分かった。
 今年は、もっと疲れるかもしれないが、春は気持ちがウキウキする。 教え子からのたった1通のメールでもうれしくなる。 こんな気持ちをずっと持ち続けていたい。 転勤から1年がたって、ちょっとだけ慣れたのかもしれない。
 今年は自分のペースを守ろうと思う。 というか作りたいと思っている。
 このつぶやきも、少しは回数が増えるかも? 春は、誰もが希望に満ちている。

2005年度の引き出し   2006年度の引き出し   2007年度の引き出し   2008年度の引き出し  2010年度の引き出し 

決める

 春休みは、何かと忙しい。 指導要録の整理や教室の整理といった元のクラスの最後のしごと。 そして、四月からの新しいクラスの準備。校務分掌の年度当初の業務。 今回はそれに、校区連の引き継ぎの準備や小指連のスタートの準備が付け加わった。 ちょっと多忙かな? でも、まだそれほどの負担を感じていないのは職場に慣れたからだろう。
 春休み中には、たくさんのことを決めなくてはいけない。 分掌、学年、教室のこと、実に雑多で多い。 その中でちょっと楽しいのが、学級通信のタイトルをデザインすることだ。 私の場合、学級通信の名前自体は「児遊席」と決めてあるので、デザインだけということになる。
 A4版にしてから10年目になる。 今までは、A4を横に使うことが多かった。 今年は、久しぶりに縦型にしてみようと思う。 通信のタイトルも、ちょっとシンプルに小さめにしようと考えた。
 できたのが上のようなタイトルだ。 「児遊席」の字には、“TT-JTC彩滉W8”、“S2G らぶ”という、わりと最近手に入れた書体を組み合わせ、ハートの図形をあしらった。 去年と大きく雰囲気を変えた。 それだけで気持ちも新たになる。
 今まで作った中でも、納得のデザインの一つかなと一人で気に入っている。 去年は前の日まで決まらず、「ええいっ、もういい!」という感じでスタートしてしまった。 たったこれだけのことであるが、1年を左右する大切なことだと思っている。 さて、今年は何号の通信が出るだろうか? 気張らずに、気の向くまま、無理をせずに、不定期で出していこうと思う。 ちなみに、去年は57号。 たぶん今年も、そんなもんだろう。(2009.4.1 APRIL FOOL) 菜の花

菜の花

 去年の秋、取り残していた小松菜が、畑の隅で花を咲かせた。 晩秋、下にやられ、もう枯れたと思っていたが、4月の中頃から葉が青々し出した。 すると、みるみるうちにとうを立てかわいい花を咲かせた。
 繰り返し品種改良され、とうが立ちにくくなったはずの小松菜も、厳しい冬を乗り越える中で生命の危機を感じたのだろう。 種の保存という本能が、春の息吹とともにDNAの螺旋構造の奥深くから吹き出てきたのかもしれない。
 「とうが立つ」とは、人では盛りを過ぎたことになる。いい意味では使われない言葉だ。
 でも、青空に向かって凜とそびえるこの菜の花の姿は、今が盛りといわんばかりにみえる。 とうが立った私も、今が盛りと胸をはってみよう。(2009.5.13) スモモの木

スモモの木

 今年の環境校外サークルは、17名という大所帯になった。 のんびり北大研究林内を散策というのは去年と変わらない。
 山野草の大家はいなくても、17人もいればけっこう何とかなるもので、フデリンドウやネコノメソウなど初物に出会うことができた。 ただ、ニシキゴロモだけは、頼りのT先生も思い出せず、「カキドオシかな?」とあやふやだった。 恥ずかしいことに、自分のHPを見ると昔撮った写真が載っていた。 たまに見るだけでは、なかなか覚えられない。 多分来年も名前を思い出せないだろう。
 ちなみに、カキドオシという植物は、花の形はニシキゴロモに似ていたが、つる性で花の大きさが2cmぐらいあるという。
 駐車場に戻るとき、見事なスモモの花を見ることができた。(2009.5.20)
北大研究林の植物

今年初の釣行

 解禁から1ヶ月ちょい。 ようやく川にあいさつに行けた。 久しぶりの釣行だったが、本当にあいさつ程度の時間しか竿をたれなかった。
 川もあいさつ程度に、魚の顔を見せてくれた。 久しぶりにヤマメの美しい姿を見ることができた。
 今回は、白老の飛生川。 前日の雨で、水量はちょっと多め。 ちょっとした落ち込みで、新子たちが泳いでいる姿が見える。 その中であいさつしてくれたのが、写真の16pのヤマメだ。 この後は、新子ばかりだった。(2009.7.11)

安近短

 今年の夏休みの家族旅行は「安近短」。 昨日帰ってきた。 洞爺サンパレス1泊旅行。 去年までは2年続けて、大沼に2泊だったのに。 でも、子どもたちはプールに、ロープウェーに大喜びだった。
 長男は、1泊というのにちょっと不満だったようだが、バスケットや塾で一番忙しいのは君なのだかに仕方がない。
 行程は、1日目、は高速で「虻田洞爺湖」まで。 高速を降りてアイスクリーム(レイクヒル)。 その後は、湖で水遊び。 たくさんのエビを捕り、通りがかる人に自慢そうに見せていた。 昼食のおにぎりにもパクついて、ちょっとのんびりと時間を過ごした。 子どもたちには、こういう時間が一番いい。 ホテルのチェックインの時間が近づいてきたので、湖畔沿いの道をのんびり進み、「わかさいも」で私の好物揚げたての「いも天」をゲット。
 ホテルでは、すぐプールに興じ、のんびり温泉に浸かった。 夕食のバイキングも、思っていたよりおいしく食べることができた。 北湯沢の「三大蟹」よりいいかも? 花火も光りと音のズレがなく、迫力が伝わってきた。
 2日目は、昭和新山、有珠山(ロープウェー)、火山科学館、「わかさいも」でいも天を再びゲットというコースだった。
 今回の旅行での発見は、何と言っても“ダンゴムシ”だ。 ダンゴムシは、教科書の中だけのものと思っていたが、昭和新山周辺にいるわいるわビックリするぐらいいた。 次男坊が「ダンゴムシ!」と騒いでいるとき、「どうせワラジだろ」と思っていた。 坂道を転がして遊んでいる息子を見て驚いた。 正確には、転がっている黒いダンゴムシを見て驚いた。 本当に団子のように丸くなるのだから、これまた驚いた。
 今回の旅行、ダンゴムシを発見したり、飛んでいるセミを追いかけていって「胸に止まったから捕まえた」と言ったり、ロープウェーから降りたとたんノコギリカミキリを手づかみしたり、足もとを這っているアカアシクワガタにいち早く気づいたり、カナチョロ(カナヘビ)まで捕まえてしまいそうになる次男の野性味に改めて驚いた。 そして、ダンゴムシに会えてよかった。(2009.8.5)

クモ

 この世の生きものの中で、クモほど恐ろしいものはないと思っている。 実は、クモの巣も苦手だ。
 ハエトリグモのように、地面を這い回るクモはそうでもないが、オニグモのように大きなクモの巣を作るクモは大嫌いだ。
 夏になると、家のまわりや畑でクモの巣がまとわりつく。 実は「うわ〜っ!」と叫びたくなるほどいやだ。 林や藪を歩くときは最初から用心して木の枝などを目の前で回しながら歩くので、クモの巣の被害に遭うことは意外と少ない。 家のまわりなどでは、気がゆるむのか不意打ち的に引っかかって驚いてしまう。
 でも、クモの巣にかかったとき、私以上に驚いているのはクモのほうだろう。 せっかく苦労して作ったクモの巣を壊されるのだから、「うわ〜っ!」と叫びたくなるのは、実はクモのほうだ。
 先日、エンドウとフェンスの間に、多分私の妻が壊したであろう巣を直しているオニグモがいた。 木の棒で捕まえて、排水溝に流してやろうと近づいていくと、オニグモが一心不乱に巣を直していることに気づいた。 クモの巣作りなど、今まで見たこともなかったが、この時は何気なく見入ってしまった。
 巣のほとんどが、私の妻の頭で壊れたと見えて、縦糸をはっている真っ最中だった。
巣の芯になるような縦糸をエンドウの支柱やフェンスにくくりつけたあとは、巣の中心から外側に向かって糸を伸ばしていく。 この時は、ゆるく張り、おしりからねばねばしたものを出して接着する。 中心にもどるときに、ゆるく張った縦糸のたるみをとるようにしている。 中心付近は、余った糸が巻き付けられて、白い糸のかたまりが見られる。
 縦糸は、さらにとなりに、またとなりにと、数を増やしていく。
 次は横糸の番だが、私の見たオニグモは、左回りに、螺旋状に糸を張っていた。 縦糸と横糸は、必ずねばねばの接着液でくっつけていた。
 ある程度巣ができあがると、巣のバランスを取るための作業にうつる。 縦糸が長く不安定な部分に来ると、左回りをやめて、ジグザグに糸を張り始めた。
 ここまでの作業時間は、10分ちょっとだろうか。 あっという間という感じだった。
 できたばかりの巣を壊すのは、なんだか忍びなくて、この時はそのままにしておいた。 でも、次の日、息子が巣をはらい、クモを排水溝に捨てていた。(2009.8.22)

お月見

お月見 満月

 10月3日がいわゆるお月見の「中秋の名月」で、今日が「満月」らしい。 中秋というのは、旧暦の8月15日のことで年によってずいぶん変わる。 去年(2008年)が9月14日で、来年が9月22日だ。
 私は、「中秋の名月=満月」とずっと思っていた。 でも調べてみると、満月でないことがけっこう多いらしい。 去年も今年も来年も、満月は中秋の名月の次の日だ。 満月の中秋の名月が見られるのは2011年から3年間続く。
 旧暦の1日が新月なので、15日が満月とずれることがほぼ半々の確率であるらしい。 この写真は、中秋の名月ではなく満月である。 デジカメで月を撮るのは難しい。 何度挑戦しても、餅をつくうさぎの姿は写らなかった。
 ところで、中秋の名月につきものの団子を、今年は食いそびれてしまった。(2009.10.4)

新型インフルエンザ

 免疫がないということは、大変なことだということが肌で理解できた。 新型インフルエンザ、病原性が強くなくてよかった。
 わが家では、3才の長女が口火を切った。 長女発熱の12時間後、8才の次男が発熱。 2人とも小児科で鼻の奥から、粘液を採取して検査。 結果は見事にインフルエンザA型。 ほぼ間違いなく新型インフルエンザだ。
 パンデミック。 大流行。 現在の状態は間違いなくこれだ。
 幸いなことは病原性が弱いということだろう。 普通のインフルエンザ程度。 子どもたちの様子を見ていると、症状は軽いと行っていいかもしれない。
 ただ、免疫がないということは、体がスポンジのようなものだ。 いとも簡単に体内に入ってしまう。 抵抗力の弱い子どもたちはすぐに症状が出てくる。
 私は?
 ウィルスが体内に入っている自覚、取り込んでいる自覚がある。 ただ、症状として表れてこない。 何となく変?という程度。 はっきり熱でも出ればいいのだが、体力がある分、明日は仕事に行けそうである。
 今回の流行で、「対策」というのは難しいことがはっきりした。 もし、病原性が強ければパニックが起きて不思議ではない。 人間の力というのは、時として無力なんだとつくづく思った。
 流行拡大の原因だけにはなりたくないな。(2009.10.14)

新型インフルエンザ その2

 新型インフルエンザがわが家を襲ってから早3週間。 今度は、私のクラスが突然の襲撃を受けた。
 学級閉鎖や学年閉鎖、学校閉鎖というニュースが聞かれる中、私の勤める学校は学級閉鎖も何もなし。 散発的に「新型インフルエンザ」にかかった子はいたが、流行の兆しはなかった。 とりわけ私のクラスは42名という大所帯だが、みんな元気に飛び回っている子どもたちばかりだった。
 文化の日、臨休(研究大会)と休みが続いたあとの今日、突然の宣戦布告を受けた。 朝、職員室に入ると、私の机の上に置かれている欠席届がいつもより多いことに気づいた。 そして、ニコニコした教頭の「すごいですよ。」というあいさつに続いた言葉。 平静を装いつつ、普段と違う状況に「学級閉鎖」という文字がちらついた。
 教室に行くと、閑散とまでは行かないが、いつもの騒々しさはない。 欠席13名(新型インフル3名)のすべてが発熱、せき等のかぜの症状を示していた。
 今日の午後から学級閉鎖。
 問題は、学習発表会。 今日が、特別時間割2日目。 来週月曜日、状況によっては閉鎖の延長もある。 そうなるとまずい。
 失敗しても言い訳ができる、なんて言うのはやめよう。 子どもたちは、時間がなくても、きっといいものを作り上げてくれるだろう。(2009.11.5)

練度をあげる

 何ごとも回数をこなせば上達するものだ。 これは誰しも思うことだろう。
 小学校は1年生から6年生まで6つの学年がある。 順番に担任していくと6年たたないと同じ学年の担任はない。 小学校の先生は、どこでもできるという建前はあるが、実際のところ得意な学年や苦手な学年があるものだ。 もっともこの考えは私の考えであって、オールラウンドにできるという先生の方が多いかもしれない。
 学年に限らず、教科についても同じだろう。 私は音楽が苦手だ。
「音楽をしてくれるのならば何でもしてあげる。」 というのは、偽りのない本音である。
 教科の中でも、何度も工夫して教えている単元や教材はやるたびに教えるツボがはっきりしてくる。
 先日、5年生の図工で 物語の絵「銀河鉄道の夜」 を書かせた。 5年生を持ったのは7回目だが、「銀河鉄道の夜」を描かせた記憶は3回しかない。 記憶に残る3回は、くわしい指導方法が載ったプリントをたまたま見たからだ。
 同じ方法で3度、1回目より2回目、2回目より3回目のほうが、教えるときのツボもわかってくる。 プリントに書いていないことも自分なりに考え、自分なりの工夫もできるようになる。

 ちょうど教室に書画カメラとプロジェクターが入ったところだったので、機関車の色の作り方を実際に見せ、使う色も映しておいた。 色のにじませ方も、全体に見せることができ、机間巡視で再確認するだけだった。 42人もいると、全体指導が大変だが、便利な世の中になった。

 今年の学習発表会では、劇「貧乏神」をやったが、3回目の上演になった。 ストーリーの柱は変わらないが、今回は、「笠地蔵」のストーリーを一部に取り入れた。 ちょっと変化が出て、ストーリーがふくらんだように思う。
 何でも回数を経ると、こなれてくる。 「こなれる」という言葉を辞典で引くと「物事になれて、思うようにできるようになる。」(学研JA国語辞典)とある。 また、人間性に丸みや趣が出るような意味もある。 別の言い方をすると「何となくいい感じになる」というところだろう。
 何かがわかると、「もっと」や「次は」という気持ちも出てくる。
このHPがこなれてくるのは、さていつになるだろう……(2009.11.22) 

大晦日

 今年も12月31日が来た。 気のせいか、最近は1年が早い。
 年をとるのも早くなったような気がする。 来年は年男だ。5回目になるのかと思うとため息が出る。
 さて、私の弟の誕生日は、この大晦日である。 年の瀬の慌ただしいときに生まれたせいか、誕生日を忘れられることも多いはず? いや、忘れてしまうのは私の方か、電話やメールなど数えるぐらいしかしていない。 何とも薄情な兄である。
 誕生祝いのメールでも送ろうか。新年のあいさつでまとめてしまおうか。 そんなことを考えているうちに、今年も暮れてしまいそうだ。 では、みなさん、よいお年を!!! 来年は、いい年になりますように。(2009.12.31)

賀正−蝶の息吹

 あけましておめでとうございます。
 2010年、平成22年が始まった。 いつもと変わらぬ正月だが、正月が来るのが毎年早まっているような気がする。  1年365日が、ここ7・8年は毎年1週間ずつ縮まっているように思えるほどだ。 それぐらい忙しくなったということか。 忙しくなったのは、職場か家庭か。
 多分両方だろう。 さなぎ

 こんな気忙しい正月に、ちょっとうれしい発見をした。 右の写真のさなぎだ。 玄関ドアのすぐ横の壁に張り付いていた。
 ドアを開けるとちょうど死角になる部分だ。 子ども3人がチョロチョロしている危険きわまりないわが家で、何ヶ月も子どもたちに見つからず生命を長らえてきたことに拍手を送りたい。
 サイズや形から考えるとモンシロチョウ?スジグロシロチョウ? どっちだろうか見分けられないかなと思ってインターネットを見てみた。
 いろいろなページを見ているうちに、今まで間違って覚えていたことを発見することができた。
 わが家では小さいながらも菜園を作っているが、農薬をほとんど使わないので毎年害虫に悩ませられる。 特に、集団で発生して大根の葉や水菜を食い荒ら毛虫には、ほとほと手をやいていた。 私は集団で発生するこの毛虫を、スジグロシロチョウの幼虫と思い込んでいた。
 調べていくとこの団体行動が好きな毛虫は、スジグロシロチョウの幼虫ではなく、オオモンシロチョウの幼虫であることが分かった。 2001年、わが家の菜園がスタートしたときからスジグロシロチョウに科せられていた冤罪がようやく晴れた。
 さて、このオオモンシロチョウだが、1996年に北海道共和町で初めて確認された移入種だが、わずか5年後には苫小牧まで生息範囲を広げていたことに驚かされる。 もともとこのオオモンシロチョウは、ヨーロッパ原産の蝶だが、1995年にロシア沿海州で確認されたそうだ。 風に乗って東へ東へとたびを続けてきたことが想像できる。
オオモンシロチョウの幼虫 オオモンシロチョウのブーメラン型の斑
 そういえば、最近、普通のモンシロチョウの幼虫、いわゆる青虫の数が少なくなった。 大群で生活するオオモンシロチョウの幼虫に駆逐されつつあるのだろうか。 元寇で名乗りを上げて戦いを挑んだ武将が、元の兵の放った矢に射殺されたのと似ている。
 成虫を比べるとよく似ている。 モンシロチョウと比べると、若干姿が大きいが、単体では見分けにくい。 一番の見分ける特徴は、羽の端の黒い斑の形だ。
 モンシロチョウは、お公家様の眉毛のように丸みを帯びている。 それに対してオオモンシロチョウの黒い斑の形はブーメラン型だ。 この違いでほぼ見分けられそうだ。
 冤罪の渦中にいたスジグロシロチョウは、成虫は羽に黒っぽいスジがあるので分かりやすい(最近、この長の数も多い)。 黒いスジが太いとエゾスジグロシロチョウという。 幼虫は、ちょっと毛深い青虫という感じである。思い出せば、この毛深い青虫もうちの菜園にたくさんいた。
 写真は、順にオオモンシロチョウ、モンシロチョウスジグロシロチョウである。
 話を元に戻すが、わが家の玄関の横にくっついているさなぎは、以上三種のどれのものか分からなかった。 さなぎだけで判断するのは難しそうだ。 春になって蝶が羽化するまで待つしかなさそうだ。
 もう一つ判断に迷うことは、わんぱくなわが家の子どもたちにさなぎのことを話すかどうかだ。 特に、好奇心旺盛な3才の娘は危険である。 秘密にしておくか、よく言い聞かせて蝶の誕生を一緒に待つか。
 明日には教えているような気がする。 この凍てつく真冬に、蝶の息吹を一緒に感じるのもいいだろう。(2010.1.11) モンシロチョウの幼虫 モンシロチョウの丸みのある斑 スジグロシロチョウの幼虫 スジグロシロチョウ 黒い筋が目立つ
























最近はまっている

 「メタボ」「ダイエット」などと言う言葉を聞くとドキッとしてしまうが、やっぱりおいしいものはおいしい。
 最近、はまっているのが、桃屋の『辛そうで辛くない少し辛いラー油』だ。 このネーミングもいい。思わず
「何だ?買ってみるか。」
となってしまう。わが家でも実際そうだった。
 実際に食べてみると、大して辛くない。 でも、ちょっとだけ辛いから次々と手が伸びてしまう。 中に入っているフライドガーリックの食感もいい。 カリッカリッという歯ごたえが心地よい。
 ごはんにそのままかけてもよし。 肉料理などの薬味にもよし。 チャーハンなどの隠し味にもよし。 とにかくうまい。
 でも……、「油」というだけあって、このままでも高カロリー。 さらに、ごはんも進むからカロリーアップという敵と戦いながら食べている。
 そこで、桃屋さんにお願いだ。 『辛そうで辛くない少し辛いラー油 カロリー1/2』という商品を開発しておくれ!(2010.3.9)





2008

 最近は、なかなか“つぶやくこと”もできずにいる。 昨年度は、月に1度の割合でも更新できなかった。意欲はまだあるつもりだが、時間がとれなかった(言い訳)。
 今年度は、転勤で環境も変わり、どうなるか分からない状態だが、とりあえず続けてみようと思う。 目標は、月2回程度。

2005年度の引き出し   2006年度の引き出し   2007年度の引き出し 

春がきらいになった

 今日から新年度。 「春は、別れと出会いの季節」などという言葉がある。 今年の春は、私にとって文字どおり「別れ」と「出会い」の春だ。
 4年間担任から離れていたので、6年ぶりに担任として卒業生を送り出した。 教師になって7回目の卒業生を送り出したことになる。 卒業学年というのは、どんなときも忘れられない思い出が残るものだが、今回は今まで経験したことがない別れになった。 言葉につまり、涙が止まらなくなると言うのは初めての経験で、自分でも驚いた。 今まで、卒業担任として涙を流したことはただの一度もなかった。 人が泣いているのを見て、人間らしくていいなとうらやましく思ったことはあったが、
「男のくせに泣くな。」
と父親に言われ続けて育ったおかげで、涙を出さない方法を身につけていた。 人前で泣くなんて、その父親が死んだ時とあと数えるほどしかなく、学校で泣いたのは初めてだ。 正直、今思い出しても恥ずかしい。
 年をとったからなのか、子どもたちが素直でかわいかったからか。 多分、後者だろう。 こんなことを書くと、今までの卒業生には怒られそうだ。 「年をとったんだよ。」と言われそうだ。 でも、そう思わせるような子どもたちだった。 子どもなので、心配させられることもたくさんあったし、怒ることもずいぶんあった。 時には、悪さをする子もいて、ちょっとは苦労もした。 ただ、生徒指導という面では、本当に楽な学級だったと思っている。 ということは、「苦労した学級ほど思い入れが強くなり、涙が出てくる」という論理にはあてはまらないことになる。
 何となく予感はあった。学級のHPにもそのことは書いた。
 では、情が移りすぎたのか? そうかもしれない。 じゃあやっぱり年をとったからか。 理由は、あまりはっきりさせない方がいいかもしれない。
 春休みになり、子どもたちに会えないというのが寂しく、物足りなかった。 時々、そんな私を慰めるかのようにめんこい子どもがやってきた。 野球の練習をしているところも見に行った。 本当はもっと子どもたちの成長を見ていたいのだが……
 こんな沈んだ気持ちを奮い立たせてくれるような子どもたちに間もなく会える。 新たな出会いまでもうすぐだ。 そろそろその準備に取りかからなくては……(2008.4.1April fool)    

早すぎる

 あと5日で22才。 あまりにも早すぎる。 昨日、初めて教え子の葬儀に参列した。 多くの若者が参列していた。 同級生、同僚、その中に「先生」と声をかけてきた彼女と同じ卒業生もいた。 至る所で早すぎる死を悼むすすり泣く声が聞こえた。
 祭壇には、成人式の時に撮ったであろう写真が飾られていた。 きれいに着飾り、はじけるような笑顔がすてきな写真だ。 誰が見ても「かわいいね」と思う子だった。
 もう何年も前になる。高校に通っていた彼女と偶然会ったことがある。
「先生!」
と大きな声で声をかけてきた。私がキョトンとしていると、名前を教えてくれた。 小学校の卒業式以来だもの、その成長に驚き、 「ずいぶん立派になったな。全然分からなかった。」というような話をしたと思う。 でも、けらけら笑う表情は小学生の時と変わらなかった記憶がある。
 彼女には4ヶ月になったばかりの子がいる。 彼女の気持ちを考えると、胸がつぶれそうになる。 もう彼女には、私たちの願いは届かない。 でも、彼女の願いは、私たちにしっかり届いている。そう思う。 彼女を知る人みんなが、そう感じた葬儀だったと思う。
 「薫香院」、蘭の花が香るようなすてきな戒名がついた。 彼女の願いを書きとめたくて、キーボードを叩いた。(2008.5.11)

春の北大研究林

 苫教研「環境・公害部会」での初の活動は、研究林での樹木の観察だった。 グループ長が雨男にもかかわらず昨日までの雨も上がり、散策にはもってこいの天気。 グループ長は資料を準備し、欠席も0で意欲的な活動が始まった。
 今回は、樹木の観察が中心。 ここ北大研究林は、世界各地の樹木が集められ、標本林的な性格が強い。 温帯〜亜寒帯に植生する樹木が地域ごとに植えられている。 必然的に針葉樹が多くなり、今回の観察も松の仲間が中心になった。
 今回の観察で、私の記憶に残っているものを挙げると次のようなところか。

◆ストロープマツ(和名、五葉松)の葉は、他の多くのマツ類が2本の葉でひとまとまりになっているのに対して、5本の葉からなっている。「5本の葉」が「五葉」の語源になっていること。
◆トドマツの葉は、2本の葉がひとまとまりになっているが、分離していないため1本に見える。よく観察すると中心に葉脈のように1本の筋を見ることができる。これが2本の葉がくっついた証拠。
◆黒松の葉が一番堅い。ちくちく刺してイタズラするなら、黒松がおすすめ?逆に柔らかいのが高山に生息するハイマツ。
◆カラマツは落葉する。この木の根元には秋口から一般的にラクヨウとい言われるキノコ(イグチの仲間)が生える。若い木(10年前後)の根元がねらい目という話だ。

 もちろんプラタナス(鈴掛の木)やカツラなど広葉樹も観察したが、まとめとしては今回は「針葉樹」としておく。 コガラ ゴジュウカラ ゴジュウカラ

 今回は、樹木を観察しながら多くの野鳥にも出会った。 まず特別天然記念物のクマゲラが、巣穴を出入りするところに出くわした。 いい写真が撮れなかったのが残念。
左の写真は、たぶんコガラ。ひょっとするとハシブトガラかもしれないが、私たちについてきた。 人なつっこい鳥だった。 中と右がゴジュウカラ。気に垂直にとまり逆さまに幹を回りながら下りてくる習性があり、「木回り」という俗称もある。 エゾリスを見たメンバーもいたが、私の目にはとまらなかった。(2008.5.21)




はずれた

 たぶん当たらないだろうと思っていたが、やっぱりはずれた。
 小平町で行っている「タコ箱漁オーナー」にはずれた。 270口の一般募集枠に対して、9990口の応募があったという。 倍率37倍。 「抽選」としては、けっこう可能性のある倍率だった。 年賀状のお年玉くじの「切手シート」より可能性があったのに、はずれた。
 みんなを呼んでのタコパーティーも夢に終わった。 (みんなってだれだ?)(2008.6.2)

久しぶりの釣行

ニジマス

 運動会の振替休業は、おさかなさんに会いに行った。 今回は、「渓流釣り北海道120河川ガイド」に載っていた小糸井川でと決めていた。 啓明中を過ぎて少しいくともう樽前の原生林の中という雰囲気だ。 川は水量は十分だが、河床が火山灰で軽石がコロコロ流れている。 ボサが多く、頭上の木も多い。 思い切り竿を振るにはちょっとという感じだった。 4・5回キャストするが、あたりがないのでやめた。 私にしては、あきらめが早かった。
 気持ちを切り替えてホームグラウンドの白老川に向かった。 下の堰堤で、おじいさんがルアーを投げている。 「釣れますか。」 と声をかけると、高速下から上流がいいと教えてくれた。 その高速下で竿を出す。 確かにライズしているが、餌のブドウ虫に食いつかない。 唯一のあたりもバラしてしまい万事休す。 流し方もいろいろ変えてみるが、見向きもされない。 この時点で11時。 まだ時間はある。 セブンイレブンでおにぎりとパンを買い込み、大滝へ向かった。
 今まで四季彩街道を通るたびに釣ってみようと思っていた三階滝川に入った。 三階の滝公園の200mほど上流に三徳橋がある。 その横に車を止め、橋の横から入釣した。 この川は、護岸工事がされており、崖のような護岸になっているので、入釣できる場所が限られる。 橋の下での第1投に15cm位のニジマスが食いついてきた。 まだ小さいのでリリース。 続けてきたのが20cmほどの割とがっしりしたニジだった。 3時間ほどの間に10匹以上ヒットし、20.5cm、19.5cm、19cmをキープ。 針からはずれなかったちびちゃんも2匹魚籠の中に入れ帰ってきた。
 この川は、四季彩街道の横を流れていて、熊の心配もそんなにいらない雰囲気だった。 大岩が多く、ちょっと歩きにくいが、小さなポイントが多く楽しめた。 サイズが小さめだったのがちょっと残念だが、数はコンスタントに出た。 これからも時々来たくなる川だ。
 今回は3つの川をはしごした。 そんな気になったのも天気がよかったからかもしれない。 さて、今年はあと何回釣りに行けるだろうか?(2008.6.23)

初夏の北大研究林

 今年度2回目の研究林。 海岸付近はガスっていたが、ちょっと山間に分け入るだけで初夏の太陽が輝いていた。
 今回はのんびりとハルジオンやオオバコなどの名前を確認して歩いていたが、ふと上を見上げると見慣れない木が目にとまった。 「ヤマボウシ」、帽子というより日傘を開いたような咲き方をする花がめずらしい。 どうやら花びらに見えるのは総苞片(そうほうへん)といわれ、花びらではないらしい。 本当の花は、ごく小さく真ん中にかたまって咲いている。 写真でいうと、金平糖をつぶしたようなゴツゴツした部分だ(右の写真をクリックすると大きくなる)。 本来本州から九州までの山地に自生する木だが、研究林ということで植えられているのであろう。
 秋になると淡紅色の実がなる。甘くかすかに酸味があるということなので、秋の環境公害部会も楽しみになる。(2008.7.3)

開校記念日はいいなあ

釣果

 9月5日は東小学校の開校記念日だった。 妻の学校とも、子どもたちの学校とも違う日。 「自分だけの休み=貴重な休み」ということで、こんな日は釣りと決めている。
 目的地は、春と同じ三階滝川へ行った。 今回も三徳橋横に車を止めて入釣。 川の水は少なからず、多からず。よく澄んでいた。
 しばらく当たりがなく、10分ほどした頃か、クッという当たりが来た。 はじめの1匹は18p。 春、見た頃より少し肉付きがよくなっていた。 ツンツンという当たりがなく、いきなりクッときて、針にかかるパターンが多かった。 この川は大きなポイントがなく、大物は住みづらいのか、大きな当たりには今まで出会っていない。 今回のサイズも18〜20pにまとまった。 あきないで釣りをすることができる川だ。 以前、大滝市街地付近に入釣したことがあるが、その時は型がもっと大きかった。
 餌はブドウ虫。 ミミズも試してみたがブドウ虫の食いがよかった。 ミミズは、わが家の畑に放たれた。 今頃は、土を肥やしてくれていることだろう。
 そろそろ秋だが、今年の渓流釣りは今回が最後かもしれない。 夏休み中に行けなかったのが痛い。 今度は子どもを連れて、港で糸でも垂れることにしよう。(2008.9.6) 

いい声で鳴いている

クリックするとアップになります

 9月に入り暑い日が続いている。 8月が寒かった分を取り戻しているのか。 それでも季節はもう秋。 十五夜も明日か明後日のはずだ。
 今日、岩見沢の実家に久しぶりに行き、子どもたちとエンマコオロギを捕ってきた。 去年までは、飼育ケースで飼い、家の中にコロコロ……という鳴き声が響いていた。
 でも、今年は、「家に帰ったら庭に放そう」と子どもたちと決めていた。 家に着くと、さっそく虫かごをあけ、コオロギたちを放してやった。 ピョンピョン、チョコチョコ出てきた7匹のコオロギたちは、思い思いの方角に逃げていった。
 子どもたちがベッドにもぐりこみ寝静まった頃、ふと耳を澄ますと聞こえてきた。
 コロコロコロコロ……軽やかな鈴の音のような鳴き声が。
 庭に出て、音色の出所を探してみた。 すると、さっき放した場所当たりから聞こえてくる。
「なんだ、行動範囲は狭いんだ」  
と、コオロギの行動範囲の狭さをちょっとだけバカにした。
 懐中電灯を手に鳴いているコオロギを探すと、庭を囲っているブロックの穴の中に、入り込み鳴いていた。 そして、耳を澄ますともう一匹、同じくブロックの穴の中に入って鳴いているヤツがいた。 不精者のコオロギが手近なところで住まいを見つけたようだ。
 鳴いていたのは2匹、ということは残り5匹はメス。 このままうまく庭に住み着いてくれると、来年は、岩見沢から連れてこなくても秋の風情を楽しむことができるかもしれない。(2008.9.13)

引っ越し

 コオロギが庭で鳴いていないと、気づいたのは翌日だった。耳を澄ますととなりの庭から鳴き声が聞こえてきた。
 たった1日で引っ越しか?ちょっとだけショック。原因は?
 冷静に分析してみると、わが家の庭は「野菜畑」という雰囲気。 隣家は、エンレイソウが植えてあったり、私には名前の分からない野の花が植えてあったりと、「自然植物園」という趣の庭。 この差が、コオロギの引っ越しと関係ありそうだ。
 鳴き声の方角が変わっただけだから、気にしないことにしよう。(2008.9.17) 

秋の北大研究林

ヤマボウシの実 日光浴中のノシメトンボ エゾリス

 今回が、今年3回目の研究林になる。 7月に花を咲かせていたヤマボウシは、淡紅色の実をつけていた。 サクランボぐらいの大きさだが、サクランボほどさわやかな味はしなかった。 果肉はクリーム色でどこか頼りないような食感。 わずかに甘みはあるが、人を引きつけるような魅力はないと言っていい。 でも、自然を感じる味かもしれない。
 今回私たちを迎えてくれたのはエゾリスたちだ。 写真のエゾリスは、ほかのリスたちより小さかったので、初めての冬を迎えようとしているのかもしれない。 どのリスたちも周りを警戒しながら、ドングリの実を拾い集めているようだった。 この時期の働きが、快適な冬を過ごせるかどうかを左右するのだろう。 木々の間を、忙しく動き回る姿にすきがない。
 太陽の陽を体いっぱい浴びているノシメトンボが、わずかに夏の日を思い出させてくれる。 これからの何度かの雨で、姿を消していくだろう。 傷んだ羽の先に秋を感じた。(2008.10.8)

岡潤一郎を思い出す

 三浦皇成が、新人ジョッキーとして武豊を超えたということが話題になっている。 武は、87年に新人として驚異的な69勝を挙げ、新人賞を獲得した。その武を超えた。 武が2週続けて落馬した。 2度目の落馬では、腕を骨折した。 幸いにもそれだけですんだ。
 新人ジョッキー三浦皇成の活躍。武豊の落馬。二つのことが重なり、彼のことを思い出した。

 私が新卒教諭として赴任したのは、日高の様似町だ。 馬産地の一つとして数えられる町だ。 当時のクラスの中にも、牧場農家の子が二人いた。 教員住宅の裏手が牧場になっていて、台所の窓からは、草をはむ馬の姿を間近に見ることができた。
 小さな町だったので、学校と役場職員との接点も多かった。 今となっては、記憶もはっきりしないが、組合の会議か、町の行事の時に岡誠さんという方と話をする機会があった。 岡潤一郎君のお父さんだった。 その時、「息子が競馬学校に入ったが、どうなるものか。」と少し心配そうに、そして、少しうれしそうに話していた要に記憶している。
 しばらくすると、岡さんを囲む人が増えた。 岡さんは、その中でいつもうれしそうに目を細めていた。 息子潤一郎君が、新人ジョッキーとして44勝をあげ、新人賞を取った話題だったのだろう。 1988年のことだった。
 前年の87年には、天才ジョッキー武豊がデビューし68勝をあげ、同じく新人賞を取っている。 この記録は、今年三浦皇成が破るまで21年間も破られなかった。
 今年、リーディングを競う有名ジョッキーが、デビューの年に何勝あげたかは次の通りだ。  

  • 武豊    87年 69勝
  •  
  • 後藤浩輝 92年 12勝
  •  
  • 横山典弘 86年  8勝
  •  
  • 藤田伸二 91年 39勝
  •  
  • 蝦名正義 87年 30勝
  •  
  • 福永祐一 96年 53勝
  •  

     岡潤一郎君のあげた44勝がどれだけすごい数字か分かる。 前年の武豊に続いて、2年続いて天才ジョッキーが生まれたと言える。 デビュー4年目、リンデンリリーに騎乗してG1初制覇。 武豊の最大のライバルになるはずだった。
     でも、岡潤一郎君は、武豊のライバルにはなれなかった。 1993年1月30日京都競馬場第7レース、鞍上していたオギジーニアスの左後ろ脚に故障が発生し落馬した。 私は、すでに様似から白老に転勤していた。 ニュースでこの事故の映像を見た。
     おどろいたことに、今でもこのレースの映像をユーチューブで見ることができる。 4コーナーでオギジーニアスの左後ろ脚がだらんと伸びた瞬間、岡君が落ちた。 何度見ても目をつぶってしまう瞬間だ。
     岡君が亡くなった後、様似の知人が
    「お父さんも息子を追うように亡くなってしまった。」
    と教えてくれた。
     今年、三浦皇成が活躍したことと、武豊の落馬が、岡潤一郎君を思い出させてくれた。(2008.12.6)

    新しい年

     2009年がスタートした。 天気は穏やか。 世間は、経済不安や政治不信で荒れている。 教育現場は、学習指導要領の移行期に入っていく。 授業時間増、外国語活動という風が吹く。
     いい年になるのか、悪い年になるのか、不安ばかりが先を行く。 世の中の変化はさておいて、自分だけは穏やかに1年のスタートを切りたい。(2009.1.9)





    2007

     昨年度は、20ほどの「つぶやき」を書きました。 全くの駄文ですが、自分のストレス解消にだけはなっています。
     そのうち「つぶやき」が「ぼやき」に変わるかもしれませんが、今年度もこのネーミングのままいきたいと考えています。 古いつぶやきは、引き出しの中にしまってあります。 興味のある人だけ、引き出しを開けてみてください。ただし、たいしたものは入っていません。

    「つぶやき」と「ぼやき」

     最近、少し年をとったせいかブツブツ独り言を言っていることが多くなった。 でも、年のせいばかりではないような気もする。 頭に来ることが多くなったのかもしれないし、人間がわがままになったのかもしれない。 人間というのは、年をとると保守的になり、人の話を聞かなくなるのはよくあることで、自分もその例に漏れないということか。 いずれにせよ独り言が増えたことだけは事実である。
     「独り言」と同じような意味の言葉として「つぶやき」と「ぼやき」と言った言葉がある。 「つぶやき」は、割とプラスのイメージで使われることが多い。それに対して「ぼやき」は完全にマイナスのイメージだ。 そして、言葉も出なくなる段階に至ると「ため息」が出る。
     「ため息」が完全にあきらめムードなら、「ぼやき」はまだ可能性が残る段階とも言える。 そう考えると「つぶやき」が「ぼやき」に変わろうとも、まだ多少救いはあるか?
     昔、昔、教育実習にいったとき指導教官に「つねに問題意識を持て」と言われた。 新卒の時は「自分ならどうするか考えろ」「どんな計画でも3年で見直し、新しいものを考えろ」と言われた。 「ひとつのことに凝り固まるな」「つねに周りを見ろ」「失敗をおそれるな」「長いものに巻かれるな」とも言われた。 どれもこれも保守的にならず、鋭敏な感覚を持ち続けろということだろう。
     「つぶやき」が、ぼやき化することが多くなってきたが、まだまだあきらめずにつぶやいていたい。 年度初めの「つぶやき」がぼやきっぽくなったことを反省!(2007.4.2) 

    かわいい子どもたち

     新学期スタートの日、今年も黒板に詩を書いておいた。
     思いつくまま。といっても、今年の冬休み頃から思いついたときに書き足したり、言葉を代えたり、それなりの準備をしてきた。 文章を書くのは嫌いでないので、読み返すたびに手が入った。(長くなったのも手を入れすぎたせいかもしれない) 始業式前日、黒板に向かっているときでさえそうである。 確か2カ所ほど手直しした。 それでできあがったのが次の詩である。


      進級の朝

     どうだ6年生になった気分は?
     どうだこの教室に入った気分は?
     どうだその席に座った気分は?

     ちょっとドキドキしているか?
     ちょっとワクワクしているか?
     それとも、ちょっと不安か?

     「なに!何も変わらないって?」
     「スタートを切る大切な日に自覚がたりないのか?」
     「それとも、ちょっとてれているだけか?」
     「自分だけでなく、まわりを見てみろ」
     「みんなの表情、今までとちょっと違わないか?」
     「ちょっとだけなら……ってか」
     「そうだ、その『ちょっと』が大切なんだ」
     
     ちょっと素直になろう
     ちょっと勉強しよう
     ちょっと優しくなろう
     ちょっと早く起きよう
     ちょっと落ちつこう
     ちょっと親切になろう
     ちょっと笑ってみよう
     ちょっと大きな声を出そう
     ちょっと友達をふやそう
     ちょっと人の話に耳を傾(かたむ)けよう
     ちょっと今の自分を見つめよう
     ちょっと将来のことを考えよう
     
     そのちょっとの努力をおこたるな
     ちょっとでいい
     ちょっとが成長の秘訣(ひけつ)だ
     あとちょっとで大きくなれるぞ
     
     今から卒業する日のことを考えろ
     今から卒業する日の自分の姿を想像しろ
     今日、卒業する日に向けてみんなでスタートを切るぞ
     
     今日からのちょっとが
     卒業の日、胸はる自分の姿を
     一回りも 二回りも
     大きくするはずだ (担任)


     そして、今回、この詩にはおまけがあった。


    宿題@ この詩を家庭学習ノートに書いて月曜日に提出すること。
    宿題A この詩を木曜日(12日)までに暗記しておくこと。
     ※ メモ用紙のない人には作文用紙をあげます。朝のうちに書いておくこと。


     優しい担任の本領発揮というところか。朝、教室に顔を出すこともしなかった。 教室の前を通った他のクラスの先生の話によると、子どもたちはとにかく一生懸命書いていたということだった。 これで初日の緊張感を作り出すことには成功した。 1年のスタートがガヤガヤ始まるより、真剣に何かしているという状態で始まる方を選びたい。
     去年は、初めて顔を合わせる子どもたちだったので、書かせることはしなかった。 今年は、持ち上がりだったので、隙を作らない工夫を「書く」ということで行った。
     自分が書いた詩を、何度も読ませるというのは、ちょっと恥ずかしい。 子どもからもそのことを質問されたりする。 その時には、「先生の願いを書いたからだ」何ていうことを言って恥ずかしさをごまかす。 そうやって何度も読ませ、参観日にまで読ませてしまった。
     そして、暗唱のテストにまでしてしまった。 テストは、この詩の暗唱か「がまの油売り」の口上の表現読みの選択にしたが、学級の半数以上の子どもたちが詩を選んでくれた。
     さあ、このかわいい子どもたちを一回りも二回りも大きくしていくために、担任としての戦いが始まった。(2007.5.13)

    ハトのいのち

     先週、真ん中の息子と自転車に乗って近くの公園に行った帰り、カラスがハトをおそっている場面に出くわした。 おそわれているハトは、たぶん幼鳥なのだと思う。 私と息子が近づくとカラスは飛んで電線にとまった。 ハトの周りには、羽毛がとび、ハトのけががひどいことをうかがわせた。
     カラスは電線の上から、突然現れた人間を鋭い眼光で観察していた。 ハトを横取りした私は、最後の抵抗を見せるハトを優しく手で包み、家に連れて帰った。 ハトは、頭と首のあたりから出血していた。 タオルに包み、「病院に連れて行こう」という息子の声に、ダメもとで連れて行こうかと家内と相談していたとき、私の手の中でハトが激しく鼓動した。 7,8回、いや10数回だっただろうか、大きく胸をふくらませたハトは、それ以後動かなくなった。
     この感覚は、ずいぶん久しぶりだった。手の中で逝ったハトの重さが、その時、初めて伝わってきた。 これが命の重さか。小さなハト以上の重さだった。
     ハトは、海の近くに埋められた。 息子は、花を持ってお参りに行こうと言っている。
    ハクセキレイの卵


     私の学校の中庭にハクセキレイが巣を作り卵を産んだ。 しばらくの間、中庭は立ち入り禁止だ。 2,3週間もすればヒナがかえるだろう。 無事に巣立つことを祈りたい。(2007.6.9)








    何の先生?

     ときどき子ども達から
    「先生は理科の先生なんでしょ。」
    と聞かれる。その度に
    「中学校と高校に行ったら社会の先生しかできないよ。」
    と答える。子ども達はあまり納得がいかないような顔をして聞いている。
     小学校の教師にとって中学校や高校の免許教科というのはあまり意味がない。
    現に、私が理科の先生と思われていることが、そのことを証明している。
     私は、20数年前の新卒の頃から、「今年は、○○を中心にやっていこう。」とか「○○に力をいれてやっていこう。」というような感じでやってきた。 小学校の教師なのだから、教科でいえばどの教科も一生懸命やるというのが本当なのだろうが、手を広げすぎると全てが中途半端になってしまう自分の能力を知っているので、毎年1つか2つに絞ってきた。
     新卒1年目は、仮説実験授業。 新卒の分際で「こんなことをしてみたい」と学年の先生に言ったのだから、結構度胸があったのだろう。今、考えると顔が赤くなる。 その後、社会科の授業で大学の先生にわざわざ来てもらったりと、社会の教師らしい時代もあった。 そういえば社会科の副読本も、今まで4冊つくった。
     作文や障害児教育、算数に取り組んだ時期もあった。 最近は、担任を外れて理科を教えていた期間が長かったので、子ども達が言う理科の先生になっていた。
     でも、ニュースなどを見ていて、自分は理科より、やっぱり社会の教師かなと思うことが多い。 いくら理科が好きでも、専門的な知識の量が決定的に少ない。付け焼き刃の知識で、自信がないのが自分でも悲しい。 たまに遊びに来た中学生に、中学校の理科のことを聞かれると、「???」と頭をかいてしまう。 しまいには、「教科書を見せてごらん」という自分がまた悲しい。

     ニュースでイラク情勢が伝えられ、スンニ派とシーア派の対立の構図をアナウンサーが話していることがあるが、スンニ派とシーア派の違いを理解している人は少ないだろう。 イスラム教は、日本の「大化の改新」があった頃に生まれた宗教で、ムハンマド(マホメット)が創始者である。 ムハンマドの後継者は、4代目までがムハンマドと縁のあるものが選ばれた。 でも、4代目が暗殺され、その後を次いだのがムハンマドと直接つながりのないウマイヤ一族である。 シーア派というのは、4代目までの流れを正当と位置づける派であり、ウマイヤ一族を支持するのがスンニ派である。 スンニ派が多数で、武力対立に発展するような宗教対立が生まれている。 こういう仕組みは、宗教に無頓着な日本人にはわかりにくい。

     上は、単なる知識のひけらかしで、社会科教師にはこういうタイプが多い。そういう意味でも私は社会科教師である。(2007.7.4)


    クジラ

     先日、北海道新聞にクジラの死骸が漂着したという記事がのっていた。 2番目の子が保育園で見てきたという。その話を聞くと、急に見たくなった。 雨が降る中、3人の子を連れて出発。 クジラは、以前よく行っていた入浴施設ピアの前浜に打ち上げられていた。
     多くの車が止まり、多くの人が集まっていた。 ただ、クジラは調査のためにやってきた研究者達によってばらばらにされていた。 腐臭がきつく、息子達は鼻を押さえながら
    「もうダメ、くさ〜い」
    と悲鳴を上げていた。 そんな中での作業はさぞ大変だろうと思ったが、20代の女性(たぶん大学生か院生?)が多いのに驚いた。 クジラは、すでに解体され頭部がゴロンと転がっている様子が異様でもあった。 このクジラは、コククジラというらしい。日本近海では割とめずらしい種類ということだ。 頭部だけで1m以上あり、口元からはブラシの毛のようなひげクジラ特有の様子がうかがえた。
     2番目の子が保育園で見に来たときは、まだ解体されていなかったようだ。 解体に使った道具を片付けている人もいたが、手には巨大な刃物が握られていた。 スコップの柄にかんなの刃をつけたようなものだ。胃の中にはカニの甲羅が入っていたらしい。 できることなら解体される前の勇姿を見たかった。(2007.8.5)
    家の前から見えた夕日

    おでんの季節

     最低気温が10℃を割り込むようになり、子どもたちが、毎朝のように息が白く見えるか玄関先で試している。
    少しでも息が白くなろうものなら、
    「お父さん、息が白くなる。」
    と大はしゃぎだ。
     ついこの間まで半袖短パンで出かけていた子どもたちも、長ズボンにパーカーなどを羽織るようになった。 そういう私も長袖になった。そして、気がつけばジャンバーをはおっている。
     暦の上でも立冬を過ぎ、そろそろ雪の心配をしだすと食卓にも鍋が登場し始める。 この秋1回目の鍋は「おでん鍋」だった。 そして2回目も。 1回目と2回目の違いは鍋の大きさだ。 2回目は格段に大きくなった。
     わが家のおでんは関東風になるのだろうか。醤油ベースのスープの素を使っている。 私の好きな具は、大根、こんにゃく、卵、しらたき、里芋……。妻は大根のほか、がんも、魚河岸揚げ、はんぺんなどの練り物系が好きなようである。 わが家の具は、このほかに鶏肉(手羽元)、ふき、タケノコ、わらび、ちくわ、たこなどが入った練り物が登場した。 2回目の鍋には、子どもたちに好評だったウインナーまで入っていた。
     これらのおでんを食べる際に「からし」をつけるというのが定番だが、わが家では2年ほど前から「ゆず胡椒」をつけて食べるというのがマイブームになっている。 薬味が違うだけで同じものを二度楽しむことができる。 ゆず胡椒は、九州方面ではいろいろな物に利用される薬味だが、北海道ではまだあまりなじみがない。 この文章を読んだ人は、一度おでんをゆず胡椒で食べてみてほしい。おでんについて新たな発見ができるはずである。(2007.11.12)

    晦日(みそか)

     今日は12月30日、あと2日で2007年も終わりである。 今日は晦日、明日は大晦日。 今日は晦日?と思うことがあった。
     最近のカーナビはいろいろな機能がついていて、こんなの運転に必要ないだろうというものも少なくない。 今乗っている車のカーナビは、キャラクターの女性があいさつをしてくれる。 あいさつと同時に今日が何の日か教えてくれたりもする。 その女性が今日、
    「おはようございます。12月30日。今日は晦日です。」 と教えてくれた。
     明日の大晦日は頭にあったが、今日が晦日と改めて言われると、ちょっと釈然としない。 大晦日の前日だから晦日なのか? 晦日って月末のことじゃなかったか? 12月31日が晦日であり、1年の最後だから大晦日とも言うんじゃないのか? カーナビも当てにならないなあ……とかってに思ったりしていた。
     めずらしく、ちょっと頭の隅に引っかかったので、まず小学館「新選 漢和辞典 新版」を引っ張り出してきた。 『晦(カイ)』という字をひいてみる。 @〈つごもり〉みそか。陰暦の月の最後の日。A〈くら・い(−・し)〉Bよる。やみ。C〈くらま・す〉くらくする。みつけられぬようにする。と出ていた。
     これでは、月末という意味になり、カーナビも当てにならないということになる。 でも、20〜30万もするカーナビのデータと私が中学時代に使っていた漢和辞典では、信用度はカーナビの方が上のような気がする。
     そこで次は、「広辞苑 第2版」の登場である。 新版が出たのでもう型落ちということにはなるが、広辞苑であることに変わりはない。


    みそか【三十日・晦日】 月の第三〇番目の日。転じて、月の末日をいう。尽日。つごもり。


     これで疑問は解決である。 月の三〇番目の日だから、今日は晦日である。 カーナビの優勢勝ちというところか。 でも、こういう言い方をするのは12月ぐらいだと思う。 1月や3月、31日まである月は、1月31日や3月31日を晦日というのだろう。 これらの日が大晦日でないのだから、2日続きの晦日というのもおかしい。
     2008年、大晦日を明けて明るい年になることを期待したい。 ではよいお年を!(2007.12.30)

    節分の候−恵方巻−

     今年は鬼退治があまりできなかったのでは?
     今年は、中国が何かと話題になる。 中国産の落花生に基準値以上の農薬が残留していて、輸入量が大幅に減った。 そして、今回の「毒入りぎょうざ事件」で、中国産の食料品はすべでダメという風潮が広がった。 当然、国産の落花生の値段が大幅に上がることになる。
     落花生を節分の豆まきに使う北海道では大事件である。 わが家でも豆まきから落花生が消えた。 落花生をあまり食べないということもあり、酒のつまみのような小さな袋に入った豆菓子をその袋まま播いた。 チョコやキャンディーも一緒に播くのだから、鬼が出ていくのか心配だ。
     家の外にチョコやキャンディーを播くのももったいないので、外だけは煎った大豆を 「鬼は外!」 という元気な声とともに播いた。 もともと豆まきは大豆だったのだから、わが家の鬼はどこかへ逃げ出したことだろう。 チョコやキャンディーしか播いていない家に転がり込んでいるかもしれない。
     今日、クラスの子どもたちに 「昨日の節分に恵方巻を食べた人?」 と聞くと、27名中15名が手をあげた。 予想を遙かに超える人数に、正直驚いた。
     もともと恵方巻は関西で行われていたものをコンビニが売り出し、ここ数年急にメジャーになってきたものらしいが、ここまで一般的なものになっているとは思わなかった。 昨日、生協に買い物に行った時、いろいろな種類の恵方巻が山のように打っていた光景が思い出される。 今年の北海道の節分は、恵方巻が落花生に取って代わったと言うことか。
     そういうわが家も、昨日の夕食は手巻き寿司で自家製の「恵方巻」だった。(2008.2.4)

    児遊席

     学級通信にこの名前を付けるようになって20年以上になる。
     新卒の時、教育に対する理想や先輩教師に対するあこがれや世間知らずの無鉄砲さが、そのまま学級作りに出ていた。
    「子どもたちと話し合って、学級の名前を決めよう。」
    「学級通信の名前も学級の名前と同じにしよう。決まるまでは『ななしのごんべえ』でいこう。」
     しばらくしてついた名前は「やまみち」だった。 当時の学級通信を開くと「山道を登って身体をきたえようということで“山道学級”になりました。」と書いてある。 新卒1年目、ただ希望に燃えていた年だった。
     実は「やまみち」という名前には、あまりしっくり来ていなかった。 何かいい名前がないか、ずっと考えていたような気がする。 新卒2年目、学級通信に付けた名前は「児遊席」である。 当時の第1号には、次のように書いてある。


     へんてこりんな名前だと思う人も多いと思います。 でも、この名前の中には、先生の願いが込められています。
      「児」というのは、児童つまりみんなのことです。
     「遊」というのは、文字どおり遊びのことです。
     「席」というのは、すわる場所、居場所、つまり教室です。
     教室での活動は、もちろん授業が中心になります。 みんなが元気に遊び、おおいに勉強して6の2を創っていってほしいという、願いがあるのです。 新しい学級を作るつもりでがんばろう。


     こうして「児遊席」は始まった。
     でも、文字通りの「児遊席」は難しく、今の「児遊席」もどれだけ子どもたちの様子を伝えられているか、?である。 ただ、現在発行号数75号とパーソナルベストを更新中である。 デジカメのおかげとも思うが、素直な子どもたちが私の意欲を高めたのかもしれない。(2008.3.2)





    2006

     気の向くままに書いてきた「つぶやき」も、いつの間にかそれなりの量になってしまいました。 ホームページを作り始めて1年近くたちました。 ちょっとした時間の積み重ねが、スクロールバーの長さにつながってきたようです。
     年度がかわるのを期に古いつぶやきは、引き出しの中にしまうことにしました。 興味のある人だけ、引き出しを開けてみてください。ただし、たいしたものは入っていません。



    2005年度の引き出し 

    入学式

     

     北海道新聞の社会面に教職員が立ったままの入学式の写真が載っていた。 国歌斉唱の時に着席する教職員に対する対策として、いすをなくせば座れないだろうと、学校長が決断したスタイルだという。 何とスマートさに欠ける方法だろうか。
     確かに着席というスタイルもスマートさに欠けるが、学校長にそこまでさせる今の日本の教育そのものが、スマートさに欠ける強引なものになってきていることを示している。 日本の教育の危うさがここにある。
     ちなみに私は、記録係を頼まれ、デジカメを持ってあちこちうろついていた。スマートな対策かも?
     保護者席は、絶えず話し声が聞こえていた。両親そろってというのも最近の傾向。我が家も昨年夫婦そろって参加した(笑)。(2006.4.7)


    地球儀

    地球儀

     今日は妻の誕生日で、食事に出かけた。その帰り、フラッと本屋に入った。 小2になる息子は、少し前から地図に興味を持つようになっていた。 最初は壁に貼るような世界地図をといっていたのだが、息子の目が地球儀にいってしまった。
     地球儀というもの結構値の張るもので、1万円前後の品が5種類ほど並んでいた。 一番大きなものが割と安くて、息子は大きさからか親孝行からか、その一番大きな地球儀を手に取った。 それには、国名の横に国旗がプリントされ、息子はそこが気に入ったようである。息子のニーズと親の財布が一致し我が家に地球儀がやってきた。
     私が子どもの時にも、家に地球儀があった。くるくる回して指で止めては旅行に出かけたような気分になっていた。 やはり私の息子である。さっそくくるくる回して指で止めては国名を読んでいた。カエルの子はカエルである。(2006.4.8)

    担任

     この春から実に4年ぶりの担任復帰となった。
     子どもと出会って5日たった。この5日間をふりかえると、
     始業式、ちょっとドキドキしながら朝教室をのぞくと、子どもたちもドキドキしながら席に着いていた。 教室の黒板には、次の文章を書いておいた。

      進級おめでとう

     今日から高学年の仲間入り
     五年生の一日目
     きのうまでと何か変わったか
     今、何か変わろうとしているか
     これから、何かを変えようと考えているか


     みんなは これからの一年間で大きく成長するはずだ
     成長すると言うことは、何かが変わると言うことだ
     きのうから今日、その変化に気づかないかもしれない
     今日から明日、その変化を感じないかもしれない

     でも一年後
     これができるようになった
     あれが分かるようになった
     自信をもって自分の成長を言えるように

     そのために
     今みんなで
     確かな第一歩をふみ出そう

    2日目、朝自習は黒板の文章の暗記。 3名の子が自信を持って発表してくれた。全員でも言わせてみたが、まずは合格! 午後からの入学式を終えると結構疲労感が……

    3日目、朝から何かあわただしい。することいっっぱい。尿検査のラベルにゴム印。 学年打ち合わせのプリント、学年懇談の資料、出るのはため息だけ……

    4日目、家庭訪問の日程を組んでみたものの変更希望が殺到。 学級懇談の資料を作ろうと古い資料を探してみるが、ファイルはサンワード・ワープロ博士版。 4年ぶりということを改めて実感。やれやれ、ぶつぶつ、あーあという感じ。

    5日目、明日は参観日。まあ何とかなるさという感じで5時過ぎに帰ってきた。 たった5日間で、担任の大変さを改めて実感。フリーの4年間楽をしすぎてた?でも、やっぱり担任が1番!(2006.4.12)

    家庭菜園スタート

    下の子が手伝ってくれました 1カ所に3粒

     今年も、小さな庭での家庭菜園がスタートした。連休初日、まずはエンドウの種まき。 今年は、スナックエンドウが仲間入りした。他に白花・紫花のサヤエンドウ。 一応3種になる。白花は一番上品な舌触りで甘みもある。紫花は、実が大きくなるのが特徴。炒め物に向いているような気がする。 スナックエンドウはどのような食味か今から楽しみだ。
     鳩とカラスの心配をしていたが、いきなり猫に畑を荒らされた。我が家の畑で、用を足した形跡が・・・(怒)
     さっそく木酢液を買ってきて、じょうろで撒いてやった!においを嫌ってこなければいいが、今度きたらもっと濃いのを撒いてやる!
     ほじくり返された土の中から、芽を伸ばし始めた種子が一つ見えていた。後2・3日で芽が顔を出すだろう。(2006.5.7)

    雨男、雨女

     明日は遠足。天気予報は雨。きっと多くの家でてるてる坊主がうつむいていることだと思う。 去年の遠足も途中から降り出した雨に濡れながら帰ってきた。 この時期は、苫小牧では遠足に向いていないのかもしれない。
     てるてる坊主の作り方は、きっと諸説あるのだろうが、私の場合は、頭に塩をひとつまみ入れる。 学級の子どもたちにこの話をしたら、「同じだ」という子がいた。 私は、子どもの頃からこの作り方なので、親から受け継いだのか、どこかで聞いた作り方をもとにしているのか定かではない。 ちなみに、我が家の子どもたちはティッシュで作ったてるてる坊主を窓にテープでとめている。頭に塩は入っていない。(作り方が受け継がれていない!) そのてるてる坊主が、窓ガラスに何十個も並び、まるでデモ行進をしているようである。 「明日の天気を晴れにしろ。」 「明日の雨、反対!!!」
     明日は、てるてる坊主より雨男・雨女の力の方が強くなりそうだ。 私は、自称晴れ男(修学旅行10連勝中)だが、今回の雨男は、私よりちょっと威勢がよいようだ。(20065.22)

    1年がたちました

     早いものでHPを開いて1周年!カウンターを見ると4000を超えた。 といっても1日平均10クリックというところか。 しかも始めの頃は、カウンターの数字が気になって、自分でHPを見てみるがほとんど増えていない状態が続いた。 たぶん4000の内、1000は自分でふやしたかなと思う。 最近は、コンスタントに毎日20〜30増えているようだ。 某サイトのように1日に何千も訪問者がくるわけでないが、そこが素人らしくていいと思っている。
     更新作業というのが、結構面倒くさい。 気分の乗ったとき、それも夜中、みんなが寝静まってからというのが私のパターンだ。 私の場合、何か特別なことをしているわけでもなく、特技もないので、ただの自分の記録みたいなものになってしまっている。 じゃあ、ブログでもいいかとも思うが、カレンダーに更新日がマークされていくようなプレッシャーに耐えられないような気がする。 もうしばらく今のままのスタイルが続きそうだ。

     運動会シーズンがやってきた。 過去4年間、担任を持っていなくて、何がつまらなかったかというと、この運動会ほどつまらないものはない。 時々、運動会は勝利にこだわるのではなく、練習過程や子どものがんばる姿が大切なんだという話を聞く。 確かにそうかもしれないが、私は勝利にこだわる。特に今年は、4年間にたまっていたものをはき出すためにも?絶対優勝したい。 白組には悪いが、紅組が優勝するストーリーが頭の中でできあがっている。 あと2週間、優勝までの助走がスタートする。優勝した上に、学級の団結力が高まる。 こんないいことはない。運動会ってだから好きだ。
     ただ、息子の運動会と重なってしまったのがつらいとこだ。次の転勤先は運動会の日にちを見て決めようか?(2006.6.3)

    運動会前夜

    黒板のメモ

     正確には運動会前夜ではない。2日前。明日の土曜は休みなので気分は前夜だ。 約1ヶ月の運動会の取り組みの中で、子どもたちはどれぐらいの力をつけただろうか。 大きな行事を経験すると子どもたちは大きく成長する。と同時に、この取り組みの期間に様々な問題も出てくる。 出てくるという表現より、明らかになるといった方が的確だろうか。
     そして、問題が解決されて行くときに、子どもたちの成長がより確かなものになっていくのだと思う。 問題が起きずに、スムーズに行事が終わったときの子どもたちの成長は、何か頼りない。 私の経験から考えるとそうだ。
     子どもたちの成長とは、それまでの殻を脱ぐことなのかもしれない。 カニやエビの脱皮みたいだが、行事の取り組み自体やあわただしい雰囲気の中で、窮屈な人間関係がはじけたり、ぎりぎりのところで押さえられていた気持ちが爆発したり、バランスが崩れたり、たがが外れたりするのだろう。
     年を取るにつれて、何かが起きると子どもたちが成長するチャンスと捉えられるようになってきた。 もとから楽天的な性格の性でもあるが、やっぱり経験だろう。 もちろん想定外のことが起きてショックを受けるときもあるが、子どもから教えられたと思えば急に気持ちも楽になる。
     いよいよ運動会本番。子どもたちはどれくらい自分たちの成長を自覚するだろうか。 今年の子どもたちは、結構成長するはず?


     写真は、子どもたちが朝の会の中でスピーチしてきた「運動会に向けてがんばること」を黒板にメモしてきたものだ。 毎日、1つ、2つと増えて結構にぎやかになった。この子どもたちの気持ちが、結果に結びついてくれると最高だ。
     この黒板のメモに使ったのが、黒板用のマーカーだ(「くれ竹」から出ている)。 ぬれぞうきんで拭くときれいに消えるので安心して使える。 教室に数色あると重宝すおすすめ商品!(2006.6.16)

    悲しい試食

     今日家族でイオンに買い物に出かけた。 食料品売り場を、カートを転がしながら歩いていると多くの人に出会う。 私と同じような家族連れ。カップル。いわゆる主婦など。 それぞれ会話をしながら、メモを見ながら、商品を手に取り賞味期限をチェックしている者。 買い物の仕方もいろいろである。 そんな買い物客に混じって、最近は中年の男性客の姿もよく見られる。 よく見かける男性客は、仕事帰りの時刻に夕食の仕入れ、晩酌の買い物に来ているのであろうと思われる者である。
     そんな男性客の目は、往々にして疲れている。でも、今日であった男性客はちょっと雰囲気が違った。
     その男性客は漬け物売り場をごく普通に、歩いていた。特に目当ての商品を探しているのではなく、通りかかったという感じ。 ごく自然に、おかれている試食ケースのふたを開けた。どこでも見かける風景。 爪楊枝を手に取ってケースの中へ。次にケースから出た手を見ると、短い爪楊枝に3つのキュウリの漬け物が刺さっていた。 その時、私の視線と彼の視線がぶつかった。「なんだ!」とガンをつけられたような感じ。
     彼は、そのそばのケースにも手を伸ばし、やはり3つ4つのなすの漬け物をほお張っていた。 彼のふくれたほっぺたの形が印象的だった。リスがほお袋にえさを詰め込む姿とだぶった。
     それから少しの間、彼を観察してしまった。 彼は、その後いったん漬け物売り場を離れ、近くの商品を手にとっては棚に戻していた。 そしてまた漬け物売り場へ。思った通り、キュウリとなすをほお張っていた。
     驚いたのは、彼と同じような男性が他に2人もいたことだ。 3人とも初老という感じの年齢。 60ぐらいか?かごの中には2・3の商品が入っていた。 身なりはごく普通で、こざっぱりしていた。 3人の見た目からは、とてもスーパーの試食で食事を済ませるような人たちに見えなかった。 でも、あの時の視線は明らかに見られたくないという態度だった。

     彼らはきっと何十年も働き、そろそろ悠々自適の生活を過ごそうという年代。 彼らに「悠々自適」がもたらされないのは自己責任か? 悠々自適ならずとも、3食をゆっくりと摂るぐらいの生活を保障されない国とは何だろうと考えてしまう。 まるで自分の行いが悪いかのように、人の目を気にし、試食コーナーを渡り歩く彼らを、ただ奇異な目で眺めてはいけないと今日感じた。 同時に、この国の……(2006.6.24)

    おにぎり

     少し前、北海道新聞におもしろいおにぎりの記事が出ていたと妻が話してきた。 いろいろなおにぎりの具やおにぎりにまつわるエピソードらしい。 でも、記事の最後に、最近の若い母親の中には、おにぎりを握れないものもいるという話が載っていて、妻はショックを受けていた。
     我が家は、おにぎりの消費量が多い家である。まず、私が好きだ。 極端な話、おにぎりならいくらでも食べられると思うぐらいである。 昔、様似から岩見沢までの2時間半ほどのドライブで、3軒のコンビニに寄り、それぞれ3つのおにぎりを買い、運転しながら食べてしまった。 そして、岩見沢の実家について、テーブルの上にあったおにぎりを1つ、計10個のおにぎりを3時間ほどの間に食べてしまったことがある。
     もうこんなに食べることはないが、今でも4・5個のおにぎりを1度に食べてしまうことはある。 そして、夜遅くテーブルの上に転がっているラップに包まれたごはんを見つけては
    「冷凍庫の中は寒いから、温かい私のお腹の中に入れてあげよう。」
    とつぶやいては、ラップのごはんを三角形に握っている。
     このおにぎり好きの血は遺伝したようで、長男も毎朝のように
    「おにぎりがいい、おにぎりにして。」
    と妻に言っては食べている。

     おにぎりというのは、もともと携帯食だろう。 それも仕事の合間に食べることのできるすぐれた食品だ。  おにぎりには、外の風景が似合う。それも田んぼのあぜ道が。 おにぎりを食べるとき、日本の原風景が思い出されるのは私だけだろうか。
     公園でも、海辺でも、何か風のにおいをかぎながら食べることができれば、それでご馳走である。

     我が家では、具材として次のようなものを入れている。

    梅干し 鮭 のりの佃煮 紅生姜 チーズ 漬け物 鰹節 たらこ(生・焼き) 筋子(イクラ) シーチキン

     上の具材は、合わせることも多い。 最近多いのがチーズだろうか。鮭や鰹節との相性がいい。 また、紅生姜と鰹節も相性がいい。最近食べていないが、瓶詰めのウニもうまい。
     混ぜものとしては、「ゆかり」や「シラス」、「ごま」、「大葉」、「鮭」などがポピュラーか。 もちろん炊き込みごはんもいい。
     私が夜中、仕事の合間に食べているのは、白飯にスライスチーズをかぶせ海苔を巻いたものが多い。 だから中性脂肪やコレステロールが高くなるのだろうか。でもやめられない。(2006.7.29) 

    昆虫採集

    ゴマダラカミキリ ノシメトンボ

     夏休みの自由研究といえば、「昆虫採集」が王道だろう。いや王道だった。 私が子どもの頃は、クラスの男子の内4・5人は昆虫採集だった。 最近の子どもたちの自由研究を見ると、昆虫採集は珍しい。 インターネットで調べたような作品が多い。 その中で昆虫採集を見かけると、なんだか懐かしくなる。
     昆虫採集が減ったのはいつ頃からだろうか。 私の子どもの頃は、「昆虫採集セット」という注射器と正体不明の液体、ピンセット、虫めがね、虫ピン等が箱に入って売っていた。 トンボを捕まえては注射していた。 トンボの体が小さいので、すぐに薬剤があふれ出ていた。 それでも昆虫博士か医者になったようなつもりで、たくさんの昆虫に針を刺していた。
     夏休みが終わると、自由研究・工作のコーナーにたくさんの昆虫採集が並んだ。 一番の人気はカブトムシ。次いでクワガタだった。 カブトムシは北海道にいないので、どこかで飼ったヤツが死んだときだけ昆虫採集の箱の中に収まった。 クワガタは、水牛型のノコギリクワガタが一番人気で、ミヤマクワガタが二番目だった。 セミやオニヤンマなども捕まえにくい昆虫なのでそれなりのステータスがあった。
     どれだけ捕まえるのが大変だったか、どこで捕ったか、自慢話も一緒に展示されていたような気がする。 乾燥が悪くて悪臭を放っていることもあったが、たくさんの虫、珍しい虫が並んでいる作品は人気だった。
     我が家には、二年生の息子がいる。去年はロボットの工作をつくったが、今年は昆虫採集だという。 ただデジカメで写した昆虫の写真をたくさん模造紙に貼るらしい。 父親としては写真だけではちょっと寂しいと考え、本物(標本)も作品のどこかに貼りつけてやろうと考えている。 現代版の昆虫採集である。


     昆虫をデジカメで撮る場合、どうしても接写(マクロ撮影)が必要になる。 このとき携帯を使うと実に簡単である。 私の携帯では、960×1280での撮影が可能なので十分な撮影ができる。 上にのせたノシメトンボとゴマダラカミキリの写真は携帯で撮ったものだ。 色が若干淡く感じるが、及第点をあげられると思う。
     ところでこのノシメトンボ、私は子どもの頃からクルマトンボと呼んできた。 たぶん俗名だろうが、どうしてこの名がついたのか分からない。(2006.8.10) 

    オケラ

    おけら

     今年、我が家に来た昆虫の内、まだ生き残っているものは、カブトムシ・ゴマダラカミキリ・アカハナカミキリ・エンマコオロギ・ミズカマキリ、そしてケラである。
     そしてすでに短い一生を我が家の飼育ケースで終えたのが、赤足クワガタ・ノコギリカミキリ・マツモムシや数え切れないほどのヤゴたちやコガネムシの仲間たちがいる。 意外とトンボやチョウたちは、捕まえられてもすぐに逃がしてもらえるので、犠牲者は少ない。
     この虫たちをつかまえてくるのは、もちろん我が家のわんぱく二人組だが、看守役は私になっている。 餌をやったり、そうじをしたりと結構大変である。
     その私にもちょくちょく忘れ去られて、出窓の隅の方に追いやられている飼育ケースがある。 その飼育ケースの中には、水苔が半分ほど入り、水分の蒸発を防ぐビニルのシートがのっている。 そして、水苔の中にトンネルを造りひっそり暮らしているのが、ちょうど1年前岩見沢のばあちゃん家のそばで捕まえられたケラである。 「おけら、おけら」と、はじめのころは我が家でも珍しがられていたが、最近は時々水分補給をしてもらうだけである。 近頃は餌すらもらっていない。 餌をあげなくても水苔を食べて生き延びているらしいことが分かってから、餌の回数がめっきり減った。
     写真を見ると右の中足?の先がない。 餌をもらえず、自分で食べたわけではないと思う。 たぶん捕まえたときの扱いが悪かったのだろう。
     普段顔を見せないこいつも悪いと思うのだが、ろくに世話もしないくせにどんどん捕まえてくる我が家のわんぱく二人組の罪深さをつくなうために、そしてもう少し長生きしてもらうために時々餌をあげよう!(2006.8.25)

    娘誕生

    9月9日娘誕生

     9月9日午前4時3分、無事に娘が誕生しました。 体重3150g、身長49.5cm。我が家では長男に次ぐ大きさです。 何よりも無事に誕生してくれたことに感謝です。 改めて母親の偉大さ女性のすごさを感じました。
     初の娘ということで、うれしさととまどいで毎日ドキドキの生活をしています。 泣き声もむずがり方も男の子とはちょっと違うような気がします。 きっと3人兄弟の末っ子と言うことで、たくましいおてんば娘に成長することでしょう。
     それにしても女の子というのは、男の子とは違うかわいさがあります。(2006.9.24)

    熱−高まり−

     10時からの販売に合わせて、ローソンに行ってみた。 家では妻が電話機を握っている。
     パリーグ、プレーオフ第2ステージのチケット販売だ。
     9時50分、家の近くのローソンに行ってみる。 ロッピーの前には、すでに9人の先客が並んでいた。 この時はまだ“結構日ハムファンがいるんだ”という程度にしか思っていなかったが、次第に焦りに変わっていった。
     10時、販売開始。先頭に並んでいた人のアクセスがつながらない。 電話もつながらない。「大変つながりにくくなっています……」という音声が繰り返し聞こえてくる。
    「チケットぴあは、完売だって。」
    列の前の方からの会話が聞こえてくる。
     10時10分、先頭の人がようやくつながり、11日のS席が買えたようだ。 次の人からは、ロッピーの画面には『完売』の文字しか出てこない。
     帰宅。
     9月30日の朝4時から並んでいる様子がニュースになっていた。 北海道が熱く燃えている。私以上に燃えている日ハムファンが大勢いるようだ。
     11日と12日は、テレビの前で熱く応援しよう。メガホンを持って!(2006.10.1)

    DV 10年で8倍

     昨日の道新に上のような活字が並んだ。
     DV=ドメスティック・バイオレンス 今やこのアルファベットを知らない人はあまりいないだろう。 ここ数年でこのアルファベットは、急速に市民権を得た。次から次へとカタカナ言葉やアルファベット語が出てくるが、市民権を得るのは数少ない。 それほどDVはめずらしくなく、社会問題になってきている。
     学校現場でも、DVを原因とする離婚が、子どもたちに暗い影を落とすことがめずらしくなくなってきている。 ある統計によると女性の30%以上が男性から何らかの暴力を受けたことがあるという。ジェンダー教育の欠如がこの状況を招いているのかもしれない。
     先日、このことが我が家で話題になった。その時、私の
    「俺なら怖くてできねぇな。」
    という言葉と、
    「やりかえせばいいのに。」
    という妻の言葉が同時に出て大笑い。そのあと背中に冷や汗が……(2006.10.9)

    今年も雪虫が飛ぶ季節になった

     10月21日(土)今年初の雪虫(トドノネオオワタムシ)を見た。 妻と子どもたちは昨日も見たという。 妻は雪虫が飛んだ2週間後に雪が降るという。 時期的に、初雪を心配する頃だ。
     つい2週間ほど前まで半袖でがんばっていたが、一気に上着がほしくなってきた。 一雨ごとに、街路樹の葉も減ってくる。いや新しい朝が来るたびに、景色が変わっている。
     明日は学習発表会。行事を終えるたびに子どもたちが成長していく。 いや新しい朝が来るたびに、子どもたちが成長していると感じられるといいのだが、子どもたちの成長は季節の移ろいほどはっきりしていない。 でも、時々教室の中にも雪虫のような変化を感じさせるサインが飛ぶことがある。 さて明日は、どんな雪虫が飛ぶであろうか楽しみだ。(2006.10.21)

    日本ハム優勝〜野球って楽しいね〜

     4年前、まだ巨人ファンだった。野球と言えば巨人だった。
     3年前、巨人がつまらなくなった。ちょうどその時、日ハムが北海道にきた。
     去年、札幌ドームで日ハムを応援していた。メガホンを持って新庄に声援を送っていた。
     今年、日本シリーズで見知らぬおじさんと勝利を喜び、握手している自分がいた。 

     今年、久しぶりに野球が楽しかった。応援することが楽しかった。 3年連続の駒苫の甲子園決勝進出、そして、今年の日ハムの活躍。興奮することが心地よかった。 スポーツで感動すること。スポーツで涙することは久しぶりだ。(2006.10.31)

    教育基本法の怪

     いよいよ教育基本法が国会審議に入った。衆議院をそろそろ通過するのか? マスコミも特集を組み、自民党案と民主党案を並べ、教育評論家だか大学教授だかを引っ張り出して、盛んに取り上げている。 でも、マスコミが騒ぐわりに、国民の関心は今ひとつという感じがする。
     いじめ問題、高校の必須教科未履修問題がクローズアップされている中で、もっと関心が高まっていいと思うのだか、無関心な層が多いような気がする。 また、一部政治家がいじめ問題や未履修問題と教育基本法改正をリンクさせて主張するという浅薄な論を展開しているのも気にかかる。
     そして、一番気にかかっていることは、学校現場で教育基本法改正の問題が話題となっていないことだ。 個人的に関心を持っているのかもしれないが、職員室での話題にはなっていない。どこからも聞こえてこないのである。 おそらく教育基本法がどのように変わろうとしているのか、自民党案と民主党案の相違点、また、現行法との相違点を知ってもそこに問題点や不安を感じる教師が少ないのだと思う。
     そして、保護者からも質問されたことも1度もない。法案の内容に問題を感じないからか、知らないからか?
     また、改正されると教育現場がどのように変わるのか、知らない・分からないという者も多いのだろう。 現に私自身も、その問いに明確に答える自信がない。(政治家の意図にオブラートがかぶせられ、イメージだけが先行しているからだろう)

     それにしても連日いじめの報道だ。いじめはどこでも起こる。 でも、絶対に許さないという姿勢を、教師も保護者もすべての大人が示せば解決の糸口が見えてくるはずだ。 子どもの社会は、大人社会の縮図と言うことを忘れてはいまいか?
     そして、許せないのが「命を大切に……」と言っている教師・校長がなぜ自殺をする? だからまた子どもたちが真似をするだろうが! そんな繰り返しをしていちゃいけない。ニュースを見るたびに悲しくなるし、腹が立つ。 あーあ、最近は本当に腹立たしいことが多い。

     今朝外に出てみたら庭がうっすらと白くなっていた。初雪だ。 いっそ真っ白な雪が汚いものを覆い隠してくれればいいのに……いずれとけたら?はぁ……(2006.11.13)

    夕張

     夕張国際映画祭。マウントレースイ国際スキー場。石炭の歴史村。夕張メロン……
     今、夕張が揺れている。
     財政再建団体。
     住民負担大幅増。

     私は、子どもの頃岩見沢で育った。 高校時代、夕張に住む友と知り合った。 今ではすっかり名前も忘れてしまったぐらいなので、特に長いつきあいでも、深いつきあいでもなかったということははっきりしている。 でも、そいつとの話の中で覚えていることが二つある。
     そいつの父親は炭坑マンであったということ。  炭坑で事故があると、夕張の町の中に1日中サイレンが鳴り響いていたということ。
     そのことを思い出すと、煤に汚れた汚い炭住の風景が見え、聞いたことがないはずのサイレンの音が聞こえてくる。

     炭鉱事故があるたびに夕張から人々は去り、町はさびれていった。 今度は、財政再建団体転落という人災で、夕張から人々が去り、町がさびれていこうとしている。
     図書館も閉館し、2008年の春から小中学校の統合も始まるという。 子どもたちにしわ寄せが行くということか。 単なる経費削減を目的とした統合でないことを祈る。 大手銀行には巨額の公的資金が注入されたが、弱者はまた見捨てられる。 負担を強いられる住民に何の罪があろうか。
     今夕張の町の中には、あのサイレンの音が鳴り響いていることだろう。(2006.11.28)

    年の瀬

     明日は大晦日。 2006年もいよいよという感じだ。 
     今年1年を漢字に表すと「命」だそうだ。 多くの命が失われた印象が強いからだろう。
     我が家では、対照的な「生」が、今年の漢字になるだろうか。
    「今年は、どんな年でしたか。」
    と問われたら、間違いなく「いい年でした。」と答えるだろう。 3人目の子どもが生まれ、一段と家の中が賑やかになった。 来年は、この子が這ったり、つたい立ったり、しゃべりはじめたりと、さらに賑やかな楽しいできことが待っていることだろう。
     みらいを見通すことは難しいが、何となく来年もいい年になりそうな気がする。
     今年は、このホームページを訪れてくれる人の数も増え、カウンターの数字もいつの間にか17000を越えた。 来年はもう少しこまめに更新することを心がけたいと思っている。
     2007年は、楽しい出来事がたくさんありますように!みなさん、よいお年をお迎えください。(2006.12.30)

    地球温暖化の影響?

     あけましておめでとうございます。<(_ _)>
     2007年もよろしくお願いいたします。 時々このページをのぞきに来てください。 時々更新しておきます。

     苫小牧は今積雪0。 今日、子どもたちと家の近くの学校のグラウンドで野球をした。 例年だと「野球」でなくて「雪遊び」である。
     この調子で雪が積もらないと、スケートリンクを作ることができない。 異常である。 今までも年末年始などに、雨が降ったような暖冬の年もあったが、ここまできれいに雪がないのは私の記憶にはない。
     山口県の面する日本海では、クマノミのような熱帯の魚が増えたそうである。 東京湾でもサンゴが生息しているとか。
    地球規模で温暖化が進んでいるのだから、苫小牧だけが異常と騒ぐわけにもいかない。 でも、新しいスケート靴を用意した子もいるだろう。 スケート靴も結構値がはるだけに、リンク作業が減ったと喜ぶわけにはいかない。 リンクを作れる程度の雪が降ることを祈ろう。(2007.1.5) 

    やっぱり年か?

     自称28才(笑)、さすがに無理があるのか最近は膝の調子が悪い。 はっきりした原因に覚えがない。 とすると老化、年ということか。 もう若くないということは、体を動かすたびに自覚してきた。 カラダが反応しない。カラダが曲がらない。もちろんからだが動かない。
    【鉄棒】逆上がりはできる。腕支持後方回転もかろうじて。でも、懸垂ができなくなった。
    【マット運動】前転・開脚前転はできる。後転・開脚後転・伸膝後転は首が痛くなる。飛び込み前転は最近していない。
    【マラソン】6年前までは高学年の先頭グループと走れた。最近は低学年と走るのがやっと。もちろん体育では滅多に走らない。
    【跳び箱】開脚・閉脚・台上前転、まだ大丈夫。でも、最近ロイター板のいいのがほしくなってきた。
    【バレー】ジャンプできない。
    【バスケット】3分持たない。
    【走り幅跳び】四捨五入しても4mに届かない。
     それにしてもこの膝はどうしたのだろう。少し動かすだけでパキパキ音がする。 そろそろ年を自覚しないとダメかな?(2007.2.9)

    どうして信じない?

     社会科の勉強で「桜前線」、桜が春の訪れを伝えてくれるという勉強をした。 日本は南北に長い国なので、1月から咲き出す沖縄や5月の連休頃に咲く北海道など、地域によってずいぶん時期が違うという話をしたあとだった。 突然、教室の中が盛り上がった。
    「桜にはいろいろな種類があって、種類によっても多少咲く時期がずれるんだよ。」
    「この辺だと学校のまわりに植えてあるエゾヤマザクラが咲いて、次がサンランボがなる桜かな。最後まで咲いているのが八重桜かな。」
    という話をしたあとだった。
    「え゛ーっ、先生、何でサンランボが桜なの?ちがうしょ!」
    「はあ、サクランボは桜の実だよ。」
    「エーッ、信じられない!」
    「そんなことを言うおまえたちが信じられない。」
    こんな信じられないやりとりがあった。

     もちろん私の話を支持する子もいるが、「え゛ーっ」という声が大きかったので、とんでもないでたらめを私が言ったような感じになってしまった。
     子どもたちに聞くと、家の庭にサクランボの木を植えている子はいなかった。 おばあちゃんの家に植えているという子が2名。 印象として、身近なところでサクランボの実りの様子を見たことがほとんどないことが、とんでもない反応の原因だろう。
     私の子どもの時のように、近所の家に植えてある桜の花を通学途中に見て、「これは食べれる!」「塀にのぼれば手が届く!」と友達と計画を立て、まだかまだかと実が大きくなるのを観察し、帽子いっぱいにサクランボを収穫して、「コラッ!」と怒鳴られ追いかけられる経験をしていないからだろう。 あまりほめられた経験ではないが、観察力はこうして育ったのかもしれない。ただ、こんなことばかりしていたので、子どもたちに信用されないのかもしれない。(2007.2.15)

    昔の学校はおおらかだった?(その1)

     今私が勤めている学校では、冬の間だけ室内遊びの道具としてトランプや将棋、オセロ、UNOといったもので遊んでいいことになっている。
     私が子どもの頃は学校でどんな遊びをしていたか。 結構当時の先生はアバウトで適当だったように思う。 確かコカコーラのコマーシャルの影響でヨーヨーが流行したことがあった。 “犬の散歩”や“世界一周”などの大技を練習した。 休み時間になると男子を中心に、教室や廊下でいろいろな技を競った。 でも、ある日、誰かが蛍光管を割った。すると禁止になった。
     アメリカンクラッカーというのも学校で流行した。 ひもの先にプラスチックの玉二つがついているだけの単純な作りだが、タイミングよくふると上下で玉がぶつかり、かなり大きな音が鳴り響く。 あんなけたたましいおもちゃを、よく当時の先生たちは持ってきていいといったものだ。 そんなアメリカンクラッカーもしばらくすると禁止になった。 確かな記憶ではないが、あの時も窓ガラスが割れたりしたと思う。 禁止の理由はきっとそんなところにあったと思う。
     鉄ごまがはやったときもあった。 ベーゴマなんかよりはるかに巨大で、径はCDぐらいあった。 当時の子どもはみんな悪ガキだったので、鉄の心を抜き取り、そこに先をよくとがらせた釘を刺した。 こま同士で戦ったり、床にどれぐらいの穴を開けられるか競った。 回っているこまをひもですくい上げ、手のひらにのせ出血していたバカなやつもいた。 このこまは禁止になったのか、あきられたのか記憶がない。
     当時は、結構いろいろな物を学校に持って行っていたように思う。 それがどこの学校でもか、私の小学校だけ特別だったのかは分からない。 たぶんその時の基準は、学校生活に支障を来さない安全なものであればOKしてくれていたのだろう。 でも、予想に反して蛍光管がわれたりするのが続くと「禁止」という指導に変わっていったのだろう。 子どもをとりあえず信じていたのか、試していたのかは分からないが、今の学校よりはるかにおおらかだった。
     今は、こういう指導はあり得ない。もちろん「学習に必要のない不要物は一切禁止」である。 さて、どちらの指導がいいのか。 子どもたちは、「昔の学校はいいなあ」と口をそろえるだろう。(2007.3.9)




     


    2005

    HTML

    樽前山遠望  

     ホームページをつくろうと思ったのが1年ちょっと前、 どうせならCSSもと思って始めたのが間違いだったのかも。 もちろん最初から欲張りすぎたのがまずかったのだが、 だんだんわたしの頭では処理しきれなくなり、 長期の休業に入ってしまいました。
     そしてようやく1年以上たってから再挑戦。規模も少し縮小し、 まずはとりあえずUPしようということで仮オープンにこぎ着けました。 これからもなかなか更新できないかもしれませんが、 時々のぞいてもらえるようにしていきたいと考えています。 どうぞよろしくお願いします。(2005.5.27)

    やまめの解禁

    ブラウントラウト   

     やまめの解禁に合わせて、今年初の渓流釣りに行ってきました。 最近は、年に数回しかいけない不本意な年が続いていますが、今年はあと何回行けるでしょう?
     今年初の釣りは、白老川を訪れました。 ホームグラウンドにしている川ですが、低温が続いていたせいか全然ダメでした。 えさは、イタドリとブドウ虫しか持って行かず、ミミズを持ってきていれば多少違ったかもしれません。 初めは高速下あたりの下流部、その後、御料地橋から上の上流部に入りましたがあたりもほとんどなく、ボウズを覚悟しました。
    すれ違った釣り人も同様で、白老川に見切りをつけ長流川に向かいました。 四季彩街道を通るとまだ雪の残る沢もあり、改めて春を感じることができました。 三階の滝の手前500m位でしょうか、道路から長流川上流の眺めを見て、車を止めました。 わりと流れの速い石陰のポイントにブドウ虫を流すとあたりが…… でも、一発では食わず、2投目で22センチのブラウンが食いつきました。 このあと大滝市街パークゴルフ場付近に入釣しましたが、この日はこのブラウンのみでした。(2005.6.1)

    東北旅行

     

     今年の夏の家族旅行は、フェリーを使っての東北旅行にしました。 「ねぶた」「竿灯」という超メジャーなお祭りもコースに組み込み出発です。  この時期の青森・秋田はホテルが満杯で予約に大変苦労しました。 旅行業者最大手のJ○○は、けんもほろろにろくに探してもくれませんでした。 インターネットで調べた宿に片っ端から電話をし、何とかみつけることができました。 今回、「タウンページ」から検索していきましたが、地図が表示されたり、ホテルの情報がリンクされていたりして結構使い勝手がよかったです。
     苫小牧から秋田へフェリーで渡り、男鹿半島へ向かいました。 寒風山・水族館GAO・なまはげ館・入道崎を回りました。 水族館はオープンして1年ほどということで新しく、子どもたちは大喜びでした。 (今回の旅行は「子どもが楽しいコースプラス祭り」というテーマで計画されています。) アザラシの水そうに、ラミネートした魚の写真をくっつけてアザラシと遊ぶのが、とてもいいアイディアだと感心しました。(2005.8.4)

    東北旅行 その2

     盛岡では、東屋でわんこそばに挑戦しました。 妻は73杯、わたしは145杯を平らげました。 自分でもよく食べたと感心します。
     食後は、小岩井農場へ行き、夕食に備えておなかを減らす努力をしました。 下の子が、地面からはい出たアブラゼミの幼虫を見つけました。 怪獣のような姿に兄弟で喜んでいました。
     ホテルのカーテンに止まらせて夕食から戻ると、写真のように羽化を始めていました。 これは何度見ても感動します。 羽化の時の薄いエメラルドグリーンのような色は実に神秘的です。 このセミは、翌日、青森で逃がしました。
     青森の「ねぶた」は、迫力満点で子どもたちも大喜びでした。 見た場所もとてもいい場所で、山車が必ず止まり、おじぎをしてくれました。 確か村上中央病院?という病院の前だったと思います。 噂のカラスに注意していましたが、姿を見ることはできませんでした。
     また機会があれば是非行きたいですね。(2005.9.7)

    台風14号

     九州・四国で大きな被害を出した台風14号が、北海道に近づいてきています。 もう少しで再上陸するらしいです。 家の外は大粒の雨が降り続いています。 風も強く庭の菊の花が斜めに揺れています。  

     8日は、市内の小中学校が臨時休業になりました。昨年の反省にたった判断なのでしょう。  

     何はともあれ大きな被害が出なければいいのですが…… それにしてもここ数年、勢力を保ったまま北海道まで来る台風が増えたのは、やはり地球温暖化の影響なのでしょうか?(2005.9.7)

    この花の名前は?

     上の花、夏の東北旅行で撮った写真です。 北海道では見たことがない花でした。 実は、以前北陸を旅行したときにも気になった花なのですが、そのときも名前を調べたのですが分かりませんでした。 しばらくこの花のことを忘れていたのですが、この夏、東北を旅行して、また目に飛び込んできました。
     車を運転していると、庭先の木にからみついて花を咲かせていることは分かります。 蔓性の植物で、一見ナスタチュームのような感じです。 でも、近くで見ると花びらやつぼみの形が違うことが分かります。 どことなくハイビスカスのような感じもします。
     たぶん北海道にはない花なのでしょう。 見るからに夏の花という感じで、見るだけでまぶしい夏の日差しを感じました。
     この写真は、旅行最終日に青森から八戸へ向かう途中に撮ったものです。 少し蔓が垂れ下がっているのが分かると思います。 名前が分かる人がいましたら、是非、メールでお教え願います。(2005.9.12)

    子どもにはギャグが受けない

     先日、5年生の子どもたちにNHK教育テレビの「サイエンスゴーゴー(理科)」を見せた。 その中でトノサマバッタが日当たりのよい場所に移動していた。この時、ひらめいた。これは受ける、爆笑だと。
    「おい、みんな、雌のトノサマバッタを奥様バッタというんだぞ。そして、卵からかえったばかりのバッタをお子様バッタというんだぞ。」
     思いもかけぬわたしのギャグに教室は、3・4人がクスクスと笑うだけで画面から目をそらそうともしない。
     同じギャグを職員室で保健室の先生にいうと期待通りに受けた。笑ってくれた。やっぱりわたしのギャグはR指定ということらしい。(2005.9.25)

    こんにちは、Yahoo! JAPANです。

     昨日、何の前触れもなく「こんにちは、Yahoo! JAPANです」というメールがやってきました。 それこそ突然のつむじ風のように。
     「ご推薦いただいたページをYahoo! JAPANに掲載させていただきました。」という文を読み、すぐ妻に知らせたのですが「よかったね」の一言のみ。 Yahoo! JAPANに登録されるのは難しいと聞いていたので、今、一人で喜んでいます。(妻には理解してもらえないようです、やっぱり。) これでHPを更新していく意欲も高まりました。 これからは今までより更新していくペースを上げていきたいな〜と思います。 季節的には、これから「北風」の吹く季節。 わたしのHPにはもってこいの季節です。
     どうぞこれからもよろしくお願いします。(2005.10.4)

    逃がした魚は大きい

    チビヤマメ 

     そろそろ納竿の季節です。先日、今年2回目の釣行に出かけてきました。 解禁日と同様白老川を訪れました。 熊が怖いので福祉施設「恵和園」裏あたりの下流域です。 今年は、熊の出没情報が多いので1人での釣行はちょっとドキドキです。
     この日の餌はイタドリ虫。予備にミミズも持ちました。 水量は普通。濁りなし。ただ出発が大幅に遅れ、昼過ぎのスタートというのがちょっと失敗でしたが、まずは絶好の釣り日和です。 流芯をねらって大型のヤマメをともくろみましたが不発。 脇のボサ下辺りをねらうとツンツンと小さなあたりがあり、写真のようなチビヤマメが顔を見せました。 もっと大きな魚を探してさまよったのですが、さっぱり……
     白老川に見切りをつけて西へ車を進めました。 ブウベツ川、ウヨロ川を横目に敷生川水系の飛生川に向かいました。
     第1投で、またチビヤマベが姿を見せました。 そして深場に移動して何気なく餌を流しました。 すると根掛かりしたような感触が、でも次の瞬間竿ごと持って行くような強い引きが……
     硬中硬の比較的柔らかい調子の竿だったせいもあるのでしょうが、強い引きが竿先から伝わってくるだけでなかなか顔を見せません。 それでも横に走るたびに少しずつ浅場に移動していきました。 そして、1・2分たったでしょうか、ほんの一瞬顔が見えたその時、竿が軽くなりばれてしまいました。 早く顔を見たいという焦りがあったのでしょう。 ちょっとだけ力が入りすぎました。 ほんの一瞬見えた顔は、たぶんニジマス?尺あるかないかというサイズでした。 イヤ、もっと大きかったかも?逃がした魚は大きい!(2005.10.6)

    テストへの一言

     今年度は、5年生2クラス、6年生3クラス、児童数にすると約180名の子どもたちの理科を教えている。
     1枚テストをすると、必ず100枚ほどの○付けが待っている。 高学年の理科ともなると、表裏合わせて25〜30問の問題がある。 100枚も同じテストを○つけしていると途中であきてしまう。 もちろん解答が途中から頭の中に入って、○付けが楽なことは楽なのだが……時間は結構かかる。
     わたしは、テストは次の時間に返すことにしている。 (テストをしていないクラスがあるときはそうもいかないが、テストの実施もほとんど同じ日にしているのでそういうことは滅多にない) テストは、点数だけでなくできるだけ一言言葉を添えるようにしている。 本当であれば、全員のテストに一言書かなくてはと思うのだが、努力不足で一部の者にしか書いてあげていない。 100点の者、もう少しで100点の者、今回調子が悪かった者ぐらいである。
     一言も「おめでとう」や「GOOD」のほんの一言だけでは、つまらない。 高学年になるとテストで100点を取るのも、そう簡単なことではない。 100点を年に数回しかとれない子が多くいる。 たまの100点を多くの言葉で祝ってあげたいと思う。わたしは次にあげる言葉を2・3個組み合わせて使っている。 たとえば、「ヤッタネ!おめでとう!今の君は輝いている」のような感じである。 これでちょっとは喜んでくれているはず?ちょっとは記憶に残る100点になったはず?なんて思っている。

     おめでとう   最高だ   すばらしい   ヤッタネ   ブラボー   VERY GOOD    ヒャッホー   実力発揮   今の君は輝いている   先生もうれし〜   次もこの調子だ   ワンダフル    パンパカパーン   あっぱれ   夢の世界へようこそ


     短くてかっこのいいほめ言葉があったら誰か教えてください。 他の人たちはテストにどんな言葉を書いているのでしょう? よかったらメールで教えてください。(2005.10.17)

    雪虫が飛んだ

     10月15日(土)、今年初めての雪虫を見た。 雪虫を見て1週間すると雪が降ると我妻は、自信を持って言っている。 確かにそろそろ雪の便りが届く時期である。

    雪の季節を告げる虫、トドノネオオワタムシ。
    春、ヤチダモからトドマツへ最初の飛行を行う。
    夏から秋、メスがメスの子虫を産み、世代交代を何度も繰り返す。
    晩秋、最後の飛行。一斉に飛び立つ。ヤチダモを目指して。

     16日には、家のウッドデッキが雪虫でおおわれていた。 表現はちょっとオーバーかもしれないが、実際にほうきではいてきれいにした。 今年は、この週末以降もずいぶんと雪虫を見た。
     随分多くの雪虫が飛んでいるが、果たしてどれだけの雪虫が目的地のヤチダモにたどり着くことができるのだろう。 お世辞にも雪虫の飛び方は力強くない。 飛んでいるのか漂っているのか分からないぐらいの飛翔力である。 手で触っただけで死んでしまうような虫である。 たぶん、相当低い確率でしか目的を果たすことはできていないだろう。 それであれだけの数が一度に発生するのだろう。
     ところで、あの優雅な飛行をしている雪虫のすべてがメスだという。 納得という感がある。 雪虫の持つ雰囲気は、昔の日本女性の持つイメージに似ているような気もする。
     ヤチダモにたどり着いた雪虫は、オスとメスの子虫を産む。 そしてそのオスとメスが交尾をして卵を産み、卵で冬を越す。 オスが現れるのは、1年の中でこの時期だけである。 この存在感のなさは、今の日本男性の持つイメージに似ているような気もする。
     種の保存のためだけに存在している雪虫の雄のようにはなりたくない。 今日は雨、雪虫は飛んでいない。(2005.10.22)

    ハナアブ

    ハナアブ

     今年は11月に入っても暖かい日が続いている。 例年であれば平野部でも雪の便りが聞かれ、ここ苫小牧でも初雪や初氷が見られる時期である。 でも今年は、まだ最高気温が15℃前後あり、庭のキクの花も元気に咲いている。
     このキクの花に最近ハナアブが群がっている。 つい先日までは、異常発生していると言われていたユキムシと、取って代わったような感じがある。
     実は今日の今日まで、わたしはこのハナアブを誤解していた。 黄色と黒の縞模様は危険な印と思いこんでいたわたしは、ハナアブも時には人をさすと思っていた。 それで子どもたちに「危ないから、刺されるからさわるなよ。」といつも言っていた。
     ハナアブの姿は、ミツバチによく似ている(わたしはそう思う)。 実際は、ミツバチよりちょっと大きく、縞模様もミツバチとは違う。 わたしは、子どもの頃、ギボウシの花に集まるミツバチを花の中に閉じこめ、耳のそばに持ってきては、ブーンというミツバチの羽音を聞く遊びをよくしていた。 その遊びをしていると、指先でつまんでいる花びらに、時々隙間ができてミツバチに針で刺され、指先を腫らしていた。 きっとハナアブの黄色と黒は、この幼い頃の経験を思い出させていたに違いない。
     アブには、大きく2種類あり、“人をさすアブ”と“人を刺さないアブ”に分けられるという。 後者をflower flyといい、flyつまりハエの仲間に分類できるのだという。 庭のキクの花へは、蜜を吸いに来ているのではなく、蜜をなめに来ているのである。 人をさすアブやミツバチとの見た目の違いは、口の形と羽の枚数である。 口はとがっておらず蜜をなめるのに適した形をしている。 そして、羽の枚数はミツバチと決定的に違い、ミツバチの4枚に対して2枚しかない。 これはイエバエなどのハエの仲間と同じである。 このことが分かれば「な〜んだ、ただのハエだ」と思えてくる。
     色がイメージを作り、ハナアブを誤解してしまった。
     色というと、ハナアブは黄色を好むようだ。 我が家の庭には、今、2種類の赤いキクが咲いている。 ハナアブがくるキクは1種類のみである。 この2種類のキクの違いは、ハナの中央に黄色い花粉の部分があるかどうかである。 ハナアブが集まるのは、ハナの中央が黄色いキクだけである。
     どうやらハナアブも色によるイメージを持っているようである。(2005.11.5)

    師走(評価の季節)

    シャコバサボテン

     ふーっ、今年ももうすぐ終わり。 学校は評価の時期ということでHPもずっと更新せずにいた。 担任を持っていないのですごく楽なはずなのだが、慣れというのは恐ろしいもので、そういう生活ですら忙しい気になってしまう。
     通知票(成績表)の「所見」というのは、書く(考える)のに結構苦労する。 今学期、妻の書いている所見を見て、改めてそう思った。 一般的には、基本的に学校生活で“よいところ”、“伸びたところ”を書き、今後の指導の方向性や励ましなどが入る。 これが「所見」の基本形である。 クラスの子全員に同じように書きたいと思うのだが、それはまず無理。 いつも怒られることが多く、家庭への連絡も悪い内容の子どもには、通知票の所見欄ぐらいは“よいこと”だけを書く。 よいことを見つけること自体が難しい場合もあるが、少ない材料でよいことだけの所見が、家でほめられプラスの方向に働くことを期待していることは間違いない。
     また、学習面も生活面も小さな欄に書き込みたいと考えるが、これも網羅的に書くより、焦点を絞って書く場合がある。


    「理科の調べ学習では、火山の噴火の仕組みについて、図書コーナーで遅くまで残ってまとめていました。また、学級委員長として、学級内のトラブルを解決しながら、行事の中心的な役割を果たしてくれています。全体を考えるというのは難しいことですが、確実にまわりからの信頼も厚くなっています。3学期も活躍を期待しています。」


    と書くより、


    「学級委員長として苦労しながら大きく成長した学期でした。○○集会の計画で学級の意見が大きく2つに分かれました。その時に、○○君の『お互いのよいところを生かそう』という一言で学級がまとまりました。全体を考えるというのは難しいことですが、確実にまわりからの信頼も厚くなっています。3学期も活躍を期待しています。」


    の方がいいと思いませんか?


     人によって好き嫌いはあるだろうが、私が親の立場で考えると下の方がいい。でも、上の方がいいという人もいるだろう。どちらも正解だ。 単に学習面・生活面を両方書くだけで、また、詳しく書いたからいいといえるほど所見は簡単ではない。
     いつも勉強のことを第1に考えている保護者には前者、友達とのトラブルが多かった子には後者がいいかもしれない。 担任と保護者とのコミュニケーションの積み上げや歴史、保護者・子どもの性格、タイミング、様々な要素をふまえて所見は書かれなければいけない。
     今年初めて見た親の立場での所見、息子の担任の目線や感じ方に感服した。 所見欄が大きければ、もちろん網羅的にかつくわしく書くことができる。 でも、スペースがたくさんあれば、それはそれで書くことがなくて困る子もいる・・・・・・故に「所見」は難しい。 (個人的には100〜150字ぐらいで十分と思うがどうだろう。それぐらいあれば親がなるほどと思えることの1つぐらい書けるだろう。) それにしても所見を書かなくなって4年がたとうとしている。 そろそろ所見や学級通信を書く生活に戻りたい。さあ、いよいよ冬休みもスタートだ!

     最後に、妻に読んでみてと言われて直した所見だが、妻はそれをまた直して書いていた。さすが担任!


     「1年の計は元旦にあり」 その元旦まであと少し。改めて担任に戻る決意をしよう!



     写真は、我が家で咲いた“シャコバサボテン”。たしか“ゴールドチャーム”という種類。3年ぐらい前にこの色が珍しくて買った物だ。 今年は、シャコバサボテンがよく育ち、寄せ植えしている鉢もよく咲いた。満足!(2005.12.25)

    謹賀新年

    あけましておめでとうございます

     2005年もあと数時間で終わろうとしている。 5月の末にHPを開設し、約7ヶ月が過ぎた。 はじめは自己満足的なHPだったのが、10月にYAHOOのカテゴリーサイトに登録されてから訪問してくれる人の数も次第に増え、カウンターの数字も2000を超した。
     少しずつ北から風が吹き始めたのだろうか? まだまだ微風だろうが、何かを運びはじめているとしたら、それだけでちょっといい気分だ。 このあたりがまだ自己満足の域を出ないという反省点かもしれない。

     何かと暗い話題が多かった2005年だが、2006年は明るい話題の多い年になることを願っている。
     では、よい年を!(2005.12.31)    

    正月

     あらためまして明けましておめでとうございます。

     2006年の正月を迎えた。 今年は穏やかな正月で、のんびりと過ごすことができた。 両方の実家で食べては飲んで、のんべんだらり、心身共にリラックスできた。 そのおかげで体重はリミットいっぱいまできてしまった。
     ゆっくりスタートした2006年だが、何か新しいことを始めたいと考えている。 幸い初詣のおみくじは「大吉」。 準備は整った? 何を始めるか?blog?株?フライフィッシッング?それとも……まずは熟考!

     久しぶりに学校に行った。 昨日は休みを取っていたので、今日が新年初出勤。 職員室はあまりに寒く、コーヒーカップを持つ手も震えてしまう。 何と室温は14℃。きっと足下は10℃くらいでしょう。 年末年始で冷え切った校舎が暖まるまでには、何日もかかることだろう。 まだ休暇中で休んでいる人が多く、職員室は閑散としている。 この静けさも寒さに追い打ちをかける。
     理科室もやっぱり寒い。メダカの水槽は水温10℃。メダカの表情?も何か涼しげだ。 理科室を片付けている間に職員朝会が終わってしまった!
     ところで、昨年12月の気温は戦後一番の寒さだったらしい。 積雪の記録を塗り替えたところも多く、各地で被害が出ている。 異常気象と言われて久しい。長年のつけが回ってきたものなのか、これからのさらに大きな変動の兆候なのか。 苫小牧でも、12月から結構雪が降り、ここ数年必ず降っていた冬の雨が降らないでしばれついている。 氷都苫小牧にぴったりの景色と言えばそうだが、ツルツル路面には閉口する。 これだけしばれれば、今年のスケートリンクはきっといいものができるだろう。(2006.1.5)

    同期会

     大学を卒業して21年。毎年、夏と冬の2回、同期のメンバーが集まっている。名付けて「二期会」。 今年は4名の仲間が集まった。21年欠かさずに行っているところがすごいところだ。 ×2なので今回が42回目。最近は、みんな忙しいらしくなかなか全員そろわない。 それでも42回続いていることに拍手!
    2期生のプライベートページ(PDF)にジャンプ!
    (パスワードは今回来れなかったMの呼び名)

    ライブドアショック

     世の中いろいろなことがあるもので、時代の寵児と騒がれたホリエモンガ逮捕されて10日程?たった。 最近は一般投資家が増え、株投資の垣根が低くなった感があったが、今回のライブドアショックで株は簡単な利殖ではないことを改めて感じた。 ただ、株式のことをちょっと勉強していくと、株価変動の仕組みが実におもしろい。 様々な要素が絡み合って株価の上昇・下降にが表れる。どこまで上がる?どこまで下がる?なんていうことは、素人には分からない。 推理小説の謎解きや1000ピース級のジグソーパズルを作るのに似ているような気もする。
     仕組みを知るほどおもしろみが出てくる。 「サラリーマンが『株で稼ぐ』一番いい方法」(三笠書房)なる文庫本を読んでみる。 この本を読んだだけでデイトレーダーに簡単になれそうな気がするから不思議だ。  株の仕組みを知ることで、社会の仕組み、経済の法則、投資家の心理が分かるのはいいことだ。
     ライブドアショックをはじめ、マンション耐震偽装問題、米国産牛肉輸入問題など、モラルを問われる社会問題が次から次へと起こるこの国は、いったいどうしちゃったのだろう。 いかにも怪しい人間がもっともらしいことを言っている姿を見ると、子どもたちの問題行動の根っこがここにあるように思えてくる。


    しばらくHPの更新をさぼっていた。写真は1月11日から行ったTDL。ちょっと寒かったが、待ち時間が少なかったのがよかった。 (2006.1.30)

    2段ベット

    ベッドの棚

     昨日、我が家に2段ベットが届きました。子どもたちはウキウキでトラックの到着を待っていました。 到着後、2人の配送の人が手際よく組み立て、15分ほどで完成しました。
     早速子どもたちは、すのこの上に寝転がったり、棚に本を並べたり、まるで新車を購入したときの私のように生き生きと動いていました。 上のベッドはお兄ちゃん、下はチビ助というのはけんかもなく決まりました。そして、今夜から親元を離れて、このベッドで寝ると言います。 上の子はもうすぐ2年生なので、そろそろ1人で寝られるようにと考えていましたが、下の子までとは……(一抹の寂しさを感じました)
     いざ夜になり、私の「寝るぞ」という声で、2人とも階段を駆け上がりベッドに潜り込みました。 下の子は私と一緒で、上の子は1人です。電気を消すと星空が広がります。(子ども部屋の天井の壁紙は蓄光性のもので明かりが消えるとなかなか楽しい) 2人の子どもともゴソゴソと落ち着かないようで、やたらとベットがきしむ音が部屋に響きます。 その内、下の子は「トイレに行きたい」と言って、下の階に降りていきました。やっぱりと思いつつ私は、上の子のベッドに移動です。 少し話をしている内に上の子は寝てしまいました。下の子は、新しいベッドでは寝られず、私と妻の間で今まで通りの寝息を立てることになりました。
     午前4時過ぎ、上の子が目を覚まし、私の横に潜り込みました。これで昨日までと同じになりました。
     二人の息子のぬくもりに挟まれて私もちょっと安心したような、うれしい気分です。子どもたちは、ちょっとだけ冒険した気分のようで、今夜また冒険の続きが始まります。 今夜は、2人一緒に下の段で寝ると言っています。明日の朝目覚めたときに、2人の子がどこにいるか楽しみです。(2006.3.6)

    卒業式

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     今年も卒業生が巣立っていった。101人という犬っころのような人数で、人なつっこいところが、また共通するかもしれない。 社会では、一時期非行の低年齢化が叫ばれたことがあったが、この子どもたちには非行は無縁といってよいかもしれない。 よい子たちといえるが、まだ、悪いことをするところまで成長していないのかもしれない。 おかしな言い方になるが、悪いことをするためにも成長は必要である。精神的にある程度成長してこないと、悪いこともできないともいえる。
     中学生ぐらいの子どもを持つ親の中には、子どもの反抗期が遅れていると感じたり、うちの子はあんまり反抗しないなと感じている親もいることだろう。 最近、子どもたちの成長が遅れていると感じることが多くなった。確かにある面では、大人顔負けの知識を持っていたり、ませた考えをしたりする。 でも、自分が置かれている状況を判断する力や問題を解決していく能力といった、「自立」につながる力の成長が遅れている。
     中学校の3年間で、いびつな成長をしてきた子どもたちの角が取れ、溝が埋まり、また一歩大人に近づいて行くのだろう。 その成長を願い、心配している教師たちがいることを子どもたちは気づかないんだろうな・・・・・・まあ、いいか・・・・・・1人や2人は分かるだろう・・・・・・
     なんかぼやきになってしまった。年か?(2006.3.22)