「小樽詩話会39周年号」の合評会に参加した。年一回の札幌例会は、基本的には札幌の会員のための合評会といわれるが、小樽からも世話人の下田修一氏をはじめ司会の萩原貢氏、また遠方の岩内からも仁木寿氏など今回は総勢約20名。 またゲストとして谷崎眞澄氏も参加。この人の評は少々辛口でユニークで適切。 作品としては川畑和嗣氏の「胸中の谷川」がよかった。(ご本人は合評をパス) わたしも作品「刻みつづける事たちへ」を掲載。けっこういわれたなあ。多かったのが「分からない」その、何が分からないかが、分からないとシヨウモない。合評会は伝えたいことが伝わっているかの効果測定の場所と思っている。単なる好き嫌いは測定とは言わない。 左から2人目萩原貢氏、右から3人目下田修一氏 さて、視点の位置から、主人公が誰なのか、母さんとは誰の母か。写真の赤ん坊とは、自分の子なのか、母の孫なのか。そもそも作者はどこにいるのかが分からない。論理的に読み解こうとするなら、第一行目の「何十回の前には」とは時間に属す言葉は四行目の「記念日」しかないが、いつかが分からない。技巧でいうなら、タイトルの「刻む」と文中の「刻印」。刻印はキザむものだけではないだろう。また、工具が槌なら、ほつれという言葉には違和感がある。構成上は、アルバムがあって、机上に写真があって、その部屋にいるようだ・・・が、分かりづらい。 確かに前提のところでこれだけ分かれると”この詩で言いたいことがこの表現形態でよいか”まで行き着けない気もある。 総評的に・作者は幸せなんじゃないか、でもこれは次の詩集に載せてはいけない(谷崎談)。いや、ちょっと修正して載せなさい(萩原談)。他に、朗読が綺麗に聞こえたのでよかった、が一票・・・・という具合である。まあ、次の詩集では掲載するかしないかの、どちらかにしよう。 「刻みつづける事たちへ」は”詩のページ”に作品20として掲載。ちなみに姉妹版「刻みつづける人たちへ」は次号『饗宴』に掲載予定。 世話人、下田氏は「夢ぶんの1」店主。現在マイカル小樽5番街1Fにて『北海道ロケ映画ポスター展』開催中、3/16まで。 http://www5d.biglobe.ne.jp/~yumebun/index.htm |
北海道詩人協会主催の第26回「詩人の広場」が開催された。会場は”かでる2・7”で札幌駅から近い。会場はどちらかといえば会議室の雰囲気でしたが・・・。まずは2002年版「北海道詩集」NO.49を6グループに分けての合評。わたしのグループは須田抄二、金澤伊代、福岡竜二、安英晶、渡会やよひ、大原登志男の各氏。時間の都合で作品全部の合評ができなかったのは残念でした。 次いで自作詩朗読と一分間スピーチ。古室泰輝氏と私が司会。久し振りに会う顔も多く、そういう場であることを実感。今回は参加希望者全員の声を聞くことができたのは嬉しい限り。 「北海道詩集」須田抄二 編集委員長 朗読のトップは嘉藤師穂子氏。ゆるやかさがいい。奪い奪われていく、ほしいものにドキドキしていける。それを感じさせるというのはすごいこと。 笹原美穂子氏は「北前船」のりりしさ、太い腕。”えいやそれ”の掛け声がセピア色の海にとじていく様をえがく。 櫻井良子氏は、鏡の話。拡大される毛穴に潜む髭の話。三倍鏡でみる自画像。内容を考えると結構えぐい気もするのに、惚れ惚れと聞き耳立ててしまう。面白くさせられている? さて、伊東廉氏の一分間スピーチ。今回は空間のお話です。正面は理性、横は情緒、上は神秘の空間と言われる。だから子供を頭ごなしに怒るのではなく、目の高さにならびなさい。理知的すぎる詩を書く人は夫婦喧嘩を思いだし、横に並ぶようにしたらどうかと。ちなみに後ろは恐怖の空間とか・・・。 渡会やよひ氏の「変容記」はその後ろの空間だろうか。うつろいと凍てつく我らの遅い歩み。恐怖まであと一歩というような、吹きさらしのベンチでの声。呟く喋りが朗読のなかで、最も印象深くあった。 |
入ると真っ先に「雪の上の影」(舟越桂)がある。タイトルからすると、二人目は影なのか?一本の丸太をベースにした抱きしめるようにみえる樹皮部分がおもしろそうだ。「神の舌」(砂澤ビッキ)はお笑いネタ、ユーモラスである。まあ、好きな人が好きならどうぞって感じだね。どちらも素材をよく活かしているということはわかるけどなあ。 そのほかにも木のデカ物も展示されていたが、たいして興味がなかった。わたし、彫像は触れないと意味ないんだよなあ。 唯一そのなかで「水鏡」(小林止良於)がいい。横から見ないとなんだろうと思うが。二羽が河を覗き込む形でシンプル。 カンバスの造形では「原野」(菊地又男)がいい。56*47と少々小振りだが、青の腐蝕がめくりあがらせる捩れを作りだし、なにもない原野の不毛を透き通るように地色を染み出させている。「雪国」も布を破いては糊で貼りつけ、汚れを残すフレームの中央部が白い雪か。 芸術の森美術館 と き:03.3.30(日)まで 9:45〜17:00 ところ:芸術の森美術館 札幌市南区芸術の森2丁目75 観覧料:一般300円 高大生150円 小中生60円 http://www.artpark.or.jp |
美術館の新規収蔵作品から北海道ゆかりの画家と風雪の景色を展示。 告知ちらしを見る限り彫像が中心かと思ったが、油絵ばかりだが絵画もかなりあった。 冬の風景というと雪に埋もれる家並みを描きたがるものだが、しかしわたしは時代の壁を感じて嫌いだ。 そのなかで「February」(谷口一芳)は145.5*162.0のキャンバスに6羽のふくろうが立つ。まるで雪を被るトーテムポールのように屹立する。冬に立ち向かう木々のように背を伸ばす姿が美しい。 「冬眠の時間」(小谷博貞)は完全な都市の落ち込んだ、または覗き見るビルの谷間の劇場という風情の抽象。黒のベースに生き物の茶色。緑の絶縁するラインが目に付く。 「二月の室内」(八木伸子)は窓の外はもちろんのこと室内でもカーテン、花瓶、机に壁まで全て白い。そのくせ冷たさを感じない。隣には同じ八木の「冬」がある。同系統の白い色調なのにこちらは、寒々としている。この差は構図のせいだろう。「冬」には雪と無機物。しかし「二月の室内」には生気の失せかけた花と黒猫による重い生命の痕跡がある。窓が守ろうとする、色のない冬の世界が渇望する鮮やかさの最初がある。 告知カタログより「二月の室内」 |
スタッカットのきいた独特の節回しが増谷氏の持ち味。 1月のボッセの会での朗読。防波堤が堰きとめる波、その背後へと回りこむ感触。そこへと呼びこまれて感じる風、ざわめくのは水。砂浜に放り出された約束がヒタヒタヒタと光る。ヒタヒタヒタと砂を食べるのは羊。途切れる生命への柔らかな予兆。 増谷氏の作品を聞いていると、声が声としてあるのは意味性だけではない。もうひとつあるのだろう、例えば表音文字には、音楽がかくれているように。読経のような言葉のリズムは、どこから物語が始まろうとも構わないような・・・。 そんな印象をうけるのです。 増谷佳子氏 増谷氏は、高野敏江、福島瑞穂の両氏とともに、四行詩でタイトルを決めながらの短詩誌「Tea Time」を発行している。 なお、紹介の内容や、写真の掲載などにつきプライバシーの不快を感じられた場合などは、お手数ですがお申しつけください。 |
饗宴冬季詩話会にて新詩集『リラの花咲く樹の下で』(1月10日上梓)掲載作品からの朗読。特徴的な谷崎氏の言葉遣いに「・・・である」「・・・なのだ」という言い回しがある。言い聞かせるような、その言葉が持つ妙に納得がいく感触。場合によっては断定の、拒絶にも聞こえかねないものも、問い質された良識という基本から始まるなら、かまわない気になる。 例えば別の会で某詩集の感想を述べられたときのことだが、「祝賀会である以上、褒めなくてはいけないのでしょうが・・・」とくる。大笑いできる素直な人もいる。また、評するという行為の”正しさ”に共感するものもいる。 谷崎氏は続ける。「この人は論理性を重視するタイプであり、しかし、詩集のあちらこちらに綻びもあり・・・それは大詩人といわれた人たちにもあったことですが、また同時に繕う手法もある・・・」問題は単純化できる。一旦は躊躇しても向き合えばいいという提起と捕えることも。 そして「自分の詩集は自分では見つけることができないのです」と言う。我々は何に対して書くのかということ、その詩に如何なる責任をとるのかを突きつける。表現に避けることのできないもの、刻むものの重さを。 谷崎眞澄氏(手前) |
ボッセの会の新年会。山下氏はスピーチで、当日のこしばきこう氏の散文と原子修氏の朗読を比較してみせた。 こしば氏は以前書いた散文から、寺山修司の場所にこだわる思いがどこからきたのか、ということについて述べていた。 青森へ向かう列車の中で産まれたと母から聞かされて育った寺山は、走行する列車という一箇所に留まらない、非在に魅了されたのだと。汽車に乗るとは遠くへ行くこと、独りで行くこと。さらに列車に乗るには母という子宮が必要であった。その死をも越えて、生から死への走る列車。 それに対し原子氏は”樹木”のテーマで朗読する。増殖する樹木、夏にこぼれる樹液、わたしという一本の樹が立ち尽くす。あまりに激しい生命の葉がゆれる。 山下秀子氏 二人の生命への捕らえ方について、短く言葉を吐く。一方は走り続け、他方はがっちりと大地に足を生やすというこの対称性を。 わたしはあまりこのような作品の比較ということを考えつかない。走り続けるということを当然として、声を出すときに立ち止まるのだ、と。深く改めて考える契機を提出してくる。 |
こしばきこう氏の「アトリエ阿呆船」で、ステージのライトを浴びながら、今年最初の恒例会が開かれた。音響と照明設備が整っているアトリエでのやや緊張した、詩の朗読会である。 作品の朗読には、浅田隆、大原登志男、増谷佳子、入谷寿一、嘉藤師穂子、こしばきこう、原子修の各氏が参加。わたし村田譲は作品「行かなくちゃ」を朗読した。 ところで通常は舞踏などの稽古場であるが、そこに酒盛りの会場用テーブルを持ちこみ、また参加者も多かったためにステージが狭かった。しかし音響の担当がいてくれると、素晴らしく安心して朗読できる。さらに音響を担当してくれた「風蝕異人街」の黒政和慈氏が、逆に狭さを利用し横にある扉から出てきて即興で演じる。そこではマッチという照明を使ってきた。マッチの火が持っている広がりの特性を忘れていた気がする。狭くないと使えないね、これは。 その後は新年会。スピーチのときに急遽本庄英雄氏が自作詩を朗読と賑やかな会となった。また大貫喜也詩集の道新文学賞受賞のお祝いも同時に行われた。石井真弓氏が詩集タイトルの「黄砂蘇生」を刷毛などを使って書道のパフォーマンスを披露、花を添えた。 朗読 原子修氏 ボッセの会(主催:原子修 事務局:浅田隆)は毎月第2土曜日午後2時から。来月から会場は白石区南郷18丁目北1-7 パラシュートビル(札幌凸版印刷)4F会議室 (TEL.011-865-8180)になります。 地下鉄東西線南郷18丁目駅下車・2番出口より徒歩3分。 また、7月12日(土)には再度「アトリエ阿呆船」にて同様の朗読・勉強会が開催の予定。 |
饗宴の発行人である瀬戸正明氏が講師を担当。今回取り上げたのは多田智満子氏。わたしにとってはマルグリッド・ユルスナール『ピラネージの黒い脳髄』『東方綺譚』『ハドリアヌス帝の回想』などの訳者であり、詩を読んだことはなかった。 詩作品「フーガの技法」これはバッハの遺作とされるフーガのこと。「ドン・ジョヴァンニのレシタティヴォ」については意味性よりも言葉の美しさに引かれるとの瀬戸氏の評。いずれも詩集『花火』'56)に掲載。 詩集『季霊』'83)では日本語には珍しく脚韻を踏んだ作品があると紹介されたが、成功しているとは思えなかった。表意文字と表音文字の差はもっとおおきいと思うのだが。 多田氏の詩集は10冊ほどでている。また詩論などもこなしているとのことである。 新妻博氏 谷内田ゆかり氏 瀬戸正明氏 さて詩話会第二部。昨年6月に上梓された新妻博詩集『パピルスの羽根』のなかから谷内田ゆかり氏が作品「ホイリゲ」「草庵」を音楽的でここちよいと、朗読した。谷内田氏はぜんぜん意味が解らなくても好きだと思える作品が一番大切だと最後に「共犯」を朗読。 次いでわたし、村田譲詩集『海からの背骨』(02.10)について、嘉藤師穂子氏が詩誌「饗宴」34号の詩論で取り上げてくれた。その抜粋”詩は真実を語りたいのではなく(中略)言葉以上の言葉の表現領域のどこに自分の磁場を成立させることができるかが生命なのだ”として作品「窓」に言及していく展開が、わたしには新鮮なものであった。 また、詩話会に参加してくださった谷崎眞澄氏の詩集『リラの花咲く樹の下で』が1月10日に上梓との発表があり、ご自身により作品「卵 このあるかなきかの」が朗読された。 |
新年早々でイベントがないので昨年の印象に残った忘年会、小樽詩話会でのヒトコマ。小樽平安閣のラ・フィーユで開催されたものを。 この忘年会のメインは出席者全員による3分間スピーチである。テーマが決められていてその場で発表される。今回のお題は”この年上がったもの、下がったもの”。まず”上がったもの”は年齢、ヘルスメーターの数値、JRの上り線で来たという方、歌を歌います・上がり目下がり目・・・。”下がったもの”こずかい、練習の回数、わたしの評判、まず自宅の階段を降りて、油圧系ポンプが・・・etc。 特別表彰式・受賞者 木田澄子氏 おかしかったのが世話人たちが独断と偏見で決める「特別表彰式」である。表彰されたのは函館の木田澄子氏。表彰理由「家族の評判を下げてまで、遠隔地から小樽までよく何回も来ている。また常に難解な校正者泣かせ(?)の作品を送ってきた。この一年の暴挙を称えて」とのことであった。(うれしい?ワッハッハ) さて朗読タイム、もちろん私も参加した。しかしアルコールはおさえていたものの、3分間スピーチといっても30名以上のことで実に1時間以上かかるから、それなりに飲むことになり声のセーブはむつかしい。開放しすぎの気がするのだ。 また、詩の歌のコーナーでは小野聡氏のギターの弾き語りもあるが、セッションの方が私の好みかな。というかこの場合アルコールで開放されているので、騒ぎたくなるだけだ・・・が。 朗読 嘉藤師穂子氏 で、閉会の乾杯の後にセリ市がある。知らなかったのだが、この日は何か一品持ち寄ってセリにかける。お金は小樽詩話会の会計にまわる。当日のセリの担当は小田節子氏。「そんなに高く買っていいんですか」と勝手にオマケはつけるし、セリ落とした値段より高くしたり、自分もほしいとか、ウームとワハハの連続で快調に進撃。まさに多人数の参加ならではの催し物。 小樽詩話会には主催者のシステムがなく、近いものが世話人という。新年度は下田修一氏になる。 |
2002年11月に日本詩人クラブ札幌イベント開催。第二部の自作詩朗読の紹介。 声量のあるのは、熊谷ユリヤ氏。「水の声」を響かせる。声の調子をいろいろと変化させて使い分けていく。朗読で難しいのは声のセーブの方なのだ。どこから続くのか、地球からの手触りを乗せてはしる。 振矢江里氏は北海道は瀬棚からの参加。「ふるえ」る宇宙の波動から。夢は夢でありながら、臨床する医学者の親指の震えを感じるとき、古い哲学の言葉を思い出す。わたしのこの手は、指は、誰のものなのか、と。 オンライン仲間(というらしい)である村山精二氏。村山氏は、日本詩人クラブのシステム関係担当である。HPで多少知ってはいたが、第一印象は、若い・・・であった(わたしよりは上ですが)。道外からのゲストの一人として登壇。作品「ゆうげ」では、サンマを食うのに腐った血のしょうゆをかけてみる。とても渋い声質である。上背があって、どうどうとこうした内容をまっすぐに述べられると、ついこちら側に戸惑いがでる。なんというかニヒルな声とでも。「ごまめのはぎしり」とリンクしてからたぶん、きっとアバウトに1周年である記念のご紹介でもある。 村山精二氏 北岡淳子氏は「ほほえみ」というつくりをモチーフにする。みえない目の急流のカタチ、静けさの声、しずく。痛みのあえぎが、ザクロの実であるかの無数につらなる、様。それが可能であるのは、なんとも透き通るような北岡氏の声であろうか。確かに朗読はひたすら大きな声であることが、必要事項ではない。小首をかしげるようにこぼれおちる言葉がある。 北岡淳子氏 いや、当日わたしは司会であったのだ。そこではどうしても、充分にメモも写真も取りきれない。司会なんかするもんじゃない、かな。 |
恵庭市民文藝の岩渕芳晴氏の書道展が、恵庭市恵み野の「ふれあい工房」で開催された。岩渕氏の書、全道書道展最優秀賞、毎日書道展優秀賞作品など多数が展示された。 12月7日(土)には、その会場にて尺八の演奏(都山流尺八楽会師範・澤井香氏)と村田譲の自作詩朗読が行われた。わたしの朗読作品は「雷鳴」「CITY--エスカレータ」のふたつ。 その後、尺八とのセッションも試みることとなった。 一カ月くらい前に、たまたま澤井氏が尺八を吹いているのを聞く機会があり「そのうち一度やってみたいですね」と言ったのがきっかけであるが、この短期間でやることになるとは思わなかった。 書道展での演奏を聴いていて”風の音”をイメージしたので作品「青の楽隊」でお願いした。いきなりその場での即興というと聞こえはいいが、つらい。しかしさすがに師範の腕前、合わせて頂いた。 しかし、どうも一般には、セッションということが、あまり理解されていないようだ。 音楽をBGMとして使うのではなく、音楽相手とのコミニュケーションであると思うのだ。もっとも、わたしがその境地に達しているとは全然思えないので、けっこう前打ち合わせに時間をかけるようにしている。そして朗読の側にも”声”という楽器がある。楽器のあうかあわぬかは、けっこうむつかしい。 出会いは確かに待ってはくれないので、その場でガンバルしかないのだ、が。 |
1999年に恵庭市のカリンバ3遺跡で、多数の漆を用いた髪飾りや腕輪などが見つかった。そのうちの代表的なものの移動展が開催中。 14日には会場である北海道立文学館で記念講演も開催。講師は札幌大学教授の木村英明氏で、カリンバ遺跡発掘の整備委員長でもある。 木村氏の講演によると出土品は約3000年前の縄文時代後期のもので、カリンバ3遺跡の漆製品は128点とかなり多く、櫛が最も多い53点、腕輪33点である。いままで発掘された漆製品の4割近くは櫛であるとのこと。ところで漆製作の技術は中国由来と思いがちだが、日本起源の可能性が高いとの考古学調査がでているようだ。 漆塗りの櫛と装飾図 またこれほどカリンバ3での出土があったことで、恵庭が漆製品の生産中心地であった可能性も出てきている。 というのも漆液を乾燥させずに持ってくるのが、技術的にむつかしいことがある。本州からでは遠すぎる。となると道内で作っていたのではないか、小樽の忍路では土器に入った漆液が出土している。また網走の天都山にある漆林は、幕末に移植したという記録があり、寒さという気候は漆林に邪魔になることはないようだ。まだ当時ここらに、漆林があったとの確固たる証拠はないものの、縄文時代の産業という話にもなるのだ。 「魏志倭人伝」によると、女性はヘアバンドにアクセサリーを縫いつけて着飾っていたようだ。しかし漆といっても顔料の調合により、紅・ピンク・オレンジ、さらには黒色まであるから驚く。 こうした漆を用いた装飾品は、特権階級の占有品であったと思われている。権力の象徴としての”おしゃれ”は実に、603年の冠位十ニ階にもあり、身分による服装と色が法により決定。これによって逆にイヤリングなどのアクセサリーは失われていった、とのことであった。 と き:2002.12.10〜200212.23(12/16休館) ところ:北海道立文学館 入場料:無料 |
第二回目となる今回の日本詩人クラブ札幌イベントは二部の構成である。第一部はシンポジューム。次いで第二部が自作詩の朗読である。 まずは道内勢のトップを切って綾部清隆氏の登壇。もともと綾部氏は低い音が魅力の声質かと思う。 今回の朗読作品は母親をモチーフにしたものであった。いつもながら実に朗とした口調で始まる。母性をゆるゆるとした透明の上にのせる。あるいは海を感じさせながら。あるいは闇に向いたものの足取りを訪ねる。 不安定さであろうとも感じる微妙な揺れがあり、たしかに幽かにある。が、まろやかに、広がりによって包み込んでいくあたりが作品と声との調和である。 綾部清隆氏 綾部氏は現在、北海道詩人協会の事務局を運営され、ご多忙のなか、小樽の朗読会ではわたしもご一緒したり、「古事記」の語り部などを試みたりと手広い守備範囲をお持ちである。 |
日本詩人クラブ札幌イベントが、北海道立文学館にて開催された。 シンポジュウムのタイトルは「詩と文明」。パネラーに石原武、中村不二夫、原子修、若宮明彦の各氏。 まず石原氏より、現代の象徴ともいうべきアメリカ社会が基本とするソーシャル・ダーウィニズム、強者の論理が紹介される。そこで使われている”自由”の名前の意味するところ。売買される個性というパッケージ。 原子氏よりは、文明とは、裸足で歩く大地との触れ合い。靴、靴下、車といった両者の間に介在する遊離のことを説く。それは2700年を経て甦るヘシオドスの言葉ではないか、と。 若宮氏もまた、弱者の死を認める優生学への疑問の提起をする。弱者と認定する基準が行うデータ操作、すなわち隠蔽と改竄。一極支配でしかつくりえない右上がりの発想。これらの各氏の意見に進行担当の中村氏がメスを入れる。 日本の閉塞性を無視しすぎではないか、技量と個は別の要素、パッケージではなく個の必要性、ローカルとグローバルの関係。さらに東洋の持つ円環の思想へと話は広がる。 若宮明彦 原子修 石原武 中村不二夫の各氏 いや、サミュエル・ハンチントン「文明の衝突」から、ヘシオドス「仕事と日々」までをひとまわりする足音に驚く。 わたしが最近読んだ「日経サイエンス」2002.12月号(72p)に、イスラム系イギリス人作家・評論家のサーダーの言葉が紹介されている。時が経つにつれて生活が向上するという期待感を広めることで、西洋は時間を「植民地化」し、未来も「植民地化」している。しかし文化が異なるのなら、異なった未来も望める、と。 その後自作詩の朗読に移った。道内から綾部清隆、尾形俊雄、熊谷ユリヤ、佐藤孝、佐藤道子、高野敏江、藤川日出尚、振矢江里の各氏が。道外からは北岡淳子、原田道子、村山精二、田中真由美の各氏が参加した。 昨年わたしは朗読したので、今回は司会であった。当初にマイクトラブル。で、押せ押せの状態。のんびりしてんじゃーねーぞッ!・・・って。ああ、未来が買い取られている、かな? |
彫金クラフター森れい氏は、彫金のなかでも銀が好きとのこと。 地球からの贈り物としての鉱物を、人間の力で引き剥がしていると感じそのものへの、命の吹き込みなのだという。30年前には足でふいごを踏み、片手にバーナー、もう一方にピンセット。 銀も純粋ならば熱を加えると球になり、不純物が混じっていると四散する。それでも石を選ぶ時などは、輝石よりも半端物の半輝石を使うという、中央の宝石を喜ぶのは人の勝手だが埋もれている形に強い愛着を感じる、と。 小樽での―銀の手しごと―「詩の朗読とサックスの夕べ」では、朗読は二編。 うち一編「銀の手しごと」ではまさに、生きる意味を自身の彫金の制作過程にかけてうたいあげる。銀の感触のなかに、磨き上げる丹念さのなかで、それはナイフに似てくると。 内面から吹き上げるような、ともいえるローな強さは、まさに炎ともいうべきベースであり、一見、平明に持ち上げてくる独特な質感。それは彫金師の炎を叩き上げる錬金術そのものを感じる声質だ。 森氏による彫金 |
ところでなんで、開成高校40年で谷川俊太郎展なのかと思っていたのですが「山あり 空あり 大地あり」で始まる開成高校の校歌の作詞者なのです。 実はわたしも開成高校に入学しました。(もっとも1年で父の転勤に従い室蘭に移ったのですが・・・) 開成はいまでこそ住宅区の真中みたいな顔をしていますが、わたしの入学当時なんぞは、たまねぎ畑のど真中でありました。 さて、谷川俊太郎展ですが入ると目の前に「かっぱ」の額縁があります。こどもたちに人気が高い理由なのでしょう。5年ほど前になりますか、穂別町でのイベントでは小学生で大賑わいだったのを覚えています。 リーフレットによると(わたしは気付かなかった)氏の絵本などを自由に手に取れるコーナーがあるようですから、こどもと行くのもよいかもね。 一般販売物の詩集関係よりも、谷川氏作詞の校歌がたくさん掲示されていた。これは書店では手に入らないと思うので、できれば一冊にまとめてほしい気もした。 特別展示室 谷川俊太郎展 12月1日(日)まで 北海道立文学館(札幌市中央区中島公園1−4 TEL.011-511-7655) 朗読パフォーマンスも予定されている 日 時:11月22日(金)午後2時より 会 場:地階ロビー 定 員:80名 <聴講無料> 申込みの受付はありませんが会場が手狭なため満席の場合は入場できないこともあります、とのこと。 http://www5.ocn.ne.jp/~hbungaku/main.html |
結婚披露宴のパンフレットに載せる詩「つながり」を書き上げた。 今まで寿ぎの詩は書いたことがなく初めて。さて、 書くと決めはしたが、そも”結婚”は誰のためにあるのだろう。日本で最も古い結婚は「古事記」のイザナキの神・イザナミの神の事実婚の話であろう。ここで二人は柱を左右から回り出会うことをする。これもひとつの「式」ではあろうか。 しかしここで女神が先に声を出すことを男神が許さず、再度やり直すことになる。男尊女卑の萌芽でもあるのかなと思う。つまり、善し悪しは別にして、秩序が顔を出す。中世ヨーロッパの祝婚のうたでも書かれているのは、処女の心得や、神の結びつけた言葉のことである気がした。(私の読んだ数冊の範疇ですが) 古代や中世では欲情の話はあっても、独立した二人でつらなる愛という視点は、個人という観点がないため、無理なようだ。一昔前の日本で言えば”家の”結婚のうたになる。 では今なにを寿ぐか、と考えたのだが、やはりそれは「継承」ということでしか思いつかない。親から授かり、子へと受け渡すことと、それを何故仲間が取り囲むのかの問いから発せられるべき課題であろうから。 披露宴のパンフレット ところで、その場で朗読もしたが、どうもこれは大敗を喫したようだ。事前のマイクテストをしていないぶっつけ本番。声がくぐもっていたとのこと。スピーカーの位置がステージに向いていないのと、披露宴のざわめきで自分の声がわからない。はじめての場所では、やはりリハーサルが必要だ。 作品「つながり」は”詩のページ”にNO.14として掲載。 |
小田節子氏は、―銀の手しごと―の「詩の朗読とサックスの夕べ」のおり、自作詩ではなく「小樽詩話会」ハンディ版308号に掲載されている二作品を朗読した。 ひとつは、あとりゑ・クレールの高橋明子氏の作品「宇宙ステーション」で、以前に北海道立文学館で行われた高橋氏の朗読が素敵であったので、とのこと。 確かに”・・・があったな、・・・もあったな”というこの作品のリフレイン、語りかけの口調は、聞くものをなごませる。 もうひとつは、小田氏自身が最近気が付いたことに、発音する「し」と「ひ」の区別が出来ていないことを知人に指摘されたとのこと。で、竹内俊一氏「西洋骨牌(トランプ)遊び」が、発音識別遊びの作品でもあるので、チャレンジしたとのこと。否、こちらの朗読はとても必死であるとみえて、わたしなどは意地が悪いのでおもしろがっても、聞いていた。 しかし、姿勢が響くこと、これこそが最大の朗読であろうと思う。いくつになろうとも挑戦することは、恰好いいことです。 小田節子氏 |
恵庭PBパークセンターで、伊達市教育委員会より大島直行氏を迎え縄文文化についての講演会が開催された。 日本の民族はおおきくアイヌ人、琉球人、本土和人に分けられる。この日本全体を覆う文化の基盤は縄文文化であり、B.C.12000から約1万年続く。(そのなかで本土和人が、農耕という自然に傷をつけていく技術文化を取り入れ、弥生文化へと移行したものと考えられる。) 狩猟採取社会の縄文文化とは、自然からの恵みを受け自然と調和していくことにある。つまり技術的な革新はなく、生産性の向上も、社会的な拡大もなかったし、求めなかった。では、求めないことは貧しいことなのか? 文化人類学が、現代の狩猟採取民のアボリジニ、サン族(ブッシュマン)などを調査(1960年代)したところ、1日の平均摂取エネルギーは2130〜2160Kcal(食材数300種)である。日本人は2092Kcal(食材数250種)だから、たいした差がない。つまり食料に関していえば、貧しいという生活ではない。 また彼らの1日の労働時間は平均すると、約3.41時間(道具の制作まで含む)で、残る時間は祈りに費やされる。積極的には自然に働きかけないから、恵みに対して、畏敬の念を抱く。 この形態は現代に伝わるアイヌ人の「物送り」という儀式にも現われているという。この世界で死んだものはあの世へ行き、あの世で死んだものはこの世へと戻るという円環の思想である。つまり貝塚はゴミ捨て場などではなく「送り場」である。だからこそ貝塚には人骨も埋まっているのだ、と。 つまり縄文文化の本質は、精神性の拡大の文化といえる。 それに対して”物に囲まれていないから貧困だ”と発想する我々は技術に溺れているのだ、といった内容で、かなりおもしろいものであった。 次回演題「縄文人はものの”かたち”をどのように決めたか」 11月2日(土)14:00より17:00、恵庭PBパークセンターで同講師を招き開催予定。主催;カリンバの会 |
銀の手しごと――詩の朗読とサックスの夕べでのこと。サックスを組み立てている間に、見ているだけは暇でしょうといって、白鳥氏は楽器の歴史などを語りだす。サックスの構造はマウスピースにある竹の振動がもとになっていることなど身振り手振りで話してくれた。 その後ソロの演奏となるが、聞くに付けてサックス(ジャズということです)は戦う言葉のような楽器だと思うのね。 白鳥修一氏 以前アメリカ詩のことを少し読んだのだけど、アフリカから連れて来られた黒人は、教育を受けることを許されておらず、文字を覚えることも出来なかった。運良く文字を覚えることが出来たものたちは、白人の栄光を書くこと以外は禁止されていた。 では文字を知らなければ何もできないのか、と言えばそうではない。喋ることをするのですよ。書くよりも、まず喋ることから会話が成り立つと言われる所以である。自分たちの叫びを楽器に、歌声にのせる。文字を知らない者たちの、自分たちの歌は(そのあたりのクラッシック用の楽器を使ったのであろうと推測するが)強く、洒脱で、高らかに掲げる。ジャズというのはそうした叫びの系譜であろうと思うのだよ。 とにかくサックスは、単独の独演会向きとはあまり思えなかったなあ。まあ、白鳥氏も似たようなこと言ってたが。実は氏とは、第五回の吟遊詩人大賞コンテストで一緒に作品「濁流の声」をうたい優秀賞を頂戴したことがある。(今回の詩集「海からの背骨」にも掲載してます) いやぁ、時間の割り振りが分かっていたなら、詩で参戦したかったですよ。しかし軽快な感じを忘れずに語る白鳥氏もまた、戦う、ジャズなのだろうなぁ。 |
「花」ドリス・バイスロヴァ 1932.5.17生---1944.10.4アウシュヴィッツ。「ブランデイズ夫人へ」エリカ・タウシゴヴャ 1934.10.28生---1944.10.16アウシュヴィッツ。不要な書類、使用済みの図面。捨て残された紙切れの裏に子どもたちの絵。 その横のしろい壁には無音のビデオ、人間を貨物に詰めている。 ナチスはテレジンに「快適なユダヤ人居住区」を用意。そこではユダヤ人は自治管理を命じられ、それはしかし宣伝用の要塞都市であり、ユダヤ人同志の疑心暗鬼を起させるために死の収容所への移送リストをも彼らに作成させていた。 故に「地獄の控え室」と呼ばれたこのテレジンに、バウハウス出身のフリードル・ディッカー・ブランデイズは強制移送させられた。1942年の彼女の名前は548番。名前さえ奪うここで、絵を描くことを子どもに教え始める。 1936-37年に描いた「フランチスコビー通りからの窓から見た眺め」では、自由のない世界を、あえて目の前の手摺を描き入れることで表した。しかしテレジンでは現実の地獄のような世界を描かずに、幼いものたちへ、希望と夢を描く。 事実を述べるということは、本人にとっての真実である。だが事実であるというだけでは、足りない表現がある。なにを伝えるのか、継承すべきものを継承するということ。不幸という言葉以上のものが存在する。生きる意味を描き出す。 「子どもの顔」 FRIEDL カタログp62より 見ての通りなのよ、我が子よ、あなたの生まれてきた世界というのは・・・この世界が嫌だと思うなら、それはあなたが変えなくてはならないの。 (1933年フリードルのプロパガンダ・ポスターの言葉) 芸術の森美術館にて 10/20まで (札幌市南区芸術の森2丁目75番地) http://www.artpark.or.jp |