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門別競馬場 第27回山猫座朗読らいぶ 第7回吉田一穂研究会 饗宴春の詩話会 |
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500M美術館オープニング記念展 第26回山猫座朗読らいぶ 小樽詩話会札幌例会 3.11に捧げる朗読と映像 第7回ヒアラタ朗読ライブ |

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全然、競馬に興味がないのに、門別競馬場の競馬観戦に行くことになった。門別競馬場は地方競馬の中でも最大規模を誇っているとのこと。またレースは全てナイターでの開催らしい。 当日はあいにくの雨模様ではあったが、ライトを浴びて馬場を駆ける姿も、それなりに面白い。三年前に、メインスタンドに併設する形で「ポラリスドーム」が完成。半屋外で雨を防ぎ、風を感じられるのはいいかもしれない。 ![]() この二棟、繋がってはいないが、表にはテント屋台が並び、予約するならジンギスカンコーナーも使えるとのこと。半身サイズのトリの唐揚とか、それなりに食べるものも豊富だが、当然のように競馬ファンが多く、席にチラシとか置いていくものだから、結局立ち食いしている人が多かった。 しろっぷ・という芸人が、ホッカイドウ競馬応援大使とかで、嫁が喜んでいた。 ![]() |

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第27回の春、テーマは「時代小説」でした。 最初の朗読者は、島田直樹氏で中島敦作「山月記」。あまりに有名でもあるが、結構内容を忘れていたりする。才人である李微(りちょう)は筆で身を立てようとするものの、売れもしなかった。そのため再度官職に就くものの下級であり、同輩に対しての悔しさのあまり発狂し行方不明となる。その後、傲慢なる自尊心により虎の姿となり、怨嗟の雄叫びを上げるという、かなり我侭な話だ。であって李微の目指していたものが詩作であると改めて知り、ううむと思ったりする。しかし島田氏は明るい格調のある声だ。 次いで山内紀子氏が藤澤周平作の「飛鳥山」を朗読された。子どもを産めないから別れなくてはならない女の気持ちというものは、男にどこまで分かるか、なかなかに難しい。花見客でごったがえすなか2〜3才の幼女がいる。それは産むことのなかった自分の子ども。その子が「おかあちゃん」と呼ぶから手を引いて帰るのだ。さてどこまで分かっていいものか、とは思うが。 ![]() 第27回 司会と出演者 今村日出男氏の朗読作品は吉橋通夫作の「筆」。幕末の京都での職人の徒弟の話だ。捨て子で、拾われた家に実子ができると邪険にされて奉公に出される。その間に育った家も町も消えてなくなるわけだが、力あるものがこれからは生きるのだという、その意味では時代の言葉。ちなみに今村氏は「恵庭男声読み聞かせ隊 with Ms」に所属。最近その朗読への貢献により、子どもの読書活動優秀実践団体として文部科学大臣表彰を受けた。 最後を締めくくったのは宮野入恵美子氏で、作品は森鴎外「じいさんばあさん」。こちらは江戸時代の夫婦の話。それなりの年齢になってから二人は結婚するのだが、わりとすぐに夫は癇癪もちの性格のため、侮辱に耐えられず金を借りた相手を切り殺す。罪に問われ預かりの身となり、妻と分かれることとなる。そして31年の後、夫は70間近で妻は少しだけ若いが、また一緒に生活するという他愛無いがいい話。そして声も実にいい。 |

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今回の吉田一穂研究会のテーマは「吉田一穂の地的世界〜一穂と地学、地質学者井尻正二との関わり等〜」、講師は若宮明彦氏であった。 一穂は、白鳥古丹を時空に存在しないふるさとと呼ぶ。このもととなった場所は、幼少時代を過ごしたフレ・ビラ(アイヌ語で、赤い岩)当て字で古平の位置する、積丹半島であり幻想の地図が開かれるのだ。 そして一穂を、自然科学者以上の捕らえ方をする孤高の天才詩人として、また自身の三師匠の一人として、尊敬してやまなかったのが、地質学者井尻正二である。井尻正二も「起承転開の法則」(結ではなく開)を主張するポジティブな思考の持ち主だ。つまり終わるのではなく、アウフヘーベンして、さらなる開をもたらすのだという、発想の人との関わり。 また、一穂の作品には多くの地質学的な言葉が散見されるという。”羊歯の化石””泥炭層””アンモナイト””巨象”(=この場合はマンモスの意味となる)など、北海道に特有の地質や歴史的な動植物が登場するのだ。これらを地質図や年代図を用いての説明であった。 ![]() 講師 若宮明彦氏 成る程、私も北海道に住み続けながら、たいしてその土地というものを理解しないことが多い。全くのサラリーマンであって、農民とか漁師という常に自然と共存する感性の人々との差異を思ってしまう。 |

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今回も詩誌「饗宴」63号の合評を行った。司会は嘉藤師穂子氏である。 詩作品の掲載順に、まずは森永裕爾作品「Night and Dark」から。順次、尾形俊雄、木村淳子、嘉藤師穂子、瀬戸正昭、村田譲の各作品へと続く。 形容詞の使い方、擬人法による表し方、方言の書かれ方と朗読と、感覚の問題、詩に使われる単語等々。 まあ意見は様々であるからと思っても、単に好きか嫌いかという問題であるなら仕方がない。だが、どうしても悪口の言い合いではもっと仕方のないことになるから、褒める方向に進むが、合評の方法論が不鮮明であるのも確かなのだ。 その一方で、一人で書いて終了して、自己満足に浸るよりは数十倍いいことだ・という意見もある。未だ、すでに、二回目ではあるが。 ![]() 花束と「饗宴」43(特集・新妻博の世界)を囲んで / 中央右 主宰・瀬戸正昭氏 その後「新妻博を偲んで」の黙祷。モダニストであったということ、シャイであったこと。詩誌「核」の時代のことや、仕事で旭川に単身赴任していたときにホテル住まいであったこと等々。懇親会では、新妻博愛飲の酒「玉の光」が数種類用意されていた。 他に参加者は、荒巻義雄、萩原貢、渡会やよひ、今本千衣子の各氏であった。 |

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札幌市地下鉄大通駅とバスセンター駅をつなぐ地下通路を、常設の美術空間とすることを記念しての、後期展である。 杉田光江作品「Seeds」。卵のケースのなかに割れた卵の殻。殻の中に詰まっている何かがある。それがタンポポの綿毛とは思わなかった。正面から見るとパソコンの点滅画像の様でもある。 ![]() 作品「Seeds」 川上りえ作品「Expanding」。通路の感じが二次元での遠近法による三次元の入り口に見える。割りとシンプルであるが、この空間に似合っている。 酒井広司作品「余市・駅前国道5号昭和51年」「余市・駅前国道5号平成24年」。余市駅前の国道を36年の月日を隔てて並べてみる。それは同じもの、同じ場所であるのに、時間が隔てていったものとは何か。しかし時間が矢であるというのは、人間の勝手な思い込みであり、現代物理学の成果では、時間は逆行することもありうるのだ。ふははははははは。 ![]() 作品「余市・駅前国道5号昭和51年」「余市・駅前国道5号平成24年」 針作品「日々のてつ学」他。少女というモチーフは、男性にとって、本当にどうにも処理しかねるものだ。それだけでたぶん許してしまう。哲学!って、漢字で書けよと思うのだが、仕方ないかなぁ〜と思えるヤワヤワとしたラインは、なんなんだ! ワビサビ作品「D'ou venons-nous? Que sommes-nous? Ou allons-nous?」(uの上に’が付くものもある)。かなり読みづらい書体であるが、フランスの画家ゴーギャンのタイトル「我々はどこからきたのか? 我々は何者か? 我々はどこに行くのか?」。 500M美術館 (後期展は5月6日迄) |

今回のテーマは「東日本大震災」。口火を切ったのは、久住書房朗読教室の澤井貴良子氏、中山壽子氏、佐々木律子氏によるもので、それぞれが自身の震災を口にした。まず福島の飯舘村の二人の小学生の声で「二十歳の自分へ」というもの。放射能という見えない問題に振り回されている大人として、考え、そして行動することを思う。詩として和合亮一作品が紹介されたが、二時間しか帰宅できない現実に何をしているのかという、ほぼニュースの役割に近い感触。ツイッターなどを駆使した現場の声を特徴とするようだ。最後に、学生による百人一首が紹介された。
![]() ドラマチックリーディンググループさ・く・ら所属の松下光子、林たのしの両氏による朗読は、宮沢賢治作「よだかの星」。擬音のつくりに皆が圧倒されていたようである。しかし自分の朗読の直前は、さすがに気も耳も回らない。 続いて村田譲が自作詩を朗読、自分の譲の名の由来を調べて(白川静・著)ちょっと驚く。作品としては「3月12日の約束」他、ソネット三篇。「帰り道のそっぽ」。最後に進藤恭子氏の助力を得て、「二本の傘のためのソネット」を披露した。 ミモザの会の工藤ひろ子氏は、小泉八雲作「稲むらの火」で、1854年和歌山の安政南海地震津波の故事を作品化したものである。庄屋の五兵衛は、地震後に退いていく海水を見て、津波の来襲を察するのだが、村人たちは祭りの準備に忙しい。そこで高台に住んでいた五兵衛は、自分の田に積み重ねた稲の束に火を付ける。犠牲的精神とは何であるか、津波の脅威と早期非難という、驚きの内容であった。 |

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48周年記念号の合評会としては最終の3回目となる。最初に俎上に乗ったのは、佐藤由佳子作品「木槿咲く」。木槿(むくげ)は韓国の国家であるのだが、花と女性との生き方を掛け合わせたものとの評価であった。 仁木寿作品「時計」。第一語が誰に向かって発せられているものなのかで、雰囲気は大きく変わる。全体に抽象性が高い場合、具象性に欠けていくことになるわけで、抽象詩の宿命ともいえる。主語の位置が問題。 続いては、笹原実穂子作品「泳ぐ」。昨年の3月11日がテーマであるが、TVを見ていたというだけの話。テーマ自体が問題提起にはなるのだが、それが本人の作品の合評には結びつかない。何を書くのかということに関しての議論へと。 吉川みさ子作品「林檎」。どのように皮を剥くかで、女性としての方向性の題材ということになった。 ![]() 世話人 下田修一氏(中央) / 司会 おのさとし氏(中央右) 竹内俊一作品「未完」。タイトルの付け方の難しさ。落ちがある程度読めるわけで、まして蜜柑が登場するなら、コトバ遊びということでよいのではないか。一方で、文中、部屋が回り始めるのであるから、酩酊しての女の話ではないのか、との話も。 小野寺薫作品「秋明菊」。痛い・イタイ・いたいのフレーズのリフレイン。勢いは出来るが、ばらばら感は否めまい。 村田譲作品「3月12日の約束」。曜日を挟んでの短編小説のような作りではないか。しかし、謎解きに時間を掛けすぎて本論に入りがたいとの話もあった。年に1回の札幌例会は、その後二次会で大いに盛り上がったのである。 |

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2011.3.11.の被災地への想いを込めて、その震災前の映像を背景としての朗読会が開催された。 K.hirahara氏演奏のギターの調べに、まず声を上げたPart1は、斉藤征義氏。東北の詩人宮沢賢治の「雨ニモマケズ」であるが、この作品はメモ帳の殴り書きということであるから、実際は自分自身へのエールでしかない。頑張れというのは本当に簡単である。どうも賢治という人はプロパガンダに引っ張り出されるようであるが…。次いで草野心平「蛙」を朗読、その巧みな擬音に心惹かれる。 ![]() 朗読 斉藤征義氏 / ギター K.hirahara氏 続いては、Part2に村田譲が自作詩「3月12日の約束」他四篇を披露した。 Part3では櫻井良子氏が、自らの肉声のみで作品をうたいあげる。「月、火照る日」、影という輪郭の嘘くささがあり、耳が、聴覚が、鼓膜ガ、さらには指ノ関節、そしてスべての言葉ノ関節であル助詞が、一拍遅れル、二拍遅れて、テが出セないのだ。他に作品「呼び水」「朝まだきの伝言・2012」を。 Part4での登壇は熊谷ユリヤ氏。詩集『果てしない時の深みから』より、「初めての産声が」「永劫回帰の海は」などを朗読。震災の月の産声があり、であるから与えられた命を守るために、そのとき漁師は海を目指し、家族は山を目指す。そうであって、海は何者かの命を奪おうというわけではなく、ただ刻むのだ。最後に「雨ニモマケズ」の自身の英訳を朗読したのである。 当日は入場無料で、代わりに募金箱を設置。必要経費を除いた、26450円をケア・インターナショナル・ジャパンへ寄付できたことを改めて、この場でご報告致します。 |

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今回のヒアラタ朗読ライブのテーマは「花」。トップは、石山ひろ子氏で向田邦子作の思い出トランプより「花の名前」を。端的にいうと夫の浮気である。それがその女から直接私、妻へ「奥さんですか、会いたいのです」との電話。で、会いに行くんだが、ここのとこからして分からんのですが…。相手の女の名前が花の名であり、妻の教えた草木の名前であるとのことでの拘り方。女のメモリーは変わらないが、男のメモリーは大きくなる・らしい。 小関一子氏は、藤沢周平作「朝顔」。子どもを生まない妻には、妾がいて当然の時代。外にも大して出かけないでいる楽しみのひとつに、朝顔。しかしこの朝顔の種は、どうも妾の家から旦那が持ってきたようだと知って、すべての花を毟り取るのだ。 福士文浩氏は、山本暮鳥「風景」を自由に、歌うように朗読してみせた。 斉藤いづみ氏の朗読は、ミヒャエル・エンデ作「モモ」である。第二部の「時間の花から」時間って何なの、の部分。時間は感じ取るだけで、そのために”心”があるのだ。鼓動が止まると音も止まる。自分の生きた分だけ巻き戻り、銀の門を出て音楽になる。なかなか美しいお話である。 ![]() 朗読 萩原貢氏 小樽からの参加、萩原貢氏は自作詩を朗読した。印象深かったものに「酒場R」花は漣、光の形。こぼれて私たちに笑みを零す。神のために空けた席、マダムの誕生日。「瓶の夜」は、水をむさぼる花の、その花に食われるような瓶の抱える深い闇が、恐ろしくもある。他に「スカイラウンジから」での男女の昔の秘密の部屋に立ち戻ること。花にまつわる作品、五篇の響き。 朗読ステージ背面に飾られているのは、ペープサートサークル所属の一谷誠子氏の制作作品である。 |
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