「詩と思想」4月号は現代の芸術の特集を組んでいる。ハイゼンベルグの「不確定性原理」やゲーデルの「不完全性定理」が載っているのを見るのは楽しい。 今回は谷崎真澄氏が、中野重治、リルケ、村野四郎をとりあげ”詩の継承”というテーマで話し合いがもたれた。無と有、世界知の問題も取り上げられることになろう。一回では話しきれるものではないため、次回も同様のテーマで討議がなされる予定。 合評では、大原登志男氏「戦争体験」、石井真弓氏「雪溶け」、入谷寿一氏「凍る」の作品が提出された。 また「ボッセの会会報」NO.16(編集・浅田隆氏)では、座長の原子修氏の──ひとつの詩論として──”おのれをたやすく詩人と称するなかれ”を掲載。そのほかにも新年会の一行連詩創作や会員の詩集出版の紹介がなされている。 ”ボッセ”はフランス語で”勉強”という意味だそうです。 おおむね第2土曜日の14:00〜16:00。(札幌市中央区南15条西9丁目2-30 フュージョンビル3F)。 変更:「東アジア詩のつどい」第2回実行委員会が、5月11日(土)同ビルにて開催されるとしていましたが、開始時間は2:00PM(14:00)に変更となりました。 ご留意ください。 |
寺山修司 2002年度特別企画展 主 催:北海道立文学館ほか と き:4月20日〜6月2日(午前10時〜午後5時) 月曜休館(但、4/29.5/6は開館。5/7閉館) ところ:北海道立文学館 札幌市中央区中島公園1−4 TEL.011-511-7655 観覧料:大人500円、高大300円、小中200円 人気あるのですねぇ。20日のトーク・セッションが満席で予約してないと入れない。展示会場もひっきりなしに入場者が来る。 実はわたしはこの人の作品ひとつも読んだことがない。しかし「あしたのジョー」とか「ときには母のない子のように」などは、どこかで聞いている。 今回見た印象は、このテラヤマという人間自体が一個の作品と化しているのか? ということ。告知ちらしのケバケバしさがもう、テラヤマワールドである(デザイン=横尾忠則は正しいと思うよ)。このままの人なのだろう。 言葉が、短歌とかをやっていたからだろうが、ほとんど格言のようにくっきりしている。しかし、おもしろいのだが、どこか嘘っぽい。それは「写真」のコーナーの説明文「写真は”真を写す”のではなく”偽を作る”のだ」という言い方によく現れている気がする。 虚構というひとつの世界がはっきり存在している。本質は演劇の人であろう。 展示会場は朗読テープを流したり、馬のビデオ、映画のビデオ、足跡のシールを貼りつけたりと、いろいろ工夫されていて楽しい。 北海道立文学館 受付横 寺山修司展は、北海道立文学館に限らずZOO、札幌大学、コンカリーニョ、くう、TPSスタジオ、シアターキノで、朗読、演劇、鼎談、ライブなどの催しが札幌各所で開催中。 |
恒例「饗宴」春季詩話会が開催された。今回のテーマは”エズラ・パウンド”。講師は矢口以文氏。 氏は朗読テープを数多く持ってらして、パウンド本人の朗読した、ヒュー・セルウィン・モーバリイ詩篇「暑さが木陰に招く」というテープが披露された。 これはロンドンへの決別の詩であり(パウンドはアメリカからイギリスへ、さらにフランス、イタリアへと移り住む)──「自分の墓を選ぶために」E・Pのオード──はロンサールの「頌歌(オード)」にちなむ。「暑さが木陰に招く」というタイトルもローマの宮廷詩人からの引用であり、この作品は多数の引用から成っている。 音声を中心とする表音文字らしくイントネーションに注目するなら、訴えかける雰囲気というものがある気もする。これは脚韻をきちんとふんでいることによるらしい。 とりあえず事前にパウンドを読んでみたが、実は面倒な印象を受けていたりもした。むしろイマジスムの3原則 @主観、客観を問わず「物」をじかに扱う A表現に役立たない言葉を使わない Bリズムは、メトロノームによらずに、音楽のフレーズ(自由な調べ)に従って書く--という話の方が、興味深かった。 最後に、日本の詩人はもっと朗読しないといけないということになったのである。 講師:矢口以文氏 主宰:瀬戸正昭氏 |
先般このHP”朗読する詩人たち”の第1回にて紹介した、金澤伊代こと、桜木紫乃氏は高島大明神の御利益によって”第82回オール読み物新人賞”を獲得。 4月22日(月)発売予定の「オール読み物」で発表、作品名「雪虫」。 小説はそれこそ大学時代に書いてもみたが、役に立たなかった。その時代の私・小説家はみんな悩んでいた。もともと数を読んだとも言えないから、たまたまかもしれないが・・・自分の問題を抱きかかえていることで”自我”を現わしているのみ。 コギト・エルゴ・スムスの実践(?)のつもりだったのかもしれない。なにせ個人主張というものに、ほど遠い国民ニポンジーンだから仕方ないのかねぇ。 シチュエーションの変化だけだから、どう書こうとも、解決しようとはしない主人公。どこまでいこうと「悩む自分宣言」が私小説であった。 90年代後半以後、いいものが出て来たとも聞くけど、いまさらなあ〜。 そんなわたしではあるが、桜木氏的には珍しい社会性のある作品とのことである。お祝いのために、22日は本屋に立ち寄ろうと思います。 桜木紫乃氏と「詩人の広場」で |
「詩人の広場」の詩人紹介もそろそろ長くなったので、今回のラスボス(?)登場。 まったくひとつの方法論にしか、みえん、嘉藤師穂子氏。 さて、当日「とびきり 好きなことばを ならべる もちろん今日の 気分で」という、なげ〜タイトルの書き下ろし作品を朗読した。 まさに明朗という言葉はこの人のためにあるようなものだ。一音一音が丁寧に発音され、濁りがない。(その分だけ音楽性を期待して聞くには、あまりに影がないと言えなくもない)に、してもだ。くっきりとした画像がみえるというのは、稀有のことである。 この制御作用が、今回のわかるような、わからないようなテーマを現代の気分として読み上げることができる理由であろう。「猫の詩画展」でもこの独創は追従を許さなかったように思う。 わたしがノイズとして表現するものを、わが詩姉貴は語り部として作り上げることが可能なのだ。 嘉藤師穂子氏 現在、古事記(ふることよみ)の朗読会の第2回目を画策中とのことである。 |
あとりゑ・クレールはふたつの建物に挟まれながら、オレンジ色のロウソクのように建っている。内部は、こじんまりとした作り。1Fには猫を中心テーマとしたパステル画や詩作品が並び、階段にも葉書や壁飾りがぶらさがっている。2Fは猫や梟の小物(気に入った梟をヘドウィグと名付け我が家の居間にいる)や詩集などが販売されていた。また喫茶の経営もしていて、森れいさんはこのケーキが・・・と言いながら食べていた。階段の降り口の棚の上には、あとりゑ・クレールの模型が飾ってあったり、さながらジャンクジュエルの面持ち。 鈴木順三郎氏のコンサートの日、朗読の飛び入り歓迎の言葉に釣られ参加。 まずは昨年11月に二名で作ったというパーカッションの演奏目「ニューヨーク〜カンダハル」続いて「シャイニング」ほか一曲が披露された。ソプラノサックス。それにサンプラー、power book(Mac)といった電子音に、ニュースキャスターの言葉などを混合した現代風の曲想。 青木崇氏 / 鈴木順三郎氏 曲の合間に詩の朗読が行われた。当日朗読したのは青木崇、大原登志男、嘉藤師穂子、萩原貢、森れい、谷内田ゆかり、主催の高橋明子の各氏とわたし、村田譲。 全員の朗読をずっと鈴木順三郎氏がサポートしてくれた。やはり生の演奏はノルとはやい。いわゆるテンポができる。わたしにとっても、吟遊詩人大賞コンテストのときの、ギターの寺西勝仁さんやサクスフォンの白鳥修一さんと朗読して以来となる。 さて自分の順番ともなると、演奏者の迷惑顧みずに、機材の机の隅に勝手に原稿を置いて呼吸を整えていた。と、鈴木氏が首をのばす。置かれた原稿を一気に読み下したのであろう、わたしの一声とともに(もちろん前打ち合わせなどないなか)アドリブで援護してくれる。これはね、やって、聞いてみないとわからないだろうなぁ。 終了後は2Fにて、おおいに飲んだのである。小樽の夜は騒がしい。 高橋明子氏 |
公正さなどは微塵もなく、ひたすら独断と偏見の詩人紹介の6。 「詩人の広場」の合評会で渡会やよひ氏は声がちいさいと思ったアナタ!しかし、すべてを大小というイメージだけで話をすると、とんでもないことになる。 朗読での渡会氏は、一種独特な香りがある。 不安定な要素をベースに作り上げられた作品は、かすれるように、それでいて、しっとりした持ち味の声によって、聞くものに絡んでくる。切々と呼びかけることで、引き合う声へと変質していく。 そして朗読中の彼女は身じろぎしないように思えた。なぜそのように感じたのか。今でも微動だにしない朗読、揺るがないのではないか、と強いイメージが残る。同時にこれは作品との矛盾ではないか? ゆらぐものを不動に詩う。それに立ち会うということの不思議。 渡会やよひ氏 詩集「洗う理由」は第28回(1990年)北海道詩人協会賞を受賞していたりもする。日頃ちぃさな声でも朗読できま〜す。 |
「詩人の広場」紹介の5回目。わたしはやはり声に曳かれるのであろうか?なぁ。 熊谷ユリヤ氏は第1回吟遊詩人大賞コンテスト(1995年)の大賞受賞者である。 そしてこの人は、たいてい朗読中にうたいはじめる。それが朗読に変化をもたらす。しかし、もともとの声質が甘すぎ(童顔であることも手伝って)えらくロマンティックに響きすぎる気がする。まぁ、わたしはロマンティックって嫌いだしなぁ。 さて、このことが嘘か真かを確認する手だてが整っている。 4月12日(金)午後7時より、札幌時計台ホールで仮想現実をからめながらの朗読会「ハリ・ポタ & 白い犬とワルツを & ポエム」が開催される。 申しこみは直接本人へ。詳細は熊谷ユリヤHP、または掲示板参照。 熊谷ユリヤ氏 朗読しようと思っているアナタ! とにかく相当の注意が必要である。 なぜかといえば、この人の後に朗読することになる場合には、こちらのテンションが上がりすぎるきらいがある、つまり危ない輩のひとりであるからだ。
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