空への軌跡 吟遊記 '02.1月〜'02.4月
吟遊記 '02.1月〜'02.4月

ボッセの会4月例会
寺山修司展 
饗宴 春の詩話会 
金澤伊代 小説で新人賞
北の朗読者 10 嘉藤師穂子
「猫の詩画展」朗読会
北の朗読者 9 渡会やよひ
北の朗読者 8 熊谷ユリヤ
北の朗読者 7 伊東廉
猫の詩画展 
もくじページへ 北の朗読者 6 谷内田ゆかり
北の朗読者 5 櫻井良子
北の朗読者 4 金澤伊代
道詩人協会「詩人の広場」
連詩へのお誘い
カリンバ3遺跡展
K-TOUSAN 5周年
東アジア詩のつどい・実行委
「詩人の広場」開催案内
ボッセの会 新年会 02年 




ボッセの会4月例会 2002.4.13
「詩と思想」4月号は現代の芸術の特集を組んでいる。ハイゼンベルグの「不確定性原理」やゲーデルの「不完全性定理」が載っているのを見るのは楽しい。
今回は谷崎真澄氏が、中野重治、リルケ、村野四郎をとりあげ”詩の継承”というテーマで話し合いがもたれた。無と有、世界知の問題も取り上げられることになろう。一回では話しきれるものではないため、次回も同様のテーマで討議がなされる予定。
合評では、大原登志男氏「戦争体験」、石井真弓氏「雪溶け」、入谷寿一氏「凍る」の作品が提出された。
また「ボッセの会会報」NO.16(編集・浅田隆氏)では、座長の原子修氏の──ひとつの詩論として──”おのれをたやすく詩人と称するなかれ”を掲載。そのほかにも新年会の一行連詩創作や会員の詩集出版の紹介がなされている。
”ボッセ”はフランス語で”勉強”という意味だそうです。
おおむね第2土曜日の14:00〜16:00。(札幌市中央区南15条西9丁目2-30 フュージョンビル3F)。

変更:「東アジア詩のつどい」第2回実行委員会が、5月11日(土)同ビルにて開催されるとしていましたが、開始時間は2:00PM(14:00)に変更となりました。
ご留意ください。





イベント情報 開催日2002.4.20〜6.2
寺山修司 2002年度特別企画展

主 催:北海道立文学館ほか 
と き:4月20日〜6月2日(午前10時〜午後5時)
    月曜休館(但、4/29.5/6は開館。5/7閉館)
ところ:北海道立文学館 
    札幌市中央区中島公園1−4 TEL.011-511-7655
観覧料:大人500円、高大300円、小中200円

人気あるのですねぇ。20日のトーク・セッションが満席で予約してないと入れない。展示会場もひっきりなしに入場者が来る。
実はわたしはこの人の作品ひとつも読んだことがない。しかし「あしたのジョー」とか「ときには母のない子のように」などは、どこかで聞いている。
今回見た印象は、このテラヤマという人間自体が一個の作品と化しているのか? ということ。告知ちらしのケバケバしさがもう、テラヤマワールドである(デザイン=横尾忠則は正しいと思うよ)。このままの人なのだろう。
言葉が、短歌とかをやっていたからだろうが、ほとんど格言のようにくっきりしている。しかし、おもしろいのだが、どこか嘘っぽい。それは「写真」のコーナーの説明文「写真は”真を写す”のではなく”偽を作る”のだ」という言い方によく現れている気がする。
虚構というひとつの世界がはっきり存在している。本質は演劇の人であろう。
展示会場は朗読テープを流したり、馬のビデオ、映画のビデオ、足跡のシールを貼りつけたりと、いろいろ工夫されていて楽しい。



北海道立文学館 受付横

寺山修司展は、北海道立文学館に限らずZOO、札幌大学、コンカリーニョ、くう、TPSスタジオ、シアターキノで、朗読、演劇、鼎談、ライブなどの催しが札幌各所で開催中。




饗宴 春の詩話会 2002.4.20
恒例「饗宴」春季詩話会が開催された。今回のテーマは”エズラ・パウンド”。講師は矢口以文氏。
氏は朗読テープを数多く持ってらして、パウンド本人の朗読した、ヒュー・セルウィン・モーバリイ詩篇「暑さが木陰に招く」というテープが披露された。
これはロンドンへの決別の詩であり(パウンドはアメリカからイギリスへ、さらにフランス、イタリアへと移り住む)──「自分の墓を選ぶために」E・Pのオード──はロンサールの「頌歌(オード)」にちなむ。「暑さが木陰に招く」というタイトルもローマの宮廷詩人からの引用であり、この作品は多数の引用から成っている。
音声を中心とする表音文字らしくイントネーションに注目するなら、訴えかける雰囲気というものがある気もする。これは脚韻をきちんとふんでいることによるらしい。
とりあえず事前にパウンドを読んでみたが、実は面倒な印象を受けていたりもした。むしろイマジスムの3原則 @主観、客観を問わず「物」をじかに扱う A表現に役立たない言葉を使わない Bリズムは、メトロノームによらずに、音楽のフレーズ(自由な調べ)に従って書く--という話の方が、興味深かった。
最後に、日本の詩人はもっと朗読しないといけないということになったのである。



講師:矢口以文氏  主宰:瀬戸正昭氏




金澤伊代 新人賞獲得 第82回オール読み物新人賞
先般このHP”朗読する詩人たち”の第1回にて紹介した、金澤伊代こと、桜木紫乃氏は高島大明神の御利益によって”第82回オール読み物新人賞”を獲得。
4月22日(月)発売予定の「オール読み物」で発表、作品名「雪虫」。

小説はそれこそ大学時代に書いてもみたが、役に立たなかった。その時代の私・小説家はみんな悩んでいた。もともと数を読んだとも言えないから、たまたまかもしれないが・・・自分の問題を抱きかかえていることで”自我”を現わしているのみ。
コギト・エルゴ・スムスの実践(?)のつもりだったのかもしれない。なにせ個人主張というものに、ほど遠い国民ニポンジーンだから仕方ないのかねぇ。
シチュエーションの変化だけだから、どう書こうとも、解決しようとはしない主人公。どこまでいこうと「悩む自分宣言」が私小説であった。
90年代後半以後、いいものが出て来たとも聞くけど、いまさらなあ〜。

そんなわたしではあるが、桜木氏的には珍しい社会性のある作品とのことである。お祝いのために、22日は本屋に立ち寄ろうと思います。




桜木紫乃氏と「詩人の広場」で




朗読する詩人たち・7 嘉藤師穂子 2002.2.24
「詩人の広場」の詩人紹介もそろそろ長くなったので、今回のラスボス(?)登場。
まったくひとつの方法論にしか、みえん、嘉藤師穂子氏。
さて、当日「とびきり 好きなことばを ならべる もちろん今日の 気分で」という、なげ〜タイトルの書き下ろし作品を朗読した。
まさに明朗という言葉はこの人のためにあるようなものだ。一音一音が丁寧に発音され、濁りがない。(その分だけ音楽性を期待して聞くには、あまりに影がないと言えなくもない)に、してもだ。くっきりとした画像がみえるというのは、稀有のことである。
この制御作用が、今回のわかるような、わからないようなテーマを現代の気分として読み上げることができる理由であろう。「猫の詩画展」でもこの独創は追従を許さなかったように思う。
わたしがノイズとして表現するものを、わが詩姉貴は語り部として作り上げることが可能なのだ。


嘉藤師穂子氏

現在、古事記(ふることよみ)の朗読会の第2回目を画策中とのことである。



猫の詩画展 2002.3.16.
あとりゑ・クレールはふたつの建物に挟まれながら、オレンジ色のロウソクのように建っている。内部は、こじんまりとした作り。1Fには猫を中心テーマとしたパステル画や詩作品が並び、階段にも葉書や壁飾りがぶらさがっている。2Fは猫や梟の小物(気に入った梟をヘドウィグと名付け我が家の居間にいる)や詩集などが販売されていた。また喫茶の経営もしていて、森れいさんはこのケーキが・・・と言いながら食べていた。階段の降り口の棚の上には、あとりゑ・クレールの模型が飾ってあったり、さながらジャンクジュエルの面持ち。
鈴木順三郎氏のコンサートの日、朗読の飛び入り歓迎の言葉に釣られ参加。
まずは昨年11月に二名で作ったというパーカッションの演奏目「ニューヨーク〜カンダハル」続いて「シャイニング」ほか一曲が披露された。ソプラノサックス。それにサンプラー、power book(Mac)といった電子音に、ニュースキャスターの言葉などを混合した現代風の曲想。



青木崇氏 / 鈴木順三郎氏


曲の合間に詩の朗読が行われた。当日朗読したのは青木崇、大原登志男、嘉藤師穂子、萩原貢、森れい、谷内田ゆかり、主催の高橋明子の各氏とわたし、村田譲。
全員の朗読をずっと鈴木順三郎氏がサポートしてくれた。やはり生の演奏はノルとはやい。いわゆるテンポができる。わたしにとっても、吟遊詩人大賞コンテストのときの、ギターの寺西勝仁さんやサクスフォンの白鳥修一さんと朗読して以来となる。
さて自分の順番ともなると、演奏者の迷惑顧みずに、機材の机の隅に勝手に原稿を置いて呼吸を整えていた。と、鈴木氏が首をのばす。置かれた原稿を一気に読み下したのであろう、わたしの一声とともに(もちろん前打ち合わせなどないなか)アドリブで援護してくれる。これはね、やって、聞いてみないとわからないだろうなぁ。 終了後は2Fにて、おおいに飲んだのである。小樽の夜は騒がしい。



高橋明子氏




朗読する詩人たち・6 渡会やよひ 2002.2.24
公正さなどは微塵もなく、ひたすら独断と偏見の詩人紹介の6。

「詩人の広場」の合評会で渡会やよひ氏は声がちいさいと思ったアナタ!しかし、すべてを大小というイメージだけで話をすると、とんでもないことになる。
朗読での渡会氏は、一種独特な香りがある。
不安定な要素をベースに作り上げられた作品は、かすれるように、それでいて、しっとりした持ち味の声によって、聞くものに絡んでくる。切々と呼びかけることで、引き合う声へと変質していく。 そして朗読中の彼女は身じろぎしないように思えた。なぜそのように感じたのか。今でも微動だにしない朗読、揺るがないのではないか、と強いイメージが残る。同時にこれは作品との矛盾ではないか? ゆらぐものを不動に詩う。それに立ち会うということの不思議。




渡会やよひ氏

詩集「洗う理由」は第28回(1990年)北海道詩人協会賞を受賞していたりもする。日頃ちぃさな声でも朗読できま〜す。



朗読する詩人たち・5 熊谷ユリヤ 2002.2.24
「詩人の広場」紹介の5回目。わたしはやはり声に曳かれるのであろうか?なぁ。
熊谷ユリヤ氏は第1回吟遊詩人大賞コンテスト(1995年)の大賞受賞者である。
そしてこの人は、たいてい朗読中にうたいはじめる。それが朗読に変化をもたらす。しかし、もともとの声質が甘すぎ(童顔であることも手伝って)えらくロマンティックに響きすぎる気がする。まぁ、わたしはロマンティックって嫌いだしなぁ。
さて、このことが嘘か真かを確認する手だてが整っている。
4月12日(金)午後7時より、札幌時計台ホールで仮想現実をからめながらの朗読会「ハリ・ポタ & 白い犬とワルツを & ポエム」が開催される。
申しこみは直接本人へ。詳細は熊谷ユリヤHP、または掲示板参照。



熊谷ユリヤ氏

朗読しようと思っているアナタ! とにかく相当の注意が必要である。
なぜかといえば、この人の後に朗読することになる場合には、こちらのテンションが上がりすぎるきらいがある、つまり危ない輩のひとりであるからだ。




朗読する詩人たち・4 伊東廉 2002.2.24
「詩人の広場」における1分間スピーチのホームラン王、伊東廉氏。
この人がいなければ、といわれるまさに名物。伊東氏は医者でもある。そのせいか医学の話が多い。今回のテーマは”炭疽菌”。
炭疽菌は人間のペットである犬とか猫には移らない。それはペットが炭疽菌に対して免疫を持っているからだ、という。
「ところで現在、詩を不要であると言う人もいるようだ。しかしここに集った詩人たちは、自己の感受性を高めようとする集まりであることを忘れてはいけない。詩が不要だという人は詩に対しての自然免疫を持っている人であり、なにも感染しないことばかりが、いいことではない。感受性を高めようという感染であるならば素晴らしいことではないか」という――旨のスピーチで満場の笑いと拍手を独占した。語り口調ということなら、朴訥と言えるかもしれないが、期待感がすごい。
非日常語と話題性で、次回も聞いてみたいという期待を持続させうるのだ。
さあ、負けずに炭疽菌の勉強だぁ〜!?




伊東廉氏




イベント情報 開催日2002.3.23まで
猫の詩画展

主 催:あとりゑ・クレール 高橋明子
と き:2002.3.9〜3.23(土) 11:00〜17:00
ところ:小樽市梅ケ枝町21-2 あとりゑ・クレール tel.0134-22-1354
入 場:無料

争いを避け猫のように平和に暮らそう!猫のようにのんびりゆこう!――をキャッチコピーにして、小樽で、猫の詩画展が開催中。
小樽で様々なイベントを手がけている、あとりゑ・クレールでは現在、猫の絵と猫の詩とが目一杯展示されているらしい。
さらに土曜日の終了後にはイベントが開催される。16日は、鈴木順三郎氏のコンサートを中心に、音楽と詩の朗読会。23日は、てらいかつお氏の講演とセリ市が開催される予定とのこと。
わたしは詩画展って、実は出たことがない。どんなことするのか16日に参加してみようと思っている。



朗読する詩人たち・3 谷内田ゆかり 2002.2.24
「詩人の広場」では詩人がスピーチしてもよいのだ。散文を喋ること?

さて、1分間スピーチに挑戦した「饗宴」の同人、谷内田ゆかり氏。
この方の場合、朗読だろうが、スピーチだろうが語り口がまったくといっていいほど変わらない。自分の感情をけれんみなく披瀝しようという意志なのだろう。
戸惑いということに対して躊躇がない。むしろ躊躇するということを過剰に演出してみせようとするのだろうか。淡々と語ることで感情が上乗せされる。
ところで、一般的に、感情的表現と思われる場合の短所があると思う。つまり、読み手の感情がこもるほどに聞き手の感情が高まるにしろ、感情それ自体には同意または反発までしか存在しない。”だからどうなの”という方法論への解答がない。そこが求められ続けることになるだろう。
そうでありながら、谷内田氏のような語り口は、あたかも”話すということの起点”をぶつけてくるように感じられるのは、わたし一人ではないだろう。




谷内田ゆかり氏

ところで、谷内田氏は現在、腕の腱鞘炎の後遺症で、筆もとれずに返信さえまともに書けないことを気にしているので、ここに代筆しておきます。



朗読する詩人たち・2 櫻井良子 2002.2.24
「詩人の広場」朗読する詩人、声と言葉の相関関係の第2弾。
櫻井良子氏は独特の癖をもつ。情念という形でうたうとき、声は人間のものではなくなる。それを証明するタイプの人。
ところで今回は「小樽詩話会」の38周年記念号に掲載されている、言葉遊びの作品「御破算」を朗読。 冒頭――ぐっちならぬしゃねるのぷらちなむ・えごいすとはなちぐちるふらちなえごいすと・おむ。
なんだか分かりませんが――グッチ(愚痴)ならぬ、シャネルのプラチナムエゴイスト放ち、愚痴る不埒なエゴイスト、オーMU。(プラチナムを不埒な、に置き換えたことで、プの丸とムの文字があまったのだろう)内容は御破算に至る道筋で、全文ひらがなで書かれ”御破算”のみ漢字にする念の入れよう。
基本的にリズムである。そして、朗読にテンポがあることが如何に重要か。聞いていることにおもしろさが滲み出てきて、それで飽きを感じさせない力技である。
作品「鬼燈ケ原」で第2回吟遊詩人大賞コンテスト(1996年)の大賞を受賞。



櫻井良子氏




朗読する詩人たち 金澤伊代 2002.2.24
さて「詩人の広場」で各地から集まった詩人の朗読をとりあげてみよう。
もちろん公正さなどは微塵もなく、ひたすら独断と偏見。喧嘩のネタを売り歩こう!!

さて、合評会のあとの朗読会。
今回のトップバッターは網走から参加した、金澤伊代氏。
作品のタイトルは「キスをしよう」。旅先で見知らぬ二人となってキスをしよう、視線なんか向こうからよけていくから・・・極めて現代的で、刺激的な作品である。肝心の朗読は、本人がひどく緊張していたようで、原稿を正確に読むことに専念して俯きすぎたため、声の通りはいまいちであった。真直ぐにうたいあげてこその作品かと思うので、少々残念。この作品は岩見沢の詩誌「蒼原」58(2001.冬)号に掲載されている。
金澤氏は散文、エッセイも書く。北海道新聞の”朝の食卓”の執筆者でもあり、このところは月のはじめに載ることが多い。



金澤伊代氏




北海道詩人協会 第25回「詩人の広場」 2002.2.24
札幌市教育文化会館で、自作詩朗読と1分間スピーチを中心とした発表会が、北海道詩人協会の詩人たちにより開催された。
4名の新入会者を含め、道内から約50名ほどの参加があった。昨年に続いて自由参加者の方もいて、幅が広がることは喜ばしいことである。




北海道詩人協会会長 高橋秀郎氏


さて「北海道詩集」最新2001年版に掲載されている作品の合評会は、全体を9名程度の6グループに分ける方法を採用。わたしのグループの司会は斉藤征義氏。
斉藤氏の手法は、発言者の言葉を論理的に分析しながら、新たな側面を見出していこうとするもので、次々にこういう見方はどうか、と逆提案していくのである。おもしろい方法であった。

合評の方法について、この”吟遊記01冬”1.17開催の小樽詩話会のところで述べたクリティカル・リーディングの手法を整理しておこう。
情報を科学的に分析し、批判的に検討を加える思考法として、欧米諸国で広く採用されている。あくまで熟読することから、はじまる。単なる思いつきや、印象だけではない。また、瑣末な部分をつつきあうことなどを目的としてはならないものだ。

クリティカル・リーディングは二段階になっている。
まず最初に文章の構成を分析する。登場人物の役割・プロットの進行方向・視点の位置・スタイル・トーン・使われている言葉、語彙などを検証し、確認しあう。こうしてテキストとむきあうことで、作品の解釈をする。
お互いの冷静な視点を確保することは、作者の立場からも、伝わった内容とのギャップをも発見可能になるだろう。
次いで、各々自分の解釈をベースとして、どうあるべきかといった時代の意味性や価値に対する問題に対して、意見の交換をするのである。
斉藤氏の方法をもう少し整理した感じであろうか、とも思う。





リンク記念 連詩のお誘い 
永井ますみ氏のHPから、連詩のお誘いです。
タイトルは「彼岸花から再生へ」です。下記に提示した題につき、前の作品に繋がる短詩を募集中。

1.彼岸花 2.赤 3.停止 4.ライン 5.三八度 6.発熱 7.くすり 8.富山県 9.日本カモシカ 10.保護 11.保護色 12.自衛隊 13.海 14.かもめ 15.絵葉書 16.メール 17.ウイルス 18.ワクチン 19.抵抗 20.思春期 21.星蝕 22.闇 23.停電 24.落雷 25.大木 26.屋久島 27.杉苔 28.苔寺 29.恋人 30.約束 31.手形 32.倒産 33.逃避行 34.吹き溜まり 35.わくら葉 36.再生

タブーがひとつあります。 1、2、3、4、5と次々に前の詩に続けますが、1と3、2と4、3と5は同じ言葉や内容にしてはいけません。これは観音開きといい、連句と同じく嫌います。これだけが、タブーとなります。
いま「19.抵抗」まで進んでいますので「20.思春期」をテーマにした短詩を考え、続く詩を投稿して下さい。
今回の連詩は第4回目とのことです。昨年の10月12日から続いておりますが、完成までは、もう4カ月くらいはかかりそうですね。
できましたら、この”吟遊記”に掲載した”ボッセの会新年会”の一行詩と比較してみてください。それぞれの連詩の持ち味がおもしろい。

ちなみに最新の18.19.を掲載しておきます。
18.ワクチン
気分悪いの? 理髪店の鏡の前 あぶら汗をだらりだら 不安神経症の閉所恐怖が顔面に 心の病原に抗体をつくれない うすくなった毛髪に養毛液で刺激しても 心に毛の生えるワクチンを作れない初老。
19.抵抗
病院で喘いでいる人に告げたい。小さな小さな病原体がなんだ、流れに抵抗するのが貴方のスタンスだったのではないか。そして手を握って耳元でもう一言つけ加えたい。




カリンバ3遺跡展――華麗なる縄文の美 2002.2.1―― 
主 催:恵庭市
と き:2002.2.1〜 (月曜・月末金曜・祝祭日の翌日休館 9:30〜17:00)
ところ:恵庭RBパークセンタービル1F (恵庭市恵み野 tel.0123-36-3113)

縄文時代後期(約3000年前)に旧カリンバ川沿いの右岸は墓地として利用されていた。カリンバとは、アイヌ語で「桜の樹皮」のことで、桜の樹皮は近世アイヌ期まで、袋や紐の材料として使われていたという。
このカリンバ川沿いの墓から、櫛、腕輪、リボンなどのほか、赤いうるしの様々なアクセサリーが出土しており、縄文時代で最も豪華な墓ともいわれている。スペースとして交流展示室をもちい、これらのアクセサリーと墓の複製品が展示されている。
アクセサリーなど副葬品が中心なので、オレンジ色の展示会かと思うほどだ。サメの歯を額飾りに使っていたり、そして勾玉の見事な曲線に驚く。また、墓の複製を見ているとどういう風にねむっていたのであろうか、どんなうたを黄泉に渡したのかと、思いめぐらしたり。




カリンバ3遺跡展より




K社倒産 5周年記念 2002.1
いまでこそ珍しくもない倒産記念日。
去る1月某日札幌市内ススキノにおいて、倒産した元K社のSグループで飲み会があった。その日はカメラを持ち社内を写し歩いていた話などをしてきた。
倒れて5年になるが、勤めて2・3年で倒産してしまった人も多い。いまさら、元Kということに意味はなく、あとは出会った場所としての意味合い。個人としての付合いしかないと思う。
つまりわたしは(定年退職後の)肩書きなしの生活を経験して、これじゃあいけない、仕事の話しかしていないと仕事がなくなった場合に話すことがないと思ったわけだ。

倒産関係の詩は以下の通り
  饗宴14号 「ゴースト」 ’98.1
  パンと薔薇110号 「トランプ・ハウス」 ’98.2
  パンと薔薇111号 「しおラーメン屋」 ’98.7
関連していなくもないのは次ぎの通り
  饗宴16号 「雲の名前」 ’98.7
  饗宴23号 「そよ風」 ’00.4

事象のすべてを詩にすると思っている割には、見返すと少ない気もする。
作品発表まで約1年をかけていることになるが、「雲の名前」にまでなると距離を感じる。しかし、この時期に北海道詩集44号(97年度)に「紙音」というめったに書かないタイプの、詩とはなにか――のようなものを書いている自分に驚く。
自分がどの位置にあるのかを確認しているという思いがする。単なる感情の剥き出しは、作品にはならないから、当然ではあろうけれどなぁ。
長男の当時の小学校の文集に「お父さんの会社は倒産しました。でもがんばります。しばらくは”とうさん”ではなくパパと呼んでね」と書いたことは覚えているが・・・。



破産の通告書を撮る報道関係者




東アジア詩のつどい 第1回実行委員会 2002.2.1
2月1日に「東アジア・詩のつどい」の第1回実行委員会があった。
「東アジア・詩のつどい」というのは、日本・韓国・台湾の詩人が集まり文化交流をして、ついでに北海道の詩芸術を・・・云々・・・とかいう御大層なものらしい。
具体的には
6月8日に、韓国と台湾の詩人の講演、自作詩の朗読、一行詩創作
6月22日にシンポジウム、北海道の詩人の語りと朗読
また期間中、北海道立文学館で”東アジア詩書展”が開催される
、らしい。

らしい、らしいとすごくキレが悪いのは、基本的に横着した説明をしているのと、委員会当日が金曜の18時開始であり、勤め人であるわたしが1時間遅れで着いたまさにそのとき、文学館から、道詩人協会の大貫さんが出てくる。イヤーな予感。案の定「いま終わったよ」だって。
仕方がないので議長の斉藤征義さんに資料をお願いしたのだが、郵送されてきたのとあんまり変わらない。ということは、実は内容を全然理解していないということである。
そのほかの事業内容、6月に東アジア詩書展図録刊行・・・なにこれ? です。

そういえば、そもそもわたしは実行委員の任命を受けたのかなあ? よくわかんないけど、やれって言われていたし、まあいいや。
で、何をするのかというと、6月は空けておけ!──ということだ。詩の朗読会があるぞぉ。



イベント情報 開催日2002.2.24
第25回「詩人の広場」

主  催;北海道詩人協会   会長 高橋秀郎
と  き;2002年2月24日(日)  14:00より
と こ ろ;札幌市教育文化会館 3F 中研修室
イベント;2001年版「北海道詩集」NO.48 の合評会
     自作詩朗読と1分間スピーチ

協会に所属する詩人の自作詩の朗読がなされる。通例、詩の朗読など聞いたことのない方でも、聞いてみると意外とおもしろい・・・らしい。少しでも興味のある方は、協会の会員でなくとも参加できるので連絡してみて下さい。詩はどうもという方にはショートな話が用意されている。別に小話というわけではないが、口は達者な人たちなので(失礼)おもしろいですよ。
また「北海道詩集2001年」版に掲載されている作品の合評がある。 「北海道詩集」は当日も会場で販売するはずなので、合評会に参加することも可。




北海道詩集 No.48


イベント終了後に会員による懇親会(これは事前の申し込みがいる)懇親会の会費は3500円。
北海道詩人協会事務局 TEL.011-789-7818



ボッセの会新年会 2002.1.26
札幌プリンスホテルで新年会が行われ20名が参加した。
昨年度に出版された詩集につき、遠藤整氏が石井真弓詩集「閉塞」を。中野頼子氏が大原登志男詩集「小樽原人」を。谷崎眞澄氏が福島瑞樹詩集「幻氷」の感想を述べられた。ちょっと会場がレストランの一角で、夕食時間にかかっていたこともあり、声が通りにくかった。しかし発言者と作者が近めの席であり、まあまあ幹事的には(嘉藤さんとわたしが幹事)ラッキーと思う。
またイベントの一行詩では、以前には、先に書いたものを読みもせず、勝手に自分の文章を付け足すだけというのも見うけられた。そこで今回はペーパーを一枚しかまわさず、必ず前の文章を読むようにしたところ、結構むつかしいものであった。
一行詩は、個々人のバラバラな貼り付けの集合体ではなく、数名の数十行によってひとつの作品を作ることであろう。実際は前の方の文章を受け継ぐのは、かなりむつかしい。
しかし、わたしは、あの雑然としたなかに、なんらかの揺らぎを求めて、提示する場であると考える。ひとつひとつの言葉よりも、全体のなかに貫かれていく、書いた本人さえが自覚してさえいない漠然の海へ飛びこむことを目的としたい。




ボッセの会新年会


一行蓮詩の方法はタイトルを決め、それにそったテーマで書くのは変わらない。
最初の出だしが、全体の雰囲気を決定する。二番目以降は前の内容に縛られ、同時に内容を考慮し膨らませたり、抑制したり。もちろん最終が一番大変。
ちなみにわたしのグループのタイトルは「零度」

  底なしの闇夜の中、凍てつく身体が鳴く     (こしばきこう
  街灯のない裏路地ひっそり影が動く       (佐藤道子 
  駆け抜けるトナカイの背になだれる光のしずく (渡辺宗子
  イヴに揺れるろうそくの行進            (村田譲
  遠ざかる記憶 遠ざかる体温とぎれて      (嘉藤師穂子
  宇宙をくすぐる絶対零度              (佐藤孝

当日の一行詩は、事務局の浅田氏が次回「ボッセの会会報」で紹介するもようである。


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