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2007年4月30日(月)
まいど

どどど、って日本語になってないですよね、全然。
世の中はどこもかしこもゴールデンウイークで浮かれてますよね。
平和なことでなによりです。

かくいう私も、ゴールデンウイークを堪能しております。
ってっ普段からずーっとゴールデンウイークみたいなものなのに・・・。

ゴールデンウイークが普段と違うことといえば、普段ならなかなか行きそうに無い場所に行くことでしょうか。
釣りとか、温泉とか。
いつもなら近場で済ますことが多くなってしまうのですが、連休になると、妙に気が大きくなって、距離も使う金額も大きくなりがちです。
ですが今年は、いつものような浪費はしないで、できるだけ節約するべく努力をしているのです。
節約生活を見習って。

そんな精神のもと、昨日は、珍しく旭山記念公園に行ってきました。
お天気も良くて、周りは犬の散歩をしている人とか、カップルとか、家族連れで大賑わい。
日中にお日様を浴びながら、お弁当を食べたりして、すっかりピクニック気分を満喫してしまいました。
遅いお昼をいただいたあと、公園のベンチでうとうと。
木々のざわめきや、小鳥のさえずりを聞いているうちに・・・何やら懐かしい記憶が蘇ってきました。

それは子供の頃、毎日バカみたいに外で遊んいた時代。
夏休みともなると、朝の6時から遊びに出かけ、夕方は8時に帰ってくるという生活。
その外出の間、一体何して遊んでいるかというと、山や林でのサバイバル生活。
近所にあった、農業試験場(普通は入れません)というところに入り込んで、川で魚を素手で取ったり(食べてません、取っただけ)、胡桃を焼いて食べたり、コクワという実を食べたり・・・・・とまあ、現代人とは思えない生活を敢えて経験しておりました。
この場所には、日本ザリガニとか、エゾサンショウウオとかもおりましたので、毎日なにかしらの野生動物を見かけると、いちいち恐れおののいておりました。
そいで家に帰ったら、図鑑で調べまくり。
毎日それはもう、何かしらの発見が自分の生活の大部分だったのです。

畑に行けば、そこはそれ農業試験場ですから、品種改良中の作物があったりするのですが、関係者の方々も、今ほど神経質ではなくて、そういう場所をうろうろしていても、怒られるとういことは無かったと思います。
危ないことするんじゃないよ、くらいの声をかけてくれるくらいで。
全体的にノンビリとした、正に子供にとっては、天国のようなところなのでした。

そういった場所で子供時代のほとんどを過ごしていたのを、思い出したのです。

渡り鳥が、カラスに襲われて、怪我をして死んでいくさまや、道で蛇に出くわして、自分では信じられないくらいの速さで走って逃げたこととか。
(おかげで、走るのは滅法速くなりました)

毎日同じ日が続くのではなくて、季節ごとにある現象が現れたり、ある日突発的に予想もつかないことが起きるといったことは、多分この子供時代に学んだんだと思います。

自分の性格を作っていくうえで重要な子供時代を、そういう野性味あふれる環境で過ごしたことはかなり貴重な体験でした。
ですが、今の時代、果たしてそれは可能なんだろうか・・・。
何年か前に、その子供時代を過ごした農業試験場に行ったことがあるのですが、規制が厳しくなり、完全に中には入れなくなっておりました。
それでも、係員の目を盗んで、子供時代に遊んだ場所を探しに行きますと、以前エゾサンショウウオの産卵場所だったところは、無くなってしまい(道路を作るために埋め立てられた)そこからは、すぐ傍まで迫っている銀色の屋根の札幌ドームが見えていました。

札幌で野球やサッカーを見れることは大変結構なことだと思いますが、自分にとっては、あの経験を積んだ場所こそが、なによりの宝物だったんだと思います。

クワガタとかの昆虫が活動する時間帯を学んだのもそこですし、野生のねずみがいることも、クマが笹を好むことを知ったのも、そこで遊んでいたからこそ知りえたのです。

今自分が住んでいる環境なんてぇのは、もちろんそんな場所はありません。
店とか道路とかしかない・・・。
物質的には充実しているけど、自然は・・・全然ないんですよねぇ。

自分がいつか親になるであろうときに、果たして子供はどうやってそういう経験を積めばいいのか?
そんな疑問が頭をよぎります。
(今考えてもしょうがないっちゃあ、しょうがないんですが)




結局、自然あふれる公園で、ノンビリ日向ぼっこのはずが、随分と深刻な問題に発展してしまい、休日の過ごし方としてはイクナイと反省、その後はスポーツクラブにてお風呂をいただき、帰宅とあいなりました。

2007年4月28日(土)

でも見てたのでしょうか。

一昨日の夜、西のスポーツクラブから帰る途中、某国立大傍の道路に車を走らせていたら、車と同じスピードで走る人がいました。

最初は「?」ってびっくりしたのですけれど、車のスピードを落として、窓から道路の横を見ていたら、見る見る間に抜かれてしまいました。
夜間なので、はっきりとは見えなかったのですが、確かに男の人が、まるで野生動物のような俊足で駆けていったのです。
人間の体って、動かした方次第では、あんなふうに動くものなんだなあと感動していると、その方はいつの間にか夜の闇に消えていたのでした。

ありえない・・・。

噂では、確かにそういう人がいることを聞いたことがあります。
実はその方が、フルマラソンで実際に走っているところを見たこともあります。

でも、そのどのときよりも何倍も速く走っていたのです、一昨日の夜は。

遮るものが何も無かったせいかもしれません。
おもいっきり走れるという条件下で、自分の限界まで挑戦するというストイックなまでのその姿勢は、こういう時代を生きている自分には、ふっと目の前に現れた、幻に見えてしまうのです・・・・・・。

2007年4月26日(木)
少し

眠いです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

今日は全くひどい一日でした。

しばらく気分よく過ごせていたのに・・・・・なんか知らんけど、一気にいろんなことが押し寄せてきました。

まず、昼に包丁で指を切りました。
久しぶりにちょっと切れた、痛いくらいに切れた。
(過去に指の肉を切り落とした経験あり、今回は主に爪剥げた)

調理をしている最中だったので、その調理も中断して薬を探していたんですが、全然見つからない。
痛いの我慢しているので、一刻の猶予もならんのですが、なにせあるはずの薬が無い・・・。

いつまでたっても見つからないので、しょうがない、キズドライのスプレー缶があったのでシューっとして、絆創膏貼ってごまかしました。
でも痛い。

んでもって、調理が途中だったので、ある程度の区切りまで我慢して続行したが、やっぱり痛いまま。
そしてすぐに洗いもの。
極薄の指サック(非常に何かを連想させるような感じのものでした→ってなんやねん)を絆創膏が貼ってある幹部に被せて洗物をしたら、指がゴムの圧力で血が通わなくなってしまいました。
指の先が血の気ナッシング。
ここでもやっぱり痛いまま。

その後すぐに洗濯が終わり、洗濯物を干すことに・・・・・指サックはめたまま。
洗濯物を干し終えてやっとのことで、指サックはずして、血液循環す。
指の幹部に血液が行き渡り、ちょっと復活。
ですがここらへんでは、もうどうでも良くなってきていました。

どうでもいいとは言いつつも、頭にくることがもう一つ。
月曜日に貰った薬が全然きいてねぇ。
喉が痛かったので、耳鼻咽喉科に行って3時間かかってもらってきた薬がね、全然効いてくれないの。
本当だったら、いつもバッチシの薬を処方してくれる若くて腕の良い先生がいるのですが、たまたまその週はシフト入ってなくてね、ヤブっぽい先生に当たってしまった。

そのヤブ先生が処方する薬は高い薬ばかりで、頭ボーっとなる割りに全然効かんのです。
おかげ様で喉が良くならんわっ。

喉が痛くても、花粉が飛んでても、指が切れてても・・・・・私は今日も行くのです。

んで、今日も今日とでスポーツクラブへ。
今日は、オニュー君と会える数少ない日と思いきや・・・・・・・・いねえーって。

オニュー君、来てないし。

痛いの我慢してやってきたのに、いないってぇーのは一体どういうこったい。
(声にならない無念さを噛締めつつもレッスンには参加)
おもいっきり、やる気も根気もないまま、何となくだらだらやってたら、なんと2個目のレッスンが代行になってた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

つ、つ、つ、ま、ん、な、い。

最近踊りをチェックするための池面君もいなかったし、いつも集うメンバーじゃないしで散々なんすけど。
代行の先生も基本的な動きだけで、踊りが全然面白くない。
ちゅーか横のおばちゃん、思い切り遅刻で横割りなんすけど。
・・・・・・・・・・そうは言いながらも、途中で抜けることも無く、最後までやりぬきました。
つまんなレッスン。

そんなこんなで、お風呂では、あの恥ずかしい指サック。
なるべく見えないように、シャワー室入ったけどね。

んで、帰りは帰りで訳の分からないこと言われてたっけ。
スポーツしに行ってるだけなのに、スポーツ以外で滅法疲れました。
今日は痛いの重なった挙句、オニュー君という潤いもなく、家に帰ればまた指サックで調理の続き・・・・。

さすがさすがの大殺界日びよりでした。
(4月から大殺界月に突入していました・・・・・明日はその中でも大殺界日・・・この上まだなんかあるんだろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・ちょい不安)

2007年4月24日(火)
今日は

面白いこととか、なんにもなかった。

先週、わりとストレッチをサボり気味だったんですが、そしたらあーた、今日のヨガのときに、ひねりの動きになったら、ひざがピキっと音を立てているではありませんか。
えー、なんじゃいこの音。
と思ったと同時に痛みが走りました。

体がすっごく硬くなってるかも。
んで、なんとなく、次のレッスンを受ける気になれず、お風呂も入らぬまま帰宅してしまいました。
日々のストレッチがいかに大事かということを実感しつつも、なんかやる気にならんかったよ先週は。
なんでじゃろ。
まあ、こういう日があっても別にいいんだけど。
むしろ、昨日がんばりすぎたので、今日は休んだ方がよかったのかもしれない・・・。

話は変わりますが、
ここで日記を書くときは、15分という時間を決めて、いざ勝負・・・といった具合に書いているんです実は、後で読み返してみると、変な日本語とか誤字脱字が極めて多く、いろいろ書き直しているうちに無常にも15分という時間は過ぎてしまいます。

しかも、書き直しているつもりが、また誤字になっていたりして、そんなのを直していると、どんどん時間が過ぎていくので、いつまでたってもどうにもならない状況に陥ってしまうので、ある程度の時間がきたら、開き直ってすっぱりとやめることにしました。

もうね、誤字とか見たって全然平気、「むしろそれでええわ」くらいの心境。
なのでね、あ、この人また漢字の使い方間違ごうとると思っててもね、あんま気にしないでね。
本人が一番よく分かっておりますから。
それでも、直そうなんて気さらさらありませんから。

れ、もう15分過ぎた。
皆様、それではまた明日、ごきげんよう。
(私はこれから、お風呂に入ってオネンネします)

2007年4月24日(火)
衝撃

です。

何がそんなに衝撃なんだと聞かれても困るのですが、今日はびっくりすることがあったのです。

以前、(何年も前の話です)自分が運動をするようになったのは、運動不足で自宅の階段から落っこちて、ぎっくり腰になった時、医者に、すぐさまスポーツするよう強く勧められたことがきっかけでした。
そして、すぐにスポーツクラブに入会を決心して、その日からできる限り毎日運動しておりました。
最初はエアロビクスをやってたのですが、当時は足首が痛かったので、何日もしないうち、すぐに諦めてしまいました。
そして、今度は水泳を始めて、・・・・・そこでもやっぱりすぐに挫折。
元々泳げなかった私は、スポーツクラブがつまんなくて、もうやめようと思いかけていたそのとき、
その子は現れたのです。

プールの中をまるでイルカのように自由自在に泳いでいくその姿は、自分の目には本当のイルカに見えました。
そのイルカの正体は、随分若い男の子だったのですが、本当に泳ぐのが大好きって感じで、見ているこっちも楽しくなるくらいの泳ぎっぷりでした。

その子は毎日は来なかったのですが、それから私は何故かスポーツクラブを辞めずに通い続けました。

そして、ある目標を立てたのです。
あの子みたいに泳げるようになるまで、スポーツクラブに通おうと。

そうして、この日から毎日毎日スポーツクラブに通い続け、2年くらいしたある日とうとう私は彼と同じくらい泳げるようになっておりました。

自分でもこんなに何かをがんばったのは初めてかもしれません。
苦手なことをこんなに長く続けられたのも、一重にイルカみたいなあの子の存在があったおかげです。

泳ぎに関して言えば、自分にとってイルカ君は正に特別な存在でした。


なのにですね、えーっと・・・・・・・時間というものは残酷なものでして・・・・・えーっと、
いえね、ぶっちゃけ忘れておったのです。
その特別なイルカくんを!

5年くらい前に、新しく同じ系列の別のクラブが、家から激近のとこにできたもんで、さっさと移籍したんですが、不運なことに去年の10月、そこが無くなってしまいました。
しょうがないのでまた元の古巣に戻ってきたというのが今の状態なんですが、久しぶりにイルカ君が目の前におったにも関わらず、全然気が着かなかった。

まあ、いつもプールでしか見たことなかったから、正直エアロビのスタジオ傍にいるとは夢にも思わなかった。
にしても、素通り、目の前素通り・・・してしまいました。

通り過ぎてからイルカ君に挨拶されて、もうびっくり。
全然変わってないんだもん。
おばさんだけが、丸々と肥えてちょっぴり恥ずかしかったよ。

それにしても、あんなに自分にとって特別だった人を、こうも簡単に忘れきる自分が恐ろしくてなりません。
イルカ君に遭って一番衝撃だったのは、自分のこの薄情な部分があからさまになったことでした。

2007年4月22日(日)
んが

が.。
下の写真は、昨日の朝ごはんのアイスです。
食べた場所は、牛小屋のアイスというお店です。
この店の後ろに牧場があって、そこの牛乳を使っているので、とっても新鮮。
アイス好きにはたまらないらしいです。
(自分はアイスがそれほど好きではないので、イマイチその価値が分かっていませんが)

この日天気は、はっきりしないけど曇ってもいないというような感じでした。
ですが、気温の方はまあまあ高かったと思います、北海道にしては。

このお店には朝一番で着いたんですが、まだ4月ということもあってか、去年程の混み具合ではありませんでした。
とはいえ、既に何人かは並んでた(ここではこれが普通です)。

この日は、私の苦手なメニューである、まぜまぜアイスを注文しました。
ここのアイスを食べたがってた張本人が、一人でまぜまぜアイスを注文するのが恥ずかしいっちゅうことで、無理してお付き合いすることになりました。

おかげ様で胸焼けマックス。
おそらく、ここでアイス食べてる人はきっと自分以外、至福のときをすごしているんだろうな。
みんな、笑顔だったもの。
そんな中で、苦しみを隠しながらひたすらアイスを食べてる自分が、ちょっぴり悲しくなりました。
もし、生まれ変わりがあるなら、次は、アイスを美味しく食べれるような人に生まれ変わりたい・・・。
そう願いつつ・・・・・まぜまぜアイス完食。

青色吐息で車に戻り、私が調子悪そうな様子に罪悪感を感じたのか、アイスを食べに誘った人が今日はこのまま帰りましょうと言っとりました。

そこまで気にしなくていいんだけど・・・。
そんなに体調が悪いわけでもなんでもなくて、ただ胸焼けなだけなんだけどね。


お店の入り口        コレが目印          この日のアイス
  
ミルクです      店内にはアクセサリーもあります    長都沼の泥鳥

とりあえず、今日はこのまま帰ることになりましたので、早速帰る方向で車走らせていたら、突然、はっとあることに気が着きました。

そいえば白鳥、もういなくなっちゃった?
ええ、実は今年まだ白鳥を見てませんでした。

幸いにして、白鳥の集う長都沼は、ここからそう遠くありません。
そういう訳で、急遽予定を変更することにしました。

帰り道から少しそれて、毎年見ている長都沼の泥鳥(白鳥がえさを求めて泥んこに入り、泥だらけになった状態のこと)を観察しに行くことにしました。
目的地である長都沼は、予定変更の判断が早かったことが幸いして、5分もしたら到着。

既に雪が無くなっていたので、渡りの数はもう残りわずかといった感じですが、幸いにしてまだ何羽かは残っておりました。
ここでは、時折えさを与える人が現れるみたいで、岸に近づいても鳥達は全然逃げません。
警戒するどころか、えさを要求しに来る始末。
鳴き声を上げながら、どんどん傍に寄ってきます。

この日に限らず、いつもここに来るときは、私がえさなんか持って来るわけがないので、「ごめんねー、えさは持ってきてないんで、自分で取ってちょ」と泥鳥に言いますと、益々声を上げて鳴きわめいてます。
きっとですね、鳥達に「ちぇっ、そんなんだったら見に来るんじゃねーよ、しけてんなあ」くらい言われてそう・・・。
ブースカ、ブースカ泥鳥の文句を聞きながら、写真をパチリ。

最近の渡り鳥、結構スレとる。

そう言いながらでも何枚か写真が撮れたので、今度こそ本当に帰ることにします。


あーあ、頭もお腹も真っ黒です          この子も泥んこ


おまけ。

4月9日の日記に出てきた銭函海岸の風景と、ホッキ貝とかの写真が出てきたので、ついでにここでアップしちゃいます。

銭函のホッキ貝        遠くにお山      ちっさいヒトデ、ちゅーか指太い

いつかのいなり寿司の写真

結局この日はこのまま自宅に戻り、その後、家でテレビを見ながらごろごろしてました。
ですが、いつもより早い時間に家に戻ってきてしまったせいか、どうも調子が出ないので、夕方スポーツクラブに出向いて、レッスン受けて来ました。
珍しいことにY先生のレッスンに出れた。
金曜日と2日続けてだったので、なんか変な感じがしました。

でも、まあまあ汗がかけたし、この時間には胸焼け収まっていたので、意外と悪くなかった。
たまには土日にレッスン受けるのも、いいかもしれない・・・。

2007年4月21日(土)
ようやく

本来の自分に戻りました。
(なぜなら、昨日の悪夢を忘れられるくらい、今日が充実していたから)
今日は、いい汗一杯かけて幸せでやんした。

滞っていた便通の方も、無事開通しましたし、お風呂でも非常にリラックスできました。

ほよほよっとした状態で、只今この日記を書いておるのですが、一つ悩みがあるとすれば、それはね、明日の朝食。

最近ご無沙汰してましたが、ちょっと前までは、ほぼ毎週のように土、日曜日のどちらかの朝は、月見軒というラーメン屋さんで味噌ラーメンをいただいてました。
しばらくぶり(とはいえ3週間ぶりくらい?)に月見軒に行こうか、それとももう雪がないのだから、ここは一つ冒険でもして遠出してクレスにでも行ってみようか・・・と大変悩んでおります。
そういえば玄咲で龍舟麺という手もあった。

食べ物の悩みは尽きることがありません・・・・・。

で、その後は市場までお出かけをして、夕食の魚の干物を買って帰るというパターン。
いつだったか市場で、東京の知り合いの方に、イクラを送ったことがあるのですが、それがきっかけで、そこの水産会社からDMが送られてきました。

いんやー、もう写真がね、すごい迫力。
よだれ垂らしまくりの内容なんですわこれが。
今もそのタラバ蟹とかの写真見ながら、これ書いてるんですけど、実際現物をお店で見ているだけに、パブロフの犬の条件反射よろしく、クチん中唾液で溢れかえっとるんす。
ちょっと気をゆるめると、ダラーっと逝きそうな勢い。

ああ、もう全部食べたいっ・・・・・。


太らないで全部食べる方法、誰か教えてーーーーーー。

あ、千歳のレラもなんかやってたっけ、そういえば。

2007年4月20日(金)
やれやれ

です。

昨日は大殺界だったんでしょうか。
散々な目に遭ってばかりです。

いつものストレス発散の場であるスポーツクラブで、逆にストレスを抱えて帰ってきてしまいました。
以前にも書いたことがあると思うのですが、私は極度のタバコの煙アレルギーです。
タバコ臭を少しでも感じると、咳き込んで呼吸が困難になってしまいます。

なので普段自分からは、タバコを吸う人とは積極的に近づこうと思うことはまずありません。
タバコを吸っている人は、「静かな殺し屋」だと思ってるくらい。

なのにですね、昨日の上級レッスンに突然現れたのです。
静かなどころか、非常にウザイ「殺し屋」が!

まず半径3メートル以上強烈なヤニ臭、基本が分かっていないのに自己顕示欲のみにて動こうとする意味のない大げさな振り。
途中、2回くらい私の手が当たりました。
前も後ろも全く見ないで、突撃する姿勢は、混みあったスタジオでは大怪我を誘発する恐れがあります。
たまに、そういう人は見かけることはあるのですが、昨日の方は特にひどかった。
中途半端に動ける分、間違いなく勘違いしながらやってたんじゃないかなぁ。

周囲にいる皆が気を使って、怪我をしないように離れているのに、益々増長していくそのさまは、「愚か」という言葉以外思いつきません。

「ああ、こういう人って、きっと友だちとか絶対いなさそう」とか冷静に考えながら、ヤツが動くたびに充満する、タバコのヤニ臭の不快さに、ゲロを我慢しながらのレッスン・・・・・正に地獄でございました。

今まであまり見たことが無い人だから、きっとああいうレッスンには慣れてないんだと思います。
昨日は本当にひどかった。
来週は絶対に来て欲しくないなあ・・・・・。
どうか、来週は平穏でありますように・・・。

随分と愚痴がてんこ盛りですね。
自分で書いてて呆れてしまった。
でも、我慢できなかったんだよう。
それくらい、いやな出来事だったんす。


今日も今日とで、更に難しいレッスンが待ち受けております。
最近、年度が変わったせいか、ここのレッスンでも自分の周りには変なおじさんばかり。
全然コンビネーションの動きに慣れてなさそうな感じで、時間差攻撃くらいの遅さで動いております。

それでも、ぶつかりそうになったらちゃんと避けれるから、その点においては基本的なことが分かってるみたい。
隣同士との距離もきちんと把握できているし。

あとは、動きと振りの覚えのみ。
おじさん早く慣れてくれないかなー。
そうしたら一杯汗かいて、楽しく踊ることできるのに・・・・・。

今日こそは、ストレスを溜めないで、さっぱりしてきたいもんです。
あ、ひょっとして今日は池面君、及びお気に入り君も踊る日かな?

今日は、静かに幸せ満開かもしれません。
昨日がひどかった分、特に・・・。

2007年4月19日(木)
地震が

おきました。

PCの前に座って、昨日の日記にも書いてあったビリーズブートキャンプの情報を調べておったらですね、突然グラリと来ましたよ。

ビールをチビチビ飲みながらだったので、ひょっとして自分がグラリとしてしまったのかなと思ったのですが、とっさにテレビを点けたら、なーんだやっぱり地震じゃん、と。
安心している場合ではないのですが、とりあえず一安心。

震源地が友人の住んでいるところから近いので、ちょっと不安です。
とはいえ、そこは今までも震度5くらいの地震がしょっちゅうだったので、いまさら連絡するのもアレかしら。

その友人が無事であることを祈って、今日はこれにて、お休みしたいと思います。
(朝の2時就寝)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

夜が明けました。
(PCに向かったのは8時半)
昨日の夜は、酔っ払った勢いでいろいろ何かを書こうと思ってのですが、一夜明けると見事に記憶が飛んでおりました。

えーと、確か昨日は珍しくプールに行って、お気に入り君の隣のレーンで泳いでいたんだった。
大そうゴキゲンな私は、「時間よ、止まれ!」くらい矢沢な気持ちで泳いでおったのです。
(ココまで思い出すのに6時間かかった→只今午後2時)

ですが、そんな幸福な時間もつかの間、不幸は突然やってきます。
プールには、自分にとって好ましい人のいれば、好ましくない人ももちろんいるわけです。
殊に、傍に寄られるだけでアカン、という人が稀におります。
(いわゆる生理的に・・・・・という人です)

私は何故か、大昔からそういう人に好かれる傾向があるみたいで、気が着くと後ろにぴったりと付かれることがあったります。
最初は、気のせいと思うとったんですが、レーンが5つあって他の空いてるところがあるにも関わらず、自分の後ろに付かれたときには、なんじゃあっ、コイツは!と憤りまくり。
そういう日々を何ヶ月か過ごすと、そのうちその背後霊のような人がプールに入ってきた途端に、プールを去るという条件反射が、自分の体に染み付いておりました。

ええ、実は昨日も来てしまったのです、その背後霊。
至福のときは長くは続かず、そうして私は、涙を飲みながらプールを撤退してたのでした。
許さん、背後霊。

あーあ、人生って思い通りにならんよね、やっぱ。

2007年4月18日(水)
そういえば

しばらく忘れていたのですが、皆さんは夜中に通販の番組とかを見たことありますか?

私は、極たまーにあるんです。
別に見たくて見るわけではないのですが、なんとなく夜更かししてしまい、テレビが点けっぱなしになっててそのまま見てしまうということが、稀にあるのです。

で、さっきあるサイトの日記を読んで思い出したのですが、ビリーズブートキャンプ・・・・・・。
流れていたんですよ、これでもかってくらいのしつこさで。

一体いつまでビリーは踊り続けるのだろう・・・・・と思いながらその通販番組を見ていたある日のこと。
家族がテレビの音でたまたま目を覚ましたらしく、途中から一緒にその通販番組を見ていたのです。
そしたらですね、
あんた、コレ買ってあげるよって。
突然いいやがるんです。

あんた、このDVD買ってあげるから、すぐさまビリーのところに入隊しなさい、と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

ビリーの通販番組の内容くらい、しつこく勧められましたよ、真夜中に。

スポーツクラブにおいて、既にY先生(注:ドSです)のところに入隊済みだっちゅーのに、この上まだやるとですか?
ビリーと掛け持ちじゃないといかんのですか?
この上、まだ遠泳メニューが控えているのに・・・。
私は、一体何になるとですかあああぁぁぁ。
(声にならない、ワタクシの心の叫び)

という言葉が一瞬で脳内を駆け巡り、言葉にならないままジーっと見つめておりましたところ、二人の間には、妙な沈黙が流れておりました。

その後私は、その沈黙のまま何も言わずに寝室に消えました。

(その日は、ビリーが夢にまで出てきて、ノリノリで踊っておりました←うなされながら見ていた)



そういえば、今日スポーツクラブに着いたら、芸人のしずちゃんと山崎が来ておりました。
すれ違いで見かけたのですが、相変らずテレビで見たときと変わらない格好(ピンクのヒラヒラ)でいらっしゃいました。
一瞬なんでおるん?って思ったのですが、私はそのどちらの芸人さんもあまり好きではなかったので、そのまま素通りさせていただきました。

先々週くらいには、レポーターの石井ちゃんと議員の宗雄ちゃんも来てたなあ。
オリンピックの時には、海外の選手とかも来てたし。
なんだか地味にいろんな人が訪れているみたいです。

(どうせ来るんだったら、もっといい男とか来ねーかなーー  ←心の声)

2007年4月17日(火)
最近

朝目が覚めると、目が一重になっております。

妙に腫れぼったいす。
(鏡を見ると、それはもうボテッとした感じでございます)

子供の頃は、それはそれは見事な一重まぶたでございました。
(今は一応二重瞼です)
まあ、正確にいうと奥二重だったんですが、パッと見一重。

兄は綺麗な二重瞼、姉はこれまた微妙な奥二重。
父は一重、母は二重。
一重瞼はどうやら父方の遺伝みたいでした。

子供の頃は、一重瞼で不自由することなんてのはほとんどなく、二重瞼に憧れることも取り立ててありませんでした。

ですがやはりお年頃になると、状況は一遍。
糊みたいな液体を瞼に塗って乾かし、無理やり二重にする小道具なんかを買って、二重にしてみたりしたこともありました。

そんなことをしても、目に涙が溜まって充血して、結局すぐに一重瞼に戻っちゃうんですけど、それでも何かに取り付かれたかのように一生懸命でした。

ですが、いくらがんばっても瞼は二重にならないし、目は痛いしでいいことなしだったので、そのうち私も開き直って、自分は一重で十分、と思い直した途端、何日もしないうちにバイク事故に遭いました。

バイク同士の接触だったのですが、運の悪いことに、転倒したときに頭を強打してしまい、被っていたヘルメットは事故直後どっかに転がってしまってました。
このとき、死に至るような事故ではなかったのですが、転倒直後しばらく意識がなくて(時間にして数分)、やっと意識が戻ったときには、警察の方が私に何かを必死に呼びかけてました。
しばらく耳が聞こえなくて、何を言っているのかさっぱりわからなかったんですが、救急車を呼びますか?って聞いているみたいだったので、断固拒否。
私が救急車を頑なに拒否したため、そのときはそれきり病院にも行きませんでした。

このとき実は、身内にナイショでバイクの免許を取っていたので、何としても表沙汰にするわけにいきませんでした。

結局事故扱いにしないで、双方の話し合いだけで済ませちゃったんですけど、問題はそのあと。
このときの後遺症で、眼球が少しずれてしまいました。
(後に通った眼科で分かりました)

事故からしばらくしたある日、目が覚めたら、頭を打った側の目が、二重瞼になってました。
しかも、鼻血流して。
あれほどなりたかった二重瞼だったんですが、皮肉なことに、このときはさほど嬉しくありませんでした。
鼻血が、微量ではありますが、その後何ヶ月も止まらなかったので・・・。
(鼻血に伴う頭痛はもっとひどかったです)

その後、5年も鼻血は続いてしまいましたが、もう片方の目が、つられるようにある日二重になったら、鼻血もようやく収まりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

幸いにして、今日に至るまで、頭に異常は見られません。
(別な意味での異常はありますが、それはね、生まれつきですからーーー)

そうして年月は過ぎたのですが、今も時折お酒を飲んだ翌日とか、水を飲みすぎた翌日とかは昔懐かしいお顔になっているのです。

まあ、最近では、花粉症の季節になるとそういう状態が続いてたりするんですが、一重瞼になると、二重瞼になりたかったあの頃の自分が、妙に可愛く感じたりするのです。

結局人間て、無いものねだりなんですよね。
何かを得ると、必ず違う何かを失うようにできているだなぁと実感する今日この頃。
まあ、全ての人がそうとは限らないのでしょうが。

自分について言えば、しばらく今この季節は、失った時代の自分を楽しみたいと思います。
(朝起きるとよく、「べ、別人ー」と家族にびっくりされながら・・・)

どうか皆様、偶然一重瞼の私を見る機会があったとしても、驚かれることのありませぬよう・・・。

2007年4月14日(土)
昨日は

大失敗をしてしまいました。
一日中、考え事なんかしてたら、無意識に、にんにく&ナンプラーたっぷりの食事してた。
で、そのままスポーツクラブに行ってしもうた。

どうりで人が近寄らなかったはずです。
私は今日、悪臭おばさんと認識されたに違いない。
通りすがりの方々は、きっと相当不快な気分になったことでしょう。
(偶然傍にこられた方々、ごめんなさい、もう2度といたしません)

ああ、自己嫌悪。

こんなことなら昨日の夜、調子にのって、タイ風料理なんて作るんじゃなかった。
もっとちゃんと牛乳とか飲んどくんだった。
クスン。
太ってて悪臭放ってたら最悪だよなあ。
昨日をもう一回やり直せたりできないものだろうか・・・。
(外国のドラマとかでは、そういうのあったんだよね)

悪臭で家族には叱られるし、一日悩んだ事は解決に至らないしで、さんざんな一日でございましたよ。
いよいよアルツハイマーも本格的になってきました。
もう正常な思考ができていないようです。


とはいえ、もうすぐやってくるホッケ釣りシーズンには、きっと一時的に回復する見込み・・・。

2007年4月13日(金)
今日は、

チュー見ましたよ、チュー。

って何のことかわからんよね、いきなりチューって言ったって!
いえね、さっきスポーツクラブから、家に帰る途中、車を運転しておったんです。
そして、目の前の信号が赤に変わったので、後ろを確認しながらブレーキを踏んだらね、
バックミラーの向こうに、あーた、運転席にいる男(年は20代くらい)がね、突然隣にいる女の子の顔を、自分の方に向けるではありませぬか。

おおっ。

とその光景にちょっと見とれておると、女の子の方がびっくりしたらしくて、イヤイヤしながら(とはいえそんなに嫌がってなさそうな感じ)ムリムリチューをされておりました。

あんれまー。

と、私は、何故かニヤついて、自分の助手席にたまたま座っていた友人に対し、助手席の補助ミラー(アタイの車にはなぜかある)見てけろっ、って指さしながら叫んじゃった。
そしたら、後ろの車でチューされてた女の子が、私の指の動きを見たのか、叫んで2,3秒後、突然チューをやめて男の子の顔を遠ざけてしまいました。

助手席にいた友人は、そのいきさつにおもいきり大爆笑していて、私が「後方確認は済んだかい?」と質問すると、「ミラー思いっきり覗き込んで、確認しましたよ」とのこと。

「後方確認はとっても大事、運転する上では特にね」
と更に私が言うと、何故かそれがツボにはまったらしく、助手席の方は顔にシワを増やしておりました。
(それ以上笑うと、シワが・・・大変なことになるぜよ・・・・・)
・・・これは事実です、この方は残業のしすぎでコンディションが最悪なのでした。

そんな爆笑な出来事を目撃してたら、いつの間にか信号は青になっておりました。
ゆっくりとアクセルを踏むと、バックミラーには、未だ発進しない後ろの車が。

なおのことミラーを覗き込むと、お兄ちゃんの方は懲りずに、まだチューをせがんでおりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

今日はとりたてて気温が高かったからね。
若者にとっては、春なんですね。

2007年4月9日(月)
春の海

ひねもすのたりのたりかな

私が・・・昔昔、高校生の頃、クラスメイトの男の子と海に行ったときのこと、そのときその子が、海を見つめながら呟いた言葉です。

その子とは、本当にただのクラスメイトで、付き合ってるとかお互いに気があるとか、そういう関係ではこれっぽっちも無くて、席がたまたま隣になったりしていただけ、
なんだけど、何故か一緒に海を見に行ったりしていたんですよねぇ。

今となっては、兄妹に近い感覚だったような気がします。

お互い好きな人が別々にいて、そういう相談なんかもしあったり、妙に楽チンな関係でした。

そんな子がいたことを、しばらくぶりに思い出したのは、先週の日曜日に、その思い出の海に遊びに行ったから。
銭函海岸・・・・・昔は、ゴミ函といわれるくらい汚い海だったけど、今はホッキ貝とかシャコが捕れる位きれいだった。

今、その子がどこでどうしているかは、さっぱり分からんけど、幸せになっているといいな。

少なくとも今自分は、幸いにして不幸と感じていないので、(ホッキ貝とか、アサリとかを海岸で拾って、なおのこと幸福です)そうであってほしいと願うばかりです。

なんて、まともな感じにまとめようとしておりますが、

今自分が幸せと感じている、本当の理由はね、
実は、海岸に行く直前、海商でバイキングを食べてきたからなのでした・・・・・・・・。

2007年4月1日(日)
京極の

噴出し名水を飲みに行ってまいりした。
木曜日の29日、外のお天気があまりにも良かったので、突如ドライブに行くことになりました。

自宅から・・・・・
札幌を抜けて、中山峠で一休み。

ここでは、名物のあげいもじゃなくて、フライドポテトを買って、つまんでました。
別にあげいもが嫌いなわけじゃないんすけど、たまたまフライドポテトがあったので・・・。

普段私は、どこの観光地に行っても、大抵フライドポテトを頼みます。
なぜなら、そこにフライドポテトがあるからです。
って、それぐらいフライドポテトが好きです。

・・・そんなこと、どうでもいいことですよね♪
(プーッ  → おならの音 → 実際車の中で連発しておりました)
  
中山峠             前には羊蹄山

途中、天気が良すぎて、うっかり眠くなりそうな状態、時折放たれる己のガスの刺激臭により目を覚ましつつ、羊蹄山付近を走っておりました。
あ、そうそう、この日は珍しく、行きの道は自分が運転していたわけではないので、運転者は大そう暴れておりました。
(本人いわくガス中毒だそうな)

このことで断言できることというのは、フライドポテトが、間違いなく車の安全運転に貢献しているということです。
(眠気覚ましという意味で)

慣れない助手席でするおならは、なかなか肛門を全開ですることができず、ちょっと不発気味なものばかり。
もっと全開でスカっとしたい私は、時折車を止めてもらっては全開放。
羊蹄のお山を見ながら、スキっとしていたのでした。
下はそのときの写真。
  
スキっとスポット       名水プラザ          のジンギスカン

お腹がぎゅるるうっと鳴りかけた頃、ようやく京極町に到着。
本来でしたら、まず名水を汲んでくるんですけど、この日は運悪くお腹が空いてしまったため、先に名水プラザなるところで、軽くジンギスカンなどをいただきました。

ゲフっ。

いつもなら、頼んだものの写真を撮る前に食事が済んでたりします(あくまで本能優先のため)
なので食事風景の写真は、まずほとんどないのですが、この間、スポーツクラブで会った標高10センチさんから、写真が見たいとの要望を受け、今回は極力努力してみました。
とはいえ、また時間が経ったら、すぐに忘れるんでしょうけど・・・。

お腹も膨れたことなので、早速水汲みに行ってきます。
  
つり橋からの風景     水の傍の林           名水です

京極の名水を汲みに行くときは、釣り橋を渡っていきます。
下には川が流れていて、その景色が結構綺麗だったので、パチリ。
また、傍の林も、雪の上に影が映えて、いい感じがしたので、パチリ。
そして、いよいよ名水が!

  
名水の下は川になってる  汲んだ水           観光客が汲んでます

水が勢いよくドバドバ流れています。
こんなに流れているんだったら、この辺の人々は水道代いらないんじゃないんだろうか。
だとしたら、全くもってうらやましい。

えーと、こんな季節にも関わらず、観光客とかがいました。
9割が中国語しゃべってました。
トイレの案内とかも、ハングルか中国語。
日本人観光客は、一体どこ行っちゃったんだろう・・・。

  
ドバドバ            羊蹄山の登山口付近    よく見ると動物の足跡

名水を汲んだ後は、ちょこっと登山口を見に行ってきました。
別に登山口に用事があったわけではなかったのですが、そこまで行けば、山の写真がちゃんと撮れるんじゃないかと思いまして、試しに行ってみました。

で、思ったとおり、お山は綺麗に取れましたよ。
運よく雪原には動物の足跡がありますし。
何の動物か分からないのですが、足跡から察するに、ウサギとかテンとか、そういった類のものっぽいです。
ここは、動物にとっても、天国なんかもしれない。

私も天国のようなこの景色を満喫・・・。
プーッ(おならをしながら)

あんまり気前よくし過ぎたので、勢い余ってついつい実が出そうになってしまった・・・・・ё

いい年したおばさんが、こんなことしててええんやろか。
と、一瞬正気に戻った瞬間でした。

さてさて、放屁の話はこれくらいにして。

これから温泉へ

この後は、運転者のものすごい強い希望(そもそもコレが、本来の目的らしかった)により、倶知安温泉なるところへ向かったのでした。

確かここの温泉は、何年か前にも来たことがあります。
でも私は、ここの温泉の記憶って、なぜかあんまり覚えていないのですよ。
なんでだろう。
きっと何か理由があるはずなのですが、それが何か思い出せないまま、お風呂に入っていったのでした。

んでね、体を洗ってから、ここの売りでもある、羊蹄山が真正面に見える露天風呂に出た瞬間、ある記憶が蘇ったのです。

目の前に駐車場がっ!

ええ、羊蹄山が良く見えるということは、囲いが低いということ。
立つとね、ばっちり駐車場から丸見えだったんです。
しかも、以前にも経験していたんですが、わざわざ露天風呂が見えるところに、車を駐車する若者がおりましてね、そこで待機してたヤツとバッチリ目が合っちゃいました。

おおうっ、そうだった。

そう唸ったときには、既に手遅れの状態。
お風呂に入る時は、前を隠すなんてしゃれたことは一切せずに、むしろ男らしいぐらいの勢いで湯船に向かってしまう私は、おそらく丸々見られてたんじゃないかと・・・思いまっす。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

別にね、裸見られたくらい、屁でもないんすけどね。
(現に過去、菅の温泉で、思いもよらない混浴を経験してます→過去の日記参照)
ただね、そこまでして見に来るという人が信じられない。
どうも、そういう人って気持ち悪いんすよ。
人の裸だけ見ようって、その根性が気に入らない。

こそこそと見に来るなんて、バカじゃねえの?って思うのです。

どうりで、ここの温泉の記憶が無いはずです。
多分、以前ここに来たとき、早くこのいやな記憶を忘れたかったんだと思います。

駐車場の人と目が会った瞬間、その人をジーっっと睨んでやりました。
そのまま立ってると、ずーっと見られてしまうので、とりあえず自分の体が見えない位置までしゃがんでから、再び車に目をやると、その人はいなくなってました。
(多分逃げた)

思ったよりも気が小さい人みたいです。
このウンコ野郎!

そうつぶやくと、まるで何事もなかったかのように露天風呂に入りました。
羊蹄山は綺麗なのに・・・・・人間てなんて・・・・・。
綺麗な山を見ながら、おばさんは露天風呂でつぶやいていたのでした。
(※あくまで、前を隠そうという発想にはなりません)

まったり、ゆったりしたところで、温泉を後にし、そこからの運転は私がすることになりました。
行きの運転者が、急に眠気に襲われたらしく、しょうがないので交代です。

私が運転する帰り道は、なかなかのスピードで運転してました。
もともと、長距離運転中は、素早く帰りたいタチなので、無駄なくスラスラと仁木町辺りまで来てしまいました。

で、何故か仁木町(裏道です)に来ると、無視して通れないポイントがありまして・・・。

カキーンと車を止めて、ログハウスの階段をダカダカ上がって、ドアを開けて、開口一番、「おばちゃんパイある?」。

まあ、ここに来るときは、いつもこんな調子なので、原田のおばちゃんも、さして驚く風でもなく。
「あるよー」とにっこり。
この日は、あんまりお客さんが来てなかったので、無事アップルパイを買うことができました。
(いつもホールで買って帰る)
実は私、りんごは、すごいアレルギーなんですが、焼いたり煮たりの加工したりんごは、なぜか平気で食べれます。
このフルーツパーラー原田で、アップルパイを2つ(ホール)をゲットして、またジェット機の如く小樽方面へと去っていくのでした。

そうして、小樽からまた札樽道にのって、札幌まで一気に帰りましたとです。

アップルパイ、ホール一個は自分の家用で、残り一個はスポーツクラブで会えた運のいい人用。
家に戻って、ホール一個を包丁で分割し、夜のレッスンで会えた人々に配給いたしました。

みんな、運動量増やしてゴメン。

でも、一人で太りたくなかったんでさぁー。

2007年3月30日(金)
今度こそ

ベルンのお話です。
スイス7日目。
日本で言う周遊パスみたいな役割を果たしていた、スイスパス。
5日目に期限が来てしまい、とうとう切符を買う際には、自力で購入するしかない状態になっていました。

日本に帰るまで、まだ丸1日以上あります。

朝起きて、ホテルで朝食を摂りながら、外をぼーっと見つめていました。
もう一人でバーゼルの街中歩くの飽きたなあ。

自分の部屋へ戻って、ガイドブックを見ますと、ヨーロッパ一美しい緑と花の都という文字が目につきました。
スイスの首都である、ベルンです。

そういえば、まだこの国の首都には行ってないなぁ・・・・・。
と気づいた私は、その日はベルンに行くことを決めます。

そう考えたら善は急げ。
スイスパスが無いにも関わらず、ホテル前のトラムに乗り込みます。
(傍にある自販機で、普通にトラムの切符を買いました)
バーゼル駅に着いてから、ベルン行きの時間を確認します。
幸いなことに、20分くらいで列車はあるみたいです。

それまで、列車の切符を自分で買ったことが無かったので、バーゼル駅に着いてから、ややしばらく、回りの行きかう人々の動きを観察します。

5分くらいじーっと観察していると、たくさんの人が自動発券機で切符を買っています。
近くに行って良く見てみると、駅名の羅列があって、その横に切符の値段とボタンがあります。
てことは・・・・・・ベルンの横の金額を投入してボタンを押せば、切符が買えるじゃん、
というすばらしいことに気が着きました。

やったー、とりあえずはベルンに行けるやん、って安心した私は、早速発券機の列の後ろに並びます。
3,4人の人が目の前で切符を買っていましたが、丁度私の前の人になったときに、ボタンを押しても切符が出ない状況になってしまいました。
あれっ?と思い、後ろで不思議に思いながら見てますと、なんと、駅名によって、買えたり、買えなかったりする事態が起きてるみたいです。
前の人が、何回かお金を入れてボタンを押したんですが、切符が買えず、ついに諦めてお金を戻しておりました。

その一部始終を見ていた私は、「えええーっ、どうかベルンは買えますようにぃぃぃっ」と強く願ったのですが、願いむなしく、ベルンもね買えなかった・・・・・とほほ。
いくらボタン押しても、出てこなかったよ、切符。
2回、同じことしたけど、やっぱり無理だったみたい。
日本じゃありえねーって思いましたが、残念ながらココはスイス。
郷に入らば郷に従うしかないようです。

ショボーンとしながら返却レバー押してお金戻してね、ちゃんと切符売り場行って買いました、またもや英会話本片手に・・・。
私が、英会話本に書いてある通りに「切符くれっ」てしゃべる前に、切符売り場のお兄ちゃんのが先に、「行き先どこ?」って聞いてきてしまったため、英会話本は全く役に立ちませんでした。
とっさに「ベルン」と答えるのがやっと。
矢継ぎ早にお兄ちゃん「片道か往復か?」と聞いてきたので、「カムバックする」っていうたった。
そうしたら、「ファーストオアセカンド(一等と二等の席どっち?)」いうので「セカンド」いいまして。

英会話の本、一ミリも役に立たないまま、切符が買えました。

まあ、人生こんなもんだよね。

ほとんど日本語の延長みたいな英語の継ぎ足しで、何とか切符をゲットできたので、すぐに列車に乗り込みます。
いつの間にか、時間は出発ギリギリだったみたいです。
私が乗り込んで間もなく、列車は出発したのでした。

ベルン行きの切符を自分で買えたのがちょっぴり嬉しくて、座席に座ってから記念に写真など撮ってしまいました・・・。

ベルンまでの所要時間は大体1時間半くらいだったでしょうか。

なんとなく買えた切符 ベルンの案内図 駅から時計塔を臨む
噴水 時計塔 の拡大図
ベルンの子供達 アインシュタインハウスの看板 店の隣に入り口がある
外から入り口を見る 階段を上がる ココがお家
入り口入ってすぐ暖炉 向かいに机 居間右側
居間左のカウチ 居間中央テーブル 天井の電灯
居間左手前 幼少のアインシュタイン 夫婦揃って
アインシュタインの奥さん アパートの裏 アーレ川
ミュンスター広場から 同じく 広場横の大聖堂
教会内部の椅子 アチコチ古い彫り物が・・・ 良く見ると骸骨が・・・
模様が怖いステンドグラス 天井高っ! キリストとマリアさん
内部の風景 大聖堂上からの街並み

ベルンという町はその名のとおり、名前の由来は熊からきています。
この町を造ったツエーリンゲン家ベルヒトルト5世は、狩の最初の獲物の名前(最初の獲物は熊だった)を、町の名前にすると決めたんだそうです。
なので、ベルンのシンボルである熊は、町のあちこちで見れます。
熊のゴミ箱とか熊の絵とか。
いたるところ、町中が熊だらけ。

本能的に・・・・・熊が大嫌いな私にとっては、鬼門とも言える町なのですが・・・・・・・・それはそれ、これはこれ、多少の割り切りをもって、この町の観光に臨みたいと思います。
(私が熊を嫌いになった理由としては、おそらく子供の頃、ヒグマによる凄惨な事故のニュースを聞いてしまったためと思われます)

そういえばよくよく考えたら、ベルンに来たのは、そもそもアインシュタインハウスというところを見に行くためだったんだった。
(実は日本にいたときから、なんとなく行ってみたいなあと、うっすら思い浮かべておりました)
そうそう、みんなが知ってるあのアインシュタイン、のお家があったところ。
特殊相対性理論とか、アインシュタインにとって重要な仕事は、このベルンにあるアインシュタインハウスというアパートに来てから考え出されたものなのです。


ヨーロッパ最長である、ラウベンと呼ばれる6kmものアーケードに、このアパートの入り口があるのですが、いんやー、探すのめっちゃ大変だったよ。
なんせね、6kmもあるアーケードのうちの、すごく見えずらーいところに、ちっちゃくココが入り口って書いてあるもんだからね。
観光客らしき人たちみんな、探せなくて近くでウロウロしてましたよ。
写真を見てもらえれば一目瞭然なのですが、普通に店とかが並んでる隙間にちょこっと入り口がある感じ。
普通に歩く速度だったら、絶対見落とすって。

そんな見つけにくい入り口、かくいう私も、一度通り過ぎてしまって、再度ウロウロしてようやく発見できたのです。
ここに到達するまでに、途中5、6個の噴水を見つけました。
ベルンは、噴水もたくさんあることで有名みたいです。
とはいえ、噴水なんぞにはさほど興味が無い私は、噴水の前で写真を撮っている観光客の前をスタスタと通り過ぎ、当初の目的であるアインシュタインハウスに突撃です。

店と店の隙間にある入り口の階段を3階まで上ると、ようやくアパートの入り口が!
入り口を入ると、おばあさんが受付で座っています。
おばあさんの前まで歩くと、毎度毎度の決まり文句である、「どこから来たの?」を英語で聞かれたので、「ジャパン」言いましたら
、日本語で書かれた案内パンフレットと、入場券をくれました。

日本語で書いてある案内は、ちょっと変な日本語訳が入っていたりしたんですけども、大筋では問題なく理解することができました。
って、そのとき気が着いたんが、受付のおばあさんがいたところが既に目的の家の中だった。
激に狭い!
(こんな日本語の使い方っていいんだろうか・・・)

暖炉と机しかない、人が何人も立っていられない程狭かったので、すぐに私は奥にある居間に進みました。

んで、またまた居間に進んでびっくり。

せ、せ、せっまー!

びっくりするくらい狭いのです。
ここ、日本の自分の家の居間より狭いっ。
予想に反し、余りの狭さゆえ、そこにいた人たち皆驚いてる、andすぐに出て行く、
といった状況。
イメージしてたのと全然違ったので、愕然としてしまいました。
いくら昔の家とはいえ、この狭さは・・・・・。
2間と書いてありますが、実質一間、この空間でアインシュタインは相対性理論を考えていたのか・・・。

偉大な人物は、思考をするのに、場所を選ばないということなのでしょうか。

もし自分が、アインシュタインと同じ能力を持って生まれたとして、同じ場所で何か考えたとしても、そんなすごいこと、絶対に考え出すことができないんじゃないかと思います。
ってアインシュタインじゃないから、そりゃ当然っちゃ当然なんですけども・・・・・・・・・・。

やはり彼は、そういう仕事をするために生まれてきた人なんだと思います。

そんなこと考えながら、部屋でぼーっとしていると、子供の頃の写真がありました。
(写真参照)
良く見ると、水泳選手のソープに、お顔がクリソツな気配。
気のせいではないよなあ、と思い一枚パチリ。
あとは、部屋のところどころ(とはいえ見る物はほとんどない)を写真に撮って、アインシュタインハウスを後にしたのでした。

部屋を出ると、すぐ裏に大聖堂への道がありました。
「きっと、アインシュタインも、ここに住んでいた頃は、この辺を散歩していたに違いない」
などと考えながら、てくてくと大聖堂の方へ。
ちょっと歩くと、すぐにミュンスター広場が見えてきて、その横には大聖堂がありました。
まずは、広場の方へ行ってみることにして進んでみますと、その前にはアーレ川が広がっておりました。
広場は公園みたいになっており、ところどころに休憩用の椅子が置かれていて、老夫婦とか親子連れとかが、ノンビリと座っておりました。

川の流れが妙に心地いい。

不思議と落ち着いた気持ちになります。
その風景を何枚か写真に撮り、また後ろを振り返り、今度は大聖堂にGOです。

教会(大聖堂のこと)に入ると、中は、今までに見た教会とは、威厳というか荘厳というか、なんか雰囲気が全然違います。
天井、高っ!
びっくりするほど高いです。
どうやって大掃除とかすんだろうと、こちらが心配するくらい高い天井です。

これは、塔の高さによるものなのでしょうか。
尖塔が100メートルもあって、スイス一高い。
あと、ゴシック様式なのも関係しているのかなあ。
まあ、今までみたスイスの教会では、ダントツな気がします。

次に目に入ってきたのは、鮮やかなステンドグラス。
綺麗に装飾してあります。
あんまり綺麗なので、近くに寄ってよくよく見てみると、・・・・・・・・・・・が、ガイコツ?

絵柄のほとんどにガイコツが入ってる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

おそらく宗教的ななにかの意図があるのでしょうが、ガイコツのステンドグラスはちょっと引いてしまいました。
綺麗だけど、非常に怖いです。

でもそれ以上に私を怖がらせたのは、礼拝堂にある椅子のふちを飾っている、彫り物です。
1400年代から作られてたりするものですから、年季が入っているというか、なんというか普通に怖い。
顔だけの彫り物とかが、とてもリアルで怖い!
あんなところに座ってたら、ちょっと小心者の人なんかは恐怖のあまり、間違いなくちびりそうなくらい怖いです。

教会コエー。

中を見て回っているうちに、すっかり怖くなってしまい、そうそうと大聖堂を出ることにしました。

で、出口の方へ行ってみると、出口の傍になにやら、石でできた階段が目に付きました。
そこには張り紙が貼ってあって、その内容を私が推察するに、どうやらそれは、塔の展望台へと続く階段みたい。
4スイスフランと書いてあったので、横の窓口のお姉さんに4スイスフランを渡すと、ドイツ語で多分「どうぞ」って言われました(自分が勝手にそう思っているだけですが)

なんとなく反射的に勢いで、お金払っちゃったけど、階段を上り始めてすぐ後悔。
観光ガイド見たらね、なんとその石段254段の螺旋階段だった。
いっこいっこの階段がとても苦しい。

しかも後ろから、ドイツ人親子がはしゃぎながら追いかけてくるし。
どうやら私を追い抜かしたいようです。

小学生くらいのガキンコが、息を切らしながら後ろに迫ってきて、とってもうざかったので、ここで私は加速装置を発動。

大人の名誉にかけて(それってなんの名誉なんだ?)ここは先頭を死守しなければならない・・とういうような使命感に襲われた私は、(ただの負けず嫌いとも言いますが・・・しかも子供相手)普段の運動能力(エアロビクス&水泳)を大爆発させて、髪を振り乱しながら走って階段を上り始めました。
そらもう、ロケットばりな勢いで。
「もも上げ、もも上げ」とかわけのわからん日本語でリズムをとって、気が着けば、ホラすごい、もうてっぺんに着いた。

ぜええええええっ、ぜええええええっ、・・・・・・・・・・・・。

真っ赤っ赤の顔をした、髪がぐしゃぐしゃのおばさんは、展望台に着いたとたんへたり込み、呼吸困難で、朽ち果てていたのでした。

そよそよそよ。

塔のてっぺんはさえぎるものが何も無くて、風がものすごく気持ちいいです。
真っ赤な顔が、だんだん元の肌色にもどりはじめた頃、先程の親子連れが到着。

大人気ない私に、少し呆れたような顔をしながら、その親子は目の前を通り過ぎていきました。
私は、それでもまだこの風に吹かれているのが気持ちよくて、しっとりと展望台にたたずんでおりました。

今日はもう、一日分の体力使っちゃったなぁ。

そうつぶやきながら、展望台からの街並みをパチリ。
また来た階段を、今度は下に下りていったのでした。


展望台を下りて、今度はどこへ行こうかとガイドブックを貪っておりましたら、町の端っこの方に、バラ公園なるものを発見。
大聖堂付近からは、20分くらいで行けそうなので、ちょこっと見てみることにしました。

てくてくと歩き始めると、またもや噴水。
歩けど歩けど噴水。
ふざけるなあ!ってくらい噴水がありました。
そうこうして、30分くらい歩いたら、目的のバラ公園ハケーン。

バラ公園・・・・・・・・っていかにもバラとか咲いてそうと期待して見に行ったのですが、今時期はバラがほとんど咲いてなかったみたい。
なんかね、造園業の人たちが、手入れなのかバラの引越しなのか分かりませんが、なんかの作業をしていて、目的であるバラが全然見れなかったんす。

バラの無いバラ公園は、ただの公園でした・・・・・・・・・・・・・・・。

そこは、家族連れしか来ておらず、一人で公園を歩いている私は、ひっじょうーーーに浮きまくりでありまして、15分もしないうち(一応園内を一周はした)帰り道を歩いていたのでした。

バラ公園、見なかったことにしよう。

と今回の旅から、記憶を消してしまいたい衝動に駆られていると、バラ公園の坂道を下りた左側に、なんだか人だかりが見えてきました。

なんじゃろって思いながら近くまで寄ってみますと、ななななな・・・なんと、人だかりの中を掻き分けて前に出て見ると、そこには、私の天敵である熊が鎮座しておられました。

ひょええーーー、一瞬ひるんでしまいましたが、大丈夫。
熊は、人間の高さより地下1階くらいに掘り下げられたところにいましたので、間違っても襲われる心配はありません。

ガイドブックで確認して見ると、そこは熊公園と書かれてありました。
普通に公園に熊が・・・。

軽くめまいを感じながらも、しばらくその熊を眺めていたんですが、記念に写真をとろうと思ったら、いえね、メモリが切れてる。

アインシュタインハウスで使いすぎたらしくて、カードメモリなくなってた。

そういうことで、熊の写真は撮れなかったのですが、熊公園の熊は、私が日本で見た熊とは随分見てくれが違ってました。

よくテディベアってあるじゃないですか、くまのぬいぐるみで。
あれ、なんかうそ臭いって思ってたんですけど、スイスの熊はまさにあれだったんですよ。
毛が茶色っぽくて、まあるいの。
表情とかも愛らしい感じがして、なんとなくかわいいのです。

一方、日本の熊って細長くて、おっかない顔をしてますよね。

日本で見た熊とは、えっらい違うなあ、と感心しましたが、やはり動物も土地が違えば、全然違うんだなあと改めて認識することができました。
やはり物事は、自分の目で確かめるのが一番、と妙に納得。

そんなこと考えてたら、突然お腹が「グウーー」って鳴ってきたので、とっととバーゼルのホテルに戻ることにしました。

で、帰り道・・・・・・・・・再び噴水だらけの道6キロ、延々と続くアーケードを戻りましたよ。
てくてくと、ただひたすら歩いてね。

熊公園を離れるとき、耳元で聞きなれないフランス語が聞こえてきます。
後ろを振りむいたら、すぐ後ろにフランス娘(多分高校生くらい)二人が、何かくっちゃべってマス。

あんまり声がでかくてうるさいので、少し離れようと、小走りで前に行ったら、その二人も小走りで付いてくる。
またすぐ私の後ろにいるので、今度はもっと早く走って振り切ろうとしますが、またもや後ろに。
何回かそういう試みをして見たのですが、結局後ろに張り付かれたまんまだったので、そのうちめんどくさくなって、とうとう諦めてしまいました。
その間、やたらフランス語が耳について、結構いらいらしてました。

この二人、ひょっとして東洋人がめずらしかったんだろうか。
とも思ったのですが、
結局、ベルンの駅付近まで付いてきたその二人は、駅構内に入ると、いつの間にかいなくなってました。

あー良かった。
まあ、別に何かされるわけじゃないから、さほど気にしなくてもよかったかもしれませんが・・・。

ベルンの駅に着いてからからまた今度はバーゼル駅に向けて列車に乗り込みます。
ベルンに来るときに、往復の切符を買っているので、今度は切符を買う必要がありません。
そのままするっと乗り込んで、バーゼルに着くのを待ちます。
この日は、珍しく寝てませんでした、帰り道。


一時間半の乗車時間を経て、またいつものようにバーゼルに帰り着いた私は、真っ直ぐにホテルに戻りました。
本当だったら、バーゼル駅近くの中国人のおじさんが作るチャーハンを買って、持ち帰りたかったのですが、この日はおじさんのところには行きませんでした。
連れのものから連絡があり、夕食を外のレストランで食べようと誘われていたからです。
なので、残念ながらホテルに直行。
そしていよいよ明日、日本への出発を控えて、ホテルからちょっと歩いたところにあったスペイン料理屋さんで、ご馳走をたべたのでした。
このとき、確かにご馳走を食べたはずなんですけど、今となっては何食べたか、一ミリも思い出せません。
写真とかに残しておけばよかった。
最後の夕食とビールで、多少酔っ払いながらホテルに戻り、そのまま、またいつものバタリ。

翌日の朝を迎えることとなるのでした。

2007年3月14日(水)
やっと出た

今日はめでたいです。
ええ、やっと出たのです。

出たといえば、あれですよアレ。
土曜日から私を苦しめていた、例のブツ。
とうとうお別れの日がやってきました。

思えばこのブツ、役3日以上私の腹の中に留まっておりました。
随分熟成されていたことだと思います。
後は
引っ込みのつかなくなったお腹をなんとかするだけです。

とはいえ、頼りのブルブル(スポーツクラブに置いてあった)のデモは、今日で終わりと書いてたので、本当に運動で何とかするしかなさそうです。

こういうときに限って、サボり虫が疼いてきたりするんですよね。
困ったことに、全然やる気がないす。
でも、ブルブルはもう取っ払われてしまってるはず・・・・・・・・・・・・・・・・・・
運動せずにお腹を引っ込ませる妙案、何かないでしょうかねぇ。

って今気が着いたんですが、ブルブル少しは効いていたのだろうか。
乗ってしばらくは、ゆれた脂肪付近が熱くなるのですが、それ以上特段変わった感じが全然しなかったような気がします。
10分で役2時間のウオーキングと同じ効果、と書いてあったので、多少の気休めにはなりましたが、実際に効果があったかどうか正確に認識するには至りませんでした。
それでも毎日並んで、ブルブル脂肪を揺らしていたんだよねぇ。
置いてある間は、常に人が乗っていたっけ。
並んでいた人もいたなあ。
今度はデモ機じゃなくて、本当にクラブに置いてくれないかしら。

ブルブルブルブルブルブルブルブル(脂肪の揺れる音)

2007年3月13日(火)
今度こそ

すみません。
次の話はベルンとか言っといて、全然違いました。
自分で気が着かないうちに、アルツハイマーがどんどん進行していたみたいです。
ということで、正真正銘、次のお話は、下記の文です。

スイス6日目。
この日は、とうとう私の唯一の交通手段であったスイスパスが使えなくなった日です。

どうやって、一日を過ごそうか考えあぐねていると、一緒にスイスに来ている連れの仕事が、午後の夕方にならないうちに終わるということなので、午後から二人でバーゼルの街を探索することにしました。

それまでの時間は、結構空いているので、先に一人でバーゼルの街を探索することに・・・。
この日はスイスパスがないので、トラムとかは極力使わないことにして、全て徒歩で行くことに決めました。
まずは、ガイドブックに載っている日本食のレストランを探しに、とぼとぼ歩きはじめます。
20分くらいで目的地に到着したのですが、辺りを見回しても全然それらしき店がない。
ひょっとして、このガイドブック、古いんか?
と疑いつつも、きっと自分が見つけられないだけだろうと思い、もう少し回りを見てみます。
ぐるぐると同じ一角を回ってみたものの、やはりそれらしきレストランはありません。

やはり、店は既になくなってる・・・・・。

疑いが確信に変わりました。

残念なことに、やはりこのガイドブックは古いみたいです。
以前にも(リヒテンシュタインで)同じことがあったので、別段驚く風でもなかったのですが、こんなことが度々あると、無駄に動くことが増えてしまいますので、次回旅行に行くときは、なるべく新しい情報の載った本を探そうと、強く心に決めたのでした。

こういった経験により学習する私。

次は、前々から気になっていた、この街で唯一のラーメン屋を探しに行くことにします。
幸いなことに、今いる場所からはそう遠く離れていないので、すぐに見つけられそうです。
5分も歩くと、やはりその場所はすぐに見つかりました。
ビルの入り口付近に、英語で生めん(namamen)て書いてあった(写真参照)。

なんかね、店の中を覗いて見たんだけど営業してないみたいなんよね・・・。
ここまで来たのに「えええーーーっ」と思い、入り口の扉に書いてある文字を読みますと、丁度昼の営業時間と夜の営業時間の間な時間帯だったみたい。

あと2時間もすればまた営業するみたいなので、その頃来れば、少なくともラーメンは食べれそうな気配です。

とりあえず、しょうがないから、またとぼとぼ歩いてみることにします。
時折置いてあるベンチに座って、ガイドブックを見てみるのですが、とりたてて自分の興味がありそうな店とかものがないので、このままライン川でも見ながらホテルに戻ることにしました。

途中、木の上に日本でいうほおずきみたいな実がたくさんなっていたので、記念にパチリ。

またしばらく歩くと、犬専用のウンコポストが結構アチコチに置いてある。
下には袋もついてる。
これも日本にはない文化なので、記念にパチリ。

ライン川の写真を撮りながら、一旦ホテルに戻ってきました。
そうして、連れの仕事が終わるのを部屋で待っていたのですが、なかなか戻ってきません。
昼間、歩いてあちこち行ったせいか、ベッドで腰掛けていた私は、知らないうちにゴロンと寝こけてしまいました。

夢うつつで、よだれが頬を伝う頃、やっと連れから連絡が!
はたと目覚めたら、ほっぺたよだれでガビガビ。
急いで洗面所に行って顔を洗い、今度は二人で出発です。

このときは既にお腹がすいてた時間だったので、遅い昼食をとることにしました。
連れに、先程見てきたnamamenn(ラーメン屋)のことを話すと、まずはそこでラーメンを食べたいっちゅうことだったので、今度はトラム(歩くの疲れた)使って、ラーメン屋近くの停留所までGOだす。

思ったとおり、店に着いた時には、中にはたくさんの人であふれ帰っておりました。
それにしても不思議です。
中には日本人の客が一人もいない。
みんな、ドイツ人とかヨーロッパの人っぽい。
日本人のこないラーメン屋に入って大丈夫なんだろうかと、不安に思っていたのですが、そのときはとにかくお腹が空いていたので、仕方なく入ることにしました。

外国人スタッフに案内されて席に着くと、スタッフが皆外国人しかいないと思っていたら、奥の方から、日本人女性が出てきました。
自分達に対しては日本語で対応してくれたので、大変助かりました。
もっとも彼女は外国人客にはドイツ語で対応していたのですが・・・。

そこで、味噌ラーメンを注文して食べました・・・・・・・・味は思ったよりも美味しかったです。

事前に、以前スイスに来たことのある人の話を聞いていたので、ある程度の覚悟を持って食べたのですが、以前より各段に味が良くなったと言ってました。
とはいえ、日本ではまずありえないかもと思えるような味なのですが、外国人客がそこのラーメンをとても美味しそうに食べてまして。
その姿が、私の目には妙に印象的に映りました。
この人たち、日本でラーメンとか食べたら、びっくりするんちゃう?
そう思いつつ、土地の条件を考えると、この味でもきっとこれが精一杯なんだろうなと思いつつ、そこのラーメン屋を後にしたのでした。

ラーメン屋 営業時間書いてる ほおずきみたいな木
ラーメン屋店内風景 犬のウンコポスト ライン川
ライン川 ライン川と城 どっかの屋根と岸辺
ミリオネアーーーっ!

お腹も膨れたことだし、美術館でゆっくり絵画でも見ますか。
ってことになって、早速美術館に行きました。
そこに滞在すること、約3時間。
結構がんばって見たんだけども、やっぱりこのくらいは平気でかかりますね。
写真撮影ができないので、写真はないのですが、シャガールとかマネとかモネとか有名どころはほとんどありました。
ヨーロッパの美術館は、見ごたえがあって大変よかとです。
満足しつつも、連れに対して、リヒテンシュタインでの出来事を延々と話しまして、そことの違いを一人熱く語っておりました。

そうこうしているうちに、いつの間にかもう夕食の時間になってました。

夕食は、帰り道がてら、途中にあったマックに寄って、店内で食べることにしました。

何頼んだのか、今となっては全然覚えていないんですが、結構食べ応えがあったことだけ覚えております。
何で外国のマックってでかいんだろう・・・。
めっちゃお腹にきましたよ。

マックのセット食べた後、ホテルに帰り、部屋に戻ると・・・・・・・・するとそこにはびっくりする光景が!

いえね、テレビつけたら、ミリオネアやってた。
もともとこちらが本場なのでしょうが、使われてるセットとか音楽が全くおんなじ。
違うのは、出演者とか司会者がドイツ人で、言語もドイツ語だってことくらい。

一瞬、日本に戻ってきたかと錯覚しそうになった私は、このミリオネアの画面を写真に写したあと、ベッドに深く落ちていったのでした。


バタリッ

2007年3月13日(火)
お腹痛い

と、鳥の祟りです。

お腹に丸々一羽入ってしまいました。
丁度、下腹辺りに。
ポッコリと、若鶏一羽分の大きさのでっぱりができました。
非常に苦しいです。
未だに苦しいのが続いています。
これはもう、鳥の祟りなんじゃないかと思うのですが、どうでしょう。
本来なら、下っ腹はもうとっくに元に戻っていいはずなんですが、全然もとの形に戻りません。
(単に太っただけとも言いますが)
やはりコレは、無謀な行為だったのかもしれません。

若鶏定食食べる前に、ベーグルなんて食べるんじゃなかった・・・・・とほほ。

土曜日に、何ヶ月ぶりかで若鶏時代のなると本店に行ってきました。
家族の強い要望により、昼食はここで、握りと若鶏定食を食べることになりました。
そのときの写真↓

  
入り口       写真撮る前にブツがなくなってました、これは一部残ってる・・・

すみません、相変らず写真を撮る前に、既に胃の中に放たれた後でした。
どうも、全体の写真とか考える以前に、本能を優先させるクセがあるみたいです。

気が着いたときは、一個も残ってなかった、握り寿司。

若鶏定食は、そのボリュームのなせる業なのか、正気に戻ったもんね、一瞬。
おかげで食べきる前に写真が撮れた。
って既に半分食っとりますが・・・。

そのときから、下腹辺りがポッコリと膨らんで、未だそのポッコリが取れない。
今日は、がんばって運動したにも関わらず、相変らずポッコリ。
若鶏は随分腹持ちがいいみたいです・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
あー、早くお腹スッキリさせたい。

2007年3月5日(月)
スイス

6日目。
書こうと思うてたんですが、結局のところ挫折してしまいました。
写真の整理がまだできていないので、それが終わってからまた再開いたします。
次はね、ベルンのお話です。

2007年3月5日(月)
もう

3月になっとった。
気が着いたら外は春みたいなお天気です。
もうすぐ本当の春がやってきそうな感じ・・・。

先週の日曜日は、先々週に引き続き、またしても番屋の湯に行ってきました。
先週は、先々週より一時間くらい遅い時間に行ってきたのですが、たった一時間の差で、びっくりするくらい混んでおりました。
まさに芋のこ洗い状態。
先週みたいにゆっくりと入ってられないような状況だったので、何がなんだか分からないうちに上がってしまいました。
はっきり言って入浴料がもったいなかった。

非常に口惜しいとは思いましたが、人で混雑した場所は基本的に長居したくないので、この日はお風呂をさっさと上がって、家に帰ってからゆるゆるした時間を過ごすことにしました。
家に着いてからゆるゆる・・・・・し過ぎて、いつの間にか転寝。
まあ、北海道ではよくある風景。
ごろんとしながら夢うつつなのでした。
そんな週末を過ごして、すっかりリラックスした状態が続いてます。

今日も外の天気がすこぶる良い。
春みたいな日差しに包まれながら、半年も前の記憶をたたき起こし、そろそろスイス5日目の出来事でも思い出すことにします。

ということで、5日目はっといいますと・・・。
リヒテンシュタイン公国というところだったかな?
多分そうだったと思います・・そこに行ってきました。
朝は、4日目とほぼ同状態で朝食をとり、またいつものようにトラムに乗ってえんやこら。
バーゼルからサルガンスという駅まで多分2時間くらいかかったような気がします。
そこからまたポストバス(リヒテンシュタイン公国、首都ファドゥーツ行き)に乗り換えて、30分。

んで、
下の写真がそのリヒテンシュタインの町並み。
この国は、オーストリアの貴族ハプスブルク家に仕えていたリヒテンシュタイン家が、自分も一国一城の主になりたいと考え、長い時間をかけて領土や統治権を獲得していき、ついに1719年公国に昇格。
中世ヨーロッパにあって、武力に頼らず財力と政治力で国を築き上げたという稀有な国なのです。

現在ではスイスからは、国境審査とかはなくてほとんど素通り状態。
この国で有名なのが切手、それと国家元首(世界有数の絵画の個人収集家)が集めている絵画。

乗り換えのサルガンス駅の南の方には、アルプスの少女ハイジのモデルになった村、マイエンフェルトがあったりします。
もう、ほとんどオーストリアじゃん、ていうくらいスイスの端っこ。
リヒテンシュタインはスイスとオーストリアに挟まれたところにあるんですね。

でですね、なんでここに行こうと思ったかいいますと、実は私、絵画を見るのも描くのも大好きなんでございまして・・・・・。
大公の膨大な個人コレクションの一部を、一般公開している美術館に行くために、やってきたんでありました。
かつてNHKが、大公居住城のファドゥーツ城にある、2000点余りの名画全てを、世界で初めて撮影し放映、大変な反響を呼んだらしいのですが、どうしてもその名画を見てみたかったのです。

とはいえ、一般公開されているのは、ごく一部・・・。
ルーベンスとかレンブラントとか・・・・・日本にいたら一生目にできないような名画がそこには普通にあるのです。

どんな絵画があるのだろうと思いを馳せているうちに、たちまちに時間が過ぎていたらしく、長いはずの乗車時間が気にもならないうちに意外とすんなり首都に着いてました。
外の天気はまあまあといったところでしょうか。
ファドゥーツに着いてからは、すぐに駅付近の観光案内所を探しました。

下りたバス停からちょっと歩いたところに、観光案内所はありました。
そこで、ファドゥーツの地図を貰って、辺りを歩きます。
案内所のすぐ裏には、にぎやかな歩行者天国らしき観光の通りが広がっていました。
そのところどころに、いろんな芸術家の作品が置かれています。
お土産屋さんとか、飲食店とか博物館とか・・・いろんなものが並んでおります。

しばらく歩いて見ると、ファドゥーツ城への案内標識発見。

なぜ、コレが城への案内なのかといいますとね、字は何を書いているかさっぱり分からなかったのですが、下にお城の絵が小さく描いてあったのよ。
ほんで、こりゃファドゥーツ城に行ってみるしかないと思いまして、徒歩で進んでみました。
歩き進んでいくと、ところどころに矢印があって、その矢印の通り、きっつーい坂道を歩いていくと、30分くらいでお城に到着。

お城に着いた頃には、汗がダバダバ出ておりました。
周りにはだーれもおらんし。
肝心のお城は工事しているみたいで、門には進入禁止のマークが貼ってあった。
中にはきっと、コレクションとかたくさんあるんだろうなとか思って、じーっと見ていたんですが、普通に人がいないので、あんまり長居しても意味がなさそうな気配。

ただじーっと見ていても、何も事態が変わらなさそうなので、しょうがないから写真を撮って元来た道を戻ることにしました。
このお城見学では、かなりの体力を消耗しました。

温暖 街のアチコチに作品が 街の消火器
案内の看板 なんじゃろ、コレ ファドゥーツ城へ
坂道キツイ 街が低く見える 葡萄畑
山なみ 水場 もうすぐ城が
見えましたヨ 工事してる 後ろの山
ワイン畑の道 脇に咲いてるバラ ピノノアールの葡萄
コレも 黄色のバラ 大公家のワイン販売所
大公家のマーク 畑の道の向こうはお城 山なみ
大公のワイン買っちった 入り口 お城のミニチュア
くるみわり人形デカっ マイエンフェルトの案内(青) ポストバスからの風景
トイレ安っ(他は約10倍) サルガンスのホーム 何の城だろ

元来た道を戻ると、さっきの観光の広場に出ました。
そこらへんには、普通に博物館とかがあるので、ここでリヒテンシュタイン美術館を探すことにしました。

・・・・・てくてくてく・・・・黙々と歩くこと30分。

いえね、見つからないのよこれが。
観光ガイドにのってる地図と、ガイドブックに載ってる地図の場所が全然違うし。
そのどちらの場所にいっても、リヒテンシュタイン美術館なるものがないのです。

・・・・・・ひょっとして、ガイドブックの情報が 古いのだろうか・・・・・・。
不安がよぎります。

しかしまあ、ここで時間を無駄に過ごすわけにも行かないので、とりあえず気分治しに、大公家所有のワイン醸造所に行くことにしました。
中心街から北へ10分と書いてありますから、多分これならすぐに行ける筈です。
まずはカンタンなところから制覇しよう。

などと思ったのですが、・・・・・・・考えが甘かったみたいで・・す。

徒歩10分のはずなんですが、15分歩いても一向にそれらしきものが見つからない、全然わからん。
あー、また迷っちゃったかなと、なかば諦めめいた感情が湧き始めた頃、突然目の前に案内の看板が出てきました。

・・・・・・・ひょっとしてこれかいな?

その看板をみるとですね、大公さんのかどうか分かりませんが、とにかくワイナリーと書いてあるので、その先に進んで確認することにしました。
位置的にはおそらく大公さんとこのワイナリーなはずなんですけど。
なかなか、門までたどり着かない、これが。
そうして5分くらい歩いたら、やっと見つけた。
ガイドブックの写真と同じ門を。

はあーーーっ、やっと着いたーーーー。

と、思うのもつかの間、門をくぐるとそこには、ワイン畑の道が延々と続いていたのでした・・・・・。

えっと、
歩いて10分ちゃうやん。
どう大目にみても、無理がある。
だって、門を入ってからワイン畑の道だってかなりの距離がありまっせ。
建物があると思われる場所までは、相当の距離があるし。
それとも、ヨーロッパの人たちは、これまで歩いてきた道のり+あそこまでの距離を10分で歩くのだろうか・・・・・。
確かに日本人よりは足が長いとは思いますが、

ううむ、わからん。

たとえ答えがどちらだとしても、自分の足では、既に10分で着かないことは明白ですので、建物までのブドウ畑を楽しみながら歩くことにしました。
畑の葡萄は、ピノノアールという品種です。
途中、名前の書いた札が貼ってありました。
このピノノアールという品種は、かの有名なロマネ・コンティに使われているのと同じ品種です。
とはいえ、土地とか気候とか作り手により、味や値段にかなりの差がついてきます(あ、あと年数も)。

しかしながら、リヒテンシュタインという国は、年間の日照時間が1500時間を超え、昼と夜、夏冬の寒暖の差が大きく、葡萄の栽培や醸造に適しているところなのです。
しかもリヒテンシュタインのワインは、ほとんど海外に出回らない。

となれば、大公家で飲まれていたワインがいかほどのものなのか、やはりここは確かめなくてはいけません。
大そうな使命感を持って(誰も頼んでない)、販売所への道を一歩一歩近づいていきます。

通りがかりの葡萄をにんまりと見つめながら、道の脇に咲いているバラの花なんぞを写してしまった。
あともうちょっとで目的である建物(大公家のワイン醸造所)です。
後ろを振り返ると、今まで歩いてきた真っ直ぐな道の延長線上にある、山の下の方には先ほど見てきたファドゥーツ城が見えます。
こうやって見るとなるほど、とても道が分かりやすいです。

そんなことを考えていると、やっと販売所に着くことができました。
建物の入り口付近にある案内の看板には、間違いようの無い大公家の家紋が記されてます。

で、早速中へGOだす。

中に入ると、おじさんが一人カウンターに立っているだけで、他にはお客さんが2,3人しかいません。
その2,3人と同じように、しばらくワインが置かれている棚を眺めて、銘柄に書いてあるドイツ語を見ていましたが、その中で私に分かることといえば、葡萄の品種と値段と年号ぐらいでした。
他はさっぱりわからませんでした。
ワインの値段はピンからキリまでありまして、とてもじゃないけど、そのほとんどが買えない値段でありました。
大きいワゴンに、観光客用のワインが積まれていて、そのワインは多分キリの方。
それでも日本円にして、1本2000円から5000円くらいでしょうか。
買えるけど、そんなに安くはなかった。
本当は、年代ものとかが欲しかったのですが、とてもじゃないけど買えそうもなかったので、仕方なくワゴンの方を買いました。

2本セットで買ったので、一本は日本に帰ってすぐ飲んで、もう一本はセラーで何年か寝かせてから飲むことにします。
またここに、再び来る機会があったら、そのときはもっといいワインを絶対買おうと心に決めて、今度来た時に迷わないよう、門のところでワインとともにパチリ。
ワイン販売所を後にしたのでした。

帰りの道は来るときよりも断然分かりやすく、販売所の門を抜けたらあら不思議、来るときにはわからなかった近道を発見できました。
ひょっとして来るとき、この道を通ればもっと早くこれたのかも知れない。
でもその道は、細くて人通りがないので、少なくとも観光客には、すぐにはわからないようなものでした。
スイスって、結構こういう道が普通にあるんだよね。
城に向かうときも一箇所あった、こういうところ。
普通の一軒家の、人一人通れる位のわき道、どう見ても道とちゃうやんてとこ。
そこを抜けないと、道がないという、とっても難解なところ。
ほとんどの人がそこで躊躇して、戻っておりました。

(私の場合、なんとなくそこが目的の道のような気がして、突き進んでしまいましたが)
家の人に注意されたら、そのときは間違ったフリをして戻ればいいと思い、ついつい進んでしまった。
その結果が本人もびっくりの大正解だったので、なるほど、スイスの道は侮れないなと悟ったのでした。

お城見学で通路の学習していた私は、運よく近道を見つけることができたので、帰り道は意外と早く、広場のある中心街に戻ることができました。
その途中、住宅街を抜けたときに、ファドゥーツ城のミニチュアを、本物の石で作って庭に置いてるお家がありました。
あまりに上手だったので、こそっとパチリ。

そうこうしながら、また元の広場に舞い戻ってまいりました。
戻ってからは、また違う道を歩いて中心部をブラブラ。
そうしたら、偶然全然名前の違う美術館(たしか国立美術館?)を発見。

もうこうなったら、ここでもいいやと思い、中に入って受付でチケットを買いました。
ロッカーに荷物を預けて(撮影等ができないように、必ず手荷物はロッカーに入れさせられる)、パンフレットの案内順に見ていくことに。
若い番号順から見ていったのですが、最初は最近の作家のものが多かったのですが、番号が増えていくごとに、古い年代のものがどんどん出てきました。
それらは、それまでの自分の人生の中で、見たことの無いようなものばかり。
その作品群の迫力に圧倒されて、ひたすら時間も忘れ、ただただ見入るばかりなのでした。

本当に凄い作品て、言葉にならないのですね。

余りの衝撃に脳みそが開かれていくのが自覚できました。
作品を見ているうち、無意識に自分の集中力がフル稼働になって、だんだんと周りの音が消えて自分と対象物のみの世界しか存在していないような、そんな不思議な感覚に襲われていました。

言葉にしたいのだけど、言葉にすることすら躊躇われるものがそこには確かにあった。
そこで、私は初めて「ああ、今回無理して旅をしに来て本当に良かった」と。
涙が零れ落ちそうになるのを必死でこらえながら、その作品を見つめていたのでした。

作品の中には、時を飛び越えて、作者の心に触れることができそうな、そんな不思議な感覚を感じさせてくれるものが確かにあるのです。

「作者の魂が生き続ける作品」と私は考えているのですが、人生の中では、そういったものに出くわすことって、そうそうあるものじゃないですよね。
でも運よく出会えたということは、やはり自分は幸せなんだなと心から思えるのでした。

ヨーロッパに来て、一番に凄いと感じたのは、こういうすばらしい作品を、普通に美術館とかで展示をしていて、子供とかでも間近で見れるようにしていることだと思います。
作品の値段とか考えたら、日本じゃ絶対にありえない。
日本の場合だとガラスケースとかに保管して、遠くからしか見れない状況になると思います。
でも、ヨーロッパの人々はそういう文化とか芸術に対しては、きちんとしていて、いくら間近で見れるからといって、だれも悪戯とか絶対にしない。
皆で後世に、ちゃんと残していこうという姿勢がうかがえるのです。

民度の違いとかを、たまにテレビとかで耳にしますが、あながち間違いではないかもなあと少し複雑な気持ちになっちゃいました。
やはり狭い国の中では見えにくいこともあるんだなあ、などといろんなことを感じ、様々な思考をしながら美術館を歩き続けてまおりした。

そしてそのうち、一つに区切られた空間が目の前に広がります。
中に進むと、いきなり真正面にある大きな肖像画の人物が、自分を見つめています。
とてつもなく鋭い眼光で!

思わず「うひゃっ」って声が出そうになりましたが、それは紛れもなく他の展示物とは違いました。
良く見ると、そこの一角の100点くらいの作品が全て秀逸。
驚くほどの存在感を示しています。

そこに入ってからは、なかなかその場所を離れられずにいて、石のように固まってしまってたのですが、後でパンフレットを良く読み返すと、それこそが自分が見たいと思っていた大公のコレクション達だったのでした。
それまで見た作品もすごいと感じておりましたが、大公のコレクションというのは、そのすごい中でもことさら洗練された作品だったような気がします。
例えば、チューリッヒと他の美術館で、同一作者の同じような作品が3点くらいあったのですが、その構図、色、雰囲気のどれもが3点のうちピカイチだった。
並べると、その差が歴然とするような唯一つといった感じでしょうか。
その、大公さんの選ぶセンスに驚かされました。

確かに、こりゃスゲーっ。

時間が・・・・・・・このまま止まってしまえばいい・・・・・・・、などと考えながら、帰りの時間が迫っていることに対して、意識的に気づこうとしない自分をなだめつつ、美術館の最高の展示物を後にしたのでした。

この感動を忘れないよう、しっかりとこの目に焼きつけて・・・・・・・・・・・・・。


帰りのバスからは、マイエンフェルトの案内標識をちょっろっと写真に写したり、ところどころにあるお城を写したりしてました。
サルガンスの駅でトイレに入ったのですが、ここは、バーゼルと違いトイレの値段が20円くらいでした。
(バーゼルは確か200円くらいだったかな?)
スイスは観光立国なので、トイレに入るのにお金がかかります。
ローザンヌで見つけたトイレは奇跡的に無料でしたが、そんなのはおそらくほとんどありません。
(でも、教会とかはなぜか無料なんだよね)
帰りの列車で、リヒテンシュタインのワインを大事そうに抱えながら、美術館のコレクションの興奮も冷め遣らぬといった風情の私は、少し幸せそうな表情だったのかもしれません。

自分の座席の向かいに座ったおばあさんが、しきりにドイツ語で話しかけてきます。
ワインの大公家のマークを指差して、リヒテンシュタインに行ってきたのかい?みたいなことを言ってたんだと思います。
その問いに対して、わたしは「うんうん」としきりに首を立てに振っていました。
そうすると「それは良かったねぇ」みたいに微笑み、またいつもの「どこから来たの?」の質問、定番ですね。
私がジャパン言うと、おばあさんは、ジャパン、キョウト?みたいなことを言ってました。
きっと、おばあさんが知っている日本の都市なんだと思います。
んで、私が英会話本片手に、英語で「北海道からきたんだよ」って説明したんだけど、どうやら北海道を知らなかった様子。
とても残念そうにしていました。

それでも、以前よりは外国の方と話しをすることにさほど抵抗を感じなくなっていた私は、もっと流暢にしゃべれたら、いろんな話しもできたのになあと、とてももどかしい気持ちでいっぱいになりました。
おばあさんも多分同じ気持ちでいたと思います。
見るからに品の良さそうな、笑顔がステキなおばあさん。
一緒にいても、そこの空間だけが自然とやさしくなってくるような、とてもいい雰囲気を持った方でした。

話は大してできないのだけど、とても居心地の良い時間をお互いに過ごすことができました。
自分が下りるバーゼル駅の前の駅を過ぎた辺りで、次の停車駅の案内が流れたときに、私が列車を下りる準備を始めたら、偶然おばあさんもバーゼルで下りるみたいな様子。
そして、泊まるホテルは決まっているの?みたいなことをしきりに聞いてました。
私が、「決まってます」と応えると、これまた残念そうに「グッドラック」を言い残し去っていかれました。
列車を下りて、気が着いたのですが、ひょっとしておばあさん、私と一緒に食事したかったのかな?
気づいたときは、おばあさん、もう見えなくなってました。
あー、私ってこういうとこほんっとに鈍感だよなあ、と自分の社交性の欠落を呪いつつガックリ肩を落としてホームを後にしたのです。

そんな愚かな私はホテルへの帰り道、また昨日の中国人のオイちゃんの店に立ち寄って、今日は麻婆豆腐ねって注文しておりました。

「明日もまたおいで!」って言う中国人のオイちゃんに手を振りながら、美味しそうな臭いがプンプンする袋をぶら下げて、またトラムでホテルに帰って行ったのでした。

2007年2月21日(水)
18日は

久しぶりに温泉に行ってきました。
暖冬のせいなのか、寝冷えのせいなのか定かではないのですが、どうもに体調がすぐれなかったので。

いつもなら、近所の北のたまゆらという温泉銭湯みたいなところに行きます。
ですが、今回は特別に、ずーっと気になっていた番屋の湯のその後を、実際に自分の目で確かめにいくことにしました。

何年か前までは頻繁に来ていたのに、来ないとなったら本当に来なくなっていました。
しばらくぶりの番屋の湯です。

番屋全景 すぐ裏のあそビーチ 夕焼けの石狩湾

お湯はとても温かく、たっぷりと浸かっておりました。
内湯の窓には、厳しい日本海の海が広がっています。

暖かい湯に浸かりながら、冬の厳しい日本海を見る。
最高のローケーションですな。
のっほっほ。

海の広がりが、より気持ちをゆったりとさせてくれます。
1時間とちょっとくらい入っていたでしょうか。
体がほぐれて、気持ちもゆったりしたせいか、お風呂から上がったあと、
今度は先ほどお湯に浸かりながら見ていた海に実際に行ってきました。

びぃよおおおおおおーーーっ。

う、海風、強い・・・・・。

夕日が・・ 波が荒い 足元も雪
砂浜は雪で覆われて 雪原 再び番屋

思ったより体感温度低い。
よく考えたら氷点下だった。
海風はさえぎるものがないので、勢い良く吹いてくるし。

海に出て3秒くらいで湯冷めするのがわかったよ。
みるみる体が冷えていくんだもん。

これ以上外に出ていると、マジで凍死しそうなので、そろそろ暖かい車に戻ることにします。
あー寒かった、ぶるぶるぅ。
やっぱり、厳寒の海は窓越しが一番みたいです。

2007年2月21日(水)
スイス
4日目。

この日は、前日の失敗を教訓に、観光を重視したプランを立てるがべく、朝から真面目にガイドブックを読みふけっておりました。

そうこうしているうちに朝食の時間になり、今日の予定を練るのは一時中断。

宿泊ホテルでの朝食は、レストランでバイキング形式です。
なので、食事の会場のある階まで向かわなければなりません。
エレベーターを使って下の階に行くので、まずはエレベーターへ。
このホテルのエレベーターは、シンドラー社製なのですが、日本で使われているのと違ってなかなかいい動き具合でした。
上とか下とかのボタンがついてなくて、行きたい階の数字のボタン(テンキーみたいなもの)を押し、
そして自分の部屋の専用カードを読み取り装置に充てると、自動でエレベーターがやってくるという、なかなか画期的なものでした。
シンドラーのシステムに関心してるうちに、エレベーターはレストランの階に着きます。

朝食の会場であるレストランに着くと、順番にトレーとお皿を取って、欲しいものを次々にのせていきます。
毎度4種類のチーズと天然酵母パン、他にウインナとかサーモンの燻製とかスクランブルエッグやら・・・思いっきり洋風です(だってココはスイス)。
2種類のヨーグルト、フルーツも何種類か置いてあって、見た目は華やかで美味しいのですが(実際の味も美味しい)、いえね、正直飽きた。

美味しいものも、3日も同じもの食べていたら、さすがに飽きるのです。
2日までは、もしかしたら昼も食べれないかもしれないと思い、2食分パクパクと食べていたんですが、3日目はなかなか喉を通らなかった。

1食分でもやばかったような気がします。
それでも、なんとかして食べなきゃと思い、むりむり1食分を食べきりました。
ゲフっ言いそうなのを我慢しながら、また自分の部屋に戻ります。

部屋では、今日の予定の続きを考えておりました。
で、ですね考え抜いた結果、比較的近いところで、見るものもたくさんある、ルツエルンというところに行くことにしました。

ここは、急行で1時間半くらいで行けそうです。
ガイドブックによると、ライオン記念碑(スイス人の傭兵の勇敢さを讃えている)とか氷河公園とかカペル橋とかが有名みたいです。
他にピカソ美術館とか教会とか、博物館とか・・・見るところ多すぎです。
流石に全部は無理でしょうが、見れるところから、見てみたいと思います。
昨日と同じ要領でまたホテル前からトラムに乗って、スララーっと鉄道駅に行きます。
4日目ともなるとさすがに電車関係は慣れてきました。

ちなみに・・・こちらの国には改札がありません。
一つの駅を過ぎると、新しく乗ってきた乗客の所へ、ピンポイントで車掌がチェックしに来るというシステムみたいです。
駅に着いて、すぐにホームに行けて、そのまま電車に乗り込むという、日本では考えられないスムーズさです。
しかも、犬を連れて乗れたり、自転車ごと乗れる自転車専用車両とか、ベビーカーごと乗れるという車両もあります。
家族単位でも、非情に快適に旅行ができるシステムなのです。
いろんな家族がどやどやと出入りするのを見ながら、ルツエルンに向けて出発します。
さっさと列車に乗り込みます。

うとうとと居眠りしていたら、あら早い、もう目的地ルツエルンに到着です。
ルツエルン駅出たところ 街の地図 水鳥
子鴨 遊覧船
日本車と違う クルクルした形の取っ手 ライオン記念碑と観光客
ホーフ教会 ライオン拡大図 横のトイレ(ちっちゃい)
斜めから 氷河公園から 氷河公園の上から
公園内暗闇にある人形 ここにも 人工の甌穴
天然の甌穴 魚の種類
カペル橋 ロイス川岸 橋から臨む
三角形の板絵 街並み 橋の横には花
橋を見つめる親子 バーゼルに戻った 途中のライン川
スタンドの料金表 ホテル前の風景(チェス) 普通にシェパードが散歩
エリザベート教会 空が綺麗
昨日とは打って変わって、ほどなくルツエルンに到着したのはいいのですが、残念ながらこの日は雨模様。
空が暗いです。
いつものようにデジカメで街の案内図を写して、途方にくれておりました。
湖に目をやると、あちこちに水鳥がいます。
水面をよく見ると、魚もいます。
やっぱり、外国でも鳥はそんなに変わらないんだなと思いながらも、ついつい写真を撮ってしまいました。
しばらく、ボケッと水鳥を眺めていると、駅から人の流れができていることに気が着きました。
皆、同じ方向に歩いているんです。
ぞろぞろと家族連れが・・・。

この人達が、なんとなく観光客っぽい気がしたので、私もその流れに着いていくことにしました。
(どこに行くのか、なんとなくワクワクします)

10分も歩くと、ホーフ教会というところに到着しました。
みんな、教会の前で記念写真とか撮ってる。
中に入ってみようと思い、入り口付近まで行ったら、関係者の人がなんか募金みたいな箱を差し出してる。
入る人みんなに。

それを見た瞬間、「入るのに金とるんかい!」と思ってしまい、ついつい後ずさりしてしまいました。
ガイドブックを見てみると、料金は無料となっていますが、しばらく観察していると、中に入る人全員からお金を入れてもらっています。

・・・・・入り口の横で散々悩んだ結果、「お金払うんだったら入らんでもよか!」、という結論に達しました。
スイスという国は、日本よりも物価の高い国です。
世界の中でも日本より物価の高い国っていうのは、そうそうありません。
私が今回スイスに来たのは、決して資金に余裕があるからというわけではなかったので、滞在中、できるだけ節約しようという精神のもと・・・・・考えに考えた末の結論でした。、
(もともとケチっちゅう話もありますが・・・・)

無料で入れてくれもしない教会に、用なんかありません。
さっさと移動することにします。
ホーフ教会の階段を下りると、また先ほどの流れ(観光客の)に合流。
6,7分もその流れに乗って歩いていると、今度はライオン記念碑というところへ着きました。

この”ルツエルンの死に瀕したライオン”というのは、16世紀後半から各国に傭兵を派遣していたスイスが、やがて派兵を抑え、中立国としての立場を確立していた矢先にフランス革命が勃発。
パリで、ルイ16世とマリーアントワネットを警護していた勇敢なスイス人傭兵786人(全滅している)を讃えたものだそうです。

いわば、スイス人の魂を表現したモニュメントと言ったところでしょうか。

何分ぐらい眺めていたかなあ。
いかにもヨーロッパな風情のある、石切り場っぽいところに掘られているライオンに、しばらく見とれておりました。

すると突然、叫び声にも似た大きな声が聞こえてきます。
しかも一人じゃない、かなりの数の。
たしかここはスイスのはずなのに、なぜかけたたましい中国語が・・・・・。
後ろを振り返ると、思いっきりツアーの旗を持った中国人のグループがぞろぞろとやってきました。
人数にしたら、3〜40人はいたでしょうか。

閑静な空間が切り裂かれるように、けたたましく説明するガイド。

げげぇっ。

中国人って無駄にが声デカイのね。
他の外国人が静かに見ているのに、中国人だけがかなり浮いてます。
・・・・・・・・・・・・・!
と、普段から野生のカンが優れている私は、ここである重大なことに気が着きます。
もしあの大人数が一度にトイレに行ったとしたら、一体どうなっちまうんだろうと。
・・・・・・・考えが浮かんだ瞬間、私はすぐさま、脇にあるトイレに走りました。
一瞬の判断が功を奏したのか、運良くトイレに入れました、セーフ。
そこで、用を足してさっぱりしたあと、外に出て見ると思ったとおり。
ガイドの説明を聞き終わった中国人でトイレには長蛇の列が・・・・・・。

ふうううっ〜、危機一髪。

危うく難を逃れました。
人生、どこに落とし穴があるか分かりません。
特に右も左も分からない外国では、なおのことです。
中国人の後ろには、白人の人たちが、苦い顔をして並んでいます。
一体彼女達は何十分くらい並ぶんだろう・・・全くもってお気の毒なことです。

人生はいつも分かれ道、判断一つで道は変わる・・・ってそんな重大な話とちゃうか。

トイレに入りたくてもすぐには入ることができないという、とても気の毒な人達を横目で見ながら、ライオン記念碑のとなりにある、氷河公園も見ることにします。
ここは、2万年前の氷河期にルツエルン周辺を含めた、広い一帯がロイス氷河に覆われていた時代の産物です。
流れる水によって回転する岩が削った甌穴などが展示されているらしいです。

入り口で入場料を払うと、切符売り場のおばちゃんが、ドイツなまり英語で「アンタ何人?」と聞いてきます。
そうするとアタイ、毎度毎度の気まり文句である「アイム、ジャパニーズ」。
日本人だと応えると、おばちゃん、ちゃんと日本語で書かれたガイドブックをくれました。
流石観光立国スイス、関心です。
丁寧に説明が書いてあったので非常にに助かりました。
おかげさまで、迷うことなく順番どおりに展示物を堪能することができ、なおかつ公園内くまなく散策できたのでした。

公園内には階段があり、見晴台に行けるみたいなのですが、そこを上る途中、薄暗い洞窟みたいなのが、ところどころにありました。
そういうところは、あまり他に人が来ないみたいなんですが、よくよく洞窟の中(直径60センチくらいのものです)とかを観察して見ると、おとぎ話に出てきそうな小人の人形とかが置いてあります。
非常に暗くて見ずらかったので、フラッシュをたいてみたところ、バッチリ写ってます。

一体何のためにこんなことしているんだろうと思いましたが、スイス人の考えていることは、さっぱりわからんので、この件につきましては、日本に帰ってから考えることにします。

氷河公園を見終わったら、結構な時間が経っておりました。
きめ細かく見た分、時間もかかっていたようです。

もっとゆっくり観光していたかったのですが、そろそろ帰る時間を頭に入れて行動しなくては。
ルツエルンの駅に戻りがてら、カペル橋へ。
橋を渡っていると、向かいに見える川岸には、椅子とテーブルが並んでます。
みんな、昼真っからビール飲んどる・・・。

少々うらやましく思いながら、橋の屋根の板絵に描かれている絵を見ます。
板絵には、スイスの歴史的な出来事が描かれています。
もともとはヨーロッパ最古の木造の橋だったのが、1993年に大半を消失して、北側が一部焼け残り、翌年再建されたそうです。

そうこうしているうちに、橋を渡りきり、近くで語り合っていた親子をこっそり撮ってしまいました。
別になんの意味もなかったのですが、こんなところで何を話してるのか気になって、ついついシャッターを押してしまいました。

そして、そのままルツエルンの駅に戻り、また1時間半の乗車を経て、我が本拠地バーゼルに着いたのでした。


今までは、駅に着いたら、必ずトラムに乗り換えていたのですが、この日はなんとなく歩いてみたくなり、初めて歩いてホテルに向かうことにしました。
ホテルは、バーゼル駅からも結構見えていたので、多少道を間違っても着けそうな気がします。

そういえば、今日も昼ご飯食べていない。
ここで、また食事をしていかなければなりません。
しかし、さすがに洋食にも飽きてきてしまいました。
正直、もうそろそろ米とか食べたい。
かといって、日本食出しているところって、びっくりするくらい値段が高い。
下手すると一食5千円くらいのお金がかかってしまうのです。

ここでまたしばらく悩みます。
悩みながら、駅周辺をあちこち探し回ります。

トラムの駅の地下道にさしかかたところで、中華料理のテイクアウト専門店ハケーン。
て、お客さん、誰も入ってない。
怪しい中国人のおじさんと、チンピラ風のお兄ちゃんしかいないようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ひょっとしてここは 危険地域?
何しろ人通りがないので、不安です。

あんまり近寄ると、何かあってはいけないと思い、店の前を足早に過ぎ去ります。

ここで一旦地下道を抜けて、人通りの多い外に出ます。

外に出ると先ほどの不安はまるで嘘のような賑わいです。
うーーん、それにしてもあの店が気になる。
ちょっと不安ではありますが、ヤバそうな店だったら、きっとこんな駅の近くには店なんか出してるはずがないだろうから、きっと大丈夫だろうと。

10分くらいして心を落ち着けてから、またあの店にメニューを見に行きました。
するとすぐに、中のおじちゃんが店の外に出てきました。
さっきのやばそうなチンピラ風のお兄ちゃんは、今度はいなかったみたいです。(ふうーっ)
出てきたおじちゃんが、愛想よく挨拶してきます。

この状況なら、大丈夫かも・・。
意を決して注文します。

「フライドライス、プリーズ・・・。」

おじちゃん、チョップスティックがどうのと言っています。
立て続けにバンブーうんぬんとか言ってるから、多分「竹製割り箸いるか?」って聞いてるんと思いまして、アタクシ、イエスの連パツ。
おじちゃん、サービスでお茶を出してくれて、できるまで待ってくれとのことだったので、椅子に座って待つこと7分。
見る見る間にチャーハンが出来上がりました。
しかも500スイスフラン・・・・激安!
(日本円で500円よりちょっと高いくらい)
驚くべきことに、なんと日本食料理屋の10分の1の価格でごわす。
それに作った量がハンパじゃない、たっぷり2人前はあります。
品物を渡すとき、「どこから来たんだ?」と英語でおじちゃん。
フロム、ジャパン・・。
という私の返事に、にやっと笑い、
「明日もおいで!」と言っとりました。
中国語中国語した英語で!

おじちゃん、はっきり言ってなまりすぎ。
中国語みたいな英語になってて、全然わからんよ。
でも、わからないながらも「アイルビーバック」という返答だけは忘れんかった。

我ながら情けないとは思いますが・・・

食事の確保ができた安心感でゴキゲンなアタイは、出来立てほやほやのチャーハンが入った袋をぶら下げて、目指せマイホテルです。
美味しそうな臭いをぷんぷんさせながら、またホテルへの道を歩き始めます。

中華料理屋を出て5分位歩いたら、先ほどのサービスのお茶を飲みすぎたためか、ちょうどエリザベート教会の前に差し掛かったとき、急にトイレに行きたくなりました。
んで、こそっと教会に。
(別にこそっとしなくても普通に無料で入れるんですが・・・)
お手洗いを拝借。
緊急事態だったなもんで。

このときばかりは、神様に感謝!
きちんとお礼のお祈りをしてきましたよ。
ほんでもって、記念に一枚パチリ。

しばらく歩いて、
スタンドの前を通ったので、ここでも記念にパチリ。
多分ガソリンの値段は、スイスフランかユーロで表示されていると思います。
それにしても高いなあ。

またしばらく歩いてますと、今度はシェパードが普通に散歩してる・・・・・・。
スイスに来て思ったのですが、車は普通にアウディとか走ってるし、ドイツ犬とか大型の犬が普通にいすぎです。
やはりここはヨーロッパ、日本とは随分違うみたい。
ほんと、犬はデカイ。
アルプスの少女ハイジに出てくる犬みたいのが、普通に散歩してるんだから。
最初はいちいち驚いていたんだけど、慣れたらそうでもなくなりました。
大型犬には、意外と早く慣れました。

ライン川に差し掛かったところで、川の景色に自然と目がいきます。
広くゆったりとした川をみてると、リラックスした気分に。
遠くに見れる教会とか、スイスならではの風景を堪能してます。

するとね、横から誰かが話しかけてくるんですよ。
見たことも無いドイツの娘っこが!

へ?
と思い横を見ると、突然ぺらぺら(多分ドイツ語)。
私がきょとんとしていると、今度は英語で、「どこから来たの?」と。
ほんで、「ジャパン」いいますとですね、オウウー「ヤーパン」て。
ヤーパンはきっとドイツ語読みだと思うのですが、そのあともドイツ娘の話は続く続く。
「泳ぎは好き?」って聞いてくるので、「アイライクスイム+ing(←間違えてた)」って答えたんですよ。
とりあえず普段泳いでいるんで。
そうしたら、あんた、しゃべるしゃべる・・・・。
そのドイツ娘がいうには、ライン川で泳いがないのか?って。
私が「今は泳がないよ」というと、その娘がライン川で泳いだ話とか、いかに水泳がいいものかという話を延々と説明し始めましたんす。
そりゃもうびっくりするぐらいの勢いで。

はあはあ、と戸惑いながらも相槌打つのが精一杯といったところだったんですが、一通りしゃべり終わったら満足したのか、やがてその娘っこは去っていきました。
「ハヴァナイストリップ」という言葉を残し・・・。

まるで嵐が過ぎ去っていくかのようでした。

全く今日は一体なんだっちゅうんだい。

そう思いつつも、気分はなぜか上々でライン川を渡りきり、
ホテル前でチェスをやってるおじちゃん達を見かける頃には、妙に落ち着いた気分で空の青さをかみ締めておりました。

「おお、そうだった、早く戻ってチャーハン食べなきゃ。」

ノンビリとチェスを楽しんでるおいちゃんたちを見ていたら、なんだか自分も早く食事を楽しみたくなって、急ぎ足でホテルに向かっていたのでした。

テッテケテー。

2007年2月13日(火)
雪祭りの写真が

ちゃんと取れなかったので、ここでまたスイスの続きを書くことにします。

壊れていたデジカメ、さっきやっとレンズが引っ込んでいました。
雪祭りが終わって直っているという、不思議現象。
ひょっとしたらこのデジカメ、雪像を撮るのがキライなのかもしれません。
まだ何かを写していないので、このまま使えるか定かではないのですが、とりあえずは良かった。
また同じようなエラーが出たら大変なので、近いうちにカメラテストしなきゃ。
もし、またエラーとか出たら、今度はちゃんと新しいものを買うしかないか。
出費が痛い・・・。
ま、それはおいおい考えることにします。


ちゅうことでスイスの続き

3日目からは連れの仕事の都合上、全て一人での行動となります。
基本的に一人旅は好きです。
しかも事前に日本で購入していたスイスパスがあるので、切符を買う手間もありません。
これで、路線とか順番を間違えなければ、きっと一人でも目的地にいけるはず。
この日は前日と違い、天候はくもりだったので、なんとなく南の方に行ってみたくなり、ローザンヌに行くことにしました。
で、ホテル前から、トラムに乗ってバーゼル駅へ。

ローザンヌにしたのにはいくつか訳があります。
その最大の理由の一つは、切符の金額。
スイスパスは、期間が決まっていて、その間いくら電車に乗ってもいいのです。
ですから、より金額の高いところに行ったほうが、元が取れるということになります。
ローザンヌはサバーゼルからは、結構な距離があり、どちらかというとフランスの方が近い場所です。
(湖を渡ったらそこはもうフランスですから)
いつもセコイ生活をしている私は、ここでもセコさを発揮して、早く元をとろうと計算していたのです。

しかしながらこのセコイ計算は、すぐに間違いだったことに気が着く羽目になるのですが・・・。

なにせね、乗車時間がハンパなく長いの。
出発して電車に乗り込んでから気が着いたのですが、自分の居るホテルに戻る時間を決めてから予定を立てるとね、現地にいる時間がほとんど無いのね。
3時間くらい電車に揺られて、やっとのことでローザンヌに着いたと思ったら、1時間もしないうちに、もう帰りの時間が訪れるという、ことに気が着いたのです。
しかも、初めての土地、駅前の案内地図をとりあえずデジカメで撮って、それからとぼとぼ歩くわけですから、要領を得ない。
道を間違えながら目的地に行ったりするので、そりゃ時間も予想以上にかかるのです。

それでもなんとかレマン湖付近の公園にたどり着き、遊覧船を発見。
ここで一つのプランが頭に浮かび上がります。
遊覧船で対岸に渡り、対岸の駅から鉄道に乗ってホテルのある駅まで帰る・・・などと企んだのですが、な、な、な、なんと、船の時間がとっくに終わっておりました。
一日に何便かあるんですが、その日は運悪く、ちょっと前の時間でなくなっていた・・・。
どう考えても遊覧船は無理っぽいです。

しかも案内のアナウンスはフランス語。
さっぱりわからん。

もともと外国語はさっぱりですが・・・。

時計を見ると、もう帰りの時間が迫ってきております。
ここで、ぐずぐずしていると、帰ること事態危うくなってきてしまいそうです。

結局、この日は遊覧船の時刻表を貰っただけで、また来た道を戻り、延々と3時間の乗車時間に絶えていたのでした。
腰が固まって、イタイとぶつくさ言い、明日の計画を根本から練り直す必要性ありと考えながら・・・。

コレがトラム(路面電車) ローザンヌの地図 ローザンヌの駅裏マンション
公園のスズメ レマン湖の傍の公園 遊覧船
南フランス風です レマン湖の路線(遊覧船) 駅の公衆便所
車窓の風景 こういう建物が多い

バーゼル駅に着いた頃にはすっかりお腹が空いていた。
普段は滅多にソフトクリームなどは食べないのですが、駅の構内にいるお兄ちゃんが可愛かったのと、あまりにもお腹が空いていたため、この日はお兄ちゃんの勧めるソフトを食べてしまいました。

でも・・・・全然足らない。

よく考えたらお昼とか食べてないよ。
しょうがないから、ちゃんと夕食をとることにしました。
夕食は、駅からすぐ近くのお店に入り、スパゲティぽいものを頼み、食べたのでした。

店内では、基本的に会話が成立しないので、全て指差し会話のみ。
通じているのかいないのか、分からないけど、とりあえず頼んだものは出てきたし、食べることはできたので、問題ないようです。
ビールまで頼んじった。

ビールはウマイ、断然ウマイ。
一人で、飲んでいる人は、自分以外いないけど、やっぱりウマイ。

目の前に座っているカップルは、会話を楽しみながら食事をしています。
ヨーロッパの人たちって、会話を楽しみながら食事をするのね。
なんとなくいい雰囲気。
ビールを飲んで、ほろ酔い気分ですが、店を出た後に気が大きくなったせいか、なんと大胆にも近所のスーパーに入ってしまいました。

後でお腹が減ってはいけないと思い、夜食になりそうなものを数点買ってレジを通っていた。
結構ヤバそうな雰囲気のある、裏通り的なスーパーだったんですけども、やさぐれたお兄ちゃんの後ろに並んで、お兄ちゃんを見ながら、同じように進んでいきました。
現地の人と同じように行動しておけば、とりあえずは失敗しないだろうという推測のもとに。

あとは、気分良くスーパーを出て、トラムに乗り込み、そのままホテルへ。
無事ホテルに着くと、緊張感がなくなって安心したためか、またもバタンとベッドに転がってしまっていたのでした・・・・・・・・。
すぴぴぴぴー

2007年2月13日(火)
昨日

雪まつりが終わってしまいました。
2/3の日記で、今年はがんばって雪像を見に行こうと考えて、意を決して2/7に雪祭りの会場に行ってきました。
下はそのときの写真。

札幌駅前通り 雪が被っています お土産屋さん
4丁目から鯨を見ました コレはなんだろう? こんなモンもありました
横から見ました ミルクランドの牛 カトちゃんぺっ
寝とる 氷かな? 何かのステージ始まった
踊ってる 寒いのにご苦労サン 横から写した
木のラインがイイ感じ と思たら警官が・・ なくそうイジメって・・
まりもっこり ウルトラマン モンスケランド
あれれ、
滑り台 どろろ

とここで、なんとカメラがね、壊れてしまった。
電源を切っても、レンズが引っ込まない。
”レンズエラー”のメッセージが出てるし。
・・・・・・・・・・・・・・・・。
雪は降る降る、頭に積もる。

しばらく、どうにかならないかといろいろいじってみたのですが、どうにもこうにも動く気配がありません。

写真撮り始めて、まだそんなに時間経っていないのになあ。
タイのお城とか、太郎次郎とかも撮ってないのに・・。

しばらく立ちっ放しでいたので、鼻水がやばそうです。
雪もドンドコ降り続けて視界が悪くなってきたので、とりあえずこの日は撤退することに決めました。
一体今年はナンなんだ。
鼻をかみながら、壊れたカメラを持って、運動後に帰宅とあいなりました。

2007年2月8日(木)
ここで、しばらく忘れていたスイス 
の続きを書こうと思います。
ホントもう半年も過ぎてた、スイスに行ってから。
もう、ほとんど忘れかけてる・・・。
とはいえ、そんなことばかりも言っていられないので、がんばって記憶を呼び覚ますことにします。

スイスに着いた翌朝は、びっくりするほど空が晴れ渡っていました。

スイスに到着するまで、見事なまでに予定を立てていなかったのですが、連れのものが突然「こんなに晴れているなら見えるかも知れない、これから山へ行きましょう。」と言い出したので、急遽山に向かって出発準備を開始しました。
見えるって、一体何が?とも思いましたが、とりあえず行けばわかるのかいなと思い、半袖Tシャツに薄手のカーディガンを羽織り、デジカメとかガイドブック片手にホテルを後にしました。
このときに乗ったホテルのエレベーターは悪名高きシンドラー社製でした(写真参照)。


なんちゅう行き当たりばったりな観光、これこそ旅の醍醐味、などと自分に言い聞かせながら気持ちの安定をはかりつつ、ちょっぴりわくわくしながらトラム(スイスの都市部にある路面電車)に乗ってバーゼル駅に到着。
ここから、いったんインターラーケン(スイス中央部に位置する登山観光の入り口)という駅にむかいます。
(詳しくは下の地図をご覧ください)

そして、ここで登山鉄道に乗り換えて、ユングフラウヨッホ(トップオブヨーロッパ)を目指します。
まさにスイスといった風景が窓に広がります。
インターラーケン駅が標高567mなんですが、ここから一気にユングフラウヨッホ駅まで登ります。
途中2回くらいの乗り継ぎを経て上るのですが、この登山鉄道、比較的短い時間でどんどこ上がっていくので、知らない間にかなり酸素が薄くなっていたらしく、ヨッホ駅(標高3454mの駅)に到着したときは歩くのがやっとという状態になっておりました。

エレベーターはシンドラー こっちの電車はごっつ速 世界の車窓から・・・?
山が見えてきた ハイジの世界 ヴェンゲン駅(乗り継ぎ駅)
滝じゃあっ とハイジの家?
登山鉄道の車掌さん どんどん険しくなって・・ でも牛がいたりする
牛・・見ながら ヨッホに着いた アレッチ氷河(20`)
角度を変えて 標高3454mの駅 人が歩いてる・・小さい
山にカラスみたいな鳥 険しい こっちも
険しい 山並み 駅の下では雪遊び
ヨッホ駅で下りてすぐのところに、英語で「走るな、危険!」の看板が貼ってありました。
酸素が極端に少ないので、あまり無理な動きをすると、高山病になる恐れがあるようです。
これを見て私は、「せっかくだから、記念に」といきなり走りだしました。
一体何を考えてこういう行動をとったのかは、今となっては思い出せないのですが、既にこの時点で私の頭は酸欠の状態だったのかもしれません。

5秒も走ると予想通り、目の前が真っ白になって息が苦しくなり、その場でへたり込んでしまいました。
「高山病スゲー」とか訳の分からんこといいながら・・・苦しんでいた。
今考えると頭悪いひとみたいですね・・・・・・・・。

ユングフラウとかアイガーとかのお山を眺めながら、世界一高い駅で”ヤッホー”の代わりに”ヨッホー”とか叫んでいる変な日本人になっていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぜえっぜえええっ。
叫ぶたびに息が苦しくなります。
正直階段上るのもやっとという感じでして、やっぱ体験したことの無い環境というのは凄い威力ですね。
普通の行動ができない。
ヨッホ駅の中をいろいろ回っているうちに、随分と時間が過ぎてしまい、結局ここでは2時間も滞在してしまいました。
苦しい割には長くいたようです。
帰りの駅で鉄道を待っていると、誰かがタンカで運ばれておりました。
高山病らしいです。
酸素マスクとかつけています。
・・・・・・・・・・・・・・・・ひとつ間違っていたら、自分もああなっていたのかもしれません。
このときばかりは、日ごろハードに運動していてよかったなあと、しみじみ感じました。
やっぱり運動は大切!
でも、こっちの国の連中って、結構この環境になれていてるんだよね。
普通に雪遊びとかしてましたから。

あんな酸素の薄いところで。
底はバリ透けてる アイガーだったかなあ? 半袖、そりすべり
宙ぶらりん 休憩所そば 土産売り場にいたワンコ
帰り道のグリンデルワルト ここも ここも
2日目、一体何が見れたかといいますと、どうやら雲がかかっていない山の景色だったらしいです。
普段は、こんなに綺麗に見えることってあんまりないそうです。
たいていは、雲がかかって見えるのだそうです。
そういわれてみれば、雲よりも高いところだもんね。
なるほどーと妙に納得。

とりあえず、スイスに来て運よくお山の景色を十分堪能できたので、安心したためなのか山の上ではしゃぎすぎたためかは分かりませんが、凄い眠気に襲われてしまいました。
この後の帰りの記憶がほとんどない。
とはいえ、乗り継ぎもちゃんとしているはずなんですけど。
体はくたくただったので、ホテルに着いたら、久しぶりにぐっすり眠ることができました。
バッタン、ぐおおおーっ、ってな感じ。
2007年2月3日(土)
雪祭り
の進行状況が気になりまして、先週の火曜日にちょっと久しぶりに大通りまで出てみました。

すると、どうでしょう。
一面にイルミネーションが光っていました。
今まであんまり真面目に見てなかったけど、改めて見ると非情に美しい。
空気が乾燥しているから、空気中の不純物が少なくて、とても澄んでいるのが分かります。
だって、本当に宝石のようにきらきらしているんですもん。

こういうとき、”一瞬”札幌に住んでいて良かったなと思います。

冬の間のほとんどは、鼻水を垂らしながら雪かきをしているので、滅多にこんな風に感じることはないのですが、やっぱりこの時期はいいですね。

どんなに綺麗じゃない場所も、ロマンチックに見えるから不思議です。

まあ、この写真を撮っている状況というのが、仕事帰りのサラリーマンなんかが、後ろで怪しい人を見る目つきで私の方を見ていたので、実際はロマンもへったくれもあったものじゃないんですが。

きっと、一人でイルミネーションの写真を撮っている、とても可哀想な人と思われているに違いないんですけども。

しかも雨が降っていたし。
私は余程鈍感なのか、写真を撮り終えるまで、雨が降っていることに気が着きませんでした。

結構降っていたにもかかわらず。
帰る時に乗り物に乗って初めてコートの湿り具合に異変を感じ、あ、雨?ってな状態でした。

年々鈍感度が増していくような気がします。

新年が明けて、ますますおばさん度がアップしているんでしょうか。
自分ではなかなか認識できずにいるので、よく分かりません。
(特に自分にとって都合の悪いことは、分からないフリをする本能が働くので)

そんな鈍感なおばさんでも、気になるのが雪祭りの日程です。

雪祭りが始まるのは6日からみたいですが、私個人としては、今のこの雪祭りが始まる直前の時期が好きです。

雪祭りが始まっちゃうと、信じられないくらいの人で街中が埋め尽くされ、交通が麻痺してしまいますから。

こうやって綺麗な街並みをゆっくり堪能できるのは、今の時期だけだと思うのです。
これはやはり札幌に住んでいる者の特権ですね。

今年は雪不足で、雪像を作ってくれている自衛隊の方々もさぞかし大変なことだったと思います。
特に今年の暖冬は記憶に残るくらいのモンだったので、ひょっとしたらこの先もう雪像とかを見れない日が、いつか本当にやってくるのかもしれません。
毎年、あまりちゃんと雪像を見ていなかったのですが、今年はもっと気持ちを入れ替えて、きちんと雪像を見てみようと思います。

テレビ塔

イルミネーション綺麗

テレビ塔の電飾が青に

雪祭り会場の方向

雨避けにシートが

青色発行ダイオード大活躍
2007年2月3日(土)
へっっっくしん

くしゃみが出てます。(しかもちょろっと鼻水が・・)

先程、やっとスポーツクラブから戻ってまいりました。
今週この上なく体がきつく感じるのはなぜでしょう。
やはり、寄る年波には勝てないのかもしれません。

それよりなにより、こんなに疲れた体を引きずってハードなエアロビクスをこなし、やっとの思いでプールに行ったというのに・・・・・・あの子がいません。

いつも気になるあの子がいない・・・。

しばらくクロールでのんびりと泳いでいたんですが、待てど暮らせど、一向に来やしない。

いえね、なにせ今日は金曜日、心わくわくの金曜日なのですから別に無理して遅くまで運動なんかする必要はないのです。
ですから、普通の若者といえば、やっぱり遊びに行っちゃっていたりするんだろうから、金曜日にいなくてもしょうがないっちゃあしょうがないんですけどね。

一人で黙々と泳いでいると、なんかつまんないのね。

しかも今日は、いつもガラすきのプールが何故か激込み。
時折ぶつかってくる人とかいてね、いらいらしながら泳いでいました。
こんなにやる気の無い状態で、これ以上はもう無理と思い、予定より30分くらい早く切り上げて上がっちゃった。

ここのところ、いつもこんな調子です。
私がメタボリックな症状になるとしたら、いつも気になるあの子のせいです。
あの子がいないせいで、こんなにやる気が出ないのです。
(などと自分の意思の弱さを人のせいにしています)

プールであまりにもやる気がなかったので、ジャグジーに浸かりっぱなしでサボっていましたところ、クラブのバイトのお姉ちゃんが寄って来ました。
この子(仮にA子さんとします)はまだ20歳くらいなのに、趣味がたいそう変わっています。
同世代の子よりも、年の離れた男性がお好みのよう。
まあ、平たく言えばおじさんぽい人を好みとしている貴重なタイプ。
若い子チラ見専門のおばさんとは、間違っても好みが一致することはありません。

そんなおばさんに、このA子さんが「もう泳がないんですか?」と聞いてきます。
「おばさん、今日はなんだかやる気が出ないよ」と返事をします。
そするとね「今日は良い子いないんですかー」だって。
あんた、・・・私の性格よく分かってらっしゃる。
そうさ、そのとおりさ。
おかげで、今日もジャグジーっこだべさ。

「あんたの方は、なんかいいことないんか?」と逆にアタイが尋ねましたところ、「いやー、残念ながら私もないんですよ」とのこと。
そしてすぐに「あ、そうそう、時折鈴木宗雄がきてますよー」って教えてくれました。
せっかく教えてもらって申し訳ないんですけど、オイラ、別に宗雄ちゃんに会いたくないよ・・・とポツリ。
「おばちゃんはね、若い子限定だーかーらーーーーー。」って声を大にして言っときましたよ。
ふんっ。

まあ、ここでいろいろしゃべくってましたら、結構いろんな有名人が来ているみたいですね。
そのほとんどが、私の興味の範囲外の人たちだったので、名前聞いてもすぐに忘れちゃってますが。
季節によってはスポーツ選手とかも来ているらしい・・・・・。
まあ、私が唯一、気になっていたスポーツ選手の小笠原選手がファイターズを去ってしまったため、他のどの選手が来たところで、認識するに至ることはないのですが。

ひょっとしたら、今までも有名な誰かに出くわしていたりして、気が付かずに過ごしていたかも知れない・・・。
昔から、興味の無いものは一切認識しないという、非情に自分勝手な都合の良い目を持ち合わせているため、外出先で知り合いに、街で会ってもよく無視されると誤解を受けております。

そんなつもり無いんですが・・。

ただ、いろんな人をいちいち見るのがめんどくさい。
ただ、それだけなんだけど。
でもまあ、そんなこと言ってもしょうがないか。
相手にしてみれば、やっぱり無視に違いないモンね。

そんなことを話ながら、今度それらしい人を見かけたら、少しは注意してみてみようかなと思いました。
って、注意してみてもわからんかったら、もうどうにもならんけど。

ここで、いつもおしゃべりに付き合ってくれている、A子ちゃんが夢ポスト(クラブでやってるイベントで、6ヵ月後のあなたへの目標などを所定の用紙に書いて、夢に近づいているかどうか、6ヵ月後にクラブからその用紙が自宅に送られるというものらしい)になんか書いてくれってとても熱心に勧めてくるので、しょうがないから「ウエストらしきものを創る」って普通のこと書いちゃった。

どうせなら、エロテロリストになるぐらい書いとくんだった。


変な置物

こっちにも

店内風景

ろーるけえき

先週、家の近所のスープカレー屋さんにご飯を食べに行ってきました。

店の中は、あまりお客さんが入ってなかったので、カンタンに写真撮れた。
肝心のカレーは、自分で作った方が旨かったかもと思うようなものでした。

普通に美味しいんだけど、すごく普通でした。
凄く美味しいではありませんでしたので、ちょっぴりがっかりしました。

北24条とかに行けば、普通に超美味しいスープカレー屋が密集してるので、今度行くときはめんどくさがらずに、北24条まで出向こうかと思います。

一番下にあるロールケーキらしきものは、私が初めて作ったロールケーキです。
スポンジを冷やしすぎて少し硬くなったのか、丸めるときに割れてしまいました。
味にさほど影響がなかったのでそのまんまいただきました。
普段なら、甘いものが苦手なので、滅多に食べないのですが、自分のお手製なので、甘みを調整して食べやすくしてみました。
結構ウマかったので、ちょっとびっくり。
2007年1月29日(月)
最近

スープカレーばかり作っておりました。

ここしばらく、本格的に専業ニート(一般的にはそんな言い方しないのでしょうが)っぽい暮らしになりつつある今日この頃。
家にいる時間が格段に多くなりつつあります。

家にいる時間が長い=真面目な家事労働を望む!

という家族の無言の圧力感じつつ、毎日みのもんたを見ていたりするのですが、ただ毎日みのさんばかり見ているだけだと、家族の視線が次第に厳しくなり、どうにも居心地が悪いです。
やはり家事労働、少しはしないといけないようです

そうするとですね、やっぱ一番精神的に負担になることといえば、毎日のお食事のメニューです。
メニューを考えるのが一番めんどくさい。
洗濯とかは、全自動ですから、そんなに負担にはならないのですが、食事は流石にそうは行かない。
切ったり、煮たり、焼いたりといろいろな過程を踏まえなければなりません。
組み合わせとかも考えなければならないし・・・。
ってほんと面倒なんね。
今日もまたそんなこと考えながらのみのもんたな一日。
みのさん見ながらPC電源のスイッチ入れたところで、閃いたのです。

ググればええやん。

ええ、こんな便利な世の中なんですから、いつも見ているくだらない巡回サイトではなく、たまには料理のレシピが一杯のっかった実用的なサイトでも探して見ようかと・・・。

たまたまそのときは、ボイジュのスープカリーが食べたかったので、その日はスープカリーのレシピを探すことにしました。
早速ググってみたら、丁度うまいことにココを発見。
とりあえず、作って見ることにします。

まずはレシピを印刷します。
次に印刷した紙を持って、材料を求めに近所のスーパーへ買出しに行きます。
買出しから戻ったら、材料の下ごしらえをして、調味料を作り、順序の通り作っていきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
煮込み時間とか、40分とか1時間半て書いてある・・・(途方に暮れてます)。

単純に計算しただけでも、相当な時間がかかりそうだったので、久しぶりに圧力釜の力を借りることにします。
それにしても、長い・・・。
実際、圧力釜の力を借りて、時間短縮を試みたのですが、結局全工程が終わるまでに2時間半はかかりました、軽く。

そしてついに、「スープカリーの完成!」って

つっかれたよ、ハンパなく。
出来上がった時点で、制作の工程であまりにも時間がかかりすぎたため、空腹が限界に達しています。
なので、完成写真を撮るとかそんな余裕なんかあるわけなくて、皿に盛った時点で既に食べてましたから。(完成写真を撮るのを忘れたため、写真はリンク先レシピのを参考にどうぞ)
しかしこれが予想に反し、旨かった。
自分の食べたかったボイジュより少し優しい感じの味になりましたが、基本的には似たような味になり大変満足。
これでスープの味とスパイスの味を少し強めにして、辛味のスパイスを多くしたらより近い味になりました。

しかも自分で作るので、いっぱい作れるし。

作った直後は、「こんな大変な作業、もうしばらくするかい!」と心底思ったのですが、気が着けば2日と空けずに、2度3度と作っておりました。

「食欲に勝る原動力はない」とつぶやく私。

本能の力を思い知りつつある今日この頃です。

メタボリック症候群がすぐそこまで来ているような気がします。

2007年1月25日(木)
今日も

外は雪が降っていました。
これで雪祭り用の雪は足りるだろうか・・・。

お昼に、テレビに映るみのもんたを見ながら食事しました。
毎日眠そうな顔でしゃべる、みのさんを見ながら、この人は一体いつになったら眠くなさそうな顔になるのだろうと、どうでもいいことを考えながらの食事でした。
まあ、私の場合、たいてい食事してるときっていうのは、どうでもいいことしか考えてないんですけど。

久しぶりにマイピクチャを開いたら、去年苫小牧のホッキフェスタに行ったときの写真が出てきましたのでアップしときます。
確かホッキフェスタでは、たらふくホッキご飯とか浜鍋をいただきました。
びっくりするくらい、並んだ末に・・・。
こんなに並ばなきゃならないなんて知っていたら、もっと早くから会場入りしていたのに・・・会場に着いた途端、おもいっきり後悔してました。

会場には、いろんな魚や貝が売られていましたが、ホッキ貝とかは前もって、引換券らしきものがないと、交換してくれないようです。
私はといいますと、もちろんそんなもの持っていなかったので、ホッキ貝は買えません。
ホッキ貝を買わんとする、長蛇の列。
そんな行列を、ただ遠巻きに眺めているだけでした。

港内に吹く風があまりにも厳しくていたたまれなかった為、この後鵡川に向かうことに決めました。
というか、同じ日に鵡川でもししゃも祭りが開催されていたので、この日は最初からかけもちをする予定でいたのでした。

そのときの写真がこれ↓
   
歩道から会場を臨む    別角度から          入り口付近
  
浜鍋ができるのを待っています。
  
ホッキご飯と浜鍋      ここから鵡川の写真に変わります・・・これはししゃも鍋
  
ししゃもの炭焼き       ししゃも寿司         ししゃもの鉄板焼き?

ししゃも祭りの方は、午後からの出陣だったために、この日の目的だった、ししやものお寿司は既に売り切れになっていました。
炭火焼きとししゃも鍋の方は、ギリギリ間に合いましたが・・・。

年に一回、季節の食べ物であるししゃものお寿司を食べないと、どうも気分がしっくりきません。
ししゃもの炭焼きを終えた時点で、祭りの会場を後にしました。
目的である寿司のない会場には、もう用がないからです。

仕方がないので、独自に町内の寿司屋を探すことにします。
探すこと20分・・・あちこちで見知らぬおばちゃんとかに、ししやも寿司の情報を聞きながら、ようやく寿司を握ってくれるお店に到着。
中に入ると、店内ではこれまた行列だったんですが、40分くらいでししゃもの寿司が食べれるということだったので、がんばって待ってみることにしました。
んで待つこと30分、予定より少し早くお寿司をゲット、待ったかいあって上の写真を撮ることができたのです。

この日は今まで経験したことが無いくらい、行列三昧な日でしたが、しかし当初の目的(ホッキご飯とししゃも寿司)は果たし、無事に胃袋に収めることができました。

2007年1月23日(火)
先週は

久しぶりに長沼に遊びに行ってきました。

遊びに行くというよりは、家で食べていたお米がもうすぐ無くなってしまうので、あわてて米を買いにきたと言った方が正しいかもしれません。

現在家で食べているお米というのは、去年の夏からマオイ道の駅で試験的に買ったおぼろ月という銘柄のお米です。

それまで、北海道米はあまり美味しくないというイメージを持っていた私にとって、冷やかし程度で買ったその米はあまりにも衝撃的でした。

正直、今まで食べたお米の中で多分一番うまい!

そのときは、”ふっくりんこ”という銘柄のお米と”おぼろ月”の二つの種類を購入したのですが、どちらも甲乙つけがたいくらいうまい

ふっくりんこの方は、米のツブがはっきりしていて、ぷちぷちした感じの歯ごたえ、おぼろ月はふっくりんこより多少柔らかめのような気がします。

毎日食べていると、クセになるのはどちらかというとおぼろ月の方でした。
もう、米だけでもウマイ
試しにおにぎりを毎日作っているのですが、今のところこのおにぎりに飽きたという感情は、まだ沸いてきておりません。
毎日ウマイ。
そらまびっくりするほどするすると、ご飯が胃の中へ消えていくのです。
おかげサマで毎日食べるご飯の量がどんどん増えてしまい、必然的に体重の増加が始まります。
そうすると、心配になってくるのがメタボリックな症状です。
メタボリック症候群にならないためにも、毎日の運動量を増やさなくてはなりません。
必然的に運動量は増えていき、運動が終わって家に帰る頃にはもうへとへとに疲れてしまいます。

そんな疲れた大変な毎日になってしまうのにもかかわらず、朝になると、まるで昨日のことはなかったかのように思いっきりおぼろ月を食べています。
やはりウマイ。

そうこうしていると、当のお米がすぐなくなっちゃうのね。
てな訳で久しぶりにお米買いに来たんですよ。
疲れた体を引きずって。
何しろこのおぼろ月、コシヒカリを超えたうまさとかいううわさが立ってあちこちの農家で品切れ状態。
探すのが困難らしいのです。

一応近所のスーパーでも売ってたりするのですが、なにせ価格が高い!
コシヒカリより高いのですから、業者の方、足元見過ぎです。
それよりなにより本当におぼろ月100%なのかが心配です。
一部の店では、他の米をおもいっきりブレンドしてるのに、何食わぬ顔してその銘柄で売られていたりすることがあるので、気をつけなければいけません。

でね、最初に買った道の駅がいいやということで、わざわざ訪れているんでございます。
品質は間違いないし。

早速、道の駅の向かいのお店にいくと、運のいいことにありましたよおぼろ月。
今回は10キロ購入しました。
お店の人曰く、もう月末になったら品切れになるかも知れないと言っておりました。

ガビチョーン。

そんな話を聞いちゃったら、ここで一気に買いだめしたい・・・といったところですが、何しろそれだけのお金を持ってきていません。
残念ながらこの日は、米の買占めは諦めて、また次回きた時に多めに買うことにしました。
(そのとき果たして米はあるのだろうか?)

帰り道、いつも寄り道する珈琲考房にて一休みをし、久しぶりに馬追温泉に浸かって日ごろの疲れを癒したのでした。
(ここの温泉は造りが古いのでほとんど人がいません、外の景色独り占め状態&ゆっくりと湯に浸かれるのです)


札樽道

マオイ道の駅

向かいの特産品売り場

珈琲考房にて一休み

珈琲考房からの景色

ミルクレープ

帰り道でパトカーに遭遇

北国ってカンジします
2007年1月7日(日)
あけてました
よ。
新年が!

思えば去年の8月からここの更新、全くしてませんね。
しばらく忙しく過ごしていたので、日常の生活に完全に流されてましたね。

そういえば、スイスの写真とかも全然載せてないや。
中途半端なまんまじゃった。
・・・・。
どっからとりかかろうかな。

あ、あと年賀状くださった方々、思いっきり遅れてすみません。
実は、干支のイラストを毎年手書きで描いているのですが、今年の分はいつもよりも時間がかかってしまいました。
その原因の一つとしては、一年ぶりに使うタブレットの操作方法をすっかり忘れたこと。
(マニュアルを理解するのに大変時間がかかりました)
あと、下ネタギャグを使いたい人用と、あえて下ネタを使わなくてもいい人用の二つのパターンを作らなければならなかったこと。
そして、一番最悪だったのが、プリンタの調子がすこぶる悪いということです。

さまざまなトラブルが襲い掛かる中、問題をひとつひとつなんとかクリアし、やっとの思いで昨日、年賀状を出してきました。
なので、もう少ししたら現物が届くかと思います。
どうぞ寛大な心をもってお受け取りくださいませ。

えー、その年賀状で使っている干支のイノシシの絵、二つのパターン描いてみたのですが、年賀状が届く方々にはどちらか一つしか貼っておりません。
もう一つの絵がどんなもんだかわからないと思いますので、ここで両方の絵をはっつけておきます。
よろしければ、どうぞもう一つの方をごらんください。



よく見たら、二つともそれほど変わりない気がしてきました。
しょせん、私の発想なんてこの程度のものなのですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
今日のところは、こんなカンジでごまかそうかなーなんて考えております。
本日の出来事