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2006年8月15日(火)
ヨッホ

まいど!

随分更新していなかったので、とうとうあの世に行っちまったんか?
という質問があったりなかったりするおばさんことbooでございます。
皆様お久しぶりでございます。

7月の末辺りに、前回のマンモ診断でアカンかったところの再診にいってきました。
結果、今回の検査では何も問題ありませんでした。

いやー、めでたい。

これも常日頃の運動の成果の賜物でしょう。
やっぱ運動は大切♪
これからもサボらずに毎日スポーツを続けていこうと思います。

で、その後、
めでたいついでに、唐突にスイスに行ってきました。

なんの脈絡もなくいきなりですみません。
本当、唐突でした。

前日までめちゃくちゃ忙しかったので、下調べなどはもちろん一切なし。
ぼろ雑巾のように疲れたままで、翌日には成田に一泊をしました。
成田の一泊でなんとか英気を養おうと考えていたのですが、あまりの暑さに体は更に疲弊。

この時点で、既にもう予定と随分変わってきていたような気がしないでもないのですが、翌日、スイス行きの飛行機の中で、たいそう退屈で長い時間を過ごし、無事チューリッヒ空港に着くことができました。

ートがエスカレーターの上に
乗せることができるよう
工夫されています。
チューリッヒの空港です

飛行機で過ごした14時間近くの時間で、スイスに関するガイドブック2冊を読破いたしました。
おかげ様ですっかりスイス通になれそうな気配。
とはいえ、全くの付け焼刃には変わりないのですが・・・。

チューリッヒの空港に着いてから、列車に乗り換えてバーゼルという都市に向かいます。
このバーゼル、

丁度ドイツとフランスの国境付近に位置していて、歩いても国境をカンタンに越えられるという大変便利な都市。
ドイツにもフランスにも行けちゃいます。
まあ、実際の国境はライン川の中らしいんですが・・・。
バーゼルは、商・工業の発達した、スイスでは第3の都市です。
スイス滞在中は、ここにあるホテルに連泊するので、他の都市を観光するときは、ココを拠点として動くことになりそうです。

で、この日やっとのことで、
ホテルに到着しました。
この日の夕飯です。
翌日はお腹とお尻が
大変なことになって
ました。

鉄道の駅付近がにぎやかそうだったので、いったんホテルに荷物をおいてから、また駅まで戻ることにしました。
夕食はイタリアンのお店に入り、よく分からないまま、本日のおススメと思われるメニューから、パプリカとトマトとチリのソースをかけたパスタをチョイスしました。

かなりの辛さのお料理でしたが、初日から残すのはまずいかなと思い、我慢をしながらの完食でした。

翌朝、トイレに入った私は、この我慢をたいそう後悔することに・・・・・・・・・。

ここのホテルには浴槽がついていたので、かろうじて湯船に浸かることができました。

入り口から入って
すぐの風景
バスルーム の横のトイレ トイレの横は冷蔵庫

スイスに行ったのは、確か7月の終わりだったはずなのに、未だその時の日記を書き上げておりません。
あまりの写真の多さに、更新する前から心がくじけております。
一日目を書き終えるのに、こんなにかかっていたんじゃ先が思いやられるってなもんです。
札幌も最近ではめっきり気温も下がり、これからは室内にいることが多くなりそうなので、以前よりは更新頻度が増すだろうと期待しております。
多分・・・。

2006年7月3日(月)
ゲゲッ

あんれまあー、もう7月かい?
早いねえー、時間が過ぎるのは。

あっちゅー間でしたね、今年も。
夏至も過ぎちゃったから、これからはどんどん日が傾いていくのか。
いやだなあ。
もっと、夏時間増やしてほしいのになあ。
なんなら年中夏でもかまわないのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

そういえば、何ヶ月か前にいった乳がん検診のマンモグラフィー、
新たに何かが見つかってしまいました。
まだ、その何かが特定できてないので、今月の下旬にまた再検査に行ってきます。
今度は反対側のチチが変らしい。

年取ってくると、だんだんこういうのばっかりで参ります。
年はとりたくねーって感じですね。


最近はいやんなっちゃうことばかり。
足首の関節もとうとうダメなご様子。
本来、丸くあるはずの骨がおもくそ変形していて、軟骨もいい具合に磨り減って骨同士ぶつかってるし。
自分のレントゲン写真見て愕然としました。

よく、こんな足で今までもってたなって。
この体重支えて飛んだり跳ねたり、信じられんの一言です。

ということになりますと、今までやっていたエアロビクスは当然出来ないですし、走れもしない。
やっていいのは水泳のみということになりました。

はあーっ。

水泳かあー。

ここんところ、イケメン兄ちゃんがなかなか現れないので、水泳に対する情熱が失われつつあります。
カンタンに言うと、水泳はサボってた。

やる気がないときに、水泳かあ。
ずっとエアロに打ち込んでたので、足が壊れたのかも知れない。
でもまあ、結局水泳はやらなきゃならないみたいなので、いやいやではありますが、また水に戻ることにします。



私に水泳に対するやる気を出させてくれるようなお兄ちゃん、早く目の前に現れてください。

2006年5月5日(金)
あああ
気が着いたらもう5月。

そっか、そんなに月日が過ぎていたんですね。
月日が経つのは早いもんですねー。

3月に泥鳥観察を断念してからというもの、その直後、リンパの炎症をなんとかするために、近所の総合病院に行ってました。

(とはいえ、実は病名がリンパの炎症と分かったのは、この病院に来てきちんと診察してからのことだったのですが)

3月になってしばらくしたある日のこと、朝、家の中でパジャマ脱いで洋服に着替えておりましたところ、偶然にも目の前にある鏡に映った己の体に、異変があることに気が着きました。
右側のおっぱいに親指ほどのしこりが・・・・・・・・あるんです。

これは一体?

なぜこのような物が?

確かこんなの、昨日は気づかなかったよなぁ。

・・・・・・。

おっぱいのしこりを発見した当時、しばらくの間頭の中が白くなりました。
(時間にして役10分くらいでしょうか)
その間中、遺書を書かなくちゃと無意識に考えてた。

もう、頭の中は遺書でぐるぐるです。

そうして10分くらいしたら、はっと我に返り、「と、とりあえずこんなときは深呼吸じゃ」、と。
(子供の頃からの取り乱したときの対処法です)

肩を前後ろと大きく動かして、スーハー、スーハー。
鼻から大きく息を吸ってぇー、口でぇ吐いてぇー、を繰り返します。

何回か深呼吸を繰り返しているうちに、だんだんと思考回路が正常に働くようになってきました。
「そうだ、まずは病院!」

そう思うと、すぐさま近所の総合病院にレッツラGO。
普段ですと、そこではいつもかなりの時間待たされるらしいんですけど、幸いにしてその日はすぐに診察してもらえることができました。

診察室に入った時の私の状態といったら、顔面は蒼白で、今にも死にそうな顔。
ていうか、多分死相とか出てたと思う。
気持ちは半分死んでましたね、あんときゃ。
そんな死んだような顔をしたまま、上半身裸で触診です。

普段だったら、上半身裸の上触診だと、照れ笑いの一つもあるっちゅうもんですが、気持ちの上では今はまさに三途の川の真ん中辺りに立っている状態。
いつものニヤケタ顔もピクリともいたしやせん。
診察中、
ひたひたと念入りに触られまくった後、診察してくださった先生からこんな一言が。

「んんんー、リンパだね!」と、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?。

え?と聞き返す私

「リンパの炎症です」・・・・も一度繰り返す先生。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

「ええっ、乳がんではないんですか?」
と、驚きながら、なぜか残念そうな私。

結局、先生のお話では、99%リンパの炎症とのことでした。
そして炎症止めのとても強い抗生物質を1週間分処方してもらい、しばらく、薬を飲んでも治らなかったらまた来てくださいと。

・・・・・・・・・・・・・・・・。
いえね、良かったんですけどね。
もう、遺書のこととか考えなくて、結果的には万々歳なのですけどね。
人間て不思議なもので、勝手に自分の思い込みで乳がんて決め付けていたにも関わらず、実際病名が自分の想像がつかないもんだったりすると、何故か釈然としない変な気持ちが残っちゃったりするもんなんですね。
とはいえそんなやつは、私だけなのかも知れませんが。
まあ、
日が経つにつれて、頭も少しは冷静になり、「こうやってスポーツクラブに元気に通えるのだから、やっぱりガンじゃなくて本当に良かったんだ」と今では心底感謝していたりします。
多分。

前置きが長くなりすぎて、本来書こうと思っていたことをすっかり忘れかけておりましたが、
実は前回の日記では、そんな中での泥鳥観察だったので、おかげさまで当該の炎症が静かに盛り返してしまったのです。
自業自得とはまさにこのことでございます。
(意味無く身をもって実践しています)
結局、薬はきちんと飲んだにも関わらず、しこりがなかなか綺麗に取れなくて、おかげ様でたいそう不安な夜を過ごす羽目になりました。
ですが、それからというもの、心を入れ替えておとなしく過ごしていたかいあってか、2週間もしたらきれいさっぱりとしこりはなくなったのでした。

「完治」バンザイ。

まあ、今回の病気には当初、すごくびっくりしまして、あまりの驚きに寿命が縮んだんじゃないかと思っていたのでが、自分の性格の根本が楽観的、というかおめでたく出来ているせいか、完治して3日くらいすると、何それいつの話?という具合になっていました。
(喉元過ぎればなんとやらです、というかアホです)

私が不安な毎日を過ごしている間、いつの間にか泥鳥は北の国に渡ってしまったのか、
病気が治って再度同じ場所に観察しに行ったものの、見渡すかぎり探しても、たったの一羽も見つかりゃしませんでした。

「勝手に帰るんじゃねえーよ」
心の中でそうつぶやいて、一人寂しくその場所を後にしたのでした。

今年は、春の風物詩である泥鳥を写真に収めることができなかったので、本当に残念な気持ちで一杯です。


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当然ながら病気の間は、しばらくスポーツクラブのレッスンをお休みする羽目に。
病気が治って、しばらくぶりにレッスンに顔を出すと、いつも顔を合わせるメンバーの方々に「レッスン、サボってたでしょ」と容赦なく突っ込みが入ります。

自分としては、別にサボりたくてサボっていたわけではなかったので、レッスンに来れなかった事情を実はかくかくしかじかと手短に説明。
するとメンバーの中の看護師の仕事をされている方が、「マンモグラフィーはやったのかい?」と聞いてくるのです。
私は、聞かれた検査の内容を知らなかったので、その看護師の方にマンモグラフィーのことを聞き返しました。

聞けばなんでも、乳がん検診の代表的なものらしいです。

今回は触診だけで、そんなのやった記憶が無かったので、「今回はやってないよ」って答えると、「念のため、それだけはやったほうが絶対良いよ」と、強く勧められてしまいました。

話によると乳がん検診では基本らしいです。

あまりにも強く勧めるのと、看護師さんの解説が、とても理にかなったものだと判断した私は、この間診察を受けた病院に再度行って、今度はマンモグラフィーの検診をお願いすることに決めました。

今回は念のための検査なので、担当の先生にもその旨を説明して、気楽にマンモグラフィーとやらに挑戦です。
(このマンモ検診に行った話は、今回の日記が予想よりはるかに長くなり過ぎたため、次回続きを書くことにします)
2006年3月27日(月)
白鳥

青い空を、Vの字に編隊を組んで突き進む白い鳥。
大空に羽ばたいて、実に気持ちよさそうです。
いつしか、その編隊は、Vの字からバラバラと形を崩し、田園地帯に次々と着地していく。

着地するやいなや、その白い鳥達は、一心不乱になって、 ぐちょぐちょになった泥んこに首を突っ込み、えさとなる生き物を探し始める。
その間、その美しく白いクビはクネクネと泥の中をコネクリ回し、
ズポっと抜けた後は、はっきり言って見るも無残な泥まみれ。
足元もどんどん泥が跳ねとんで、上からも下からも見事な泥色のグラデーション!
真っ白く美しい体が、みるみるうちに泥色に変化していきます。

「今年もやって来たな、泥鳥め」
(もうろうとしている、おばさんの独り言)

毎年、春になると雪の残る田園には、白鳥ならぬ、泥鳥がわたってきます。
確か去年も日記に書いてたような気がします、思いっきり。
やれやれ、今年もまたネタにしてやろうかいと思って出かけたのはいいんですが、何せこの時期、
思いっきり体調が悪く(急性のリンパの炎症の為)、デジカメも忘れた挙句に、起きているのがやっとという状態でして。

がんばってせっかく目的地まで来たとういのに、車の中でぐったりうなだれている状態。
へぇへぇ言いながらこの泥鳥を見ていたのですが、やっぱり身近で見ないことにはと思い、無理をして車から出て鳥に近づいたんでございます。
出た途端にですね、突風が目の前をぴゅーーーと吹いて、とーーーっても寒い!!!

へぇえぇぇぇええっくしょん。
すっごいくしゃみと悪寒が体中を走ってきまして、出て何分と経たないうちに車に走って戻ってしまいました。
このときは外気温、丁度0度くらい。


「し、しむ」


車に戻ってこの一言を発した私は、この後の自分の身体への影響を悟り、一目散で自宅に急行。
・・・・・

泥鳥観察は、また日を改めたいと思います。

2006年3月10日(金)
東京で

過ごした日は、意外とあっという間に過ぎていきました。
1週間もあったのに、あちこち歩き回っていると、どうやら時間は早く進むみたいです。

そんな中でも、今回一番行けて良かったと思うのは、古い昔に勤めていた職場跡地でした。
今はもうその会社は無いのですが、幸いなことに、会社が入ってた建物の場所は、しっかりと残っておりました。

当時、出勤すると、毎朝信じられない件数の電話が鳴り響き、就業中もずーっとベルは鳴りっぱなし、退社した後までも鳴ってまして。
おかげ様で、毎夜電話が鳴り続ける悪夢にうなされてましたっけ。
毎日、毎日、一刻も早くこの生活から逃げ出したいと、常に考えてた。

今じゃあ、そんな繊細な神経、どこ探しても見あたらないんですけど、当時はまだ確かにあった。
そんな幼いけれども、一生懸命に生きていた時代を、まざまざと振り返ることが出来て、なんだか、自分の人生の時間の経過を、確実に実感することができました。

当時、私はまだ20代前半だったのですが、東京で見るもの全てがそりゃもう新鮮な驚きで、毎日旅人気分で生活しとりまして、
会社員は世を忍ぶ仮の姿とばかりに、毎日どこかしらほっつき歩いとった。
休日は、決まって必ず湘南に行ってましたし。
とはいえ、誰かと約束があっていくわけではないのですが。
一人なのにウキウキしながら、出かけてたんですよね。
今考えると、とっても変なヤツなんですが、当時はそんなこと全く気づかずに暮らしてた。
普通に一人での行動が大好きでしたねえ。

自分の周りの方々はきっと、「あの人いつも一人で本当に可哀想な人」と思っていたに違いない。
まあ、人の幸せの価値感なんてものは、そんなもんなんでしょうけど。
かなり世間とズレていました。


少々、思い出話に花が咲いてしまいましたが、職場跡地見学が終わると、六本木とか秋葉原とかにも行ってきました。
そのときに印象に残ったものって、おでん缶とヒルズの前にある意味不明の像。
おでんはいいとしても、ヒルズの像、
ありゃ、一体なんなんだ。
帰ってきた今でも謎のままでございます。
誰か知っている人がいたら教えてください。
あの像は一体、誰が、何のために置いたものなのかと!

2006年3月7日(火)
東京


に行ってきました。
1週間程滞在したでしょうか。
その間は東京に住む、姉のところにお世話になりました。
・・・。
普通、北海道から東京に行くと、暖かいところに行くからいいよねと、地元の知り合いにうらやましがられたりするのですが、こと私においてはそうはなりません。
なぜなら、東京にいる姉の部屋の室内温度が、外気温よりも低いからです。
私が姉の部屋に着いた直後は室内気温何と4度。
確か外は5度くらいだったような気がします。

・・・ありえない・・・。

30分もすると鼻が真っ赤になってきます。
どこの家にも普通は暖房器具が存在したりするんですが、ココにおいてはそんなものありゃしません。
コタツとか電気ストーブさえもなし。
普通に夏布団があるのみ!
まるで冬山で遭難したかのような気分で、布団に入ります。
しかも、部屋は超狭いので、寝返りなんぞ、うてない。
直立不動の姿勢を保ち、眠くも無いのに普通に布団に入っておるのです、はい。
一体私は何しに来たんだろうと考えながら、顔が冷たいまま朝を迎えてしまいました。

東京に着いてから、普通に朝を迎えるのが、あまりにも辛かったので、急遽春の息吹を求めて1泊2日で千葉に旅行にいってきました。
これは、そのときの写真です。
千葉の白浜のお花畑 バラかなあ?
花?野菜? お花だらけ
宿泊したホテルのサービスで摘んだポピー オプションツアーの菜の花摘み
こ、この像は・・・。 平安京よりも前に立てられた神社の中の風景
若山牧水の碑 イチゴ狩りもしてみました。
鎌倉に行ったときの富士山 武蔵小山商店街のマックから見た風景
江ノ島電鉄の駅 江ノ島から駅の方を見てみました
秋葉原にきました おでん缶を買って帰りました
メイド服 六本木ヒルズ
ヒルズ前のへんな像 昔、仕事でよく通った場所(新宿)
2006年1月31日(火)
あらら

1月ももう終わりです.
昨日の昼は気温が+になって随分と雪が解けたのでございます。

そして今日は、昨日の解けた雪が、すっかり氷となって、またその表面が解け始めました。

簡単にいうと、氷の上に水が乗ってる状態です。
今日は雪が降ってなかったので、ちょっと遠くまでお買い物をしにきたんでございます。

外の路面状況など全く考えずに!

私のお気に入りの激安食品スーパーのここにたどり着くまでに、3回くらい滑りました。
その上、雪山に隠れて車が出てくるので、轢かれそうにもなりました。
しかも、そんな危険な状態で転ぶし。

幸いなことに、車のスピードがそろそろとしていてすぐに止まってくれた。
おかげで命拾いしましたよ。

歩道もあんまり除雪されてなくて、道が狭くて真ん中が山になっているので、普通に歩けない。
凍った山の上をすべりながら歩くといったかんじでしょうか。
とっさに「転んでなるものかい」と踏ん張るたびに、プーと体の中から気体を出してしまいそうになりましたが、なんとか持ちこたえて帰ることができました。


今日はここでお買い物

ここはとっても安いのです。
2006年1月18日(水)
雪が降る

やまない。
雪が!
この雪のせいで毎日が引きこもりの生活です。
そんな毎日に嫌気がさして、何日か前に家のそばのスーパーに車で買い物をしに行ったら、見事!!!
埋まりました。
「いやあ、簡単に埋まっちゃいますよねえー」 なんて車の中を覗きに来る人達に言い訳しながらJAFにお電話。
聞けば救助の車は1時間半くらいで到着とのこと。
こうなってしまっては考えてもしょうがないので、埋まったまま車の中で待機。
自分の車のせいで、狭い車道が益々狭い。
すぐ横を通りすがる車から非常に厳しい視線を浴びつつ、5分位待ったあたりでしょうか、
とても親切な方が通りがかり、私の埋まった車を押してくれました。
おかげで、私の車は無事脱出。
その方は、車が脱出したら、さっといなくなってしまいましたが、このとき、ああいう人がいるってことが何より心の救いになりました。
JAFに救助のキャンセルの電話をした後、
今度、自分と同じように埋まった人がいたら、自分も力になろうと心に誓いました。
あまり家から出ない為、残念ながらまだそういう機会には恵まれてないのですが!

雪が降ってからというもの室内滞在時間が非常に長く、あまりに発狂しそうな毎日なので、札幌全体の排雪作業がひと段落した14日に、今がチャンスとばかりに遠出してまいりました。
最初はね、天人峡に行こうと考えてたんですよ。
そして、高速へのっかりました。

    「 
砂川で一休み                        食堂でアジフライ食べました
    
また高速                          遠くに山が見えてきた
    
静か                             雪景色
    
夕日が見えてる                     旭川科学館到着


この日、高速では路面凍結のため50キロ規制だったので、あまりスピードが出せませんでした。
とはいえみんな普通に80キロくらい出していたけど。
旭川に着いた時点で大幅に到着予定時間をオーバー。
目的地は更に2時間くらい山の中。
暗くなってから、また雪道で埋まると、日帰りが出来なくなってしまう可能性が色濃いので、ここは潔く天人峡を断念。
行き先を変更して、今旭川で話題になってる科学館に行ってきました。

行った時間も遅かったので、ちょろっと展示物を見て、宇宙の映像を見たら、科学館の営業がちょうど終了。
外に出ると、辺りは既に真っ暗だったので、そのまますぐに札幌へ向かいました。
帰りはただひたすらに札幌へと直進。
行きと違って、途中から規制も解除されてたので、意外とすんなり帰ることが出来ました。
家に帰ったのが、予想よりずっと早かったので、ご飯を食べてからまた温泉銭湯に外出。

結局、この日は最初に天人峡のお風呂に入る予定が、しょっちゅう行く近所の北のたまゆらになってしまったということです。

2006年1月3日(火)
あけました

めでたいです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

今年を無事に迎えられたことをご先祖様に感謝しつつ、おもちとみかんを食べていたら、もう年が明けて15日も過ぎていたのですね。

遅まきながら、「あけまして、おめでとうございます。」
皆様、いかがお過ごしでしょうか?

3日の日に日記でも更新しようかと思い立って、上記2行を書いたまま、すっかりアップするのを忘れておりました。
まるで今年の運命を暗示しているかのようです。
まあ、自分の素直な気持ちとしては、もっと小まめに更新したいと願っているのです。
(とはいえ毎日たいしたことはしていないので、日記に書くようなネタもない)
ですが、
今年の私は一味違う!
去年とは違うのです。
何が違うのかというとですね、更新に対する意気込みが違う!
どれくらい違うかというとね

最悪、ゴースト使ってでも更新します・・・・・・・・・。

これからしばらく、何か書いてくれそうな人を探してですね(主にスポーツクラブで)
適当な方が見つかったら、こっそりと分からないように載せときます。
(そのときは、もし仮に気が着いたとしても、できれば知らんふりしててください)

えー、
新年から、文字だけだと、ちょっと寂しいので、
今年自分の年賀状に使った、犬の絵(PC手書き)をオマケに付けときます。
(年賀状貰った人は見てもしょうがないんですが)
一応、ポメラニアンのつもりでござんした。


本日の出来事