帯広市に隣接する幕別町の西側途別川沿いに位置し、開校106年を迎えた学校です。当校の児童は30名で、小模特認校に指定されており通学区域も途別、日新、上稲志別地区のほか、札内地区から8名が通学しています。 教育指導の方針は豊かな自然環境の中で、田や畑作業の体験学習を通じ、自分たちで育て収穫した作物を料理し、味わう「食農教育」を実施しています。平成17年には「全国地域にねざした食育コンクール2004」において、優秀賞の栄誉を受けています。また、地域の文化や歴史を守る心を養う「途別百年太鼓や田植え踊り」など、芸能に触れる「表現教育」にも力を入れています。 |
開田の伝統を引き継いで
(平成19年度の学校行事) 途別地区は、十勝開拓の祖である晩成社の依田勉三が念願の米作りに成功した十勝の水田の発祥の地として知られています。途別地区から水田が無くなって、今年が21年目ということです。当校では水田の無くなった年から、毎年、その歴史と食についての学習を行っています。また、グランド脇の100ヘーホメートルの水田では地元の敬老会の指導を受け、うるち米ともち米の栽培を全校の児童生徒ですすめています。 (ミニ知識) @十勝の水稲はオベリベリに入植した依田勉三によって栽培された。1885年(明治17 年)に10a試作したがバッタの被害で収穫にはいたらなかった。 A1894年(明治26年)、下帯広村の増田立吉氏が士幌川河口付近で20a作付けし成功 したが十勝の水稲のはじまりともいわれてる。 B幕別の水田のはじまりは1901年(明治33年)である。現在の札内南小学校、瑞穂公 園に依田勉三の小作人を入植させ1.7haの作付け、1ha当たり15俵の収穫があったと されている (@ABは北海道新聞発行:十勝大百科事典を参考) C現在、幕別町には猿別地区に三件の水田農家があり、約7ha栽培している。 |
途別小稲つくりの一年間
代掻き |
ゴロ廻し |
田植え |
稲刈り |
稲たばね |
はさがけ |
稲運び |
脱穀 |
餅つき集会 |