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号泣はおさまったけれど、その夜は頭がキンキンして眠れなかった。
発作みたいに涙があふれてとまらない。
翌日の午後、妹が方々に電話して見つけてくれた「東京家畜博愛院」という、ペット専門の霊園でクロを火葬してもらうことになった。このひどい暑さだから、すぐに火葬しなければならない。家には埋める場所もない。それにいつまでもクロの屍骸を見ているのは辛すぎる。
博愛院に向かう車の中で、ちょっとした珍事が起こった。
クロが「おなら」をしたのだ。車内はクーラーをつけていたけれど、やはり温かかったためか、体の中に溜まっていたガスが漏れでてきたらしい。
でも、不思議と、臭いとか、嫌な気持ちが起こらなかった。
クロは家に来た頃、よくこんな臭いおならをしていたのだ。あの頃の姿をまざまざと思い出させてくれた。クロよ、最後におまえはぼくらの心に、おまえが来た頃の姿を、しっかりと焼きつけようとしてくれたのかい。
板橋区の舟渡にある「東京家畜博愛院」は、歴史の古いペット霊園のようだった。
火葬の担当をしてくれた初老の男性は、てきぱきと、こちらが決して不快にならないような手際のよさで、事を進めてくれた。
ペット用の窯は小さいけれど、扉は人間のそれとまったく同じように重々しかった。
扉を開くと、窯の火が地獄の炎のように赤々と燃えている。
その窯にまさにクロが入れられようとした時、ぼくは「クロはまだ生きているんだ、ただ寝ているだけなんだ、それなのに窯に入れられようとしている」と、根拠のない妄想が湧き起こってきて、可哀想になって、また涙があふれた。
クロが火葬されている間、霊園の敷地内にある墓地をぶらぶら歩いた。
当然のことだが、全部犬や猫のお墓だった。
それぞれに、そこに眠る愛犬や愛猫の名前がびっしりと刻まれている。
ぼくはこの年になるまで、昼間でも、墓地が恐くて薄気味悪くて仕方がなかったが、このときはじめて、墓地が、安らかでかけがえのない場所なのだ、ということを実感した。
クロはまだ子供で骨が柔らかかったせいか、遺骨は形をとどめず、パラパラとくずれていた。でも、それがかえって良かったのかもしれない。少しでも元の姿を想像させるようなものがあれば、また堪らなくなってきたことだろう。
信じられないくらい小さな白い壷に、骨は全部納まった。
いくらかサッパリしたので、家に帰ってきて、もう泣く事はないだろうと思った。
その夜、クロがいつも出入りしていた窓の側で、ぼくは寝ていた。
その夜も暑かったので、窓は閉めて、クーラーをつけていた。
少しまどろんでいたら、表でかすかに「チリ・・チリ・・」と鈴の音が聞こえたような気がした。
ぼくは今まで何度もそうしていたように、閉めていた窓を薄目に開けた。
開けてみて、ハッと思って、それから、暗い中でさめざめとまた泣いた。
たった一匹の猫が居なくなっただけで、日常生活がつまらない。
この先、クロが居た頃のような楽しさが、よみがえることがあるのだろうか。
仲が良かったハルも、やっぱり寂しそうだ。
泣く事は、もうないが、しみじみとした寂しさが、四六時中おそってくる。