遊 旅人の 旅日記

2003年7月13日(日)晴れ

大石田から新庄へ
AM5:25出発。今日は新庄まで歩き、新庄で<渋谷風流宅跡>を尋ねる予定。
町を抜けるとスイカ畑が広がる。早朝の この時間、畑では、すでにスイカの収穫の作業を終え、トラックで運び出している。大石田、尾花沢はスイカの産地と言う。そういえば昨日、宿でもスイカを出してくれた。
一方、畦道では、草刈をしている。農家の朝は早い。
AM6:50 R13に出る。新庄に向かいR13を歩き始めると新庄まで15kmの案内標識が出てくる。
曾良日記にある<名木沢>を通る。しばらく歩くと道がゆるくカーブをし山に向かって長い上り坂になる。坂道の頂上近くまで来ると<猿羽峠>と書いてある。その先にトンネルがあり、舟形トンネルとあり、舟形町に入る。
芭蕉はこの
<舟形>まで馬に乗ってきたのである。トンネルを抜けたところで小休止。ここから道は下り坂になる。


太陽が昇り 暑くなってくる。AM9:05<ふるさと物産センター>で休憩を取る。ここでは、地域の農家の人たちが自分達で作った農作物や自家製の加工食料品を持ち寄り販売している。皆、忙しそうに開店の準備をしている。
トイレを借り、自販機で買ったスポーツドリンクを飲んでいると、中に入って休んで良いという。中には大きなテーブルがある。テーブルの片隅に腰を下ろして休んでいると、準備をしていた、おばさん達が一人二人と寄ってきてテーブルを囲んで座り、庄内弁で雑談を始める。聞いているだけで楽しい。
蕗を砂糖で煮たお菓子、すもも、そのほか色々な自家製の菓子、漬物など、食べ物を持って寄ってくる。またコーヒーも入れてくれる。50才位のおじさんが、自分の家で作った新しいクッキーだと言いながら、皆に配っている。
私が「奥の細道」を辿って東京から歩いて来た、と話すと皆びっくりし、庄内弁で質問が集中する。私は自分の答えを考えるよりも、おばさんたちの庄内弁の会話が楽しく、つい長居をしてしまった。
30分近く話をした後、おばさん達はサッと持ち場に戻ってゆく。私もリュックを背負ってお礼を言い建物を出る。一斉に、「頑張って気をつけて行ってください」と声をかけられる。いいおばさんたちだ。


気分を良くして歩いていると、後ろからクラクションを鳴らしスピードを落とし通り過ぎる車がある。
しばらく歩いてゆくと、遙か先で私を待っているような人がこちらを見ている。私は、このあたりに知り合いはいないが、誰だろうと思い近づいて行くと、赤倉温泉の私が泊まった宿の主人だという。私は、はっきりと顔を覚えていなかった。それと言うのも、宿を出発する時、ほんのわずかの間、立ち話をしただけだからだ。宿の主人は私を覚えていてくれ、歩いている私に気付いてくれた。「見たことのあるスタイルで歩いている人がいる」と思ったらしい。
それにしてもよく声を掛けてくれたものである。奇遇でもある。「山寺に行ったんじゃないの」と云うから、「あれから山刀伐峠を登り、尾花沢、天童、山寺、大石田と歩いてきて今日は、これから新庄まで行く」と言うと、「全く丈夫な足をしているもんだ」と感心をされる。やはり、気をつけて行ってくださいと言われ別れる。感謝感激だ。


一時半ホテル着。荷物を置いて出かける。
今日は日曜日だ。市役所は休みである。新庄駅に行く。きれいな大きな駅である。新幹線が開通してきれいになったのであろう。駅の横にある、<ふるさと物産センター>のような所の中にある情報センターに行き、芭蕉のことを尋ねる。
市民プラザの前に句碑があり、町の外れに
<柳の清水>があるという。しかし芭蕉の泊まったという<渋谷風流の屋敷跡>はわからないという。
<柳の清水>は先ほど歩いてきた市街の入り口の方である。明日、尋ねよう。


市民プラザに行くと正面入り口の横に句碑と説明板がある。句碑には新庄市市民プラザ前の句碑
    
風の香も 南に近し 最上川 
と刻まれている。
この句は、渋谷風流の兄、九郎兵衛(盛信)宅に招かれ、地元の俳人たちと句会を催し、その時巻いた歌仙の中に、挨拶の句としてあるという。


市民プラザの中では、国際交流会のような会合が行われている。沢山の外国の女性と日本の女性達が談笑をしている。

商店街を歩いていると<のらくろ>の絵が見られる。この新庄市は<のらくろ・田川水泡>と何か関係が有るのだろうかと考えるが、今は「奥の細道」だと思い、あまり深く追求しないで、銀行に寄り、宿に帰る。

洗濯物を持ってコインランドリーに行く。歩いて15分、距離にすると1.5km程の所にあると言われ出かける。
リュックを背負って目的地に向かって歩いているときは、15分、1.5kmなどは、なんでもなく歩いてしまう。しかし、荷物を待たないで歩くときは、15分・1,5kmはかなりきつく感じる。
気持ちが緩むと身体がわがままを言い出だすのである。気持(精神)と肉体は連動しているのか、足が前に進まなくなり、疲れが激しくなる。
人の気持ちなどと言うものはわがままで勝手なものだと思いながらコインランドリーに向かい歩く。

今日は、ほとんど移動しただけであったが、良いおばさんたちに会った。また赤倉温泉の宿の主人にも偶然会った。良い一日であった。明日は最上川の舟下りだ。
曾良日記
○六月朔 大石田を立。辰剋、一栄・川水、弥陀堂迄送ル。馬弐疋、舟形迄送ル。ニリ。一リ半、舟形。大石田ヨリ出手形ヲ取、ナキ沢ニ納通ル。新庄ヨリ出ル時ハ新庄ニテ取リテ、舟形ニテ納通。両所共ニ入ニハ構不。ニリ八丁新庄、風流ニ宿ス。
二日 昼過ヨリ九郎兵衛ヘ招被。彼是、歌仙一巻有。盛信。息、塘夕、渋谷仁兵衛、柳風共。孤松、加藤四良兵衛。如流、今藤彦兵衛。木端、小村善衛門。風流、渋谷甚兵ヘ。
おやすみ処
渋谷風流邸跡 私が新庄の町を散策したときには何処にあるか解らなかった。後に他の資料を調べて判明する。
話の優先順位が後先になるが、市の中心の商店街にある山形銀行付近に渋谷風流の兄、渋谷九郎兵衛(盛信)の屋敷があったという。九郎兵衛は渋谷家の本家で、新庄第一の富豪であったといわれる。芭蕉は九郎兵衛宅に招かれ、地元の俳人と句会を開き、歌仙一巻を巻いたのである。
一方、芭蕉の泊まった渋谷風流の屋敷はというと、九郎兵衛の屋敷(山形銀行辺り)の斜め向かい(現在は金物屋がある)辺りに有り、風流屋敷跡の案内が建っていると言う。

私は市民プラザを出て駅に向かう大通りを歩き、交差する商店街を左折し、商店街の外れに近いところ迄歩き、<のらくろ>の看板を見、反対側の通りに渡り、戻り、山形銀行によったのである。
芭蕉の泊まった渋谷風流宅、九郎兵衛宅跡を自分の目で確かめることは出来なかったものの、両屋敷跡を通っていたのだと、今では自分を納得させている。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

新庄市公式ホームページ