旅の最終日、スルタンの栄光トプカプ宮殿・帰国便で隣の座席に座ったイカレ女、編

東西文明の十字路、トルコ旅行記・旅の終わり

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 旅の最終日・イスタンブールから成田へ

イスタンブール市内観光

 とうとう「トルコの旅」最終日の朝がやってきた。NPO法人会員仲間とのオリジナルツアーも今日で終わりである。旅期間中、事故もハプニングもなく、体調を崩した人も出ず、全員元気で帰国日当日を迎えることができた。連日の酒の飲み過ぎで下痢で苦しんだのは私ぐらいだった。
 天候にも恵まれ昨日のイスタンブールを除くと、毎日秋晴れの日が続き快適な日々であった。平均年齢60歳をはるかに越えたシニア集団、昼夜を問わず、よく見て、よく食べ、よく飲み、貪欲なほど旅を楽しんだ。それにしてもトルコがこれほど見所が多く歴史ロマンに溢れ、食事も美味しく清潔で快適な国だとは予想外だった。
 今回の旅の企画から募集まで担当し、世話役的な立場として参加した私にとって、旅仲間の口から出る「いい旅だった!楽しかった!」の一言は、責任を果たせれた喜びと安堵感でいっぱいだ。
イスタンブールで宿泊したシェラトンホテル

 今日は宿泊しているイスタンブール郊外のシェラトンホテルを8時半に出立し、「トプカプ宮殿」と「考古学博物館」を見学することになっている。その後は昼食を済ませると17時10分発成田空港行きの航空機に搭乗である。
 帰国準備を整えスーツケースを廊下に出しロビーに降りると、みんな航空機に積み込む旅行ケース重量のことが気にかかるらしく、規定重量20Kgを話題にワーワーやっている。
 待機しているバスに乗り込み旅行ケースを積み込むと、イスタンブール観光の目玉である「トプカプ宮殿」に向かって走り出した。

ブルーモスクの全景を背景に

トプカプ宮殿の近く、6本の尖塔を持つブルーモスク
 朝の交通渋滞にも巻き込まれず30分ほどで昨日見学した「ブルーモスク」前の公園近くの路上にバスは停車した。ここからトプカプ宮殿までは歩いて行ける距離である。
 バスを降りると公園からは池越しに6本の尖塔を持つ「ブルーモスク」の全景が青空の下、絵のように映え、素晴らしい景色である。 ここでこのモスクを背景に全員揃って最後の記念写真を撮ろうということになった。するとカメラを構えワイワイやっている私達を見て、公園のベンチに座っていた背広姿のトルコ人青年二人が私達に声をかけてきた。何と!日本が好きなので俺たち二人も一緒に入れて写真を撮ってくれないか!と言うではないか。
親愛の情を示しなら話しかけてくる彼らに断る理由はない!二つ返事でOKを出すと、彼等を真ん中にして記念写真を撮ることとなった。噂通りトルコは親日国なのだ。

集合写真を撮ろうとしたら、二人のトルコ人青年が一緒に撮ってほしいと入ってきた

スルタンの栄光を今に伝えるトプカプ宮殿

広大な領土を誇ったオスマン帝国の夢の跡

 名残惜しそうに手を振る二人の青年を公園に残して、トプカプ宮殿へ歩きだすと、10分もせずして宮殿の入り口である「皇帝の門」前に着いた。 ここトプカプ宮殿は三方を海に囲まれた丘の端、東西交易の接点であるボスポラス海峡をにらむ場所に建っている。トプカプ宮殿への入り口「皇帝の門」

 1453年に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都コンスタンティノーブル(現イスタンブール)を滅ぼしたオスマン朝のメフメット2世により建設されたもので、かって宮殿を守るように大砲が配置されていたことから、トプ(大砲)カプ(門)と呼ばれるようになったらしい。
 東ヨーロッパ、黒海、アラビア半島、北アフリカの三大陸を制したオスマントルコ帝国の支配者の居城として、400年もの間、政治や文化の中心であったところである。支配した国からの略奪品や献上品などの膨大な秘宝が、今もこの宮殿にはあるのである。

皇帝の門から第一庭園をぬけると「送迎門」がある

 「皇帝の門」前で写真を撮っていると、小脇にイスタンブールの写真雑誌を抱え込んだ物売りが「千円!千円!」と言い寄ってくる。これが、かなりしつこく、ちょっとでも興味でも示そうなものなら最後である!買うまでつきまとわれるはめになり、結局何人かの旅仲間が買うはめになってしまった。 物売りを振り払うように、皇帝の門をくぐると、広々とした第一庭園になっている。庭園を分割するように大きな通路が東に向かって一直線に延びており、庭園を真っすぐ進むと、8角形の塔を左右に置いた独特の形をした「送迎門」にぶつかった。1200人余の料理人がいた調理場の厨房棟


このお伽の国のような門をくぐると、今度は第二庭園になっており、芝生と花壇が手入れされた庭の周りを取り囲むようにさまざまな建物がある。右手には、かって1200人余の料理人がいたとされている「スルタンの調理場」だった厨房が並らんでいる。
 そして庭園の左奥には、かの有名な女の城ハーレムへの入り口が見える。

ハーレムの世界

 ハーレムの女性はほとんどがトルコ以外の外国人であったらしい。戦争の捕虜、奴隷として買われたもの、さまざまな形で集められた。なかでも色白肌が好まれたため、ロシア、東欧出身者が多かったらしい。
 イスラムの皇帝であるスルタンは正妻を4人娶ることができた。第一妻から第四妻までは、最初に男の子供を産んだ順に決まっていったとのことである。かといって第一妻が産んだ長子が後継者となる長氏相続でもない。男子と女子を産んだ妻では大きく差別され、男子を産んだ妻たちが自分の息子をスルタンにすべく陰謀の限りを尽くしたのである。
 スルタンの位の争奪戦から敗れた息子たちは多くが殺され、恵まれた者でも幽閉され、生涯宮殿の籠の中で過ごさねばならなかったのだ。 中には4人の正妻以外に側室として400人、子供の数は最高100人以上というス豪傑スルタンもいたらしい。
現在でも一夫多妻制度が残こるイスラム社会は、典型的な男尊女卑の社会にしか思えない。
宮殿のスルタン居住区をとりまく回廊

 ちなみに一夫多妻といえば、ちょっと横道に逸れるが、TV番組等でお馴染みの芸能人「デビ夫人」は東南アジアのイスラム国インドネシアの大統領だった「スカルノ」の第三夫人だった人である。かって日本で、赤坂の有名クラブホステス時代に、インドネシアへの日本政府開発援助にともなう利権獲得を目的に、ある総合商社から「夜のプレゼント」として買われ、スカルノ大統領に送り込まれた人だ。インドネシアに渡って数年は妾だったが、やがて結婚し第三夫人の座に収まったことはよく知られているところだ。
スルタンの居住区への入り口「幸福の門」

 また話が脱線した!もとへ、第二庭園を抜けると第三庭園の入り口である「幸福の門」がある。ピンクとグリーンのタイル地の金色のアラビア文字がおしゃれで豪華な門だ。この門からがスルタンの執務室と居住区となっている。
「謁見の間」「遠征軍の宿舎」部屋を見て歩き、第三庭園側のハレムの出口を出ると、トプカプ宮殿最大の見どころである財宝や衣装などを集めた宝物館へとやってきた。

世界有数の秘宝がある宝物館

トプカプの短剣と世界一大きい
ダイヤモンド(借用画像)

 ここは、オスマン朝が強大な権力と金にまかせて世界中から集められた秘宝が、4つの部屋にテーマごとに展示されている。
 撮影禁止なので展示されている秘宝を画像で紹介できないのが残念だ。それぞれの部屋では、金、銀、ダイヤ、ルビー、エメラルド、翡翠、真珠等、多種多様の装飾品がぎっしり陳列されている。 なかでも世界有数の大きさといわれ、86カラットの大きなダイヤを49個のダイヤで取り囲んだ「スプーン屋のダイヤモンド」、三つの大きなエメラルドと時計が付いた「トプカプの短剣」、世界最大の重さ3kgもあるという「エメラルド」等は圧巻である。この宮殿はオスマン朝になってから、一度も侵略を受けていないので膨大な秘宝が略奪されることなく、今に残ったとのことだ。

宮殿のテラスから望むイスタンブール

 宝物館を出て、宮殿の最深部の第四庭園まで来ると、南側にレストランがありそこのテラスからはボスポラス海峡の素晴らしい景観が目の前いっぱいに拡がった。このテラスに立つと、このトプカプ宮殿がイスタンブールを見下ろす小高い丘に立地していることが実感できる。
 庭園の北側からは金角湾を挟んで左右にイスタンブール旧市街と新市街の街並みが
一望できた。ブルーのタイルが鮮やかな「割礼の間」

 旅の最終日これからの帰国を前にして、多くのイスラム寺院と尖塔が建つエキゾチックな旧市街は、私達の眼にしっかり焼きついた。 その後、ブルーのタイルが美しい「割礼の間」など幾つかの部屋を見学して、2時間あまりのトプカプ宮殿の見学を終えた。

「考古学博物館」

 トルコの旅の最後を飾る見学は「国立考古学博物館」である。
私達はトプカプ宮殿の最深部から、再び来た道を戻り入り口の皇帝の門を出て、北側へブラブラゆるやかな石畳の坂道を下っていった。トプカプ宮殿を出てゆるい石畳の坂道を下っていく
すると、間もなくしてギリシャのイオニア風のファザードをもつ重厚な建物の「考古学博物館」前に出た。
 この博物館開設の経過は、トルコの遺跡はオスマン朝時代に、英、仏により発掘調査が盛んにおこなわれ、発掘品の大半はトルコ国外に持ち去られ、この両国の博物館に収められたしまったことから、その散逸を防ぐために1881年に開設されたものである。
 博物館開設以降、トルコで出土されたものは全てこの博物館に収められており、特に「アレキサンダー大王の石棺」をはじめとしたギリシア・ローマ時代のコレクションは世界有数の収蔵品として高い評価を得ている。
 この博物館の目玉となるアレキサンダー大王の石棺

 博物館は考古学博物館、古代オリエント博物館、タイル博物館の3つの博物館で構成されており、その収蔵品は紀元前15世紀から20世紀のものまで約10万点余りといわれている。
 私達はまず考古学博物館の正面玄関から中に入っていった。薄暗い館内でスポットライトを浴び、紀元前のヒッタイト、ギリシャ、ローマ時代の文物が、これでもかとばかりに展示されている。
なかでも石棺の数々は、どの石棺も美しく精巧な浮き彫りの彫刻がなされており目を奪われるばかり。もうこれは美術館に展示してもおかしくないほどの、完全な美術作品で圧巻である。
精巧な浮き彫り彫刻がなされた石棺

 数々の石棺の中でも、現在のレバノンの「シドン」で発見された古代フェニキア王室の墓所から発掘された石棺は、その凝った浮彫の彫刻に、見た途端溜息が出るほどで、しばし我を忘れるほどであった。特に以下の三つの石棺は、これが紀元前の大昔に作られたものかと思うほどで「凄い!」の一言につきた。

「リキアの石棺」
シドン遺跡で発見のリキアの石棺

前述のシドン遺跡で発掘された紀元前5世紀のリキア時代に製作された石棺。独特の丸みがかった屋根にスフィンクスが彫られており、その下の本体部分にはケンタウロスの戦いの場面が彫られている。

「アレキサンダー大王の石棺」
この博物館の目玉で、前述のレバノンのシドンの古代フェニキア王室墓地から発見された。紀元前300年頃制作されたといわれるもので、側面のレリーフは、マケドニアとペルシアの戦闘シーン、ライオンと雄鹿狩りのシーン。それぞれにアレキサンダー大王の姿が彫刻されている。
 精細なイオニア式のレリーフは、その保存状態のよさと躍動感溢れる戦闘シーンの見事な彫刻で、まさに圧巻である。
アレキサンダー大王の石棺に彫られた戦闘場面

「嘆き悲しむ女たちの石棺
 
これもレバノンのシドンの王室墓地で発掘された石棺のひとつ。紀元前3世紀ごろのものとされ、18人の女性の像が側面に彫られており、その彫刻一人ひとりの表情が全員違い、嘆き悲しむ様子が実に美しく、古代人の芸術性の高さに感動するばかり。
 数々の石棺を見学した後は、自由見学となり集合場所を博物館玄関前広場と決めると、それぞれが広い館内に散っていった。
嘆き悲しむ女たちの石棺、18人の悲しむ表情

 私はギリシャ、ローマ時代の石像を展示している部屋を見学してから別棟の「タイル博物館に向かうことにした。
 石像展示室の前にアレキサンダー大王立像がある。紀元前3世紀のもので、数あるアレキサンダー大王像の中でも保存状態がよく、世界で最も美しいといわれる立像である。 じっくり見たいのだが、あまり時間が無い!速足で石像展示ルームを一巡すると、外に出て、タイル博物館に入りこんだ。ブルーを基調したタイルの様々な文様で飾られている館内を、ざっと見まわすと広場の集合場所に向かった。
世界で最も美しいとされるアレキサンダー大王


 考古学博物館の見学で、トルコ観光は全て終わりとなった。トルコでの最後の食事は、レストランで名物ドナルケバブ(大きな串刺し牛肉を焼き、削りとったもの)をメインにした昼食である。
 私は肉類が大の苦手で一切食べることができないので、皆が食べるのを腕を組んで見ているだけである。同じテーブル席の皆が、相変わらずスープとパンだけを食べている私を笑って見ている。なかには気のどくだ!と言ってくれる人もいるが、当人の私は海外の旅では毎度のこと、慣れっこで全然意に介さない!腹はすくがダイエットにちょうど良いと思っているのだ。
パンとスープだけの食事に皆が笑っている

イスタンブール空港

搭乗手続き

 昼食を終えると、帰国の途に着くため空港へやってきた。帰国便はトルコ航空(全日空との共同運航便)第5便イスタンブール17時10分発成田行きである。
 搭乗手続き開始までしばらく時間があるので、休息コーナーで一服しながらワイワイやっていると、添乗員のS女史がやってきて「搭乗手続きは各自がご自分でやっていただくことになりました!」「早めに搭乗手続きカウンター前までいって並びましょう!」と言う。
イスタンブール空港とトルコ航空機

 私達はスーツーケースをガラガラ引っぱりながらカウンター前までくると2列に並んだ。私は機内の座席が、なんとしてもも通路側を確保したかったので、列の最前列に並ぶことにした。なにしろ日本まで12時間の飛行時間である。ちょっとだけ体格が大きい私にとって、左右を挟まれるような座席になってしまったら窮屈で苦痛である。通路側だと少し脚が伸ばせるので楽だ。

旅行ケースの重量規制が気にかかる!

 列に並んで立ち話していると、どうしても話題がスーツケース規定重量の20Kgに集中する。皆あれこれ各地で買ったトルコ土産で、日本出国のときに比べかなり荷物が増えている。ホテルの部屋に体重計がなかったので、皆自分のケースが何Kgなのか分からないのである。20Kgをどの程度のオーバーまで見逃してくれるかという話ばかりになってしまう。 
搭乗手続き開始前、空港ロビーで一服
お互いのスーツケースを交互に手にぶら下げ「自分のに比べ重い!重くない!」「これは間違いなく20Kg越えている」とかやっている。
 そのうち何を思い立ったのか、旅仲間のI氏とSさんが、列の横でスーツケースをロビーの床に広げだした。すると何と!二人の荷物をお互いのケースに移し替え始めたではないか!二人で互いに荷物を交換しながら重量調整をしているのである。日本に着いたらお互いに戻してもらうのであろう。
 パックリ口を開いたケースからは中身が丸見えで、列に並んでいる欧米人搭乗客がその光景を笑って見ているなか、おかまいなしで二人は必死で移し替え作業をいている。

 やがて搭乗手続きが始まった。私は何とか先頭に並んだ甲斐があり、希望した通路側座席の搭乗券を手に入れることができた。
心配していた旅行ケースの規定重量も、24Kg近い人がいたが、全員なんとかパスできた。 免税売店コーナーをぬけ搭乗待合室へ
 それぞれ出国チェックを済ませると、免税売店と飲食店が並ぶ搭乗待合ルームに向かった。早めに手続きが終えたので搭乗時間まで3時間ほどある。集合時間を決めて自由行動となった。
 私は機内で飲むためのウイスキーのミニチュア瓶と”つまみ”のポテトチップを買い、時間つぶしをして集合場所に戻ると、S添乗員が出発が1時間ほど遅れそうで搭乗ゲートも変更になったという。
出発が遅れたのでビヤバーで時間つぶし
 又しても時間つぶししなければならなくなった。するとJ氏が声を掛けてきた!「向こうにビヤバーがあるので、時間までビールでも飲んでいよう!」と言う。
二つ返事で誘いに乗ると、いつもの飲み仲間とビヤーバーに入り込んだ。ぎりぎりまで時間つぶして戻ると、又しても、さらに出発が遅れるという、おまけに搭乗ゲートも変更になるというではないか。
少しずつ出発が遅れ、その度に搭乗ゲートが変わり、結局2時間以上遅れてのフライトとなってしまった。

成田行き機内にて

隣の席に座ったとんでもない女

 かなり出発が遅れたが、イスタンブール空港発成田行き直行便は無事飛び立った。搭乗手続きが団体一括でなく、それぞれ個人毎にしたので旅仲間と座席位置はバラバラとなってしまった。私の席は機内中央部で、窓側2列・中央4列・窓側2列と並んだ座席の中央4列席の通路側席である。周囲には旅仲間が一人も見えない。
 私が座席に着き、ほとんどの席も搭乗客で埋まるころ、30歳前後とおぼしき女性が、機内持ち込み限度ぎりぎりの大きなバックを持ち、小脇に書類ケースを抱えやって来た。
濃いグレーの制服みたいなパンツスーツを着ており、典型的な旅行添乗員スタイルである。どうも私の隣の座席のようだ。すると、その彼女「すいません!」と私に声を掛けると、頭上の収納棚に重そうなバックを入れようとする。私は席から立ちあがり「私がやります!」といって彼女のバックを収納棚に入れてやった。ちょっとだけ格好をつけてフェミニストぶってみた。

何だ!この女!厚かましいにもほどがある!

 やがて搭乗客全員が席に着き、搭乗の入り口ドアが閉じられた。ぐるっと機内を見まわすと、出国便も満席に近かったが、この帰国便はさらにギッシリ超満席である。しかも乗客の8割かたは日本人だ。
 離陸を待っていると、私の隣の席の先ほどの彼女が、私に声を掛けてきた!「失礼ですが、いま座っておられる座席、自分で希望して取られたのですか?」と言う。私が「そうです!」と答えると、すると突然「お願いなんですが、よろしかったら、私と席を交替していたただけませんか!」と、とんでもないことを言いだした。
この縁もゆかりもない女から飛び出した言葉に私は唖然とした!厚かましいにもほどがある! 何だ!この女、先ほど私がバックの収納を手伝ってやったので、その気になって甘えてきたのかと、私は思った。
 私は彼女に向かって「すまないが!替われません」「通路側の席が欲しくて、早くから列の先頭に並んで苦労して確保した席ですので!」と言ってやった。するとこの女そっけない態度で「そうですか!失礼しました!」というや、なにもなかったかのように書類を広げ目を通しだした。とんでもない女が隣に座ってしまった。

日本語が解せる客室乗務員がいるのか試してみる

 やがて離陸して間もなくすると、飲み物サービスが始まり、機内食ディナーの料理メニューが書かれた紙も配られた。メニューを見てみたら小さい文字の英語で書かれている、読む気がしなくなり座席のポケットにしまいこんだ。
 ワインを飲みながら、メモ帳を開き旅日記を書いていると、機内食のディナーサービスが始まった。客室乗務員を見ていると、日本人に対しても全て英語で飲み物や食事メニューを聞いてまわっている。
機内サービスが始まった
この様子を見て、私は急遽思い立った!日本行きの直行専用便で、乗客の8割以上が日本人で、しかも全日空との共同運航便である。7〜8人いるトルコ人客室乗務員全員が、ひとことも日本語が話せないのか?せめて1〜2名ぐらいは日本語会話は無理でも、簡単な単語ぐらいは解せる乗務員が、いるのか、いないのか?試してみよう。
 彼女達が私の席に来たら、英語がまるっきり解らない振りをして日本語だけで押し通してみることにした。(私の場合英語は苦手で、解らない振りをしなくても、ほとんど解らないのだが・・・)

やはり一言も日本語が解せる乗務員がいない!

 客室乗務員が私の席にやってきた。私に何か言ったがよく聴き取れない!出国便ではフィッシュ(魚)メニューがあったので、帰国便も当然あるものと思いこみ、私は日本語で「さかな!をお願いします!」と大きな声で言った。
 すると乗務員、一瞬キョトンとしている。私はもう一度「さかな!をお願いします!」と言った。すると、彼女パニくってしまったではないか!あわてて通路を戻っていき、もう一人、別な客室乗務員を連れてやって来た。
日本語ができる乗務員を連れてきたのかと思っていると、二人が私のそばでトルコ語でなにやら会話を始めた。まるっきり何を話しているのか解らないが、雰囲気でなんとなく分かった。おそらく「この日本人、日本語で何か言っている。どうしょう!あんた分かる?」てな調子に違いない。
 新たに加わった一人が再度、英語で私に聞いてきた。チキンとビーフという単語が聞こえた。どうもメニューに魚が無いようである。しかし私はあくまで彼女達の英語が解らない振りをして、再度日本語で短く「さかな!」と言ってやった。すると彼女やはりキョトンとしている。まるっきり解っていない。一言の単語も理解できないのだ。

隣のイカレ女、余計なおせっかいだ!

 するとである!先ほどの隣に座っている厚かましい女が、またしても私に向かい、何と!「国際線なので英語で話さなければ彼女たち解りませんよ!」と言うではないか!何の関係もないのに、私と客室乗務員のやりとに横やりを入れてきた!冗談じゃない!俺は日本人だ!日本語を話して何が悪い。
 何だ!このおせっかい女!私の意図も知らず、余計な差し出口、とんでもないやつだ!
先ほどは”席を替われ”と言ってみたり、今度は関係が無いのに横からの差し出口である。私は頭に血が昇った。 私は乗務員にディナーサービスを「ノーサンキュー」と言って断ると、隣の馬鹿女に向き直り、反撃を開始することにした。

イカレ女をとっちめてやる!反撃開始

 イカレ女に対し「あなた!国際線なので英語を話せと言ったが、それだと英語が出来ない人は国際線に乗れませんね!」、「逆ではないですか!国際線だからこそ客室乗務員が、飛ぶ相手国の言葉を少しは勉強して話す必要があるのではないですか!」「機内を見てご覧なさい!日本への直行便で乗客の8割以上が日本人ですよ!」「サービスを受ける立場のお客である日本人の私が、なんで日本語を使わず、乗務員の語学レベルに合わせて英語を使わなければならないのですか!」
「日本行きの便で、最低限の日本語を話せる乗務員が一人もいないなんて、おかしいとは思いませんか!職務怠慢だと思いませんか!」
「見たところ、貴女!旅行会社の添乗員のようですが、私の考えおかしいですか?」ここまで一気に反論すると、私は「おせっかいイカレ女」の出方を待った。
すると、この女「そうですか!」とひとこと言うと、黙りこくってしまい、出された機内サービスの食事もせず、狸寝入りを始めたではないか。ちなみにこの女、日本最大の旅行会社の添乗員のようだった。

 結局、機内食サービスを断ったので、ひらすら飲むだけとなってしまった。免税売店で買ったウィスキーのミニチュア瓶を4本空にすると、安定剤を飲み寝入ってしまった。隣の「イカレ女」もひたすら寝入っている。やがて成田空港が近づき機内が騒然としてきた。
 それにしても、やっぱり腹が減った!ビーフとチキンの2回の機内食を断り、一切口にしていないのだ。成田に着いたら、自宅に電話を入れ女房に寿司の出前を3人前注文してしておくよう頼もう。札幌にはまだ遠い!成田から羽田空港にでて、また乗り直しだ。

   旅の最終日、トプカプ宮殿・帰国便で隣に座ったイカレ女! 最終回編 終わり