絶壁に松・奇岩、石柱の大画廊・まさに水墨画の世界・黄山と三清山を巡る旅

 上海〜杭州〜龍遊石窟〜江朗山〜二十八都〜三清山〜李抗村〜黄山〜安微古村群〜上海

天下の絶景・世界遺産、三清山と黄山を行く(前)

          


















                                                                   黄山の絶景

中国ロマン紀行目次

 旅のプロローグ

  久々の中国旅行である。5年前のシルクロードの旅を最後にもう中国へは行かぬと心に決めていたのだが、またしても行くことになった。
 ちょっと本題から脱線して昔話になるが、サラリーマン時代、小さい頃よりの長年の夢(中国の歴史舞台の地に立つ)を実現するべく夜間の中国語教室に7年も通ったことがあった。片言中国語が話せるようになると、 周囲の者たちの「中国かぶれの変人」という声をよそに、小遣いの全てと僅かの蓄えを取り崩し、せっせと年に2〜3回のペースで中国各地を旅した。旅して歩く各地で詐欺、置き引き、泥棒、強盗、美人局などさまざまな経験をしたものだった。
 あれから20数年!中国全土を隅々まで旅し、旅行回数も30回を超えた頃から、徐々に憑き物が落ちたように中国に対する思いが消え失せていった。理由は話せば長くなるので別の機会にするが、端的にいうと現代中国と国民性に幻滅を感じるようになったのだ。要するに”えくぼ”に見えていた”あばた顔”が元の”あばた”に戻ってしまったのだ。

三度も雨と霧で見えなかった黄山

思い再び,黄山に挑戦するぞ!

 水墨画の世界が広がる世界遺産「黄山」の絶景
本題に戻る!
もう中国には行かぬ(心境の変化)!行けぬ(経済的に)!と思い決めていた。ところが旅行会社から送られてきたツアーパンフの「天下の絶景・黄山と三清山・江朗山の旅」のタイトルに目が釘付けになった。
 この三つの山はいづれも世界自然遺産である。なかでも黄山は中国人にとって一度は登りたいと憧れる名山で、古代から「黄山を見ずして、山を見たというなかれ!」「天下の絶景は黄山に集まる!」などの賛辞で語られ、多くの有名人・文化人を惹きつけてきた伝説の山である。
 私はこの黄山に過去3回登ったことがあるのだが、3回とも雨と霧で部分的にしか絶景を見ることができず悔しい思いをしてきた。雨男の自分を呪い、足腰が丈夫なうちに何としても、もう一度黄山の絶景を見たいとずっと思い続けてきたのである。  今回の旅9日間の移動コース

 ことあるごとに体力の衰えを実感することが多くなった昨今、何千段もの石段を登ったり下ったりするハードな山歩きはもうこれが最後のチャンスかもしれぬと、あまり気乗りしない家内を説き伏せ夫婦で行くことに決めたのだった。
 
 旅程は5月12日〜20日までの9日間で千歳から上海まで飛び(右地図参照)、バスで長江(揚子江)の南側、江南地方の杭州→江朗山→三清山→ブ源→黄山→屯渓→上海と巡ってくるコースである。
 参加申し込みを終え催行状況を気にしていると、旅行会社から連絡があった。ツアー参加者はわずか7名だが添乗員付で専用バスを用意して催行すると云うではないか!贅沢な旅になりそうだ。

旅の初日 千歳空港〜上海〜杭州

千歳空港の象印炊飯ジャー

 旅の出発日、朝6時の気温が6℃という春とは思えぬ寒さに、急遽セーターを着こむと千歳空港に向かった。手続きを終え中国、韓国、ロシア人で込み合う搭乗待合室に入ると面白い光景が目に入った。日本土産の炊飯器
大勢の中国人団体客が手に手に炊飯ジャーをぶら下げているではないか。なかには一人で3個もかかえた者がいる。来日記念土産として炊飯ジャーを買っていくのだ。どこの電気店で買ったか知らないが、さまざまなメーカーがあるのになぜか全員が「象印」ブランドだ。
 象印ブランドは中国でも有名なのか???中国のパサパサ米に比べ日本の粘りのあるおいしいご飯を食べ、おいしさの要因は日本製炊飯器にあると勘違いしたのか?日本の炊飯器を買っても中国米と日本米では米の種類が全然違うのだから無駄にも思えるのだが・・・・
 定刻13時半、ほぼ満席の上海便は千歳を飛び立った。まずい機内ランチと温い缶ビールで時間つぶしをしていると3時間少々で上海に着いた。時刻は16時だ。

高速道を上海から杭州へ
やっぱり雨が降り出した!

     このバスで旅をする
空港では旅の最終日まで同行してくれる現地ガイドの雇さんが出迎えてくれた。黄山市の旅行社から派遣された40歳ぐらいの男性だ。駐車場に向かうと曇りで外気温25度である。18人乗りのマイクロバスの最後部座席に旅行ケースを積み上げ、私たち7人が乗り込むとバスは上海市街を走りだした。
 私は名うての雨男である。これまで旅に出ると必ずといってよいほど雨に当たる。降らなければよいがと念じつつ、夕やみ迫る上海市街を走っていると、何と!やっぱり雨が降り出したではないか。還暦をとうに過ぎ体力・精力・脳力が急激に減退しているのになぜか雨男パワーだけが減退どころか勢いを増してるではないか!まったく旅の初日から雨で始まるなんて自分自身を呪いたくなる。杭州料理名物「東坂肉」

 
 本降りの雨の中3時間ほど高速道路を走ると、かって南宋時代の古都だった「杭州」に着いた。今夜は世界遺産に登録されたばかりの「西湖」があるこの街で宿泊である。
 西湖のほとりにあるレストランで杭州料理の夕食となったが、出された料理のどれもが期待外れの味で旅仲間全員が大きく食べ残す。唯一名物の東坂肉(豚の角煮)だけは皆が旨いと言っている。私は肉嫌いなので全く食せず。

旅の2日目・杭州〜龍遊〜江山市

世界第九の奇跡 龍遊石窟 

石段を下りながら龍遊石窟の中へ入っていく
朝8時半、バスに我々旅仲間7人に世界紀行の添乗員と中国現地ガイドの合わせて9人が乗り込むと、相変わらず雨がそぼ降るなか杭州のホテルを出発した。
 3時間ほど走り2日目最初の目的地「龍遊」に着くと、なんとか雨もあがり曇り空になっている。バスを降りると気温は27度で少々蒸し暑い。
 ここで10年ほど前に農民により発見されたという地下石窟建築群・龍遊石窟を観光するのである。
 この巨大石窟2500年ほど前に地下工事によって造られた巨大なもので、「千古の謎」「世界第九の奇跡」などと大げさな表現で云われている。何を目的にこのような巨穴が造られたか謎という

 
 あたり一帯には古代中国の地下人工建築の巨大な穴が24カ所もあり、何を目的としてこのような巨大な石窟が築かれたのか永遠の謎とされている。大勢の中国人観光客に交じって地下階段を登ったり下ったりして見学したが、「世界第九の奇跡」と云う割にはそれほどの感動はなかった。
 昼食は駐車場に隣接した「発見者酒店」(日本語訳では石窟の発見者のレストラン)というふざけた店名の食堂でとった。
穴倉を歩き回り汗をかいたのでビールを頼むとまるっきりの常温で冷えていない。中国人が食事を終えるとこのようになる
5年ぶりの中国だが相変わらずビールは温いままだ。田舎ではいまだに冷やして飲む習慣が定着してないようだ。仕方がないので外に出て何件かの売店を訪ね歩き冷えたビールを買ってくると、多勢の中国人に混じって飲み始めた。

 それにしても中国人の食事作法には唖然とするばかりだ。彼らが食べ終わったテーブルと床は実に汚いのである。やはり民度が低いからなのか??
 昼食後は明清時代の街並みを再現した古民居苑を見学すると、2時間ほど走り今日の宿泊地である江山市に着いた。この町はかっての中国国民党総統「蒋介石」の出身地として、また多くの軍人(将軍)を輩出したことで知られているところだ。

旅の3日目 江山市〜江朗山〜
       二十八都〜三清山

世界自然遺産「江朗山」

晴れたときの江朗山の(霧で見えないので借用画像)
 翌朝8時半、世界遺産「江朗山」に向けバスは江山市のホテルを出発した。
「江朗山」に近づいてくるとまたしても雨が降り出し、おまけに濃霧で車窓の外はまるっきり景色が見えなくなった。
 あたり一面真っ白な霧の中をバスが走ることしばらく、本日最初の観光となる世界自然遺産「江朗山」の麓にある入場ゲートに着いた。
 この江朗山、2010年に世界遺産に登録されたばかりで、中国南部に多く点在する切り立った断崖などに代表される赤い堆積岩の地形(丹霞地形ともいう)にある824mの山である。
石段を登りはじめたが霧で何も見えぬ!

「中国丹霞第一峰」として、さまざまな名前がつけられた石壁、石柱、巨石、奇岩があり、なかでも周囲から飛びぬけて聳え立つ標高約500 m ほどの巨石が江朗山を代表する景観として有名で、「雄奇冠天下、秀麗甲東南」(雄壮奇観は天下に冠し、秀麗さは東南地方第一)と称されるほどである。(右上画像)

 遊歩道の入り口で、現地ガイドの説明では「主な見所を一周するのに約1万段の石段を登ったり下ったりします」「皆さん大丈夫ですか?」と言うと、皆から悲鳴にも似た声が出た!
 説明を聞いているうちに何と!小雨がとうとう本降りの大雨となってきた。雨と霧の中、絶壁に張り巡らされた桟道を進む

 皆全員が傘から慌てて合羽に着替えると濃霧で何も見えない桟道を進みだした。しかし、あまりにもひどい天候である!雨男のわが身を呪うばかりだ。
それでも最初は皆ワイワイおしゃべりしながら崖に張り付くような桟道や石段を歩いていたが、その内だれもが無口になってしましった。濃霧で絶景といわれる景観が100%見えないのである。
 目の前にどこまでも続く石段をひたすら登るだけなので疲労感がドンドン増してくる。
ホームページに掲載するべくカメラのシャッターを押しまくるのだが、どの画像も霧のため白くぼやけて使いものにならない。

 辛く苦しいトレッキングとなった。どんどん歩みがのろくなり石段に足が上がらず休息ばかりのを繰り返しで一向に前に進まぬ。山麓の農家を改造したような食堂で昼食、美味かった

 細身の家内があまり疲れをみせずに、私を無視してどんどん先を行く!何とか追いつこうとするのだが悲しいことに足が進まぬ。やっと休息ポイントまでたどり着くと、肩で息をしながら疲れて声も出ない私を見て家内が笑っている。日頃の亭主関白の私に対し、かたきをとっているに違いない。
 やがてメチャ疲れた様子の我々を気遣い、ガイドが「これ以上先に進んでも霧で何も見えぬから引き返えしましょう!皆さんよろしいですか?」と言った。こんな何も見えぬ霧の中、急峻な石段を登るのはもうイヤである。残念だがほっとした気分で戻ることになった。重い足を引きずり石段を下っていく。

田舎料理は美味かった!

雨と霧のためトレッキングを途中で引き返したので早めに昼食をとることとなった。見た目は悪いが味はなかなかで高菜炒飯は美味だった。

江朗山の麓にある農家の土間を改造したような食堂で田舎料理の食事である。水分補給に注文した温いビールを注いだコップに氷を入れながら飲んでいると、見た目にもパッとしない怪しげな田舎料理が次々と12品も出てきた。
 皆が恐るおそる箸をつけると何と!これが見た目と違い旨いのである。ななかでも「春雨と野菜の炒め」「豆腐料理」「高菜のチャーハン」は抜群の味で、大きなどんぶりに盛られたチャーハンはあっという間に無くなった。皆がもっと食べたいと言う!私が拙い中国語で、亭主に「美味いので追加の”おかわり”をいいか?」と聞くと、亭主嬉しそうな顔をして大声で”好的”(いいよ!)と言うと厨房に駆け込んでいく。予想外の大満足の昼食となった。

空海ゆかりの二十八都古鎮

二十八都古鎮へは屋根付き橋を渡って入っていく
 午後からは弘法大師「空海」が歩かれたという千年古鎮「二十八都」の観光である。古い歴史を歴史を持つ街で、今を去ること1200年前、真言宗の開祖、弘法大師(空海)がこの街を歩き、西安の都まで仏教留学の旅を続けたとされているところだ。この古鎮は明清時代の建築物がよく保存され残っており、これからここで町並みを散策するのである。
 中国の歴史ある町のほとんどが風水によって町割りがなされている。町の北側に山を背とし、街の南側に川が流れるのが最も風水では縁起がよいとされ、どの町もそのような立地になっている。
どの建物も屋根には立派な”うだつ”が上がっている

 小雨模様の空の下、駐車場から街にむけ歩き出すと風水どおりに町の前面(南側)に川が流れている。
古びた屋根付きの橋が架かっておりここが楓渓老街への入り口だ。橋を渡り老街に足を踏み入れると、細い路地の両側に歴史を感じさせる灰色レンガ壁の民家が軒を連ね、どの建物も屋根には競い合うようにりっぱな馬頭壁(防火壁)(日本では”うだつ”)が上がっている。
 観光客がほとんどいない老街を中をガイドの案内でゆっくり散策すると今日の観光は終わりである。
 老街の小さな売店で1本2元(27円)のミネラルウォーターを3本買い込み、待機していたバスに乗り込むと今日の宿泊地三清山に向け走り出した。山間に入ると再び雨が激しく降り出した。水しぶきをはね上げバスは走る。明日こそは何としても雨が止んでほしいと念じつつ車窓の外を眺めながら走ること3時間あまり、世界自然遺産「三清山」山麓の街に着いた。
部屋に入ると情熱的なベットに慌てた

 この街では2連泊することになっている。ホテルでチェックイン手続きを済ませ部屋に入ると驚いた。何とも刺激的なベットが目に飛び込んできた!赤の丸いWベットではないか!私も家内も戸惑いつつ互いに顔を見合せると思わず笑い出した。はるか遠い昔の青春時代、連れ込みホテルでこのようなベットを使ったような記憶がよみがえる・・・・
 マズイ!もう長いことWベットでなんて寝たことが無い!これでは熟睡できぬではないか!間違いを犯しクセになっても困る。まんざらでもなさそうな家内を部屋に置くと、添乗員の部屋に駆け込みツインベットの部屋への交換を頼みこんだ。
ホテルでは夫婦ということで気を使ったつもりなのだろうが、この歳ではありがた迷惑だ。

旅の4日目 世界遺産 三清山

奇岩と奇松がおりなす水墨画の世界・絶景の大画廊を行く

  奇岩、奇松に石柱の大画廊・世界自然遺産三清山
 ”仙人が住む”という伝説を持つ山、奇岩と奇松の大画廊「三清山」の北麓にあるホテルで4日目の朝を迎えた。
 時刻は5時である。きょうは今回の旅で「黄山」と共に最も楽しみにしていた別称「小黄山」とも呼ばれる「三清山」を終日トレッキングする日だ。
 天候が気になってしょうがない!起床と同時に窓のカーテンを開けると何と!不安が適中した!またしても雨が降っているではないか。!これで中国入りして4日連続の雨である。足腰が動くうちに、もう一度、「掛け軸に描かれた水墨画の世界」を堪能したいとの思いにかられ、これが最後の中国の旅にするとの悲壮な決意で来たのに!何ということだ!まだ雨季でもないのに4日連続の雨とはどういうことなのだ!いくら私が雨男でもこれはひどすぎる。愕然とした重い気持ちでシャワーを浴びると、リュックにミネラルウォーター・携帯食・雨合羽・着替えなどを詰め込むと出発準備を整えた。

「三清山」についての概略

  絶壁に張り巡らされた桟道の回廊と石段を進む
 中国東部の江西省にある、花崗岩でできた巨大な岩山で、数億年にわたる風化現象と、植物の根の浸食などにより、岩が様々な形に削り取られ、奇岩怪石の絶景を形作っている標高1820mほどの山。
 絶壁に張り巡らされた回廊(桟道)から眺めると、雲海に松と岩の大画廊が連らなり、世にも奇妙な岩や石柱が目に飛び込んでくる。
 神が意図的に作ったとも思えるような造形美と雄大な山の姿が評価され2008年に世界遺産に登録された。
 6000段の石段を登ったり下ったり

 このときユネスコの世界遺産委会は「小さな区域に花崗岩の石柱や山峰が集中し、様々な形状の花崗岩、多種多様な植生、遠近の変化に富む景観、心揺さぶる奇観が結びついて、幻想的な美的効果を生み出し、人々を魅了する自然美を呈している。」と賛辞を贈ったという。
 「三清山」名前の由来は中国独自の宗教で人間が不老不死の仙人になることをめざす「道教」からきており、三つの峰が高く険しく三清が頂上に座っているように見えることに由来していると云う。

ロープウェイで山上へ

 出発時刻の午前8時、そのうち雨も晴れるかもしれぬと淡い期待を持ちつつバスに乗り込むと、あっという間(5分ほど)に 三清山北麓側の金沙ロープウェイ乗り場に着いた。
金沙ロープウェイ乗り場・4日連続の雨
 きょうのコースはこの北側ロープウェイで山頂近くまで登り、山中をぐるり回り込むように造られた石段と桟橋の回廊を歩き、南麓に出て南山ロープウェイから下山することになっている。
 所要時間約5時間ほどで約6000段もの石段を登ったり下ったりしながらのトレッキングだ。昼食は山中の食堂でとることになっている。
 相変わらず雨がそぼ降っているなか雨合羽を着て札幌から持参した収縮自在タイプのステッキを持つとバスを降りた。真新しいロープウェイ乗り場の建物の向こうに三清山が霧に霞んでいる。
ロープウェイで霧で霞む三清山に途中まで登る

 今日は平日の雨降りで、しかもまだ8時を過ぎたばかりなのに、すでに大勢の中国人観光客が合羽や傘をさして広場にたむろしている。中国も着実に豊かになっているのだ。
 いま中国はかって日本の高度経済成長期と同様な旅行ブームが起き、国内・海外を問わずに主要観光地はどこも中国人観光客で溢れかえっている。ゴンドラに乗り込むべく長い列に並んだ。乗り場から山上駅までロープウェイの距離は2500mあまりで所要時間約15分ほどだという。ゴンドラに乗り込み上に登るにつれ、あたり一面は真白になり何も見えなくなった。

別称「小黄山」と呼ばれる三清山

6000段の石段と絶壁に張り付いた桟道の回廊を進む

雨の中、このような回廊を進む・時おり霧が晴れる
 雨と霧でほとんど視界がきかぬ中、別称「小黄山」と呼ばれ奇岩と奇松の大画廊「三清山」に足を踏み入れた。
 行く手には立ち塞がるような急な石段と桟道の回廊が伸びている。絶景ポイントで足を止めガイドの説明を聞くのだが、白くボンヤリしているだけで何も見えぬ。
それにしても、私たちの前後にいる中国人団体のうるさいこと半端でない。同行ガイドが説明用の拡声器を持っておりその音量がもの凄いのだ。首からマイクをぶら下げ、腰にスピーカーを2個も着けた悪質な奴までいる。絶景ポイントに来ると、何組もいる中国人団体のガイド同士が、自分の団体客に説明を聞かそうと対抗心むき出しで、これでもかとばかりにスピーカー音量を最大限に上げてるのだ。こいつら馬鹿だ!携帯拡声器といえどもハイテクの性能抜群ですごい音量が出るのである。
 絶壁に張り巡らされた桟道をひたすら進む

 騒音をまき散らすとんでもない奴らに前後を挟まれて進むことになってしまった。さらに最悪なのは説明が終わると次のビューポイントまで拡声器で音楽を鳴らしながら進むのである。訳のわからない大音量の音楽が山にこだましてそのうるさいこと。そのうち大合唱で歌いだすグループまでいる始末で傍若無人も甚だしい。
 もとへ、私たちは一向に降りやまぬ雨と真っ白な霧の中、この迷惑な連中に前後を挟まれ黙々と階段を登ったり下ったりを繰り返しながら歩む。1時間もすると汗が吹き出してきた。
白い合羽姿が女房、私を置いてどんどん先へ行ってしまった

 まずいことに私は膝が痛み出し、下りの石段で足を踏み出すたびに右膝がズキンと痛むようになった。自然と足が重くなり仲間の最後尾をかなり離れて進むようになってしまった。やがてかなり前方を行く家内の背中がとうとう見えなくなった。愕然とした!家内はこんな私を気遣うこともなくどんどん先に進んで行くのである!どういうことだ!家内の意外な一面をみて焦った。きっと日頃の亭主関白を恨んでいるのだ。旅を終え帰宅したら亭主関白はやめて女房孝行せねばならぬと焦ったが、もう遅いかも・・・

まさに水墨画世界が出現

時おり霧が晴れると水墨画の世界が出現する
 それでも時おり雨が止み霧が薄れ、奇岩や石柱に薄く霧がかかり幻想的な景観が出現する。これこそまさに墨絵・水墨画のような幽玄静寂の世界だ。
旅仲間から「むしろ霧に煙る景色のほうが水墨画の世界らしい!」「雨と霧のあいにくの天候だけど、このような景観を見ると許せる!」などと声が上がる。
 峡谷に架かる吊り橋を恐るおそる渡ったりしながら進んでいく。幻想的な景観に疲れて重い足が少しは軽くなるような気がする。
 蛇が天に昇るような景観の奇岩「巨蛇出山」

 行く手には三清山を代表する景観が次々と出現する。長髪の少女の顔のような「司春女神 」・大蛇が空へ飛ぶような「巨蛇出山」などの奇岩だ。
 この大画廊を巡る回廊は幾つかの風景区で構成されている。私たちは南清園景区、陽光海岸景区、西海岸景区へと歩みを進めながら、3時間半ほど歩くと山中の山小屋のようなところで昼食タイムとなった。
 雨合羽を脱ぎ、しばし田舎料理を食べながら休息すると、最後のコースとなる西海岸景区の桟道に歩みを進めた。峡谷に雲海が広がり霧が立ち上り、奇峰が林立し、石柱・怪石が突き出す絶景が目に入る。歩いても歩いても奇観が後を絶たない回廊を進み、終点の万寿園景区にある終点の南山ロープウェイ乗り場までやってきた。
 北麓から登り、ぐるり大画廊を回って南麓に下る5時間ほどの三清山トレッキングが終わった!
想像以上の石段にメチャ疲れた。
奇岩と奇松の大画廊・水墨画のような絶景

 最後まで雨と霧の中での不満が残るトレッキングだったが、時おり霧が晴れ水墨画の世界を堪能できた。バスで再び出発点の北麓にあるホテルに戻ったが、まだ15時前である。
 家内が夕食まで時間があるので土産物あさりをしたいと言い出した!「8人の友人にどうしても土産を買って帰る必要がある!」というのだ。旅の最終日でいいではないかと、ウンザリしたが、このあと登る「黄山」でまた置いてきぼりをされぬよう、ここはご機嫌取りに付き合うことにした。一生懸命、中国語で値切り交渉して女房に感謝させるのだ。重い足を引きづりつつ、雨が降るなかホテル前の商店街に繰り出した。

世界遺産・三清山スライド画像

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張り巡らされた桟道 絶壁の桟道を進む 奇岩と奇松の大画廊 霧が薄れると水墨画
シンボルの東方女神 松と石柱が美しい まさに水墨画の世界 奇岩・怪石の絶景
         
    天下の絶景・世界遺産、黄山と三清山を行く(前篇) 終わり                            

  旅の後編へ

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