旅7日目 馬車でホルス神殿へ・船中でフラダンス披露
快適なチューリップ号のライフ
エドフの岸壁に停泊中の何十隻ものクルーズ船
14日間のエジプトの旅、ちょうど折り返し点となる7日目の朝はナイル川クルーズ船の船室で4時半に目覚めた。
私達が乗船しているチューリップ号は、昨日の正午、世界遺産の町ルクソールの岸壁を離れ、今はエジプト最南部アスワンに向かう途中の町「エドフ」の岸壁に停泊している。
ここエドフはルクソールとアスワンのちょうど中間に位置し、かってグレコローマン時代(紀元前306年〜紀元前30年頃)には上エジプトの州都として栄えた町だ。
今日の観光スケジュールは朝一番にこのエドフで、「ホルス神殿」を見学後、コムオンボに向かって出航し、夕方到着後「ソベク神殿」を見学し、夜は船内でガラベーヤパーティを楽しむことになっている。
船のロビー・左端が日本語が流暢な太郎ガイド
4泊することになっているクルーズ船では今日で3日目の朝を迎えたことになる。この船、乗船前は食事やトイレなど船内生活に一抹の不安があったが、船室こそ狭いが予想に反し以外と快適だ。
クルーの接客サービスは洗練されており親愛の笑顔をふりまいてくれる。
私は偏食がたたり、海外旅行では常に持参する日本食以外、ほとんど食べることのできないのだが、この船は私が唯一食べることのできる「魚のフライ」が、1日3回毎回のように用意されている。このフライがビールの肴に実にピッタリ合い美味いのだ。
便器脇にハンドタイプの洗浄機(シャワー)がある
重い思いしながら持参した旅行ケースの半分を占める日本食が、あまり減らずかなり残っており、このままでは大半が日本に逆戻りとなりそうだ。
なにより私を喜ばせたのは船室のトイレだ。何とハンドタイプの洗浄機(ウシュレット)が付いた水洗トイレになっているのである。これには少々驚いた!
トイレ脇にシャワーホースがあり、先端のボタンを押すとすごい勢いで冷水が噴き出すのだ。このシャワーを手に持ちボタンを押すときれいに洗浄でき、極めて快適なのである。トイレは覚悟していただけに、これは想定外だった。
朝食は6時15分からとなっている。出発準備を整えレストランに入ると、白米ご飯が置かれたテーブルの隣に、今日は新たに味噌汁まで用意されている。飲んでみると少し薄めであるがまぁまぁである。あれこれ船のコック達が精いっぱい私たち日本人向けにサービスを心掛けてくれるのがありがたい。今朝もご飯をスープ用カップに盛り、生卵をかけた「玉子ご飯」に味噌汁、それに日本から持参した「サンマの蒲焼缶」で、りっぱな日本食の朝食となった。
エドフの岸壁に密集するクルーズ船
隣の船のロビーを通り抜け下船する。銃を持った警官
朝食を終えると、暑くならない早朝に観光を終えてしまうべく、すぐ7時の出発時間となった。朝一番でエドフの郊外にある「ホルス神殿」の見学に向かうのである。
船の1階ロビーから岸壁に上陸するのだが、今日は私たちのチューリップ号と岸壁のあいだに、2隻もの他船が停泊しており直接上陸することができない。要するにチューリップ号は岸壁から3隻目の位置。上陸するためには他船のロビーを通路代わりに使用させてもらうことになる。
すでに船と船のロビー階の間には踏み板が渡されており、それぞれの船が互いに自由に行き来できるようになっている。通りには私達が乗る馬車が待機している
私たちの船の隣に岸壁から4隻目の他船が停泊しており、ロビーで出発集合確認をしている私たちの目の前をゾロゾロ乗船客が通り過ぎていく。
どの船も不審客が紛れ込まぬようロビー階には銃を持った警備員が警戒しているなか、私たちはエドフの岸壁に上陸した。
岸壁に立ってみると、長い岸壁に何十艘ものクルーズ船が密集して停泊しており、まるでナイル川クルーズ船の全てが集まってきたようだ。
馬車でホルス神殿へ
エドフの街中を神殿にむけ馬車は走る
この岸壁から馬車に乗り「ホルス神殿」に行くことになっている。馬車に乗り込むに当たって、事前に船のロビーで太郎ガイドより「すでにチップも含めて乗車料金を払ってあるので、御者がチップを要求してきたら絶対に払うな!」と注意を申し渡されている。
岸壁から階段を上り道路に出ると、ロバと競走馬の中間ぐらいの小さな馬に曳かせた3〜4人乗りの馬車が、路上を埋め尽くすように客待ちしている。
まだ早朝なのに街中は馬車だらけ
私たちは三人が一組になって分乗することになり、私が仲間二人と御者の後ろの座席に乗り込もうとすると、御者が私に対して自分が座っている御者席の隣の席を叩き、お前はここに座れというではないか。御者席は客座席より一段高い位置にあり見晴らしも良く願ってもない場所である。これはありがたいとニコニコ顔で御者の隣に座った途端、何と!指先をこすり合わせる仕草をするではないか!またしてもバクシーシ(喜捨・おねだり)を要求してきたのだ。私は見て知らぬふりをすることに決めた。
御者席から馬の背中を見ると栄養不足の痩せ馬で、あばら骨が浮き尻の肉はそげ落ち尾骨が飛び出しており、見るからに可哀そうな気がしてくる。
マイクロバスから私達を見る子供達
私が金をくれる意思がないと悟った御者は、痩せ馬の尻に鞭を入れると馬は動き出した。岸壁から街中へ馬車は進んでいく。
時刻は7時を過ぎたばかりで朝の活動が始まったばかりで、ぎゅうぎゅう詰めの小型バスが行き交い、商店前には大勢の人々がたむろしている光景などが目に入る。通学前のひと時であろうか、多勢の子供達が路上脇に腰を下ろし路行く人々を眺めていたりしている。学校に行くでもなし、働くでもなし、いったい何をしているのか?
御者は叫ぶ!馬はランボー、俺はムスタファだ!
朝早くから、いったい何をしているのか?
御者席からの人々の暮らしぶりを楽しんでいると、突然御者が「ランボー」と叫ぶと、馬の尻に強いムチを入れた。馬は強めのムチにおどろき悲しげにいな鳴くと走りだした。御者が情け容赦なく何度も「ランボー」と叫びムチを入れるので、かなりスピードが上がり、前を行く他の馬車を次々と追い抜いていく。
ゴトゴト馬車が揺れ街中の光景を眺めているどころではなくなった!私は振り落とされまいと、ぶっとばす御者台にしがみつきながら、御者に馬を指差し「アメリカンムービー・ランボー?」と聞くと、そうだと言うではないか。そしてこの御者、今度は自分を指差し「マイネーム・ムスタファ」と叫ぶではないか。
早朝のエドフの街、どこにもコカコーラの看板が
馬の名前「ランボー」は、アメリカのアクション映画俳優「シルヴェスター・スタローン」扮する不死身の男ランボーが主人公の映画からとったものだ。同じアクション俳優「アーノルドシュワルツネッガー」とともにアメリカを代表する肉体派俳優である。
それにしてはこの馬、痩せすぎで貧弱でとてもランボーには程遠い。
そして御者の名前「ムスタファ」を聞いて、私は遠い昔に流行した「パラダイスキングと坂本九」が歌った流行歌「悲しき60才・ヤ・ムスタファ」の歌詞が脳裏に浮かんだ。当時よく口ずさんだ「♪♪ヤ・ムスタファ、ヤー、ムスタファ♪♪遠い昔のトルコの国の〜純情かれんなやさしい男
...」の歌詞に、この男の名前が何度も歌われているのだ。そして昨年旅したトルコで、近代トルコ建国の父として英雄神聖化されている人物が「ムスタファ・ケマル・アタチュルク」なのだ。イスラム教徒なら誰でも知ってる英雄なのである。
可笑しいではないか!御者はイスラムの英雄名、馬はアメリカの不死身の男ランボーの名前なのである。
チャイナからムスタファへ改名を決意
道端に腰を下ろす少年達と行き交う馬車
私は「チャイナ○○」というハンドルネームを持っている。中国5000年の歴史に憧れ、その歴史舞台の地を自由気ままに旅したいと、中国語を学び中国各地を訪れること30回を越えるほどである。そんなことから自己紹介の場面で、日本一多い苗字の差別化をはかるため「チャイナ○○」を使用してきた。
しかし中国各地を旅し、知れば知るほど政治体制や面子に異常にこだわる国民性に幻滅を感じ、だんだん心が離れつつあった。また最近は日本での中国に対する評判も極めて悪い、そんなことから改名を決意して常々「チャイナ」に替わるハンドルネームを検討していた。
神殿に近づき道が混んできた
御者が叫ぶ「ムスタファ」を何度も聞いているうち、私は自分のイメージに合う新しいハンドルネームが決まるまで、当面このムスタファを借用して「ムスタファ○○」と名乗ろうと思い立った。帰国したらしばらく旅行記をHPに掲載するつもりなのでその期間だけでも中東っぽいハンドルネームに改名を決意することにした。
栄養不足でガリガリに痩せた馬のランボーである。疲れてきて疾走が続かない!スピードが緩んでくると御者のムスタファが尻にムチを打つ!するとランボーあわてて首を振りつつ駆けだすのだが、またすぐスピードが落ち、ムチを打たれる。神殿前の馬車ターミナル
こんなことを繰り返している。
ランボーが可哀そうだ!御者席から痩せた馬を見ているうち、もし来世というものがあり、輪廻転生で生まれ変わりがあるならば、”馬にだけはなりたくない”と思う。
しかしどの通りも馬車だらけである。何十隻も停泊しているクルーズ船から観光客が一斉に吐き出され郊外のホルス神殿に馬車で殺到しているのである。街じゅう馬車でひしめき合っている。
やがて馬車はホルス神殿の馬車ターミナルに着いた。
エジプトで最も完全な形で残るホルス神殿
観光客でごったがえす神殿への通路、片側は売店
この馬車ターミナル半端な規模でない。ものすごい数の馬車が停車しており、馬糞の強烈な臭いが漂っている。
馬車を下りる時、又してもバクシーシを要求されたが完全無視して歩きだした。バス駐車場を横切りホルス神殿へとつづく通路は、まだ朝の7時半なのにぎゅうぎゅう詰めの観光客で溢れかえっている。迷子にならぬようオレンジの帽子を被った太郎ガイドが挙げる手を見ながら進んでいると、通路片側に軒を連ねた土産物店からときどき「ニーハオ!チャイニーズ」と声がかかる。中国人らしき観光客は一人も見当たらないのに??彼らにとって日本人も韓国人も東洋人は全て中国人だと思っているようだ。
はるか右手前方に見えるホルス神殿
押され流されるようにして切符売り場ゲートを抜けると、広大な広場のはるか前方の丘に、堂々とそびえ建つホルス神殿の塔門が目に飛び込んできた。
この神殿、隼の形をした冥界と現世の王であるホルス神にささげたもので、エジプトに数ある遺跡のなかでも、もっとも完全な形が残り保存状態の良い遺跡の一つとして知られている。
広場の前方に見える丘には先史時代からホルス神を祭る至聖所が
ホルス神殿の巨大な塔門、丘のふもとでは発掘が続く
あり、時代ごとに神殿の建造が重ねられた。
いま見える神殿はアレキサンダー大王の流れをくむギリシャ系王朝プトレマイオス朝時代のもので、紀元前237年に着工してから200年かけて完成した壮大なものだ。繊細なレリーフが神殿内だけでなく周壁からもいたるところに見ることができき、神殿の周囲では今でも発掘が続いている。
圧巻の塔門とレリーフ
鮮明なレリーフと圧倒的な迫力で迫る塔門
前方の塔門目指して遊歩道を進んでいくと、やがて巨大な塔門に到った。幅79m、高さ36mもある塔門は昨日見学したカルナック神殿に次ぐ規模だという。
目の前、視界いっぱいに立ちふさがる迫力と、壁に彫られた王がホルス神とハトホル女神に戦争捕虜の生贄を捧げている様子のレリーフはまさに圧巻である。
そして門の両脇には黒い花崗岩でできたハヤブサのホルス神像が立っており、大勢の観光客がこの神殿のシンボルであるこの大きな像の前で記念写真を撮っている。
神殿のシンボル、ホルス神像の前で
塔門を入るとグレコローマン式の32本の列柱に囲まれた中庭に出る。ここにはハトホル神が下流のデンデラから船でナイル川を上ってくるレリーフを見学した。
中庭を一直線に進むと正面に18本の柱が立つ第1列柱室で、この入り口にもハヤブサの形をしたホルス神像が立ち、その頭には上下エジプト統一を象徴する二重王冠をかぶっている。このホルスはファラオ(王)の守護者として、王と同様に「偉大な神、上下二つのエジプトの領主」の称号でもって称えられたらしい。
さらに進むと12本の柱からなる第2列柱室があり、柱身にはエジプト各州を代表する神々のレリーフなどが彫られている。塔門を入ると中庭が広がり、その先に第1列柱室
またその周りにはパピルスを保管する図書室や宝物庫などが残っていた。 これら列柱室を抜けると礼拝堂と至聖所である。
薄暗く荘厳な室内は至聖所を取り巻くように細かく仕切られた小部屋が並んでいる。ぎゅうぎゅう詰めの観光客に押され流されながら、ほぼ完全な形で残る壁のレリーフを見て歩く。神殿最奥部の至聖所にはレバノン杉で作られ、船首と船尾にハヤブサ(上エジプトの象徴)の顔を付けた聖船が置かれており、これを一眼見ようと、狭い通路は”おしくらまんじゅう”状態である。
鮮明に残るレリーフ
柱頭が印象的なパピルス柱に彫られたレリーフ
次に神殿の外に出て回廊の見学である。この神殿を取り囲む狭い回廊の高い壁には、ナイル川の氾濫時における水位を量った「ナイロメーター」、さまざまな神の戦いの場面などのレリーフが刻まれており、狭い回廊を溢れかえる観光客に押されるようしながら見て歩く。
最後に塔門の外にある誕生殿を見学するとホルス神殿の見学を終えた。これで今日午前中の観光は終わりである。広場を横切り馬車ターミナルまで戻ると、再び馬車
で回廊の高い壁を埋め尽くすレリーフを見る観光客
クルーズ船に戻ることになった。
私は来た時と同様、御者の隣席に座り二人の同乗者とともに、エドフの岸壁に係留してるクルーズ船に戻って行く。ところが何とここで迷子になってしまった!
それぞれが馬車に乗り込むとバラバラに岸壁に向かって走りだしたのだが、私の馬車だけ来た時とは違う道を走り、おまけに乗船するチューッリップ号が係留している場所とは違う岸壁に着いてしまったのだ。それも長い岸壁の一番端で、旅仲間もチューリップ号も見えないではないか!至聖所のレバノン杉で作られた聖船
同乗した3人で岸壁を行ったり来たりするのだが、乗船するチューリップ号が他の船の陰に隠れているため見当たらない。
焦った!心配になってきた!しばし岸壁にたたずみ途方に暮れていると、彼方から手を振りながら添乗員のN女史がこちらに駆けてくる。救われた!N女史いわく他の旅仲間はとっくに乗船しており、私達だけがいつまでも来ないので探しにきたという。危なかった!何とか乗船すると次の目的地コムオンボに向けて出航となった。
コムオンボへのクルーズ船内
今日のランチ、魚のフライが美味しい
ホルス神殿の観光を終え船室に戻ったが、時刻はまだ9時を過ぎたばかりである。次の観光拠点となるコムオンボ到着の夕方まで船内でくつろぎタイムである。
部屋でごろ寝をしていたら同室の酒豪のO氏が持参の酒を飲みだしたので、私も付き合おうとサロン・バーにいきビールを買ってくると一緒に飲みだした。朝酒で少々酔っ払うと、そのまま眠り込んでしまい目覚めると、ランチタイムの13時近くになろうとしている。あわててレストランに降り再びビールを飲みながら食事をしていると、コック長がやって来て昼食が終えたら厨房を見せてやると言うではないか。 しかし日本食を用意してくれたり、厨房を公開してくれたりサービス満点である。
サービス満点で厨房まで案内してくれた
もしかしたら、昨年旅行したトルコと同様、エジプトも親日国なのだろうか?少なくてもこの船のスタッフの私達に対する好意的なサービスには実に気持ちがよい。コック長の案内で厨房室に入ると、フルーツを花の形に皮むきする実演までして見せてくれたりする。
部屋に戻ると、汗で汚れた長パンと短パンを持ってフロントに行きクリーニングに出すことにした。今日の夜までには出来上がるということで意外と早い、値段を聞くと長パン16ポンド(224円)短パン10ポンド(140円)だった。
ナイル川に日の丸が
日本のODAで設置された日の丸が鮮やかなポンプ場
サンデッキでアフタヌーンティーのサービスを受けながらナイル川の川辺の風景を眺めていると、何と日本の国旗が目に飛び込んできた。川辺に浮かぶブルーの建物のど真ん中に日本の国旗とエジプトの国旗が堂々と描かれているではないか!。
ガイドに聞くと、ナイル川の水をくみ上げ、一帯の農地に供給するための灌漑用の浮かぶポンプ場だと言う。これが一定間隔でアスワンまでのナイル川の川辺に20数か所も設置されており、その全てが日本の政府開発援助(ODA)によるものだと言うではないか。コムオンボの船着き場には多くの船が先着している
この日本の国旗が描かれた建物を見ていていると無性に嬉しくなった!日本の国際援助といえば金の援助ばかりで、援助された国の国民には援助の実態が目に見えず、あまり感謝もされていないとニュースで耳にしたことがある。このような目に見える形での援助がいちばんよく分かる。何十艘も行き来するクルーズ船の世界各国の観光客まで目にするのである!日本人として誇りたくなるではないか。
クルーズの船員スタッフが我々日本人に対し、親愛的態度で接してくれるのは、もしかして毎日行き来する船からこの日本援助による灌漑施設を見ているからなのかと思いたくなる
コムオンボのソベク神殿
夕刻、下船した大勢の観光客が神殿へ歩きだす
やがて船はコムオンボの岸壁へとやってきた。街はナイル川東岸の小高い丘の上に位置し、砂糖生産や軽工業が盛んな地方都市である。時刻は午後3時になろうとしており、すでに何十艘ものクルーズ船が先着し、岸壁を埋め尽くしている。私達のチューリップ号は岸壁に直接接岸することができず、3番目の船の隣に横付けとなった。下船時には踏み板で連結した他船のロビー階を通り抜けていくことになる。
2つの異なる神殿と至聖所があるコムオンボ神殿
船からはこれから見学するソベク神殿の遺跡の一部が小高い丘の上に見えている。
午後4時、私達は夕陽を浴びながら「ソベク神殿」へ向け歩き出した。各クルーズ船からも一斉に観光客がはき出され彼方の丘に見える神殿に向かってゾロゾロ歩いている。その人数たるや半端でない!通りには土産物店があり、売り子が一斉に売り込みをかけてくる。 近くに大きな製糖工場があるということで、吐き出された煙で辺り一帯がどんより霞がかかったなか、神殿に向かってゆるやかに伸びる坂道を歩いていくとやがて神殿に着いた。
柱頭が花が開いたパピルス柱とレリーフ
このコム・オンボ神殿は紀元前1500頃の新王国時代にトトメス3世が造った建物の跡地に、最後の王朝となるアレキサンダー大王の流れを組むプトレマイオス朝時代に増改築がくり返され、ローマ皇帝アウグストスの時代に完成したといわれる。
そのような時代背景からなのか、離れたところから神殿を見ると、ギリシャのアテネにあるアクロポリスのような雰囲気がする建物だ。ガイドの各国語が飛び交い説明を聞く観光客
この神殿、いままで見学してきた神殿とはちょっと変わった造りになっている。普通の神殿は建物の中央にメイン通路が1本あるだけなのだが、この神殿に限って、通路が2本あるのだ。正面から見ると左右対称に二つの塔門や部屋の入り口も2つあり、そして奥には2つの至聖所があるのである。要するに神殿全体が二重構造になっているのである。
水と繁殖のナイル川の神でワニの頭を持つ「ソベク神」と、天空の神でハヤブサの頭を持つ「ホルス神」、この2つの神のために建てられたことから二重構造となったといわれている。
椅子に腰を下ろしての出産場面(左側)
当時の医療器具(右)が描かれたレリーフ
神殿内部に入っていくと、それぞれ各国の団体を引率したツアーガイドの英語、仏語、独後、西語が飛び交う”押しくら饅頭”状態である。
大部分の天井が落ちてしまっているが、ところどころに色鮮やかなレリーフが残っており、プトレマイオス朝の1世〜7世までのファラオのヒエログリフ(象形文字)や、360日は耕作と収穫、残り5日がお祭り、1年365日のカレンダーなどを見ることができた。
片腕が切り落とされた戦争捕虜
外部回廊の壁面には、椅子に座って出産する場面の様子や、古代のメスや聴診器など医療器具などの興味深いレリーフも見ることができ、古代エジプトの文明の高さに驚くばかりで、小部屋が並んだ入院病室までもが残っている。
なかでも、片腕を切断された大勢の戦争捕虜、ライオンに噛ませる刑罰などのレリーフなどもあり当時の刑罰の残虐さがうかがい知れたりする。
夕陽に染まる神殿
夕陽に赤く染まったコムオンボ神殿
ひと通り見学して神殿の外の出ると、ナイル川に陽が沈もうとしており、神殿が夕焼けに染まり幻想的な雰囲気だ。前庭には大きな円形の井戸の形をしたナイロメーター(ナイル川の水位を量り洪水の予想をした)があり、ナイル川の水位が当時の農耕にいかに大きな影響を与えていたか知ることができる。
夕陽に染まる神殿を背景に旅仲間全員で記念写真を撮ると、小高い丘の長い下り坂をクルーズ船まで戻っていくと、左手にはナイル川に沈もうとしてる夕陽と停泊している数多くのクルーズ船が見える。
もう陽が沈むのにまだ観光客が神殿に向かってくる
それにしてもすごい観光客の数だ!間もなく陽が沈もうとしているのに、戻っていく道の前方から観光客が続々とこれから神殿を見学すべくやって来るではないか。クルーズ船が係留している岸壁まで戻ったが、私達のチューリップ号の隣で岸壁に接岸している他船が出航準備をしており船に乗ることができない。この船が岸壁を離れるまで路上で待機していると、土産物を持った子供達に取り囲まれてしまった。買う気がないので適当にあしらっていたが、いつまでもそばを離れようとしないのに閉口していると、やっと乗船の順番がやってきた。他船のロビーを通り抜け自分の船へ戻っていく
クルーズ船恒例
ガラベーヤパーティ
ディナーで乾杯
乗船するとチューリップ号は最終目的地であるアスワンに向けクルージングすべく岸壁を離れた。
今夜はこれから夕食後にナイル川クルーズ船の名物で恒例となっているガラベーヤパーティがある。(ガラベーヤとは、エジプトの民族衣装で上から下までストンとしたネグリジェのような衣装で、パーティ参加者はこの衣装を着て歌い踊る。しかしほとんどが平服で参加する。)
チューリップ号のディナーブッフェ
シャワーを浴び食後のパーティに備え、少々おしゃれしてレストランに入っていくと、ブッフェスタイルのセンターテーブルに花模様に彫刻された果物が幾つも置かれている。パーティの夜なので厨房スタッフが盛り上げるべく演出してくれているのだ。
席に着くと例によって全員で乾杯でディナーの開始だ。
私の持病である痛風に一番悪いのがビールで、医者からは控えるようにいわれている。それなのに毎日のように朝晩ビールを飲んでおり、いつ激痛が襲ってくるかもしれぬと思うのだが、止められぬ意志の弱い自分が情けない。
ガラベーヤパーティの前にディナーで乾杯
日本に帰って、痛風の尿酸値と肝機能の血液検査したら間違いなく、ドクターストップがかかるぐらい数値が上昇しているに違いない。
こんな調子で、ちょうど旅の中間となる7日目のディナーを賑やかに終えると、会場を移してロビー階にあるサロンバーで20時半から名物「ガラベーヤ・パーティ」となった。
フラダンスが登場
バーに入っていくと、なぜかハワイアン音楽が流れている。席に座っていると、やがて照明が暗くなりステージに何と!肌もあらわな妖艶?な3人の美女が登場してフラダンスを踊りだしたではないか!。私達の旅仲間でフラダンスが得意なKさん、Mさん、Sさんだ。わざわざ日本から持参したハワイアン衣装に着替えパーティを盛り上げるべく一役かってくれているのだ。
熟女の豊満なボデーに船員の目が釘付け
フラダンスに船員スタッフの目が釘付けになった!
私達はまさかフラダンスが始まるとは予想外のことで、拍手大喝采である!何より驚いているのがエジプト人船員スタッフだ。
船内にフラダンスを踊っているとの情報が流れたのであろう、手の空いている船員が続々バーに集まりだしたではないか。
老いたりとはいえ、往年の面影が残る3人の豊満なボデーがスポットライトを浴び、白い肌が妖しく光る。少々、二の腕の肉がたるみかけているのが悲しいが、これも愛嬌だ!。(もしフラのお三方がこの旅行記を読んでたらゴメン!なさい)
おそらくエジプト人船員にとって、今日まで目の前で本格的なフラダンスを見たことなんてないであろう。フラダンスで盛り上がり、皆が踊る
フラの3人はすでにベテランのシニアだが、まだ男を引きつける魅力は十分に残っている。男女間の戒律が厳しく、女性と接する機会が少ないイスラム教徒の船員にとって、肌もあらわに腰を振って踊る東洋の美女の姿は生まれて初めてに違いない。船員の表情をみると、どの船員も目が釘付けになっており微動だにせず、熱い視線を浴びせているではないか!。(文章に一部不適切表現がありましたらお許しください。)
こんな調子で毎日宴会とパーティばかりで、クルーズ船3日目の夜も、賑やかに過ぎていく。明日はいよいよエジプト最南部のアスワンだ。