世界遺産のルクソール神殿、旅の疲れが癒されるナイル川クルーズ、水上の珍商売

エジプト縦断旅行記・ナイルを行くー旅6日目後編

 古代エジプト象形文字ヒエログリフ


         

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旅6日目後編ールクソール神殿とナイル川クルーズ

 
本日最後の観光ルクソール神殿へ

ルクソール神殿とカルナック神殿を結ぶ
3Kmもあるスフィンクス参道(現在も発掘中)
  圧巻の巨大列柱室があるカルナック神殿の観光を終えると、バスはルクソール中心部の「ルクソール神殿」に向け走り出した。時刻はちょうど午前11時になろうとしている。
 このルクソール神殿を見学すると、今日の観光は実質的に終えたことになり、その後クルーズ船に戻り次の目的地である「エドフ」にむけクルーズである。 走り出して間もなく、カルナック神殿と同様に堂々たる第一塔門を持つ「ルクソール神殿」に着いた。バスを降りた途端、熱気が体を包む!雲ひとつない快晴でギラギラした日差しが降り注ぎ、気温はすでに40度である。さすが世界的観光地だけあって、第一塔門前の広場は諸外国の観光客で溢れかえっている。
 ルクソール神殿の第1塔門と1本のオベリスク
対のもう1本はパリのコンコルド広場にある

 ルクソール神殿は紀元前1500年頃新王国時代の18王朝「ハトシェプスト女王」が手がけ、その後、偉大な「太陽王」アメンホテプ3世によって神殿の基本的部分が造営されたものだ。
 さらにその半世紀後の第19王朝ラムセス2世が再び拡張工事に着手し、現存する大部分の神殿群を造り上げた。この時代の神殿建築の基本構造である塔門、スフィンクス参道、中庭、列柱室、至聖所などが直線的にレイアウトされた巨大神殿である。

 この神殿、いま見学を終えてきたばかりのカルナック神殿の中心をなす「アムン大神殿」の付属神殿として第1塔門入り口脇には2体のラムセス2世像

建立されたもので、アムン大神殿とは約3Kmのスフィンクス参道でつながっているのである。
 年1回ナイル川氾濫期を過ぎた8月末、妻のムート女神と過ごすため、カルナック神殿のアムン神像を神官たちが肩に担いだ聖船に乗せ、ルクソール神殿を訪れた儀式「オトペ祭(のち豊饒を願う祭りともなった)」のために造られた参道なのだ。祭りの期間は2週間も続き盛大だったという。
 第一塔門前の広場からカルナック神殿の方角を見ると、今なお発掘途中で、両側に人頭がデザインされたスフィンクスが並ぶ参道がずっと伸びており、よくこれだけの距離つくったものだと感心する。(このページ最上部右上画像参照)。このスフィンクスの台座には第30王朝ネクタネボ1世の王名と碑文が刻まれているとのこと。

堂々たる第1塔門とオベリスク

第1塔門を入るとこの人混み、前方に巨大なパピルス柱
 さすが世界文化遺産である。第1塔門前にくると、その門がまえは豪華というか、威風堂々としたもので今まで見学してきたどの神殿より印象的なものだ。
 幅65m、高さ24mの塔門前にはオベリスクが1本、2体の座像、1体の立像が並んでいる。
一つの岩から切り出され、ファラオだけが立てることを許されたという「オベリスク」、高さ25m(現代のビル7〜8階ほど)もあるという。
 このオベリスク、もともと塔門の左右に2本の対をなして建っていたのだが、右側の1本は、1836年にフランスに運ばれ、かの有名なパリのコンコルド広場(ルイ16世やマリー・アントワネットが処刑された)に立っているのである。どのような歴史的変遷をへてパリにあるのか興味のあるところだ。
 ラムセス2世の中庭の閉花式パピルス柱
柱間にはラムセス2世の立像が並ぶ

 塔門左右2体の花崗岩の座像はラムセス2世のもので高さ15.5mもある巨大なものだ。1体だけ立っている立像はこれもラムセス2世のもので、4体あったものだが破損して残ったものである。
塔門の壁に残るレリーフはラムセス2世とヒッタイト軍(現トルコ)が戦った古代史に名高い「カディシュの戦い」を描いたものだという。
 第1塔門を抜けると「ラムセス2世の中庭」と呼ばれ、ラムセス2世が自ら築いた広大な中庭になっており、2列の未開花式パピル
第2塔門ここにも2体のラムセス2世像が
ス柱が囲む広場になっている。
 そのパピルス柱のあいだには、ずらっとラムセス2世の王名を刻んだ巨像が立っている。

 この中庭は、祭礼の行列が行われる際に民衆が集まることを許された場所であった。壁面のレリーフはラムセス2世の王子たちが神殿で礼拝する場面が描かれている。
 そして中庭の南側に進んでいくと第2塔門があり、入り口の左右にまたしてもラムセス2世の座像がある。いたるところの遺跡で見かけるこのラムセス2世、まさに自己顕示欲のかたまりのような人物だ。

パピルス柱の大列柱室

耳にイヤホン、首から無線受信器とカメラをぶらさげ
帽子を被った太郎ガイドの説明に聞き入る筆者

 この第2塔門を抜けるとすぐにかなり損傷が激しいラムセス2世夫婦の座像がある。ちなみに、この顔はなぜかツタンカーメンのものだという。
 そして、ここからカルナック神殿同様、圧巻の大列柱廊が南に向かってのびている。見上げるような高さ約19mもある巨大な開花式パピルス柱が2列14本が堂々と立っている。
 この古代ナイル川を代表する植物パピルスは中央アフリカのナイル源流付近を原産とし、高さ4〜5mにもなる多年草の草本である。
 開花式パピルスの大列柱廊

 古代エジプトには、洪水の際に上流からナイル川デルタ地帯に流れてきた株が繁茂していた。それを古代エジプト人は人手をかけて栽培し、記録媒体(パピルス紙)、履き物、綱、舟の帆や舟そのものの材料として、また若い茎や根を食料としても利用してきていた。現在は自然のものは絶滅してナイル川岸辺からは消滅してしまい、わずかに観賞用として栽培されるだけになってしまった。
 その芸術的もいえる独特なパピルス装飾の柱頭を持つ柱にも、さまざまな神々のレリーフが描かれている。この柱廊から先の南側神殿奥の至聖所にかけては、ラムセス2世より100年ほど前のファラオである「アメンホテプ3世」が造営したものである。
壁の向こうにはギリシャ風のイメージの光景が
 この南北に伸びる大列柱の東西の壁には、この神殿の最大行事である「オトペ祭」の行列様子のレリーフが描かれている。西側の壁にはカルナック神殿を出発し、このルクソール神殿にやってくるアメン神が乗った聖船の神輿が、また東側の壁には神官に担がれた神輿がカルナック神殿に戻っていく様子が描かれており、壁の向こうには、ギリシャ風のイメージが漂う神殿のパピルス柱が見えた。

アメンホテプ3世中庭とアレキサンダー大王の間

アメンホテプ3世中庭の列柱、日差しがきつく暑かった
 大列柱廊を抜けると段差があり「アメンホテプ3世の中庭」と呼ばれる広場になっている。中庭を三方から取り囲んだ列柱が林立し、まるで柱の森のようである。
合計64本の閉花式(花が開花前の蕾状態)パピルス柱が2重に並ぶ景観は見事のひとことに尽きる。この頃になると更に日差しがきつくなり気温がどんどん上昇し、何たる暑さだ!
 さらにその先の神殿奥へ向かって32本の列柱室があり、その奥に小さな広場があるのだが、ここはかってローマ帝国時代に皇帝崇拝の場に改築されたとのことだった。
神殿の最奥部アレキサンダー大王の間へと進む
そして、この列柱室の先が神殿最奥部となり、アレキサンダー大王が再建したことから名付けられた「アレキサンダー大王の間」になっている。ここは前述したオトペ祭において最も重要な聖船の神輿を安置した場所に対し、「南の聖所」と呼ばれたところ。このルクソール神殿、歴代ファラオに引き継がれ増築されてきたことがよくわかる。

クルーズ船に戻り
エドフに向かって出航

午後はサンデッキでゆったり憩いの時間

エドフに向けて出航、多くの船が行き交う
 1時間あまりのルクソール神殿の見学で、今日の観光は終わりである。時刻はちょうど12時だ。
これからこの先の岸壁に係留しているチューリップ号に戻り、船内レストランで昼食をとりながら、アスワンに向かって出航である。
 船に戻ってからの午後の予定は、13時からランチタイム、16時からサンデッキでアフタヌーンティータイム、18時半から船長主催歓迎カクテルパーティ、19時からディナー、その後サンデッキで飲み会の2次会と、ぎっしり船内スケジュールが予定されている。
 
 クルーズ船に戻った。シャワーを浴び、昼食にレストランに降りていくと、ガラ〜ンとした室内に、私たちだけに用意された専用テーブル(20名がワンセットで座れる)席に着いた。 乗船客は昨日同様、クルーズ船最終目的地であるアスワンまで、私たちガイドを含めた総勢22名とオーストラリア人夫妻2名だけである。少々さびしいが自由気ままに振舞えるので気が楽だ。左岸は砂漠地帯の風景がずっとつづく

 例によって水分補給のビールを注文すると昼食が始まったが、なんとなく会話も少なく盛り上がらない。昨日とはうってちがい、みんな無口で静かに食事をすすめている。さすがに午前3時過ぎに起床しての観光スケジュールに、みんな疲労気味なのだ。
 
 私も昨日あたりから冷房が利きすぎたのか風邪ぎみで、体力の消耗が激しく好きなビールも、いまいち旨くない。仲間のみんなは”丈夫そうな体格して冗談言うな”!と言うが、私は虚弱体質なのである!。少しでも体力回復を図るため早めに昼食を済ませると部屋に戻り午睡することにした。
チューリップ号のサンデッキ
 持参した疲労回復栄養ドリンクと風邪薬を飲むとベットに横になった。
 ぐっすり2時間ほど午睡をむさぼり目覚めると、ちょうど16時から始まる屋上サンデッキでのアフタヌーンティ・タイムの時刻になろうとしている。
 
 サンデッキに上がっていくと、すでに旅仲間たちが思いおもいにくつろいでいる。プールやリクライニングシートずらりと並ぶ広々
としたデッキには、私たちだけでサンデッキでアフタヌーンティタイムでくつろぐ

ある。中央カウンターには紅茶の他、嬉しいことに緑茶、羊かんまで用意されいる。世界紀行の添乗員N女史がわざわざ日本から持参してくれたのだ。気の届いたサービスに感謝である。
 私たち日本人以外、唯一の乗船客であるオーストラリア夫妻がやってきた。昨夜、私たちの賑やかな宴会を見て、仲間入りさせてほしいと申し込んできたジェフとジュリーというシドニー在住の人だ。今夜から夕食後に開く二次会には仲間入りすることになっている。笑顔で私達に挨拶してくれるのだが、誰もが英語が苦手でコミニケーションがとれず戸惑っている。結局、旅仲間の中でただ一人英語会話ができるO氏が一人で対応してくれている。海外旅行をより楽しいものするなら英会話が必要だと実感する。
ゆったり時が流れ、旅の疲れが癒される

 ナイル川両岸の風景がゆったりと流れていく。進行方向左手には砂漠と崖、右手には緑豊かな農村だ。同じタイプのクルーズ船が次々と行き交い、互いに手を振ったりしながら、午後ティータイムのひと時が過ぎていく。
 行き交うどの船のサンデッキも、私たちの乗船するチューリップ号に比べると満席近い客を乗せ、サンデッキは人でいっぱいである。
並行して走る船のデッキからこんな光景も
 すぐ隣を並行して航行している船のサンデッキから、大胆にビキニスタイルで日光浴を楽しんでいる多勢の女性が目に飛び込んできたりする。そのすばらしいプロポーションに、まだ煩悩の火が少しばかり残っている男連中の眼が釘付けになる。
 ナイル川の色が昨日までとは大きく変化している。カイロを出発してからゴミが浮かび茶色く汚れたナイル川ばかり見てきたのだが、さすがここ上流域までくると澄んだ川色になっている。
 
 ゆったりとした時が流れる憩いのひとときに、普段味わえないリッチな気分になってくる。何よりも今日までの強行軍の疲れが癒されるのが実感できる。旅程にクルーズ船を組み入れて大正解だった。エスナの水門が近くなると船腹がくっつくほど
クルーズ船が集まり、互いに行き来できるほど。

 正直なところ、日本出発まではクルーズ船で過ごす4泊5日の旅程は時間が惜しいと思ってきた。年齢からいっても、そう何度も来れない海外旅行、少しでも時間を節約して多くの観光地を見て回りたいと思っていたのだ。
 ところが、実際に来てみると、この酷暑の地で朝早くから夕方までの観光ケジュールは正直かなりきつく、私も含め体調不良も出始めており、このままではダウン寸前だったのである。
 この先3日間、午前に観光を終わらせ、午後からはこのクルーズ船でゆったり過ごす時間が、旅の疲れを癒し体力の回復をはかってくれるはずだ。

 水上の珍商売

クルーズ船を取り囲む物売りボート

 船のスピードが一段と緩くなった。あと1〜2時間もするとエスナの水門を通過するための時間調整をしているのである。この先のエスナでナイル川が堰き止められており、1隻ずつドックに入り、上流、下流で10mほどある水位差を、スエズ運河のように注水、排水を繰り返して船を上げ下げしながら、ナイル川の段差を越えていくのである。
 そのため水門を通るための順番待ちのクルーズ船が、すでに20隻ぐらい集まっている。この水門通過の様子をサンデッキから見学するのが、ちょっとしたイベントになっている。
船室の窓を開けたら、突然頭上を飛び越え
何かが飛び込んできた!

 それまで、まだちょっと時間があるので、船室に戻りベットに横になりウトウトしていると、船室の窓の外から騒々しい声が聞こえてくる。何事だ!と窓を開け首を出してみると、小さな手漕ぎボートがクルーズ船を取り囲むように群がっているではないか!ボートに立ちあがり手に持ったビニール袋を掲げながら、クルーズ船サンデッキの乗客とワイワイ何ごとかやり取りしてる。
 すると、その中の一隻が突然私に向かって、手に持っていた何かの品を投げつけてきた。危ないと思い私が一瞬首を縮じめると、何と!頭上を飛び越え室内に飛び込んできたではないか。
 何だ?!泡を食った!意味が理解できぬまま飛び込んできた品を手にとってみると、透明のビニール袋の中に綿布のような物が入っている。
すごい数の物売りボートが群がってくる

 どうも土産物用の綿布クロスやガラベーヤ(ネグリジェのようなだぶだぶの一重の服)のようである。こちらの了解もとらず勝手に投げつけてよこし、買えというのである。冗談じゃない!こんな物買わされてたまるかと、慌てて窓に戻り下のボートに向かって投げ返してやった!ちょっとズレ川面に落ちそうになったが、うまいもので身を乗り出しうまくキャッチするではないか。すると何と!またしても今度は違うボートが私に向かって投げつけようとしているヤツがいるではないか!こんな物まったく買う気なんて無い!あわてて窓を閉めた。
 しかし凄い商売である。川面のボートから私の部屋の窓まで結構距離があるのに、見事に飛び込んできたのである。
水面から屋上のサンデッキまで袋に入れ放り投げる

 周囲の水門通過の順番待ちしている他のクルーズ船も、この小型ボートに取り囲まれてワーワーやっている。部屋を出てサンデッキからこの珍商売を見ることにした。デッキに上がっていくと旅仲間全員がデッキの手すりから身を乗り出すようにして見下ろしている。
 私たちの隣に停留しているクルーズ船には大勢の欧米人客がサンデッキに密集しており、そちらの船のほうが商売になるとみたか、
水門のドックに入り船を上げ、さらに上流へ
賑やかにボートとサンデッキ間で
土産品を投げ上げたり、投げ下ろしたりしている。
 しかしボートの男達の腕力とコントロールは凄い!川面のボートからサンデッキまで5階の高さがあるのに、興味を示して手を広げる乗船客めがけて投げつけるのである。それが実に見事に命中し客の手に収まるのだ。それを手にした乗船客は品を広げて見て、気にくわなければ投げ下ろすという動作を何度でもやりとりしている。

 歓迎パーティとデイナー

 カラフルなカクテルで歓迎パーティ

 しばし珍商売を見ているうちに陽が落ち暗くなった。私たちの船が水門を通過する順番となった。
 船がドックに入ると扉が閉まり注水が始まると、船は徐々に上がりだした。そんな光景を見ているうちに6時半から始まる船長主催歓迎カクテルパーティの時間となった。階下のフロント階にあるサロンバーに入っていくと、センターテーブルが飾り付けられ、その上にいろんなカクテルがライトアップされ並んでいる。
歓迎カクテルパーティで輪に入り踊る

 それぞれが好きなカクテルを頂きながらパーティの開始である。民族衣装のガラベーヤを着た船員が、民族音楽に合わせ大きなタンバリンのような太鼓を鳴らし、盛り上げに一役買ってくれる。船員によるヌビアアン民族ダンスが始まると、旅仲間のフラダンスが得意で、踊り慣れているKさん、Mさん達が仲間に加わり、ステージ中央で輪を組み踊りだした。
 
 短い時間であったが、ウエルカムパーティを切り上げると、ディナーの開始時間となった。今夜はバイキングスタイルではなくコース料理である。あらかじめ3種類のメインデッシュから希望の一品を聞かれていたので私は魚料理を注文していた。席に着くと出てきた料理はスズキのムニエルである。ディナーのコース料理が出てくるまでビールで

 例によってビールを飲みながら宴会気分の夕食を終えると、今度はサンデッキで星空を見ながら2次会である。日本から持参した酒を持ちよると、オーストラリア人夫妻も参加して2次会が始まった。
 賑やかにワイワイやっているなか、私は一人抜け出すと部屋に戻り風邪薬を飲むと早々に眠りにつくことにした。この先、旅はまだまだ続くのである!こじらせる前に体力の回復をはからねばならぬ。明日も5時半起床の7時出発で、船はすでに明日の観光起点となるエドフに到着し停泊している。 旅の6日目後編おわり
 

馬車は走り御者は叫ぶ!馬はランボー、俺はムスタファだ!船でフラダンス披露へつづく