何と!気温が42度になった!・あのクレオパトラにご対面だ!一路ルクソールへ

エジプト縦断旅行記・ナイルを行くー旅の4日目編

 古代エジプト象形文字ヒエログリフ


         

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旅4日目 気温42度の猛暑のなかの遺跡巡り


ナイル中流域最大の町アシュートの朝
眠りを邪魔する大音量のアザーン

アシュートでの宿泊ホテル
 旅4日目の朝の目覚めは、ナイル川中流域で最大の都市といわれるアシュート(人口約40万人)のホテルで、とんでもない時間に起床させられた。
 炎天下での、連日の旅の疲れもあり完全熟睡モードで寝入っていたところ、大音量のスピーカーから流れるアザーンが部屋に飛び込んできた。その音量たるや半端でない!とても無視して寝ていることが、できないほどなのである。
いったい何時なのだ?部屋が真っ暗なので薄灯りが漏れてくるトイレに行き、腕時計を見ると何と!まだ午前4時ではないか!冗談じゃない!
 ナイル川中流域は宗教色が強く危ないエリアとは聞いていたが、レストランでもアルコール類は飲めず、朝は早朝というより夜中に近い4時から大音量の騒音で叩き起されるなんて、とんでもないところに来てしまった。
 宗教色が強い街、早朝のアシュート

 この眠りを邪魔された「アザーン」とは、イスラム教における礼拝への呼び掛けのことらしい。義務とされる一日五回の礼拝の時刻の前に、礼拝の時間が間もなく来ることを伝え、周辺に住むムスリム(イスラム教信者)にモスクに集まるように呼び掛けるのである。
 その呼び掛けは「神は偉大なり」という意の句「アッラー・アクバル」の四度の繰り返しから始まる。
 昔は導師がモスクの尖塔に上り、そこから大声でアザーンが行われたが、現在は町じゅうに聞こえるよう拡音器を使って流している。1日5回定時に流されることから時計代わりとして、信徒の一日の生活上の節目となっているらしい。
 しかしムスリム(イスラム教徒)でない者にとっては、朝の4時に睡眠を邪魔されるのはいい迷惑だ。どうもホテルの近くにモスクがありそこから流れてきたらしい。

早朝の散策

ホテル前の通りで(旅仲間が写したもの)
 今日もN添乗員からかかってくるモーニングコールは5時45分なのだが、モーニングコールなんて必要がない。すでにアザーンで目覚めている。やむなく起床して出発準備を始めることにした。
 今日の行動スケジュールは6時から朝食をして7時半ホテル出発である。
ここアシュートから300Km先の古代の都テーベ(ルクソール)まで、聖地アドビス遺跡とハトホル神殿を巡りながらバスで南下して行くのである。今日もかなり強行軍だ。
 朝食の時間となったのでレストランに行ってみた。ブッフェスタイルで並んだ料理を見てみたが、苦手なものばかりで食欲が湧かないので、ゆで卵だけ1個食べることにした。これでは腹が持たないので部屋に戻ると、持参した「カップ天ぷらソバ」で腹を満たすと、出発時間までホテル周辺を散策することにした。
アシュートの下町の光景

 ホテルの玄を出ると、今日も雲ひとつない快晴の青空が広がっている。今日も暑くなりそうだ。
 時刻はまだ7時なのに、もう玄関前の中通りを女子学生グループが何組も通り過ぎていく。エジプトの学校は主産業である農家の労働力を確保するために、授業時間は午前と午後の二部制になっているらしい。
 大通りに出てみるとナイル中流域最大の街といわれるだけあって、整然とした街並みが広がっている。大通りを渡り中小路に入ると、散乱したゴミと異臭が漂うスラムのような住宅街である。路上のあちこちで野菜やナン(パンの一種)を売ったりしている。
 食堂(喫茶店)にたむろする男たち
食堂では男達がたむろして水タバコを吸ったりしてる。写真を撮りたいのだが観光地と違い、宗教色が強いこの街では写されることを嫌がる人が多いので、いまいちシャッターを押す勇気が湧かない。さりげなくカメラを隠して写すので手ぶれでピンボケ画像ばかりだ。

武装警官車両と出発

 出発時間が近づいてきた。玄関前に待機しているバスに乗り込み、座席ローテーションに従い席に着く。もうこのころになると、N添乗員から班ごとの座席位置をしらされなくても、みんな自分の班が今日はどの座席位置か自然に分かるようになってきている。
このような車に武装警官が乗って先導する
 今日も武装警官を乗せたジープが我々のバスを警護して先導するため待機してる。
 ありがたくご苦労なことなのだが、世界有数の観光資源を持ち、世界中からの観光客が落とす金で、国家の維持が出来ているといっても過言でないこの国で、こうして武装の護衛を付けなければ治安が維持できないのは残念で悲しいことだ。恵まれた日本の治安に感謝である。

貧しくも人々の表情は明るい

 通り過ぎる村や町の光景に興味がつきない
出立定刻7時半ピッタリ、最初の目的地アドビス遺跡にむけ、警護車両とともにバスは走りだした。最初の目的地アドビスまでは走行時間にして3時間ほどの距離だ。 早朝のアシュートの街中をしばらく走りぬけると、やがて車窓の外はナイル川沿いの緑豊かな農村地帯が広がった。
 次々と現われては消えていくナイル川中流域の村々や町の光景に興味が尽きない。みんな車窓越しにカメラを構えシャッターを押しまくっている。
 
 どこを走っても道路も用水路も街なかもゴミで溢れ、建物は薄汚れ、路行く人々の服装といえばスーツ姿なんて一人もいない。どうみても豊かさからは程遠く、貧しさにあふれているのだが、なぜか人々は屈託がなく表情は明るい。通り過ぎる村や町で見かける人々の表情は明るい
興味深々に車窓から見つめる私たちに、笑顔で手を振ってくれたりする。
 彼等は自分たちが貧しく辛い生活をしているなんて思っていないのだ。家族が一緒に暮らし一日三食の食事が食べられれば、それで充分幸福と感じているに違いない。これも信仰からくる精神的な豊かさなのか??私たち日本人の物質的な価値観で幸福度を量っては間違えているのかもしれないなんて考えたりする。

国民服のガラベーヤ

国民服ガラベーヤ、9時ごろなのに一服してる
 街ゆく男のファッションは、若者はGパンにポロシャツ姿。中年以上はガラベーヤという民族衣装の、上から下までくびれのないストンとした筒衣で、だぶだぶのワンピースというか、ネグリジェのような衣装だ。綿の一重作りでだぶだぶなので風通しがよく暑さしのぎには最適なようだ。
 女といば、若い娘はまれにジーパン姿もいるが、大半はカラフルなスカーフを被ったガラベーヤ。中年以上はほとんどが黒スカーフに黒のオールブラックのガラベーヤ衣装だ。全身黒づくめカラスファッションのニカブ

全身黒づくめのニカブ

 ときおり頭部から足先まで、全身黒づくめで覆い隠し、手にまで手袋をはめ、眼だけを出した「ニカブ」というカラスファッションの異様な姿の女性が歩いている。この不気味な衣装について、ずっと疑問に思っていたことがあるので、敬虔なイスラム教徒である太郎ガイドに質問してみた。
 私が「ニカブ姿と頭部だけスカーフ姿の女性がいるが、宗派による違いなのか?」「ニカブ姿だと各種免許証や公官庁での手続きの身分確認などの場合、顔を隠してどうするのか?」と聞いてみた。
 するとである、何と!「あのような衣装をせよ!とはコーランのどこにも書いてありません!」「あのような衣装をするのは馬鹿です!」と驚くようなことを平然と言った!。
 
 どこを走ってもゴミの山が目に入る、用水路の岸
さらに追い打ちをかけるように「私は妻にあのような格好をさせません!」というではないか!実に単純明快に分かり易く答えてくれた。不気味なカラス頭巾の黒ずくめ衣装、原理主義者が多く着用しているらしい。
 ちなみに原理主義の浸透を恐れているエジプト政府は、大学や公官庁ではあのニカブ衣装を着ることは禁止しているとのとである。しかしこのニカブ姿、増加傾向にあり社会問題化しているらしい。
 フランスでも学校や公官庁でニカブの着用禁止の法律を公布したとニュースで話題になったが、欧米諸国ではイスラム原理主義者の移住増加が問題化しつつあるようだ。

ナイルの恵み緑豊かな農村

話が横道にそれた、もとへ、延々と砂糖キビ畑がつづく、収穫の真っ最中

 車窓の外は見渡す限り緑豊かな農村地帯へと風景が変わった。
砂糖キビ、トウモロコシ(家畜飼料)畑が多く、今まさに収穫の真っ最中である。
 砂糖キビの耕作には多量の水を必要とするため、ナイル川から運河や水路を経て水を利用している。走っているとバスの左右には必ず用水路が見える。ガイドの説明では暑さをしのぐため、農作業は早朝から昼までの午前中だけ働き、男達は午後からは日陰で、チャイ(紅茶やハイビスカス花茶)や水タバコで一日を過ごすという。しかし見たかぎりそうとは思えない!時刻はまだ9時前だというのにもうサボっている場面が次々と目に飛び込んでくる。どこみても腰をおろしている姿ばかりが目に入る

 真面目に働いているのは女と子供達ばかりだ。(農家の子供達は午前働き、午後から学校にいく)

国民病の糖尿病

 太郎ガイドが車中での退屈しのぎにエジプトの生活習慣を我々に語る。エジプト人は酒を飲まないからなのか、甘いものが大好きだという。特に砂糖をたっぷり入れたチャイ(お茶)は、いっぷく時、団らんやコミニケーションには欠かせない飲み物で、一日に10杯以上は飲むという。
 ガラベーヤの下は糖尿病的体型が多い
エジプトにおける砂糖の年間消費量は何と!国民一人当たり36Kgもあるという。ちなみに日本の年間消費量は6Kgなので、6倍も消費していることになる、その甘味好きたるや半端でない。そのせいなのかエジプトにおける病で深刻なのは糖尿病で、国民病だという。
 太郎ガイドも糖尿病になり現在甘味断ちしてダイエット中だというから本当のようだ。
 いわれて、あらためて車窓から男連中を見ると、中年以上の大半がガラベーヤ衣装の下は、でっぷり太鼓腹である。とてもズボンなんかはける状態でない!納得した。確かにこれは国民病だ!

いたるところ警官だらけの警察国家

 田舎町の果物屋
なぜか今日の警護車両は集落が近ずくと、やたらサイレンを鳴らしながら走る。まるで政府要人を警護するみたいだ。
 一定距離走ると次の武装警官が詰めている検問所で警護車両が入れ替わることを繰り返しながらバスは走っていく。検問所は詰所とトーチカのような監視塔まである厳重なものである。それにしても、街でも道路でもいたるところ小銃や自動小銃を持った警官だらけである。半端なものでない。
警察国家といっても過言でないだろう。

聖地アドビスの遺跡

アドビスのセティ1世葬祭殿と長いプロムナード
 少々危険地帯だが、興味つきないナイル中流域の光景を見ながら走ること3時間半、午前11時を少しまわったころ、今日最初の観光となる「アドビス遺跡」に着いた。 ここアドビスは古代エジプトにおいて、オリス神の聖地とされた町である。
オリス神は再生の神とされ、人は死ぬとオリス神となって復活すると信じられていた。このことからエジプト各地から人々は聖地アドビスへの巡礼を行い、建物を寄進したり墓を造った場所だという。
 これからこの聖地アドビスで、数多いエジプトの神殿のなかでも、最も美しいもののひとつされる「セティ1世葬祭殿」を見学するのである。

すでに気温が40℃近くも

葬祭殿のテラスの柱にもレリーフが残る
 駐車場に停まったバスを降りようとすると、N添乗員がここではイヤホーンガイドを使いますので持って降りてくださいとアナウンスが入る。
エジプト入りの初日、世界紀行社からポケットタイプの無線受信器とイヤホーンが私達全員に配られたもので、観光場所ではミニマイクを襟に装着したガイドの説明や案内が、耳に付けたイヤホーンからハッキリ聞こえてくる便利な器機だ。
 受信機を首からぶら下げ、帽子とサングラスで武装し、ミネラルウォーターを手に持つとバスから降りた。カイロからは500Kmほど南下した地帯なので、すでにかなり気温が上昇している。乗降口から地面に足を下ろすと、途端に熱気が身体全身をつつんだ。まだ午前なのに気温はすでに40℃近くになっているだろう。

美しい彩色レリーフのセティ1世葬祭殿

テラスの外壁にも彩色レリーフがある
 遺跡見学の前にまず駐車場脇の公衆トイレで用足しである。入り口では番人が手のひらをひろげ金を要求してくる。1エジプトポンド(約16円)のバクシーシ(施し、お恵み)を払って用を済ますと、葬祭殿に向かって歩きだした。
 石畳の長いプロムナードとスロープが伸びその先に、古代エジプト新王国時代(紀元前1300年頃)第19王朝セティ1世葬祭殿(神の前で口をあけ、忠誠を誓う場所)が見える。
神殿内にはエジプトで最も美しいとされるレリーフが
 
 この葬祭殿はセティ1世の在位中に完成しなかったため、息子ラメセス2世が完成させたといわれている。ラメセス2世は父の後を継ぎ、シリア、トルコを領土としていたヒッタイト人と覇権を掛けた戦いに勝利し、古代エジプト王朝では「最も偉大なファラオ(王)や「大王」」などとされた人物。このラメセス2世が造ったアブシンベル神殿(世界遺産)は世界的に有名だ。

圧巻の巨大円柱と彫られたリレーフ

祭殿に入ると巨大な円柱とレリーフが圧巻
 ジリジリとした炎天下、スロープから葬祭殿の入り口前までくると、テラスにずらりと並んだ方形の石柱と壁面に、さまざまな神やあファラオのレリーフ(浮き彫り)が残っている。
 正面テラスの壁面のレリーフには、ホルス神とクヌム神から王権を授けられるセティ1世の姿などもある。
 神殿の中に入ると圧巻である。巨大な円柱がずらり並んだ前室には、その柱と壁面の全てにレリーフが施されており、なかには当時の極彩色まではっきり残っているものまである。
壁天井どこも彩色レリーフが鮮明に残っている

 エジプトで最も美しいとされる神話の世界の神々のレリーフが、これでもかと見る者に迫ってくる。3300年前の美術と芸術にしばし声を失うほどだ。
 ここの神殿は写真撮影もOKということで、私達はイヤホーンから流れる太郎ガイドの説明もそこそこに夢中にシャッターを押しまくる。

七つの至聖所が並ぶ

七つの神を祀った聖所が並ぶ珍しい神殿(左側)
 巨大な円柱がある前室の先に聖所がある。通常の神殿は聖所はひとつしかないのに対し、ここは7つの聖所が横一列に並んでいる。
 太郎ガイドの案内でそのすべての至聖所を見てあるく。ガイドの口からオリス神、イシス神、ホルス神など至聖所に祀られた神々の名前が飛び出すのだが、何が何だかサッパリ分からない。

 大廊下の壁面には古代エジプト文字の象形文字(ヒエログリフ)で、歴代王の名前がずらりと彫られている。この歴代王名表からは王座を横取りした「ハトシェプスト女王」と、若くして死んだため業績のない「ツタンカーメン王」の二人だけが除名されているというから厳しい。セティ1世と息子ラムセス2世が牛を追う姿

さらにはセティ1世と息子ラムセス2世が牛を追う様子を描いた壁画などを見学すると、神殿内の見学は終え外に出た。
 途端に熱気が襲う!猛暑である。次は葬祭殿の裏手にまわり、オシリス神(再生の神)のための墓であるオシレイオン(空の墓)を見学する。
 砂礫のなかに大きな石柱からなる建造物があり水がはられている。冥界に渡る船が通るためのものだという。
当時の人々は死んでオリスになり来世で復活すると考えられていたため、アドビスには多くの空墓が造られたという。来世に旅立つためのオシレイオン(空の墓)

冷えたビールを飲みたい

 これでアドビス遺跡の見学を終えバスに戻ることになった。すでに正午を過ぎており一段と暑さが増し、強い日差しが肌を射す。早くバスに戻ろうと遊歩道から駐車場へ向かって歩いていると、神殿脇の道路の向こう側に集落があり、そこに小さな食品の売店があるのが目に入った。
よく見ると店頭の小さな冷凍ケースに缶飲料が並んでいる。もしかしたらビールがあるかもしれぬと淡い期待がめばえた。 今日の昼食も昨日と同様にサンドイッチ弁当で、バスの中で弁当を食べることになっている。その前にのどの渇きを潤すため何としてもビールが飲みたい!そう思うと我慢できず、その店に駆け込んだ。
売店のイメージ画像(ここでビールを買ったのではない)

 バスの集合時間まであまり時間が無い!あわただしく店主らしき男に「ビヤ〜、ビヤ〜」と叫んだ。意味が通じたようで店主が缶飲料を私に見せた。
手にとってビールかどうか確かめると「ノンアルコールビール」である。これしか無いという。
 この町もアルコールが禁止らしい。しかたない、これで我慢することにした。値段が表示されていないので、幾らだ?と聞くと10ポンド(160円)という。エジプトの物価にしてはけっこう高い。たいした額のものでないが、吹っかけられて買うのもシャクだ!エジプトでは言い値で買うな!必ず値切れ!といわれている。観光客相手の土産品とちがい飲料なので無理かもしれぬと思いつつ、値切り交渉をしてみた。
エジプトのノンアルコールビール

 私の脇には、私の交渉なりゆきしだいでビールを買おうと待機している旅仲間が二人いる。その分、合わせて3本買うつもりで、指を三本だし「ディスカウント!プリーズ!」といってみた。
すると意味が通じていないようで、店主きょとんしている。それではと3缶を手に取り20ポンド札を見せこれでどうだというと、首を振り駄目だという。
 引きさがらず、何回かジェスチャーでやりとりし、結局3缶で25ポンドで折り合いをつけることにした。言い値の1缶10ポンドが2ポンド値引きの8ポンドになった。わずかな値引きだが、交渉を楽しんだ。

 寄り路で時間をくってしまったので、大急ぎでバスに駆け込むことになってしまった。缶ビール片手に車内に入ると、冷房が利いており、キュッと冷えた冷気が身をつつみ生き返ったようだ。にじみ出た汗が急激にひいていく。ナイル川に架かる橋を渡りデンデラへ
私は見かけと違い虚弱体質で、こんなことをくり返していたら、気温の変化に体力が追いつかず、そのうち体調を崩してしまうかもしれない。すでに体調不良をきたしている仲間が出てきているので心配だ。
 弁当を広げてみると、焼き肉のサンドイッチとリンゴが入っている。食べる気になれず日本から持参した焼き竹輪(真空パック)をバックから取り出し、先ほど買ったノンアルコールビールで昼食をすることにした。バスは次の目的地デンデラに向かって走り出している。

何と!とうとう気温が42℃になった!

砂糖キビを積んだロバ車が行き交う
 車窓の外はあい変らずナツメヤシとサトウキビ畑の農村風景が続く。刈り取りしたサトウキビを積んだロバ車が行き交い、製糖工場が見えたりする。走ること2時間あまり、やがてデンデラのハトホル神殿に到着した。時刻はちょうど午後2時半である。
 バスを降りた途端、いちだんと暑さを増した、ムッとした熱気が襲ってきた。雲ひとつない快晴で、今まで経験したことのない日差しがジリジリ肌を射す。
 すでに季節は夏を過ぎ秋だというのに、すごい暑さである。太郎ガイド(温度計を腰にぶら下げている)に、いま気温が何度あるか聞いてみた。すると何と!42℃もあると言う!暑いわけだ!これが砂漠の国の暑さなのかとへんに納得したりする。
砂糖キビを積んだロバ車が行き交う

 神殿へのゲートがある建物に入り、トイレを待っていると、廊下の隅で床にひざまずき祈りだした男がいる。大勢の観光客がいることなんてお構いなしだ。本日何回目の祈りなのだろう?。
 トイレを済まし、建物のゲートをぬけ神殿までの長いプロムナードを歩き出した。一直線に続く長いプロムナードのはるか先に神殿が見える。猛暑42℃の炎天下をだらだらと歩みを進めていく。

クレオパトラのレリーフが残るハトホル神殿

長いプロムナードの先にハトホル神殿が見える
 これから見学する「ハトホル神殿」は、神話の愛と幸運の女神とされる「ハトホル神」に捧げられた神殿で、エジプトがローマ帝国領土となる前、3000年近く続いてきた古代エジプト王朝最後の宗教的建造物といわれているところである。
 アレキサンダー大王の流れをくむプトレマイオス朝末期(クレオパトラ女王時代)に建てられたものと、クレオパトラ女王の死により古代エジプト王朝が滅び、そのハトホルス神があるローマ時代の門
後のローマ帝国の版図に組み入れられた時代に建造された部分が残っている。
 このことからこの神殿ではギリシャ、ローマ、原始キリスト教「コプト教」の影響を受けた、さまざまな建物が見学できるのである。このハトホル神殿はエジプトに数多く存在する古代神殿のなかでも、最も保存状態のよいもののひとつとされ、ほぼ完ぺきな形で残されているとのこと。

牛の角をもったハトホルス神

コプト教会のあと病院にされたローマ時代の建物
 長いプロムナードを歩き、やっと神殿前までくると、崩れかけた大きな門がある。ローマ時代の建造のドミティアヌス帝とトラヤヌス帝の門で、いかにもローマ風らしい門で、土台石にはハトホル神のリレーフが鮮明に残っている(右上画像)。この門からは神殿群を取り囲むように城壁のような日干しレンガがのびている。

 見上げるようにして門をくぐると、すぐ右側にローマ帝国支配時代に築かれた誕生殿、その横にコプト教会(原始キリスト教)跡がある。見ただけで古代エジプトの建築物とローマ時代の建築物では違いが判る。ギリシャ風(コリント式)円柱と建物全体の芸術性の高さは印象的だ。巨大な円柱が林立する神殿内に入っていく

神殿までの通路脇には石棺がずらり並んでいる。
 神殿入り口のテラスのハトホル神が彫られている頭柱を見上げ、神殿内に入ると、薄暗い本殿の壁面のいたるところに巨大な牛の頭もつハトホル神が彫られているのが目につく。このハトホルス神は聖獣とされる雌牛の頭部をもつ姿で表され、牛の角が生えた特徴的なもので、この神殿しか見られないものだという。

リレーフは壁面だけではない!壁、天井、円柱すべて彩色レリーフが残る、顔が無残だ

天井まで彩色された状態で美しく保存されているのが凄い。人間の体を描いたものや女性のお産場面の絵など、当時の生活の様子などが知ることができる。
 何より圧巻で感動的なのは、列柱室にある極太の柱だ。頭柱部分が顔の形をしているのである。
これはこの神殿に祀られている愛の女神「ハトホル神」の顔を表したもので、ハトホル柱と呼ばれている。しかし残念なことにどの頭柱の顔の部分が意識的に削りとられており無残である。
壁一面レリーフやヒエログリフの通路を進む

 するとまたしてもイスラム教徒の太郎ガイドが、例によって顔の破壊については、ここに住みつい たコプト教徒がやったと言う。本当なのか?私はイスラム教徒のしわざと疑っているのだが・・・顔の部分を削りとる破壊のやり方は、私が何回か訪れたシルクロードの仏教遺跡で見たイスラム教徒による破壊の特徴を示しているのだ。どちらが正しいのやら・・・
 それにしてもこの柱は芸術的でとても印象的なものだ。

 クレオパトラとご対面

圧巻のハトホルス神の頭柱がある列柱室
 神殿の屋上にのぼり日干しレンガに囲まれたなかにある、さまざまな建築物の遺跡を眺めると、神殿の外に出て「クレオパトラ」にお目にかかることにした。
 この神殿を有名にしているのは、エジプトの数多い遺跡のなかでも、ここにしかないというクレオパトラのリレーフがあるのである。
 神殿の外壁に彫られたさまざまなレリーフのなかに、彼女と、ローマ帝国独裁官だったカエサル(ジュリアス、シーザー)との間にできた息子であるカエサリオン(プトレマイオス16世)が、くっきりと浮かび上がっている。

 猛暑のなか、最も知られた有名人のクレオパトラだけに、太郎ガイドの説明にみんな熱心に聞き入る。陽が照りつけ拭いても拭いても汗がにじみ出てくる。
 これで見学を終え、再び長いプロムナードをゲートの建物まで戻っていく。出口までくると野外の休息所があり、その周りに売店がずらり並んでいる。バスに乗る前にここでトイレ休息も兼ね一服となった。
クレオパトラ(左)と息子のレリーフがある外壁

定価がない国、エジプトでの買い物は疲れる!

 椅子に腰かけ一息ついていると、売店のオヤジがミネラルウオーターのペットボトルを抱え寄ってきた。私達が汗を流しのどが渇いていると分かっているのだ。
「幾らだ!」と聞くと何と10ポンドだという。ミネラルウオーターの相場は1〜2ポンドである。どうみても高すぎる5倍にも吹っかけてきている。値切る意欲も消え失せバスに戻ってから車内冷蔵庫にあるものを買うまで我慢することにした。(車内で買うと相場より高いが、それでも2本で5ポンド)
 
 休息を終えバスに戻りだすと、仲間のE氏がノンアルコールビールを飲みながら歩いているではないか。
 私は午前の見学地アドビスで、同じノンアルコールビール缶を値切って8ポンドで買っているので、ためしにE氏にここで幾らで買ったのか聞いてみた。すると1缶20ポンドというではないか!! 私が先ほど買った値段に比べ、とんでもなく高い。
 この国は標準価格とか定価はなく、物品の値段は売り手と買い手の交渉で決まると、旅のガイドブックに書いてあった。土産品では相場の10倍ぐらいに吹っかけてくるので、必ず値切るべし。言い値の十分の一から始めて落としどころを、言い値の五分の一を目標とせよとも書いてあった。
 しかしこれは土産品での話で、まさか食料品にまで、ここまで吹っかけてくるとは思わなかった!油断も隙もあったもんじゃない!
 しかし、それにしても定価や標準価格がない国の買い物は観光客泣かせだ。いちいち駆け引きしながら買い物をしなければならないなんて!ホントに疲れる国だ。これから先が思いやられる。

世界遺産、かっての都テーベ(ルクソール)へ

ルクソールに向かって走る、ナイルの夕陽
 デンデラでの観光を終えると、今日の宿泊地で世界遺産の古代エジプトの都であったテーベ(ルクソール)への移動である。
 時刻は午後4時を過ぎ、夕暮れ迫るナイル川沿いの道をバスは走り出した。ルクソールは世界遺産の町だけあって、多くの欧米資本の高級ホテルがある。今夜はなんとかアルコールが入ったビールを飲めればよいがと念じつつ車窓の外を見ていると、空が赤くなりナイル川に夕陽が沈みだした。 

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