ナイル川中流域ナツメヤシ街道・うたかたの夢と消えた太陽神の都アマルナ遺跡

エジプト縦断旅行記・ナイルを行くー旅3日目後編

 古代エジプト象形文字ヒエログリフ


         

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旅の3日目後編ーナツメヤシ街道をバスは走る

ナツメヤシは農家の豊かさのシンボル

武装警官が乗るジープに先導されナツメヤシ街道を行く
 バスは次の観光地「テル・エル・アマルナ遺跡」に向け、ナイル川本流と灌漑用に引かれた支流のあいだの道路を警備車両を先導に走る。ナツメヤシが生い茂り、緑豊かな農村風景がどこまでも続き、つぎつぎと現れる村や町の中心部を走り抜けていく。
 ロバ車が行きかい、所在なげにたむろする男たち、足早に通りを行きかう全身を覆った女たち、エジプト農村部の庶民の姿がかいま見られ興味が尽きない。
どこでもナツメヤシが生い茂っている

 どこを見ても目に入る「ナツメヤシ」について太郎ガイドに質問すると、果実はドライフルーツにしたり、あるいはジャムやジュース、菓子などに加工されるとのこと。
さらには酒、砂糖、酢など様々な食品に活用され、このナツメヤシを何本植樹しているかが農家の豊かさのシンボルになっているという。ちなみに、果実からは独特のとろみや甘味が出ることから、日本で売られている「豚カツ用ソース」やおたふくソースの「お好み焼き用ソース」などにも原料の一部として使われているとのことであった。

太陽神の都、テル・エル・アマルナ遺跡

荒涼たる砂漠の遺跡

車窓から鞍馬天狗ならぬカラス天狗
 2時間ほど走ると、バスはナイル川西岸からアマルナ遺跡がある東岸を結ぶフェリー乗り場に着いた。かろうじてバス1台が何とか乗ることのできる浮き桟橋のような渡し船にバスごと乗り込むと、10分ほどの乗船でナイル川東岸へと着いた。
 バスが東岸エリアを走り出して間もなく、今までの緑が突然消えると荒涼とした砂漠地帯に変化した。やがて見渡す限り荒野の真ん中にある、「テル・エル・アマルナ遺跡」の入り口に着いた。
 ポツンとブロック作りの四角い建物が、入り口の道路を挟むように建っている。休息所とアマルナ遺跡の警備所兼チケット売り場の建物で、6〜7名の武装した警官が所在なげに警備所の日陰で腰をおろし、じっと私達のバスを見ている。すでに気温がかなり上がりだしており、やる気がしないのか、だらけた格好だ。
警備所でだらけた格好で監視している

 ここから東の彼方に一直線に道路が伸び、その先に草木が一本もないはげ山が見える。
 時刻はとっくに昼を過ぎており、ここの休息所でバスに持ち込んだ昼食弁当を食べることになっている。しかし気温がどんどん上昇しており暑くなる前に遺跡見学を終わらせ、その後昼食を取ることとした。
 監視所で岩窟の扉鍵を持っている番人を乗せると、バスはげ山に向かって走りだすと間もなく、麓の駐車場に停まった。午前のベニ・ハサン遺跡同様、駐車場には1台の車も停まっていない、観光客は私達だけで貸し切り状態だ。岩窟への階段を登っていく。駐車場には私達のバス

あのツタンカーメン王の父が築いた太陽神の都アマルナ

 このテル・エル・アマルナ遺跡は今から3300程前、古代エジプト新王国時代に、あのツタンカーメン王の父であるアメンホテプ4世が築いた新都だったところなのだ。
 このアメンホテプ王は当時国家の最高神アモン神を中心とした多神教を廃して、太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を行った人物なのである。
 当時テーベ(ルクソール)の都の一地域守護神だったアモン神が、やがて国家の守護神となったことにより、このアモン神の神官団が、王をもしのぐ強い政治的権力を持つようになった。テルアマルナ岩窟墳墓の内部、本当は撮影禁止
このことからアメンホテプ4世が神官団に対抗してアモン神を廃し、このアマルナの地に太陽神の「アテン」を唯一の神とする新都を築いたのである。
 
 エジプト三大美女の一人とされる王妃ネフェルティティと、アメンホテプ王の息子「ツタンカーメン」もこの地で暮らし中部エジプトの王都として栄えたのである。しかしこの都の繁栄も父の死後、王となった「ツタンカーメン」が、再びアモン神を崇拝し、元の都テーベ(ルクソール)に戻ることからわずか10年しか続かなかった王都で歴史からすっかり忘れ去られてしまった。

何と!気温が40度まで上昇した!

 「うたかたの夢」となってしまったアテンの都は、今は荒れ果てほとんどが瓦礫と化したのだが、そのなかで比較的保存状態のよい「北の岩窟墳墓群」を見学するべく、私達は山の斜面(崖)を登りだした。気温40℃の炎天下、岩窟に向かって崖沿いを歩く

 長い階段状の上り坂が崖の中腹まで続く。すでに午後1時を過ぎており、快晴の炎天下、猛暑で汗がにじみ出る。
 エジプト人の太郎ガイドが腰に小さな温度計をぶら下げているので、いま気温が何度なのか聞いてみると何と!「え〜と40℃です」と、平然といってのけるではないか!・・・・
本当に?そんなにあるの?と確かめると、「こんなの暑いうちに入りません!」「今年の7月に私がルクソールでガイドしている時には62℃もありました!本当です」と、またしても平然と言いながら斜面を登っていく。やっぱりエジプト人だけはある。

炎天下、崖を登り岩窟までの長い道

 しかし40℃といってもどうにもならないほどの暑さではない。日差しはきついが日本と違い湿度が低いので、なんとか我慢できる暑さだ。
 炎天下、中腹まで登って来ると、今度は崖にへばりつくような細い登り道がづっと彼方まで続いている。日差しがきつくじりじりと肌に焼きつき、汗が止まらない。
振り返ると砂漠にポツンと1台私達のバスが
 汗を拭きつつ登ってきた道を振り返ると、見渡す限り荒涼とした砂漠の中に、私達が乗ってきたバスがポツンと見えた。
 しばらく歩きやっと岩窟墳墓群の場所まできた。ここで高級神官メラリーの墓、大司祭パネヘスィ等アマルナ時代の高官たちの4つの墓を見学するのだが、ここも岩窟内は撮影禁止だという。今後もこんな調子でカメラ撮影禁止が続くのだろうか?これじゃ旅のアルバムがつくれない。

キリスト教徒だけが悪者では可哀そうだ

 それにしても岩窟内も暑い!ムッとした湿度の高い温められた空気が身体を包む。不快指数100%だ。
 それぞれ順番に岩窟内に入っていくと、どの玄室にも奈落の底のような地下深い埋葬室がある。玄室どの壁面にもアメン太陽神の彩色画やレリーフが描かれている。
 アクナテン王一家がアメン神を礼拝するさまざまな様子、王妃ネフェルティティが馬車の乗るレリーフなどが綺麗に残っていた。これも盗み撮りした墳墓内部、壁画は剥がれていた

 ちなみに、この岩窟群にもローマ時代に迫害を逃れたコプト教徒(原始キリスト教)が住居として住みついたので、壁画やレリーフが剥がれ落ちたり、黒ずんだりしてる部分がある。
 すると、またしても太郎ガイドが「キリスト教徒の奴らの仕業です!」と、ベニハッサンの遺跡同様、声のトーンが大きくなる。
太郎ガイドよほど宿敵キリスト教徒が憎いらしい。

 キリスト教徒ばかりが悪者にされては可哀そうだ!と思い、 私がちゃかし半分、太郎ガイドに「シルクロードを旅した時、さまざまな仏教遺跡を見学したが、どこの遺跡もイスラム教徒により壁画や仏像が傷つけられており、それを目にした時、とても悲しかった!」と言ってみた。すると太郎ガイド一瞬言葉を詰まらせ困惑の表情をした。
見学を終え崖の下彼方のバスまで戻っていく、暑い!
 そうなのだ、むしろ偶像崇拝を禁じるイスラム教徒による、貴重な文化遺産の遺跡破壊のほうがすさまじいのだ。
 あの世界に衝撃を与えたアフガニスタンの世界遺産「バーミヤンの巨大石窟仏像」の爆破などはいい例である。
 ちなみに、私のこの一言で太郎ガイドに20名の旅仲間の中で、一番最初にきっちり私の顔と名前を覚えられてしまったようだ。
 岩窟見学も終えるころ、太郎ガイドが同行していた遺跡の番人の目を盗んで「皆さん!ここで今だけ写真撮影OKです!早く撮ってください!」と言った。 皆があわてて1〜2枚撮ったところで「ハ〜イもう駄目です!」と声が上がった。アメンホテプ王家の宮殿跡

昼食は持参したサンド弁当で

 その後、また眼下に広がる砂漠を見ながら、登ってきた崖沿いの長い道を下っていく。待機していたバスに乗り込み、アメンホテプ王家の宮殿跡を見学すると今日の観光は終わりとなった。時刻はすでに14時を過ぎている。
 アマルナ遺跡の入り口ゲートにある休息所に戻ると、そこで持参したサンドイッチ弁当を広げると昼食となった。
 小さな冷蔵庫にペット飲料が並んでいるのが目に入った!汗をたっぷり流したので、身体がビールを欲している。ビールはないか?と聞くと、素っ気なく「無い!」というではないか!ガックリ身体から力が抜け落ちる。
シシカバブのサンドイッチ弁当

 弁当を広げたが肉が苦手な私は、怪しげな肉がはさまったシシカバブサンドをまったく食することができない。バナナ1本だけの昼食を終えると、退屈しのぎに休息所の外に出てみると何と!太郎ガイドが休息所の陰にマットを広げ、その上に膝まづきお祈りをしている真っ最中ではないか!何かブツブツ言っている。
 そういえば彼は、すでに聖地メッカの巡礼も終えたので、身を慎み酒もタバコも一切やらないと、自慢げに話していたのを思い出した。彼は敬虔なイスラム教徒なのだ。 

 バスは一路ナイル川中流域の拠点都市アシュートへ

 若い美人姉妹に出合った!

フェリー乗り場ではバスに物売りの子供たちが
 バスは再びフェリー乗り場に戻りナイル川西岸へと渡ることになった。桟橋では私達のバスが戻って来るのを待っていたかのように子供達が寄って来た。
手に手にナツメヤシの葉で編んだ容器を持っておりワンダラー、ワンダラーとバスの窓越しに声を掛けてくる。 可哀そうだが無視して、バスから降りることなくそのままフェリーに乗船する。
 対岸まで10分ほどの短い時間だが、下車してフェリー後部の粗末なベンチにいくと、何と!若い十代半ばとおぼしき美人姉妹が佇んでいるいるではないか。私の隣にいたO氏も、私の横っ腹を突っつき小声で「佐藤さん!美人ですね!」と言う。美人姉妹に大騒ぎ、ファッションもバッチリ

 その可憐な美人姉妹の容姿に私達は皆騒然となった!何とか記念に写真を撮りたいと願ったが、彼女達に面と向かって写真を撮らせてほしいと言う勇気がない。
 すると仲間のE氏が撮影の了解をとり撮影しだしたではないか!こうなると制御が効かなくなった! 私達全員が大騒ぎで、彼女達を囲み記念写真を撮りまくることになってしまった。そんな私達に美人姉妹は戸惑い緊張しつつも、はにかんだ笑顔を返してくれた。

幾つもの町や農村を走りぬける

仕事せず木陰にたむろする男たち、どういう生活?
 バスはナイル川西岸の道路を一路、今日の宿泊ホテルがあるアシュートの町へむけて走る。時間にして2時間余りで着くはずだ。
 幾つもの町や村を走り抜けていくのだが、私達のバスが通ると興味深く見つめながら、子供達は人なつこく手を振ってくれる。
 男達は相変わらず仕事せず、木陰や軒下にたむろして談笑している光景ばかりが目に入る。
 少し走るたびに武装警官が詰めた検問所が現れバスは停車を繰り返しながら走る。
両岸ゴミだらけの川で女たちが平気で洗濯している

 ナイル川本流から引かれた灌漑用の用水路両岸は緑豊かなのだが、相変わらずその両岸はどこもゴミの山である。そんな濁った川で女たちが洗濯をしている光景が目に入って来る。こんな汚れた川で洗濯しても、かえって汚れてしまい洗濯する意味がないとおもうのだが?・・・・
 車窓から通り過ぎる集落の庶民の日常生活を眺めていると、やがて17時を少し過ぎたころアシュートの町に着いた。人口40万人あまりが暮らし、ナイル中流域では最大の大きな都市で大学もあるという。こんな光景も、ロバタクシー

 この暑さにビールが飲めない!

 街の中心部にある大きなホテルでチェックインを済ませると、1時間ほどの休息でレストランでビュッフェスタイルでの夕食となった。
 きょうは気温40℃もの炎天下で歩きまわり観光してきたのである。やっと部屋で汗まみれの身体をシャワーで流し、さっぱりして夕食の席に着いたので、何はともあれビールの注文である。
 のどが鳴っている!飲み友達のO氏などは、夕食で冷えたビールをより美味しく飲むのだ!といって昼食後からずっと水分補給をひかえていたぐらいなのだ。
 席に着くやいなや「ビールをお願いします!」と元気よく手を挙げると何と!衝撃が走った!「ビールは無い!」というではないか! 冗談じゃない!昼食でもビールが飲めなかったのである。
 夕食のビールを楽しみにしてたのに!ロビーにて
まさかである!身体に衝撃が走った!愕然としてO氏と顔を見合わせると私は言った!「ホテルには置いていなくても街のスーパーでは売っているのでないか?」すると何と!「この街では酒は売っておりません!と無情な返事が返ってきた。
 
 ナイル中流域最大の街なのにどこにもアルコール類が無いのである。太郎ガイドに聞くとここは宗教色の強い都市なので酒は厳禁なのだという。とんでもないところに来てしまった!!
 アルコールが無くては旅仲間との会食がいまいち盛り上がらない。気が抜けたまま夕食を終えると、O氏が私に耳打ちした。これからO氏の部屋で日本から持ち込みした酒で「やりましょう!」という。二つ返事でOKすると、もの足りない顔をしている男ばかり6名でつまみと酒を持ちより部屋での飲み会となった。宗教色の強いアシュートの街で、学生か?

 エジプト入り二日間で、見たり体験してきた日本では考えられないエジプト事情に会話が盛り上がる。
 明日も7時半出発である。あまり遅くまで飲んでいるわけにもいかない。いいところで切り上げると、残った酒瓶を持ってそれぞれ自室に引きあげた。
 通りに面した部屋の外から、車のクラクションや街の雑踏の騒音が入り込んでくる。眠りを邪魔されねばよいがと思いつつ眠りに着いた。 

 旅の4日目・何と!気温が42度になった!あのクレオパトラにご対面だ!につづく