辛くて一睡もできぬ機内、やっとカイロに着いた!ナイル川沿いを一路南下す

エジプト縦断旅行記・ナイルを行くー旅2日目編

 古代エジプト象形文字ヒエログリフ


         

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旅2日目ー関空からカイロへの機内

 辛い機内、立ったり座ったり一睡もできぬ!

中身の水分を捨てさせられた缶詰で晩酌
 超満席の搭乗客を乗せ、老朽化した機体はヨロヨロと関西空港を、一路カイロへと飛び立った。私の座席は機体中央部の通路側である。
 シートベルトの着用サインが消えると、さっそく座席テーブルの上に「関空で中身の水分を捨てさせられた魚缶」とワイン瓶を置いた。
 窮屈なシートで少しでも眠りにつくために、もう少しアルコール摂取が必要だ。おそらく搭乗客の中で一番早く持ちこんだ酒を飲みだしたのは私に違いない。斜め後ろの見知らぬカップルが、テーブルに置かれた口の開いた魚缶と割り箸を見て驚きの表情をしている。

取り出した日本酒大瓶に乗務員が目をむいた

客室サービスの中心は武骨な男性
 離陸して1時間ほど過ぎると一回目のディナーサービスが始まった。武骨な男性客室乗務員がワゴン車を押しながら狭い機内を動き回りだした。日本人の女性客室乗務員が1〜2名乗っているのだが、機内サービス業務の大半は大柄な男性だ。
 男女差別が激しく女性の社会進出が進まないイスラム国では、欧米諸国や日本のように女性が中心の接客業まで男性なのだ。女性は家の奥に引きこもり外出する時には全身を覆い隠すような衣装を強要するイスラムの習慣は、自由な私達の社会から見れば男尊女卑としか思えない。まぁ彼らから言わせれば余計なお世話かもしれないが・・・
免税売店で買った日本酒4合瓶をデンと置いた

 ディナーのメニューは「牛丼」「チキン唐揚げ」「白身魚のポアレ」の三種類からのチョイスだ、私は白身魚のポアレを選ぶことにした。
 私はディナーを置くテーブルスペースを空けるため、すでに空になった魚缶とワイン瓶を下げてくれるよう乗務員に渡した。
 そして今度は免税売店の紙袋から日本酒の4合瓶を取り出すと、狭いテーブルの隅に置いた。男性乗務員がディナーをテーブルに置こうとして、デ〜ンと置かれた丸出しの日本酒大瓶を見るや、驚き目をむいた!酒を禁じられているイスラム教徒の彼等から見れば、私は許しがたい異教徒に違いない。先ほど斜め後ろの席で、私がテーブルに置いた魚缶とワイン瓶を見て驚いた表情をしていた中年カップルが、今度はで〜んと置かれた日本酒瓶を見て笑っているではないか。なんの!旅の恥はかき捨てだ。
軽食サービスはコンビニおにぎり

 サービスディナーは満腹感もあり味もいまいちで、ほとんど口をつけず残してしまった。
 ディナーと晩酌を終え、眠りに入ろうとしたが、窮屈な座席にリクライニングも故障しており、なかなか眠れない。そのうち座席の薄いクッションシートが骨盤に当たり尻が痛くなってきた。
 男の尻の肉は女性と違い肉付きが薄い。さらに私の場合、老化現象とダイエットで尻の肉は削げ落ち、骨盤が浮き出している状態である。風呂の鏡で見ると実に貧弱な尻なのだ。我慢できず立ったり座ったり、機内をウロチョロする辛くて長い夜が始まった。
 ちなみにカイロに着くまで食事サービスは、ディナー以外にコンビニエンス用おにぎり1個と朝食のサービスが出たが、結局コンビニおにぎりが一番美味かった。

フライト時間13時間、やっとエジプトに着いた!

カイロ空港での一コマ

疲れてぐったり、なかなか出てこぬトランクにイラつく
 一睡もできず辛く長い時間、まだかまだかと立ったり座ったり、時計ばかり見ることを繰り返しいるうちに、なんとかカイロ空港に着いた。予定より30分ほど早く13時間余りのフライトだった。
 疲労感がどっと襲う!本当に辛い時間だった。時刻は早朝の5時10分で窓の外はまだ真っ暗だ。
 空港内の長い通路を歩き、エジプトビザ取得を済ませると、両替所で米ドル50ドルを現地通貨のエジプトポンドに両替する(1ポンド=約16円)ことにした。現地通貨はトイレのチップやミネラルウォーターの購入などにすぐに必要となるのだ。
 なかなか出て来ぬ荷物を待つ間に全員で記念写真、最後尾中央にひかえめに立つのが私

 スムーズに入国審査を終わらせ、荷物受取のターンテーブルに行くも、ターンテーブルが動いていないではないか。着陸してからすでに1時間が経過しようとしており、本来ならとっくにターンテーブルが回ってていいはずだ。長い時間待たされやっと旅行ケースが出てきた

 イライラして待っていると、別な便で到着したイスラム教徒の男が、玄関マットほどの敷物を通路に広げると、その上にひざまずきブツブツ言いながら何と!礼拝を始めたではないか!
周りに大勢の乗降客がいようが一切関係なしだ。
まさか荷物がなかなか出てこないのは空港従業までもが、仕事を中断し礼拝をしているからなのか?疑いたくなる。
そうだとしたら冗談じゃない!
勘弁してほしい。
 イスラム教徒は一日に5回の礼拝が義務だという。今の時間は夜明けの前、第1回目の祈りの時間帯なのだろうか?・・・

 長時間待たされ、やっとターンテーブルが回りだした。旅行ケースを取り出しゲートを出ると、これから旅の最終日カイロ空港出立まで、11日間ずっと行動を共にしてくれる現地日本語ガイドと、そのアシスタントが出迎えてくれた。
私達がこれから使う大型バス、一人2座席独占
 彼らに先導され空港の玄関を出ると44名乗り西ドイツ製大型バスがすでに待機してる。時刻は間もなく午前7時になろうとしておりすっかり夜が明けている。
すでに到着してから2時間近くが経過したことになる。
 私達20名は出立前、札幌の結団式で5名一組でA〜Dまでの4つの班をつくってきている。移動時の集合確認やバスの座席移動のローテーションを班単位で行なうのである。私はB班の班長だ。
 バスの座席は公平を期すため今日から毎日、前方席からABCD班の順番に移動していくのだ。旅の期間中ずっとこの種の大型バスである。私達乗客1名で2座席占有できるので、疲れにくく快適なバスの旅になりそうだ。

車窓から見るカイロの街はゴミだらけ

 午前7時きっかりバスはカイロ郊外にある「サッカーラ」へ向け走り出した。車窓から見るカイロの街は晴れているのにどんより靄がかかった状態でスモッグのようだ。日干しレンガとコンクリートの低層住宅が続く街並みは、何か色が抜け落ちたようなモノトーンの世界が広がっている。どこもゴミだらけ、廃墟みたいな家には人が住む

 車内マイクで現地ガイドの自己紹介が始まった。名前は「タレク」という40歳代半ばとおぼしき大柄な男性で、日本語、英語、ポーランド語のガイド資格を持っており外国語ガイドではエジプトではピカイチらしい。
今後、旅の期間中彼は自分のことを日本語の発音が似ている「太郎」と呼んでくれと言っている。(今後彼のことを太郎ガイドとよぶ)
 この太郎ガイドは早稲田大学の吉村作治教授の遺跡発掘プロジェクトに2年前から参加していて、来月からまた吉村先生と一緒に仕事するらしい。
ゴミ捨て場ではない、どこもかしこもこんな調子

 彼の自己紹介をうわの空で聞きつつ、車窓から首都カイロの街並みを眺めていると、いたるところゴミだらけである。半端なもんじゃない。道路の両端、川の両岸、空き地、どこもかしこもゴミの山が延々と続いている。
 交差点では午前7時になったばかりの早朝で、まだ通勤ラッシュ時間帯でもないのに、すでにあちことで交通渋滞まで始まっている。信号の設置数が少なく、あっても人車も誰も守ろうとしない。
 横断歩道もあっても意味が無いようだ。歩行者はどこであろうが猛スピードで車が行き交う道路をスイスイ車を避けながら横断していく。見事な名人芸に感嘆するばかりだ。それにしてもこのゴミの山、観光立国なのなに、これが国を代表する首都なのか。

悠久5000年古代文明の歴史遺産

サッカーラのジョセル王のピラミッドコンプレックス

なつめヤシが茂るサッカーラのオアシス
 バスが走り出して1時間弱、車窓からはカイロ郊外にある「世界遺産ギザの三大ピラミッド」が、かすかに遠望できるようになってきた。(ギザのピラミッドは旅の最終段階でカイロに戻って来てから観光する)
 やがてギザの南10Kmの砂漠地帯になつめヤシが茂るオアシスにあるサッカーラに着いた。ここでエジプト入国一番最初の観光となるピラミッドを見学するのである。
 このピラミッドはエジプトでピラミッド建設の第一歩をしるしたといわれる古王国時代第3王朝(4700年前)ジョセル王が造った「階段ピラミッド」で有名なところなのだ。
サッカーラのピラミッドコンプレックス(複合建築)

 約東西300m南北500mの周壁に囲まれ、崩れかけた階段ピラミッドを中心に「セド祭殿」「葬祭殿」といった建物や「マスタバ墳」などが残っておりピラミッド単体だけではなく様々な建築物とが一体となったピラミッドコンプレックス(複合建築)を構成しているのである。
 私達はまず入り口の建物で模型を使ったピラミッドコンプレックスの仕組みの説明をうけると、完成して間もないイムホテプ博物館に入った。
旅仲間のMさんと、日差しがきついのでサングラスは必需品

 ここサッカーラの階段ピラミッドを造ったのは、当時の宰相であったイムホテプで、それまで日干しレンガや木材が主体だった古代建築が彼の登場とともに、巨大な石材が使われるようになったのだ。そんな天才建築家名を冠した博物館には、まつげや爪まで鮮明なミイラを見ることができた。

エジプト最初のピラミッド、階段ピラミッド

ピラミッドコンプレックスに入るため遊歩道を進む

 私達は博物館を出ると史上初のピラミッドとも言われ、その建設方式や宗教的理念はエジプト社会に大きな影響を与えたといわれる「階段ピラミッド」の方へ延びる歩道を歩きだした。
 するとさっそく物売りが群がってきた。すぐ日本人と見抜き、なかには「ヤマモトヤマ!ヤマモトヤマ!(山本山?)」「ヘイカ!ヘイカ!(陛下?)と呼びかけてくるヤツまでいる。だれだ!こんなくだらない日本語を教えたヤツは! 
巨大な列柱を抜けると中庭でピラミッドが見える

 歩道を進むと、道を塞ぐように建つ建築物がある。その周壁に1ヶ所だけある入り口からなかに入っていくと、2列20本の石柱が並ぶ巨大な柱廊があった。
紀元前3800年頃の原始王朝時代(下エジプト、上エジプト時代)に42の村落共同体ノモスに捧げられた列柱だ。 
 石柱を見上げるようにして通り抜けると広々とした中庭に出た。北側にはデ〜ンとエジプト最初のピラミッドとされる階段ピラミッドがそびえ建っている。4700年間も熱風砂に耐えてきたその巨大な姿はさすがに感動覚える。しかし残念なことに損傷が激しく修理中の姿は痛ましいばかりだ。マスタバ墳を6重に積み重ねた階段ピラミッド


 6重の段階状になったこのピラミッドは、高さ60m、基底部140m×128mと、世界遺産ギザのピラミッドよりは小ぶりだが、マスタバ墓を6段も積み重ねたその形状は独特なものだ。
(注マスタバ墓とは)古代エジプト時代の早い時期に、多数建造された墓廟(平屋根で概ね直方体)建造物のタイプを指す墳墓。
 中庭の東側には王の小館と呼ばれる建物、その裏側がセド祭の中庭や南の家と呼ばれる建物などがあり、これら葬祭殿やピラミッドを結ぶ7000mもの地下道があり、現在も発掘中とのことだ。

マスタバ墳の彩色壁画(レリーフ)

 太郎ガイド(現地エジプト人)が懇切丁寧に遺跡のガイドをしてくれるなか、広大なピラミッドコンプレックスをじっくり見てあるく。だんだん日差しが強くなり肌を射す。じわじわ汗がにじみ出てくるようになってきた。ここはやっぱりアフリカなのだ。墓室の壁面は当時の生活が詳細に描かれている

 この階段ピラミッドの北側には多数のマスタバ古墳があり、あちこちの墳墓で現地人が発掘作業をしている。なかには早稲田大学の芸能人教授吉村氏が発掘中の現場もあった。
 これらマスタバ墳の美しい彩色壁画が描かれたいくつかの内部を見学することができる(有料)。
 墓室の仲に入っていくと、壁面を埋め尽くすように描かれた浮き彫りのレリーフには、当時の生活様式が詳細に描かれておりとても興味深く見学できた。それにしても5000年近くもの昔に、これほど芸術性の高い壁画を描く人々がいたことに感嘆するばかりだ。

ダハシュールの赤のピラミッドと屈折ピラミッド

ピラミッドの失敗作?屈折ピラミッド

サッカーラのピラミッドコンプレックスの見学を終えると、次の観光地へとバスは走り出した。
30分ほどで荒涼たる砂漠のダハシュールに着いた。ここダハシュールにはギザの三大ピラミッドでクフ王のピラミッドを建てた「クフ王の父」スネフェル王が建てた2基のピラミッドがあるのだ。
 マイナーな観光地なのだろうか?私達日本人グループ以外ほとんど観光客を見かけない。遺跡の周囲には施設類は何も無く、荒涼たる砂漠に「屈折ピラミッド」と「赤のピラミッド」とがポツンと建っている。
赤のピラミッド、玄室に入る穴が見える

 駐車場から砂漠に足を踏み入れると彼方に「屈折ピラミッド」が見える。今から4600年ほど前のもので1辺の長さ189m、高さ105mの規模。基底部から中央部までは、54度の勾配で、そこから上の部分は43度と傾斜が緩やかになっていることから屈折ピラミッドと呼ばれているのだ。
 なぜ屈折しているのかというと、石を積み上げていく過程で、角度が急勾配過ぎて石の重量を支えきれず、崩れかけたからと推測されている。
当時はこれらピラミッドのすぐそばまでナイル川が流れており、石を運び上げた船着き場跡も砂に埋もれかけ残っていた。

赤のピラミッド

赤のピラミッド、基底部に立つとさすがに大きい
 砂漠の駐車場のすぐそばには「赤のピラミッド」がある。これも屈折ピラミッド同様、4600年前にスネフェル王が建てたもので、1辺の長さ219m、高さ105mあり、断面が二等辺三角形の真正ピラミッドとしては最古のものとして有名だ。鉄分が多い赤みを帯びた石灰岩を使っていることから「赤のピラミッド」と呼ばれている。
 屈折ピラミッドの失敗を活かし傾斜をなだらかにして、より安定性を重視したといわれている。砂に埋もれかけたピラミッドの基底部に立ち上部を見上げると、覆いかぶさってくるような迫力は圧巻である。
 基底部から三分の一ぐらいのところにぽっかり口を開けている箇所がある。盗掘跡から玄室まで入っていけるらしい。玄室までの階段はかなり急なので、私達は下から見上げるだけで中には入らず、外から写真を撮りまくった。汗がにじみ出てくる!とっくに気温は30度を越えたに違いない。

今日の観光は終えた、ナイル川沿いをバスで南下

ランチはビールで乾杯

 ダハシュールでの観光を終えると、エジプト初日の観光は全て終わった。時刻は午前11時半になろうとしている。これからサッカーラの町へ戻り、レストランで昼食を済ませ、明日の観光の起点となるミニヤの町への長距離移動である。レストランの入り口でパンを焼いている

 バスは街はずれのレストラン前に停まった。レストランといってもバラックのような建物でプラスチック屋根で壁のない粗末なものである。
 バスから降りると従業員だろうか?笛と太鼓で賑やかに歓迎して迎え入れてくれた。
 レストランの入り口近くに大きな窯があり、そこで中年女性がナンを焼いている。私達が物珍しくカメラを向けると最初ははにかんでいたが、そのうちポーズをつり笑顔で応えてくれる。これからこの焼き上がったばかりのナンを我々に出してくれるのだろうか?楽しみだ。

 すでに用意されていたテーブルに着くと、待ちかねていたように一斉にビールの注文をする。テーブルの上に予想に反してギッチリ冷えたビールがずらりと置かれた。互いにコップに注ぎ合い、まずは無事にエジプト入国を記念しての乾杯でランチが始まった。
 全員がコップを持ち挙げカンパ〜イの大声を出すと、酒を飲まない男ばかりの従業員(イスラム教徒は酒を禁じられている)がびっくりしている。我々20名の旅仲間のうち13名が女性である。その女性の大半がビール片手に大声をあげるのだから、女性差別の激しいイスラム教徒の彼等から見れば、とんでもない異教徒の奴等だと映ったに違いない。
ビールがきっちり冷えていた、料理は不味かった

 メニューは焼き肉料理のケバブ、ハト料理、ゴマのペースト、窯で焼かれたナン、味付け炒めご飯が次々と運ばれてきた。
 私は肉類が苦手で一切食べれないので、出された料理から穀物ばかり「ナン」と「ゴマペースト」に国民食のコシャリ(炒めご飯みたいなもの)を食べてみた。
 すると何とも素っ気ない味で、塩っけがまるっきりないではないか。不味くはないが美味くないのである!

 これが初めて口にするエジプト料理の味なのか?!隣に座ったO氏も私と同じように感じたようで、卓上に置かれた塩瓶を取り上げ料理にふりかけているではないか。味付けは自分の好みに合わせて自分でせよということなのか???出された料理が口に合わずビールばかり飲む

 店頭の窯で焼き上げられたばかりのナン(パン)も、期待はずれであった。不味くはないのだが、美味くないのである。塩っけが無くモソモソしておりモチッとした食感がないのだ。パンにまで塩をふりかけて食べることにした。

 昨年のトルコ旅行では行く先々のパンがとても美味しかっただけに、同じイスラム国の兄弟国なので楽しみにしていたのだが、がっかりだ。(食感はあくまでも私個人の主観的感想です。)
 結局ビールばかり飲むはめとなった。ところがこのビールの値段が意外と高い。中瓶が1本6米ドル(約500円)と日本並みにするのだ。
日本の物価に比べ五分の一程度のエジプトにとって日本円の500円は2500円ほどに相当するはずだ。 酒を飲むのは異教徒の外国人観光客が中心なので、ぼったくり価格にしているのだろうか?ビール好きの私にとってこの値段は少々痛いところだ。

何と!砂漠道路でタイヤがパンクした

 ランチを終えると、今夜の宿泊地で明日の観光の起点となるミニヤの町までバス移動である。このサッカーラの町からは二百数十kmあまりの距離で、時間にして3時間半あまり。ほろ酔い機嫌の私達を乗せバスは砂漠道路を走り出した。意外と快適なナイル川に沿って走る砂漠道路

 予想に反して舗装された快適な道が続く。しかしスピード違反が出せないようになっている。1〜2Km間隔ごとに道路に小さな段差が設けられていて、段差のたびにスピードを落としガタンと乗り越えねばならないのだ。スピードがのってくるとブレーキを踏むを繰り返しながらバスは走る。

 しばらく走るとベニスェーブという町で武装警官が護衛につくことになった。
5名ばかりの小銃をもった警官がおんぼろトラックの荷台に乗り込むと、バスの前方を誘導するように走っていく。何しろこれから向かっていくエジプト内陸部はイスラム原理主義過激派が多く住む危険地帯なのである。バスの前方を武装警官を乗せたトラックに守られ走る

 これから私たちが2日後に訪れる予定の有名な観光地ルクソールで、10年ほど前にエジプイスラム原理主義過激派の「イスラム集団」が外国人観光客に対し無差別殺傷テロを行ったことがあるのだ。
 このテロにより日本人10名を含む外国人観光客61名とエジプト人警察官2名の合わせて63名が死亡、85名が負傷し、世界中を震撼させた事件の発祥地なのだ。
 観光と農業だけが唯一の国家収入に頼っているこのエジプトは、この事件で外国人観光客が激減し、大きなダメージを受けたことから、警察を増やし国中に配置するとともに、特に異教徒の外国人観光客には護衛を付けるようになったのだ。
銃声のような音がしてパンクした!小銃を持った警官

 バスはひたすら砂漠の道を走る。ランチのビールと旅の疲れもあり、冷房の利いた車内でウトウトしていると、突然バ〜ンと大きな音がするとガタガタ車体がゆれだした。
一瞬過激派テロでも起きたかと思ったが、運転手が降りて調べると後輪がパンクだという。
 路上でタイヤ交換作業を始めたがバス前部にある交換用のタイヤがはずれない。時間がどんどん経過する。待つこと1時間やっと出発となった。
 走ること4時間半、やっとナイル川中流域人口20万人ほどの地方都市「ミニヤ」の町に着いた。時刻は午後5時40分になっていた。

今日の宿泊地ミニヤの町に着いた

走ること4時間半やっとミニヤの街に入った
 ホテルにチェックインを済ませると休息の間もなくホテルのレストランで夕食となった。
 なにはともあれビールで乾杯し夕食が始まったが盛り上がらない。ランチでは賑やかだったのに会話が弾まない。
皆メチャ疲れているのだ。早朝5時10分にカイロ空港に着いて、このミニヤのホテルにチェックインするまで、12時間以上も観光しながらバスにゆられてきたのである。さすがに疲れて声も出ない。意気上がらぬまま夕食を終え皆部屋へ引きあげていく。
明日は5時45分モーニングコールで7時半出発で、かなりの強行軍である。
 荷物を整理しシャワーを浴び、日本から持ってきた焼酎を一杯やると、早々にベットインすることにした。夜8時半、街なかのスピーカーがアザーン(イスラム教徒への礼拝の呼びかけ)をがなりたてている。イスラム教徒1日5回の礼拝義務の、きょうの最後となる5回目の礼拝の呼び掛けなのだ。
室内にまでスピーカーの大音声が入り込み、疲れた体の眠りの邪魔をする。明日は早い出立なのに・・・

危ないナイル川中流域、警護車の先導でバスは走る!ベニ・ハサンの岩窟墳墓群へつづく