旅の最終日 カイロ市内観光〜帰国の途へ
帰国当日カイロの朝、ホテル周辺の散策
ホテルの部屋の窓から灰色に煙るカイロの朝
エジプトの旅も今日で12日目、とうとう旅の終わり、帰国当日の朝がやってきた。いま私が宿泊している場所はカイロの中心部、あの民主化革命の発火点となったタフリール広場を目の前にするヒルトンホテルである。旅の最終日の行動スケジュールは以下の通りだ。
午前11時にホテルロビー集合し出発〜「要塞とムハンマド・アリ・モスクの見学」〜昼食〜「エジプト考古学博物館の見学」〜夕食〜カイロ空港え移動、23時09分発エジプト航空関西空港便への搭乗し帰国の途へとなっている。
ホテルの裏手を流れるナイル川
帰国便が深夜発ということで、その分ホテル出発が昼近い11時なので、ゆっくり午前6時に起床するとシャワーを浴びその後、荷物の詰め替え作業をすることにした。機内預けの旅行ケースは重量制限20kgまでとなっている。重い荷物はトランクケースから、重量制限がない機内持ち込みするリュックサックに移し替えることにした。さらに日本から持ち込んで残ったインスタント食品は全てビニール袋に入れ、旅の初日から今日までずっと私達に同行したエジプト人の太郎ガイドにプレゼントすることにした。
ナイル川に架かる橋の上で
荷物整理を終え、レストランでゆっくり朝食を済ませたが、まだ11時の出発までたっぷり時間があるので、相部屋のO氏とホテル周辺を散策することにした。
ホテルの玄関を出て裏手に歩いていくと、ナイル川が流れ橋が架かっているのが見える。そこでまずナイル川を背景に橋の上で記念写真を撮ることにする。
橋に行くためには大通りを横断せねばならないのだが、これがとんでもなく一苦労になってしまった。早朝のホテル周辺での一コマ
何しろ市中心部の交通量の激しい大通りなのに横断歩道も信号機もないのである。
車の行き来が途絶えた瞬間を狙って横断しようとするのだが、朝のラッシュ時で車が途切れない。
狙いすまして通りに足を踏み出すのだが、数歩進んだところであわてて引き返すことを何度も繰り返し、いつまで待っても渡ることができない始末。
それに対し現地エジプト人は車と車のあいだを平然と渡っていくではないか。意を決すると、横断し始めたエジプト人の後ろに続いて通りに飛び込んだ。何とか冷や汗もので通りを横断すると、ナイル川の橋の上に出ることができた。
カイロの裏通り、立ち食いの貧しい朝食の光景
裏通りに入ると道端に食べ物の露店がずらりと並び、現地人が朝食の真っ最中で、終戦直後の日本のような貧しい光景が目に入ってくる。ホテル近郊をぐるっとひと回りしながら朝のカイロ市内を散策してホテルに戻ると、ちょうどよい出発の時間となった。
リュックを背負ってロビーに降りていくと、みやげ物がいっぱい入った手荷物を持った旅仲間がロビーにたむろしている。
皆バザール散策時や昨日のスーパーマーケットで買ったモノだ。ロビーの一角に置かれているテーブルの上に、旅仲間が使い残した日用品やインスタント食品が山盛りに置かれている。帰国にあたり土産品で増えたトランクケースを少しでも軽くするため、太郎ガイドにプレゼントとして置いていく品々だ。これを見て太郎ガイドが「私も家族も日本食が大好きです!」と大喜びしているではないか。
最終日の観光に出発する前のホテルロビーにて
またしても交通渋滞!
午前11時バスは帰国当日最初の観光となる「ムハンマド・アリ・モスク」へ向けホテルを出発した。ナイル川下流の肥沃なデルタに広がるカイロの街は、人口1200万人が暮らし幾つものエリアに分かれている超過密都市だ。
バスは市内中心部の一角を占めるイスラーム地区の南側に出るべく走っていくのだが交通渋滞に巻き込まれストップしまった。
バスの前後左右を世界各国の乗用車が取り囲んでいる。その車種や半端なものじゃない!まるで自動車の博覧会みたいである。世界各国の車で溢れるカイロ市内、韓国車が多い
太郎ガイドにエジプトではどの車種が人気があるのか聞いてみた。すると、高級車では「ベンツ、BMW」のドイツ車、中級車では「トヨタ、ニッサン」の日本車、大衆車では「ヒュンダイ」の韓国車だというではないか。昨年のトルコ旅行でも走っている乗用車は日本車よりも韓国車のほうが多かったが、確かにここカイロでも走っている台数は日本車よりも韓国車が多い。着実に韓国勢が世界市場でシェアーを伸ばしているのを目のあたりにする。
日本製品の国際競争力低下
話が脱線するが、日本国民として気にかかることがある。いま話題の「環太平洋連携協定(TPP)」や「自由貿易協定(FTA)」についてだ。戦後、日本の経済成長と繁栄を支えてきた原動力は製造業であった。かって世界の工場として日本の工業製品が世界市場を席巻した時期があった。ところが今や、日本の花形輸出品であった「造船、家電、液晶製品、半導体、携帯電話」などは世界市場シェアー第一位の座を完全に韓国に奪われてしまった。この10年で日本製品は着実に国際競争力を低下させているのだ。このままではやがて金科玉条である自動車産業ですら二の舞になるのではと危惧する。
世界市場における日本製品の地盤低下をよそに、追い打ちを掛けるように韓国はいま、世界各国と自由貿易協定(FTA)を締結し、更なる輸出の拡大に国を挙げて取り組んでいる。日本と同様、国土が狭く資源が無いのだから当然といえる。日本が国内農業保護に縛られ、自由貿易協定締結の賛否で国論が分かれ、締結を躊躇しているうちに中国や韓国は着実に日本製品のシェアーを奪っているのだ。ちなみに日本の国内総生産(GDP)に占める農業の割合は2%に満たない!その中心となす「米」だって水田面積の40%は減反し、その補償に2000億円もの税金使っているのである。
日本は貿易立国である。農業立国ではない!戦後一貫して加工貿易産業でもって、世界が驚くほどの経済成長と繁栄を成し遂げてきた。車窓からはローマ帝国時代の水道橋が見える
世界の主要国と自由貿易協定を締結しなければ、日本の製造業は世界市場から締め出され壊滅的打撃を受けることだろう。繁栄の源だった製造業が消えていき、雇用機会が益々失われ、益々不景気になっていくことを危惧する。何とか国内世論をまとめ、自由貿易協定を締結し経済大国として繁栄を維持してほしいと願っているのだが、はたしてどうなるやら・・・話が脱線した!もとへ!
歴代イスラム王朝のシタデル(城塞)
車窓の前方にシタデル(城塞)が見えてきた
渋滞にはまり30分ほど経過したがバスは遅々として進まない。仕切り直しをすることにしてバスは出発地のホテル前まで戻ると、目的のムハンマド・アリ・モスクとは逆方向の道路を走りだした。カイロ中心部を大きく迂回し、郊外に出るとやがて車窓の右手にローマ帝国時代の水道橋が見えてきた。ローマ帝国の土木技術に圧倒される。凄いものだ!
普通なら10分で走る距離を1時間もかけイスラーム地区の南側に出ると、やがて車窓前方の小高い丘に城塞(シタデル)が見えてきた。10世紀〜12世紀にかけエジプトを支配したシーア派の一派であるイスラム王朝(ファーティマ王朝)の軍最高司令官だったサラディンが1169年、王朝の実権を奪い自分がスルタンとなったアイユーブ朝を創設した。いま車窓の前方に見えるモカッタムの丘に建つシタデルは、この王朝の創設者サラディンがヨーロッパからの十字軍を阻止するために建設した城塞なのである。この城塞の中にムハンマド・アリ・モスクがある
そのサラディーンの死後も建設が続けられ、堅個な城塞とカイロ市内を一望できる立地条件の良さから、アイユーブ朝滅亡後も歴代王朝に引き継がれ、イギリス統治時代まで城塞兼居住スペースとしてエジプト支配の中枢として使用されたのである。
そのようなことから、このシタデルには軍事博物館、ムハンマド・アリ・モスク、をはじめ、歴代イスラム王朝時代の建物や、城壁から延びる何本もの尖塔、英国支配時代の牢獄などが残っているのだ。私達は帰国当日となる最初の観光をこのシタデルから始めるのだ。
先生に引率された小学生の社会見学か?
駐車場からなだらかな坂道を進み城内に入ると、カラフルな衣装を着た小学生の集団がおり教師らしき人物とゾロゾロ歩んでいる。学校の社会科参観コースなのだろうか?賑やかに歩いている子供達を追い越し城内奥へと進んでいくと、今度は高校生らしき女子学生の集団が前方からやってくるではないか。
かって日本では「男女七歳にして席を同じゅうせず」という言葉があったが、エジプトは現在も小学生といえども男女共学は禁止という、わけのわからない国である。当然のごとく女子高生集団の中に男子学生は一人もいない。どこの国でも女子高生はオシャレだ
彼女達も学校授業の一環でここに来たのだろうか?
それにしても一人ひとりがカラフルなデザインの衣装を着て実にオシャレだ。顔立ちも彫りが深く目もとパッチリでなかなか美人である。これがもう少しすると全身カラス衣装で身を隠すようになるのだから惜しいことだ。 20名もの日本人ジジババ集団が全員カメラを持ち歩く姿を見て興味深々だ。私達がカメラで写そうとすると、一瞬ギョとした表情をするがすぐ明るい笑顔を返してくれる。なかにはポーズまでつける子までいる。
ムハンマド・アリ・モスク
ソマリン・パシャ・モスクの精巧なモザイク
最初の見学はソマリン・パシャ・モスクから始まった。カイロで最初の大きなドームを持ったトルコのオスマン朝様式の美しいモスクだ。インドをはじめ様々な国から奴隷としてつれてこられた人々の技術が建物のいたるところに残っている。特にイスラム特有のアラベスク文様の美しいモザイクは印象的だ。
次は軍事博物館への入り口である城門を横切り、イギリス統治時代の刑務所の石牢などを見学するとカイロのランドマークともいえる「ムハンマド・アリ・モスク」の見学である。
ビザンチン様式のムハンマド・アリ・モスク
1857年に完成されたビザンチン(オスマン・トルコ)様式のモスクで、イスタンブールにあるモスクのモスクを真似て造ったとされ、いくつもの巨大なドームと鉛筆形の高い尖塔が聳えている。これまでエジプト各地で見えたほかのモスクには見られない特徴を持っている。
靴を脱ぎドームの中に入っていくと、床には真っ赤な絨毯が敷かれ白大理石の内装がひときわ豪華だ。高い天井からは大きなシャンデリアとたくさんのランプが吊るされ、それをとりまくステンドグラスが荘厳な雰囲気をかもし出している。
赤絨毯に天井からは大きなシャンデリアが下がる
私達は赤絨毯の床に太郎ガイドを取り囲むように車座になって座った。説明を聞きながらドーム天井を見上げると、その金モザイクのきらびやかさは説明がむずかしいほどで、まさに圧巻である。しかし祈りの場所といえばキリスト教の教会や仏教寺院を見慣れてきた私達にとって、イスラムのモスク、何か物足りなく殺風景な感じがする。祈りの対象となる神々や聖人の像、あるいは絵画などのたぐいが全く無いのである。豪華で荘厳さに溢れているのだが、ガラ〜ンとしている。きらびやかな金モザイクのドーム天井
昼食は中華料理
シタデルの見学を終えるころには、すでに14時近くになろうとしている。
遅めの昼食は郊外の美術大学の向かいにある中華レストランでエジプトで初めて食べる中華料理となった。
薄暗い店内に入っていくと、客は私達日本人だけである。玉子スープ、春巻き、白身魚のあんかけ、焼きそば、等々が次々と出てきた。エジプトでの中華料理である、あまり期待せずに箸を付けてみると、これが抜群に美味いのである。開口一番、皆が一斉に「美味しい!」抜群の味で大満足の中華ランチだった
と言うではないか。
出された料理をほとんど残すことなく食べきるほど大満足のしたランチとなった。聞くと、このレストラン経営者はエジプト人だがコックは中国人だということだった。
歴代ファラオの財宝が
展示される
エジプト考古学博物館
帰国日最後の観光は、カイロの中心、エジプト騒乱の発火点となったタフリール広場の一角にあるあのツタンカーメン王の秘宝が展示されている博物館である。今回の旅で訪れた各地の遺跡から発掘された12万点にものぼるコレクションがこの博物館に眠っているのだ。館内にはカメラの持ち込み禁止ということで、ゲートでカメラを預けると薄暗い館内に足を踏み入れた。ムハンマド・アリ・モスク前にて
先史時代から古代エジプト王朝の遺品で文字通り館内が埋め尽くされている。あまりにも膨大な収蔵品のため分類整理ができておらず、部屋の隅に積み上げられているものもあり、まるで巨大な倉庫に入ったようだ。
2階に上がり、ワニ、猫、サル等の動物のミイラの部屋、そして王家の谷のツタンカーメン王の墓から発掘された膨大な数の秘宝の見学と、次から次へと各部屋を移動して行く。
4200年前の神官や支配者の像、歴代ファラオの像、ロゼッタストーン(本物は大英博物館)など歴史的価値の高いさまざまな展示物を見学したのだが、あまりにも多く見たため何が何だかわからないほどだ。
帰国後、メモ帳とカメラの画像を交互にチェックして記憶をたどりながら、この旅行記を記述しているのだが、写真撮影禁止のためこの博物館では記憶をたどることができず詳細に記述できなのが残念だ。
カイロ観光のハイライト、エジプト考古学博物館
博物館で記憶に残っているといえば、館内が暑苦しく(冷房なし)、薄暗く(天井の蛍光灯が黒ずみ照明があちこち切れている)、展示物のガラスケースがほこりと指紋など手油で汚れ、ケースの展示物がよく見えなかったことだ。館内の清掃やメンテナンスが、ほとんどほったらかしのところが、いかにもエジプトらしい。
ひと通り見学を終えるころ、太郎ガイドがオプション料金20ドルでファラオのミイラの見学を募ったが、旅仲間の誰ひとり手を挙げる者がおらず、考古学博物館の見学を終えた。
カイロ空港の出国検査官、まさかのショックな光景
考古学博物館のツタンカーメン
の黄金のマスク(借用画像)
レストランで夕食を済ませると、カイロ空港23時発関西空港行きの便の搭乗するため、カイロ空港に向かう。20時を少々過ぎたころ空港に着き、それぞれ各自で登場手続きカウンターで搭乗券と手荷物を預けると、出国手続きの最終段階である出国ゲートにパスポートを持って並んだ。
10ほどのゲートが並んでおり、どのゲートも20名ぐらいが列を作っている。すると私が並んだ列の前方に、あの全身真っ黒け、目だけ出したカラス頭巾の女性と、彼女の子供らしい幼子5名が並んでいるではないか!
それを見て、出国検査官の前でパスポートの写真と人物照合するため黒覆面を脱ぐはずだ!すると素顔が見れるかもしれぬと興味が湧いた!
めったにお目にかかれないチャンスがやってきた! 興味深々、どうなるかじっと見ていると、やがて彼女の順番がやってきた。彼女がパスポートを出国検査官の前に出した。すると何と!衝撃的な光景が目に飛び込んできた!何と、検査官顔を確認せず、いとも簡単にパスポートにスタンプを押すや通過させてしまったではないか!女は黒覆面を脱がず平然としている。全身真っ黒け、こんな容姿の
の女が出国ゲートに並んだ!
(これは別な場所での画像です)
唖然とした!とんでもないことに検査官はパスポートの顔写真と本人確認しないのである。これでは検査にならないではないか!黒覆面していれば指名手配者やテロリストなど誰でも素通りできるではないか。
恐ろしい光景を見てしまった!イスラム過激派のテロリストがカラス衣装と覆面姿をしていれば、パスポートとの顔写真照合をしないので、他人のパスポートでも出国して航空機に乗り込めることになる。エジプト発の航空機はセキュリティがないのだ。いやはや、まったくいい加減な国だ。もう二度とカイロ空港での航空機には乗らないことにしよう!テロリストと同乗することになったら大変だ!。
衝撃的な光景を見てショックを受けつつ、無事に出国ゲートを抜けた。23時の定刻エジプト航空は関西空港にむけ飛び立った。ざっと機内を見まわすと、日本発の便のときと同様ほぼ満席近い搭乗率で、その95%が日本人乗客である。まるで日本人専用の貸し切り便みたいだ。それなのにこの便は韓国のアシアナ航空との共同運航便だという。いまや日本の航空機は世界の空の主要路線を維持できていないのだ。
関西空港近くのホテルで安着祝いの宴会
関西空港到着は日本時間の17時半到着で、所要時間は約12時間の予定である。関西空港に着くと空港近くのホテルに宿泊して、明朝一番で札幌行きの便に搭乗することになっている。
そのホテルでは無事日本への帰着を祝って最後の宴会をするべく、すでに日本食のバイキングと宴会場を予約してあるのだ。
狭い機内で日本到着までの辛く長い12時間が始まった!アルコールのサービスがない機内で飲むべく、免税売店で買ったウィスキー瓶を取り出すとチビチビ飲みながら眠りにつくことにした。
エジプト縦断旅行記・ナイルを行く終わり