旅の11日目 カイロ近郊とギザのピラミッド
カイロの朝
ホテルの部屋の窓から眺めたカイロ市内
エジプトの旅11日目の朝をむかえた。モーニングコールはまだ鳴らないが、起床することにした。暗闇のなかで枕元の時計をみるとまだ午前4時半である。隣のベットで寝ている旅仲間のO氏も寝息をたてていないので、おそらく目覚めているに違いない。
連日の早朝出立にともなう早起きで、すっかり身体がこの時間帯になると目が覚めてしまうようになってしまった。
ここはカイロの中心部、あのエジプト騒乱でデモ隊の根拠地となったタフリ−ル広場のすぐ近くに立地する「ラムセス・ヒルトン」ホテルの23階の一室である。771室もある高層ホテルでカイロ市内のどこからでも目立つ建物で、日本人観光客の宿泊も多く、日本人スタッフも常駐しているらしい。
今日はエジプト旅行最大のハイライトである「ギザの三大ピラミッド」を観光する日になっている。ヒルトンホテルの朝食会場、パンコーナー
ちなみに今日のスケジュールは次の通りだ。7時半ホテル出発〜「ラムセス2世の巨像」〜「ギザの三大ピラミッド」、「太陽の船博物館」「河岸神殿とスフィンクス」〜昼食〜「カイロ市内でスーパーマーケット体験」〜「エジプシャン料理店での夕食」である。
出発準備を整え、高層階の部屋の窓から外を見ると、やっと明るくなりだしたエジプトの街が一望できる。街全体がスモッグで灰色にけむりモノトーンの世界だ。
朝食会場のレストランに行くことにした。巨大なレストランの中央にブッフェスタイルで、さまざま料理がところせましと並んでおり、ベーカリーコーナーだけでも、ちょっとしたパン屋なみの品揃えだ。日本人客が多く宿泊するので、米飯、味噌汁、豆腐、漬物、海苔なども並んでいる豪華さである。食べてみると残念ながら味は日本で食べる日本食とはほど遠いもので、一度食べたらもう結構というシロモノだった。まぁ日本から遠く離れた中東の砂漠の国で食べる日本食なので贅沢は言えないのだが・・・
朝のラッシュが始まったカイロ市内中心部
それにしても、旅の前半でも記述したが、とにかく全ての料理が味が薄い!皿に盛りつけた料理に、テーブルに置かれている食塩を、必ずといってよいほど振りかけながら、自分で好みの塩味にしなければ食べれたものでないのである。なぜこんなに味が薄いのか?酷暑で汗を多く流すので、身体は塩分を欲すると思うのだが不思議だ。反してデザート類は砂糖をタップリ使い、甘ったるくてしょうがないシロモノばかり。甘いもの好きで国民の多くが糖尿病というが、逆に塩分摂取量は少ないので高血圧症は少ないのかもしれない。
古王国の首都メンフィスへ
7時半バスはカイロ市内から南30qほどに位置するサッカーラ村の「メンフィス」へむけホテルを出発した。ここにはかの有名なラムセス2世の巨像があるのだ。
すでに交通渋滞が始まっている中心部を走り抜けると、街並みが途切れ車窓の外は、ナイル川デルタが生み出した肥沃な畑作地帯へと変った。
バスは基幹道路を逸れ、野菜畑の中に伸びる未舗装の農村道へと入っていく。通り過ぎる集落は朝の活動が始まり、路上で朝市や朝食の屋台などに住民が群がったりしている光景が次々と飛び込んでくる。通り過ぎる村では朝の活動が始まった
カイロ市内と同様、どこを見てもゴミが溢れ汚く貧しい集落ばかりだが、なぜか住民の表情は明るく生き生きと活動しているように見える。何ごともアラーの神の思し召しと思い、信仰の深さからくる精神的な豊かさなのか?
集落と生い茂るナツメヤシの葉のすき間から、崩れかけた日干しレンガのピラミッドが見えてきた。紀元前2000年頃、異民族の侵入による戦乱の中王国時代に造られたものだ。
どの村も貧しいがなぜか住民の表情は明るい
いまバスが向かっているメンフィスは紀元前3100年頃、ナルメル王によりナイル川のデルタ地帯の「下エジプト」と上流の「上エジプト」が統一された古王国時代に首都となり、数百年にわたり都として栄えたところである。
あのギザの三大ピラミッドの時代にはカイロ郊外のメンフィスに首都が置かれていたのである。その後、長い歴史を経て、紀元前1500年、新王国時代第18王朝以降になり、ナイル川上流域ルクソール近郊のテーベに都が移されると次第に衰退していった。その後グレコローマン時代になると、一時期勢いを取り戻したものの、7世紀に入りイスラム教が流入してくると、再び町は破壊され現在は廃墟となり、現在はカイロ近郊の一寒村になってしまったのだ。その一角に、一部であるが首都当時の遺跡が残っており、私達はそれを見学するのである。
メンフィス遺跡
古都メンフィスに鎮座するスフィンクス
農道を走ることしばらく、やがて一面野菜畑のど真ん中に駐車場とメンフィス遺跡の建物が現れた。私達はバスを降りゲートを抜け遺跡が残る広場へと入っていく。緑で囲まれた広場の左側にはバラック建てのみやげ物屋が建ち並んでいる。歩みを進めると広場の中央に1912年に発見された10mほどのアラバスター(白い大理石の一種の雪花石膏)で造られたスフィンクスが現われた。アラバスター製のミイラを作るための解剖台
このあと観光するギザのピラミッドにある巨大なスフィンクスは顔
がかなり傷んでいるが、それに比べこのメンフィスのは目鼻立ちがしっかりと原型をとどめており端正な顔立ちだ。
そして、そのすぐそばには、一枚岩でできた長方形の大きな石がある。太郎ガイドによると、これもアラバスター制で聖牛アピスのミイラを作るために使用された解剖台だという。
遺跡を取り囲む武装警官
このメンフィス遺跡は、これまで見学してきた遺跡と違い、神殿などの建物は一切無く、広場のあちこちに古王国時代の石像が残っているだけである。
ここも広場を取り囲むように多くの武装警察がいたるところにいる。それがこれまで観光してきた遺跡同様、実にひまそうに監視している。歩いていると木陰のベンチに現地の老人と一緒に座っている警官が目に入った。
そこで私も一緒にベンチに座り記念写真を撮りたい思いたち、警官に近づきカメラを見せながらジェ一緒に写真を撮ったら警官に金を請求された
スチャーで一緒に撮らせてほしいというと、OKサインがでた。旅仲間の一人にシャッターを押してもらうと、警官に感謝として1米ドル紙幣を渡して立ち去ろうとすると、その警官、私の服を引っ張るではないか!何だ!と振り返ると、現地人の老人を指差し、彼にも施しをやれというのである。
例の手の指先3本を擦り合わせるバクシーシ(おねだり)をするではないか!仕方ないのでもう1ドルポケットから出すはめになってしまった。本当に疲れる国だ!。
長さ15mもあるラムセス2世の巨像
次はメンフィス博物館に入館である。ここにはエジプトの遺跡観光をしていると、何度も登場してくる自己顕示欲のかたまり「ラムセス2世」の巨像があるのだ。
館内に入ると1階に右足の一部が欠けた長さ15mもある巨像が横たわっている。目の真ん前で見る石像はとにかくでかい!カメラを構えたがレンズ内に入りきらない。2階の回廊に上がりそこから見下ろすとやっと全身が見えるほどだ。
なかなか端正な顔立ちのラムセス2世
それにしても何度も記述したが、紀元前1300年頃、第18王朝のファラオだったラムセス2世、エジプト各地に巨大神殿や自身の石像や記念碑など、よくまぁ造りに作ったものである。これまで見学してきた世界遺産の「アブシンベル神殿」「カルナック神殿」、更には「ラムセス2世葬祭殿」や戦勝記念碑等のモニュメント、それら遺跡がみな彼によるものだというから凄い。
ギザのピラミッドへ
ギザの台地に世界の七不思議がある
バスの車窓からギザのピラミッドが見えだした
メンフィス観光を終えると、次はいよいよ「ギザの三大ピラミッド」観光だ。ギザは、ナイル川を挟んでカイロの対岸(西岸)にあり、カイロとは目と鼻の先である。バスはカイロ市内方面へ戻るべく北上して行く。
やがて車窓からカイロ郊外の街並みが見えてくるようになると、忽然とピラミッドが目に飛び込んできた。ギザのピラミッド群だ!バスはいったん通り過ぎ迂回するように戻ると、幾つかあるチケット売り場(入り口)から「クフ王のピラッミッド」側入り口の駐車場に停車した。
ギザの台地へ坂道を登ると左手にカイロ市街
右手がピラミッドのチケット売り場がある
駐車場からチケット売り場までゆるい坂道が続いており、ピラミッドがナイル川西岸の砂漠の台地にあることが分かる。ギラギラ照りつける日差しの下、世界各国の観光客とともにチケット売り場まで登っていくと、右手にはクフ王のピラミッド、左手には緑に囲まれたカイロ市街が一望できるすばらしいロケーションである。カイロは砂漠に囲まれた巨大なオアシス都市であることが実感できる場所だ。
チケット売り場の向こうに
クフ王のピラミッドが見える
古代史における世界の七不思議といわれるピラミッド。なかでも最も謎めき何の目的のために造られたのか?世界史上類をみない巨大な建築物、現在においても解明されない古代ロマンとミステリー世界が目の前に広がっている。
その規模とミステリアス性から最も有名な世界の観光名所として、どれほど雑誌やTVで紹介され見てきたことか。いまシニア年齢になり、やっと念願かない、ついにやって来たのである!胸が高鳴る。
ギザの三大ピラミッド
クフ王のピラミッドから見学開始する
このギザの台地にそびえるピラミッドは、今から4500年ほど前、エジプトが統一され古代エジプト王国の歴史が始まった古王国時代の第4王朝期に造られたものだ。この第4王朝時代は紀元前2000年頃まで続く古王国時代の絶頂期で、別名ピラミッド時代とも呼ばれ、このギザには、この時代のファラオである「クフ王」「カフーラ王」「メンカウラー」の三大ピラミッドがあるのだ。
日本史でいえば石器時代から縄文式土器時代えと移っていった歴史の黎明期である。日本では棍棒を持って野山を駆け回っていたそんな時代にエジプトでは高度な文明が花開きだしていたのだ!すごいではないか。
さすがにでかいぞ!クフ王のピラミッド
三つのピラミッドで最も大きいのがクフ王
まず私達は三大ピラミッドの中で一番大きいクフ王のピラミッドの北側に歩みを進めた。クフ王は、エジプトの第4王朝(古王国時代の絶頂期)の2番目の王で、エジプトで約80基確認されているピラミッドのなかで最大のピラミッドを作った人物である。1個あたり平均2.5トンの石を約230万個も積み上げて造られという巨大なピラミッドが目の前、視界いっぱいに広がっている。底辺の長さ230m、元の高さ146mもあるのだ。でかい!圧倒的なスケールにしばし声を失うほどだ。カメラを構えたが、あまりに大きく、どのようにアングルを変えてもレンズに入りきらないほどである。
盗掘用入り口に登っていく大勢の観光客
地上から20mほどの高さの所に盗掘用に開けられたピラミッド内部への入り口が見える。そこえ大勢の観光客がピラミッドに来た実感を確かめるべく登っていこうとしている。
このピラミッド、本来の高さは146mだったが地震で頂上部が崩れてしまったため現在は136mしかないという。頂上に避雷針のような鉄の棒が立っているが、これは本来の頂上の高さを示しているとのことだ。
ここではエジプト人観光客も結構見かけた
一個が2.5トンもある石を積み上げたピラッミド、造られた当時は表面を外装用の化粧石で覆われていたという。それが今では建築資材として全部盗まれてしまい、ごつごつとした砂岩がむき出しになっている。さらに4500年の風化で石の角が取れボロボロ状態でかなり傷んでいる。修復作業をしているというが痛ましいかぎりだ。
私も旅仲間も、エジプト人の太郎ガイドの熱心な説明もうわの空に、ピラミッドを写真に収めるべく、ここぞとばかりによきアングルを探してカメラを構えて駆けずり回る。そんな私達をしり目に太郎ガイドは、先へと進みピラミッドの東側にある墳墓群へと誘導して行く。
クフ王の家族の崩れかけた小さなピラッミド
そこにはクフ王の母、妻、娘の順に崩れかけた小さなピラミッドが並んでいる。遊歩道のいたるところにラクダの客引きや、わけのわからない現地人が徘徊しており声を掛けてくる。事前に読んだガイドブックによると、このギザのピラミッドの周りを徘徊するエジプト人の悪質さは有名で、注意せよと書いてあったのを思い出した。何しろ、言うこと全てデタラメ、ありとあらゆる騙しのテクニックでラクダ乗り場に連れて行こうとするらしい。そして一度乗ったら最後、法外な値段をふっかけて、支払いをしぶると、払うまでラクダから下ろさないという悪質さだという。そんな予備知識があるので近づいてくる現地人には完全無視で歩みを進める。
だらけた格好で警備する警官たち
それにしてもエジプト各地どこでも見かけた光景だが、このピラミッド周辺は、一段と武装警官が多い。どこを見ても警官だらけだ。それが実に怠慢でだらけた格好で仕事をしているのである。真面目に警備しているとは思われない!これで給料がもらえるのだから凄いではないか。
それにしても、これまで観光してきた場所ではほとんどエジプト人観光客を見かけなかったが、ここでは欧米人や日本人観光客に混じり、あちこちにエジプト人観光客が散見される。さすがにエジプトが誇る観光名所ピラミッド、ここだけは特別な場所なのだろうか。クフ王のピラッミドの東側に回ると
向こうにカフーラ王のピラッミッドが見える
「天空を旅した太陽の船」
クフ王のピラミッドを右手に見ながらぐるっと半周すると、ピラミッドの南側にある「太陽の船博物館」に入場である。死後のクフ王が、天空を旅する時に使うため、何艘かの船をピラミッドの周囲に埋めたという。その一つが1954年クフ王のピラミッド南側の抗から木造船が発掘された。その4500年も前の船がこの博物館で公開されているのだ。船体は当時、良質の杉の産地であったレバノンで、現在ではほとんど伐採され消滅してしまった「レバノンの杉」で建造されたものだという。
4500年前に建造された太陽の船
長さ43mもあり発見当時この船は、数万というパーツに分かれており、復元するのに14年もかかったという。オールの長さは7mも有り、金属の釘は使わず、全てロープと木釘で接合されていた。4500年前の古代エジプト人の技術と死後の世界にかける執念には驚かされる。これもエジプト文明なのだ。
船は吹き抜けになった博物館の天井から吊るされており、回廊の階段を登りながら船を一周しながら進む。館内はギュと冷房が利いており、炎天下ピラミッドを見てきて汗ばんだ身体が心地よい。
「カフーラ王のピラミッド」
頂上部に化粧岩が残るカフーラ王のピラミッド
「太陽の船」の見学を終えると、三つ並んだピラミッドの真ん中に位置する「カフラー王のピラミッド」見学である。博物館を出ると駐車場越しに頂上部に帽子を被ったようなピラミッドが目に入ってきた。その奥に三つのピラミッドで一番小さい「メンカウラー王のピラミッド」が見える。
頂上部に帽子のように見えるのは建築当時、土台となる砂岩の表面を覆っていた化粧岩が、崩れず残り当時の姿の一部を再現してくれているのだ。かって化粧岩が4方全面を覆っていたときは、太陽光線を浴び光り輝いていたに違いない。そんな姿を想像すると、まさに歴史ロマンの舞台に立っている自分が実感でき感動を覚える。
エジプトで最も美しいピラミッドとされる
このピラミッドは1辺の長さ215m、高さ143mの大きさで、クフ王のピラミッドよりもやや小ぶりだが、三つのピラミッドではもっとも保存状態がよく、エジプトに残るピラミッドで最も美しいとされている。そしてピラミッド正面には葬祭殿があり、ここから500mにわたって参道が真っすぐスフィンクスがある河岸神殿へと続いている。
私達はこのカフーラ王のピラミッドで内部に入り見学することになった。ピラミッド北側にある内部回廊への入り口前に行くと、すでに大勢の観光客が列をつくり並んでいる。その最後尾に並ぶ私達の頭部にじりじりと強い日差しが降りそそぐ。
ピラミッド内部に入るため大勢の観光客が並ぶ
汗を拭きつつ入場を待っていると、エジプトに来る前、ピラミッド内部に入ったことがある知人の体験談が脳裏に浮かんだ。話によると、玄室までの回廊は天井が低く、ずっと前かがみ状態で歩かねばならず、おまけに暑くて湿度が高く、さらに異臭もひどくて、無理して入るまでのことはなかったと言っていたのだ。おまけに内部の写真撮影も禁止だという。
待っているうちに、私の心に変化が起きた!観光の目玉の一つであるピラミッド内部に入る意欲が消えてしまったのだ!並んでいる列を抜けると、N添乗員に体調不良なので内部に入らず外で待っていると告げた。するとバスがすぐ近くの駐車場に移動してきているので、バスの中で待ってて下さいという。
旅仲間の皆が、ここまできてなぜ中に入らぬのか?と怪訝そうな表情している。そんななか、もう一人内部に入るのを辞退したHさんと、仲間に手を振るとバスへと戻っていくことにした。
「ラクダ騎乗体験」
三つのピラミッドが一望できるビューポイント
冷房が利いたバスでうとうとしながら待っていると、ピラミッド内部見学を終えた旅仲間が戻ってきた。次は三つ並んだピラミッドが一望できるパノラマビューポイントに移動し、そこでラクダの騎乗体験である。バスはギザの台地に広がる砂漠を少し走ると小高い丘の駐車場に停まった。
展望所の広場からは三つ並んだピラミッドが一望のもとに見えるパノラマ絶景である。いたるところにラクダがたむろし客待ちをしている。その数たるや半端なもんじゃない。
カラス頭巾ファッションが闊歩してる
ビューポイントでカメラを構えシャッターを押しまくっていると面白い光景に出合った!あの全身黒づくめ、「カラス頭巾」ファッションの女性が混じったエジプト人観光客の集団がおり、その中のカラス頭巾の二人が何と!ピラミッドを背景に互いに記念写真を撮り合っているではないか!
自分の記念写真を撮っても目だけしか露出してないカラス頭巾なのである!顔の見分けもつかない格好で写真を撮り合っても意味がないではないか??撮った写真をいったい誰に見せるのか?
同じ格好をした赤の他人の写真を見せ、これが自分といってもまったく分からないはずだ。
バカみたいな光景に思わず可笑しさがこみあげてきた一幕だった。
それにしてもいたるところにカラス頭巾が闊歩している!。あの格好では暑いだろうなぁと思うのだが、余計なお世話か・・・
ピラミッドが一望できるビューポイントでラクダ騎乗
三大ピラミッドの絶景を写真に収めると、希望者はラクダに騎乗することになった。私は幾度かシルクロードの旅などでラクダの騎乗体験をしておりパスすることにした。ラクダは馬と違い背が高く、いざ騎乗すると見晴らしはよいが、歩くと上下にかなり揺れ危険である。旅仲間それぞれが地面に膝を着いたラクダに騎乗し、ラクダが立ちあがると思わぬ高さにビックリして、あちこちで恐怖の奇声を発しているではないか。15分ほど砂漠を闊歩して、全員集合の記念写真を撮ると、次の観光である河岸神殿とスフィンクスの見学に向かうことになった。
「巨大なスフィンクス」
バスを降り河岸神殿とスフィンクスへと歩く
バスはクフ王とカフラー王の間をぬって走る車道を進み、いったんピラミッド群がある砂漠から外に出ると、スフィンクス側入り口の駐車場に停車した。バスを降りると前方に巨大なスフィンクスがありその彼方にはピラミッドが見え、カメラファンにはたまらないビューポイントだ。地べたに土産物が敷き詰められた広場をスフィンクスの方へ進むと「カフラー王の河岸神殿」である。
河岸神殿からピラミッドに向かって一直線に参道が伸びる
かってこのあたりにはナイル川の岸辺になっておりピラミッドを築くための石材が陸揚げされた場所であり、ここに石灰石の自然石を切り出し造られたのが河岸神殿なのだ。
精巧に加工された石組の壁や石柱、ミイラを作ったとされる場所などを見学すると、神殿脇の石段を登ると素晴らしい絶景が目の前いっぱいに広がった。あの頂上部に化粧岩が残る「カフーラ王」のピラミッドに向け参道が一直線に伸び、そして足元の右手にはスフィンクスが横たわっている。
ピラミッドは単体で築かれたものでなく、神殿や葬祭殿、スフィンクス等の付属建築群がセットになっているということが、ここに来てよく理解できた。これら一群をまとめて「ピラミッドコンプレックス」と呼ばれるそうだ。
巨大なスフィンクスの背景にはクフ王のピラミッド
顔が人間、身体が獣で知られたスフィンクス、ファラオ(王)や神を守護する聖獣とされているが、それにしてもこのギザのスフィンクスはでかい!全長57m、高さ20mもあるという。顔はカフラー王に似せて造ったとされているが、ローマ帝国からイスラム教徒のアラブ人による支配後、鼻が削り取られ、さらに近代になるとイギリスにより長いアゴヒゲ部分を奪い去られ、顔の部分は損傷が激しく無残である。それでもピラミッドを背景に巨大な身体を横たえている容姿は感動的だ。ちなみにイギリスに奪われたアゴヒゲはロンドンの大英博物館に展示されており、エジプト政府は返還交渉中とのことである。
メインのピラミッド観光は終えた
ランチはシーフードレストランで
エジプト旅行最大の観光ポイントのピラッミド見学を終えると、次はカイロの下町でスーパーマーケット体験をすることになっている。すでに時刻は午後2時になろうとしており、スーパーに行く前に、すぐ近くのピラミッドが見えるシーフードレストンでの昼食となった。昼食はシーフードレストランで
狭い店内は満席で混み合っており、
客の大半は欧米人で、現地エジプト人客はまばらである。店内中央に用意された席に着き、相変わらずいい値段の1缶8ドルのビールを飲んでいると、イカリングフライ、エビフライ、白身魚のソテー等、シーフード料理が次々に運ばれてきた。肉料理が苦手で食することができない私にとって、久し振りの嬉しい魚料理である。味付けもなかなかのもので、旅仲間の食欲も旺盛でテーブルにおかれた皿がすぐ空になるほどだ。
二人のカラス頭巾客がきて窓際席に座った
食事も終りに近づいた頃、一人の男性と全身黒づくめカラス頭巾姿の二人の女性の3人連れ客が入ってきて、奥の窓際の席に座った。一人の男と黒ベールの二人の女、どういう関係なのか?イスラム教は一夫多妻を認めているので男性の妻なのか?。ざわついていた店内に緊張が走った。私の隣に座っているO氏が横腹を突っつき「あのカラス頭巾でどうやって食べるのだろう?」「頭巾を脱ぐのだろうか?」という。
私もどのような食べ方をするか興味深々で、ときどき視線を送るのだが、彼等のテーブルになかなか食事が出てこない。そのうち私達の食事が終わってしまい出発の時間がきてしまった。後ろ髪ひかれる思いでレストランを出ると、気になってしょうがないので、前を歩くエジプト人の太郎ガイドに質問してみた。すると太郎ガイド「頭巾は脱ぎません!ベールのすそを、めくり上げながら、食べ物を口に入れます!」と言った。
最後の買い物はスーパーマーケットで
カイロ市内繁華街のスーパーマーケットえ
バスはカイロ中心部のショッピングゾーンへ向け走り出した。
これから明日の帰国を前にエジプトみやげの物色を兼ねて、スーパーマーケットでの買い物タイムを楽しむのだ。私達が参加している世界紀行のツアーは激安ツアーを売りものにした旅行会社のように、バックマージンを目的に土産物店に強制連行するようなことは一切旅程に組み入れされていない。
したがって今日まで買い物といえば、バザールでの自由散策で各自の判断で買い物したでけである。そんなことで、まだ土産品が必要な人のために一般のエジプト人が利用しているスーパーマーケットで最後の買い物をするのである。
カイロ市民でごったがえす繁華街のスーパーに入る
バスは官庁街を抜けると下町の繁華街の路上に停車すると、私達は地元エジプト人が賑やかに行き交う通りへと歩みを進めた。
通りの両側はアラビア文字看板を掲げたさまざまな商店がぎっしり軒を連ねている。この場所は観光エリアではないので、路上をあるく外国人観光客など誰ひとりいない。そんななか目的のスーパーに向け日本人が20名がひと固まりになってゾロゾロ歩く姿に、路行くエジプト人が好奇の視線を浴びせてくる。
日本とかわらないスーパーの鮮魚売り場
やがて商店街の一角にあるスーパーに着いた。店内は300坪ほどの面積で、品揃えも日本のスーパーと何ら変わりない。私は店内を一巡してみたがエジプト土産として買いたい品もないので、店外に出て繁華街を眺めていることにした。すると、通りを挟んだ向かいの路上で、焼きトウキビ売りと、カラス頭巾の女性が、腰をおろし何か売っている!好奇心につられ私が通りを横断して近づいていくと、カラス頭巾の前のプラスチックコンテナの中にヒヨコがピーピー鳴いているではないか。
ニカブ姿をカメラに収めた
通りを挟んだ向かいで腰を下ろして何か売っている
こんなに真近にニカブ(カラス頭巾)姿の女性を見るのは初めてである。腰を下ろしたまま、じっと私を見上げる眼光に力がみなぎっている。見つめられ私は一瞬緊張した。
大柄な体格だがまだ若い女性だとうかがい知れる。私は彼女の写真をどうしても撮りたいと思った!しかし彼女の姿を撮らせてほしいと交渉したら断られる決まっている! そこでヒヨコの写真を撮りたいといって交渉してみることにした。ヒヨコを指差し、カメラのシャッターを押すふりをしてOK?と聞いてみた!すると、OKだという!私は撮影にあたり謝礼としてポケットから1ドル札を彼女に渡した。すると外国紙幣がめずらしいのか手にとってしばらくじっと見ているではないか。
ばっちりカメラに収めた!謝礼1ドルを手にしている
何とかヒヨコを撮るふりををしながら「ニカブ姿のエジプト人女性」をカメラに収めることができた。これまでエジプト各地でニカブ姿を見かけると、本人にバレぬよう隠し撮りしてきたが、バッチリ真近に撮影できた!エジプトの旅アルバムの貴重な1枚になった。
こんなやり取りをしていたら、旅仲間のHさんがお金を渡している場面をカメラに収めてくれた。
時間つぶしを終え、再びスーパーの店内に戻っていくと、旅仲間の多くが化粧箱に入った土産用チョコレートを買ってレジに並んでいるところだった。
ディナーは伝統的エジプト料理で
ディナーはエジプト料理レストランで
スーパーでの買い物を終え、いったんホテルに戻りしばし休息すると、カイロ市内のレストランへ夕食に出かけることになった。
エジプト料理の大きなレストランで店内は中近東風のエキゾチックな飾りつけがされており、客の大半が欧米人観光客で溢れかえっている。モロヘイヤスープやターメイヤ(野菜コロッケ)などの伝統的エジプト料理のフルーコースが次々と運ばれてきた。
ひと通り料理に手をつけてみたが、案の定美味くない。まともに食することができたのは野菜コロッケぐらいで、あとはほとんど手は付けてみたものの、食べきることができず中途半端に残る料理ばかりである。食べ残しが多かった伝統的エジプト料理
旅仲間の皆も互いに顔を見合わせているではないか!昼食のシーフードが結構美味しかっただけに失望の声があがる。
コックには申し訳ないほど多くの料理を食べ残して夕食を終えレストランを出ることになった。
結局、私はホテルの部屋に戻ると、日本から持参した「カップヌードル」で腹をふくらませることにした。旅も残りあと明日1日だけとなった。部屋で友人のO氏と今回の旅について語り合いながら寝酒をすると就寝についた。明日の今頃は関空への航空機内だ。