旅10日目 アブシンベルから首都カイロへ
眠れぬ夜に体調は最悪だ!
ちょうど旅10日目となる朝をむかえた。時刻は午前4時半、ベット脇のモーニングコールが鳴り起床することになった。ここは、かの有名なエジプト文明遺跡の「アブシンベル神殿」があるエジプト最南部スーダン国境近くアブシンベルの町。巨大な人造湖ナセル湖のほとりに建つコテージ風のホテルに宿泊しているのだ。アブシンベルのホテルのベランダからの夜明け
睡眠不足で身体がだるく体調は最悪である。原因は室内ベット脇に据え置き型の旧式クーラーのせいなのだ。温度調節機能がなく、スイッチがONとOFFだけしかないのである。スイッチを入れると冷風が直接ベットに吹き付け、1時間もすると寒くて目が覚め、スイッチを切ると30分ほどで暑さで目が覚めるのである。結局、クーラーのスイッチを入れたり切ったりする操作で、一晩中ベットを出たり入ったりの繰り返しで熟睡することができなかったのだ。おまけにファンが何かに擦れてガラガラ騒音をたてるのである。何たって、このアブシンベル、気温が40度を超えるのは毎日で、ときには50度も超えることがある酷暑の地なのである。夜になっても気温が下がらないのだ。こんな訳で寝不足と、暑さ寒さの繰り返しで、最悪の体調での起床となってしまった。
今日のスケジュール
今日のスケジュールは早朝5時から「アブシンベル神殿の日の出」へ出発し、その後ホテルに戻り朝食後、8時半にホテル出発し、アスワン経由で首都カイロまで戻ることになっている。 そしてカイロではバザールを散策してから2連泊するヒルトンホテルにチェックインするのである。スケジュールの大半はカイロまでの移動に費やされることになっている。
あわただしく「アブシンベル神殿への日の出」に出発するべく準備を始めたが、身体がだるく出かける気分にならない!思い切って不参加にすることにして、同室のO氏にその旨、N添乗員への伝言を頼むとカイロに戻る出発時間の8時半まで部屋で休んでいることにした。アブシンベル神殿に朝日が当たり赤く輝く(借用画像)
旅仲間が出かけている間に、ゆっくりシャワーを浴び旅行ケースの中身の詰め替え作業をすることにする。ケース内にはまだ日本食がケース内にかなり残っている。今日の朝食はレストランに行かず、部屋で持参した日本食で済ますことにした。日本から持参した電気ポットに「レトルトご飯」入れ湯を沸騰させる。
こんな調子で部屋で過ごしていると、やがて同室のO氏が戻ってきた。聞くとナセル湖に映える真っ赤な日の出を目に焼き付けてきたという。O氏が話すことには旅仲間の一人に、身内に不幸が起き急遽旅行を中止して日本へ帰国することになったという。カイロに戻るまで一緒に行動を共にして、その後カイロ空港から本人一人で帰国するべく航空機の手配中だというではないか。さぞかし本人は不安で心細いに違いない!無事帰国できることを祈るばかりだ。
アズシンベルからアスワン空港へ
砂漠のバラック建てのドライブイン
8時半の出発時間がやってきた!集合場所のロビーに行くべく部屋のドアを開け外に出た途端、ムッとするような熱気が室内に流れ込んできた。いったいこの暑さは何だ!まだ朝なのにすでに40℃を超えているに違いない。
これからバスでサハラ砂漠を280Kmほど走りアスワン空港に向かい、14時半発カイロ空港行きに登場することになっている。ホテル前からバスに乗り込むと、アスワン方面へ走る車両同士で隊列を組むための集合場所に向かって行く。そこでコンボイ(隊列)を組み、前後を警察車両に守られアスワン空港まで走るのだ。30分ほど待機して隊列を組み終わると、バスは砂漠のハイウェイを走り出した。
臨時停車してサハラ砂漠の砂を記念に採取
炎天下、快適にバスはひた走る。途中で臨時停車してサハラ砂漠の砂を記念に採取したりしながら走ること3時間半、アスワン空港に着いた。
空港周辺は自動小銃をぶら下げた警官がいたるところにおり、もの凄い数である。イスラム教は排他的な宗教である。キリストや仏教徒のように他宗教の存在を認め共存していくという寛容さはない!イスラム教徒以外は異教徒として抹殺しようとテロを起こす原理主義者を多く抱え、国中に兵士や警官を配置せねばならないイスラム諸国の現実を、あらためてここエジプトでも見る思いだ。
アスワン空港にて
トイレ休息なしに走ってきたので、空港内に入るやいなやトイレに駆け込むと、公共施設なのにもかかわらず、又しても入り口でバクシーシ(施し、おねだり)を要求され、腹ただしい思いでポケットから小銭を出させねばならない。たいした額ではないが、何とも煩わしい国だ。苦手な昼食が食べれずビールだけ
時刻は間もなく13時である。カイロへのフライト時間は14時半で、その待ち時間を利用して空港内のファーストフード店でサンドイッチ昼食となった。メニューは「ツナサンド」と「チーズサンド」の2種類あり、昨夜ホテルでの夕食時に、旅仲間全員から事前に食べたい方を指定して事前予約してあるのだ。
カウンターで私は予約してある「ツナサンド」を受け取ろうしたら、店員が「チーズサンド」を渡さそうとするではないか。私がこれは違うと突き返して、予約してある「ツナサンドを寄こせ!」と英語で言った!すると何と意味が通じずキョトンとしているではないか。私の苦手な英語の発音が悪いのかとドキッとしたが、どうも英語が理解できないようだ。繰り返し「ツナサンド」というのだが、チーズサンドを出すのである。太郎ガイドが助け舟でアラブ語で「ツナサンドを寄こせ!」と言ったら、そんなもの無いと言うではないか!昨夜の事前予約はいったいどうなっているんだ。サンドイッチ以外といえば、他のメニューはピザだけである。私はチーズは大の苦手で食することができないので、結局昼食抜きとなってしまった。仕方ないので1缶6米ドルの缶ビールを買うとテーブル席に座ることにした。
アスワン空港内のファーストフード店にて
ビールを飲みながら、あと残り3日あまりとなった旅のことを考えた。日本へは関西空港着で、新千歳空港への乗り継ぎ接続が悪く、その日の内に札幌に帰ることができないので、関空近くのホテルに泊ることになっている。
私は旅の期間中、宴会係を拝命しており、役目として日本に着いたら、その宿泊するホテルで帰国の安着祝いの宴会を手配することにした。添乗員のN女史にホテルとの交渉を頼むと携帯電話で連絡をとると、すぐ返事がきた。ディナーバイキングで一人@2300円で個室もOKだというので、20名で予約を入れることにした。
カイロへの搭乗時間がやってきた。飛行機へはバスで移動することになっており、バスに乗るべく空港の建物を出た途端、とんでもない熱気が吹きつけてきた。時刻は午後2時を過ぎており気温がピークとなる時間帯である。滑走路が炎天下で熱せられ体感温度45℃の世界だ。
首都カイロに到着した
カイロ空港
カイロ空港手荷物受取コーナーに向かう
かなりガタがきている飛行機は満席の乗客を乗せ定刻通りカイロへむけ飛び立つと、1時間半ほどのフライトで、予定通り16時にカイロ空港に到着となった。これから手荷物を受け取るとホテルにチェックインする前に、観光名所ハーン・ハリーリ、バザールに立ち寄り散策することになっている。
首都だけあって大きな空港で、自動通路の長い廊下を何度も乗り継ぎながら手荷物受取のターンテーブルまでやってきた。ところがなかなか手荷物が出てこない。出て来ぬ荷物をイライラして待つ
イライラして待つことしばらく、やっとターンテーブルが回りだしたが、一度に全部の荷物が出てこないのである。
少し出てきては中断し、また少し出てくるという具合に何度も分断されて出てくるではないか。どうも飛行機とターンテーブル間がシステム化されておらず、1台の小型トラックが飛行機とターンテーブル間を何度も往復しながら荷物運びをしているようではないか。
ウンザリしながら待つこと1時間近く、やっと全員のトランクケースを取ることができた。バスに乗り込むべく空港の建物から外にでると気温が少し下がったようである。さすがエジプト北部のカイロまでくるとアブシンベルと比べると涼しい体感温度だ。
騒音とゴミだらけの街カイロ
ゴミだらけのカイロの街、羊がゴミをあさってる
私達を乗せたバスは「ハーン・ハリーリバザール」に向かうべくカイロ中心部にむけ走り出した。
夕暮れのカイロを車窓から見ていると、これが一国を代表する首都かと思うほど薄汚れ、いたるところゴミで溢れかえっている。あまりの汚さなに唖然とするばかりだ。ゴミの収集廃棄システムがないのだろうか?住民は野外ならどこにでも好き勝手にゴミを捨てまくっているのだ。
カイロの街の交通渋滞
市内中心部に近ずくと、バスは交通渋滞に巻き込まれ動かなくなってしまった。道路がもの凄い数の自動車で溢れかえり、クラクションの騒音が鳴り響き、その喧騒たるや半端でない!何しろ人口1200万人を抱えるるつぼのような街である。おまけに交差点の信号器も数が少ないのでスムーズに車が流れないのだ。
さらに路行く人々はそのほとんどが交通信号を守ろうとせず、信号機の赤青関係なしに平然と車と車の間を通り抜け道を横断している。これじゃ渋滞になるのも当たり前ではないか。
ハーン・ハリーリ、バザール
バザール近くの広場に一角にバスは停車
私達がいま向かおうとしている「ハーン・ハリーリバザール」はカイロ観光の目玉の一つになっているところである。その歴史は古く600年前には市ができ、200年前に19の大バザールがひとつなったといわれている。現在はみやげ物屋が大半で、旅行者は必ず立ち寄る観光名所だ。
エジプト人の太郎ガイドが、車内マイクでバザールでの自由行動にあたっての注意事項を話しだした。迷路のようなバザールを迷子にならず集合場所まで戻ってくるポイントやショッピングでは「言い値では買うな!必ず値切れ!」などとアドバイスをしてくれる。
バザールの中の香水瓶のみやげ物屋
そして土産を買いたい人は「私が良心的な店を4軒を案内してあげますので、希望者は私についてきてください!」と言うではないか。案内する店は貴金属、香水瓶、パピルス、衣料雑貨の4店だという。
おそらく、この4店とは太郎ガイドと契約ができていて、案内した我々の買い物額に応じてバックマージンが入ることになっているに違いない。こんな店で買い物したら間違いなくバックマージン分を上乗せされているはずだ。
すると、添乗員のN女史が「特別買いたい物がなくブラブラ歩きでバザールの雰囲気を楽しみたい人は私と一緒に散策しましょう!」と言う。結局バザール散策は@買い物目的の太郎ガイドグループ、AN女史とブラブラ散策グループ、B単独自由行動グループの3つに分かれてすることとなった。
バザール商法、絶対言い値では買ってはならぬ!
値切りの目標は言い値の五分の一!悪くても三分の一だ!
オープンカフェの横手の小道からバザールに入る
バスは渋滞エリアを迂回しながら走り、なんとか市中心部を抜けイスラーム地区へと入ると、やがて「ハーン・ハリーリバザール」にほど近い広場(公園)一角に停車した。すでに夕暮れが終わり、夜のとばりが始まりあたりは真っ暗である。
バスを降り歩き出すと、広場の先にオープンカフェが建ち並び大勢の地元客や観光客が夕涼みをしながら談笑している。私達はこのカフェの横手の小道からバザールの中えと足を踏み入れた。バザールの中は細い道がくねくねと曲がりながら何本も分かれ、その先はさらに枝道に分かれれおり、まさに迷路だ。その迷路の両脇には間口一間ほどのみやげ物屋がびっしりと並ぶ。金属細工や食器、宝飾類、革細工、民芸類、工芸品、衣類等々さまざまだ。さまざまな人々で混み合うバザール
人混みも半端なもんじゃない!観光客、地元客が細い道いっぱいに溢れかえり、私達は押され流されるようにバザールの奥深くえと進んでいく。ときおり店頭に立つ店主が私達を日本人と見て片言日本語で声をかけてきたりする。
どの店主も観光客の気を引こうと、両手に持ったストールや雑貨を私達の目の前に突き出し「ワンダラー!ワンダラー(1ドル)と声をかけてくる。ワンダラーといえば100円もしない安さだ。歩みを止め、手に持っている品を指差し、それが「ワンダラーか?」と聞くと、「違う!」と言うではないか。じゃどれだ!というと店頭に並んでいる何の価値のない品を指差し、「これがワンダラーだ!」と言う始末で、まったく疲れる。
どの品も価格表示がない!いったい幾らなのだ?
夜の闇に完全に溶け込むカラス衣装
ぶらぶら歩みを進めていると、突然、目の前に脇の暗い枝道から全身黒づくめの衣装(ニカブ)の人間が現われドキッと驚かされる。目だけ残して全身黒づくめのカラス衣装が暗闇に溶け込んでおり、まるで忍者のようではないか。目の前に現れるまで全然気が付かないのである。黒衣装が保護色となり夜の闇に完全に溶け込み、目だけが妖しく光っている。
なんとも不気味さがただよう恐ろしい格好である。そんな格好なのでおしゃれに関係ないと思っていると、宝飾店の店頭に立ち止まりショーウィンドウをじっと覗きこんでいるので、やはり女性なのだとへんなところで納得したりする。
カラス衣装で突然暗い脇道から出現し驚かされる。
ひやかし半分に何軒かのみやげ物屋に入ってみたが、陳列されている100%の品が値段表示がされていない。ひとつひとつ店主に値段を聞かねばならないので、これが実に煩わしい。指差し「ハウマッチ?」と聞くと、ジロッと私達の品定めをしながら好き勝手な値段を言ってくる。定価なんて無い国なのでたちが悪く、値段は相手との交渉で決まるのだ。まして相手が観光客だと法外な値段を吹っかけてくるので、油断も隙もあったものじゃない。それもいちど興味をしめして値段を聞いたら最後、しつこく言い寄って離してくれないから実に疲れる。
土産を買わないつもりが買うはめに!
さまざまなみやげ物店が並ぶバザール
私と一緒に散策している女性の旅仲間グループが、店頭にうず高く陳列されているカラフルなストールに興味を持ち店内へと入っていった。なみやげ物としてストールを購入したいようである。
私はみやげ物を買わない主義で、興味がないので一緒に店内に入らず、彼女達が出てくるのを路上で待っていることにした。
路上の両脇にはさまざまな店が密集して並んでおり、数軒先の店頭に洗濯物を干すように、さまざまなストールが壁一面に吊るされているのが目に入った。冷やかし半分、そのストールを眺めながら時間つぶしすることにした。なにげなく見ていると、グレーの地色に茶と黒模様のシックな1枚に視線が止まった。私好みの柄である。マフラーとして自分の首に巻いた姿を想像してみた。なかなかいける!すると何と!店頭に佇んでいた店主が、目ざとく私の視線の先にあるストールを見つけ、物干し竿でそのストールを取り外すと手に持ち、私に近づいてくるではないか。
退屈しのぎに店頭に吊るされたストールを見ていた
私は一言も発していないのである。ただ黙って視線を止めただけなのに、何十枚も吊るされているストールの中から、私が興味を持ったその1枚をピタリと当てたのだ。すごい直観力で、さすが商売人だけのことはある。
目の前に突き出されたストールに触れてみると、なかなかいい肌触りで絹のような感じがする。「シルクか?」と聞くと「コットン」だと言う。細い番手の綿糸で織ったのであろう、すべるような肌さわりがする。エジプトは品質のよい綿花の一大産地で、その製品は「エジプシャン・コットン」ブランドとして世界的に有名なことを思い出した。高級Yシャツ生地としても知られているところだ。
言い値の60ドルが、まさか!5ドルで買えた!
どの品も値段がついていないので疲れる
有名なエジプシャン・コットンで、しかも好みの柄だが、この時点ではまだ買う気はなかった!
しかし試しに「幾らだ?」と聞いてみた。すると店主しばらく考え60ドルというではないか!日本円換算で約5000円である。
私を日本人とみて日本円の5000円をドルに逆算して60ドルと言ったのだ!利口な店主だ。
高すぎるので無言で首を振り立ち去ろうしたら、店主慌てて「50ドル」と値下げしてきた。無視して歩きだすと追ってきて今度は「40ドル」と更に値下げしてくるではないか!私が黙って首を振ると、今度は店主、幾らなら買うと電卓を目の前に突き出してきた。買う気がないので面倒くさくなり強烈な値段を言えばあきらめるだろうと思い、電卓に10の数字を打って店主に返した。するとである店主、10ドルの数字を見るや大げさな表情しながらアラブ語でわめくではないか!そして今度は「20ドル」にするからどうだ!と言うのである。
私はまだ買う気はないので、店主の売り込みを諦めさせようと、首を振ってまた歩き出した。
すると何と!店主大声で「テンダラー(10ドル)OK!OK」と言いながら私の前に立ちふさがるではないか。10ドルといえば850円程度ある。言い値の60ドルが10ドルまで値が下がったのだ。
私は買う気がなかった気持ちが変化して自分用として買うことにした。透明のポリ袋に入れたストールを渡されると、私は旅仲間が品定めしている店へと戻ることにした。
仲間がいる店内に入っていくと、店主が、私がぶら下げているストールを見て「幾らで買った!」と聞いてきた!どうも他の店で買った価格が気になるようだ。私が自慢げに「10ドルだ!」というと、店主が何と!対抗心むき出しにして「それはうちの店では5ドルだ!」というではないか!私が同じ物かと聞くと、店主店の奥から全く同じ柄のストールを出してきたではないか!愕然とした!冗談じゃない!今しがた60ドルを、下げに下げさせて10ドルで買ったのである。それが全く同じ物をこの店ではいっきょに5ドルだという。500円もしない値段ではないか!土産を買わない主義だが、シャクなので二人の息子の土産として、この店でも2枚買うことにした。そして日本に帰ったら「有名なエジプシャン・コットンのマフラーだ!高かったぞ!」と言って息子に渡してやるのだ。
しかしこの国の物価はどうなっているのだ!どれがまともな値段なのか?ショッピングは騙し合いの世界ではないか! 元値の60ドルが吹っかけた値段であるにしても、まさかの5ドルで買えることに唖然とするばかりだ。当初言い値の12分の一ではないか。
明日はいよいよピラミッド観光
カイロのヒルトンホテルでの夕食、O氏夫妻と同席
こんな調子でバザール散策を終え、ホテルにチェエクインすることになった。ホテルはかの有名な「ヒルトン」で、カイロのど真ん中、あのエジプト騒乱でデモ隊が占拠した「タフリール広場」のすぐ近くに位置し、エジプト考古学博物館が目の前にあるところである。
日本人観光客が大勢宿泊する巨大なホテルである。ホテル内レストランでブッフェスタイルの夕食となったが、ずらりと並べられた料理の中には日本食もけっこう並んでおり、寿司や味噌汁まである。ビールを注文するとギュと冷えた瓶ビールが出てきて、さすが一流ホテルだけあると、へんに納得したりする。
夕食後は部屋に戻ると、カイロ到着を祝って男同士で2次会をすることにした。各自が持ちよった酒を飲みつつ、ゴミだらけのカイロの街やバザール体験に話がはずむ。明日はエジプト観光最大の観光ポイント「ギザの三大ピラミッド」の見学である、心が弾む。