履歴アルバムバイク編

RZ-250改


ヤマハ発動機から1980年に発売され爆発的なヒットとなりレーサーレプリカブームを作ったRZ−250。
現在でも愛用者は多いが、改造されている物も多くノーマルで使用しているほうが少ないかも?写真の物はエンジン、前後車輪、排気系、駆動系、フロントブレーキ等が変更されている。

標準車は、
水冷2サイクル並列2気筒247cc
最高出力35ps/8500rpm
モノクロスサスペンション
車重139Kg







YD-2

1959年に発売されたYD−2は、前作YD−1のモデルチェンジでメッキタンク、セルスターター付き。
当時の14.5馬力はかなりの物でスポーツ性も高かった。写真の物は綺麗にレストアされた物でエンジンも当時の性能を確保している。現在走らせても十分に楽しめるし、かなり速いバイク。実際14.5馬力以上のパワーを感じさせるが燃費は昔同様に、かなりの大飯食らいである。

空冷2サイクル2気筒 247cc
最高出力 14.5ps/6000rpm
最高速度 115km/h








XS-1B

1970年に発売されたヤマハ初の4サイクルロードスポーツ車。写真の物は後に追加されたXS−1B型で、初期の物はキャンディーグリーンのカラーで発売された。360度クランクのバーチカルツインは中低速域でのトルク感あふれる走りと、排気音を楽しませてくれた。また、クランクケース幅も狭くコーナリング性能にも大きく貢献した。

空冷4サイクル OHC 2気筒
排気量 653cc
最高出力 53ps/7000rpm
最高速度 185km以上










SR-250

1980年に発売された当時流行の250ccアメリカンタイプ。
長いフロントフォークと後輪16インチ、前輪19インチの採用でアメリカンスタイルを作り出した。シート高も低く抑えセルスターターを装備して女性からも人気を得たモデル。
写真のバイクは、排気系やハンドル周りの変更が加えられている。

空冷4サイクル単気筒 249cc
最高出力 21ps/8000rpm
トランジスター点火方式 重量124kg








SC-1

1960年に発売されたヤマハ初のスクーターで斬新なモノコックボディーのスタイル、革新的なメカニズム(流体トルクコンバーター2速変速、シャフトドライブ、片持ちサス等)を備えた先見性の高いモデル。写真で見る限り現在でも十分通用するデザイン。

強制空冷2サイクル単気筒
排気量 175cc
最高出力 10.3ps/5500rpm
始動方式 セルスターター、手動ロープ式
最高速度 90km/h









RG-250E

1978年スズキから250ccクラス専用設計で発売されたバイクでクラス最軽量を誇った。パワーウエイトレシオ4.2kg/psという数値は、この時期の400cc並みの数値を誇った。この写真は、その後発売されたRG−250Eでキャストホイールが採用されたもので128kgと2kg増加している。また、RZ−250の発売をも促したバイク。

空冷2サイクル2気筒  排気量 247cc
最高出力 30ps/8000rpm
車重  RG−250 126kg   RG−250E 128kg









AT-90

1965年ヤマハから発売された世界最小の2サイクル2気筒で、混合ガソリンを使わない分離給油方式や、エンジン内部にも革新的な機構が採用されている、当時としてはかなりの高回転高出力型のエンジンで、キットパーツも発売されてレースにも大活躍した。

空冷2サイクル2気筒 排気量89cc
最高出力 8.2ps/8000rpm
最高速度 100km/h
重量 100kg






HS-1

1969年ヤマハから発売になったHS−1は、AT−90の発展型と言えるが機構的には全くの別物に仕上がっている。エンジンの基本は90cc2気筒と変わりないが、シリンダーの5ポート化や5速ミッション、前後輪18インチ採用、パイプフレームのダイヤモンド型フレームを採用してハイパワーと11kgの軽量化を実現し車名も、ヤマハスポーツ90HS−1となった。

空冷2サイクル2気筒
排気量89cc
最高出力 10.5ps/8000rpm
最高速度 110km/h








HX-90

この写真は、HS−1,HS−90となり1971年に発売のHX−90で2サイクル2気筒の最終モデル。
シリンダーヘッド横に3本のフィンが入る。基本的にはHS−1と大差は無いがキャブレターの変更などで高回転の伸びを向上させている。実際乗ってみるとその差ははっきりとわかる。タコメーターも標準装備されている。車重は増加している。

空冷2サイクル2気筒
排気量 89cc
最高出力 10.5ps/8000rpm
最高速度 110km/h
車重 95kg








DT-1

1968年に登場したこのバイクは、本格的なオフロードバイクでキットパーツも用意されてモトクロス界に大旋風を巻き起こした。スリムなスタイル、長いストロークを持つフロントフォーク、軽い車重、本格的なブロックタイヤを装備。
各社も、これに対抗したバイクをこぞって発売した、記念すべきバイク。

空冷2サイクル単気筒 排気量246cc
最高出力 18.5ps/6000rpm
最高速度 120km/h 車重 112kg








WR-250Z

1999年に発売されたWR−250Z。

殆ど何年か前のメーカーのレーサーですね。違う所はかなり乗りやすくなっている所でしょう。軽量化もされていて扱いやすいです。但し、足付が悪くて・・・・。
アクセルを開ければ舗装道路、ダートロードなど関係なく跳んでいきます。加速感はオンロードリッターバイク顔負けでしょう?。


















YA-6

1964年に発売されたYA−6は、当事ヤマハには125ccクラスにスポーツバイクが無いためWシートを用意した。このバイクは、実用車ながら、キットパーツ等も用意されておりモトクロスで活躍した。また、世界初の分離給油、オートルーブを搭載したバイク。


空冷2サイクル単気筒
排気量 123cc
最高出力 11ps/6700rpm
最高速度 110km/h
車重 120kg
始動 セル、キック







TA-125

1973年に発売
AXー125をベースに発売された市販レーサーでプライベーターのあこがれとなった。


排気量125cc
最高出力24馬力以上
最高速175km以上












YDS-1プロトタイプ

959年、ヤマハ250S(後のYDS−1)を発売前に試作されたプロトタイプのコピーで、ヤマハにも無い。製作者は、これを再現するためにYDS−1を2台使い制作。現在も実働しています。
















YDS-3改レーサー

当時は、市販レーサーが無かったのでプライベート出場する人は市販車を改造してレーサーを作りました。幸いにもメーカーからレース用キットパーツは発売されていたので殆どの方はこれを購入してレーサーにしました。

写真は、それをコピーして自分で作ってみました。
キットパーツのシリンダー、マグネット点火、チャンバー、サイレンサー、フロート別体キャブ、穴あきブレーキドラム、バックステップやシートカウル付きシート等で武装させ雰囲気を十分に出しました。















YA-1
2サイクル単気筒 排気量123cc
最高出力 5.6馬力
最高速度 80km

日本楽器製造が、1955年にバイクの生産に乗り出した最初のバイクがこのYA1。当時のバイクは黒い色が主流の中でヤマハは「アズキ色」で発売し、このバイクの性能の良さから誰でもがカタログデーター通りの性能を引き出す事が出来、そのカラーリングと軽快な走りから「赤トンボ!」と呼ばれた。
YA1は、当時の富士登山レースや浅間火山レースでメーカーチューンされ2倍以上のパワーを出して他社を寄せ付けないダントツの結果を残しています。








YC-1
ヤマハが発売した最初の軽2輪で、このYC1も軽2輪クラスでは他社の250ccを凌ぐ性能と耐久性を誇ったバイク。当時の富士登山レースでも他社を寄せ付けない上位独占の走りをした。カラーリングについてもグレーを採用して斬新な所を見せている。初期には黒もあった。

2サイクル単気筒
排気量 175cc
最高出力 10.3馬力
最高速度 110km













YD-1
ヤマハのYA1、YC1についで発売された3号機
250cc、2サイクル2気筒
排気量 247cc
最高出力14.5馬力
最高速度 115km

発売当初はシングルシートの一人乗りで後にWシートになり二人乗りになる。デザインはGKで特徴のあるタンクは「文福茶釜!」等とも言われて親しまれた。タイヤサイズは16インチで当時、外国製のバイクに敢然と挑みかかった最初の国産車でもあり、その加速性能はずば抜けていた。
また、YD1はチューニングされ当時の浅間火山レースでも大活躍。







YDS-3、YM-1、YDS-1(左から)

当時のヤマハのバイクが勢揃いしました。中々見栄えがありました





















RZー250R改

ベースはRZ−250Rですが、かなり改造が加えられています。足回りは全てTZR250R。YUZOストレートチャンバーで出力60馬力前後出していると思います。


















赤とんぼツーリング

ヤマハの1号車YA−1で東京からヤマハ本社まで、2日間でツーリングを行いました。
写真は、日本橋の出発前の様子です

後に、この逆の浜松のヤマハ本社から東京までのツーリングも行いました。脱落車はありませんでした。当時の品質の高さが伺えます。


















HONDA NSX

かなり高価なミッドシップスポーツカーです。ボディはアルミで軽量化されております。
写真のNSXはエアロも含めて、かなりのチューンドマシンとなっております。



















朝霧スクランブル大会

毎年8月に開催されています「朝霧スクランブル大会」です。写真は、アンティッククラスのスタート風景でかなりのんびりした感じです。年式が75年以前で、プレスフレーム車等の制限があります。排気量別に分かれていて、これは90cc以下のスタートです。カワサキの赤タンク(29番)とヤマハAT90改(100番)が見えますが、この赤タンクが速く、自分のライバルです。赤タンクが壊れたり転倒したりすると優勝できます。この時も壊れないかなあ〜と呪いを掛けています。

「ゼッケンNo」の色で年令分けをしています。赤ゼッケンは、50歳以上ですが、殆ど皆さん60歳を超えちゃいました。

開催は、8月の第3日曜日(が多い)。
場所は、朝霧高原スタックランド
見学は、もちろん無料で自由です。









カワサキ Z1

かなり綺麗にレストアされたZ1です。Zマニアが見れば何処を改造してるのかは一目瞭然でしょう。金額的にもかなり掛かっているようです。もちろん、エンジン全バラ、フレームから全塗装で新車同然の素晴らしい仕上がりでした。

空冷4サイクル4気筒DOHC
排気量 903cc
最高出力 82馬力
とカタログではなってますが・・・。


ぱっと見で、マフラー、ホイール、キャブレター、ステップ周りが変更されていそうですね。エンジン内部は不明です。










ホンダCB750

1968年プロトタイプとして発表され翌年発売
最高速度が高すぎて形式認定が遅れた為とも言われています。発売当時は、その排気音も特徴的で、まるで車のようだともいわれました。
圧倒的な4気筒、4本マフラー等、今まで見た事もないスタイルにモーターショーのホンダの出店ブースは、黒山の人だかりでよく見えなかったのを覚えています。カラーは赤と青が発売されましたが青の受注が多く、赤は即納、青は数ヶ月待ちの声も聞かれました。このバイクから各メーカーは、大排気量多気筒化とディスクブレーキに突き進みました。「ナナハン!」という言葉もココから始まりました。

写真のこのバイクは、かなりオリジナルに近くレストアされています。
4サイクル4気筒
排気量 736cc
最高出力 67馬力
最高速度 200km/h

この数値はやっぱり当時の憧れだったんですね






ツインリンクモテギ走行会

「ツインリンクモテギで、昔のレーサーを思いっきり走らせよう!」とホンダの宮城氏(レーサー)声掛けで実現した集まりがありヤマハのレーサーにも声が掛かったので、TD−3で参加してきました。
コレクションホールに動体保存で展示されているレーサーを走らせる事が目的で、同時にヤマハの当時のレーサーも一緒に賑やかそうとなった訳です。もちろんヤマハ以外のスズキ、メグロ、トラやBSA等の外車のレーサー等かなりの台数がやって来ました。レーサーは中々走らせる場所も無いので、このような企画は我々も大歓迎で参加しました。年甲斐も無くじゃれあっていますがレーサーも元気に走り回り、特に今回は時間制限が無かった為、丸一日走り放題!でした。結局、皆さん老体ですので終いには疲れて元気な人の走りを見物するまでになってしまいました。

最初は、南コースで行いましたが最近では本コースの一部で行っています。最近では、ホンダのF−1レーサー(4輪)も引っ張り出して見せてくれます。











ホンダCX−400EURO

このバイクは、GL400、500のV型エンジンを搭載したヨーロピアンタイプでシャフトドライブでGL400のモデルチェンジ?。カラーリングはオーナーの好みでZ1Rタイプに変更してあります。また、カウルもちょっと大き目のタイプを取り付けてあります。走行フィーリングは、車重が比較的あるため素早い走りは出来ないが、ゆったりとツーリングするには丁度良いサイズでしょう。体感的に感じる振動や音の柔らかさは乗っていて非常に楽しいバイクでこのまま何処まで走っても疲れない、おおらかな感じがしました。

水冷4サイクルOHV2気筒
排気量: 396cc
最高速度:155km/h
最高出力:40馬力











FLHTCUI/SC

このバイクは、米国 HD社 のFLHTCUI/SCです。エンジンは排気量は1380ccV型2気筒で、最近の国産車から見ればかなり古典的なバイク?です。しかし、このV型2気筒のフィーリングに憧れて日本でもかなりの「 H D 」ファンがおり国内での販売台数は相当多いと思われます。写真の物はサイドカー付きで3人乗り登録です。
走行フィーリングは、意外とサイドカーの癖がなく、コーナリングは非常にニュートラルで、アクセル操作が難しいと言われるサイドカーにもかかわらず、ごく普通にハンドル操作するだけで曲がってくれます。走行速度が遅い事もありますが・・・。また、右カーですので右折の際にかなり神経を使うと思っていたのですが、ある程度の体重移動とハンドル操作だけで普通に曲がってくれます。どの位のスピードで曲がると「カー」が浮くのかわかりませんが、そこまで試す度胸はありませんでした。一度だけオーバースピードで右折した時にカーが浮いた事がありました
また、高速道路の走行などは「オートクルーズ」動作でアクセルコントロールの必要がなく自動で一定速度にコントロールして上り坂等は、勝手に加速して指定速度に合わせてくれるので非常に楽チンです。しかし、普通の二輪と違いヒラリ、ヒラリの軽快な走行は出来ませんので性格の違いが、と言うより全く別の乗り物です。
色々と書きましたが、サイドカーとは本当に変わった乗り物と言うのが結論のようですし、乗り慣れると面白くなってくるのかもしれません。




TZR−250R

写真のバイクはヤマハから1985年11月に発売されたTZRー250です。このバイクは「ヤマハレーシングテクノロジーの結晶、2サイクル・ピュアースポーツ」と紹介され市販レーサーTZ250と同時に開発が進行されました。
フレームはアルミデルタボックスと言い、これはRZ250RRのスチールのパイプフレームより剛性面で40%アップ、重量でも約40%の軽量化に成功したそうで、このおかげで車両重量は乾燥で126Kgと言う軽さに収めました。また、スイングアームもフレームとのバランスから当時のFZ750に匹敵するサイズの角型アルミを使用しRZ250RRの50%以上の剛性を確保、フロンとフォークも750ccと同クラスの39φのインナーチューブの採用で30%以上の剛性を確保し殆どレーサーと言っていい程の性能を持って誕生しました。
ブレーキについても、フロント320Φのフローティングディスクを用い軽量とあいまって抜群のストッピングパワーを誇りました。これ以降のスポーツバイクは殆ど320Φに移行するまでになってしまいました。
エンジンも出力こそ自主規制値の45馬力に抑えてありましたが、写真のようにチャンバーを装着するだけで回転計を簡単に振り切るまでにパワーアップしました。実際の出力はどのくらいになったか不明ですが、明らかに速くなったのは事実です。スピードメーターも全く同様スケールアウトしました。

このバイク、特徴が多くてそれを書き続けると本が一冊書けちゃうくらいなのでやめますがフレームから始まりブレーキ、エンジン、ホイール、サスペンションなど全てがそれまでのバイクの手本となったもので発売と同時に瞬く間に市場に出回り、峠に行けば、「ゲップが出る!」ほど見かけました。これは、RZ250の発売と同じような状態だったと記憶しています。この後、各メーカーから「打倒!TZR」で、これでもか、これでもか!とレーサーレプリカのモデルチェンジが始まりました。これは、このクラスだけではなく400ccクラス、750ccクラス、リッターバイクも同様でした。バイク界ではここからが「操縦安定性重視」に突き進んで行ったような気がします。

仕様
2サイクル、水冷クランクケースリードバルブ、並列2気筒、249cc、最高出力45馬力、最大トルク3.5kg・m・/9000rpm、CDI点火、乾燥重量126Kg
というようなスペックですが、それ以上に潜在能力を持ったバイクでした。



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