清泉クンのおはなし 
 
むかぁ〜し昔の昭和のはじめ、旧・室蘭駅の坂をず〜っと
テッペンまで上った所、八幡神社のすぐ近くに、小さなお山が
ありました。そこからは、室蘭の町並みも、自然が作り上げた
“港”までも見渡せます。春にはタケノコや福寿草が顔を出し、
綺麗な湧き水がチョロチョロと流れて小さな泉が、陽の光を
浴びてキラキラ輝いておりました。
 
そこに、仲良しの夫婦が家を建て、たくさんの子どもたちと、
貧乏ながらも元気に仲良く暮らしておりました。
 
そして、庭の片隅には“桜の木”を1本植えました。
 
まだ、世の中が“戦争”という大変で恐ろしい時代。
室蘭にも、戦争で怪我をしたり、食べるものが無い人たち、そして、お父さんお母さんが死んで
しまった可愛そうな子どもたちが大勢居たのです。
山から見える天然の港には、石炭をいっぱいに載せた大きな船がたくさん入り、人々は、毎日真っ黒になって忙しく働いておりました。
 
 
 
    「え〜ん・・え〜ん・・お父さんが居ないよ〜。」
       お母さんが死んじゃった〜。
                  「かわいそうになぁ。一緒においで。」
 
仲良し夫婦は、戦争で“独りぼっち”になった小さな子どもたちを可愛そうに思い、家に連れて
きて、自分の子どもたちと一緒に育ててあげました。
また、石炭の荷役の重労働で、1日いっぱい働く忙しい親の子どもたちも、預かってあげることに
したのです。1日の預かり代“三銭”を握り締め、子どもたちがやって来るようになりました。
 
いつの間にか仲良し夫婦は、“みんなのお父さん”と“みんなのお母さん”になっていました。
毎日の食べ物にも困る、とても貧しい生活でしたが、家族がいます。仲間が居ます。
坂のてっぺんの家には子どもたちが増えて、ドンドン賑やかになってゆきます。
いつも笑いが絶えません。どんなに貧しくても、だから、みんな“幸せ”でした。
まわりのみんなは、その家のことを、子どもを愛する家、”愛児園”と呼びました。
 
 
ある日、みんなは、お庭にコスモスの種を蒔きました。芽が出て大きくなって・・。
そして、花が咲くのを子どもたちは楽しみに待ちました。
 
秋になると、鮮やかなピンクに薄紫、白に薄桃・・みんなが思い描いていたよりもずっと綺麗で
たくさんの花が咲き、古いその家を綺麗に模様替えしてくれました。
「この花は、お話が出来るんだよ。」
みんながそっと耳を澄ますと、風に揺れたコスモスがサワサワと何かをお話しているようです。
「本当だ!何て言っているんだろうね。」
耳を澄ましては、話し合う子どもたちを、仲良し夫婦は目を細めていつまでも嬉しそうに見守っていました。
 
お日さまもニコニコ見ていました。
 
 
 
 
 
 
 
こんにちは。
ボク“清泉クン”。
ボクがどうやって
生まれたかという
お話だよ。