横田パンフ第2版原稿(その1)
横田基地概要99年版
民間貨物旅客機も軍用に 米軍は、貨物のほとんどは自前の輸送機で運んでいますが、一部の貨物と兵員輸送のほとんどは、アメリカの民間航空会社の飛行機を徴用して行っています。これらの航空機は有事の際、「民間予備航空フリート」として徴用され、輸送軍団下の空輸軍団に組み込まれます。湾岸戦争ではこれらを使って大量の弾薬が輸送されました、これは、輸送機の数不足を補充するものです。湾岸戦争では、これらの民間旅客機で弾薬までも運びました。こうした民間旅客機も同じようなルートをとり、横田を中継していきます。アメリカ戦争協力法(ガイドライン)では日本の(陸・海・空)民間輸送会社、輸送施設まで米軍の兵站支援活動に強力されることになり、横田基地には民間旅客機が着陸できるような航法施設も作られました。 最前線への運び屋 C130中距離輸送機 横田基地第374空輸航空団司令官は、98年テレビインタビューの中で、「我々の輸送機は、韓国、グアム、日本、アラスカ、アメリカ本土、インド、バングラディシュ、オーストラリアまで飛行している。いざとなれば世界中へ出動する」と答えています。このように日本の防衛とは縁もゆかりもないような地域まで作戦行動範囲となっているのです。 横田基地に常駐するC130Eハーキュリーズの任務は、長距離輸送ではなく、戦術輸送といわれる中短距離の輸送です。もともとこの部隊はベトナム戦争のとき、最前線へのあらゆる物資の補給を任務としていました。湾岸戦争にも参加した、C130輸送機部隊は、太平洋空軍で唯一横田基地に配備された部隊であり、急拵えの滑走路でも着陸できるという性能をもち、編隊・低空飛行訓練、物資投下訓練も日常的にすすめています。 米軍は、物資投下訓練は、週数回行っているといっています。 物資投下訓練は、横田基地に三角の赤い標識を たて、パラシュートをつけた砂袋を物資にみたて投下するというものです。これは、敵の攻撃のなかで味方の部隊に迅速に物資を投下する訓練です。 94年4月には国有地内に7キロの砂袋を誤って落とす誤投下事故を引き起こし、99年5月には、町田市の民家の屋根に誤投下するという事故さえも起こしています。 こうした訓練に住民をはじめ周辺自治体、東京都も抗議し、訓練中止を求めています。 まさに、最前線向けの輸送機が横田に配備されていることやこうした訓練が日常的行われていることは、横田が米軍にとって地域紛争・戦争への前線拠点であることを示すものです。 司令部機能 海外遠征化する在日米軍 米軍のファクトシートによれば、在日米軍は、1957年7月1日に創設され現在、陸・海・空軍、および海兵隊で、約47000人の軍人、52000人の軍族、5500人の国防総省民間人、および23500人の日本人労働者から成っていると記されています。これに米海軍艦船の乗務員など洋上部隊と家族を含めると10万人を大きく越えます。 基地は、132カ所(91カ所が米軍専用、残りは日米共同使用)、総面積990,221000平方メートルとなり大阪市や名古屋市よりはるかに広く東京23区の半分ほどになります。 在日米軍は空軍、陸軍、海軍、海兵隊の4軍の編成になっていて地球的規模で活躍する米軍のアジア・太平洋区域でのキーストーンの役割をもっています。 在日米軍司令部 横田基地の南西部、国道16号線と五日市街道の交差点に面して、サプライ・ゲート(第5ゲート)があります。このゲートから入って左側奥に、3つの旗がひるがえっているのが見えます。これが第5空軍司令部と在日米軍司令部の置かれている建物なのです。 地上2階地下3階の建物で1973年から関東計画によって日本政府予算でつくられたものです。この建物の地下部分は、核攻撃を受けることを想定した核シェルターになっています。米軍のシェルターの基準のなかで最大の重要度をもつ「EWO(緊急戦争作戦)シェルター」と呼ばれるものです。その任務は核攻撃で横田が壊滅的な打撃を受けても、米軍が核戦争をすすめるために必要な最低限の要員を生き延びさせるためのものなのです。 司令部には、全世界軍事指揮統制システム(WWMCCS)の作戦室があると言われ ています。これは、大統領を中心とする国家安全指揮機関(NCA)に情報を伝え、全世界の米軍部隊を指揮する根幹です。司令部機能は、アメリカの戦争をたたかう日米調整機関でもあり、新ガイドラインのもとで日米統合司令部として生まれ変わろうとしています。基地司令部は、近代化、設備強化にともない91年から3期にわたって建物の増改築工事を「思いやり予算」ですすめ、1996年10月完成しました。横田基地は、さまざまな指揮通信機能が集中する戦争の司令部なのです。 在日米軍司令部は、おおよそ、120人の軍人、50人の国防総省のスタッフ、日米統合の共同のスタッフから成っています。 在日米軍司令部は、戦争計画にもとづく統合・二国間演習および研究、地位協定の管理、隊員、軍属、およびそれらの扶養家族の生活の質を高めるための改善を業務としています。 太平洋の兵站支援部隊 在日米陸軍/「第9戦域陸軍地域司令部」 神奈川県座間市にある米陸軍座間基地には、太平洋地域全体の兵站支援を行う「第9戦域陸軍地域司令部」、在日米陸軍司令部が置かれています。在日米陸軍は、約2000人の軍人から構成されています。在日米陸軍は、本州から沖縄の兵站施設を管轄しています。 在日米陸軍には、第9戦域軍団、第17戦域軍団、第296陸軍バンド、第78航空隊(座間、赤坂プレスセンター)、78諜報隊、米陸軍医療活動、陸軍工兵軍日本の部隊がいます。在日米陸軍司令部は、陸上自衛隊との「ヤマサクラ」と呼ばれる指揮所演習や米歩兵機動部隊が参加しての「オリエント・シールド」実動演習を行っています。指揮所演習には、米陸軍予備役、州軍も参加しています。また、「オリエント・シールド」演習は、砲下生き残り訓練など含まれる実戦的な戦闘訓練演習です。99年1月に行われた「ヤマサクラ35」指揮所演習のシナリオの中で「日米負傷兵の手当など民間の協力要請も想定され、治療の基本は軍医があたるが、負傷者の数が多い場合、所沢市の防衛医大病院はもちろん戦闘地域から近い民間病院に行う。また、橋や道路が破壊された場合は、民間業者の協力で修復のシュミレーションを行う」と報じられています。この演習こそ、新ガイドライン関連法案の実践例を示すものです。在日米陸軍司令部は、米陸軍・部隊、攻撃部隊、増派軍を支援します。在日米陸軍を維持することならびに太平洋全域での戦闘準備、作戦にもとづく施設の修理や在庫計画を強化することは、米軍の戦争を有利に展開できます。 空の遠征軍(なぐり込み部隊) 在日米空軍/第5空軍(USAFJ/5 AF) 第5空軍は、ソ連崩壊前は、フィリピン以北・ハワイ以西の北西太平洋全域の空を作戦空域としてきました。ところが、ソ連が崩壊してからは、アラスカからパナマ、カンボジア、インドネシア、中東まで地球のほぼ半分を作戦エリアとしています。 この司令部が横田です。第5空軍司令部は、アメリカの抑止力政策に貢献し、万が一その抑止力が崩れた時には、空中作戦を行うため戦闘機の提供と軍事空輸支援を行います。 また、航空自衛隊との二国間演習ならびに計画の作成に参加しています。 このため、青森県三沢基地に配備されているF16戦闘機部隊(50機)、沖縄の嘉手納基地のF15戦闘機部隊(50機)などを含め、戦闘機約130機、電子偵察などを任務とする偵察機10機などハワイに司令部を置く太平洋空軍のなかでも戦闘機や戦術輸送機をもつ15700の軍隊と軍属で構成されています。在日米軍の海外遠征部隊化(「外国で特定の目的を達成するため組織された武装部隊」)がすすむなかで、97年に「航空遠征軍」が設立されました。これは、空からの殴り込み部隊であり、「世界のあらゆる地域に、命令が出しだい48時間以内に展開されうる緊急対処部隊」です。航空遠征軍は、F16、15等の戦闘機群、輸送機、B52などの爆撃機群、E3C空中警戒管制機などで構成されています。すでに三沢、嘉手納の戦闘機部隊がこれに加わり、イラクへの攻撃などの作戦に参加しています。 海の遠征軍(なぐり込み部隊) 在日米海軍(CNFJ)/第7艦隊 米軍は、他国への軍事干渉にあたってフロム・ザ・シーという攻撃戦略をとっています。 この戦略は、他国の周辺沿岸に空母、強襲揚陸艦などの軍艦を配備し、空母艦載機や戦闘機からの爆撃、巡航ミサイルによる攻撃、軍艦からの艦砲射撃などによる徹底した攻撃を行い、その上で地上軍や海兵隊が侵攻するというものです。この戦略に第7艦隊をはじめとした海軍と第3海兵遠征軍の海兵隊が緊急展開部隊(ROTC)を構成しています。 海軍は、世界最強の艦隊である第7艦隊の母港を横須賀に置き、空母キティーホークほか多数の戦闘艦の母港ともなっています。横須賀には、1995年中東を作戦エリアとした「第5艦隊」所属の潜水艦司令部もおかれ、核巡航ミサイル・トマホークを搭載した原子力潜水艦もたびたび入港しています。米原子力空母の母港化計画 在日米海軍司令部は、海上自衛隊との2国間演習、共同作戦計画づくりに参加しています。長崎県の佐世保にある、米海軍佐世保基地には強襲揚陸艦「ベロウッド」など4隻の強襲揚陸艦が配備されています。95年から掃海艦「ガーディアン」「パトリオット」が常駐化しています。 第7艦隊 第7艦隊は、ハワイにある太平洋艦隊の指揮下にあり、東はハワイから西はアフリカ・喜望峰まで、西太平洋、オホーツク海、日本海、インド洋にわたる地球の5分の1を作戦範囲としています。空母「キティーホーク」をはじめとする2隻の航空母艦、約60隻の洋上艦艇と210機の作戦機、海兵隊をふくめ約46000人の兵員で構成されている世界最強の艦隊です。司令部は、旗艦「ブルーリッジ」にあります。横須賀には旗艦「ブルーリッジ」に不測の事態が発生した場合を想定し、代わって作戦指揮がとれるようにコマンドケイブとよばれる洞窟司令部があるといわれています。 第三海兵遠征軍 太平洋海兵遠征軍(MARFORPAC)の指揮下にある第三海兵遠征軍は、第一に沖縄と南本州に駐屯する約18000人の海兵隊員から成っています。海兵隊は、沖縄に第3海兵遠征軍、岩国に第1海兵航空団を置き、アメリカ本土以外では唯一の海兵水陸両用軍を構成しています。もともと米海兵隊には3つの水陸両用軍しかなく、そのうち一つは米本土東海岸に、もう一つは西海岸に配備されていて、最後の一つが、日本に配備されているのです。海兵隊の任務は海軍の艦隊に乗って他国に上陸し、戦うこと、そしてそれを独自の航空部隊が援護することです。すなわち、最初から他国への侵略を目的とした部隊で、防衛的性格は一かけらもありません。そんな部隊の配備を日本は受け入れているのです。 海兵隊による実弾射撃演習は、北、東富士、王城寺原、矢臼別、日出生台で強行されています。演習地の本土移転により沖縄でも出来なかった夜間戦闘訓練、長距離射撃訓練、最大速度発射射撃訓練などを含めた「なぐりこみ」出撃に備えた実戦的訓練が行われるようになりました。 日米共同作戦体制と 日米統合司令部へ 在日米軍司令部のもう一つの顔が自衛隊との関わりです。安保条約第5条にもとづく自衛隊との共同作戦をすすめています。陸・海・空の自衛隊を一本化し指揮するため1984年中央指揮所(六本木防衛庁内)と横田基地司令部内に米軍の中央指揮所も設置されました。自衛隊の中央指揮所には米軍が、米軍の中央指揮所には自衛隊が連絡将校を置いています。自衛隊の統合幕僚会議事務局と在日米軍司令部の間では、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」にもとづき日米共同作戦研究やシナリオづくりがすすめられてきました。これらは政府や防衛庁が極秘としてきた「日米共同作戦計画」の具体化を協議する自衛隊と在日米軍の常設機関の共同防衛研究をすすめるための「日米統合委員会」や日米両兵力の一体化をめざす「共同相互運用性調整委員会」などで検討されてきました。 94年の北朝鮮核疑惑問題によるによる軍事緊張の高まりの中で、朝鮮半島有事を想定し、在日米軍から日本政府へ8空港、6港湾の使用を含む1059項目の協力が求められた。これをもとに周辺事態法など新ガイドライン関連法案がつくられています。このようななかでアメリカの戦争行動に自衛隊が無条件で参加する態勢づくりがすすめられ自衛隊基地の米軍基地化がすすめられようとしています。 日米統合指揮所と新防衛庁建設 新ガイドラインは、自衛隊と米軍の間に一個の「双務的調整メカニズム」(双務的日米共同作戦調整機関)を平時から設置・運用することを合意しています。この機関は、調整委員会と共同作戦調整センターから構成されます。 調整委員会には、在日米軍司令部、防衛庁統合幕僚会議、陸海空の各幕僚監部はもとより米大使館、外務省、警察庁、海上保安庁、自治省、運輸省その他関係各省庁の代表から構成されるとみられます。調整委員会は米軍、自衛隊と政府機構を参加させることによって総合的に作戦調整をすすめるためのものです。かたや日米共同作戦調整センターは、米軍と自衛隊の作戦・諜報・兵站などを受け持つ幕僚を中心に運用されます。「日米は有事に準合同軍体制を整備することになった」との指摘通りこれは事実上の日米統合軍司令部です。この常設機関が横田と市ヶ谷に置かれるのではないかと思われます。 すでに日米統合指揮所演習は、規模内容ともに年々エスカレートした内容となっています。94年に行われた指揮所演習では、はじめて湾岸戦争で米軍が実際使った「戦闘シュミレーション」を用い、96年の統合指揮所演習では、敵に占領された日本海の隠岐島に陸上自衛隊の空挺部隊や海上自衛隊が米軍の支援のもとに「敵前上陸」し、奪回するというシナリオでした。また在日米軍司令部が自衛隊と「共同使用」されました。すでに96年の統合指揮所演習で日米共同作戦で不可欠な「共同作戦調整所」の機能を演習しておりすでにこれらすべてがアメリカの戦争行動に自衛隊が参加するというガイドライン体制づくりにもとづくもので、このころから米軍戦争協力態勢づくりがはじまっていたのです。 98年日米統合指揮所演習は、これまで米軍が体験したあらゆる戦闘状況を網羅したソフトを用いて10万人の部隊運用をシュミレーションするなど実戦色の強い訓練です。 この時に用いられたコンピューターシュミレーションソフトは、JTLS(統合戦域レベルシュミレーション)と呼ばれるもので、アメリカのバージニア州フォートモンローにある米統合戦センターが幕僚の作戦能力のレベルアップのために作成されたシュミレーターです。 新防衛庁建設 1988年当初から指摘してきたとおり新防衛庁建設と首都圏自衛隊基地の再編強化計画は、日米共同作戦を担い、実戦できる体制づくりです。すでに新防衛庁がつくられる市ヶ谷基地には、全国の自衛隊を指揮するための様々な司令部中枢施設がつくられています。これらは、住民の移転反対を押し切って急速にすすめられています。 1996年防衛庁接地法の改正で、「新防衛庁」には、これまで陸上・海上・航空の各幕僚ごとの情報組織を統合幕僚に一本化する「情報本部」の設置が計画されています。これにより総定員1582人という最大の情報収集・分析機関となります。 ぶきみな諜報部隊 横田基地には、電子偵察機RC135が飛来し、また諜報収集を行う任務をもつ、 第315諜報中隊、暗号研究支援群日本、国防情報組織局、統合諜報センター太平洋分遣隊、605空軍諜報隊、国防諜報局が置かれています。 統合諜報センター太平洋分遣隊は、1995年10月神奈川県米海軍上瀬谷基地からが移駐してきました。同部隊は、アジア、太平洋の諜報関係を主要な任務として行う部隊といわれ、大和田通信基地にあるアンテナ群は、こうした部隊が諜報活動で利用するために強化されたのではないかと思われます。統合諜報センターは、ハワイに本部をおき、艦隊海洋監視情報センター(FOSIC)を管理する部隊だといわれています。「FOSIC」は」、インド洋、西太平洋における軍艦の位置と動きに関する情報を海洋監視衛星、偵察機などであつめ総合的に分析するセンターです。 核戦争を指揮する 横田基地には、核戦争を指揮するためのさまざまなシステムがあるといわれています。これらは勝者なき核戦争に「勝つため」アメリカが維持強化しているものです。それは、核戦争時全部隊に指令を送るための通信システムといわれています。 ●ミスティック・スター 核戦争時、大統領は、ボーイング747ジャンボジェット機を改造したE4Bにのりこみ空中から核戦争を指揮します。大統領が米軍の核戦力を掌握してE4Bから指令を全部隊に伝えるための通信が「ミスティック・スター」です。 ●コマンドエスコート 核戦争時、米太平洋軍司令官の指揮・命令とくに、EC135空中指揮機から指令を全軍に伝えるための通信ネットワークです。 ●ジャイアント・トーク・ステーション 戦略爆撃機は、核戦争の突発に備えて一定の数が核爆弾を積んだまま、いつでも飛び出せるように待機しています。 「核戦争開始」の警報が出て敵地に向って飛んで行くとき、最終投下指令を送るのがジャイアント・トーク・ステーションです。爆撃機はジャイアント・トーク・ステーションからの最終指令が送られなければ、核爆弾を積んだまま引き返すことになっていますから、まさに全面核戦争の引き金ともなる「最終」の指令です。 これらの暗号名で呼ばれて いる通信システムによって、核戦争を指揮するといわれています。アメリカ本土から衛星通信や海底ケーブルで横田まで中継された指令を、所沢通信所(埼玉県所沢市)のアンテナから送信し、爆撃機からの応答を大和田通信所(東京都清瀬市、埼玉県新座市)で受信するといわれています。この通信システムは、司令部内にあるといわれている地球規模の指揮統制システム(GCCS)に組み込まれ、通信交換センターの建物は、周囲をフェンスで囲み、入り口は電子ロックされ窓がありません。 米軍の世界的な通信網は、確実性を期するために@軍用の通信衛星A短波(HF)によるネットワークBKDDやNTTなど民間機関の海底ケーブルなどを利用しています。これらの能力を向上させる近代化とともに電磁パルスに対する防護策がとられています。軍用通信衛星の中心ネットワークは、国防衛星通信システム(DSCS)です。日本では地上ターミナルが神奈川県座間市にあり、横田基地の国防通信庁太平洋分遣隊が管理・運用しているといわれ、海底ケーブルは電磁パルスの影響を受けずしかもたくさんの情報を送れる光ファイバーに更新されています。 トマホーク発射 湾岸戦争やアメリカのイラク攻撃で使われている「トマホーク」ミサイルの使用に対しても、横田基地は重要な役割を果たしています。トマホークは、「TERCOM(地図地形照合装置)」によって、実際に飛んでいる場所の地形と、あらかじめ記憶させた予定された飛行コースの地形を照合し、コースからのずれを、自動的に検出・修正することによって最大2500キロ離れた場所に誤差数十メートルで命中させることができるといわれています。そのためには、飛行コースとなる敵地の地形の詳細なデータが決定的に重要となってきます。このデータを記録した磁気ディスクをトマホーク搭載艦に運ぶのが軍急使サービスです。この軍急使サービスが、横田基地、横須賀基地に配備されているのです。 即応態勢 演習「ビバリーモーニング」 1995年国防省は、日米安保に蘭わる報告で、「在日米軍基地は、アジアと太乎洋における防衛の第一線であり、これらは、ペルシャ湾までおよぶ地域外の突発事変への対処にそなえている。」と述べています。1993年以降、年間3、4回の割合で横田基地では、全部隊が参加した「即応体制演習」(ビバリーモーニング)が行われています。 ビバリーモーニング演習は、太平洋地域での有事を想定し、横田基地内のすべての部隊が参加して行われます。また、98年2月には、アメリカ本国から来る米兵を受け入れる訓練。夜間航法、夜間パトロール訓練も行われています。 横田基地には、即応体制強化の一環と見られる125室をもつ宿泊施設も思いやり予算で作られています。また、98年3月第374医療群、航空医療輸送小隊に滞在施設が増設されました。航空医療一時入院施設の完成により太平洋地域で一番の大きな施設を持つ病院なりました。 核戦争をも想定したNBC訓練の恒常化 99年2月軍属を対象とした即応体制演習でもNBC(核・生物・化学)訓練が男混和割れるようになり、核戦争を想定した横田での演習は恒常的に行われるようになっています。 91年湾岸危機の時は、横田、三沢、嘉手納、座間などの基地でNBC訓練が行われました。この演習に参加した部隊は、第374空輸画の医療群で「核事故処理部隊」との疑惑があるグループです。訓練に参加した部隊は、横田基地滑走路南側で90年10月16日、17日化学戦を想定したNBC訓練を行っています。また、1995年9月と96年5月には、NBC(核・細菌・化学)戦を想定した訓練も行われています。 米空軍三沢基地広報紙「ノーザンライト」に掲載された核・化学戦防護訓練の記事「生き残りの手引き」によれば、横田基地で行われた訓練で着用された防毒マスク、へルメットは、核戦争をも想定した危険度がもっとも高いレベルとみられています。これらは、在日米軍司令部が「不測の事態に備えるために断続杓に行っている医療訓練」というように米軍横田基地が突発事変に対応して日常的な訓練が頻繁に行われているのを示すものです。 リチャード・マイヤーズ元在日米軍司令官は、都内で開かれた講演(96/3月)の中で「今日の演習で厳しく努力することがどのような突発事変にたいしてもわれわれが即応できるよう保証するのである。そして、この即応の部隊こそが恐喝と戦争とに対する最良の抑止」と述べています。このように横田基地はアメリカの地域紛争介入の出撃拠点として強化されているのです。 海兵隊実弾砲撃演習移動訓練 1997年、北富士演習場での海兵隊による実弾砲撃演習のため沖縄から130名の米海兵隊が全日空旅客機をチャーターして飛来。横田から国際興業社のバス4台に分乗。はいのうなど演習で使用する荷物は日通トラックで演習場に移動しました。この移動訓練は、民間の輸送機、車両をはじめてチャーターし、武器弾薬まで運ぶというアメリカ戦争協力法(ガイドライン法)先取りの動きでした。 これ以降も北・東富士演習場で実施される砲撃演習には、沖縄から横田経由で海兵隊が飛来し民間輸送で演習が行われています。 こうした海兵隊移動訓練は、横田基地の訓練基地化をいっそう押し進めるものです。 1996年誕生した横田基地と基地被害をなくす共同行動連絡センターは、海兵隊の砲撃演習と横田基地の使用に反対し抗議行動を静岡、山梨県民と連帯してたたかっています。 また、横田基地に関する東京都と周辺市町連絡協議会は、海兵隊などの輸送に対し事前の情報提供と、周辺住民に対する安全対策に万全を期すよう要請しています。 「ミサイル」迎撃演習 横田基地がアメリカの世界戦略を指揮する軍事基地としての危険性を示したのが1995年3月17日、横田基地で在日米軍主催の弾道ミサイル迎撃するための「防空演習」でした。この演習には、在日米四軍(陸・海・空・海兵隊)の各基地から戦闘・攻撃機など30機、米本土から世界で1機しかないという空中監視実験機まで飛来し、横田基地が司令基地となり、海上に配置された横須賀の空母「インディペンデンス」などといっしょにミサイル迎撃の訓練を行いました。TMD計画にもとづく日米での弾頭ミサイルに関する研究が確認されましたがこの演習は先取りそのものです。 「核持ち込み疑惑」の実態 横田基地に年間を通して発着する回数が特に多いのがC5ギャラクシー、C141スター・リフター、C130ハーキュリーズの3種類の輸送機です。いつ横田基地に行ってもこの3種類はたいてい見ることができます。この3機は、米空軍の核兵器空輸の任務をおびています。米空軍の核兵器輸送マニュアルには、米空軍で核兵器を空輸するのはこの3種類であること、それぞれが、どの核兵器を何発積めるかということが詳細に記されているのです。 疑惑その1 危険度ナンバー1の弾薬庫 横田基地の東側ヒマラヤ杉の切れ目から台形の土塁が見えます。これが弾薬庫です。幅約6メートル、深さ3メートルの水のない空堀となり、そのすぐ内側に、150メートル四方に高さ7メートルの土手、さらにその内側に2.4メートルのフェンスが張りめぐらされ、中央に半地下式の弾薬庫が設置されています。弾薬庫は長屋のように、29の小区画に分かれています。そして、その一つ一つに、火災が起こったとき、消防隊がどう対応するかを示すための標識がついています。 この標識は、危険度が高い順に「1」から「4」まであり、遠くからでも識別しやすいようにオレンジ色に塗られ、形も「1」は八角形、「2」は「x」の形、「3」は逆三角形、「4」はひし形となっています。1981年、朝日新蘭がへリコプターで弾薬庫を上空から撮影したとき、29室のうち、過半数の17室に、いちばん高い危険度を示す「1」の標識がついていたのです。米軍の規定によれば危険度「1」の表示は、「必ず大爆発、大被害になるので、消火作業を試みてはいけない、第一義約に避難せよ」というものです。この表示は、野積みにされた核魚雷「アスロック」用コンテナの周りにも立てられていました。 疑惑その2 核事故処理部隊の存在 基地南側にある病院施設は、病気や訓練、戦争で負傷した兵員の治療を行うだけでなく核事故にも備えた施設といわれています。この病院のなかに1990年6月6日、参議院予算委員会で日本共産党の上田耕一郎議員により「核事故処理部隊」がいることが暴露されました。上田議員が用いた米国防総省・エネルギー省合同作成文書「核事故対処能力リスト」によれば横田基地には、アルファ線検知器9基、ベータ線検知器41基、ガンマ線検知器が36基あります。アルファ線検知器は、原爆を組み立てるときのミスや、輸送中に安全装置がはずれたりしたときに、プルトニウムからでるアルファ線を検知するものです。ベータ・ガンマ線検知器は、核爆発のときの死の灰など放射能測定器です。同年、東京民報社の「横田基地に核事故を検知するシステムはあるのか」の問いにたいし、在日米軍司令部は、「そのとおり。緊急時に核兵器が移転される可能性のある軍事施設には、それぞれ起こりそうもないことだが核災害・事故に対処する計画や規定がある。これらの諸計画は、横田基地で1950年代以降発効している」と回答しています。これは横田基地に緊急時には核兵器を持ち込むことを米軍が認め、核事故対処能力をもっていることを示唆したものです。1987年には、横田基地に、爆発物処理部隊「EOD」が存在し、その「EOD」が、核兵器事故の処理も任務とするということも明らかにされているのです。 疑惑その3 核兵器輸送 核兵器の輸送は、特別の輸送機で運んでいるわけではありません。衣類など生活必需品の荷物と一緒に核兵器も運ぶのです。東京平和委員会の横田基地監視行動でも、核兵器輸送の持込みの状況が、何回も明らかにされています。1978年2月、米韓合同演習チーム・スピリット租の際には、核非核両用地対地ミサイル「ランス」がC141輸送機に積まれ、横田基地を経由して韓国に運ばれました。1980年4月10日には、核兵器輸送中の核兵器爆発事故をも想定した「ブロークン・アロー」演習を目撃・撮影しました。1983年4月10日、20日、84年2月7日、4月12、13、21日などには、相次いで横田基地東側の弾薬横みおろし場で、核非核両用ロケット魚雷「アスロック」のコンテナが何回にもわたって確認され、大型輸送機への積込みも目撃しました。 |