レポート 平成20年4月5日更新
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山形県の日本海側、俗にいう庄内地方に一時期電車が走っていた。名前は庄内交通湯野浜線。愛称は“おんせん電車”である。湯野浜温泉の湯治観光客、そして善宝寺への参拝客輸送の為に昭和4年に開業した。
湯野浜線は昭和の戦後20年代までは隆盛を極めていたが、これを諸行無常・盛者必衰と云うのか、それからはモータリゼーションなどの影響で利用者数が著しく減少した。そして惜しくも昭和50年3月に営業を終了した。46年の活躍である。地方私鉄にしては短命だったのではないだろうか。
そんなおんせん電車は廃線から33年経つ今でも遺構と呼べるようなものを幾つか残している。ここで公開するのは記念館として残っていた旧善宝寺駅とその車両、そして羽前水沢付近に保存されている車両の写真である。駅や車両以外にも幾つか名残と呼べるようなものは存在するが、残念ながらその写真は撮れていない。
※写真は全て2005年、若しくは2006年に撮影されたものであり、今とは状況が異なっている場合がありますので御了承ください。
写真・文:
sazanami
2005年8月11日 旧善宝寺駅にて/2006年8月10日 旧善宝寺駅・羽前水沢附近にて
まずは現役当時の写真から…と行きたい所だが、悲しいかな現役当時の写真が一枚もない。無理もないですね。もし此のサイト見ていて湯野浜線の現役時の写真を持っていたら、是非御一報をと図々しくお願いしてみたり。
まぁそんなわけで現役時の写真は一枚もないのでRMライブラリーを買うか、適当にぐぐるなりして下さい。…なんだこの無責任さは。
I. 旧善宝寺駅全景
写真を見れば一目瞭然だが、善宝寺駅は交換駅である。一時期鶴岡よりにある安丹駅も交換駅として機能していたが、利用者数の減少が反映されているのかは判然としないが、末期は交換駅として機能していなかった。しかしここ、善宝寺は開業から廃止まで一貫して交換駅として機能していた。
今じゃあ雑草がぼうぼうと生えていて何がなんだかろくすっぽ分からないが、過去の写真や資料を拝見する限り、もとはかなり立派な駅であったことが分かる。
どれだけ立派だったか。交換駅として機能していた他に、善宝寺方面ホームの後ろと鶴岡方面よりの線路に側線があり、貨物輸送の拠点としても機能していた。RMライブラリーによると、DLがここに配置され、貨物の入換えに使用されていたとのこと。あと駅舎に売店が併設されており、それは地方私鉄の途中駅ではあまり見ない珍しいものだった。そういった要素が合わさることによって、善宝寺は活気ある駅へと発展していった。
II. 善宝寺駅鶴岡方面ホーム
鶴岡方面ホーム(多分)に上ってみた。こっち側には駅舎は無く、代わりにこれまた趣のある木造の待合室が併設されている。
III. モハ3
旧記念館の中には、電車が一両保存(現況を考えれば放置かもしれないが)されている。
此の電車はモハ3形といって、1930年に既に営業運転に入っていた他の車両(モハ1と2)より1年遅れる形で入線した。車両は自社発注で、製造を担当したのは日本車両東京支店である。車体は半鋼製、台車は2軸のボギーになっている。台車の方はぱっと見雨宮製に見えなくもないが、どうやら違うようである。
詳しい事はRMライブラリーに色々と書いてあるので興味のある方は其方の方に目を通して頂きたい。その方が色々な意味でいいかと…。
因みに、此の車両に良く似た奴が銚子に居る。それは言うまでもなくデハ101のことで、今は笠上黒生の側線に留置されている。留置されてはいるものの、上のモハ3のように比較的良い状態を保っておらず、車体の随所で腐食が著しく進んでいる。要は救いようが無い位廃れているのである。そればかりはどうにもならない。残念無念。
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