Slash Fighter
 

僕にとって、背負い過ぎたその荷物は、重く――。
 

敏感さとは、時として不便なものだ、と思う。
ただ、静かな場所を欲していただけなのに。

学校帰り、林の中にあるベンチに腰掛けて本を読もうと思っていた。
ページを捲れば、後は深く沈み込める自分の時間。
時折風が靡き、木々のざわめきがするが、それは自然のBGM――耳障りなものではなかった。

ドッ。

――だが、人為的な音となると、話は別である。

ドッ。

木の葉が擦れる音よりも遥かに小さく。

ドッ。

でも、聞き取れてしまう。反応してしまう。

ドッ。

――打撃音。
恐らくは、木の幹を打っているのだろう。
ならば、格闘学科の生徒かもしれない。
そういえば、近々校内で大会があるとか言っていたから、その為の修練を積んでいるのか。

ドッ。

――だが、軽い。
というより、素人然としている。
それでは、勝利などおぼつくまい――それなのに、何故続ける?
…格闘学科の生徒ではない?

訝しみつつ、それを訝しんでしまえる我が身に辟易する。
気にしなければ良いのに、気にならなければ良いのに。

パタン。
苦い溜息と共に、数ページも読んでいない本を閉じ、鞄に仕舞う。
完全に興が醒めた。
たが、その気分を削いだ相手には、興味が湧いてしまった。
ベンチから腰を上げると、身体は音と気配のする方へ向かっていた。

ドッ。

そして。

ドッ。

その光景に、一瞬、言葉を失った。

ドッ。

ドッ。

ただ拙くもひたすらに、血に塗れた己の拳を太い木の幹に叩き付ける、少女の姿。

「や…ヤンヤンさん!?」

「ほぇ!?」
 

「…よいしょ、っと…はい、これでおしまいです。まだ染みますか?」
キュッ、と白い布を結わえ、取り敢えずの応急処置を終えた。

「うぅん、もう平気ネ。謝々」
にぱっ、と笑う顔は、いつも通りの彼女だ。
だが、あの時の彼女の顔は、そうではなかった。
そして、自分も。
 

あの時、僕は彼女のか細い腕を取って半ば強制的に”修練”を止めさせた。
血が滴る拳など見たくない――それは、僕の性分?それとも”反応してしまう”から?
…いや、今はそれは考えまい。

彼女も彼女で、血が滲んだその手を見た途端に痛さを思い出したらしい。
その場にうずくまってしまった彼女に、どう声を掛けたものかと思いつつ、無難に、

「大丈夫です――」
か、と問い掛けようとして、できなかった。

泣いている。

それは、手の痛みだけではなかったのだろう――心。
だが、何故耐えていた?何の為にこんなことを?
様々な邪推が浮かぶが、一先ずそれを遮る。
目の前で女の子が涙しているのを黙って見ている程の甲斐性無しを演じるのは、御免だ。

「大丈夫です」
今度はそう言い切って、僕は彼女の小さくて軽い身体を背負い上げると、自室へと走った。
誰かにこの光景を見られていないことを祈りながら…。

「痛〜〜〜〜〜〜〜!!!」

「シーッ!!ヤンヤンさん、ちょっとだけ我慢して下さい!」

「この傷薬、凄く染みるネ!何か変なもの入れてないアルか!?」

「隣の部屋に聞こえます!後生ですから静かに!!」

…まぁ、部屋に帰ったら帰ったで、こんな紆余曲折はあったのだが。
僕の部屋から女の子の悲鳴が…なんて変な噂になったら洒落にならない。
とはいえ彼女は、必死で悲鳴を上げたくなる衝動に耐えながら、治療を受けてくれた。
激痛に抗うために腕に爪を食い込ませて、なお顔を歪める様は何とも痛々しい。
僕もそれを心苦しく思いつつ、彼女の痛みを最低限に止めようと手早く作業する。
両方の手の甲を消毒し、即効性の痛み止めと傷の治癒を早める軟膏を塗り、ガーゼと包帯で手を包む。
魔法で治した方が早いが、それは一時凌ぎに過ぎない。
授業では習わないが知識にある薬草学が役に立ったのは有難い話だ。
 

そんなこんなで、話は先の状況に戻るわけである。

「でも驚いたアル。カイルって案外手先が器用アルな」
目を爛々と輝かせている彼女――そういえば、痛みが引いたと思しき後は、熱心に僕の手元を見ていた。
僕としては、あまり見てほしいものではない――こんな穢い手など――。
それに、その褒め言葉に乗ったら何か色々面倒そう…例えば彼女の”内職”を手伝わされるとか、そんな気がして。

「ははは…それよりヤンヤンさん」
はぐらかすように微笑しつつ薬箱を片付け、ティーポットに沸かしたお湯を注いだ。
お茶を淹れつつ彼女に視線を合わせて、不意に真面目な表情を作る。

「どうしたんですか一体?そんなに手を傷めたんじゃフィギュアも作れなくなりますよ?」
僕が一番聞きたかったこと――いや、あんな光景を見せられれば誰だってそう思うだろう。
この傷を作るに至った根本的な理由。

「ァィャ!?…な、何でもないアル…ただ、ちょっとやってみただけネ」

…何とまあ、嘘の下手な人だ。
トレイにカップを載せながら、苦笑を抑えつつ思う。

表情と口から丸分かりのうろたえ具合。
血を流すまでやりながらちょっと、という辻褄の合わない発言。
全く合わせようとしない目線。
それっきり、黙りこくってしまうその態度。
これで本当の事を言ってると信じる御人好しはそう多くあるまい――因みに自分はそう見られてるようだが――。

別に、僕が朴念仁の称号を頂くのは構わない。
でも、あの時の彼女の表情が…あの泣き顔が、僕を動かしていた。
爛漫な彼女が、悲痛な顔をした訳を知りたかったから。

「…僕で良ければ、お聞きしますよ。勿論、言い難い事でなければですが。どうぞ」
コトン、という接地音と共にマグカップを彼女の前に差し出して、懺悔を聞く教会の牧師のような科白を吐く。
勿論、聞き出すことが彼女の負担になっては本末転倒だ。
お茶請けをテーブルの真ん中に、同じカップを自分の前に置き、彼女を座らせたソファの隣にそっと腰掛ける。

「………」
カップから上るミルクティーの湯気を浴びながら沈黙を保ったままの彼女の表情がまた、曇る。
気持ちの整理を付けかねているのだろうか。
あ、ちょっと熱かったかな…淹れ具合は丁度良いみたいだけど。
横目で長々彼女を見るのが躊躇われ、誤魔化すように紅茶を啜りながら、別方向に思考を彷徨わせていた時。

「…悔しかった」
絞り出すような声が、僕の意識を右横の声の主に呼び戻した。

「この前、ユリが自慢してたネ…今度の格闘大会で優勝するんだって」
その言葉に、僕は少し前に教室で起きた騒動のことを思い出していた。
騒ぎの真ん中にいたのは、ヤンヤンとユリ。
次の時間が苦手の教科だったので巻き込まれるのは御免だったから、遠巻きに傍観していた僕。
今思えば、何たる薄情――拗れるようなら介入しようと思っていた、というのは言い訳に過ぎない。

その後、彼女が独白に近い形で僕に告げてくれた事の顛末は、順当でもあり、意外でもあった。

順当というのは、自信満々なユリに負けず嫌いなヤンヤンが突っ掛かり、揉め事まがいに発展しかけたこと。
僕も予習の間に物騒な水掛け論が聞こえてきて心配になったのは覚えていた。
そして、その鞘当てが周囲の驚きの声と共に収まったのを不思議に思ったのだけど。

彼女の口から出たその理由が、二人が大会で決着を付けようというユリの提言を彼女が呑んだということだった。
それは、皆にとっては意外そのものだろう。
何せ、校内の格闘大会に一般学科の生徒が出場するという時点で無謀としか言いようがないからだ。
魔力による飛び道具が結界により封じられ、武器の使用、魔法による肉体強化(ドーピング)も禁じられる。
となれば、普段から身体を鍛えることに一意専心する格闘学科の生徒に、俄仕込みで勝てる道理などない。
しかも、相手は女だてらに優勝候補の最右翼たるユリである。
だが、彼女はカンフーポーズを披露して一歩も引かない姿勢だったそうだ。
彼女らしい、と苦笑したくなる。

しかしながら、僕が意外に思ったのは、そこではなかった。

大変失礼な話だが、彼女はその場の勢いとはいえ、絶対ユリに勝ってやるという気持ちでいたのだろうと思っていた。
だが、僕はその考えが自分の勝手な思い込みだったことを思い知らされた。

「でも、私なんかじゃ格闘学科のヤツらに勝てないの、分かってる…悔しいアル」

彼女の噛み締めた唇に、僕はマグカップを持ったまま愕然とした。

無鉄砲に大言を吐いたわけではない…己の力量がユリに及ばないであろう事は承知している。
でも、この子は、勝ちたいのだ――本気で――。

『強くなりたい』

誰あろう自分がその昔、持った感情。
勿論、その危険も身を以って知っているのだが――いや、今はそのことはいい。

包帯で手当てした彼女の手に目を落とす。
僕は、彼女を思い遣って、そうしたつもりだった。
だがそれは、彼女に『無理だ』と言ってしまったことにならないか?
だとしたら…あの涙は、僕のせいなのではないのか?

「アハ、ハハハ。ワタシ、何カイルに愚痴ってるアルか…滑稽ネ」
沈黙の支配に耐え切れず、乾いた笑いを零す彼女。
でもきっと、彼女はそうでもしないと、泣いてしまいそうなのだろう…そう、あの時のように。
そして――逃げ出してしまいたいに違いない。

その刹那。
僕の右手は、彼女のか細い両の手首を掴んでいた。

「――ッ!?」
彼女が息を飲んだのに構わず、真剣にその手を見詰める。

嗚呼。
こんなに、華奢なのですね。
それでも、勝ちたいのですね。

僕は、表情を崩さないまま、大きく深呼吸する――それは”作戦”を練る時間稼ぎ。
そして、彼女を安心させるような笑顔を作って、言った。

「拳で殴るのって、難しいらしいんですよ」

実際、拳撃というものは単に握り拳を突き出せば良いというものではない。
単純な正拳でも、腋を締め、腰を回すように振らなければ威力など無いに等しい。
必殺を狙うなら人中や水月、丹田のような急所を狙う精度も要求される。
素手ともなれば、生兵法で殴ると逆に手首の捻挫や骨折の危険も高い。

読み通り、彼女は唖然とした表情でこちらを見ている。
傷付いた手の甲を刺激しないように彼女の右手を取り、続けた。

「掌の根元、ここ、分かりますか?骨があるでしょう?ここで打てば良いって聞いたことがありますよ」

「あ、ワタシの地元でもそういう技あるネ。『掌底』だっけ…って、カイル?」

掌底は厳密に言えば少々違うが、この際それは置いておく。
彼女の顔に、期待の色が浮かんでいる。

「も、もしかして…」
見開いた彼女の目を見詰め返し、僕はいつも通り目を細めた。

「ええ、机上の空論が役に立つかは分かりませんけど…お力になれるなら喜んで」

笑って言いながら、自分のあざとさに心中で辟易する。
机上の空論?とんだ欺瞞だ。
己の五体がそれを十二分に知っているだろうに。

「ホント!?ホントに!?やったネ、これで百人力ヨ!謝々ネカイル!!」
だが、一先ず自分への侮蔑は、心からの笑みを湛えた彼女に免じて封印しておく。
目の前には、僕にも目標が出来たのだ。
だが、調子に乗らないように、己と彼女に釘を刺しておくことにしよう。
 

「でも、まずはその手の傷が治ってからですね」
 

2日後――自然治癒にしては短いから、魔法で頑張って治したのだろう――。
その日の放課後から僕達は、格闘大会に向けた極秘訓練を開始することにした。

場所は、例の木の前。
寮から離れていて人気が少ないし、何より彼女の決意を忘れないために、ここを選んだ。
念のために人払いの結界を張っておき、先ずはどう訓練すれば良いか、彼女の意見を訊いておく。

「う〜ん…修行といったら、何かひたすら同じ方法を繰り返すイメージしかないアルな…」
突然訊ねたから困惑したのもあろうが、彼女の目には別の色があったのも判った。
直ぐに強くなれる特効薬はないのか、という…言い方は悪いが、怠け根性。

一応、その為の方法はいずれかは伝授する気でいる。
だが、それを身に付ける上で、基礎は築いておかねばならない。
その為には…彼女が述べたその意見こそが正解なのだ。
ローマは一日にして成らず、である。

「そうでしょうねぇ。じゃあ、例の掌での打撃を、この木にぶつけてみましょうか」
瞬間、彼女の顔が強張る。
まぁ、手の傷は癒えても、あの痛みは忘れられるものではあるまい。
こういう時は、教え手の手本が物を言う――では、と。

バシィンッ!

「〜〜〜ッ!?」

はは、流石に驚かせてしまったかな。
…加減をして置いて良かった。

「あ、ビックリしました?ごめんなさいね。今のは丁度、腕が伸びきった間合いで打てた音です。
伸びきらない内に当たってしまうと捻挫してしまいますから、まずは指先が触れるぐらいでいきましょうか」
そう言って、早速彼女に実践してもらうことにした。
と。

「アチョーッ!」

ピシッ!

「!…いい感じですね。もう少し前へ」

「ハィャーーッ!」

ピシィッ!

「いいですいいです。もう一度」
その後、何度か掌打を打たせながら、僕は感心した。
明らかに、僕の予想より筋が良い。
これなら格闘学科に移籍したほうが良くないか、と大きなお節介まで頭に浮かぶ始末だ。

「ハァ、ハァ…ティッ!」

ピシャンッ!

気が付けば、僕がちょっと考え事をしている間に、彼女は何十回も打ち込みをしていたらしい。
完全とはいかないまでも、掌打をものにしていると言っていいだろう。
充分だ。

「素晴らしいですよヤンヤンさん。じゃあ、今日はここまでにしましょう」

「エー?もう止めるアルか?」
不満顔の彼女――強くなりたい、という目をしている――。
でも、その目はこういう時も曲者となる。

「身体を鍛えるのは、少しずつ時間を掛けた方が良いんですよ。魔力と同じで、薄皮を張り重ねるようなものです。
…そう、ヤンヤンさんの好きなフィギュアの仕上げのように」
喩えを織り込んで説得すれば納得してくれるか。…頼むから、納得してほしい。
すると彼女は、少し考え込んでから、

「…ナルホドネ、分かったヨ。じゃ、明日もよろしく頼むアル。再見!」
地面に置いてあった荷物を取り、余った元気で駆け出して行った。

「…って、明日もですか!?僕、明日は…あ〜あ、行っちゃった…」

………。

僕の気持ちは、複雑そのものだった。
僕の過去が役に立っているのが、嬉しくない訳ではない。
でも、怖いのだ。
このまま彼女にそれを教えることで、僕の身体から忌まわしいその時の記憶が甦るのではないか。

右の掌を見詰める僕。
その掌には、硬い肉刺が数多とあることを知る人は少ない。
そして、この掌に屠った魂は、更に――。

グッ、と手を握り締める。
…止めよう。
今は、この拳は、彼女のために――。

そして、僕も地面に置いてあった鞄を手に取る。
と、その前に…。
人差し指の先に魔力を込め、ピッ、と森の中に射出する。
その蒼い魔力の弾は、人払いの結界の楔を破り、ここを元の静かな森へと帰した。
証拠隠滅、か…。

こうして僕は、相変わらず複雑な思いを抱えたまま、打っていた木に背を向けて歩き出した。
 

そして、翌日から、僕の放課後の予定は全てキャンセルされるようになった。
クラスメイトからは、

「何だよー、最近カイル冷てぇなー」
と冗談半分に言われる。

「申し訳ないです。いずれ埋め合わせはしますから、勘弁して下さい」
苦笑しつつ謝るいつもの顔の僕。
でも、その裏にどんな顔があるのかを知る人はいるのだろうか。

冷たい僕。
それに怯える僕。
それを抑え尚、笑う僕。

でも、もうひとつの僕もいる。

「ハィィッ!!」
彼女が遂げた成長を、素直に喜ぶ僕。

あれから、彼女は自分の部屋でも修練を繰り返していたらしい。
元々器用だし、子供の頃からケンカに明け暮れた時期も多いという。
それ故か、我流ながら基本を吸収した彼女の拳は、僕の見立てでも充分なものになっていた。
そろそろ、か。

「じゃあヤンヤンさん、次のことが僕が教えられる最後のことになります」
いつものように、笑って告げる僕。
けど。

「………」
彼女がそのとき見せた表情を、僕は忘れられない。
どこか、似ていた。

あの時――拳と心の痛みに泣いていた時に。

それは、強くなりたいと願う目とはほんの少し違う、寂しさを湛えた目。
直感的に、その意味を悟る僕。

――だが、それは今は邪念でしかない。
だから、僕は気付かない振りをして、最後の修練の説明に入った。
 

数日後。
木の裏に貼り付けられた紙。
それが、表から木を打つ打撃に瞬間的に魔力を加えられることで――

「ハィッ!」
紙は見事、木を打ち抜いて吹き飛ばされた。
彼女は、最後の修練をものにしたのだ。
実のところ、これは格闘学科でもかなり高い次元で習得する技術だと聞く。
もう、技術的な面では俄仕込みとは言えまい。
本当に、やればできる子だ。

「お見事です」
心からの賛辞と拍手で、僕はそれを喜んだ。

「フゥ…疲れたアル」
彼女は満足げに汗を拭うと、僕の横によたよたと歩いてしゃがみ込んだ。

「お疲れ様でした。本当に、強くなりましたねヤンヤンさんは」
そんな彼女に、タオルとドリンクを差し出して、今の彼女の裏に存在したであろう努力を労わってあげた。
だが、彼女の顔つきはまた、不安に彩られる。

「うぅん…まだ安心できないアルよ」
その反応に、僕も少し顔が曇ったのが分かった。
強さは、追い求めるには限りがない。
だからか、修練するうちに自分の立ち位置が分からなくなる事がある。
強くなったと慢心して、その自信を粉々にされること。
充分な強さを持っているのに、それに気付けないこと。
彼女の場合は後者だろう。
だが、どちらにせよ、ここから先へと足を踏み入れるのには、大きなリスクがあるのを知っているから。
けど――

「我が侭だとは分かってるネ。けど、カイルには大会まで一緒にいて欲しいアル」
こんなセリフと共に瞳を見つめられては、断るに断れない。
それに、彼女の喜びの顔は、僕の闘いに関する厭な記憶さえも不思議と抑え込んでくれる。
毒を食らわば皿まで、か。
結局、僕は彼女のセコンドという形で、格闘大会に関わることになった。

「よし、頑張りましょう!」

「ウン!」

彼女の笑顔と共に、僕はこの大会に巻き込まれた。
ならば、僕の役目は、彼女の笑顔を守ること…か。
その為に、どうするべきか?
その日からの僕の頭脳と経験は、彼女に最適化した戦術を組み立てることに傾注し始めた。
 
 

そして、その日がやってきた――。
 

仰々しいファンファーレ。
辺りから漂う、闘いを楽しもうという雰囲気。
全力で臨め、と闘うなら当然のことを言う教官。

甘い――。

「いよいよアルなー…って、カイル?眉間に皺が寄ってるネ。どうかしたアルか?」

「え?あ、いえいえ、いよいよですね。僕も緊張してきました」
殺気に塗れた中での賭命の勝負。
普通だった過去を思い出しかけて、僕は内心苦く思った。
これは死合いではない、試合なのだ。
加えて、闘うのは自分ではないのに、何をでしゃばる事があろうか。

…いや。
彼女のブレインとして、彼女の勝利に貢献しなくてはならない。
だからこそ、自分は感覚を研ぎ澄まし、いわば彼女の「目」となる必要がある。
それでいながら、過去の自分との葛藤は抑え付けねばならない。
平静を保ちながら、自分にそれができるのか…?
これはいわば、自分との闘いである――闘う者が先ず克つべきは己である、とはよく言ったものだ。

こうして、僕と彼女の闘いは幕を開けた。

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