あんなに大好きだったおっぱいを、意外とあっさり卒業したのは子供のほうでした。
私といえば、もうお乳を吸う可愛いお口も表情も、うれしそうにおっぱいにかけよってくる姿も見られなくなると思い泣けて困りました。
それでも、初めておっぱいナシで寝かしつけた夜には「パイパイ?パイパイ?」と体によじ登ってきて大変でした。とうとう泣きつかれて私の手の中に小さなお手てをすっぽりと入れて寝入った姿には、いじらしくてまた泣けました。
テレビで動物が赤ちゃんに、おっぱいをあげるシーンがうつると、思わず家事をする手を休めてテレビに見入ってしまいます。娘もおかげさまでお乳をガッチリ一歳半まで飲んで育ち、1928グラムで生まれた頃の弱々しさがまるで嘘のような成長はぶりです。アゴの筋肉を十分に使ったせいか顔つきもふっくら。固太りで、見た目よりズッシリたくましくなり、夫も喜んでいます。
今では時々思い出したように、服の上からおっぱいにふれて、イイコ、イイコしたあと、チューをして最後に可愛くバイバイをと手を振ります。
納得ゆくまで、たっぷり母乳育児を楽しみました。
一歳半までお乳でつながっていた子供は、断乳してから一日、いちにち私にとって、発達と驚きの連続で新鮮なのです。(きっと娘もそうおもっているかも!)以前は、ベタベタまとわりついてくる娘をの、疲れていたりして疎ましく思ったこともあるのに、今ではおっぱいのありがたさ、すばらしさを思い出してばかりです。
初めてナーシング助産院にかけこんだのは、偶然にも五月の結婚記念日です。
産後一ヶ月目で左胸がガチガチに固く大きくなり途方に暮れました。
それで入院中に病院の書店で買った母乳育児の本を思い出して、ワラにもすがる思い出電話をしました。手技を受けたら、つまった線から噴水のようにいきおいよくお乳が噴出したのです。赤ちゃんの手形・足型までとって下さって、本当に感謝感激でした。それまでの1ヵ月の間、直接授乳ができなくて搾乳をしていたのですが、その日から直接授乳が叶えられました。
その後、何度もお乳がつまってお世話になる内に、「いきおいよく出る線はコレ。すきまからもれている線はコレ。」と観察できる余裕もできました。
これも先生に「大丈夫。そのうちに乳腺がつまってしこりができても自分で取れるようになるからと励まされ、「免許皆伝ですね!」」とおだてられてりしたおかげです。また乳腺炎のときにもたすけて頂きました。
こうして母乳育児をやり遂げられたのも、初めて見ていただいた日に「母乳だけでやってゆけますよ」と声をかけてもらったお陰です。
母は私をミルクで育てたし、ペチャパイの私が最後まで母乳育児をやり通せたとは夢のようです。
断乳後の手当ての帰り、ナーシング助産院から初めて歩いて帰りました。閑静な住宅街をふけて、駅へ向かう川沿いの土手を、ゆっくり手をつないで歩きました。秋らしい冷たい風に吹かれて青い空の下、「鳥、とり!」と川に浮かぶ鳥を指さす、娘の成長ぶりに胸がいっぱいになりました。
今後も楽しく育児・育児をしてゆきたいと思います。