妊娠中から母乳で育てたいと期待に胸を膨らませていました。
帝王切開だったため、出産前のおっぱいマッサージは全くできず、出産後は、早く母乳をちゃんと与えたいと焦る余り、我流の間違ったマッサージをして、母乳は出るようになったけれど、娘の吸う技術が追いつかず、2ヶ月半ごろに乳腺炎になりました。
突然の寒気と発熱。左半分から全く母乳が出なくなった左おっぱい。育児書をいくら読んでも対処法は見つからず、宮城に知り合いもおらず、実家のある横浜へ娘と緊急避難。
そこで、桶谷式の石川助産院(横浜市港南区)を知り、通い始めました。結局、そこで紹介していただいた乳腺専門の病院で左胸を切開しました。
毎日桶谷式助産院に通い、手技を受けました。傷口がふさがらないように、一日2回自分で綿棒を傷口にさして膿を出すのは、出産よりも痛かったです。そして、なかなか出ない、しかも、美味しくないおっぱいを娘は飲んでくれません。嫌がって泣き叫ぶ娘と、涙を流しながらおっぱいをくわえさせようとする私。母乳で育てられるのだろうか…という不安がつきまとっていました。そんな私を助産院の先生が励ましてくださり、また、周囲も「もう、やめたら」などと言わずに見守ってくれたおかげで、なんとか母乳育児を続けられました。娘が、再び左のおっぱいを吸ってくれたときは、嬉しくて嬉しくて、涙がぽろぽろ落ちました。
横浜で3ヶ月過ごした後、宮城に戻ってきました。『ナーシング助産院』の笠松先生を紹介していただき、こちらに戻ってからの最初の2ヶ月間、娘が6ヶ月になるまでは乳腺炎がひどく、2週間に一度は『ナーシング助産院』に通っていました。先生の手技を受けている時間は、おっぱいだけでなく、心もほぐれる時間でした。子育ての不安、娘の体調のことなどの話を聞いていただいて、先生の子育ての経験談やお母様との思い出話などを聞かせていただく。この時間が、私の癒しの時間となりました。笠松先生に「こんなに来なくて大丈夫よ」と言われるくらい、しょっちゅう通わせていただきました。
そして、今年の2月に娘はおっぱいを卒業しました。「え?こんなに簡単に?」と拍子抜けするくらいあっけない卒乳でした。母乳育児にこだわって、二人で一生懸命おっぱいと向き合ってきたから、「もう、十分おっぱいを堪能した」と思えたのかもしれません。「二人で頑張ったね」という達成感にも似た気持ちで満たされました。
私にとって、乳腺炎は、とても苦しい体験でしたが、乳腺炎になったおかげで、娘と本気で向き合えました。自分の傲慢さにも気づき、感謝の気持ちを学びました。なにより、娘のことが、いとおしくて仕方なくなりました。この先、何があっても娘と真摯に向き合っていけるという確信が持てるようになりました。
横浜の石川先生と笠松先生に施しいただいた、心までほぐれる手技の感覚は、今後私が「苦しい、もうだめだ」と思ったときによみがえり、私を支えてくれると思います。
本当に、ありがとうございました。